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13.太田図書の墓 解説板によれば、室町時代中期、千葉氏一族は古河公方と関東管領上杉氏の抗争に巻き込まれた。上杉方の太田道灌は弟の図書を臼井城攻略に派遣したが、城の防備は固く、引き上げようとしたとき、城兵が繰り出し手激しい戦いになったと言う。1479年、臼井城は落城したが太田図書は討ち死にした。 |
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14.臼井城址空掘り跡(臼井城址公園) 14世紀中ごろ、臼井家中興の祖と言われる臼井興胤がここに居を構えたと言われるが、以来約450年間臼井氏および原氏の居城となったが、小田原北条氏が滅ぶとともに、北条と組んだ千葉氏も滅びた。現在、空堀跡はよく残っている。かつては城の下は印旛沼だったが干拓され、今では農地と住宅地に変わりつつある。高台にあり印旛沼方面の展望がよい。 |
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15.臼井興胤が宇佐八幡を祭った臼井八幡神社 かつて臼井興胤が足利尊氏について九州で戦ったとき、1336年筑前国多々羅浜で菊池武時との合戦に大勝し、自分の領地臼井に宇佐八幡を勧請し祭ったとされる。近くの天満宮もそのとき大宰府天満宮をこちらに祭った所だと言われている。子供の七五三のとき、ここにお参りした神社です。 |
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16.御神木楠の大木 臼井八幡神社のご神木は大楠である。成田道中膝栗毛のなかでヤジさん、キタさんがこの大木を見て驚く場面があるらしいが、それほど臼井の大楠は有名で、成田詣での途中の観光地だった。この大楠は今では枯れて上が切られてしまっているが、当時をしのぶことができる。京成臼井駅に臼井のシンボルとして大楠の木が植えられているのもここから来ている。 |
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17.臼井八景発祥の地 臼井氏の菩提寺円応寺 円応寺は臼井城址からもよく見え、印旛沼からもかつてはその夕日に映える姿が美しく、臼井八景のひとつとされたが、今は印旛沼から直接は見えない。城主臼井氏の菩提寺として歴代臼井氏の墓がここにある。屋根に千葉氏一族の印である月星がはっきり見える。 |
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18.臼井家忠臣 岩戸胤安の墓(円応寺) 円応寺には臼井家の忠臣岩戸胤安の墓がある。臼井祐胤が亡くなった時、息子竹若丸(後の興胤)はわずか3歳。後見となった叔父の志津胤氏は竹若丸の暗殺を計画した。この計画は事前にもれ、竹若丸は岩戸胤安に助けられ、鎌倉建長寺に逃げることができた。しかし、これに怒った志津胤氏は岩戸城を攻め、岩戸胤安とその妻を殺害した。墓は円応寺にある。 |
京成臼井駅の楠の大木
