![]() |
19.宗徳寺 長谷山宗徳寺は、曹洞宗の寺院でかつては日陰寺と呼ばれたほど山深いところにあったとされるが、今ではすぐ横を成田街道が通り、スーパータイヨウも隣にある。臼井氏の跡をついで臼井城主になった原氏の菩提寺。宗徳寺の権現水は徳川家康が狩りに来てこの寺で休息したとき飲んだ清水を賞賛してこう呼んだらしい。 |
![]() |
20.志津城主次郎胤氏に殺された阿多津の碑 臼井祐胤の子、竹若丸は叔父の志津城主次郎胤氏に暗殺されそうになるが乳母のお辰の機転で命を救われる。しかし、お辰は葦原に隠れていたところを咳をしたため追っ手に発見され、殺された。以後役0年間臼井は志津胤氏に支配されることになる。村人はこれを悲しみ、江戸時代にここに石碑を建て、お辰を祭ったものである。写真では奥の高いところが臼井城址である。 |
![]() |
21.印旛沼の万葉の碑 この万葉の碑は別に古いものではないが、舟戸大橋と風車の間の印旛沼サイクリングロード沿いにある。潮舟の 舳越そ白波 俄しくも 負ふせたまほか 思はへなくに(万葉集4389)は作者はここ印旛郡(いにはこおり)の人だった。防人として出かける思いを歌ったものである。 |
![]() |
22.師戸城址(印旛沼公園) かつてここは臼井城の支城として舟で臼井城と連絡を取り合っていたらしく、臼井城がなかなか落城しなかったのはこの城の存在が大きい。今は船渡大橋で結ばれている。ここの城主は臼井四天王の師戸四郎といわれるが確証はなく謎も多い。秀吉の関東攻めで小田原北条氏が滅び、この師戸城も廃城となった。印旛沼の展望がすばらしい。対岸に新しい聖隷病院が見える。 |
![]() |
23.舟戸の渡し碑 ここにはかつて渡船場があり、かつての写真を見ると対岸がとても遠くのお思われるほど印旛沼が広く広がっていた。いまでは車で完成した舟戸大橋を使って一走りで通過してしまうのが味気ない。印旛沼公園に自転車でもいけるようにという要望があり、歩道、自転車道が作られつつある。舟戸大橋の交通量は一日中激しく、橋は狭いので徒歩や自転車で渡るには決死の覚悟を必要とする。 |
![]() |
24.一夜城公園 上杉謙信が越後から上越国境を越えて関東に進軍したのは数十回に及ぶとこの碑に書いてある。その理由は関東に力を広げる北条氏への牽制のためとされるが、謙信はこの臼井にも臼井城攻めのため進軍してきた。謙信が陣を敷いたのはこの辺と言われるが今は公園に碑がたっているだけである。臼井城は難攻不落でさすがの謙信も引き下がらずを得なかった。 |