太田金山(金山城址239m・大光院

白遠(しらとほ)ふ 小新田(をにひた)山の 守(も)る山の 末(うらが)れ為(せ)なな 常葉(とこは)にもがも (3436)

11:10 金山山頂の大ケヤキ 推定樹齢800年
正面石段を登れば本丸跡で今は新田神社がある
石段右のなだらかな坂はお正月の初詣用か
カメラ fuji X-A1 16-50


8:26 金龍寺に新田義貞公墓所とあるが本当だろうか?

9:36 史跡金山城跡と書かれた石製道標地点に東屋あり

9:49 物見台下堀切 左上に物見台が見える

9:57 物見台 北方に浅間、榛名、赤城、武尊、男体山展望あり

10:01 物見台からの赤城山 日光・榛名方面展望もあるが省略

10:12 月ノ池 更に進むと日ノ池があり山城にしては水が豊富

13:00 大光院吉祥門 家康は大阪城落城を喜び名付けたという

13:43 寿山曹源寺本堂は通称
「さざえ堂」と呼ばれる
12月8日(土)
   塔ノ岳大倉尾根を登ってみよう、という提案は見事に却下されたので太田金山に変更。朝早く出れば明るいうちに帰れるといううたい文句がきいたらしい。更に赤城山よりは1時間以上早く着くし、帰りも同じく短時間で帰れる、という好条件を説明。実際、太田市までが遠いからさらに遠い赤城山と比べてもなんだかペテン師みたいだけれど車に乗ってしまえば3時間くらいあっという間のはず。歩く道もそんなハードではなく観光地だしウォーキング程度だろう。

    朝4時起き、45分頃には車で一般道16号を走っていた。7時半頃に大光院横の市営駐車場着。ほとんど車無し。朝早いし季節はもう冬だし、曇りだし当然。でもそのうち増えてくるだろう。まずは大光院へ。大光院は上毛かるたに「おおたかなやま、こそだてどんりゅう」という読み札があり、呑龍上人が子供たちを弟子という形にして寺の費用で面倒を見たので「こそだてどんりゅう」と呼ばれている。今でいう養護施設で呑龍上人は子供を救った立派な人だった。

    どんどん進めるはずが各道標の解説を一言一句読みながらのんびり歩いてるのでなかなか進まないし体も熱くならない。金龍寺の新田義貞公墓所は本当なのかわからなかったがたぶん偽物の可能性あり。でも新田氏がこの辺で活躍したのは事実だから疑わずに信じておきたい。金龍寺は新田(岩松)氏を下克上で退けた家臣の横瀬氏(のちの由良氏)の菩提寺だった、と解説にある。下克上というのはどこにでもあるということを実感。

    物見台からは上越方面に展望がよい。浅間山から榛名山、赤城山、武尊山、日光方面の男体山まで一望できる。城跡は石垣などは修復されている。本丸跡には今は新田神社他、計3つの神社がたっている。

    下り、神明社に下るはずが間違え、御成橋に下る。もう車道を歩く気力もなく、早く帰ろうという気持になり駐車場に向かう。途中で金山ガイダンス施設で金山のビデオ見学。相棒はこういうのが大好きらしい。

    大光院に着くと朝と違って青空になっていた。車で「さざえ堂」に寄る。「さざえ堂」は新田義重創建とされる。本当は歩いてここまで来て八王子山を通り抜け駐車場へ戻る計画だったが、ワタクシたちには無理な計画だったようだ。

   ★「しらとほふ」は小新田山の枕詞らしいが、吾頭ではよく意味が分からず。そもそもそう読むかどうかもわからないらしい。「山の番人が守っている新田山は枯れないでずっと緑のままでいてほしい」。そのままの意味で理解するか、ひょっとして我が思う人がずっと若くしてきれいであってほしい、という比喩で個人的に理解しても文句は言われないだろう。学問としてはまた別だろうけれど。小新田山=新田山=太田金山と一般的には理解される。

⇒ 2007年2月 太田金山