進路決定 養護学校

2学期は進路も決定しなければならなかった。
中学の話題もあちらこちらで耳に入る様になり、goriも中学にgori流の期待をしていた。
養護学校は色々な手続きを踏まなければ入れない。11月までに入学申請をと言われていた。でも、決められない・・・・。

地域の中学にgoriをつれて見学に行った。
6時間目の理科を見学の予定だったのだが、なんと数学に変更になっていた。
しかも、goriに数学のプリントが用意されており、いきなり先生に「はい やってみようか〜」といわれた 。goriは何よりも数が苦手だった。
「理科じゃなかったの?」といいながらもけなげに、計算問題を始めた。
きっと、二度とこの学校に来る事はないだろうな・・・私は思っていた。

先生にgoriの障害特徴のこだわり、切り替えの難しさ、などを少し話したところで、先生はすでに引き始め、「自分は経験があまりないから・・・」とかなり逃げ腰。そんな事言っていいの?

希望はぶっ飛んだ。
帰りに「ぼく絶対××中学行かないからね」宣言。
あー、解ってるよ。そういうと思ったよ。

私もガックリきたが、goriはもっとガックリしていて情緒がひどく乱れた。
先の見通しがつかない不安感は予想以上で、学校も2日ほど休んだ。
「中学は一つではないし、ここがだめでもきっと良い所があるから、心配しなくて大丈夫」といっておいた。その後、すぐに養護学校を見学。本人は図書室だけを確認すると、「ここでいいよ」と簡単に言った。

そう簡単に言うけど、ここまで通うのは結構大変なわけで、スクールバスのバス停までgoriの足で40分かかる。「大丈夫」とgoriは言う。
この人が言い始めたら、それを変えるのはそれはそれは大変な事。
でも、付き添って40分歩く事になる私もかなり大変。って言うより、多分無理。
「一人で行って、一人で帰って来れる?」私。「大丈夫だよ」gori.。

巻物の紐がスルルと解け、ストンと落ちた感じがした。.
頭が進路について考える事を止めた。
3年間飲んだアナフラニールを止めた.。
過敏性腸症候群の薬を止めた。
goriの12年間を振り返っていた。

小学校普通級に入学した時の事を思い出していた。
色々ありすぎた。激動の小学校時代。今のgoriは、それらの事を経験した上にある。
学校にいる時は緊張でいっぱいだった。少し楽にしてあげたい。
行事に追いまくられるより、落ち着いた学校生活をおくらせてあげい。
ほおっておかれて、何もしなかった分、先生にも関わってもらいたい。


養護学校に入学を決めた。

12月に抗不安剤のアナフラニールを止めてから、少し様子が変わった。止めた直後はやはり不安が強くなって、ちょっとした事で泣いた。それもシクシクと。
それから1週間位かけて、goriの肩の力が抜けて行く様だった。
頑として変えられなかったひっかかりも、少し弱くなって、全体に柔らかくなった。


3学期、1年生が大分慣れて、先生にも少し余裕が出てきたのと、goriの変化がグットタイミングで重なり、また、卒業と言うゴールが見えて来た事も手伝って、二人の関係は急速に良くなった。
まさに良循環。goriは劇的に変化した。精神的に大きく成長した様に感じた。

感涙の卒業式。立派でした。
入場行進で体育館に入って来た所から、目の奥があつ〜くなって、すでに涙がこらえきれず。
goriが舞台に上がって、卒業証書を受け取る姿には、これが夢ではありませんように。と願い、一人一人言葉を語る場面も完璧で、森山直太郎の「さくら」の合唱には、号泣してしまった。

終わり良ければすべて良し・・・?。私達親子が、5.6年と苦しんだ事は事実だったが、この卒業式ですべて帳消しにしようと思う。

goriはよっぽど緊張したのか、家に帰ってから5時間眠り続けた。

この日、今までのすべてを忘れたくないと思った。この12年は 不可解な息子の内面を知りたいと思い続けた毎日だった。
私が本当に息子を理解する事は、きっと出来ないんだろうけれど、
せっかく、縁あって親子として生活している。
ならば、良き関係を保つ術をこれからも考えていきたいと思う。


養護学校に入学してからの絶好調な毎日は 泣き笑いブログに書いています。
 人生泣き笑い 
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