私のバイク論



バイクが売れてないらしい。
なんでも1982年年間130万台くらいが最高で、その後減り続け、現在は30万台程度という惨状だそうな。1982年はスクーターの火付け役になったホンダ タクトが発売になった年で、恐らくこの数字の中には相当数スクーターを含む原付バイクが含まれていると思うので、私が対象としているような、250cc以上のバイクとはまた違うとは思いますが、それでも売れてないのは、確かです。
個人的なイメージでは1988年、88年式のNSR250Rがピークで、翌年89年にはバブルがぶっとんでZEPHYRとハーレーの時代、つまり原点回帰してしまったように思います。あれ以降、あの黄金の80年代の盛り上がりは二度と帰ってはきませんでした。

私はまさにこの黄金の80年代の初頭にバイクに乗り始めました。今から考えればバイクブームの風が山口の田舎まで吹いていたのかもしれませんが、私が乗り始めた頃は、古き良き時代の名残が残っていました。いまだに忘れられないのは、初めて5000円で買ったオンボロの90TRに乗って家の近くの国道9号を走っていたら、前から来たバイクの一団にピースサインをもらったことです。私も慌ててピースを返しました。これが初めてのピースで、記憶にある限り最後のピースです。
その後、バイク乗りは増えましたが、どこか心の余裕を失ってしまいました。
バイクはどんどん前のめりになり、同じ車線を走るバイクは全て敵、対面を走るバイクは無視という殺伐とした世界になってしまいました。

80年代の黄金時代を支えていたのはレーサーレプリカでした。
レーサーレプリカの一号と言えば83年に発売されたスズキRG250Γ。レプリカでなくても400ccクラスは瞬く間に各社からDOHC4気筒16バブル、そして水冷になり、やがてこのクラスもレプリカに飲み込まれていきます。数年前までホンダは「400ccでは2気筒が有利」と言ってたはずなんですが、売れるとなればそんな話はすぐに反古になってしまいます。
この頃から既に一部では「やりすぎ」と言われ始めていました。
ポップ吉村もその一人でした。ポップはその著書「ポップ吉村のバイクスピリッツ」でこんなことを続けていたら若者の事故死が増えて、バイクそのものの存在が危うくなるということを指摘していました。現実はポップの予言通りとなりました。
事故死急増だけでなく、バイクの価格が高くなりすぎ、そう簡単には買えなくなってしまったという事情もありますし、高度化しすぎたバイクは初心者には扱えそうもないものになってしまいました。

こういうことはバイクに限らずよくあります。一番近いのはタミヤのミニ四駆ブームでしょうか。最初は小学生の工作程度でボタンや虫ピンを使って速く走らせるためのちょっとした工夫をしていたのが、そのうち大人が参入してくることによって高度なものになってしまい、後発組は勝てない状態になってしまいました。子供の喧嘩に大人が口を出すとろくなことになりません。一事は全国的なブームになっていたのに、そのブームを支えた世代が高校生になると急速に沈静化してしまった。おそらく生産設備を増強していたであろうタミヤは少なからず打撃を受けたと思います。
ミニ四駆が教えてくれることは、どんなにブームになっても入門者を確保しておかなければブームは終わる、と言う簡単な教訓です。

84年頃に私がバイクブームを横目で見ながら考えていたのは、改めて「バイクって何だろう」「自分はなぜバイクに乗っているんだろう」という素朴な疑問でした。
バイクはどんどんレーサーを目指して進化していたわけですが、ではレーサーがバイクの究極の姿なのか?何年か後には私も革ツナギを着てアレに乗らなければならないのか?
たぶん違うんだろうと思っていました。
確かに速く走る、というのはバイクの持っている要素の一つです。しかしそれだけではないはずです。幸か不幸か私が買ったVT250Fは「レーサーNR直系」とは謳っていましたが、レーサーっぽいデザインではありませんでした。私は素直にこのVT250Fのデザインがかっこいいと思っていました。発売当初は「レーサーイメージ」として喧伝されていたセパレートハンドルもバックステップも、数年後には特にレーシーなポジションというわけではなく、今で言えばネイキッドと言って差し支えないデザインになっていました。
これでいいんじゃないか?と私は思ってました。
その後、私が欲しいと思うようなバイクが発売されず、結局18年もVT250Fに乗ることになったのでした。
いや、正確に言うと18年間VTを所有はしていましたが、ほとんど乗らなくなっていました。それでも、引っ越ししてもこのバイクを持って行ったのは、私にとってバイクというモノがそう簡単には切り離せない何かになっていたからだと思います。
バイクブームの頃、一過性のブームでバイクに乗り始めた若者は、そのうちバイクを降りてクルマに乗ってしまった様です。結局、自分の人生の一部にバイクというモノが根付いてないんだろうと思います。
メーカーやバイクジャーナリズムにもその責任があると私は思っています。
メーカーは機械バカで、コストという制約はあるにせよ性能だけを追い求めてきました。たしかに70年代まで、すぐに壊れるイギリス車やハーレーに追いつけ追い越せの時代はそれでよかったと思います。しかし70年代、CB750FourとZ1/Z2で英国車を追い越し、高品質でオイル漏れ一つしないバイクを作りあげた後も、依然として日本メーカーは高性能を追い求めていました。そして行き着いた先がレーサーレプリカです。
確かに速く走るという意味では究極はレーサーでしょう。しかしレーサーというのはごく限られた条件下において究極であって、日常の中で必然性があるのか?ということが疑問でした。いや、レーサーレプリカが良いという人もいるだろうからその存在を否定するつもりはないが、それだけになってしまったところが問題だったと思う。

そこで、改めて思うのは、バイクとは何だろうか?ということである。
かつて戦後復興の頃はバイクは身近かなアシでした。いわゆる実用車です。しかしそれはすぐに軽四などに取って代わられ、60年代にはバイクは実用を離れて嗜好品となります。ホンダで言えば59年のCB92はまだ実用車をルーツに持っており正式名称は「ベンリーCB92」でしたが、60年のCB72になると純粋なスポーツバイクとなり正式名称は「ドリームCB72」となります。しかしこの頃はまだクルマが一般的ではなく、その代替として若者はバイクを求めたとも言えます。
それも80年代になるとクルマが普及し、バイクは18歳になってクルマの免許が取れるまでの一時的なアシとなり、結果として血気盛んな高校生の事故が増え、それが三ナイ運動へとつながり、工業高校を別にすれば、普通高校ではバイクは禁止されてしまいます。
しかし、いずれにしても80年代以降、バイクとは実用性など何も必要とされない、純粋なレジャー用品となりました。

バイクを取り巻く環境は変わっていくわけですが、それに併せて、メーカー側のマーケティングは変わっていったでしょうか。
結局日本のバイクメーカーは「輸送機械製造業」から抜け出すことができなかったと思います。だからどこからもバイクとはかくあるべし、というポリシーを聞くことはできず、「市場が求めるバイクをカタチにする」という美名のもとにイケイケドンドンをやってしまったわけです。
しかし「市場が求める」というのは実は間違っていることが多い。一部の人が「高性能のバイクが欲しい」と言えばそれに無責任なバイクジャーナリストが飛びつき、それを過信してメーカーがより高性能なバイクを開発する、という一種のマッチポンプ状態になってしまいます。本当であればバイクジャーナリズムは大所高所からバイクのあり方を考え、提案すべきですが、残念ながら我が国のバイクジャーナリズムはイエローペーパーでしかなく、威勢は良いがポリシーはない。
結果はあの有様です。
そして人気が無くなると、見向きもしなくなる。

バイクというのは命知らずの若者が乗る危険な乗り物なんでしょうか?
あるいはそうではないとするなら、バイクって何でしょうか?
答えは無いんでしょうが、私が20歳の頃からバイクに関わり続けてきたことを振り返ってみると、「自由主義への憧憬」というものではなかったかと思います。
自由主義というのはなんでも自分の思う通りにすること、と思われがちですが、そういう自由至上主義と自由主義は区分されています。むしろ自主独立と言った方が良いかも知れない。他人からあれこれ指図を受けないためには自主独立していなければなりません。自分の行為によって起こる結果は全て自分で背負う覚悟を持つこと、これが自由主義です。バイク乗りというものはこういう覚悟が必要だと思うんです。バイクに乗って、例え近所をぶらぶら走る時でも、実家を目指して700kmを走る時でも、必ずバイクに乗ってここに帰ってくるという覚悟が必要です。
単に走るだけならクルマの方が遙かに楽だし、便利です。夏は涼しいし冬は暖かい。居間に座ったまま移動している様なモノです。しかし、バイクは違う。輸送機械としては未熟だし、危険も多い。そんなものに敢えて乗ろうと言うこと自体、すでに自由主義的でしょう。

そういう自由主義を体現した様なバイクが欲しいと思っているわけです。
私がレーサーレプリカを認めないのは(私の運動神経では乗りこなせそうもないということもありますが)、レーサーレプリカはレーサーというものに依存している時点で自由ではないと思えるからです。無論、それをそのまま受け入れられる人はレプリカに乗ればいい。
流行に流されず、単なる自己満足的な欲望でもなく、それでいて個性的で自由主義的なバイクは無いものかと思い、たどりついたのがBMW R80でした。個性的という意味ではこんな個性的なバイクも無い。それでいてBMWはこの30年前のバイクでも、それ以前のバイクでも必要なパーツは供給してくれます(最近は外装品は怪しい様ですが)。乗ろうと思えば乗り続けることができる。メーカーの都合で降りる必要はない。いざとなれば自分である程度の整備はできる。実に自由主義的である。
別にフラットツインである必要はないが、こんな自由主義的なバイクを、日本のメーカーも作って欲しいものである。





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