バイクの今日まで そして明日から 1 |
ここ数年、歴史がブームであるという。 しかし歴女とやらがハマっていると称しているのは単なるキャラ芝居であって、歴史ではない。 学校の歴史の授業はさらに悪い。日本史は縄文、弥生から始まって卑弥呼、大和朝廷と続いて明治維新の頃時間切れになって終わり。キャラ芝居であっても歴史に興味を持つことは悪いことではないが、これでは断片的な昔の出来事の羅列を暗記するしかない。 しかし歴史というものはそんなものではないはずだ。 歴史というものは今を知るための手段である。現在起こっていることの正邪を考えるには、そこに至る流れを知ることから始まる。今起こっている事柄はその直前に原因がある。そしてその原因にはそれよりちょっと前に原因がある。そして、ずっと遡っていけば一巻の歴史書が結果としてできあがる。しかしそれは結果であって、本来は現在起こっていることについて、その位置づけを考え、そして未来を考えることが本筋である。 このように歴史とは現在を考えるための方法論であり、そのためには、通常の歴史書のように過去から現在へ流れる物語ではなく、現在から過去に遡るべきなのだ。それでこそ歴史はかび臭い、意味のない昔の出来事の羅列から、現在と未来において意味を持つものとなる。 現在、日本は内外にいろいろな問題を抱えている。そうした諸問題を考える時、戦後史が最も重要であり、それを通してこそ問題の本質が見えてくる。そしてその原因として満州事変から始まる対外戦争の時代があり、さらにその原因として日清・日露戦争がある。日清・日露戦争を知るためには明治維新を知らなければならないだろう。 しかし戦国の頃は一般教養として知っておけばよい。ましてや奈良、平安の頃のことなど直接的な関連性は何もない。別人種の物語と言っても差し支えない。そういう、何の役にも立たないことを教えようとするから歴史は退屈なものになってしまう。 そこでバイクの歴史である。 前にも書いたが、バイクは絶望的に売れてない。なぜなんだろうか。それを知るためにはそうなる前の状況を知らなければならないだろう。(なお、以下の議論は筆者の知識の限界によりオンロードモデルを中心として記述する。) 検討を始める前にまず、現在の状況を把握する必要がある。台数ベースでは確かにジリ貧というかドカ貧になっているが、個別に見れば売り上げを伸ばしているものもあるからだ。 例えばハーレー・ダビットソンは、90年頃から一貫して販売が伸びている。1000ccを越える大型バイク市場では国産車よりも多く売れているらしい。しかし国産車の、特に中型は壊滅的である。かつて80年代には激戦場であった400ccは崩壊し、あれほどの車種を誇っていたのがいまや事実上CB400SuperFourを残すのみとなってしまった(スクーターを除く)。 売れているものには売れるなりの理由がある。ハーレーを買っているのはリタイヤしたおじさんである。退職金でハーレーを買って、奥さんをリアシートにくくりつけて旅に出る様な無謀な爺さんがそこら中にいるらしい。実は私の知り合いにも同じような人がいる。高校生の頃バイクに乗りたかったが親に反対されて諦めたが、この年になってもう一回チャレンジする気になったとおっしゃっていた。昔乗ってた人、乗ってなかった人それぞれだろうが、いずれにしても人生の終盤にきてやり残したことをやりたいという思いがあるようだ。二十歳の頃に親の反対を蹴り飛ばして乗り始め、嫁の反対を踏み倒してバイクを買い換え、家族からほとんど見放された私にはあまり関係のない話であるが。 実際、バイク屋で出会う人、バイク用品屋の客、本屋のバイク雑誌コーナーで立ち読みをしてる人の平均年齢はかなり高い。かつて、16歳で乗り始め、クルマの免許が取れたら降りる、と言われた時代とは様相が変わっている。かつてとは市場が全く変わってしまったのだ。 市場が変われば、求められるものは変わる。それを考えるためには、人は何のためにバイクに乗るのかということを考えなければならない。 簡単な話だが、実はバイクに乗らなければならない理由など、何もない。 バイクは輸送機械の一種だが、今日、一部の実用車(ピザ屋のスクーターとか郵便屋のカブの類)を除けば、輸送手段として乗っている人はほとんどいない。つまり必然性などどこにも無いのである。ここが自動車や家電製品と全く違うところである。自動車や家電も売れないと言っているが、買い換え需要は厳然と存在する。売れないと言ってるのは頭打ちになっているということで、全く売れなくなるわけでは無い。なぜならそれが必需品であるからである。しかし必需品もでもなく、高価で、しかも危険なモノ、つまりバイクは買う意味など何もない。それで誰も困らない。むしろ家人からは歓迎されるかも知れない。販売台数が減るどころかゼロになっても何ら不思議はない。そしてこの単純な事実こそ、バイクが売れなくなった原因である。だからバイクのマーケティングはクルマなどのマーケティングとは全く様相が異なるはずである。一定水準の買い換え需要を期待するような曖昧な戦略は成り立たず、イチかバチか、どちらかしかない。 それではバイクとは、かつて日本全国に普及し現在は全く無くなってしまった農業用石油発動機と同じようにその歴史的意義を失ってしてしまったのだろうか。過去の遺物と呼ばれるものになってしまったのだろうか? そうだとも言えるし、そうでもないと言える。農業用石油発動機を新たに買う人はいなくなったが、バイクはまだ販売数を伸ばしている分野がある。つまり需要が完全に無くなってしまった訳ではないということである。それが冒頭に上げたハーレーという名の高級大型バイクである。 実際、今どこにツーリングに行ってもハーレー軍団を目にする。おそらく車両価格200〜300万円程度、改造費はさらに数百万円とおぼしき高級車を連ねて威風堂々他を威圧しながら走っている。とにかく多い。そしてそれに乗っている人は概ねそれなりのお年の人である。 まず、現在売れているバイクに着目し、なぜハーレーは売れているのかを考えるとは重要である。 こうしたハーレー乗りの年齢は、先述した通りかなり高い。概ね50歳を越えていると思われる。こういう人とその心境について突っ込んだ話をしたことはないので、本当のところは良くはわからないが、ハーレーに乗りたいという衝動を抑えきれなかった、という声が多いようである。若い頃、爆音を撒き散らしながら威風堂々走り去っていく姿を見送りいつかオレもアレに乗ってやる、と思いつつ幾星霜というような理由が多いようだ。私などはハーレーはカネで買えるが命はカネでは買えないぞなどと余計なことを考えてしまうが、しかし、あのお年の方にそう思わせる何らかの価値がハーレーにあるのは確かだろう。 ハーレーが一過性ではなく10年以上も売れている要因はいろいろあるだろうが、量的要因として最も大きいのは、毎年大量の退職者が出ているという事実である。その中の一部の人でも退職金をつぎ込んでハーレーを買いたいと思う限り、ハーレーは毎年確実に売れる。 そしてもう一つの特徴は、彼らが中型あたりからステップアップしてハーレーに行き着いたのではなく、最初からフルサイズのハーレーに手を出しているということである。若い頃からバイクになど乗ったこともない人も多い。退職間際で大型免許を取り、そしていきなりハーレーに乗る。無謀と言わざるを得ない。私などは国産のクルーザーもしくはせめて883あたりで練習してから大きいのに行っても良いんじゃないですか?と言ったことがあるが、そんな忠告など聞きもしない。陸上戦艦のようなバカでかいハーレーにしか眼中に無い様である。コケたら起こせるのだろうか? こうして見ると彼らは「バイク乗り」になりたいわけではなく、「ハーレーオーナー」というものになりたいということなのだろう。それを「バイク乗り」の常識で笑うのは簡単だが、しかしそこから学ぶべきものもあるはずである。何せ既存のバイクは軒並み売れず、ハーレーが売れているのは事実であるのだから。 「ハーレーオーナー」になりたい、というのはもっと普遍的な言い方をすれば「自分を表現するためのシンボル」が欲しいということであって、それが表現できるのであればハーレーでなくても、何でも良かったと言えるかもしれない。つまり「ハーレーオーナー」はハーレーを降りると次に他のメーカーのモデルへ乗り換えるというより、全く別のモノへ行ってしまうのだろうろ思う。 ハーレーが売れているのは、単にハーレーという機械が売れているわけではないということに気付かなければならない。ハーレーの背景には圧倒的な力強さ、他を威圧する大きさ、風を突っ切る速さ、威風堂々とした佇まい、伝統のVツインエンジン、そして60年代までの強大なアメリカ文化へのあこがれというものがある様に思う。今まさにハーレーを買っている戦後派の人は良くも悪くもアメリカ化された文化の中で青春を送った人たちである。彼らより年配の戦中派はアメリカに対して複雑な思いがあり、年少の我々、もはや戦後では無い派の世代は子供のころにアメリカの幻想から醒めた。これがこの世代に選択的にハーレーだけが売れている原因であろう。 もし「大型バイク」が持つ表象「圧倒的な力強さ、他を威圧する大きさ、風を突っ切る速さ、威風堂々とした佇まい」が問題なのだとすればハーレーである必要はない。ハーレーでなければならないのだとすれば、他車にはなく、ハーレーにしかないもの、つまりアメリカ文化そのものがマジックワードになっていると考えるのが自然である。 勿論大型バイクを買う要因はそれだけではないから国産車もイタリア車もドイツ車もそれなりには売れているわけだが、日本においてハーレーのみが国産車よりも売れている原因にはこの戦後派という世代の古き良きアメリカ文化への憧憬という要因が大きいのだと思う。 逆に言えば世代が変われば相当打撃を受けるのではないか、という仮説も成り立つ。 国産メーカーには優秀な輸送機械を作る技術にかけては世界に比類のない力量を持っているが、それだけではバイクは売れない。繰り返すがクルマは優秀な輸送機械=実用車であることが重要な要因を占める。もちろん自分のステータスや自己表現としての価値が皆無ということではないが、そういう価値で売れる市場と、実用車として売れる市場があり、実用車としての市場の方が大きいというのが実情である。 しかし国産メーカーは単なる輸送機械ではない、別の価値を持つバイク像というものをあまり考えた事がない様に思う。少なくとも国産メーカーから「走行性能」以外のアピールをあまり聞いたことがない。また国産メーカーが置かれた状況もそれを許さなかったという事情もある。そのあたりの歴史を振り返って、来たりし方を振り返って見る。 日本の2輪業界が今日のような構造不況に陥ったのは、1990年頃の、バイクブーム終焉の頃まで遡る。それに先立つ80年代初頭から日本には空前のバイクブームがあった。このヘンなブームがなぜ発生したのかは私にはよくわからない。経済学的背景を考えると、この頃は日本全体がバブルに向かって走り始めた時期であり、現在と違って就職状況は良く、若者にも十分なカネが回っていた。若者が手にしたカネを何かに使おうとした時の一つの選択肢がバイクだった。理由はわからないがブームなりバブルというものは一旦発火すると人の思惑を離れて自己増殖する。それがバイクブームとなった。 そうなってしまった要因にメーカー側の思惑もあった。 万年2位メーカーだったヤマハは、4輪事業の拡張に手一杯になっているホンダの状況を見て逆転を仕掛けた。いわゆるH-Y戦争である。その始まりは元祖スクーター論争と呼ばれるものである。1980年にホンダが新しいファミリーバイクを「スクーター」として発売した。タクトである。これに先立つ3年前にヤマハは「パッソル」を発売しており、ヤマハは元祖スクーターは「パッソル/パッソーラ」である、と主張し始めた。この頃、ファミリーバイク市場は拡大基調にあり、カワサキを除く各社とも大物女優をCMに起用し拡販に奔走していたわけだが、競合も厳しくなっていた。タクトの「スクーター」という呼称はそれらと一線を画し、いわばファミリーバイクの中にあって特殊な地位を築くことに成功した。つまり「スクーター」である「タクト」はファミリーバイク市場の競争の中で優位に立った。これを各社とも指をくわえているわけには行かず、我こそは元祖スクーターであると主張し始めたわけである。 P・ドラッガーのいうイノベーションが起こった、とも言える。技術ではなくキャッチコピーだけで、大げさに言えば世界が変わったと言える。 それまでスクーターという用語は、当時の我が国においては唯一生き残っていたスクーターであるラビット(富士重工)を指す言葉であり、時代遅れの古ぼけたバイクの一種であるというニュアンスしか持っていなかった。お坊さんがお盆に檀家廻りをするのに、袈裟が汚れないようにバイクよりはフルカバーされたスクーターを好んだ結果である。「タクト」以前にスクーターと言う言葉に良いイメージは全く無かった。 さらに付け加えるならホンダ自身、スクーターでは痛い目にあっている。1950年代にはスクーターブームがあり、富士重工のラビット、三菱重工のシルバーピジョンを双璧として、三光工業のジェット、平野製作所のヒラノ、東昌自動車工業のパンドラ、宮田製作所のミヤペットなどが発売された。そしてホンダはやや遅れて1954年にジュノオでこの市場に参戦した。ところが大きく重いジュノオは販売面で苦戦し、当時まだ弱小企業であったホンダの経営を圧迫した。ホンダにとってスクーターとはそういう苦い思い出がある言葉だったはずだ。それを敢えてタクトに「スクーター」という呼称を与え、市場にネーミングだけでイノベーションをもたらしたホンダという企業には敬意を持つ。単に言葉の遊びと思ってはいけない。「スクーター、タクト」は、今日ではバイクメーカーにとって最後の命綱とも言うべき一大カテゴリーを開拓したのだ。ちなみにヤマハもかつてスクーター市場にSC-1で参戦しているが、こちらも凝った造りが災いしてトラブルを生み、整備性も悪かったため事業としては失敗している。 その後ホンダとヤマハの抗争は様々な分野に及んだ。ヤマハが250cc、400cc、750ccといったカテゴリーで新車を投入すると、ホンダもそれに呼応して新型を投入するという状況が続いた。しかし当初ホンダは新型エンジンを開発する余力が無く、古いエンジンを使い回してなんとかしのぐという状況だった。400/250のホーク系OHC2気筒エンジンはどれほど使い回されただろうか。この苦境を脱して反撃に転ずるのは1982年のVT250Fと1984年のCBX400Fまで待たなければならない。 しかしホンダにとって幸いだったのは250ccはともかくとして、400cc以上はホンダが得意とする4ストロークエンジンが主流になったことである。元々2ストロークメーカーであったヤマハは一から4ストロークエンジンを開発しながら戦線を拡大して行くしか無いのに対し、ホンダは手持ちのエンジンをうまく活用していた。オフロード用の単気筒エンジンを流用したCB250RSさえも安価なこともあってそこそこ売れた。ホンダはこの単気筒スポーツ車に「スリム、ヒラリ」というキャッチコピーを与えが、単気筒スポーツとしてはデザイン、プロモーションとも整合性のとれたものとなっていたことが、決して馬力があるわけではないバイクがそこそこ売れた要因であろう。 このホンダとヤマハの抗争によって需要と供給のスパイラルが拡大し、他の2メーカーも巻き込んでバイクブームを引き起こしていくことになる。 そして、それはある一つの流れに収斂する。その源流は1980年にヤマハが発売したRZ250にある。オイルショックや排ガス規制の影響で市販車においては2ストロークエンジンはもはや風前の灯火となっていた。しかし一方で当時のGPレース(現在のMotoGP)では依然として2ストロークエンジンが主流であった。燃費は悪いが軽量で出力を稼ぎやすい2ストロークエンジンはスプリントレースには適していたのだ。ヤマハはこのレース車両のイメージを市販車に取り込むということを行った。スズキのGT750以来久しぶりになる水冷式2ストローク2気筒エンジンにチャンバーと呼ばれる中太の排気管こそレーサーTZ直系の証であると称していた。しかしRZ250自体のデザインはオーソドックスなスポーツバイクのデザインにまとめられている。しかしバイク本来のスポーツ性というものは市場で評価され、大きなブームとなった。そしてその方向性を確定させたのは伏兵とも言えるスズキであった。1983年にRG250ガンマはレーサーのようなフルカウルを纏った初の「レーサーレプリカ」として発売された。スズキは地味なイメージがあるが、時々、こういう度肝を抜くようなことをすることがある。現在の目から見れば初代ガンマのカウルやデザインはとてもレーサーと呼べるようなシロモノではないが、いずれにしてもここまでレーサーっぽいバイクを出しても許される、という意識上のブレイクスルーを行ったことは確かである。RZ250にしろRG250ガンマにしろ、最初にイノベーティブなモデルを出す時は、メーカーはどこまで許されるのか手探りである。そこにメーカーとしての意志が反映される。 RG250ガンマの後、このカテゴリーのバイクはすべからくレーサー化していった。2ストローク経験の無いホンダは当初苦しんだが、やがてそれを克服する。そしてレーサーレプリカの究極はホンダ88年式NSR250Rであろう。市販レーサーのRS250と同時開発され、パーツの互換性があると言われた。 400ccクラスも主流は4ストロークであった事を除けば同じよう状況であった。 しかし日本メーカーの行き過ぎた動力性能追求の姿勢には当然のことながら社会的な批判を受けることになった。しかし、それがバイクブームを終わらせる直接の原因でなかった。バイクブームを終わらせた原因は2つ考えられる。 一つは経済の悪化である。それまでバブル景気に浮かれて消費は美徳であったものが景気が悪くなると急に堅実になった。バイクのような必需品で無いものへの影響は大きかった。 もう一つの原因は、高度化しすぎ、高価に成りすぎたバイクが新規参入者を拒む障壁となってしまってことによって、健全なビギナーを失ったことによる。 無論メーカーもその点には一定の配慮をしていた。価格を抑えるためにレーサーレプリカからカウルを取り去ったネイキッドと呼ばれるバイクを投入した。しかしこれは不発だった。当時の価値観から言えばレーサーに近いことが唯一の基準であり、そうでなければバイクに乗る意味がないという風潮があった。それをわずかばかりコストを抑えるために、レーサーの顔とも言うべきカウルを剥ぎ取ってしまったらおよそ意味のないものになってしまう。 健全なビギナー向けモデルを持たなかったがためにバイクに憧憬を持ちながらも手が出せない、潜在的なバイクユーザーを顕在化させない結果となってしまった。ここに日本のメーカーが提示したバイクというものと、市場が求めたバイクというもののギャップを感じる。 全てのバイクはレーサーにならなければならない宿命を負ったものだったのだろうか?全てのバイク乗りは革ツナギを着てレーサーを目指さなければならないのだろうか?という疑問である。 結局メーカーからはバブルが崩壊するまで他の価値観は提示されないままになってしまった。レーサーレプリカ、すなわち速さだけを求める、という価値観は実は最も安易な目標である。そこには理念や善悪という人間性に基づく価値観は無い。ひたすら機械的性能を求めた結果でしかない。これに代わる理念を提示できないということは、日本のメーカーにはそもそもメーカーとしてのポリシーがない、ということなのだろう。 1989年にようやくカワサキからZEPHYRという、80年代初頭(もしくは70年代のZ1/Z2)イメージのバイクが投入された。カワサキがこのバイクをネイキッドと呼んだため、これ以降ネイキッドとはこの種の普通のバイクを指す言葉となった。つまり潜在的なバイクユーザに門戸を開く比較的安価で取っつき易いバイクとはレーサーレプリカからカウルを剥ぎ取った「ネイキッド」ではななく、元々カウルなど持っていない「ネイキッド」だったということである。(ちなみにその後スーパースポーツからカウルを剥ぎ取った廉価版はストリートファイターと呼ばれるようになる) 90年代以降バイクブームが沈静化するなかで、ZEPHYRが提示したネイキッドだけがかろうじて売れるという状況になってしまった。この頃から細々と売れていたヤマハSR400が注目されるようになり、各社ともCB、XJ、GSXという往年の名車を彷彿とさせるバイクを出してきた。そして市場はある程度それを受け入れているようである。 しかしそれはメーカーのポリシーというよりも、メーカーが手持ちで持っていたカードの内の一つがマグレ当たりした、というだけの事に過ぎない。そしてその後は新しい価値を提示することもできないままネイキッド路線もジリ貧になってしまった。 - 続く - |
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