【グランプリ】
製作年 1966年、米
監督  ジョン・フランケンハイマー
出演  ジェームズ・ガーナー イブ・モンタン 三船敏郎
【あらすじ】
F1第1戦のモナコGP。トップを走るBRMのストッダードの前に車の不調で周回遅れとなった同僚のアロン(ジェームズ・ガーナー)が立ちはだかった。アロンが前を譲ったとたん車がバランスを崩しストッダードと激突。アロンの車は海に飛び込み、ストッダードは崖に乗り上げクラッシュし重傷を負う。アロンは責任をとらされ解雇されるが、親友で優勝したフェラーリのサルティ(イブ・モンタン)はアロンのことをかばった。アロンは気の進まないままTVのレポーターを引き受けるが、その姿を見た日本のヤムラチームを率いる矢村社長(三船敏郎)に3人目のレーサーとして参加するよう誘われる。サルティは順調にレースを続けていたが、ベルギーGPで車のサスペンションが壊れコースをはみ出し少年を轢いてしまう。苦悩するサルティを慰めたのは妻ではなくアメリカから来た女性記者のルイスだった。アロンはレースに返り咲くが、ストッダードも傷が癒えないまま復帰し、激しい戦いが続く。最終戦のイタリアGPでサルティ、アロン、ストッダードとフェラーリのセカンドドライバーで女たらしのニーノの4人がポイントで横1線に並びチャンピオンを争っていた。レース開始直後サルティの車はスタート出来なかったが、何とか発進させ猛烈に前の3人を追った。しかし、前の車から落ちたマフラーを避けようとしてコースを逸脱し、サルティは帰らぬ人となる。その様子を見たフェラーリの監督は同僚のニーノにレースからの撤退を知らせる黒旗を振る。レースはアロンとストッダードの一騎打ちとなるが、鼻の差でアロンがチェッカーフラッグを受けた。
【解説】
 監督は「大列車作戦」と同じ社会派のジョン・フランケンハイマーで、70oの大画面にマルチ分割スクリーンを多用し、俳優を実際のレースカーに乗せて撮ったレースシーンは迫力十分である。
 ジェームズ・ガーナーは西部を舞台にしたTVシリーズ「マーベリック」で一躍人気者となった。その後「大脱走」(63年)「かわいい女」(69年)など多数の映画にも出演するが、74年から始まったTVシリーズ「ロックフォードの事件メモ」での軽妙洒脱な探偵役が好評を博して、90年代後半にもシリーズが復活されるなど高い人気を誇った。メル・ギブソン主演の映画版「マーベリック」(94年)や「スペースカウボーイ」(2000年)に出演し健在ぶりアピールしている。
 F1グランプリは1950年5月13日英シルバーストーンで第1回目の大会が開かれた。優勝したのはアルファロメオのジョゼッペ・ファリーナで政治学の博士号を持つインテリドライバーだった。フェラーリのデザイナーだったピニン・ファリーナの甥でこの年の年間チャンピオンにもなったが、1966年交通事故で亡くなっている。この当時のマシンは第二次世界大戦前からある葉巻型と呼ばれる古いモデルでエンジンも運転席の前にあった。60年代に入るとこの映画に出てくるような”バスタブ”型と呼ばれるモノコックボディをロータスが投入し他チームも追従した。68年にフェラーリがウィングを装着し、マシンの形状は葉巻型から楔型になっていく。70年代に入ると現在のマシンとほぼ同じ形をしたマシンが登場し、各チームは空力を重視した設計開発を行うようになった。この作品に登場する日本の矢村は、明らかに64年からF1に参戦したホンダがモデルになっている。ホンダは4輪車を市販し始めて間もない時代に参戦し、65年のメキシコGP、67年のイタリアGPで優勝している。しかし、空冷エンジンの失敗でドライバーが事故死した68年をもってF1から一時撤退している。半世紀以上の歴史の中には変わったF1カーもあるが、1976年のスペインGPでデビューしたティレルP34は空気抵抗を減らすために小さな前輪が4つ付いた6輪車で、そのシーズンは好成績をあげたが、現在は6輪車は禁止されている。1978年のスェーデンGPに登場したブラバムBT46Bには扇風機のような巨大なファンが後部に装着されており、それによって得たダウンフォースの効果で優勝をさらったが、他チームからの猛抗議で1戦のみの出場となった。
 この作品には実際のF1ドライバーも登場している。61年ワールドチャンピオンのフィル・ヒルや息子もF1ドライバーになったグラハム・ヒルなどは演技まで行っている。ほかに、ワールドチャンピオンに3度輝いたジャック・ブラバム、ロータスで一時代を築いたジム・クラーク、チーム名にその名を残すブルース・マクラーレンなども顔をみせている。サーキットもモンテカルロ市街地コースはレイアウトが違っていたり、イタリアのモンツァには巨大なバンクコースが有ったりして現在のサーキットとの違いを伺い知ることができる。