「ボブ馬鹿 3」 より続き
えーとそうそうボブ姐さんの肉体の話。
ヘッドギアもいいなと思ったのが女子レスリング(アマチュア)のそれを見たせいもあって、ごついボディになっていたのだと思う。話はそれるが山●美優選手は歴代女子格闘選手の中でも屈指の美貌と実力のバランスだと思うがどうか。もっと強くて醜い人、もっと弱くて綺麗な人とかはいたと思うが、あのバランスで天がニ物を与えたもうた人はそうはいないように思う。世界の紛争地帯やダークサイドでいくつか地獄を見てきたらアーニス役ができるんじゃないかと思うのはお馬鹿な私だけ???(閑話休題)
4−q ボブ・ボディ 2 (1995年)
ところでこの当時かわいげのないお姐さんばっか描いてたかと言うとそうでもない。『MM・モモ』は少女が主人公だが同じく95年の作品である。おそらく「反動」もあったのではないか。両親や教師の前で「良い子」を演じて、たまりまくった子供が裏で万引きやカツアゲに走るあれである。この山本がかわいいものだけ描いて生きていけるわけはないのだ。
4−r ボブ・ジャケット(1995年)
人間何がやりたいか。
早めに気づいてハラをくくった方がいい。それについては悲しい思い出があるのだが(笑)それはまたの機会に語る。
ウルトラジャンプ誌(集英社)でニ作ばかり前後編を描いた後また新たな一作を、となった時、私のフラストレーションは頂点に達していた。
「T田さん」
と、編集長に私は言った。
「私はねえ、描きたいものが三つあるんですよ」
「ほう」
「戦う姐ちゃんと裸の姐ちゃんと血みどろの姐ちゃんです」
そして始めたのが『超(チャオ)』である。え?啖呵を切った割には甘くないかって?まさかUJ誌でアーニスもできまい。
4−s ボブ・ライドレス(1995年)
しかし私がUJ誌の編集長にその三つの条件を口に出来るようになるまで、なんと多くの年月が流れたことだろう。いや、それを言える立場になったとかならないとかいう意味ではない。自分の中ではっきりと言葉にできるほど整理がつかなかったという意味である。
無論これは原則論であって何事にも例外はあり、それを越えて魂がゆさぶられるような感動的な話とか、描いてて癒されるような楽しい話とかもあるのだが(複数の作家のアンソロジー『猫MIX』(集英社)に収められた拙作『動物がお医者さん』とか)例外は所詮例外。基本的に山本が描きたいのは前述の三つの条件を満たすものであり、それ以外はどうでもいいのだ(と、この当時は思っていた)(笑)。
最近は『Mr.ボーイ』などという変則技も習得したので、「姐ちゃん」のところを「姐ちゃん・のようなもの」にも置き換え可能になってきている(と、この当時は以下同文)(笑)。
4−t ボブ・ポーズ(1995年)
『超(チャオ)』は本来3ヶ月くらい準備期間がある予定で始めた企画だったのだが、編集部の都合で繰り上げスタートになり、その準備不足が後々まで尾を引いた。しかし対応し切れなかったのは私の力不足であり、、申し訳なく思っている。
ピラニアの群れる中を牛の群れを率いて渡河する際、犠牲として一頭、魚のえさに投げ入れて、敵がそちらに群がっている間に残った牛を渡す。そういう話が昔からある。
私の場合、この強烈なある偏った創作衝動をなんらかの形で満たしておかないと、牛も人もまともに川は渡れない、いや渡さない。
百頭くらい差し出してくれたら5頭くらい渡れるってとこか。
前述の3条件を満たすためになにしろマンガを描いてるのだからな、ははははは。
しかし実は、それだけのために描いているかと言うとそうでもない。それについてはまた次のページで(笑)。
4−u ボブ・スキンタイト2 (1996年)
施餓鬼が成功したと言うかピラニアが満足したと言うか、96年になると、いささかわたしのごつい姐さん志向が和らいでくる。95年ピーク説はけっこう当たっていると思うのだが・・・