ホラー慣れ
慣れるとどうしても落ち着いて見れる映画を好む
クリストファー・リーやピーター・カッシングが出演しているハマープロの映画、
アメリカ欲求不満の原因
何回も倦怠期は訪れる。
ハリウッド調のBGMが響き続けてノンストップでガーっと見せてしまうのは
次シーンの展開が予想できてしまうし”うっとおしい”限りとなってしまう。
眼の肥えたアメリカの観客ならその手この手あの手が来てもビクともしないため倦怠期があった。
コミックもののほうが話は重みがありコミック原作の映画のほうは話が出来すぎ。
金かかってようが時間かけて凄い映像に仕上げてようが1パターンな見せ方ばかりで”安っぽい”という印象で飽き飽きしている。
物語の内容が序盤・中盤・終盤の3つで仕切られている。
全体から見ても中身がスカッスカでもう一度見ようかと思っても内容を把握してしまっているので何度も見る気がしない。
こういう点は(凄いねぇ)と技術的な評価は客観的に捉える事ができても作品そのものは好みではないというものが目立つ。
簡単に言えばつまりは料理が美味しくても好みの味ではないため一度で十分となる。
もう一度見るか?との問いに「ヤダ」の一言に尽きる。
物語や映像場面など記憶が薄れてなければ体が拒否反応を示す。
何の味付けもしてない物を毎回食べているようなもの。
凄い技術の映像と曲を自慢げに見せ付けられ役者も振り回され、ミスキャストではないか?と思うようになりやすい。
ビッグタイトルで持ち込まれたものほど飛びつきやすいが一度で飽き易い。
TVドラマだとすぐは飽きないため一時的に好むがやはり映画に勝るものは無い。
タレント風情
古き良き時代は過ぎ映画俳優もまだ少しは多くの作品に出てはいるが役は似たものばかり、
若い人脈はTV役者にとって替わられている。
イタリアはコメディやドラマが多くホラーは下火。監督や脚本家も需要に応えられる者が出ない。
韓国やタイが積極的だが背景には年間製作本数のノルマがある。
数多ければゴミも多いが期待できる作品が出る可能性も高くなる。
特に香港・韓国・タイの新作ホラーではセットに舞台設定や衣装などせず手軽に作っているのが目立つのは感心しない。
韓国では役になりきるために演技指導もかなり酷と聞くがそれ以前に作品が駄目なので韓国国内でも評判にもならない。
養成学校など大きくなっているので期待は出来る。
日本と米国は一部の映画俳優がTVにも出演し一部の俳優は映画業界に留まっている。
TVのタレントが数多く映画に出演となっているので感じる質がまるで違う。
演技は指導がついてるのでセンス。後は若さしかない。
俳優は整った顔でカッコいいのも主役だけ。魅力に欠けるのも目立つ。
美しくもない女優も多すぎなのでメインで引っ張りだこになる女優は決まって役の性格が高飛車。
子役
子役は悲鳴も演技も不自然体が多く見る必要の無いカットが多い。大人の目から見た子供の存在という感じだ。
子役といえばマコーレー・カルキンなど代表格だが完全に役者人生は終わっている。
「アダムス・ファミリー」「キャスパー」のクリスティナ・リッチは子役を脱却して活躍中だが、
今は次世代の子役とあってスパンの短さを痛感する。
「アイ・アム・サム」「コール」「TAKEN テイクン」「マイ・ボディガード」、
「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」「宇宙戦争」と毎年出演のダコタ・ファニング
「ドーン・オブ・ザ・デッド」の最初のゾンビ少女ヴィヴィアン役のハンナ・ロックナー
クリスティナ・リッチタイプの少女子役が何かと出てきている。少年子役は少なく映画では存在感がパッとしない。
まずどういうわけか売れる子役は声がうるさい。そのためか奇声を張上げるシーンが目立つ。
ハンナ・ロックナーに関してはゾンビ役としてのイメージしかないのでしばらくは映画の活躍はないかもしれない。
年月が過ぎるしばらくの間にオファーが無ければ子役としての価値も無くなってしまう。
ただ同じ系統の子役ばかりだと映画の味が無くなるのが危惧される。
決まって目に映るタイプを選ぶオーディションの悪いクセだ。
同級生として見るなら目のまわりに影が出来るのは目つきや視線がおばさん臭く感じて嫌いな部類に入る。
新作のたびに毎回同じタイプの子役では当然飽きるし作品に興味が沸かない。
そんな簡単にキャスティングできるキャラしかいない作品ならお腹一杯だから要らないとなる。
次から次と新作で新鮮味だけで集客してもキャラがどれも同じなら新鮮味も薄れる。
ダコタ・ファニングはファンもいると思うがこのままだとファンタジーもできる子役にはさせてもらえないようだ。
ロード・オブ・ザ・リングやハリー・ポッターの子役達とはジャンル違いの顔。
犠牲者的立場のみに置かれているのが悔やまれる。
そういう意味合いで今のうちからホラーやSFから出て行かないと子役期限は間に合わない。
俳優ダメだコリャ
ヒットしてギャラも高くなりセレブしている俳優女優はもう使えないというが答え。
役者人生置いて遊ぶか宣伝ビジネスするしかなくなれば新規のファンは増えないし
作品に出ても演じるキャラクターに余力・余裕が感じられ作品そのものの人気がでない。
主演・キャスト誰々と広報がやっても興味を示すほど関心はなく反応しない。
割に合わないためゴミ映画で収益をして採算を回収すると、どの道映画ファンにツケを払わせる。
ハリウッドは変り映えしない脚本に売れっ子やビッグネームを引っ張ってきて使いたがるクセになっている。
評論家や批評家の支持を真に受けているせいもあるだろうが映画ファンはそんな1パターンばかりに食いつかない。
B級映画
少し退屈なくらいが視聴に落ち着く。飽きると退屈はこの面ではっきり違ってくる。
B級ともC級ともつかないような映画よりマシ。
ちょっと続く
SFにあるホラー
人類の脅威となる存在として描かれるパターンが多い。
基本的に好きなジャンルで本数も少ない。
基本の2パターン
地球 宇宙人による侵略・侵食で人類が次々と摩り替わる。
宇宙 ステーションや星にある施設に怪物が持ち込まれ船員が次々餌食となり逃げ回った挙句に退治する。
本筋のスタートレックやギャラクシークエストまで来るとシリアス物をパクッてコメディにするパターンになってしまう。
エイリアンから以降、超えた作品がまるで登場しなかったと言える。
低予算で製作しやすく、廃工場でウロウロと逃げ回り襲われる撮影ばかりが記憶に残る。
宇宙人の文化、怪物の生態がまるですっぽかしになりやすい上に人間の同じ大きさの着ぐるみモンスターが安易にできる。
脚本に設定にデザイン作りに監督がどう見せるかも纏まりがついてない。
映画もヒットしなければ当然役者も売れない。映画を作った意味さえなくなってしまっている作品になる。
いくら見ごたえのあるSFホラー映画でも何回も同じタイトルを見ているわけにはいかない。
待ち焦がれるばかりで年月が過ぎる。
タイトルはエイリアン以外に何かあったっけ?という具合。
地球上で色々と話が進むパターンはパニックものが増えるだけなので、
月面など向こう側オンリーの世界で話を進行する映画ならまだまだ模索できる。
炭酸飲料の刺激ばかり続けても一過性のもので業界は想像力も育たない。
また近年のリメイク権利癖によるリメイク作品というのは出来は良いが話が出来すぎ後味が残らないためすぐに飽きる。
スタジオだけの技術力で映画が頻繁に作られているが場面作りしかなってなく映画として中途半端なものも多い。
あくまでも職人仕事はその域を超えられない。
究極の恐怖
夏も冬も怪談話に尽きる。
稲川淳二や桜金造、一龍斎貞水を代表とするストリーテラーも多い
夏になればTVでは恒例の”あなたの知らない世界”(日テレ系)というものであった。
怪談話ほど背筋がヒヤリとするものはない。
DVDでは「怪談 オリジナル完全版」が文芸としても基本中の基本で筆者もよく観賞している。
始めの一回は見ていて退屈でダルイかもしれないが何度か見ると味わい深くなる。
ほんのり寒気がし汗も引く日本独特の持ち味。時代劇ならではの雰囲気も華美。
近代劇と時代劇の怪談では作品によっても違うが表現がストレートの違いと話がストレートの違いが少しある。
時代劇は話が明確に進むためこの幽霊が出ると分かっている。
近代劇はなぜ幽霊が出るのかという点で奔走するためなるべくあやふやにしておき幽霊の描写で怖さを極限まで出す。
大抵は復讐劇なのだが新旧どちらにしても幽霊がクドイのには変わりがない。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は新進気鋭でその怪談話は一冊の本では語りつくせぬほど話は多い。
映画化やドラマ化されているのは代表作のごく一部。
他にも作家のものは多くあるが山積みの中に1冊埋もれているので見つけたらそちらを紹介したいと思う。
不毛
新作映画タイトルのDVD化も頭打ちである
すぐに飽きるため価格も安くなるのもあるが、新作映画ばかりに目を向けていると、ますますつまらない。
まだ望みのある旧作タイトルをDVD化するのが必要とされている条件だと思う。
DVD化になっている作品の数を見るとまだこんなもんか、もっと映画作品はあるだろう探せよと言える。
また生産数を限られているのか売れないからだろうか1年過ぎればすぐ廃盤するメーカーもいくつかあるが
元々そういった短期間手法では映画ファンが相手にできようもない。
感性も想像力も膨らまない。
TVMいわゆるTvMovie
「エアーウルフ」、「ナイトライダー」の走りから「X−FILE」まで見ると流れが掴み易い。
主人公や好きなキャラが画面に常に主軸として映っている場面が多いのでそのときにキャラが思っている事も判断できる。
刑事もののクライムアクションに短い時間でも先入観が得られる良い流れを見せるツボがある。
SFだと「インベーダー」が似た様なものになる。「スタートレック」ともなると逆に掴み所が無い。
どれもいえるのは同じタイトルでもTVと映画作品ではかなり違う。
ちなみに「宇宙戦争」はパニックとの中にホラーがあるようなものだが退屈で昔から好みではない。
円盤からもやしの芽みたいなものが出ているのは個人的にナンセンスなのだ。あれはゆるせん(笑)
「ナイトライダー」でトランザムがジャンプするのがゆるせんという意見と似たものだ。
年齢時での趣向感性や印象が関わるものが深く大人なら関係なしに「うへー」と引いてしまうか笑うだろう。
さてクライムアクションに戻るが、
ジャッキー・チェンやシルヴェスター・スタローンやチャック・ノリスにスティーブン・セガール系統だと
主人公がそこにいるという実感。主人公が何をしたいのかどう出るかが読める楽しみがある。
「ランボー」や「デルタ・フォース」、「アイアンイーグル」に「メタルブルー」はよく見たが、
昔で言う戦争映画っぽくなく普通にアクションで仕切られた部類。
TVMの戦争映画など音響だけのダサダサ話で見れたものではないが映画だからこそのツボがある。
今時のというか2000年からの映画は撮りっ放しシーンがダラダラ続きうまくカット割ができないヘタクソ映画が多い。
娯楽アクションで”じっくり見せる”これがハリウッドにはシーン作りの継ぎ接ぎばかりになりやすく栄養不足で足りない面。
アメリカ映画不調の原因は態々作るものではない。
真実は小説より奇なり?
小説より映画化のほうが育たない
何々賞を受賞とかあってもそのようなものは映画の原点に関係ない。
この映画のこの役者の演技がよかったので何々賞とか映画それ以前の問題だろうからして賞のやりすぎは良くない。
年度に出た作品のうちのどれかに賞を決めるので全体的に見れば納得できないのも当然ある。
天性的に染み付いてる素の演技はハリウッド界特有の役者が多いが何度も賞は貰えない。
スタローンやシュワちゃんがすんごい演技したとしても貰えないつまらん仕組みになっている。
ディカプリオは作品に恵まれているがあと一回もらえるかどうか。
主催者側はニコニコしながらも誰がお前になんかくれてやるかという腹があるかもしれない。
とくにTV番組までしてアカデミー賞とかやってても視聴者側とは考えがまったく違う。
くそ退屈なものが多いカンヌ出品映画だと批評・評論家さえ初めは役者の演技のことは口にしてないものが多い。
全体的に良作とも受け取れやすいが好みはそれほどない。
大げさに言ってDVDを金出して買うやついるのか?というくらい映画として欠如している面がある。
見るものではなく読むものは映像化してはいかん。
本だからこそ想像力が掻き立てられる範囲で感動がある。
ホラーの真髄
エドガー・アラン・ポーを原点とするミステリアスなサスペンスホラーから
「スクワーム」のように体に食い込んだらどうにもならないような恐怖と今では色々挙げられるが
「遊星からの物体X」に勝るトラウマ的恐怖は他に無い
椅子にしばり付けられた中の1人がもし得体の知れない生き物だったら・・・逃げられない。
心臓停止した男に電気ショックを与えていると体がサメの口のようにパックリ割れて食いちぎる。
油断できない恐怖というものがある。
初期のモノクロ作品「遊星よりの物体X」では植物が相手だったがリメイク作品では正に”X”という感じがある。
眉毛をしかめるほど危険を感じる恐怖というのがミソ。これが近年のホラーには欠けている要素。
たとえばクトゥルー神話系に物体Xを混ぜると触手ピロピロぬるりんグチョグチョとガブリと(失礼)なっても不思議ではない。
普通に考えると大きいイカにタコと呪文書と下僕になってしまうブライアン・ユズナ作品になるが。
近年映画の安さは1シーンに物体Xほどのホラー描写の労力とコツが無い。
襲われる、追い詰められる恐怖のみならゴミ映画はいくらでもできるが、
てっとり早くジョン・カーペンターとブライアン・ユズナがタッグを組めばボコボコ作品はできる。
「ゴースト・バスターズ」もホラーなのではあろうが元々がファミリー向けの娯楽の変化球だからそれはそれで面白い。
変なとこからアイデアにヒントを得たり作りたいものを作る割りに製作側の自己満足で終わらない必要が迫られている。
作品イメージを固定付けるサウンドを作ったりしてその点は邪魔にならない程度にマッチすれば評価できる。
ユニバーサル作品はその方法がよく使われているが殆どの作品はアドベンチャーだ。
ホラーはアクションでもアドベンチャーでもない事を肝に銘じてるなら見るほうもツボで感じる。
指圧ともいえるスイッチを入れるボタンでもある。ボタンが無ければツボでホラーも感じない。
ここが分かってない製作サイドのホラー作品は不調に終わる。
最悪につまらないホラーを挙げるとしたら犯人は誰だみたいな「血のバレンタイン」のようなもの。
次々惨殺しておき、そーです犯人は私だみたいなのはダルイ部類に入る。
「ラストサマー」のようなホラーもかなり多いが若い役者達がペチャクチャ喋ってウロチョロ行動しているパターンは必要ない。
学園を舞台としたホラーにそういう手合いがよく見られる。
西洋のこのパターンはアジアでは通用しない。ハナからゴミ映画として認識して関心も持たない。
ヘボイ作品のホラー映画よりまだ夜中の学校のトイレや廊下を見るほうが怖い(笑)
古典ホラーを見ても何も感じないやつらの作品ほど恐怖感覚においてのセンスがない。
アメリカが残虐ホラーばかりに飽きてアジアのホラーをリメイクしている理由に欠如しているものが何なのか分かる。
大きい怪物は終焉
ハリウッド版ゴジラのような描写はキングコング以来だろう。後は恐竜映画くらい。
最も「ゴースト・バスターズ」のマシュマロマンもあるが求めるものはそれではない。
イカやタコにも自由の女神像や船を軽く巻き上げるくらいデカイのがある。デカイ化け物には独特の怖いものがある。
人間が豆粒で怪物が画面にはみ出るくらいなのだから「インデペンデンス・デイ」の母船さえ迫力がある。
ん?壁から変な音がするな、よし叩き割ってみようと壁から触手が内臓のようにウネウネしてるのを見たとしたら怖いもんだ。
ただ巨大な動物ならあーパニック映画か・・・と中身が想像でき片付けられる。
未知の怪物だったらまだ予想が完結しないため幅が残されている。
「エボリューション」のようなスライムや「スターシップ・トゥルーパーズ」のような昆虫はあまり興味はない。
クリーチャー趣向は骨ばったものや甲虫ものや軟体系の3つで簡単。どっちみちデザインと大きさ。
100年経っても感性と想像力が生まれず固定観念。大きい物にはネタが無い。
日本の特撮が一番多く巨大な怪物を作り上げてきたように見えるが
大部分はハリウッド映画のスケールと技量を追い越せる製作組織が日本の映画会社に乏しいためスッキリする伸びが無い。
色々なジャンルを見たい声を反映できないのが辛い所だろう。
現代版「大魔神」の映画化の話もあった時期があるが風化している。想像は出来るが中身まで予想がつくので難しい。
オリジナルの妙味が巨大なものを作り出せる。企画が全てにしても、もう巨大=怖いの原点は失われてる可能性がある。
ブームというのは廻るものだが何年かごとにイカやタコに恐竜映画がまた出てくるのであろう。
ディザスターパニック
「デイ・アフター・トゥモロー」なんつーか007シリーズかと思っちゃうようなタイトル。
「ボルケーノ」なんつーかイタリアンなタイトル。
この2つが迫力。
隕石・台風に関してはスケールがまだぬるい。
「ディープ・インパクト」は人間模様とパニックではやや別々で波がある。
見ているのではなく見せられているような印象を受けやすいのもあるので悪夢にならず逃避しやすい感覚で済む。
ビルに飛行機が突っ込んだのを見上げている実際の9.11事件ほど感じない。
「日本沈没」から「バックドラフト」と色々あったが悪くない結構好きがついてしまう。
映画というよりドキュメンタリーに見えるものもある。
地震・台風・隕石・噴火と自然災害の描写は夢でうなされる悪夢といえよう。
ただ1つ家族愛や人間ドラマを無駄に挿入しているのが不必要になっていてケチのつけどころになる。
はっきりいって中身の邪魔になっている。見たいのはそういう話ではない。
大半が1人で見るこういう映画に家族愛が出ると横になってザコ寝してしまう。
パニックものを見ている中でのニーズが違うので見る方がその部分をカットしてしまう。
現実的に直視したとして参考になるかといえばどこか対策の中身がズレていて参考にならない。
たしかにCGによる災害描写も向上しているが肝心の中身の範囲はまだ狭い。
既にパターン化しているのが残念。
「アルマゲドン」や「ザ・コア」のようなものもあるが中身は設定と描き方でもっと変る物と思いたい。
災害後の世界を描いてそのまま色々なジャンルに繋がる1つのシーンにもなるが。香り付けをしている役目はまだ少ない。
味はあるが何の味か例えようが無いジャンル。
日活やプライムウェープがパニックを扱っているのでこの方面に関心があるマニアは集めるのもいいだろう。
カジリつく要素は非常に高いが個人的に趣味ではない気がするので災害パニック作品のレビューはしない。
その方面に強い先人にお任せして参考にしたい。
ホラーに邪魔すぎないモノトーンの音楽時代
ジョン・カーペンター作品で「ハロウィン」 「ザ・フォッグ」 「遊星からの物体X」 「パラダイム」
どれも似たトーンだが序盤やムードを出すべき所や佳境と言った所で挿入してくる。
彼の場合はラジオやTVから何気なく音楽が流れる手法をよく使っている。
反響音のようなものも含めてホラーに違和感がないテンポが重要。
ファビオ・フリッツィ作品では「サンゲリア」 「地獄の門」 「ビヨンド」 「マンハッタン・ベイビー」
彼も似たトーンで作品のムードを出している。「墓地裏の家」ではウォルター・リッツァートが引き受けてるが。
見れる映画とそうでないものにはこの点に違いが大分ある。
パニックやスピードを重視するホラーの音楽とはまた違うしサスペンスの方向によく使われるものでもある。
古くて退屈なホラーに付き物になっている節を感じた時代もあったが。
あまり知られて無いがハワード・ショアが担当した「スキャナーズ」「ヴィデオドローム」「ザ・フライ」「羊たちの沈黙」等。
「ロード・オブ・ザ・リング」も担当。この映画はスタッフが面白いが作品の中身は今思うに間延びしすぎたと思っている。
その間延びが往年の作品から現在における史劇でも良い成果を出している。
1つ1つの作品は成長した流れの一部になっていなければならない。
近年のクソ・ゴミ・ダメなホラー映画連鎖
それはホラーブームと共に再度やってくる。しょーもないハキダメ。
まず映画祭で買取オレの作品を見てくれ!と言わんばかりのものであるが、抜け駆けは許しがたい。
諸事情で劇場公開できなかった映画なら納得するがそうではないものについてはまぐれ当たりはしない。
ダメ映画を掴まされた方は泣き言を吠えるしかない。
完成度にリアリティが含まれてないのが一番困る。
若い分野を育てる意味や発掘する意味は無い。その前に客から金を取るのは辞めるべきだろう。
金を稼いで元手を作り本格的な映画を作る事は不可能。同人を創作販売する手は通用しない。
映画祭は痒い所に手が届くのではなく評価審査を兼ねる。業界人がダメ映画に見惚れてる訳ではあるまい。
売り込みの才能は大した物(なのか?)だが作品作る才能はまだまだ。
インディーズのあり方は業界がインディーズを下部に敷く事により、
評価の低い映画からレッテルを押しやる原因にもなるので注意が必要だ。
回し撮りせずに数テイクやり直したり試行錯誤を重ねたものを最終的に選択すべき方法を面倒くさがっているのだろうか。
有名俳優が出てもダメなものはダメ。金つぎ込んでも使い道が分からない。
ちょこっとCGを見せているだけや着ぐるみモンスターが出ても冴えない。
シーンに何も感じないままダラダラ続く冷めたままで熱が無い。無いもの尽くし。
ショボイ人数で作らず業界の著名人集められるだけ集めて作ってくれと結論に至る。
緊張感やスリリングが必要とされるものに限ってダメになりやすい。
知ってる有名人がブン殴られる乱闘映像のほうがまだ迫力がある。それに勝てないと質量の意味は無い。
ま、手が出ちゃうホラーファンはそれだけ飢えている。業界が満足な作品作ってくれない事で噛合ってないのだ。
SFホラージャンル
ゾンビ・悪魔・幽霊モノが需要とコンスタントに作れる要因があるので多い。
SFホラーも多かったはずなのだが、宇宙物に限定で小まめに分類すると少ない。
さすがに息切れしてしまうのか「イベント・ホライゾン」あたりで一時ストップ。
「インデペンデンス・デイ」や「宇宙戦争」はホラーではなくSFパニックものだが。
セットに費用がかかるのが難点だが夢と期待感の妙味があるので新作が2年に一本はほしい。
複雑怪奇−回帰
空想と理解の娯楽力学が深さを味わう要素の一部となる。
B級SFや古典ともいえるジャンルがそれを十分に備えている。
当時としては凄かったともチープとでも言えた作品群がカギを握る。
SFはいかなる物でも生み出す。ホラーでもラブストーリーでもパニックでも。
過去と現在を振り返る−モンスターのヒット作品を生み出す継続能力と駄文
小さい頃からどういうわけかモンスターというと、ドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男、ミイラ男、半魚人が認知されてた。
ヒーロー&怪獣のTV作品だけのマンガやアニメ影響はそれだけでは微々たるもの。
それプラスでモンスターといえば自分好みのものは無いかと何かと飛びついていたような気もする。
ケイブンシャの図鑑などが手頃で当時の読み物好きな子供にはバイブルのような存在でもあったためだろう。
勿論、ガンプラを初めとするプラモデル人気はアニメ作品に留まらず戦車にラジコン等大幅なジャンルのファン層を築いた。
そのため映画キャラのフィギュア等も国内から出たり海外から再度復刻版が輸入されたりし始めふんだんに出回った。
ヒーロー&怪獣世代からロボット世代に移り変わり、
プラモ狂四郎やプラレス三四郎など玩具主体のバトルマンガも出始め斬新で流行したのが今では懐かしい。
当時は派手なコマ使いのコミックボンボンや週間少年ジャンプ等のコミック雑誌を見ていた。
中期ボンボンの綴じ込み付録で(ハサミで切る)読み切りのホラーマンガがあったが木の根っこのは怖かったなぁ。
木の根っこに家が侵食されて体まで根っこに突き破られるスプラッター有りだったと思う。
作者誰だったかタイトルさえも覚えて無いのが残念だが。
リュックサックと手提げ大袋2つに発売日のマンガ雑誌やコミックやらをドッサリ詰め込むほど幅広く目を通したもの。
少女ホラーもテレビマガジン系の特撮物にも目を通したり。
少女マンガでは沼地やらに逃げ込みいつの間にか解体された肉を吊り下げた倉庫に幽霊か何かに追い詰められる少女。
シチュエーションが怖い。これも作者誰だったかタイトルさえも覚えて無い。
作詞もタイトルさえも覚えて無いがの場面はしっかりしたようで曖昧だが恐怖を味わった感覚を覚えている。
いつの時代でもそういった流れは再度やってくる。
雨に濡れたエロ本というのは空き地に遊び出歩く時代ではなくなったためさすがに目にしない。(笑)
それはさて置き、つまりは興奮要素のブーム化には継続して生み出す関りが必要。
近年では著作権からフリーに扱えないため昔ほどSFやホラーは子供達の目には届かない距離になった。
たまにTVで放送されて一時の話題になるくらいだろう。
さぁ夏ですよ怪談でもとりあえずどうですか?とりあえず見ておくかなという、
「あなたの知らない世界」的な発想でも良いのだが、
モンスター映画そのものがパニック要素の方が目立つためか造型もパッとせず新作でも大して見向きもされない。
B級と位置づけされてしまう傾向は昔から変わらないが不動のモンスター人気は衰えない。
上記にに挙げた5大モンスターはリメイクにシリーズ化され継続性があったのも貢献度に繋がっている。
人気の風潮も試行錯誤をして記憶に植えつけられた成果。
近年は新作映画一発のみでヒットしたかどうかに左右されるので試行錯誤せず諦め良品が出ずに終わる。
それホラーですか?
近年の傾向の新作を見てもムードもへったくれもない。昔の低予算ホラーと評された作品の方がまだ良質である。
3DCGは使えるようになったものの擬似映像だけの現実感のある作品でしかない。
CGで丸ごと怪物を作ったり風景を描いてもそれほど価値は無い。
昔から言うSFXと称されるものが廃れてしまっている。
CGがSFXの1要素ではなく枠を全て平らげた感じがする。
技術と大根役者で噛合っていないのも問題。若い役者ばかりより1人の名俳優のほうがまだ突っ込み甲斐がある。
怪物に幽霊や合成は見られるが雰囲気作りのために特殊効果も無い惨さがある。
SFXはCGになったのではなく融合も果たしてない。単に怠けているだけの勘違いがある。
物語もあまりに現実的に設定を施しすぎているのでオカルトも的外れのすっとこどっこいになる。
ムードを学ぶならオカルトにしかないが登場人物が先の見えない恐怖に見舞われている現状が伝わるかが大事な点の1つ。
パニックを学ぶならモンスターにも当てはまるがパニック主要ではつまらない。
独創性が無く作家の原作に頼ったりしてもイマイチ満足しない。
不満足で見たいのはこういうのだとばかりにアマチュアがゾンビ作品を作ったりしてもメジャー世界には伝わらない。
例えばアマチュアが作るゾンビ作品は「俺達はゾンビ映画が見たい」という高まりがあるからこそなのだろう。
人間同士が争ったり子供が魔法を使ったりCGのゴリラが暴れても内心は「見たいのはそれじゃねぇよ」だろう。
拾い物を見てどう感じるのかなどどうでもいい。
ハリウッドは生み出す力を得ているがアイデア不足で回りくどい。
ホラーファンの求めるものを理解しておらず満たす事が出来ないで居る。
本当に見たいのは今まで出てきた作品にはない気がしてくる。
「やっぱり昔のホラーの方がいい」
ホラーとセクシー路線を再熱して行こう
どうせ若い役者は脱ぎもしない下手な大根役者が多い。
美人でもないし可愛くも無いし格好良くも無い。
とにかくファッションセンスも作品に合わずダサイのでSFを含むなら尚更育たない。
無駄にウザイセリフやウロチョロした行動に興味は無い。肩が凝るだけだ。
ポルノ業界のモデルや役者の方がよほどイケてるのだ。ルックスと体で魅了する保養の要素も含める。
古い時代は休憩をはさむ作品もあるが、現在の作品はノンストップばかり。
人間同士のくだらないやり取りはそれほど必要ない。
「スピーシーズ」という作品はホラー&セクシー路線だが無感情なエイリアンが脱いでも好みの要素には入らないだろう。
注目度はその点において感情移入に繋がる。
格好良い俳優の腕の筋肉を見るだけで憧れる関心度が出る。同姓だろうと異性だろうと興味深くなるのは必須。
体を鍛えている筋肉役者も少ないのでルックスだけのド素人役者の演技でも可能なような作品ばかりに仕上がってしまう。
TV中心の活動をしている役者が映画業界を支配してしまう傾向を維持する背景が根強い1つの原因。
理知的にセリフだけの場面のみで物語を進行するよりは注目度のキャラ要素を出し惜しみしないほうがマシだろう。
「この映画はなんだかんだと凄いね、でも出てきた役者さっぱり覚えてないよ」では困るしこのパターンは多い。
ハリウッドでは有名な役者のヌードがあっても話題はイマイチなのは分かる。
売れ残りではないが、作品がメジャーでなくてもマニアックをそそる作品でないとダメになる。
昔の作品批評から判断するに、
1人で服を脱いだり体を洗っている時に襲ってくる定番のほうがマシなようだ。
どうでもいい登場人物が襲われるにしても無防備状態で隙を突かれるほうが娯楽性での期待感がある。
SF・ホラー・ファンタジーにしても常に漫画やアニメのほうが上回っている。(無論18禁)
こちらの趣向は下世話に言えばヌケればいいだけとは限らない質を維持している。
世界観であったり見た目もシチュエーションも大事。
ホラー映画のようにシャワー中に襲われて悲鳴を上げてサックリ殺されたり、
ファンタジー映画のように裸でドンチャン騒ぎしているだけのようなシーンを選択する趣向は無い違いがある。
漫画やアニメvs映画のエロ趣向の違いはヌケるとムラっとくるの違い程度。
映画は近年になってから年齢制限がついてきた。
作品が完成してから年齢制限をつけるので最初から意図した作品が少ない事が分かれ目である。
とりあえず大根は皮を剥け。(お後がよろしいようで)
どの国から展望が開けるか
日本が発信源としてもどうせハリウッドリメイクのまだまだオタンコナス。
ユーロ方面からもホラーが出ないと様々な作品を見られる機会の多面性は無い。
アメリカ傾向だと薄幸の少女路線やらが出ない。これはオカルト路線でも主要の要素であった。
美白の肌で薄い髪の色の女優もあまり見かけなくなった。
群れる男達の中の1つの花である必要もなく存在はそれらより数段際立つ。
70年代は多い。出尽くして80年代以降は途絶えている印象がある。規制強化の面も当時あった。
持て囃されている期待できる要素に含まれている物は作品の完成度以外に何かを考えると辿り着く。
また1つの方向性で主人公は子供達でホラーという路線もコメディなら許せる範囲になりがちでさっぱり無くなった。
単に規制だけでなく近年の原作や脚本にそういうセッティングが無いだけ。
今のホラーはどこかに安心感がある理由がそれだ。
ハッタリホラー
ジワジワと謎めいたものが錯綜し驚かすパニック。
大概、一作品一発で終わる欲求不満の色が濃く残る物だ。
物語を中途半端で終わらせようとする。だからどうした?で済む。
謎や話の筋を片付けるには1作品での時間では足りない。
続くという事で様々な課題の責務を全うする。向上の道でもある。これが出来なければ無責任。
続編が見たいと期待される作品は運がある。
そのまま放置なら1作目の価値も薄れ尻すぼみになりもする。
手をつけておいて人気がこの程度だからと作り逃げしてあれこれ手を変え品を変えでは意味が無い。
復調低迷、人気は関係ない。
続編を作る力を失わず養う。課題をクリアしていけば盛り上がり浸透する。
課題がクリアできず低迷し飽きられるならその程度で終わり。
この壁を壊す意欲・努力・実力・他、全て準備しなければならない。
乗り越えるハードルは高いが壁から目を背けるのは実に簡単だ。
型通りも壊す時が来る。
1作品できっちり収めるのは美徳でもあるが気持ちの上での整理に過ぎず。
全て型通りは範囲が狭く後に飽きる。何度作品が出てこようが物語は尻すぼみパターンになりやすくなる。
勘違いしているのはオチで閉める場合に多い。登場人物がどうなったかという状況による完結。
あえてこれに逆らうと本来の道が見え奥深くなる。
使いまわしや期待されるパターンが繰り返され物語は不十分に陥る。
「何だこの終わり方は、物語の続きを見せなさい」
中身によっては不可解な謎解きに奔走しなければならない。
直面した上でさらに残る謎。そこからサイクルが始まり時には分岐できる内容が発生する。
1つの作品として見られるか、内容を詰めただけの映像再現なのか。
見方は2つに分かれたりもするが両方を兼ねるのが基本。
登場人物を弄くってもキリが無い。映画に出来る事を見せ付ける次のステップも価値に値する。
魅力のあるモンスターとは何だ?
図鑑というものは今は無いが、キャラクターだけをズラッと並べると圧巻だとは思う。
一目で分かるモンスターのプロフィール。
そこから作品の肌を感じ取れる。この手で興味が沸くというもので数々のモンスターは生き残っていた。
今では作品の良し悪しがモンスターの生存を左右する。
駄目な作品となれば触れられる事も無く登場したモンスターは滅びる。
のっけから勿体つけずに出てくるのも増えているが重みが付いて無い。
唐突さと騒々しさで操る方法が多用されても迫力とはまた別。
近年のモンスター群は一過性で長続きしない不遇を囲っている。
引き込まれる材料も無く感情移入も無いまま話が勝手に進展していっても退屈なままで変らない。
簡単に言えば視聴者を引き込むための愛撫であろう。
表現力の範囲は広い。
描き方の2通り
錯綜する一本調子か、謎そっちのけで人間模様を描くパターン。
美味しい最後を取るのは人間か怪物なのか。
キャスティングとは別の部分もバランスで変る。
作り手がどのパターンを選ぶか迫られる時があり、加減1つで見る側の好みも変化する。
どちらが良いかという差が無い場合は歴然とした差を作らねばならない力量。
1つの作品を分析するだけで白髪の本数さえ増える。
定番のパターンを扱うか、飽きたので別パターンの作りでも視聴の肥え方で二分される。
一本調子でもあっさりしてしまうが、
謎そっちのけで人間模様を描くパターンが物語の大半を占めてしまうと期待していた部分の未消化も残る。
近年この手が多いので筋書きを消化しようとしても確実に置いて行かれる。
愛着の1本というまで何かが少し足りない。
謎を少し想像に任せるとして残すにしても欠落が多すぎないように半々が丁度良い。
ホラーにも色々ある
事細かく分類したどれかに限定するものと、複数のいずれかがある。
ジャンルに限らず方法として1場面になるに過ぎない場合もある。
怖いものを見たい場合と、期待を寄せているのはそれに関係ない場合がある。
雰囲気の重みにも色々ある。
ホラーだと全般的にネガティブな面が覆い尽くす、
非情、圧迫感、焦燥感、混乱、狂気、退廃、猜疑心、絶体絶命。舞台の空間や小道具、人間模様の状況。
任務の遂行、推理の行動でも状況の雰囲気は変ってくる。
不条理な事に巻き込まれて手も足も出ないよりは生き延びるために迫る脅威から翻弄を掻い潜る。
常に次の作品を求めるので限界が無い。
これが最強のホラーだと思っても数年経てば決めかねるようになる。
製作側が常にターゲット層を限定して把握しておかなければならない工面。
作風や個々の段階に応じて万人向け作品を1本作るのは多種多様が吹き荒れる中、不可能に等しい。
オリジナリティある作品を誕生させるにしても観客の好みそっちのけで突っ走ると置き去りになってしまう。
ソフト化にもならず埋もれていった作品は数知れない。なったところで喉から手が出ると思わせる事もない。
時が来れば認められるか最初から需要があるか無ければ需要を作るかでは賭けに等しく埒が明かない。
作品の高みを望むほど製作が躊躇される。
何も気にせず意欲だけ維持してバンバン作って貰うしかない。
リアリティ
追求すると非現実的な部分は描写が複雑で手を出しにくい。
そのため物語や描写も現実的な内容を占める様になる。
これで面白いなら全て真似すればいいほど何の変哲も無い。
無理なく意外性を感じる刺激を生み出すにはもう材料が無い。
ドラマの展開にしてもあらゆる描写が押し付けがましいものは求めていない。
過激になったところでそこに関心を持っているわけでもない。
鮒で始まり鮒で終わるように正統派に戻る。
お茶の渋味たるが長続きする。
現実的、非現実的の他に別の側面がある。動物的、理性的といった対極である。
歪な・・・
扱いやすいものとなると吸血鬼やミイラといった妖怪の類。
CGで作られた動物的な物を見てもそれらにはゲームキャラの如くであり、
アドベンチャーファンタジーやパニックアクションにしかならない。悠久の物さえ感じないだろう。
魂が乗り移り残虐行為に走るといった設定だけのものは形を成さないので別としておきたい。
難しい点はセットや視聴効果の雰囲気作り。
キャラクターをそのままで演じさせる事を考えれば顔や声がイメージに似合うか似合わないかという問題になる。
それがネックなら顔は必要ないので長身細面なら奇怪なマスクで声はセリフなしで済む。
後半で正体が露になるのを用いるのも不自然さは無い。
歯並びが悪くて息が臭そうな吸血鬼もありえるだろう。
何かをぶつけなくとも歩く度に崩れ去っていくミイラのラストもありえるだろう。
神経が張り詰めたような感覚まで至るかどうかフレームの隅々奥行きまで全てが鍵になる。
洋画邦画で過去に培った古典的な方法が合う。
遠慮はいらないのだがイメージしたものを準備できるかという次第で全て決まる。
こういった映画は映画会社の公開タイトルに似つかわしくないため中々出てこない。
要点がある物語、人を寄せ付けるキャスティングにどうしても頼ってしまう。
キャスティングは集めるのが面倒臭いだろうし清楚よりも勝気そうなほうが目立つのでそちらを選ぶ癖がついている。
印象別の当たり屋の場合もあり、直感重視の場合もある。
集まった人の中から選ぶのであればそれまでだが、その人でなければ駄目だという以外に実際に当たり外れの幅が大きい。
作品をろくに見てこなかっただろうというのが露骨に出る場合もある。製作側と観客とのズレが生じる部分ではある。
この場合は製作側なら1回で見終わるなというもの。視聴者は倍見て熟知していると思って頂くほか無い。
ローカルミステリーや都市伝説を主軸としたJホラーが映画水準と境目が無くなった時に正統派の凄みが優位になる。
公開時はイマイチでもソフト化後の動きは真逆で違う事がある。
長年で忘れ去られた時、持ち切りになる話は良くも悪くもだが暇をこいてしまえばホラーキャラは持て囃され箔が付く。
以前は本だったがネット化の今ではソフト化になっていない作品のレビュー等を見れば興味が沸く。
そうしたサイトはソフト化を終えるとある程度の静寂が訪れるが。
ストレス社会に刺激や癒しは必然と求められていく。映画産業が復調したその姿に理由がある。
邦画で結構見ていると言えば、
「マタンゴ」、「吸血鬼ゴケミドロ」、「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」
人物の奥深い心理まで小細工も必要が無いので無駄に間延びしない。
子供でなければ夢に見て怯えるほど恐怖に動じる事は無いが、お茶を飲む暇はあれど息を飲む暇が無い。
内容に関係なく押し付けがましい恐怖ではなく睡魔が襲うこともある。
新作で上記作品の間に同等の視聴回数が入る余地は殆ど無いとしたら正統派は強敵だが、味方にも回る。
見応えがあるホラーは雰囲気に優る。
畏怖
恐れおののくものでないとホラーにとって結局は駄作。チビル、ビビル、トラウマ。
それも結構だがどういうセンスの作品に仕上がるか未知数。
近年は意図して思った通りの作品を作れる。手直しも十分できる。しかし多くの作品たるや傑出したものはなく無残だ。
ホラー1つとってもスリリングを味わえるものや退屈な物まである。
予算枠に限らず過去多くの作品が排出されてもほんの一握りの作品だけが人気を誇った。
今と何が違うかといえば何もかも違う気がする。
どれもこれも悪魔の接待を描いているだけに過ぎない。既にホラーの数々は過去に完成されていたのだ。
怪物がいればそれは運が悪く人間には幸運があるパターンは多い。不要であれば救いさえ必要が無い。
主人公だから助ける。後味が悪くなるからラストに生き残りを描く。
その場合は善が勝つか悪が勝つかだけの生存競争のアドベンチャー。スリルだけを味わう代物なら中途半端。
シナリオ通り迷路を巡ってゲーム感覚でクリアするのとは訳が違う。
自問自答し泣き喚く試行錯誤。最後に笑う者は必要ない。無慈悲のオンパレード。それがホラーだ。
怪物
一口に言っても様々な怪物たち。作品では1度きりだったり何度も現れ複数の作品にもなる。
不条理であるが故に怪物は無機質の塊みたいなもの。襲う理由をつける詳細が不要。
描写が優れていても体力と魅力不足。物語や展開が悪く満足に至らない。そうした作品が増え続ける。
見た目は凄くても弱すぎて1度きり。中々ヒットには恵まれない。
これが近年の現象なのだが打破できるまでにどれだけかかるか待つだけでも前途多難。
モンスターが出ないホラーのペース配分
屋敷を舞台にしたオカルト物など。仲間うちの誰かが奇妙な行動に走る。そういったものは多い。
雰囲気は出るが演出に節操が無い。未消化で味気ない結果も招きやすい。
低予算だけにコケやすい。肝試しのパニックになるだけでは見ている側にとってはついていけない。
耳を澄ませば何らかの効果音が聞こえるのも不気味で身の毛もよだつ悪寒になる。
この雰囲気を融合させればどのホラーも一味も違う。筋書きで既にホラーを垣間見える。
展開が速ければいいというものでもないので焦り過ぎでミステリアスの余裕に鈍感だとこの先が厳しい。
事件の真相と迷信の謎
ホラー映画ではこの2つで物語の全体枠を締める。
表立った描写より要点は多い。
古めかしい作品にはよくあるが近年では先を急ぐためこの方法はあまり見かけない。
ホラーの真髄は常に鈍感と戦うこと
様々な媒体の作品の数々を見ていればそれだけ恐さの刺激は無いところに行き着く。どうしても免疫が付いてしまう。
それはつまり関心を示さない部分に当たるため、それ以外で関心を示す材料を必要とする。
大半の盛り上がりも既に過去のものだ。再びないだろう。
映像媒体はリアルだが書籍媒体ほど浸かれるだけのものが無い。
トラウマになるようなものでも子供は騙せても大人にはうっとおしいだけ。
刺激になる方法はどれも飽き飽きしている事と同じ。
人が嫌がる物を見せつけるのがホラーではない。それでは苦痛なだけで人気が出ない。
あの手この手が通用しない。
作品の中で見ている者の集中力を呼び覚ます事が最も大事な要素。
例えば物を書いている場合は横で様々な作品を映していようとも聞きはするが目を向けるだけの興味は無い場合がある。
これは無理に目を向けさせようとするに至らない。
作品を見た時にまじまじと見つめて集中力が出る作品。それは刺激や興奮にも勝る。
感情の起伏を操作しようとしても無理がある。映画作品の中の世界に入り込めねば味気ないただの動画。
陰気なホラーと体感の骨頂
まだ昼前だと言うのに空は太陽が遮られ暗くて薄い黄色のように澱む。雷は少し遠くで轟き雨が叩きつける様に降ってくる。
現実だけでもこうしたようにホラー。BGMさえも必要なくなる。無いよりは少しくらいあるで良いですが。
超常現象ではなく自然現象も奥が深い。
猛吹雪で先が見えない。冷え込み足取りもとられ覚束ないというパターンもあります。
これらは全て、そこにいる孤立した人物以外は見当たらない魔の領域。
湿った作と、蒸し蒸しした作、乾ききった作、色々ありますが1つの狂気です。
演出1つで雰囲気はガラリと変り、物語1つで底知れぬ謎に満ちている。鬼が潜む領域です。
過去に多く量産しましたが勢いは衰えています。
OV量産やテレビ向け製作に慣れた報いが現れてしまうと、
経験を活かせるどころかむしろ作らなくてよいとまでいえる作品は数知れない。
時折その力を掘り上げるだけのものがあります。
渾身の気迫と思慮の深さ。むしろ考えすぎが創作には楽しめる分、丁度よいのかもしれません。
陰気という材料は様々で好みも個々によって違う。
狂気というベールを身に纏う方法は色々。
頼り切っただけで肝心の筋書きが浅かったり頓珍漢だと困りますが、
最大限の陰気臭さは巧みな連結と分岐がなされると底が計り知れません。
陰気臭い作品は食指が動きやすい。それは怪談や都市伝説でしょうか、それとも・・・。
これはどの枠にも捉われない。
陰気臭さを自在に操る作品は様々な思慮や恐怖と不安の昂ぶりを曝け出すことでしょう。
人々の恐怖と不安を貪り食う悪魔の成せる業でしょうか。
否、それは奥底にあるものでもなく人そのものが好んでいるに他ならない。
悪夢を娯楽として楽しむのですから人間の業であるかのように貪欲さは計り知れない。
幽霊屋敷ホラー
ホラーの中では一番簡単なようで難しいサブジャンル。
幽霊屋敷物は建物の所有者に承諾され難い。そのため少しでも場所を問わないホラーに絞られる。
一番簡単なようで難しい部類。どのような撮影方法でも画になると断定できないので判断に困る。
外観は安穏とした建物である。
人が住んでいない廃墟なれば君が悪く中に入ろうという考えは起さない。
夜になれば住み慣れた建物と違い見知らぬ中だけに恐怖が駆り立てられる。
学校でも同じで昼間は見慣れていても夜の学校は知らないため何かが息づいているかのように狂気が渦巻いている。
無防備による恐怖も重なる。
他愛も無い事を口走り、その次にはその真相について考えさせる手立て。
どのタイトルも禍々しい。
持ち家、または金持ちに頼まれ幽霊屋敷の調査に来たのだから解明するまで建物から逃げ出す動きは見せない。
こうした最初の設定が無いと扉が開かない、または安易に逃げ出してしまう、或は戻ってしまうという不条理を描く事になる。
幽霊屋敷ホラーで成功したのはごく僅かの作品。
成功だろうと不成功だろうと見る側にとってはその程度の世間話は構わない。
SFモンスターとオカルト系
ホラーにも色々ある中で主に見るのは50年代後期から60年代、70年代から80年代後期までの作品。異様な感じは独特。
これ以外はなんでもホラーという小手捻りで一回見れば十分なものも多くあまり大した視聴回数を重ねるだけの関心が無い。
昔は一見してチープともよく言われたほど、しかし、90年代以降のホラー手腕からすればバランスは妥当な筋が多い。
そうした現れなのだろう。
ゾンビなら
例として全米1位の映画に便乗した作品を取り入れる恒例の方法がある。
「アポカリプト」が1位だとしたら、「アポカリプト/魔境の死霊伝説」と仮定なる物が可能となる。
国内では混同しやすい類似タイトルは避けるが海外向けならタイトルはどうにでも使える。
これくらいの亜流物を考えないと都会じゃ場所も見栄えしないし脈絡もない意味では都合がよい。
生贄伝説なり黄金を求めて死霊が復活してしまう・・・という安直な物語でも構わないだろう。
基本の筋としては運動量と安堵感が欠かせない。
よほどの製作会社が手がけても中々難しいのが現状である。
物語を追う事や出演者の演技は自由に出来ても映像感覚や場面そのものの細かい演出は時間をかけるだけの苦労が無い。
筋書きや演技よりも
シーンの細かい表現力。これを満足に至るほど必要としている。
棺桶から手が出てくるのに1分かかるとか。そういうのが今時映画には無い。雰囲気の1つ。
新作を作ってもゾンビ映画はバランスが悪く過去の作品に負けているのは明らか。
力強い1作品として成功しなければ決して本物の勝利は掴めない。
ゾンビ映画が掴む目的は過去作との戦いである。
チルドレンホラー
ヨーロピアンやゴシックにはグロテスクとひと括りでいうより異質または興味が出る物との対比構図が纏わり付く。
製作者の意図や見る側の解釈角度によって色々受け取れる場合もある。
ホラーに限らず中には売りで刺激のある方向性に持っていく物もある。
過酷なドラマやファンタジーの作品にも稀だが子供の視野から見ればホラーといえる側面の傾向がある。
そこには大人が思うイメージとはかけ離れた何かしらのバイオレンスが潜む。
それとは別に大人の視野から見たバイオレンスも潜む。
この場合、行き過ぎると大半の登場人物が物扱いになってしまいセリフもあまり必要としない。
映画は大人の見世物だったから何でもありの世界であった時代背景も過去にある。
体裁よく立ったり露骨だったり。客どうこうよりは製作側の私欲による映像化が殆どとも言える。
ふと現れたりする導き手のような幻影や世紀末の魔物の類、スクリーム、主人公と多種にわたる役目がある。
ベースはオカルト、ファンタジー、バイオレンスの3つしかない。
画になる場合とそうでない場合もあり題材に頼るばかりで不自然な流れだったりもする。
大概は孤立した現状が似合うのかそうした場面を多く描く。丁寧だったり強引に扱えない場合もある。
劇中の人物を驚かすというのが目的ではない。展開が平凡で退屈な場合も珍しくない。
意図的にバランスが整ったり偶然に不穏なムードが備わる場合やそうでない場合もある。
簡単に大ヒットというわけにもいかないのでこのサブジャンルは賭けに等しい。演出1つで作品が様変わりする。
散々使い古されただけに駄作といえるだけの作品も多い。気に入らなければ悪趣味なだけでしかない。
登場人物1人なら使いこなせるつもりでも演出や存在感が裏目に出て作品そのものを壊してしまう可能性も大いにある。
過渡期以降クリーチャー
90年代からSFさえモンスターを必要としなくなってきた。
僅かに「エイリアン」や「ターミネーター」等の作品がシリーズを繰り出し金字塔を掲げていた。
「スピーシーズ」「パラサイト」「インデペンデンス・デイ」こうしたSFエイリアンが若干目立っていた。
映画は予算を注ぎ込もうとしても作品が大半のニーズに合わなくなり、多くの観客とのズレを埋められないでいた。
金を出さずに手軽に見られるテレビを主体とした方向に移行していたためである。
それに製作陣も続き、それと共にフィルムからビデオ撮影に移り7.80年代TVシリーズのような物は出来なかった。
既に規制の枠も徹底されていたため過激な物は一切姿を消し、よりリアルな舞台を重視し始める。
TVMから映画に、映画からTVMの繰り返しで内容や手法が模索される。
「クリーチャー」「パンプキンヘッド」「ロウヘッド・レックス」これらB級と謳われる作品がある。
90年以降、迫力の無い作品らと比べて迫力が備わっている。これは一体どういうことなのだろうか?。
技術、音響効果、予算、テンションも落ち、すっかり腕が錆付いている。
ホラー作品の殆どはモンスターの造型を必要としなくなっていた。
洋画はまだ良いほうで邦画は遺伝子や幽霊物の作品が一時期色濃くなる。
ようやく画質調整も落ち着き様々なホラーに着手してきたが、まだ右肩上がりで急降下も早い。
ダイナミックさと奥深さの思慮を必要としている。
今はB級を凌ぐ作品が出てくるのかさえ分からない不信がある。
2000年以降はコメディタッチやアメコミ風アクションアドベンチャー作品も出たが、
クリーチャーのホラーはまだ成功を収めていない。
「キング・コング」「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」「ヴァン・ヘルシング」「グエムル/漢江の怪物」
モンスターは勢揃いしているがこれら娯楽とは本来求めている物とは違う側面。
哺乳類や爬虫類や植物、両生類といった固有種でもない。伏線も求めていない。
一度SFモンスターに回帰しないと未知数の奥底が見えてこないだろう。
1つの方法は逃げ場の無い宇宙船と怪物さえあれば美術、造型、音楽、編集のセンスだけである。
アクションが下手ならさっさと食われれば良い。地球上にクリーチャーが現れても何を恐れる必要がある。
廃工場みたいなものは必要ない。
椅子1つとっても近未来のモダンの形であらねばならない。部屋の統一色も当たり前で真っ白で結構だ。
それ以上の、ある種の空間が妙味に繋がる。どこかしら同じ何かがある。映画はマイナーチェンジの連続。
SFモンスターは創造物だけに力量が試される。それだけでなく好きなだけ力量を注ぎ込める。
スプラッターと獲物
猟奇に愛好的な興味は無く、気色が悪いのが当たり前。
パターンは目的や行動が限られている。やりたい放題であり風貌も異様。
その状況でどうなってしまうのかという気構えを持ちつつ不穏な空気に不安感で包んだ興奮と刺激が必然と出てくる。
どういう物理的な道具を選択し、どういう状況で襲われるか切り抜けるかしかないバイオレンスとパニック。
そういうものだけに客寄せのために色物が付いて回る場合もある。
この場合は死なれると困るので色物としては逆効果でもある。
最後に殺人鬼はどういう末路が待ち構えているか。
どこ注目するかといえば見た事も無い場面や物のインパクト。お化け屋敷や、びっくり箱の衝撃効果に類似。
血が大量にというのは見たことも無いし過敏に騒ぎ立てるはずも無い。
ケチャップかペンキにしか当てはまらないので恐怖にもならない。体の容積から考えても多すぎる例が多い。
単純な展開しか描けない。ネタも尽きている上に真新しいものさえ別に必要が無い。
70年代に散々やり尽くしたのでさすがに見向きもしない事も珍しくない。怖がりたいのではなくギョっと驚けばいいだけの話。
狼男という獣
銀の弾で絶命するのが基本。単純明快な物語。
色々なパターンがある。それは正義か悪か立場によって違う。
呪われた血脈、愛した女性を救い出す救世主、おとぎ話の世界。
「男はみんな狼」という言葉もあるくらいのイメージ。人生の教訓かのように憎む対象、悪として描かれる印象が最も多い。
最悪、獣が女性を襲うとくればどう考えてもその風貌、野獣イコール暴漢変態そのものの代表でさえある。
変身シーンや躍動感をリアルに追求すればするほど古典的ホラーから離れて行き、アメコミになっていくのが容易。
近代化の時代に古典モンスターが出てくるのさえ似つかわしくない。
吠えても恐いと思うよりはうっとおしいだけ。見所は物語の行く末と変身シーンしかなく変化球もしていっても衰退した。
今時、狼を見た人も少なく、モンスターを見ても何かの雑種にしか見えないだろう。
ラブストーリーを絡ませる筋書きは悲哀を背負う形を借りているだけでそれほど興味を駆り立てるものが無い。
話を混ぜすぎて行く方向に持っていくのは噛みあわなければ思慮が浅い結果にも繋がる。
ホラーもラブストーリーも見るにしても作品は別々にしたほうが中身は様になる。
あらゆる猛獣に変化しても様にならず基本しかない。
怪談
古くから怪談と言う物がある。著名な作家や講談によるものは多く知られている。
しかし何十年も前から書籍には様々な怪談話がある。主に短編集が綴られ文庫や愛蔵版まで数多い。
西瓜から血が流れたり、生首を連想させたりという話もある。
崖や谷間だろうか誰かが呼びとめる声が聞こえる鉄道員の話もある。
古いので詳しい書籍名は忘れたが武者姿が表紙になっている文庫で聞いた事も無い話が多く何か独特の寒気がする。
あまり古いと今となっては読み辛い文章も多い。
作家の物と講談の物はまるで違う。作家が書いた物は人気も感じさせない侘しさがある。
どちらもその時代時代の話が続いている。
古い講談の物は情痴が入り込む場合の状況描写の点には思ったより入り込む余地が無い。
怪談と言えば講談の古典的な作品をイメージする場合も多い。
聞く場合、読む場合、見る場合の3通り。先入観は同じ部分と違う部分がある。
目の前が霧で蔽われておりやがて晴れて行く。1枚の挿絵の様に印象に残る場面。
よく聞いて、読んでおかなければその底知れぬ雰囲気も感じることは適わない。
この先、怪談は誕生しなくなるかもしれない。大袈裟に真新しく捻った物は大して必要としていない。
中には巻末まで読んでも怪談話なのか分からない物もある。
背筋が凍る話と奇妙な体験。どちらかというと先から怖がりたいのではなく奇妙な体験という主軸に関心がある。
読み物では十分に話の筋道で関心を惹き付けられる作品。
有名でもなくそれほど知られているわけではない作品でさえそれがある。
描写や心理を操るホラー漫画ともまるで違う端麗で澱んだ感覚。一見湿っぽいようで乾いてもいる。
状況描写さえ把握できれば良いのだから執拗に無駄なセリフが極力省ける。
物音と効果音。それが曲にも匹敵する。この方法は古くから使われている手法なのだが近年はあまり見られない。
ホラーはもうオチやネタが潰えた。鈍くなる一方との戦い。
怪談や妖怪、奇妙な話の原点を模索しない事には心地よい刺激とならないだろう。
海外から見ればホラーやダークファンタジーという総括した部類でもあり、怪談と言う用語も知られている。
自国の話は知っているが海外の話まではその多くを知る由もない。
映画作品の多くは驚かす趣旨の化物屋敷の趣向にも通じているが、
怪談はこのワンパターンというイメージがついてしまいブームともならない。
悪い事をすると祟られるという意識の植え付けや肝試しの部類もあるが、それでさえ数多くのほんの一握りの作品でしかない。
そっち系のリメイクがあったとしても興味は無い。よほどの通で無い限りは怪談話の数々の魅力を引き出せない。
醜い心を映し出すか、清らかな心を映し出すか。
有名で仰々しい作品よりはこじんまりとした奇妙な話のほうが私的ながら好みである。怪談にある禅の堪能。
それでさえ冷たいものを感じる。幼少ならそこはかとない感覚は感じられるだろう。
大人なら鈍い感覚を呼び覚ます繊細さが必要になる。何も神経過敏になれというわけではない。
怪談独特の時間が緩やかな作風がよく読み取れるはず。
中には化物や幽霊が出ず猟奇や事件事故さえも無い怪談もある。
ありふれた物しか知らないなら、色々な物を探してみてはいかがだろうか。
書籍の題名が分かったらお知らせするお約束をしていたので、3冊紹介する。
変わった話というものは児童向けに訳されてある書籍が多い。基本を知る事ができる。
「怪談ほか」 小泉八雲 著・保永貞夫/訳(講談社)青い鳥文庫 全9話
魔のトンネル <小泉八雲>保永貞夫/訳
耳なし芳一
むじな
鳥取のふとん
店をまもる幽霊 <ビアス>白木 茂/訳
さるの手 <ジェイコブス>
ひらいた窓 <サキ>都築道夫/訳
吉備津のかま 雨月物語<上田秋成>村松定孝/訳
すいか <岡本綺堂>保永貞夫/訳
ジュニア版日本文学名作選<13>「怪談」 小泉八雲 著・平井呈一/訳(偕成社)全20話
耳なし芳一のはなし
ろくろ首
雪おんな
おかめのはなし
食人鬼
葬られた秘密
なじな
青柳ものがたり
茶わんの中
忠五郎のはなし
幽霊滝の伝説
草ひばり
和解
乙吉のだるま
停車場で
カエル
虫の音楽家
富士の山
生神
盆おどり
<怪奇シリーズ1>「フランケンシュタイン」 ポプラ社文庫31メアリ・シェリー作 飯豊道男/文
作品のいくつかはインターネット図書館の青空文庫でも閲覧できる。
新書や古本でもあれば作品の独特の作風を知るため直接ご愛読願いたい。
連鎖反応
ホラー映画には敵成す集団で襲い繰る場合、力のある者を倒せば連なる者も倒れる連鎖のパターンがある。
助ける相手なら束縛から開放される結末。
邪悪なものによく用いられる。
大勢出てこられては1人1人倒すのに時間がかかるためや終盤で全て締め括るために容易に使われる。
それとは逆に武器を用いて倒しまくるノンストップアクションもある。
好みは場合によりけり。
弱点
特定の弱点がある場合と無い場合や普通の人間と変わりない弱点の3つがある。
この3つのどれを選択するかで印象に残るのは大分変ってくる。
ホラー映画の場合は格好良く倒して幕を閉じると何の味気も無い。
決着を求めるだけなら勝ち負けの賭け事。それはホラーとは無縁の部分。
むしろ問題の種が残っていたほうが不気味でありホラーらしさで上回る。後味が悪かろうとそれもホラーに違いない。。
ホラーの場合の娯楽とは何だ。まずそこから問い詰めると見る側にとってのあらゆる弱点さえもが見つかる。
昔から用いているのはその方法。それ以外には何も無い。
魔女
主な作品は西洋。東洋ではまず不釣合い。あってもイメージとはかなり違う物ばかり。
魔女だと王道を描かない。西洋と何ら遜色の無い世界観の雰囲気。何かしら西洋の建物が必要になってくる。
吸血鬼映画は邦画でも成功している例がある。守るべきところは守ってイメージを保っているのが秘訣に繋がっている。
例えば吸血鬼役を魔女に摩り替えるとどうだろうか。思ったよりそれらしく見えるのが想像できる。
どちらでもいえる事は中盤では明確な点を謎にしておいて終盤の決着で乱闘騒ぎ。
どちらも西洋のお化け。たったこれだけの素材を扱えないのはかなり損をしている。作風が伴わない先入観もある。
こうした王道に原作は不要でもある。作れる可能性があっても色々な物が乏しいのは目に見えている。
作りたがる若手はノウハウが足りない。殆ど作品を作りたがらないベテランが見せ付けるノウハウを持っているという差もある。
ホラー映画はホラー漫画の雰囲気さえ滲み出ない有様。もう風前の灯。
様様な異形に予算を費やす期待さえ無くなった。
ホラーの女王と呼ばれる称号
どの作品でも、その登場人物は筋書きの最初から最後まで体感する。
現代では1回演じただけ、または数回演じただけで終わる事もある。
限られた作品と人物のみが後年に持て囃される例も多くある。
ホラーやSFは軽く見られて敬遠される。
妙な肩書きや熱狂的な変な虫が付かないようにする傾向もある。家庭持ちの大スターの場合はそういうことが多い。
大半の原因は予算の都合上、メジャーな役者は選ばれない事が多いことにある。
そのためある程度の経験を積んだ新人だけがチャレンジできる権利を得やすい傾向がある。
しかしながら今時、徹底した所で全てに特長が無ければ目立つ事も無い。
内よりいずる恐怖
体が変異する作品などがある。一見すればモンスター映画だが、それとは別の恐怖の側面がある。
見終わった時で忘れた頃、またはふと幼少時に夢を見たり、
そうした夢を見なくなった大人になっても想像することで簡単に感じることができる。
皮膚が剥がれる、体中から血が噴出して止まらない、口や耳から虫が出入りする、得体の知れない傷口が広がる。
体に異常が起これば実に不気味。そういう恐怖がある。そしてそれを必死に止めようとする。
外から与えられる物と違い、内から生じる恐怖。
禁忌の恐怖
特定の場所に限定されている事が多い。
触れてはいけないとされる物や行い。神がかりなものに囲まれているようなものではある。
一例としては、神罰、過去の忌まわしい事実が隠されたもの、開かずの間、祟り、見てはいけない物、
発してはならない言葉の続き、通ってはいけない道やトンネル、地域の独特の風習や古い儀式、封印された渦巻く怨念。
その場所で何かをしてはいけない、何かが通ったら特定の行動をする事で身を守れる、様々な物がある。
一体何が潜んでいるのか真実は見えない。
禁忌とは人が恐れるべきもの。決して近寄らない、または守るのが慣例。
これほどの恐怖が他にあろうか。
何かが這い出てきて引きずり込もうとする感覚。そこにある恐怖。そこから感じる恐怖。
体感の恐怖
幼少時に重い風邪をひいた時の、炎症や体力消耗により麻痺して力が入らず距離感と平衡感覚を失う感覚。
そういうものは寝ている状態で天井を見つめていると物が遠ざかって行く感じが見えたりする感覚。
暗い四隅に何か潜んでいる神経過敏な感覚。
トイレなどに腰を落とした状態で吸い込まれそうな感覚を感じたり、寝ぼけてトイレと廊下を間違えたりするようなもの。
または寝ていても地球から遠ざかったり、地球よりも自分が大きく膨張している夢の中での錯覚。
大勢の落ち武者が寝ている自分を覗き込んでいたりするような一瞬を感じたり、
何度も壁から白い着物の長い髪の女が通り抜けてきて体が動かず声を出そうとしても声にならない。
恐い夢を見ても目が覚めない目が覚めても瞼が重くなり引き戻されるかのよう。
べっとり冷や汗を掻き、何回も目を覚ましても夢の中。眠っている中でさらに眠っている自分が居る。
これだけでも様々な物がある。
久しぶりに続ける。
パート2 |
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