【魔女の館】

いつの頃からか魔女と呼ばれる存在があった。
背の曲がった老婆の姿や美しい女性。
己の欲望を叶える為に悪魔と契約したと言われる。

蛇や蛙、蜥蜴などを大釜に入れ煮込む。
そうして不思議な薬を作っていた。

箒に跨り空を飛び宴に興じる。

歴史では大規模な魔女狩りが行われた。
そうした姿しか知られていない。





魔女の特徴

薬を作れる。
悪魔と契約できる。
箒に跨り空を飛べる。
魔法を使える。
様々な災厄の禍や病気の蔓延をもたらすとも言われるが定かでは無い。
薬の製造やそれから出来た粉を使った魔法は錬金術というものに相当する場合もある。
人が見知っている話が膨らんでいった程度。想像の産物であるとしたほうが収まりがつく。
そこには魔女はこうであるべきという理想とする固定観念があり、その枠の外から出て進化する事も無い。

強引な事から発していると思われるいくつかの迷信は歴史背景を考慮して特徴としては除外させて頂く。


歴史の謎
社会風潮が魔女を裁く対象として虐げていた。暴力の連鎖である。
社会に害を成す者、犯罪者、奇行に走る者等は様々な刑罰で断罪されていった。
宗教や政治的な思惑、社会の風潮。治療法がまだ無い病気の蔓延。
全て悪魔や魔女のせいにすれば気も楽に済むという事だったのだろう。

ジャンヌ・ダルクと称された人物。
民衆を導くという英雄譚が最も馴染み深い。
異端視され火刑となった犠牲者の1人とされているのが後々の映画作品でも影響を与えている。
魔女なのか聖人なのかという観点も入り乱れ描かれる。

続き


娯楽としての魔女
大人向け、子供向けどちらでも可能。

映画
魔女だとでっち上げて自白させ断罪するリアリティを追求する趣向が多かった。それと共に不思議な本来の姿を見失う。
こうした趣向が好まれるか否かに限らず出尽くした。
無理矢理に罪を擦り付け周辺が不満を爆発させるかのように集中的に攻撃を浴びせて無慈悲な処遇をする。
何とも遣り切れない思いに駆られるので非常に重苦しい場合もある。
事実はどうだったのかという紡ぎ合わせの話を映画化にした感じのドキュメントとショッキングスリラーを組み合わせた趣旨が強い。
そうした話は大抵、陰謀と疑惑、愛憎劇に醜い卑さ、そして全てを奪われた悲劇の主人公の末路。
密告、裁判、処断というパターンは定番。
正義と信じた物が狂い暴走する警鐘を鳴らすでもなく澱んでくる倦怠と脱力感に満ちる救い様の無い結末。
魔女が脇役の場合は主人公に悪戯し破滅に追い込むという性悪な物もある。
古い体質を身に纏う変わり映えしない泥染みた話の数々は一般的な娯楽に追い着けずズレが生じて消滅した感がある。
エゴと陰惨な狂気が滲む物語は映画やTVM作品で使い回されると必要とされなくなる。
他の趣向に移り変わりそれが繰り返されていった。

ファンタジーにおける賢者としての役割
魔女当人の善と悪の戦いは滅多に描かれない。
年老いている設定が占めるため助言をしたり手助けするくらいに留まる。
大昔が舞台のファンタジーなら可能とされる範囲。
近代背景ならSFの超能力か、ホラーでは魔術の呪いという趣向染みてしまう。
ファンタジー性では扱いやすく映画だけでなく童話やミュージカルといった作品に数多く出番がある。

スーパーヒロインとして活躍
映画以外はテレビドラマの「奥さまは魔女」、アニメの「魔法使いサリー」、
子供向けのテレビドラマやアニメの作品等は数多く魔女の特長を活かしコミカルな作品群が主流で続いた。
こういうヒロインの描き方が夢に満ち溢れ子供達に最も好まれた部類。

童話を基にした作品の数々にも色々な役割で登場する。善なる助力と悪なる妨害の二通りが基本。
「シンデレラ」、「オズの魔法使い」。


「魔女」(HAXAN)
製作:1921年 デンマーク・スウェーデン
監督:ベンヤミン・クリステンセン
出演:エリザベス・クリステンセン

古典映画。



ホラー映画の魔女
コメディやファンタジーならともかくホラー作品は殆ど記憶に残らないというものが多い。
一部の要素や存在として少しの出番で描かれるため理想とする姿まで至らない。
黒魔術を学生が使う「エコエコアザラク」や「ザ・クラフト」等は学生同士の対立で近代背景でのバトル。
古ぼけたイメージの魔女とは毛色が違う。

1977年の「サスペリア」
学生が通う学校の校長が何百年も生き続ける魔女だったという話。

1988年の「パンプキンヘッド」
魔女の力を借りてカボチャ畑の墓から骸を掘り起こし怪物を目覚めさせ我が子の復讐をする話。

1971年の「ドラキュラ 血のしたたり」
魔女狩りをし火あぶりの刑をしていた教徒達が悪魔の力で吸血鬼となった伯爵と戦う話。

1987年の「イーストウィックの魔女たち」
ホラーをコメディで包んだ風変わりな作品。


男の吸血鬼に女性が噛まれて手下となる。吸血鬼映画。
女性が悪魔に体を乗っ取られる。エクソシスト映画。
男の姿の悪魔、または崇拝者の催眠術で女性が手下になる。悪魔映画。
この3種類で魔物に組する者が魔法を使うというものはまず無いが同要素に捉える場合がある。
害をなす醜さと恐ろしさに通じている物を感じるからだ。


昔の知的障害者や痴呆症の人が魔女や鬼女の一部のモデルだろう。
未知の魔物や妖怪の確認においては昔は治療できない精神病の人が大勢いたという時代だろうから。


つづく・・・


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