誕  生
平成4年11月20日 午後4時29分
予定日を1日前にして、「羊水が濁ってきているから、帝王切開しましょう。」と言われ、明日生まなければならないと告げられた。明日は日赤病院から、週に1度帝王切開のための医師が来る日なのだ。普通分娩で生みたかった私は、帝王切開しなければならない理由に納得がいかず、普通分娩で生ませてくれと食い下がった。
今思えばその頃から、goriの人生は波乱含みだった。私は自然分娩で産むとココロに誓い、翌朝念力?自力?で陣痛をおこした。朝の検診で「あら、この調子なら自然で産めそうね」先生が言った。やった!! 陣痛促進剤を点滴すると、陣痛は強くなっていったが、中々子宮口が開かず、時間が過ぎ、人口破水させた。その時の得体の知れない激痛は出産の痛みに匹敵した。ゴツイはさみの様な物を持った先生の手が見えた。

朝から降っていた雨が、私の陣痛と足並みを揃えるかの様に、昼頃から激しくなり、窓ガラスを打ち付ける音が響いていた。
強い陣痛が来ているものの、中々降りてこないgori.。助産婦が私のおなかの上の胸骨のあたりをモーレツな力で押す。次の波で生むよ〜。先生の声がかかる。グニュールー頭を引っ張って出したらしい。
吸引分娩だった。gori はあごを上げていて、そこにへその緒がひっかかり、出て来られなかったらしい。回旋異常だそうだ。あかちゃんはみんな回りながら出てくるのだが、goriは回れなかったので吸引機でひっぱり出されたわけだ。

超難産の末(産みの苦しみというけど、生まれる苦しみもあると思う)goriは私の子宮からこの世に生きる場所を移した。私はあまりの疲労困憊からgoriがすぐに泣いたかどうか、よく覚えていない。がそのまま保育器に入れられ、私は病室に戻された。goriに初めて会ったのは翌日。感動の初対面、涙があふれ出た。

私のおっぱいの出が悪く、おっぱいを口にもって行くといやがって泣き、ミルクを出すまで泣き続ける子だった。しかたなく搾乳して、哺乳瓶であげていたが、早々に出なくなった。

1ヶ月検診特に問題なし

3ヶ月検診
うつ伏せにすると泣くなどの気がかりもあったが、特記すべきは進雑音。大学病院で精密検査をするように言われる。びっくりして、すぐに大学病院で検査したところ、心房中隔欠損症。動脈管開存。肺動脈弁狭窄症と初めて聞く病名をあげられ、すぐには覚えられなかった。体力がついてきたら手術します、それまで様子を見ていきましょう。・・・それから 大学病院の検査が始まった。

ベビーベットに寝ている時、いつも壁の方を向いていて、壁に映る太陽の光と影を見ていたような気がする。
斜頚だったからか斜視だったからかな 今思えば・・・

5ヶ月頃
運動面の発達の遅さが気になり始める。やっと首がしっかりしてきた。
すこしの間なら座っていられるようになる
だっこは大好きだったが、体をそっくり返して力が入っていて抱きにくい時も多々あった。
おとなしい時はおとなしく、泣く時は激しかった。それもなんで今泣くの?わけわからない

寝返りしない ハイハイしない 歩かない・・・・なぜ?????毎日が辛かった。可愛いとも思えなかった。周りの子供達みんなに追い越されていく。あせる あせる。いったいどうなってんの〜。病院に行っても「個人差ありますから」でかたずけられてしまう

1歳頃
運動面の発達の遅さに比べ、
言葉は普通で歩く前に2語文をしゃべっていた。「ダイエー行く」とか。目が悪かったためか、耳で音を聞くことに集中しやすかったのか、言葉を覚えるのは早かった。何かが絶対おかしいと思ったり、目が会ってニッコリなんて微笑まれると、おかしくなんてないって思い直す。そんな悶々とした日々を過ごしていた。