1歳半検診
忘れない1歳半検診。歩いてないのはgoriだけ。元気な子供達の中で、goriは私の背中のおんぶひもの中で、ずっとぐずっていた。この時
療育センターOTが受けられる事になった。私は保健婦さんに別室に案内され、北部療育センターのパンフレットを手渡され、これから受けるサービスについて説明された。福祉や障害とはまったく無縁に生きてきた私は、その時の状況を理解できずに、保健婦さんの話しはほとんど頭に入らなかった。ただ、自分が今まで経験した事のない不安に押しつぶされそうになり、それに耐えられるのか?涙が止まらなくなってしまった。

初めて行った福祉施設、玄関のところに横になっている男の子がいた。見慣れない光景に私は少し動揺してしまった・・・
その頃、goriは伝い歩きや手をつなげば歩けるようになっていたので、室内でもなるべくハイハイはさせないようにしていた。こんなに大きくなってハイハイなんて恥ずかしいからだ。そんな私の横をgoriよりも大きな、めがねをかけた男の子が、手で体を引きずりながら訓練室に入って行った。
この頃私はよく言葉を失ってしまった。。

3ヶ月ほど通って歩けるようになり、訓練は終了した。引越しも決まり、
北里大学病院の小児科に紹介状を書いてくださり、引越し後落ち着いてから受診したが、特に何と言う事もなかった。歩けるようになっていたし、言葉も話していたので「様子を見ましょう」で終わってしまった。

1歳8ヶ月
歩いた。やっと歩いた。歩いたぞー!! 7月10日goriが歩いたすぐ後、梅雨が明けた。
よく晴れた日、両腕でバランスをとりながら、スーパーの横の道を何度も往復していた。
きっと本人も嬉しかったんだろうなぁ?と思う。

早く遅れを取り戻そうと、私は必死になっていた。公園も通い、友達を作って、刺激与えて、頑張れ頑張れだ。しかし、砂場に座ればそこに座ったままになり、滑り台に上れば、怖くて降りて来られない。
ブランコはそっと揺らすだけ。友達の中には入って行けず、子供が来ると泣いて抱っこだった。
いったい何しきてんだよ〜〜〜こんなに頑張ってんのに、何なんだよ。
この頃言葉も増えたが、
手の不器用さも目立ってきた。

社会性を育てなければとほっぺんクラブに入るが、本人拒否で1ヶ月で止める事に。
懲りずに今度は
河合音楽教室に通う。音楽はとても好きだったので、こちらは最後まで、通いきる事が出来た。まあそれなりに大変だったけれど。集団に適応できない事を、発達が少し遅いからだと、自分を誤魔化して、真実を見れなかった精神的な弱さがある。

3歳検診
保健婦が子供にする簡単な発達検査には軽く合格してしまう、簡単すぎるし、物の名前を知っているか、それを口で答えられるか。ただそれだけで判断だ。私が何も言わなければ、問題なしで通過してしまうところだ。保健婦の「相談ある人こちらに。」の呼びかけ。
当然行く。話す。
様子をみましょう。終わる。
「先生にお話ある人。」の呼びかけ。当然行く。話す。運動面での問題、発達のアンバランス、情緒レベルの低さは感じた様だが、
診療機関の受診は進められず、やはり様子見ましょう。だったが保健所でやっていた。○○教室に参加しますか?と言われて参加したが、月2回で数ヶ月たった頃終わりになってしまった。又もgoriの療育的関わりは途切れてしまった。
その頃、思い切って先生にうちの子、何ですか?聞いてみた。先生はしばらく間をおき、しいて言うなら、
広汎性発達障害と言った。何それ?聞いた事ないよ。どうしたらよいの?当時は情報もなく、書店に行ってもどの本を見てよいのかも解らず、漠然とした響きでよくわからなかった。でも、この”よくわかんなさ”がgoriにぴったしなのだと後々に痛感した。

怒涛の質問攻め 繰り返しの質問はこだわりへ 
おしゃべりが出来るようになると、怒涛の質問攻めが始まった。すべてが“なんで”だった。そんなのあたりまえって事から、そんな難しい事解らないって事まで、本人の納得できる答えでなければ、いつまでも同じ質問をくリ返した。答えても、答えても終わらない。「なんでスプーンっていうの」みたい質問から、「なんでこいのぼりの一番上にひらひらしてるのがついているんだ。」みたいな そんなの普通気にしないだろう。だから普通じゃないんだけど。

看板も、店の名前も、ひとつひとつ立ち止まって、アレ何て書いてある?聞くのだから、全然前に進まないよ。気に入ったフレーズだったりすると、何回答えても「え」と言って、
何回も聞きたがった。そうなのだ。脳が聞きたがっていたんだ。そして、最初に言った同じ言い方でないと、駄目だった。これは、子供が好きな遊びを何度も繰り返して脳を刺激しているのと同じだったんだな。
この耳を刺激する遊びは、
同じ音、同じ声、同じ言い方、同じやりとり、同じ返事、などなど、生活のあらゆる場面に、こだわりとして現われ、本人も周りもへとへとに疲れ果てた。そして、程度は軽くなったが、現在も続いている。

目が悪かったgoriは、耳で情報を処理している事が多かった。
普通の人は情報の80%を視覚から取り入れている。百聞は一見にしかずとか、一目両全なんて言われているくらいだから、人の振り見てわが振り直せとか・・・・とにかく、
見る→動くって回路が脳に太く形成されているわけだけど、goriは、まず見る事に問題があった。物の名前を覚えるのは得意だったが、視覚の情報を認知し行動に繋げるところがうまくいかなかった。だからだろうと思うが、耳からの説明をよく求めた。それがしつこく聞くという行為になったんではないかと思う。

弱視としての見えにくさ、自閉のこだわり、ADHDの聞かずにいられない衝動性、運動障害、これらが重なった結果の表現。誰も理解してなかったと思う