淵野辺保育園

この1年はステキな1年だった。多分こんなに楽しい日々を送った事はなかったのでないだろうか?と思う。たった1年だったが、一生大事に出来る思い出ができた。友達ができた。この保育園には障害児の親の会があり、月1回の勉強会があった。私はここで始めて、障害児の親として、人前で自己紹介をした。人生にこんな事があるなんてあ リ え な い。と思う事が、ある。実際に誰におこるかわからないのだから。
まだまだ障害受容が出来ない私だったが、障害の事をどうどうと話せる場所、何でも話せる友達に出会えて少しココロが軽くなった。

保育園の入園式の次の日から顔面神経症がピタリと止まったのにはびっくりした。
goriも泣きわめく事も減り、笑顔も増えた。良い保母さんにも出会い、本当に楽しそうだった。

運動会ではとても落ち着いていて、幼稚園の時の様な混乱は全くなく、参加種目はとってもどうどうとしていて、且つ楽しそうだった。
特にダンスは自身に満ちていて、障害を感じさせなかった。環境によってこんなに左右されるんだなと実感した。この保育園の子供達は、物心ついたときから、障害児と接しているから、自分と違う物を受け入れる感性を、自然にみにつけているのだと思う。

goriは自分から関わる事は中々出来なかったが、クラスの一員である自分を理解していたと思うし、決してそこにいる事がイヤそうには見えなかった。
ずっと ずっとココにいたいよ。そう思った。
担任だった保母さんに園長にあの時の友達に感謝の気持ちでいっぱいだ。

卒園が近くなってくると、子供達の間でどこの小学校に行くかが話題になっていた。
保育園と同じ名前の淵野辺小学校に進む子供が多く、「ぼくも淵野辺小学校に行くよ。」とgoriも言っていたが、電車で通うほど家は遠く、もちろん学区外で現状では淵野辺小学校に通うことは不可能だった。

そうこうしている間に就学前検診の日が来た。もちろん学区の小学校に行ったわけだが、異様に緊張していてずっと冴えない顔をしていた。夜、布団に入ってから、goriがシクシクと泣き出した。どうしたのと聞くと、「ぼく、●●小学校に行ったら、一人ぼっちになっちゃうよ」今の環境が変わる。先の見通しがつかない不安で、きっと淵野辺って言葉にすがりつきたかったんだろうな。

その時、私の頭の中を高速で色々な思いがかけめぐり、決めた。淵野辺に引っ越そう。きっと私もgoriと同じココロの色をしていたんだ。淵野辺って合言葉。淵野辺って言葉の魔法に、今の現実から逃げた。
そして、学校の近くにアパートを借り、必要な物だけを持ってgoriと二人で引っ越した。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい・・・・。と自分を正当化した。

みぞれまじりの寒い寒い卒園式、goriは満面の笑みを浮かべて、皆様の前で「僕は淵野辺小学校へ行きます」と言った。その時は小学校がどんな所か、創造もつかなかったんだ。

私はすっごく弱虫で、運を天にまかせてしまった。