淵野辺小学校

入学式、不安と緊張でなかなか支度が終わらない。歩いて10分程度の距離だが気が重く、やっとたどりついた。入学式そのものは特に問題はなかったが、ずっと独り言を言っているので、かなり気になる。
最初は意味のない音を発していたが、幼稚園前ころから一人歌に変わり、言葉がしゃべれるようになると、独り言に変わった。入学式が終わった後、クラスの皆さんが帰られてから、担任の先生にgoriの事を話した。入学前には校長先生にお会いして、障害の事はお話しておいたので、当然ご存知だった。

校長先生には、切り替えが出来にくい事、弱視、運動障害の事などを話しておいたが、その時の反応は冷ややかだった。「あなたのお子さんだけを特別扱いする事は出来ませんから。」ときっぱり。解っているけどそんな言い方しなくても・・・。
でも、「みなさん○○しましょう」と言っても、自分もみなさんの中に入っている事が理解できないのか、周りの刺激と先生の声が混ざってしまって、先生の言っていることに集中できないのか、集団のなかでの支持はとても通りにくい。保育園の保母さんも、みんなに言った後、もう1回goriに同じ事を言ってくれていた。

学校って随分冷たい所なのね。とにかく、みんなと同じに出来なければならないわけで、そんなl事は出来ないわけで、うまくいくはずもなかった。

それでも、スタートしてしまったものは後戻りも出来ないし、流れに身を任す以外になかったが、goriの様子は日増しに暗くなっていき、なかなか支度も終わらず、「行きたくない」と思っているのは明らかだった。
私は動かないgoriをひっぱて、学校までの道を歩き、教室まで連れて行っていた。
1年生の教室はとてもにぎやかで、朝の会の前は先生もいないので「大騒ぎ」だった。
わけのわからない「大騒ぎ」の中に、なぜかgoriも入っていくのだ。そして、通年性の鼻炎と花粉でこの時期、goriの鼻は止まることなく、最悪の状態なのだが、それは他の子からすると「大騒ぎ」のネタの一つだった。
goriが行くと「鼻水攻撃だ逃げろ〜」とみんな逃げた。goriは笑いながらみんなを追いかけていた。それが毎日続いた。

このクラスの刺激を脳が処理出来ずに、自分で自分をまったくコントロール出来ず、刺激に体が反応して、そうなってしまうわけで、本位ではないのだ。
38人という集団の中で、大人の関わりなしで、自分をコントロールする事は無理だったんだ。やっぱり・・・・


しかし、学校の近くにアパートまで借りて、通い始めた学校。家賃を払うために働かなければならない。学校に行ってもらわなければ、働けない。goriが辛いのも解っていたが、私だって辛い辛い辛い。私はこの最悪の状況に耐えられず、よく切れて、怒鳴った。
そんなゴテゴテの毎日を何とか、やり過ごし1学期が終わり、夏休みに入って少し安定したが、予想どうり2学期はもう復活できなかった。

この頃から、うつ状態が本格化してきて、(親子ともに)goriは、毎朝4時頃起きて、「なんで学校行かなければならないの」と言って泣いた。この頃から私は夜眠れなくなってしまった。今は完全な不眠症だ。
まったく支度をしないgoriに「あんたが淵野辺小学校に行きたいっていたんでしょ」と言ってどなり、叩いた。
私は不安で押しつぶされそうだった。

私も限界だったが、goriも限界だったらしい。2学期が始まって数日たったある日、goriは教室のドアの前で動けなくなり、膝が抜ける様に崩れ落ち、座り込んだ。
どうする事も出来ず、ただそのままの状態でそこにいた。私の目には崩れ落ちるgoriの姿が何度も何度もスローモーションで写しだされた。
そのままどれ位の時間が過ぎただろうか?
もうダメだ。疲れた・・・もうヤダ・・・・もう・・・

私たちはしばらく学校を休んだ。
校長先生から、特殊学級への移動の話があり、そうする事にした。
1年の3学期から、特殊学級に通うことになった。