転 校

1月の冬休みの終わる頃、マンションに帰った。前日は遅くまで雪が降り、木造のアパートは芯から冷えた。夜中までカーテンを洗い、リサイクルショップに売る電化製品の汚れを落とした。goriは、もうマンションに帰っていて、私は数日1人でアパートに泊まった。考え始めると多分色々な思いで頭がいっぱいになってしまうから、ただひたすら何も考えず、夜中まで引越しの準備をした。

3学期から新しい学校。
あっというまに過ぎ、3年生になった。
新しいクラス、新しい面子 新しい先生、環境が代わった。

今度のクラスはADHDの子が中心で、比較的能力が高く、全員男子でけんかや暴力が頻繁におこった。先生にそれを止める力はなく、教室が荒れた。特に高学年の子の“ちょっかい”はgoriをすごく混乱させた。みんな最初は普通級で、途中から特殊学級に移ってきた子だ。それなりに辛い経験をし、ココロにくすぶりを抱えているように感じた。が、その中でもやっぱりgoriの情緒面は本当に幼く、不適応を起こし始めた。

夏休みが終わり、2学期になると教室にパソコンがおいてあった。
電源を入れればすぐに使えるようになっており、ソフトもいくつか並べてあった。
自己コントロールが苦手なこの子達の前に、いつでも使えるように置いてあるのだから、それも1台だけ。この後どんな展開になって行くかは創造できた。
思った通りトラブルは倍増した。みんなやりたくてしょうがない。課題も手につかないでパソコンに向かう。取り合いになる。手が出る。けんかになる。約束は守れない。めちゃくちゃだ。
それを楽しんでる子もいたが、goriの精神状態は最悪だった。

本当は気弱で優しい子だったが、この頃はひどかった。周りにいる子の髪の毛をひっぱったり、療育教室では、まったく先生の言う事を聞かず、よく暴れた。しまいに頬から血を流して帰ってきた。
引っかき傷はよくついていたが、この時の傷は深く、今も後が残っている。

不登校

2学期の終わり頃、血を流して帰ってきた次の日、「もう、ぼく、学校行かない」宣言された。
「行かなくて良いよ。」あっさりと私は答えた。休み始めた頃、「ぼくの後ろにだれかいる」「押入れの方から僕をみてる」などと言うようになり、かなりあせったが、「だれもいないよ。だれもみてないよ。」とそのつど答えてあげていたら、いつの間にか言わなくなったので、ほっとした。
goriの脳が沈静化するまでに1ヶ月位かかっただろうか。

突然怒りがわいてくるらしく、顔を真っ赤にして部屋の中をのた打ち回った。人の中に住んでいる怒りの魔物が突然暴れ出す。体はgoriだけど本当のgoriじゃない。またも私は全面受容の体制に入った。
今度は理由がはっきりしていたので、もう好きなだけパソコンをやらせた。学校にあったお気に入りのソフトを買ってきて渡した。(わざわざメーカーからとりよせた)1日中やっていた。朝早くおき、夜中まで・・・・。そんな日々が10日間くらい続いたが、だんだんパソコンをやる時間が短くなっていき、20日位たつとパソコンを触らない日も出てきた。ようやく落ち着いてきた。らしい・・・

その頃から、二人で毎日出かける様になった。
私も覚悟を決めて付き合った。1回外に出るといつ帰って来れるか解らない。かなりスリリング。
色んな所に行ったなぁ。江ノ島、水族館、大仏、谷川観音、小田原、ナンジャタウン、南大沢、ビナウオーク、本当に色々な駅で降りた。私にデジカメを撮る気持ちの余裕がなかったのが残念。写真が1枚もない。

そうしているうちに3学期が終わった。
さて、4年に進級するわけだが、goriは行く気はまったくなく、荷物をとりに学校に行っても昇降口から一歩も中に入らない。まあ、仕方ないか・・・・このまま不登校になっていく事は覚悟していた。