4年生平和な日々

とりあえず、学年は4年生になったわけだが、相変わらず私達は、学校には行かず、今まで通りの生活を続けて行くだろうと、思ってた4月のある日、学校から電話があった。担任が二人とも変わり、トラブルの元だったパソコンは片付けられ、暴力を振るう子は卒業&転校で3人いなくなった

新1年生の女の子や転校生も入り、クラスの雰囲気は一変した。その事をgoriに話し、もう大丈夫だから、行ってみない?と誘ってみた。が、「行っても見たいが不安で行けない」というので、抗不安薬を飲んで、登校することになった。数日間は私も学校にいたが、先生もgoriに気をかけてくれて、穏やかに包み込んでくれた。少々甘すぎる面もあったが、goriは安心してまた学校へ通えるようになった。
療育教室でも態度は一変し、よく課題にとりくんでいた。

この年は平和だった。抗不安薬を飲んでいたという事もあったが、すべての行事に落ち着いて参加していて、運動会の花笠音頭などは完璧だった。こんなに安心して見ていられたのは、今年が始めてだった。

先生も二人だったし、一人の先生はとても気が長くて、goriが気持ちを切り替えるのを待ってくれた。時間がかかる時もあったと思うが、体育の着替えや、給食当番などもきちんとやる事ができていたし、情緒が安定していたので、私はほっとして、ああこれでもう安心と思ったのだった。
もう、今までみたいな苦労はしないですむ・・・成長したな・・・大変だったな・・・・
この時10歳、10年って一区切りなんだな・・・などと思っていた。
次に来る高くて険しい山の事など、創造もしてなかった。

5年生 苦行
また先生が変わる。今度は子どもの人数も減ったので先生は一人になった。
この先生が厳しかった。またも環境が一変。こんなに環境に左右されるなんて・・・・

指導しすぎ、課題設定高すぎ、1分1秒無駄にしたくないといった感じで、次々やる事が提示される。そしてそれに絶対に従わせようとする。そして出来ない場合は切り捨てなのだ。そのところが変だ。支持に従えないから、ココにいるのだ。その子の事を考えたら、どうすればその子が指示に従い易いのか、考えて工夫するのが特殊教育ではないのか?一般社会のルールをただ押し付けてもうまくいかないに決まっている。

扱いの難しい子どもと関わる時は、やはり工夫が必要だと思う。まずは歩み寄り、妥協点を見出して子供との良い関係を作って行く。
それが、特殊教育に携わる教師のありかただと思う。

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特殊学級の子は情緒面のケアも必要なのに、そんな事は関係ないらしい。子供の気持ちはどうでも良くて、とにかくやる事をやる。やらない場合は怒ってやらせる。ぐいぐい引き上げる。こんな先生始めてだ。

確かに先生一人で大変で余裕がないかもしれないが、そういう問題だけでもない。先生の脳パターンとgoriの脳パターンがあまりにも合わない。
次々仕事をこなしていきたい先生はいらいら、一つの事をじっとやっていたいgoriはアップアップ。あまりに合わない・・・不幸なめぐり合わせとしか言葉がない。確かに、一生懸命に仕事をされていて、自分にも厳しくて、困難を乗り越えるのが大好きみたいだ。でも子供は、ご自分の達成感を味合うための道具ではない。

こういう厳しい指導についていける子は伸びるのかもしれないが、やりすぎだった。
切り替えが苦手なgoriには、多分地獄だったと思う。完全ギブアップだ。
それでも何とか1学期は耐えたらしいが、その溜まったストレスが夏休みに爆発した。大嵐だ。
何でこうなる?最悪の夏休みだった。1、.2歳レベルの情緒に戻ってしまったみたいだ。夏休みに入ると朝からずーとテレビを見て、「朝ごはんだからテレビもうやめて」と声をかけただけで怒って物を投げた。何事にもつっかてきて話にならない。
夏休みの宿題も山盛りで、それをやらせるのも大変だった。
この頃のgoriの顔には笑顔はなくて、悲壮感がただよっていた。

またまた全面受容の体制にはいった。
なんとか情緒が安定してくれるの願い、goriの激しい怒りを受け止めながら過ごした夏休みを終え、2学期になった。goriはもう先生の指導にはついていけない事を、完全に態度で表現し、全く何もしなくなり、廊下に転がっていた。私も夏休みの有様を話し「1学期のような厳しい指導は、しないでください。」と率直に告げると、先生は目を丸くして「何もしないでいいんですか!?」と言った。私の言っている意味がまったく解らなかったらしい。そうじゃなくて・・・・・
話しても理解出来ないらしい。と言うか、理解する気がないのか?

それからは悲惨だった。goriは学校には行くもののずっと廊下で寝ていた。先生が何か言っても全く聞かないので、先生もgoriの事は無視だ。完全にこじれてるが、どうにもならない。この頃からgoriは、たった一人で教室で給食を食べるようになった。
他の子達はみな、交流級で食べている。goriも一学期はそうしていたが、もう出来なくなった.。先生は低学年について交流級で食べているので、仕方ないのだそうだ。たまたま昼に教室の前を通ると、goriが本当にたった一人で給食を食べているのだ。びっくりした。なんで? 悲しかった。こんな事あってイイのか?先生に聞くと、しょうがないという言葉が帰って来た。しょうがないじゃすまないよ〜。1日中ほっとかれて、給食まで一人で食べて、何のために学校行ってるのかな〜?
校長先生に面談を申し込み、対策をお願いした。この校長先生がとっても良い方で、その日から校長先生が一緒に食べて下さるようになった。

先生が何か言うと、goriはいちいち先生に突っかかる。先生はそれに対応出来ない。それに関わっていたら、他の事が何も出来なくなってしまうし、多分、人の気持ちを考えたり、悩んだりする事が時間の無駄だと思っている。すっごく合理的に生きているし、とにかく自分で立てた予定は何があっても遂行するのだ。
自分の理解出来ない事は、理解不能のカテゴリーに分類され、そこには
手を触れない。それでも、関わらなければならない時は出てきてしまう、当たり前だけど、まあそんな時は、先生が腹をくくって時間を決めて付き合っていたが、終いには「もういい加減にして。うるさい。どうしてあなたはいつもそうなの。」と言葉を吐き捨て、その場から消えた。

気持ちはわかるが、障害児と関わる教師として自覚が足りないと思う。これでは仕事を放棄している。

そんな先生と、幼児のような精神状態のgori。
この年、goriは、何もしないで1年を過ごした。触らぬか神にタタリなし?ずーとほっとかれた。
ほおっておかれる事は、実際楽なんだ。何もしないで良いわけだから・・・でも、きっと辛かっただろうな。無視され続けるって。でも、もうどうにもならなかった。

先生が上手に子供との関係をとってくれない限り、goriのような感覚過敏な子が学校生活を有意義に過ごす事は難しい。

私は忙しく役員の仕事に振り回された。