5.靖国神社問題を考えてみる
2013/04/27




私が如き浅学の者がもの申せるような問題ではありませんが、いち国民として、意見を申したいと思います。もちろん賛否、話にもならん等いろいろあろうかと思いますが、それはお読み頂いた方(読まれた方がいればですが)の判断にお任せします。

2013年4月頃、安倍内閣の閣僚が靖国神社に参拝したとして、例によって中韓、野党が反発しているという状況です。

<安倍首相>「脅かしに屈せず」
靖国参拝で中韓反発に 安倍晋三首相は24日の参院予算委員会で、中国や韓国が閣僚の靖国神社参拝に反発していることについて「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由を確保している」と述べた。
「世界中で、祖国のために命を投げ出した人に政府が敬することを禁じる国はない」と答弁。古屋圭司国家公安委員長も「国会議員として、国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と強調した。

これは正論です。
どこの国でも国のために命を落とした兵士の霊に尊崇の念を表するのは当たり前です。そしてそのお国のために命を落とした兵士が隣国から見れば侵略者であることも、また良くあることです。しかしそれを一々気にしていては何もできません。これは国内問題である、他国からとやかく言われる筋合いはない。
その通りだと思います。
しかし、何か割り切れないものがあるのも確かです。
その割り切れない何かを、いち市井に生きる者として考えて見たいというのがこの文章の意図するところであります。


同日の朝鮮日報の記事にはこんな風に書いてありました。

■靖国神社
1869年に戦没者を「護国の神」として祭るため建立された神社。
第2次世界大戦時に日本の若者が「靖国で会おう」と言って戦場に向かった軍国主義の象徴。
1978年には東条英機をはじめとする太平洋戦争のA級戦犯14人が合祀され、極右政治家の参拝が始まった。

靖国神社を語る時、A級戦犯の合祀問題は避けて通れない問題です。それが問題の根幹である、とも言われています。しかし本当にそれだけが問題なのか?という疑問もあります。
もしA級戦犯が分祀されたとして(それはそれでなかなか大変らしいですが)、その靖国神社に首相、閣僚が参拝したらどうなるか。おそらく何も変わらないでしょう。靖国神社は彼らにとって「た軍国主義の象徴」なので、そこにだれが祀ってあろうと靖国神社が靖国神社である限り、あまり関係無いと思われます。
「A級戦犯を分祀しても何も変わらないのであれば、日本としては手の打ちようがないではないか」そして「国内問題なのだから、外国からイチャモンを言われる筋合いはない」という結果になってしまいます。
そしてゴタゴタは永久に解決しない。
私の問題意識は、その点にあります。「ゴタゴタは永久に解決しない」で本当に良いのでしょうか?


靖国神社(元々は東京招魂社)が建立された1869年というのは明治2年ですが、明治元年は新暦改正のために9月8日〜11月18日しかないので実質明治初年であり、戊辰戦争が終わった直後になります。元々は戊辰戦争で死んだ官軍の兵士を祀るための神社でした。明治天皇の勅願によって建立されたことになっていますが、おそらくは薩長土の生き残りが死んでいった仲間のために発案したものだと思います。(言い出したのは大村益次郎(長州)らしい)。
この時点では帝国主義的な侵略戦争とはまだ無縁の、内乱で死んで行った志士の鎮魂のための施設であったということです。
天皇(≒維新政府)が自分のために命を落としたものを祀るというのがその原点なので、明治の元勲であっても最終的に畳の上で死んだ人や、西郷隆盛のように賊軍になった人は祀られていません。
安倍ちゃんを始め、保守系議員さんが良く言う「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。」というのは、この本来の靖国神社のことを言っています。

ちなみにアメリカには同様の施設として「無名戦士の墓」というものがアーリントン国立墓地の中にありますが、靖国神社との最大の違いは、「無名戦士の墓は各戦役で名前のわからない戦没戦士の遺体を一体だけ選び、その遺体を全無名戦士の遺体の代表として祀っている。(wikipedia)」ということで、個別の兵士の名前を確認して登録しているわけではなく、不特定多数をまとめているため、その中のあの人がどうのこうのということにはなりません。
おそらくはゴタゴタが絶えないヨーロッパ民族の知恵のようなものなんだろうと思います。

昭和10年頃から日本は軍国化してきて、特に太平洋戦争が始まるとお国のために死ぬのが当然という状況になったので、『「靖国で会おう」と言って戦場に向かった』というようなことになります。ただこのフレーズは日本人なら理解できますが、必ずしも靖国神社を賛美しているものでも、軍国主義の象徴として捉えているわけでもなく、単に「オレもお前も死ぬんだ」ということを遠まわし言っているに過ぎません。

そして最大の問題がA級戦犯合祀問題です。
朝鮮日報ではこれによって「極右政治家の参拝が始まった。」と書いてありますが、これは正確ではないでしょう。A級戦犯を賛美するためだけにあそこに行ってる人がいるとは思えない。
逆に合祀以降、昭和天皇は一度も靖国神社を参拝されていません。現天皇も同様です。タテマエ上、天皇のために命を落とした者を祀る為の施設なのに、天皇が参拝しないのでは何のために存在しているのかわからない。それくらい昭和天皇はこの合祀に批判的でした。

この合祀を強行したのは松平永芳宮司です(越前藩主松平春嶽公の孫)。その前の筑波藤麿宮司は拒否していたらしい。
昭和天皇が特に名指しで批判されたのは松岡洋右外務大臣と白鳥敏夫元駐イタリア大使の合祀でした。そもそもこの二人は軍人ではないし、病死であって戦死ではないので本来なら合祀対象にはなりません。それを強行してしまったことに問題の発端があります。

当時の状況はこんなことだった様です。
厚生省におかれた復員局が戦死者の判定を行い、戦死者の名簿を靖国神社に廻して合祀の手続きを行っていた。
この厚生省復員局は厚生省と言いながら元軍人の巣窟で、中には東條の子分もいた。
それら旧軍人がA級戦犯も「戦死者」として靖国神社に廻していた。
当初靖国の宮司である筑波藤麿は拒否していたが、松平永芳に変わったとたん、受理してしまった。

いわゆる”A級戦犯”14柱の合祀についての松平の考えは、「国際法的に認められない東京裁判で戦犯とされ処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているから、合祀するのに何の不都合もない。むしろ祀らなければ、靖国神社は僭越にも祭神の人物評価を行って祀ったり祀らなかったりするのか、となる」であった。故に靖国神社の記録では、戦犯とか法務死亡と云う言葉を一切使わないで、「昭和殉難者」とすべし、という「宮司通達」を出し、これを徹底させた。 (wikipedia)」ですが、松平宮司の書いた文章によると、サンフランシスコ講和条約締結(1952年4月28日 発効)までは交戦状態であり、それ以前に敵国によって殺された軍人は戦死とみなすべきだ、という主張だった様です。
しかしこれは詭弁です。もし1952年まで「交戦状態」だったとすると、終戦から7年間の間に連合国のために働いたものは(GHQ現地職員や東京裁判で証言した者など)は「利敵行為」を働いた事になりスパイとして処刑しなければならなくなる。また進駐軍に殺された人も戦死者として祀らなければならなくなる、という矛盾が生じてしまいます。常識的には戦艦ミズーリ上で降伏文書の調印が行われた9月2日(8月15日ではない)をもって交戦状態は終わったと見なすべきです。
東京裁判についてもいろいろ議論はありますが、「国際法的に認められない」とまで言ってしまうとそれは言い過ぎで、国内法で裁かれたわけではない(ので日本国の犯罪者ではない)という程度でしょう。
松平宮司の主張を認め、刑死した7人は「戦死」扱いとしたとしても、病死だった7人の合祀は根拠が無い。それを認めるなら同じく戦後病死した石原完爾も合祀されなければならなくなる等、いろいろ矛盾が出てきます。おそらく保守系の方も合理的な説明は出来ないと思われます。


韓国、中国が反発しているのはまさにこの点で、「軍国主義を先導した者を神として崇めるということは、軍国主義を復活させようとしているに違いない」ということになります。
ホンネの部分ではそう言う面もあるんでしょう。遺族会が自民党の票田になっているので敵に廻せないという事情もあるようです。
しかし、この部分については日本人として弁護する必要があります。
「神」というものの概念がキリスト教徒と違うのは明白ですが、中・韓とも異なっていることも、問題をややこしくしている原因です。日本以外で「神として崇める」というのは、その対象の主張(ここでは軍国主義的主張)をそのまま受入れ実践するという意味になってしまいますが、日本においては必ずしもそうではない。
例えば平将門は神田明神に神として祀られていますが、彼は関東の地で自ら天皇を自称し、朝廷を転覆させようとした謀反人です。しかし神田明神に参拝する人が政府転覆を祈念しているわけではありません。日本では無念のうちに死んだ人は、怨霊となって現世に災いをもたらすと考えられていました。その無念が強ければ強いほど強力な怨霊になると考えられていました。それを日本神道(という名称も無い原始的な宗教意識でしたが)では祓い清め、同情し、功績を褒め称え、機嫌を直してもらって荒ぶる魂を鎮めるという方法を取ります。
その最初の例が大国主命です。おそらく大和族は出雲族から国土を簒奪したのだと思いますが、その首長の活躍を神話の中で褒め称え、出雲の地に日本最大の神殿を建ててその偉業を称えるという手法を取っています。
そうすることによって荒ぶる魂(荒魂:あらたま)は鎮められ和魂(にぎたま)となって現世に利益をもたらす存在となります。神田明神で拝んでいるのは和魂となった平将門であり、生前の平将門(およびその主張)を尊敬しているわけではありません。
これは日本独自の宗教観です。
中国や韓国で政権に楯突いた謀反人を「神として崇める」などということはあり得ません。謀反人は墓を暴いて死体をさらすということが当然の報いとなっています。だからこの日本式の鎮魂は理解できない。また日本側も適切な説明をしていないように思います。

実は説明できない(したくない)、というのが正解かもしれない。
A級戦犯合祀の経緯でみたように、靖国神社の背景には日本を軍国化しようとする勢力がいます。もし靖国の御魂は「和魂である」とすると、これらの人々には都合が悪いことになってしまいうわけです。
彼らは日本人に対しても「東條とは言っても死んだ者は既に和魂となっているのだよ」とゴマ化しているように思います。そして「お国に尊い命を捧げた若者を尊敬しているだけであって、特定の個人を賛美しているわけではない。」というようなすり替えをします。

じゃあいろいろ問題のあるA級戦犯だけを外せるかというと、これもなかなか難しいらしい。というのも、神様を認定する手続きというものがそもそも明確ではなく、また一旦神様にしてしまったものを除外する手続きも無いので、外すに外せない状態になっています。また靖国神社そのものが戦後は独立宗教法人になってしまったので、政府や司法から命令することもできない。そんなことをすれば宗教弾圧になってしまう。つまり外したくても外せないという状況です。
実際にキリスト教徒や台湾、韓国の兵士の遺族から合祀を辞めて欲しいという訴えが出されたこともありますが、裁判所は否決しています。宗教上の問題なので司法は手を出せないということです。


また靖国神社付属の博物館である遊就館もブツギをかもしている施設です、
本来は戦没者の遺物などを展示するものだった様ですが、特攻兵器やらなんやら物騒なものを展示するから話しがややこしくなる。そして展示品の説明のトーンが「日本は戦争に心ならずも引き込まれてしまった」「日本兵士の犠牲の上に東南アジアの各国の独立がある」というものです。中国の「南京大虐殺紀念館」を嗤えない。
このあたりにも松平宮司らの意図を見ることができます。


千鳥ケ淵戦没者墓苑を「無名戦士の墓」のような戦没者慰霊施設に改装する案もあるようです。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は海外で収集した遺骨のうち引き取り手の無いものを収めている納骨堂です。こちらは管轄が厚生省と環境省であり、宗教色は無く、実際どのような宗教宗派の慰霊であっても受け入れている様です。
しかし大多数の戦没者が「靖国で会おう」と言って死んでいったのも確かで、その遺志を無にして良いかという議論もあります。中途半端に遺骨が集まってしまっているので、明らかにここに遺骨の無い人にとってそこが故人を偲ぶ場所となりえるかという問題もあります。
また千鳥ケ淵戦没者墓苑設立時に厚生省側も靖国神社の地位を脅かすようなものではない、ということを明言しています(させられた、というべきか)。
氏子総代にあたる千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会のかつての会長が故瀬島龍三氏(2007年に死去)でした。かつての陸軍参謀です。山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公のモデルであり、戦後、シベリア抑留で苦労されていますが、しかしそれでも参謀本部の無謀な作戦で無念のうちに死んでいった(7割が餓死、病死といわれている)人々がそれで納得できるのかという感じもします。


こんな状態で閣僚が靖国神社に参拝するたびに中韓からあーだこーだ言ってくるという状況が続いています。


靖国神社をどうすべきか、という問題を考える時、そもそも靖国神社とは何であったか、ということを思い起こさなければならないと思います。
天皇が自分のために命を落としたものを慰霊するとともに、遺族の母や妻が故人を偲んで、ここに息子(夫)が祀られているということを確認する静かな空間であるべきです。遺骨も遺品も戻ってこなかった遺族にとっては靖国神社だけが故人を偲ぶ場所になっているわけです。靖国神社とはそういう一次的な関係者のための空間であるべきです。
理由はどうあれそこに政治的なパフォーマンスを持ち込むこと自体が間違ってる。
「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。」という保守系議員の言い分はその通りだと思いますが、それによって戦没者や遺族の平穏な空間を奪って良いとは思えない。手続き論がどうあれ、天皇が拝礼できないような合祀は間違っている。 中国や韓国からの誹謗によって遺族が心苦しい思いをするようなことになるなら、議員、閣僚の参拝などするべきではない。
これは靖国神社の存在意義の問題だと思います。
聞くところによると8月15日になると軍歌をかけながら特攻服を着たバカが大挙して押し寄せてる様ですが、むしろ「ここはそのようなバカ騒ぎをする所ではない!」と大喝するのが本来の保守政治家ってものではあるまいか。

現在の靖国神社の問題はこの原点を無視して、つまらん理念を一方的に押しつけていることにあると断ずるものであります。


そして、この問題の奥に、もう一つの重大な問題があると思っています。
それは国民と国家の信頼関係です。
日本のような事実上単一民族で、しかもイギリスのように征服王朝による国家でも無い民族国家であるにも関わらず、国民と国家の間の信頼関係が無い。
近代国家は市民革命において国家と国民が契約を交わすことによって(ジャン=ジャック・ルソー 社会契約説)民族国家(Nation)から近代国家(State)に生まれ変わると言われています。しかし、日本における明治維新は市民革命としては中途半端で、支配者階級である武士の権力闘争と言うべきものでしかない。大多数の国民(多くは農民であった)は支配者が藩主から天皇(とその配下の役人)に変わったというものでしかない。
その上、税を現金で納めろとか、兵役義務が生じるといった災厄のみが生じた。
その不信感をぬぐわないまま来てしまったのではないだろうか。国家は国民に義務のみを要求し、国家が国民に負った義務がないがしろにしているのではないか、という疑念がぬぐいきれないのである。
しかし日本において反革命が起こらなかったのは、天皇と国民の信頼感はあった、という一点によると思う。
国家は国民を騙して侵略戦争に狩り出し、そしてその後始末(死者を静かに慰霊すること)もせずにきれい事で丸め込もうとしている。
日本から見る靖国神社とは、そんな日本国の有り様もあるように思う。



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