13.クルマという文化
2025/07/04




『トヨタイムズ』2025年6月11日付の記事からモリゾウ会長こと豊田章男新会長の就任あいさつを引用したものだそうです。
元の記事はここを参照
概ね趣旨としてはこういうことかと思います。

例えばドイツにおいて、自動車は経済の象徴であると同時に民族の誇りともされる。メルセデス・ベンツやBMWは単なる企業ブランドではなく、国家の技術力と職人精神の結晶として語られる。そして、速度無制限のアウトバーンを自由に走ることそのものが生活の一部であり、文化的実践となっている。

ひるがえって日本ではどうか。たしかに技術の粋を集めた車両群が世界で高く評価されている一方で、日本国内においてそれらが文化として語られる場面は少ない。ここにあるのは、工業製品としての価値と、誇らしさの乖離である。

日本にもドイツのようなクルマ文化を根付かせたいとモリゾウ会長はおっしゃっておられる様です。
たしかにヨーロッパにおいてはクルマ文化というものが根付いているように思います。F1などでも老若男女がモータースポーツを愛する様子がうかがえます。ひるがえって日本では、フジテレビがF1中継と行うと言えば、一過性の流行で浮かれた若者だけが飛びつき、しばらくしたら潮が引くように消えていく。そんな軽佻浮薄なところがあります
クルマやバイクが好き、という人々も、ともすると(暴)とか、爆音(オーディオ)を鳴らしながら走ってるヤツとか、痛車とか、底の浅い表面だけのクルマ文化になってしまっています。
(ドイツにもVWで爆走するヤツがいるのかもしれませんが)

この差がどこから来るのかというと、クルマ産業の成り立ちの差でしょうね。
ヨーロッパ(特にイタリア)でクルマを作り始めたのは、高級馬車メーカーだったカロッツェリアで、クルマ文化の中には中世以来の馬車文化が継承されています。カブリオレ、クーペ、ワゴンといった馬車の種別はクルマの種別に引き継がれています。
高級車のインパネにローズウッドを使うというのも、馬車文化から引き継いだものではないかと思います。
そして少しでも速く走るために工夫をし、レースで鍛えてきたわけです。
イギリスではカーマニアのことを「オイリー ボーイ(Oily Boy)」と呼ぶらしいですが、王侯貴族の子弟でも、手を真っ黒にしてエンジンをいじる様な人がいた様です。その代表格がヘスケス男爵ですかね。ヘスケス男爵はF1チームを作り、さらにはバイクメーカーまで作ってしまいました。
良いクルマを作ることに関して、先例がないので、自分たちで考えて試すしかない。そうして生産されたクルマは、単なる「輸送機械」ではなく工芸作品のようなものになったと思います。
そしてそれを作ったり、乗ったりする人にも芸術家とは言わないまでも、工芸家としての資質が求められたと思います。
そういう文化的土壌の上に、現在のヨーロッパのクルマ文化があります。

一方我が国はどうかというと、クルマというものは既に存在していたので、それをいかに早く、いかに安く作るかということがクルマ作りの原点にあります。そして生産されたクルマやバイクは、遊びのためではなく、まずは生活の足として受容されました。
典型的な例がメグロ オートトラックですかね。S-8をベースに、リアタイヤを小径幅広にして、でっかい荷台を付けた働くバイクです。
そうして、こういう実用車に求められたのは「壊れないこと」でした。
そして誰にでも乗れること。ホンダ スーパーカブがマニュアルクラッチを無くして自動遠心クラッチにしたのも、誰にでも乗れるための工夫だったと思います。
これが日本車の原点ではないでしょうか。それは高級馬車のような華やかさはありませんが、実用品としては十分でした。
そういう日本的風土が生み出した、日本車らしい日本車は軽トラと47万円の赤いアルトだったと思います。
ヨーロッパ的派手さは無いですが、結局、それが世界を席巻しているのではないかと思います。

ではアメリカはどうだったか。
おそらくアメリカ車が目指していたものは日本車と同じだったのではないかと思います。
しかし、どこかで道を間違えて「千と千尋」の親のようにガソリンをがぶ飲みして肥え太り、高血圧と糖尿病で死にかけているのではないかと思うわけです。



previous menu next

copyright (c)sasaki yasuyuki 2025