【メンフィス・ベル】
製作年 1990年、米
監督  マイケル・ケイトン=ジョーンズ
出演  マシュー・モディーン ビリー・ゼイン ショーン・アスティン
【あらすじ】
 1943年夏、ナチス・ドイツの軍事拠点への昼間爆撃を敢行していたB−17爆撃機の編隊の内メンフィス・ベルはあと1回の出撃で帰国が許されることになっていた。クルーは、真面目な機長で操縦士のデニス(マシュー・モディーン)、医学校出身というふれこみの爆撃手のヴァル(ビリー・ゼイン)、女たらしを自称する旋回銃座のラスカル(ショーン・アスティン)など10人。広報大佐は彼らを戦意高揚の宣伝に利用しようと写真を撮ったして浮かれ騒ぐが、基地指令は他の機の搭乗員の気持ちを察し特別扱いすることに難色を示していた。出撃前夜、ダンスパーティーが開かれるが、翌日の出撃を控えクルーたちの心は様々に揺れ動いた。当日、攻撃目標は危険が多いドイツ本土の飛行機工場だと知ってクルーたちは不安を隠せない。飛び立ちドイツが近づくと早速、敵の戦闘機が襲ってきて友軍機が撃ち落とされていく。隣を飛んでいた新人たちや先頭機もやられてしまった。そのためメンフィス・ベルが編隊の指揮を執ることになるが、攻撃目標は煙幕がかかっていて爆弾を投下できない。再度試みてやっと爆弾を投下するが、直後に敵機が襲ってきて無線士のダニーが負傷し、被弾したエンジンが火を噴いた。急降下して火を消すが、ダニーの様態が思わしくなく、ヴァルは落下傘で地上に落とすことを主張する。しかし、全員での帰還を望む声に押され思いとどまる。いよいよ、基地への着陸が迫るが車輪が片方しか出ず、あわてて手動でもう一方を出し、なんとか無事に着陸でき、最後のミッションを終えた。
【解説】
 「ローマの休日」(53年)や「ベンハー」(59年)の監督ウィリアム・ワイラーは大戦中陸軍少佐として従軍し、実在したメンフィス・ベルの爆撃行に同行してドキュメンタリー映画を撮っている。本作品のプロデューサーで元コロンビア映画副社長のキャサリン・ワイラーは娘にあたり、バブル期真っ最中だったこともあり日本のフジサンケイグループも出資している。
 機長役マシュー・モディーンは「カットスロート・アイランド」、爆撃手役ビリー・ゼインは「タイタニック」と本書でも紹介している作品などに出演し活躍しているが、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのサム役で注目を浴びた旋回銃手役ショーン・アスティンは、父親がTVシリーズ「アダムズ・ファミリー」のゴメス役のジョン・アスティン、母親が「奇跡の人」(62年)でヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークと芸能一家出身で7歳で子役デビューしている。
 ボーイングB−17フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)は、コンソリデーテッドB−24リベレーターと共に欧州戦線に投入された重爆撃機で、初飛行は1935年と航空機の発達が速かったこの時期としては古い部類に属する航空機だった。しかし、世界初となる排気タービン過給器(ターボ・スーパーチャージャー)や頑強な機体構造など高々度からの戦略爆撃に適していたため終戦まで使われ、連合軍の勝利に大いに貢献した。
 英軍が広域夜間爆撃を行い、米軍は精密昼間爆撃を行っていたが、航続距離が短い護衛戦闘機はドイツ上空まで同行できなかったので最初の頃は未帰還機も多かった。しかし、武装・防弾を強化したF型(メンフィス・ベルはこの型)が投入され、さらに航続距離が長い戦闘機P−47サンダーボルトが護衛に同行するようになると被害は減ったが、ドイツ本土の爆撃となると話は別で膨大な数の対空砲で厚い防空網が敷かれていたため、時には1回の出撃で100機を越す未帰還機(不時着を含む)が出て一時的に攻撃を中止しなければならないほどだった。そのため、米軍はさらに武装を強化し死角がないように機銃を配置したG型を登場させ、傑作戦闘機P−51マスタングを護衛に当てた。これにより損害が減ったたため帰国の権利を得る出撃回数は25回から35回に引き上げられ帰国間近だったクルーをがっかりさせている。
 精密爆撃を可能にしたのがノルデン照準器で、爆撃行程に入ると機の操縦は操縦士から爆撃手に移り、照準器越しに見える攻撃目標に機をコントロールし爆弾を投下した。このノルデン照準器は米軍の最高機密で、不時着する場合は破壊するか投棄することが義務づけられていた。B−29のように与圧室はなかったため、クルーは高々度での低酸素低温対策として酸素マスクと電熱線の入った防寒具を着用していた。
 メンフィス・ベルのクルーは帰国後、愛機でもあるメンフィス・ベルで全米を巡業し戦時国債購入のキャンペーンをおこなっている。メンフィス・ベルは現在も愛称の由来(機長のガールフレンドの出身地)となったテネシー州メンフィスに展示保存されている。(撮影に使われたのは別機)