【タイタニック】
製作年 1997年、米
監督  ジェームズ・キャメロン → アビス トゥルー・ライズ
出演  レオナルド・デカプリオ ケイト・ウィンスレット ビル・パクストン
【あらすじ】
 1912年に沈没したタイタニック号を探索していたラベット(ビル・パクストン)は、引き揚げた金庫に”碧洋のハート”といわれるダイヤが入っていなかったためがっかりする。しかし、金庫のスケッチブックに描かれていた女性だと名乗る老女が彼の元を訪れ真相を話し始めた。
 サウサンプトン港から処女航海に旅立ったタイタニック号の1等船客ローズ(ケイト・ウィンスレット)は気の進まない結婚を押しつけられ投身自殺を図る。しかし、3等船客のジャック(レオナルド・デカプリオ)の説得で思いとどまり、ボヘミアンな生き方を貫くジャックに惹かれていく。ジャックはローズを救ったお礼に晩餐会に招待されるが馴染まず、食事がお開きになるとローズを伴って3等船室でダンスに興じた。ローズの行いをフィアンセのキャルは咎めるが、2人の恋は燃え上がるいっぽうで、ローズはジャックに裸婦像を描いてもらい、ついに結ばれるに至った。
 一方、タイタニック号の見張員は前方に氷山を発見し、操舵室に連絡するが回避できず船腹が切り裂かれ浸水し始めた。設計技師のアンドリュースは沈没は免れないとしてスミス船長に乗客の緊急避難を進言したが、乗客の大半はタイタニック号が沈むことに半信半疑だった。
 ジャックは、キャルの策謀でダイヤ窃盗の濡れ衣を着せられ連行された。そんなジャックを気丈なローズは救出するが、タイタニック号は大勢の人々を巻き込みながら沈没する。凍える海に投げ出されたジャックは、ローズに「強く生きてくれ」と言い残し海中に没した。
【解説】
 歴代興行成績を塗り替え、アカデミー賞でも作品賞を始め11部門でオスカーを獲得した超大作は、完璧主義者キャメロン監督のこだわりもあって製作費も2億ドルと桁違いだった。
 キャメロン監督は、自らロシアの深海探査船をチャーターし3773mの深海に眠るタイタニック号を撮影している。撮影にあっては「アビス」と同様、実弟のマイク・キャメロンと共に新器材の開発もおこなっている。本作品のために新しくメキシコのバハ・カリフォルニアに専用スタジオが作られ、300mのプールにタイタニック号の90%の大きさのレプリカが浮かべられた。このレプリカは経費節約のため右舷側だけしか建造されなかったが、船は左舷側を接岸するのが常識であるためサウサンプトン港を出港する時のシーンは、出演者の衣装を左右逆にしたり看板の文字を反対に書いたりして右舷側で撮影し、フィルムを左右逆転して違和感無い出港シーンに仕上げてある。
 タイタニック号は、ホワイト・スター・ライン社がライバルのキュナード社に対抗するため世界最大・最高の設備を誇る豪華客船として建造した3隻の内の2番目の船である。船体は15の防水隔壁で仕切られていたため”不沈船”ともてはやされていた。機関は蒸気レシプロと低圧タービンを組み合わせた珍しい作りをしていたが、メカ好きのキャメロン監督らしく映画の中でも巨大なピストンが回転や逆転する様がダイナミックに描写されている。燃料は石炭だったが、出航時から自然燃焼を起こしており冷たい海水と内部の火災に挟まれた船体鋼板は脆くなっていたとも言われている。4本目の煙突はダミーでボイラーとはつながっていなかった。当時は煙突の数が多いほどスピードが出ると信じられていたためで、多くの豪華客船が同様なダミー煙突を付けていた。
 船と運命を共にした楽団や自殺するマードック一等航海士、キャシー・ベイツ演ずる”不沈のモリー・ブラウン”などは実在の人物だが、ジャックとローズは架空の人物である。ただ、カナダのハリファックスにある遭難者の墓地にJ・ドーソンと記された墓があり、映画が公開されると多くの人が供花しに訪れたが、この人物は火夫だったことが判明している。唯一の日本人乗客としてミュージシャン細野晴臣氏の祖父にあたる細野正文氏が2等船客として乗船していたが無事生還している。
 救命ボートの数は不足していたのは確かだが、救命胴衣は全員分そろっていた。しかし、海水の温度は4月にもかかわらず零度に近く遭難者の大半の死因は溺死ではなく凍死によるものだった。沈没から2時間後にはキュナード社のカルパチア号が救助に到着したので、暖かい海だったならこれほど多くの人が亡くなることはなかったはずである。
 タイタニック号は、20世紀に建造された豪華客船の内で最も寿命が短かったが、たびたび出版や映画などで取り上げられたため、最も長く人々の記憶に残ることになったのは皮肉なことである。なお、平和時における最大の海難事故は、1987年フィリピンのフェリーがタンカーと衝突して沈没し4317人が亡くなった事故だがほとんど知られていない。これも悲劇といえよう。