![]() |
【キャノンボール】 製作年 1981年、米 監督 ハル・ニーダム 出演 バート・レイノルズ ジャッキー・チェン ロジャー・ムーア |
【あらすじ】 コネチカットからカルフォルニアまでの5000qを走破する”キャノンボール”は、制限速度無視、使用自動車制限無しの無許可レース。救急車の運転手になりすましたJ.J(バート・レイノルズ)と相棒のビクターは医者と患者の確保に奔走する。牧師に扮した白人と黒人のコンビは赤いフェラーリに乗り込んだ。伊達男のシーモア(ロジャー・ムーア)はジェームズ・ボンド気取りで秘密兵器を満載したボンド・カーで参加した。ハイテクカーを持ち込んだ日本のスバルチーム。ジャンプスーツに身を包んだ美女2人が運転するランボルギーニ。ロールス・ロイスで参加したアラブの石油王など大勢の参加者が集まり、深夜にレースの幕が切って落とされた。当然、警察当局も黙っているはずはなく、レース参加者の取締に全力が傾けられた。 J.Jらは怪しい医者と強奪した美女を救急車に乗せ、パトカーに止められても医者の機転で難を逃れた。ランボルギーニの美女チームも何度もパトカーに止められたが、お色気を振りまいて見逃してもらった。シーモアはしつこく食らいつくパトカーをボンド・カーの秘密兵器で撃退した。ハイテク装備のスバルには赤外線暗視装置が付いており、夜間になってもハイスピードで飛ばすことが出来た。牧師チームに呼び止められたJ.Jの救急車は、隙を見てパンクさせられてしまった。一同の差はたいしてなく、そろって渋滞に捕まっていたら何十台ものバイク野郎との間で大乱闘になった。カルフォルニアが近づくと激しいデッドヒートとなり、最後は足での勝負になった。 |
【解説】 監督のハル・ニーダムはスタントマンの出身で、本ホームページでも紹介している「翼よ!あれが巴里の灯だ」や「グレート・レース」など多数の映画でスタントをこなしていた。初監督作品は「トランザム7000」(77年)で、本作品の主演バート・レイノルズと組んだトラック・カーアクションものである。自らの経験を生かして監督した「グレート・スタントマン」(77年)でもバート・レイノルズが主演を演じている。この当時マネー・メイキング・スターのトップの座に輝いていたバート・レイノルズはインディアンの血を引いており、学生時代はフットボールの花形選手だった。80年代以降は主演作も減ったが、ポルノ監督に扮した「ブギーナイツ」(97年)では多くの映画賞に輝き、久々にカーアクションに出演した「ドリブン」(2001年)ではチーム・オーナー役を演じている。 驚くべき事にこのレースは実際にも行われており、1971年に第1回の大会が行われた。レースの考案者は本作品の脚本を書いたブロック・イエーツで、この大会でフェラーリ・デイトナで優勝したのも彼である。レースは2年ごとに行われ、1979年の5回大会には監督のハル・ニーダムもロケ・ハンティングのため映画と同じように救急車で参加している。本作品とほぼ同じ出演者で続編の「キャノンボール2」(83年)も作られ、キャストが一新された「キャノンボール/新しき挑戦者たち」(89年)にはカール・ルイスやブルック・シールズが特別出演している。 数多くの車が登場するが、ロジャー・ムーアが初代ボンドカーのアストン・マーチンDB5に乗って能なしのスパイを演じているのには笑わせてくれる。「ミスター・ブー」(76年)のマイケル・ホイとこの当時アメリカではまったく無名だったジャッキー・チェンが乗るスバルレーオネ・4WDは、4輪駆動にこだわる富士重工が1972年に国内初の乗用タイプ4WDとして発売を開始した車である。他にもフェラーリ308GTBやロールス・ロイスなども登場するが、やはり冒頭シーンに颯爽と現れるランボルギーニ・カウンタックの存在感が他を圧倒している。 ランボルギーニ社はトラクターメーカーの社長だったフェルッチオ・ランボルギーニによって設立された。フェルッチオはフェラーリのユーザーでもあったが、故障したフェラーリを修理しようとパーツを発注したところ自社でも使用している部品に10倍の値段が付けられていた。フェラーリ側に不満をぶつけるが相手にされず、憤慨したフェルッチオは自社でスポーツカーを生産することにした。1964年に第1号車として350GTが売り出され、1967年に投入したミッドシップカーのミウラが人々の関心を集めスポーツカー・メーカーとして認識されるようになった。1974年に登場したカウンタックは、70年代後半に日本で社会現象にまでなったスーパーカー・ブームの火付け役ともなった。すでに初登場から30年近くがたち21世紀を迎えているが、その先進的なフォルムはまったく褪せておらず、この車のインパクトを越えるような車はまだ登場していない。 |
![]() |