【眼下の敵】
製作年 1957年、米
監督  ディック・パウエル 
出演  ロバート・ミッチャム クルト・ユルゲンス
【あらすじ】
 米駆逐艦ヘインズ号の艦長マレル(ロバート・ミッチャム)は、かつて乗船していた貨物船がUボートにより撃沈され同乗していた妻を失うつらい過去をもっていた。南大西洋を哨戒中、駆逐艦のレーダーがUボートらしき艦影を捕らえると、マレルは等間隔で追跡するよう指示する。
 一方、Uボートの艦長シュトールベルク(クルト・ユルゲンス)は第一次世界大戦でも潜水艦に乗っていたベテランだが、2人いた息子を今時の戦争で失っており、ナチスドイツには批判的だった。Uボート側のレーダーにも艦影が映るが、舵を切っても等間隔で現れるため偽反射と判断する。 
 駆逐艦が攻撃すべく距離を詰めると、感づいたUボートは急速潜行した。マレルは減速を指示すると、わざと相手に魚雷を撃たせて、ぎりぎりのところでやり過ごした。駆逐艦から爆雷が投下されると、Uボートは煙幕を使ってソナーを攪乱し攻撃をかわそうとするが、しつこく追跡され、海底に着底してエンジンを止める。駆逐艦もエンジンを止めて様子をうかがっていると、やり過ごしたと思ったUボートは無音走行を始める。マレルはただちに戦闘配置につかせると、援軍が来るまでの時間稼ぎのため1時間ごとに爆雷を投下する。シュトールベルクは相手が攻撃時に隙が出来るのを見逃さず、魚雷を放った。魚雷はみごと駆逐艦に命中するが、マレルは航行不能に陥ったように見せかけ、Uボートが浮上してとどめを刺そうとしたところに、艦を体当たりさせた。シュトールベルクと副長はマレルから救出されるが副長は亡くなる。後日、米艦上で副長の水葬が行われた。
【解説】
 潜水艦が登場する映画の中でも最も名前が知られている作品だが、原作となったD・A・レイナーの小説は英駆逐艦とUボートの死闘を描いており、ラストも救命艇の中で両艦の乗員が乱闘を始めるなど友愛的なラストの本作品とは趣が異なっている。
 監督のディック・パウエルは、ワーナー・ブラザーズのミュージカル・スターとして「四十二番街」(33年)、「聖林ホテル」(37年)など多くの作品に出演していたが、50年代に入ると監督業にも進出するようになった。ジンギス・カーンの活躍を描いた「征服者」(55年、クレジットはされていないがハワード・ヒューズが出資した)はロケ地の風上が核実験場だったため、主演したジョン・ウェインやスーザン・ヘイワードなど関係者の多くがガンで亡くなっているが、監督だった彼も例外でなく胃ガンで亡くなっている。まだ50代だった。
 ロバート・ミッチャムは、その眠そうな眼から”スリーピング・アイ”とも呼ばれていたが、俳優になる前は多くの肉体労働を経験した苦労人でもある。48年にはマリファナ吸引の容疑で逮捕されるが裁判で冤罪を訴え無罪になっている。97年に亡くなるまで100本以上の映画に出演しているが、「東京上空三十秒」(45年)、「史上最大の作戦」(62年)、「アンツィオ大作戦」(68年)など戦争映画にも多く出演しており、ディック・パウエル監督の次回作となった朝鮮戦争を舞台にした「追撃機」(58年)でもF−86Fセイバーのパイロット役で主演している。クルト・ユルゲンスも本作品以後、ドイツ軍将校を演じさせたら右に出るものはいないという評価が定着し、「史上最大の作戦」(62年)、「砂漠の戦場エル・アラメン」(68年)、「空軍大戦略」など多数の戦争映画に出演している。
 駆逐艦が誕生したのは、水雷艇を駆逐するためであった。水雷艇(魚雷艇とは別艦種)は魚雷を搭載した小型の艦船で、速力があり小回りも利くため戦艦や巡洋艦にとってはやっかいな存在だった。その威力を見せつけたのは日清戦争の威海衛海戦で、日本の水雷戦隊は清国側の艦隊に大損害を与えた。この水雷艇に対抗するため、水雷艇より一回り大きく、速力も上回る駆逐艦が考案された。
 本作品に出てくるバックレイ級駆逐艦は、対潜戦に重きを置いた護衛駆逐艦で、主に船団護衛を任務とした。もともと護衛駆逐艦はUボートに苦しめられていた英海軍の要求で建造されたのだが、米海軍も使うようになり、高速人員輸送艦に改造されたものなどを合わせると終戦までに600隻の護衛駆逐艦が建造された。撮影に使われたのは同一船体で推進機関が違うカノン級のストラウブ号である。
 ネームシップとなったバックレイ号は、1944年5月5日U66号との間で本作品さながらの肉薄戦を経験している。浮上して航行していたU66号と撃ち合いになり、体当たりを敢行したバックレイ号に対しU66号の乗組員が前甲板から乗り込んできて殴り合いになった。U66号は結局沈没してしまったので、取り残された生存者36人はそのまま捕虜になってしまった。