11の章 (これまでのお話)  目次   TOPのページに戻る



                                                                               
         12
 今日の日差しは強かった。いつにも増して、街路樹の葉の緑が輝いていた。きっと暑
くなるのかもしれない。しかし、店内は空調がしかりして温度が適温に保たれている。
なのに、渡辺はホットのコーヒーをおいしそうに飲んでいた。いつもはコップを持って
飲んでいるくせに、今日はストローをさして……。
 その渡辺にかみつくように敦史が言った。
「渡辺さん、今日はなんでストローなんて使ってるんですか? 僕に対する嫌みですか?」
 敦史の言葉にすこし怪訝な表情を渡辺は浮かべると、顔を上げ、腕を上げて見せた。 
「ほれっ。肩より少し上のココまでしか上がらん。しやから……」                   
「…………」
すこし敦史は呆気に取られた。それまで敦史は気がつかなかったからだ。逆に言えば、
それだけ注意して、渡辺の身体の様子を見ていなかったからなのかもしれない。
 渡辺は車椅子のブレーキを外し、すこしバックした。                             
「ほれっ」                                                                     
そう言って、自分の膝を叩くと、渡辺の膝が激しく揺れだした。
「ケイセイ(不随意筋肉運動)がスゴいやろ。朝は特に調子悪くてかなわん」
 そして、膝の裏に手を回して足を持ち上げて、静かにゆっくり下ろすと、今度は揺れ
ていなかった。

 片肘をテーブルについて、頬を抑えると、すこし嘲笑うかのような顔をすると、渡辺
は言葉を投げかけた。
「それにしてもバカやなぁ〜」                                                   
「なっ、なんですか!? いきなりっ!!」                                           
いきなり渡辺に決めつけるように言い切られた敦史は、憤慨して大きな声を出した。
 渡辺はそれを冷めた視線で見ていた。そして、ストローをくわえて、またコーヒーを
飲むと、一息ついて、敦史に問いかけるように言った。
「ふつう、他の人がいる前で言うか?」                                           
「でも、彼氏がいるんですから一緒ですよ……」                                   
敦史はムスっとしたまま言葉を返した。
 上体を渡辺は起こすと、尋ねるように次々と言葉を投げかけた。
「もしかしたら、とっさについたウソかもしれんやん。おまえらの年の頃なら本音と反
対のコトを言うのは、よくあることやし」
「経験談からですか?」
 敦史は軽く笑った。さっき、香穂が話していた言葉が脳裏を掠めたせいなのかもしれ
ない。それに対し、渡辺は少し怪訝な顔をすると、背もたれに背をつけて言葉を続けた。
「仮に本当やったとしても、それであきらめるわけ?」                             
「いいんですよ。どーせ僕なんか……」                                           
「また言ってる……」
渡辺はため息をついた。そして、冷ややかな視線を敦史に向けた。                                        

               すく
 敦史はその視線に身を竦ませた。しかし、顔を上げ、反論ありげに言葉を漏らした。
「でもっ……」
「あ、その程度やったんか。おまえの想いは。あほらし〜」
「そっ、そんなんじゃ……」
突き放すように言い放った渡辺の言葉に、敦史は動揺したように言葉を返した。
 だが、そこにすかさず渡辺は詰め寄るように、きいた。
「なら、なんで諦めるん?」
「………………」
 敦史は無言のまま欝向いた。

 しばらく敦史と渡辺の間に沈黙が支配した。その沈黙を破るかのように、敦史の電動
車椅子の後ろから衝撃が襲った。元下がウォーカーでド突いたのだ。
 元下は呆れたように、言った。
「はっきりしねー奴だなあ」
「もっ、元下さんっ! いっ、いつから……!?」
その衝撃と声に後ろを向いた敦史は驚いたように言った。しかし、その驚きはさらに増
した。元下の後ろにいた二つの車椅子が目に入ったからだ。
「あっ。アイラさんにお嬢さんまで……!!」
敦史は声を上げた。
「ずっといたよ」
無粋な声で、淡々と元下は応えると、香穂の座っていた椅子に腰下ろした。
 聖子とアイラもテーブルの廻りを囲むようにきて、車椅子のブレーキをかけた。そし
て、聖子は淡々と敦史に言った。
「なに、ダメだったのぉ?」
「ダメって……。まあ、そうですけど……」
同情もなにもなく、ただ漠然と言う聖子の言葉に敦史はムっとしながらも、質問に敦史
は応えた。
 その応えに、聖子は断定しきったように言った。
「で、もうあきらめちゃうんだ」
「あきらめるっていうか、まあ……」
 他人にそう言われると敦史はその言葉を反故にしたくなった。が、そうはできない事
実もあるゆえ、敦史は言葉を濁した。すると、アイラが苛立ったように大きな声で言った。
「ホントにはっきりしない男ダネー!!」
「ははっ。そんなんやから断られたんとちゃう?」
「そっ、そんなわけじゃ……」
 敦史は渡辺に挑発的に笑い飛ばされたので、その言葉を否定しようと声を上げた。
けれども、よい台詞が出てこない。そして、その言葉途中、元下が敦史を睨みつけて、
厳しい声で言った。
「そう思うんなら、一回や二回ことわられた程度であきらめんなよ」
 敦史は元下の目つきに身を竦ませ、黙り込んだ。

 ひと事のように渡辺が空笑いしながら、あっけらかんと言った。
「今度はもっとはっきり伝えてみたらいんとちゃう」
「えっ? それって。どういことデスカ?」
不思議そうにアイラはすこし高い声を出した。
 それに対し、聖子は納得したように両手を叩くと、うれしそうに言った。
「あー。プロポーズ!!」
「ぶっ。ちょっ、ちょっと待って下さいよ〜!僕はまだ……」
 敦史は慌てた。敦史の恋愛プログラムによれば、それは最後の大イベントとして位置
づけられていたからだ。しかし、そんな事情を知ってか知らずか、渡辺は吐き捨てるよ
うに、さらりと言った。
「あ、やっぱりそんなもんだったんやな」
「ちっ、ちがいますよー! あっ……、そうじゃなくて……」
にやっと渡辺が笑ったのを見て、敦史はあわてて言葉を止めて、その言葉を撤回しよう
とした。
 一息ついて、敦史は開き直ったかのように、力説した。
「いいんですよ。断られたのには違いないんだから」
「ふ〜ん……」
聖子の呟きと同時に温かくない視線が敦史に集まる。
 その視線を散らすように、投げやりな言葉を並べる。
「あーあ。なんにもしなければ友達のままでいられたかもしれないのに……」
「いられなかったかもしれない、やろ?」
「とにかく、僕は今のままで良かったんですっ!それなのに、みんなで僕をあおって……」
 冷たく聖子は言った。
「人のせいにするんだ……」
「だっ、だって、そうじゃないっスか! じゃなきゃ……」
 だが、そんな敦史の態度にいい加減キレた元下が怒鳴った。
「いいかげんにしろっ!」
「元下さん、こわい……」
苦笑いしながら、敦史は冷や汗をたらした。

 表情を元下は緩めると、歩行器を引き寄せて、片手でハンドルを持ち、もう片手で座
面を押すようにすると、座席から立ち上がった。
「さて、行くかな……」
「えっ? どこかに行くんですか?」
不思議そう顔をして、敦史は疑問の声を上げた。
 すこし元下は敦史を睨むように見た。そしてすぐに目を離すと、歩行器のグリップを
握り、歩き出して、アイラや聖子の後ろを抜けて、背中を見せながら、いった。
「今日も職安。んで、その後、役所」
 その元下の言葉に聖子も思い出したように言った。
「あ、私もこんなことしてる場合じゃないんだ」
「すこしユックリし過ぎましたネー」
聖子の言葉に同意するようにアイラが追句すると、ブレーキの外す音が響いた。
 ところが、そんな彼らの言葉の意味がなんのことかさっぱり理解できない敦史は戸惑
って、疑問の声を連呼した。
「え? え?」
 車椅子の向きを変えた聖子が敦史の姿を横目に見て、髪をかきあげると、いった。
「仕事よ。じゃあね」

 次々に香穂に会釈して店を出ていく。そして、通りから車のエンジン音が聞こえた。
みんな車で来ていたのであろう。しかし、駐車場に止めずに、路駐していたようだ。
 その間、敦史は呆然としていた。そして、車のエンジン音が消えると、ハっとしたよ
うに対面にいる渡辺に尋ねた。
「あの……、お嬢さん達はなにしに……?」
 しかし、対面からはブレーキを外す音が響き、渡辺は車椅子をテーブルから離し、敦
史の言葉を聞いていなかったかのように、言った。
「さて、俺も行くかな」
「えっ? 渡辺さんも行っちゃうんですか?」
「ヒマやないからな」
「それは僕に対する嫌みですか?」
軽く笑ったように言う渡辺に、敦史はすこし悔然として言った。
 小さくため息を渡辺はつくと、言葉を付け加えた。
「それに、朝は調子悪いって言うたやんか」
そして渡辺はテーブルを伝って、隣のテーブルとの間の空間に出ると、方向を変えた。
 その渡辺が車輪に手をかけて漕ごうと構えたとき、敦史は呟くように言った。
「大体、普段、なにやってるんですか?」
「ないしょ」
そう言うと、渡辺は車輪を回した。
 敦史の脇を抜けていく渡辺に、電動車椅子の向きを変えながら、訴えるように言った。
「渡辺さーん。教えてくれたっていいじゃないっスか〜」
「なんで、君になんでも教えなあかんのや?」
振り返って、渡辺は軽くあしらうように応えた。
 そして、出入口まで漕ぐと、車椅子をターンさせて敦史の方を向くと、忠告でもする
かのように厳しい口調で言った。
「そやそや。一度であきらめるようなら、明日はないと思えよ」



次の章へ  【第13章】