1の章 (これまでのお話)  目次   TOPのページに戻る



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 朝の公園。朝日が照りつける樹々のどこかから小鳥のさえずる声が聞こえる。そんな
中、敦史は不自由な手ながら、それでも煙草を指に挟ませ、口に当てがい、煙草を吸っ
ていた。
 煙草をくわえて手をフリーにすると、その手の指を反対側の腕の袖に引っかけて、ま
くり、首を下げ、服の下に隠れていた腕時計を見た。そして、首を上げ、公園の外の通
りに目を向けた。
 その公園沿いの通りは敦史たちがあの喫茶店に行くときに通った道だ。その通りを歩
いてる真由美の姿が間もなくして敦史の視界に現れた。それに気付いてた敦史は煙草を
灰皿に吹き出して、腕の時計をまた見た。そして、確認したように頷くと、電動車椅子
のスイッチを入れ、通りへと進めた。その時。
 後ろの方から敦史を呼び止める声がした。敦史が振り返ると、その目の前に人の姿。
喫茶店の店員だった。
「おはよっ」
 そのまま敦史をかわすように抜き去り、数歩歩くと、振り返ってにっこり優しく微笑
んで敦史の方を見て、言った。
「今日もくるんですか?」
「あっ、行きまーす」
敦史はそう明るく答えると、彼女の後ろ姿を見送り、電動車椅子のスイッチを入れ、彼
女とは反対方向の道へと走らせた。

 昼間の眩しいぐらいの太陽がその光をトーンダウンさせ、西に傾き始めた頃。時計の
針は6を過ぎたあたりで二本重なっていた。
 軽やかな鈴の音と共に喫茶店のドアが棒のような物で開かれた。すると、店員の香穂
が入り口であるドアに駆け寄ってきて、その棒のような物で開きかけたドアを抑えた。
棒が離されると、香穂は一気に大きくドアを開き、抑えた。
「いらっしゃいませ。渡辺さんなら奥にいるわよ」
「あっ、ありがとうございます」
 香穂のはきはきした声に敦史は首だけを下げ、電動車椅子を前進させ、店内に入った
。店内を奥につっつっつと進ませていくと、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あはははっ。そうなのよー。それでさ……」
 声のする方向に敦史は忍び見るように顔を向けた。その向けた顔は驚きの表情に変わ
り、電動車椅子の操縦スティックから手を離してしまった。そこには真由美の姿があっ
たのだ。
 スティックから手が離れれば、当然電動車椅子は止まる。その場に止まってしまった
ことに敦史は内心大慌てし、急いで再びスティックを倒して、電動車椅子を始動させ、
真由美と目が合わないように少しうつ向くように会釈して、真由美の横をすり抜けた。
その時。
 そこに奥の定番のテーブルでスパゲッティを食べていた渡辺が敦史に気付き、声を上
げた。
「よっ、敦史!」
 敦史はその声にビクっとしたように顔を上げると、遠慮深げな声で応えた。
「あっ、渡辺さん。ども」
 首を竦ませるように下げて会釈しながら敦史は近づいてきて、渡辺がいるテーブルの
横で電動車椅子を停めた。そして、不思議そうな顔をして、きいた。
「今日は他の人達はいないんですか?」
「おまえは毎日きてるみたいやな」
「えっ、え、まぁ……」
 頭ごなしに決めつけるような言葉に敦史は戸惑いながら、応えた。当たってるだけに
、なんとも言い難く、言葉は濁っていた。
 そんな敦史を軽くあしらうように渡辺は言った。
「まぁやないわ。素直に言わんかい」
 その言葉に対し、敦史はムっとしているような表情を一瞬浮かべるが、すぐに苦笑い
しているような表情に切り替え、渡辺に柔らかく言い返した。
「渡辺さんも毎晩いらしてるんでしょ?」
「おまえほどやないけどな。敦史は朝も昼もきてたんやろ?」
「なっ、なんで知ってるんですかー?」
 敦史はあっさりと突きつけられた渡辺の言葉に焦りを露にして、驚きの声を上げた。
渡辺はそんな敦史を無視するように更に残っていたスパゲッティを口にした。その時、
敦史の後ろから香穂が呼びかける声がした。
「敦史くん、またコーヒーですか?」
「あ、はい。すみません」
「はい。わかりました」
即座にはっきりと敦史が答えると、香穂はにっこりと優しい微笑みを見せて、応えた。
 その香穂がカウンターの方に入り、姿が見えなくなると、それを待ってたかのように
渡辺は敦史に囁きかけた。
「敦史はあれが目的で毎日きてるんか?」
「あ、あれって……? あー、香穂さんのことですか?」
「そそ。あれ」
そう言うと渡辺は持っていたココアの入ったコップを口に持っていった。
 敦史はすこし憤慨したのか、声のトーンを上げ、渡辺に食いかかるように反論した。
「あれって、そんな言い方はないんじゃないっスか〜? あんな綺麗な人なのに……」
「綺麗? ま、そうやな……。で、あれが目的なわけとはちゃうんか?」
「ちっ、ちがいますよー!」
「あっ、そ。あっちの方が敦史の好みなんかな」
渡辺はそう言うと、フォークを真由美の後ろ姿に向け、指した。
 敦史はそのフォークで指された方向を向くまでもなく、誰を指しているのかわかって
いた。だから、敦史は苦笑いして、いった。
「渡辺さん、よく見てますね。でも、まだ三回目だし、名前も知らないんですよ」
 その言葉に渡辺は意外そうな顔をした。そして、眉間を寄せ、いった。
「なに? まだ名前も知らないん?」
「だって、すれ違う時に挨拶する程度ですし……」
「あれが挨拶かいな。知らんのやったら、今聞けばええやん」
「そっ、そんなコト……」
「聞いてきてやんよ」
 口ごもり、そのまま俯いているままの、そんな敦史をよそに、渡辺は車椅子のブレー
キロックを外すと、真由美の方へ車椅子を漕いで行った。
 渡辺は食事中の真由美に声をかけると、なにかを話しているようだった。それに対し、
真由美は自分を指さし、驚いたような顔をして、その後うれしそうな表情を浮かべて
いた。
 敦史はその様相を遠目にただ呆然と見ていた。真由美がそれに気がついたようで、敦
史に微笑みかけて、軽く頭を下げたようだった。敦史はとっさにその視線を避け、窓の
外の風景に顔を向けた。
 しばらくして、渡辺は真由美に手を振り、頭を下げると、車椅子を反転させ、敦史の
方に戻ってきた。そして、テーブルに付き、ブレーキをかけると、さらっと言った。
「名前わかったで」
「で、なんていうんですか!?」
「自分で聞けば?」
真剣な顔して即座に聞いてくる敦史に、渡辺はあっさりとそう言って、軽く笑った。
 そんな対応をする渡辺に対して、敦史は少し熱くなったようで、泣きすがるように言
った。
「そんなコト言わないで、教えて下さいよ〜」
「にゃはっ。そんなに気に入ってたんか。湯島真由美やてさ」
「へ〜、真由美さんっていうのか……」
軽く答えた渡辺の言葉に、敦史は頬をほころばせ、うれしそうな表情を浮かべると、下
を向いて小さな声で呟いた。
 自己陶酔しているのか、うつ向いたままもじもじしている敦史を渡辺は軽蔑するよう
な視線を充て、肘をついた。その時。店の入り口の鈴が音を響かせ、元下が店内に入っ
てきた。

「ちわっす」
 元下は香穂に会釈すると、三輪のウォーカーを出入口の脇にたたんで置くと、カウン
ターやテーブルを伝って敦史達の方にきて、椅子に座った。
 渡辺は軽く笑って、水を出した。
「おつかれ」
「ああ、つかれたよ」
 香穂がコーヒーをトレーに載せ、こちらに持ってきた。
「お待ちどうさま、はい」
 テーブルに香穂はコーヒーを置き、ストローをさし、敦史の目の前にずらした。その
過程の途中、元下が手を上げて、香穂を呼んだ。
「香穂ちゃーん。ビール1つよろしくぅ!」
「今から飲むんですかぁ?身体悪くしても知りませんよ」
「今から飲んで、出る頃には酔いが醒めてるようにするからさ」
「あー、車できましたね!それに、いつもそう言いつつ、そうなったコトってマレなん
ですよねぇ?」
「ま、そう言わないで。よろしくね〜」
 元下が煙草を取り出し、くわえる時、渡辺が口を開いた。真由美のほうに指を向けて。
「あそこにいるの、湯島真由美っていうんやてさ。この近場に勤めてはるらしいで」
「わっ、渡辺さんっ!」
 慌てて口を挟もうとする敦史をよそに、元下は煙草に火をつけ、後方の真由美の方に
目を向けた。そして、感心するでもなく、人事のように呟いた。
「ふ〜ん、そうなんだ」



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