利休の茶碗とエネルギー

利休は約四百年前切腹しましたが、その愛用した茶碗などは現在に数多く伝わっ ています。例えば楽茶碗の「禿」(かむろ)もその一つですが、この柔らかい楽茶碗でさえ無傷で現在に伝わっています。

当然その茶碗を所持した人々は一方ならぬ注意を払ってそれを伝えたと思いますが、それでも落 せばいとも簡単に割れてしまうものが四百年もったわけです。

これを人類が使うエネルギーの問題と比較してみましょう。下の図は、有史以来人類が使用して きたエネルギーの種類とその量を示しています。利休の時代すなわち1600年頃は、いわゆる自然エネルギーのみを使用し、一人当り今の十分の一程度しか 使っていませんでしたが、現在は人口も増えたこともあり、エネルギー総量では20倍以上にのぼっています。

利休と同じ茶事を行うとしても、茶席に電車、バス、自動車、あるいは新幹線、飛行機などを 使って行きます。懐石料理にしても季節の物は使いますが、身近で収穫できるはずのない新鮮な魚類(塩で締めて敦賀から鯖街道で運んだ鯖ではなく、生きたま まあるいは冷凍した新鮮な鯖)や、野菜類(いま東京でとれる野菜は本当に限られている)をふんだんに使用しています。

このようなエネルギーがどこから供給されているのでしょうか。下の絵はいま人 類が利用できるエネルギー資源の埋蔵量を示しています。すなわち石油、天然ガスは後数十年でピークを迎えその後は減少します。いくらでもあるが、環境問題 で使いにくいと思われている石炭でさえ後200年程度でピークを迎えます。
200年というのはどのくらいでしょうか。利休の400年前の半分、中興名物 を定めた松平不昧の時代ぐらいです。あの壊れやすい楽茶碗「禿(かむろ)」でさえ生き延びた期間の半分の寿命しかないのです。

お茶を嗜むことの中にもこのエネルギー問題を抱えていることは、普段考えてもいないでしょう が、どちらも我々人間の営みに関係したことです。切り離すことは不可能です。

前頁へ

次頁へ

表紙へ戻る

目次へ戻る