食わず嫌い

昔から欧米人とよく接触していたので、都内で食事の時、何を選ぶかいろいろ考 えた事を思い出します。昭和40〜50年代頃には、欧米人は生の魚は食べないと言うのが一般的であり、すし屋等はもってのほかでした。

しかし昭和59年にワシントンに赴任した時、ワシントン郊外にはすし屋が40軒以上有りまし た。ニューヨークには400軒と言われていました。いわゆる健康食品としてもてはやされていたわけです。それでは昔の欧米人はどうだったのでしょうか。食 わず嫌いだったと言うべきでしょう。

原子力については、今の小学校中学校では、ほとんど教えません。その為一般に言われている風 評が多くの人に刷り込まれていて、それなりに興味をもった人以外はまず一様に原子力は恐いと言います。確かに危険なものですが、それをどのように克服して 利用していくか、そこの話をもっていくまでにいつも苦労します。特に女性が苦手のようです。

と言う私も茶道については、始めるまではそれこそ原子力に対する女性のように、お茶なんて堅 苦しいばかりで、何も好き好んで近付く事はないと考えていました。その自分が今では茶室までもつようになった事は、全くの食わず嫌いであったと思われま す。

今度は逆の立場で、知人にお茶をすすめると、特に98%以上の男性が、「そんなもの」と言っ て取り合ってくれません。作法にうるさく堅苦しいばかりで、何も興味がわかないと言います。いくら総合的な文化活動であり、それこそ日本文化そのものを勉 強する事になるのだと言っても、その話をじっくりする前に、余りにも堅苦しい、作法にうるさいという思い込みの方が強く、ほとんど成功しません。

何人かの男性は、逆にお祖母さんから教えてもらった事が有る等とこちら以上に詳しい人も居ま すが、彼等も普段はお茶の「お」の字も言いません。多分言っても仕方がない事と思っているか、自慢すべき事だとは思っていないのではなでしょうか。

ただ私の知人の中には、いつも私がお茶の話をするので、少しは話を聞こうかと考える人も居 て、我が家に来てもらう事も有ります。これは単なる話だけではなく、私が日常おつき合いしている方々が、私の人間を見てその延長としての付き合いではない かと思われ、茶道と原子力の普及する際の行動の参考にしています。

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