五十の手習い

私は五十になってから茶道を学び始めました。この為、点前を覚えるのも遅く、 すぐ忘れてしまうなど年令に相応しい速度でしか進むことが出来ません。しかし、茶事を始めてみて、ある面では五十になってから習い始めたことが良かったと 思うこともありました。

先に述べたとおり、茶事は日本文化の統合であり、人と人との付き合いです。この為私の五十年 の経験が、随所に思い出され、それが茶事の構成に、また茶室の設計にとても役に立っています。

特に古い日本文化については、昭和20年代の終戦直後で、戦前のにおいが残っている小学校、 中学校時代の思い出、高校時代の漢文、古代文学の学習、仕事上の外人との付き合いで、古い日本の文化を説明しなければならず、一生懸命勉強したこと等で、 身についていました。

人と人との付き合いの最大の経験は、3年半におよぶワシントンでの生活でした。ワシントンで は、日米の客人を我が家に招いてパーティーを開くのが大きな業務でした。この時、どうすれば客人に満足していただけるか、それが一番の関心事です。

もし若い頃から茶道を勉強していたら、頭の中の知識は、今よりずっと茶道に詳しくなっていた でしょう。しかしすべての側面から検討を加え、自分にあった茶事を行うことは難しかったでしょう。茶事は自分の人生の反映です。

その意味では明治から昭和の初期の数奇者達が、すばらしい茶事を行うことが出来たのは、茶道 以外の人生経験が豊富であったのも一因ではないでしょうか。私にとっては、五十の手習いが結果的には非常によい影響をもたらしたのではないかと思います。

================================

前頁へ

次頁へ

表紙へ戻る

目次へ戻る