お茶について、はじめて接するまでは、堅苦しい儀式だけの物と思っていました が、実際に点前を習い始めると、単に茶室で茶をたてるだけがお茶ではないと言うことに気がつきました。茶杓の銘に見られるように季節感を研ぎすまさねばな りませんでした。そして習い初めて数年で、平点前だけでもお茶事ができるはずだと、先輩をかたらって毎月1 回、4時間の茶事のまねごとをやってみて、今度は茶道の首尾範囲の広いことに驚かされました。型を守ってお茶をたてるなどということは、ほんの入り口で、 茶事のためには、日本文化そのものを理解しなければとてもできるものではないという事実に直面したのです。
書道、お花、懐石料理、日本建築と庭園、古くからの礼儀作法、茶碗の種類と、その来歴、茶事 の主題としての季節感の知識、日本の文化が先なのか、茶道が先でそれが文化として定着したのか、どちらにしても、両者が一体となって融合しているとしか言 いようありません。
このようなすべての項目が、ある一定の水準以上を保って、はじめて茶事が成立するのです。茶 事は始めから終わりまで約四時間かかり、客はその間亭主の敷いた路線にのって茶事に参加します。各行程それぞれにおいて、亭主の心入れを受け止め身を任せ ながら楽しみます。その過程で亭主が気を抜いたところがあるとバランスが崩れ、ほかの物がいかにすばらしくても、そのレベルの茶事となってしまいます。貧 しくても良い、しかし全体にある主張をもった統一のとれた茶事が必要です。そして、すべてが統一された茶事ができると、それが客への最大のもてなしになる と思います。
一方原子力とは、何でしょうか。
私が工学部原子力工学科において、工学部の全学科(電気、機械、建築、精密、土木、化学工学等)だけでなく、理学部の生物、物理、数学の各学科あるいは医 学部の領域の勉強を行いました。原子力特有の現象を理解する為には、これらのすべての知識を総合して考えることが不可欠であ るからです。原子力というのは、従来の技術で扱う分子レベルの課題に留まらず、原子レベルの現象を扱う為、物理現象、化学現象、生物への影響等あらゆる分 野への影響を考慮しなければ、満足な成果と安全な取扱が出来ません。これらの分野について常に総合的な検討が必要で、そのどれが欠けても正常に機能しませ ん。
このような面で、原子力は茶道の総合文化的な性格を共有しているのではないでしょうか。その 為でしょうか、私は茶道を学ぶ時、常に全方位的な視点で見る癖がついています。叉それでなければ本当の茶道を理解できないのではないかと思っています。
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