象と目の見えない人の話

茶道も原子力も総合文化であり総合科学であるという事は、その中の一つの要素 にのみ熟達するだけではなく、常に全体を把握する事が必要ではないでしょうか。

昔から象と目の見えない人のたとえ話が有ります。

何人かの目の見えない人が、象を触ってそれぞれ象とはどんなものか話し合った事が有ります。 鼻を触った人は太い蛇のようだと言い、耳を触った人は大きな団扇のようなものだと言い、足を触った人は太い柱のようなものだと言い、お腹を触った人は壁の ようなものだと言ったということです。

どの人も間違いでは有りません。しかし、象そのものを示しているとは言えません。それぞれ単 に全体を目で見ているのとは違って、詳しい表現は可能でしょうが、象の全体をイメージする事は出来ないでしょう。

茶道も、点前だけではなく、すべての要素を統一的に備えてこそ本当の茶道と言えるでしょう が、原子力も全く同じです。

原子炉は、皆様も御存じのように厚いコンクリートに包まれ、私達専門家でも中を直接見る事は 出来ません。中を見たのは、まだ運転を始める前のきれいな状態の時だけであり、後は水を使う原子炉では、運転を休止して燃料を取り替える時に水面下に原子 炉の中心を見る事が出来ますが、ナトリウムを使う原子炉(常陽やもんじゅ)では、最後に解体するまで、原子炉の中を直接見る事は出来ません。

そのかわり、厚いコンクリートの壁を通して、温度、圧力、音、振動、或いは中性子やガンマー 線等の放射線を測定するセンサーを差し込んで、中の様子を調べます。そしてこれらの結果を突き合わせて、今原子炉の中はどのようになっているか推定するわ けです。

最初の象と目の見えない人の話と全く同じなのです。それぞれのセンサーの状態だけでは、何が なんだかさっぱり判りませんが、すべての情報を突き合わせ、また設計と製作の時の情報と計算機による解析結果により、正確な情報を形作る事ができるので す。

私には最初のたとえ話のなかに、原子力と茶道の本質が有るように思えます。

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