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東アジア ・日本 ・大韓民国
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東南アジア ・フィリピン ・ベトナム
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・フィジー ・ヴァヌアツ
・ニュージーランド ・オーストラリア ・パプアニューギニア
ASEAN(東南アジア諸国連合) インドネシア、
タイ、 マレーシア、シンガポール、フィリピン、
ブルネイ、ベトナム、
ラオス、カンボジア、ミャンマー、
SAC(南アジア地域協力連合) インド、バングラディッシュ、ブータン、ネパール、
パキスタン、モルジブ、
GCI(湾岸諸国協力会議) サウジアラビア、クウェート、カタール、バーレーン、
アラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、
OPEC(石油輸出国機構) インドネシア、イラン、イラク、クウェート、カタール、バーレーン、
アラブ首長国連邦、サウジアラビア、リビア、アルジェリア、
オマーン、ナイジェリア、ガボン、ベネズエラ、エクアドル、
イスラム諸国会議 インドネシア、マレーシア、ブルネイ、バングラディッシュ、
モルジブ、パキスタン、アフガニスタン、キルギスタン、タジキスタン、
カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、イラク、
アゼルバイジャン、クウェート、バーレーン、カタール、サウジアラビア、
アラブ首長国連邦、オマーン、イエメン、ヨルダン、パレスティナ、
シリア、レバノン、トルコ、アルバニア、エジプト、スーダン、ウガンダ、
リビア、ジプチ、ソマリア、モザンビーク、コモロ、ガボン、トーゴ、
カメルーン、ナイジェリア、コートジボアール、シエラレオネ、
ギニア、ギニアビザオ、セネガル、ガンビア、モーリタニア、
マリ、ブルキナファソ、ニジェール、アルジェリア、モロッコ、
チュニジア、チャド、スリナム、ガイアナ、
・日本 Japan Japon Giapone Япóн
ユーラシア大陸東端、日本海・東シナ海の向こうにある南北に長い海域、 南西から北東に延びる九州、四国、本州、北海道などの大きな島を含め、 南西諸島、奄美諸島、壱岐、対馬、五島列島、千島列島など、6852の島々からなる島国。 (画像は首都・東京都千代田区にある皇居) 北は宗谷海峡を境にロシアサハリン州(樺太)、オホーツク海、 北東は択捉島と得撫島の間に国境があり、その先はロシアヤルップ列島、 西北に日本海を挟んでロシア沿海州・朝鮮半島(北朝鮮・韓国)・中国黒龍江省がある。 東は太平洋を挟み、遥か遠くに米国カリフォルニア州、 手前に米国領ミッドウェイ諸島・アメリカハワイ州がある。 最南東領の南鳥島の沖向こうにはマーシャル諸島、南沖には米国領カロリング諸島。 南西には台湾、東シナ海。その西沖には中国江蘇省・上海・浙江省・福建省。 気候は亜熱帯から亜寒帯の位置にあり、生物の区分け線のブランキストン線や渡瀬線(津軽海峡)がある。 また、フィリピン海プレート・北米プレートがユーラシアプレートに沈み込んでいる位置でもある。 首都は一番大きな島・本州の東、南海岸最東部、東京湾に面する東京。 公用語は標準語と言われる日本語。各地方により方言は存在する。 少数民族は存在していないように言われるが、明治政府の同化政策によるところが大きく、 大和民族のほか、アイヌ、琉球、と違う文化・言語を持つ民族が僅かになったが、存在する。 他、太平洋戦争時に強制労働に連れてこられた朝鮮系、など。 通貨単位は円。 歴史 かなり古くから小邦国家は存在していたらしいが(民族自体は1万5千年前とも)、 B.C.1世紀頃、倭の小国が分立している。 239年頃、統一中央集権国家として耶麻台国が登場。畿内−九州をまとめる。 4世紀半ば過ぎ、大和政権が成立。(古墳時代) 391年頃、朝鮮半島に技術や鉄資源を獲得するため加羅(任那)に進出。高句麗と交戦。 592年〜、飛鳥時代 6世紀初め、百済のもとめに応じて任那の4県を譲る。 710年、奈良時代 794年、平安京(現京都府京都市)に遷都する。(平安時代) 1192年、源頼朝が平氏を滅ぼし、鎌倉(現神奈川県鎌倉市)に幕府を開く。鎌倉時代(〜1333)。 1274年、元が侵攻してきて、対馬・壱岐を制圧。続いて、九州北部博多湾に侵攻。が、撤退させる。 1281年、再び元が侵攻してくるが、上陸を阻み、敗退させる。 1334年、院政(〜1336)。 1338年、京都の室町に幕府が開かれる。室町時代(〜1573)。 1429年、沖縄の北山・中山・南山の3地方を尚氏が統一し、琉球王国(現沖縄県)をつくりあげた。 1467年、応仁の乱(〜1477)。以降、群雄割拠の戦国の争乱となる。 1542年、小笠原諸島がスペイン人に発見される。 1576年、安土・桃山時代(〜1603)。 1590年、豊臣秀吉が全国を統一。(琉球と蝦夷を除く) 1592年(文録元)、朝鮮の釜山に上陸。漢城(現ソウル)を落とす。 同年、、小笠原諸島に武将上陸。 1596年(慶弔元)、朝鮮王国との講和交渉決裂。 1597年(慶長2)、再び14万の兵を朝鮮に送るが苦戦。 翌1598年、秀吉が病死したため全軍を朝鮮半島から撤退させる。 1603年、江戸(現東京都)に幕府が開かれ、江戸時代(〜1868)に。 1609年、琉球王国(現沖縄県)を薩摩(現鹿児島県)の島津家が侵攻・支配。 1850年、小笠原諸島にハワイなどから移民。 1868年正月、攘夷・戊辰戦争勃発。幕府軍と維新軍が衝突(鳥羽伏見の戦い)。 同年4月、江戸開城。大政奉還。新政府に政権が変わり、明治時代(〜1912)になる。 1871年、対馬を正式に日本領にする。 1872年、南西諸島(沖縄)に琉球藩をおく。 1875年、ロシアと樺太・千島交換条約が結ばれ、樺太(サハリン)を放棄、千島全島を領有。 1876年、小笠原諸島を明確に領有。 1879年、琉球藩を沖縄県とする。 1895年4月、下関条約により清から台湾・澎湖諸島・遼東半島を譲与。 が、同年、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により遼東半島は清国に返還。 1905年、ポーツマス条約によりロシアから樺太(サハリン島)南半分を割譲。遼東半島の租借地を譲渡される。 同年2月22日、竹島を正式に編入。 1910年、韓国を併合する。 1912年、明治天皇崩御。大正天皇即位。大正時代(〜1926)、 1920年、ドイツからパラオを割譲。 カロリング諸島・マーシャル諸島・ソロモン諸島をドイツに代わって委任統治領にする。 1926年、大正天皇崩御。昭和天皇即位。昭和時代(〜1989) 1931年、中国北東部(満州)に進駐。 1940年9月22日、仏領北部インドシナ(ラオス・ベトナム北部)進駐。 1941年7月28日、仏領南部インドシナ(ベトナム南部・カンボジア)進駐。 1942年1月2日、米領マニラ(現フィリピン)を占領。 同年同月19日、英領ビルマに侵入。 同年2月15日、英領シンガポールを占領。 1942年3月、オランダを撃退し、インドネシアに侵攻・進駐する。 1944年10月、フィリピンにアメリカ軍が上陸してきてフィリピンから駆逐される。 1945年4月、アメリカ軍に沖縄に上陸される。 1945年8月15日、第2次世界大戦に敗北。アメリカを主力とした連合国軍に進駐・占領される。 樺太・千島列島はソ連に侵攻・占領され、ソ連軍政下に置かれる。 奄美諸島・琉球諸島を含む南西諸島と小笠原諸島はアメリカ軍政下に置かれる。 インドネシアは宗主国だったオランダに返還させられ、 インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)は宗主国だったフランスに返還させられ、 ビルマとシンガポール、マレーシアを宗主国だったイギリスに返還させられ、 フィリピンは宗主国だったアメリカ合衆国に、それぞれ返還させられる。 台湾・澎湖諸島は中華民国に返還させられ、 朝鮮半島は、北緯37度線から北をソ連の、南を米国の占領下に置かれる。 1951年、サンフランシスコ条約により北海道・本州・四国・九州の4島と周辺諸島の主権完全回復。 翌1952年4月、米軍を主体とした連合国軍の占領下から日本国独立。 (千歳・三沢・横田・横須賀・厚木・呉・岩国・佐世保などの各米軍基地はそのまま米軍が駐留・占有) 1953年、奄美諸島がアメリカから返還される。 1968年、小笠原諸島がアメリカから返還される。 1972年5月、沖縄がアメリカより返還される(嘉手納・沖縄・普天間などの米軍基地はそのまま・継続駐留)。 択捉島・国後島・歯舞諸島・色丹島は、占領しているのがソ連からロシアに代わっただけで、 返還されないまま現代にいたる。また、駐留米軍は依然存続し、治外法権も存在している。 対外戦争は、 391年、加羅に進出したさいに高句麗と交戦。(高句麗の好太王の碑文より) 朝鮮半島に任那(伽羅、とも)という国を有していた5世紀、新羅と白江村の戦いまで、 元寇・文永の役(対元(モンゴル帝国),1274年(文永11))、 元寇・弘安の役(対元(モンゴル帝国),1281年(弘安4))、 桃山時代の朝鮮出兵(対李氏朝鮮,1592年〜96,1597年〜98)、 薩英戦争(対イギリス,1862年)、 下関戦争(対英仏蘭米,1862〜64年)、 日清戦争(対清国,1894年8月〜1895年4月)、 日露戦争(対ロシア,1904〜05)、 第一次世界大戦(対ドイツ,1914年〜)、 シベリア出兵(対ソ連,1918〜22年)、 山東出兵(対中華民国,1927〜28年)、 日中戦争(対中国,1937年〜45)、 ノモハン紛争(対ソビエト連邦,1939年)、 太平洋戦争(対米国,英国,仏国,オランダ,オーストラリア, 1941年12月8日〜1945年8月15日)、 第二次世界大戦敗戦後の1945年から サンフランシスコ平和条約の結ばれる1951年まで連合国軍の占領されていた。 イラク戦争(対イラク,2003年〜06)、 行政区 北海道(札幌)、[北海道地方] (庁所在都市) 福島県(福島)、宮城県(仙台)、岩手県(盛岡)、青森県(青森)、秋田県(秋田)、山形県(山形)、[本州東北地方] 東京都(東京)、神奈川県(横浜)、千葉県(千葉)、 埼玉県(浦和)、茨城県(水戸)、栃木県(宇都宮)、群馬県(前橋)、[本州関東地方(本州島南東部)] 新潟県(新潟)、富山県(富山)、石川県(金沢)、福井県(福井)、[本州北陸(中部)地方] 愛知県(名古屋)、岐阜県(岐阜)、静岡県(静岡)、山梨県(甲府)、長野県(長野)、[本州東海甲信(中部)地方] 滋賀県(大津)、三重県(津)、和歌山県(和歌山)、奈良県(奈良)、 京都府(京都)、大阪府(大阪)、兵庫県(神戸)、[本州近畿地方] 鳥取県(鳥取)、島根県(松江)、山口県(山口)、広島県(広島)、岡山県(岡山)、[本州中国地方(本州島西端)] 香川県(高松)、徳島県(徳島)、高知県(高知)、愛媛県(松山)、[四国地方] 福岡県(福岡)、佐賀県(佐賀)、長崎県(長崎)、熊本県(熊本)、大分県(大分)、 宮崎県(宮崎)、鹿児島県(鹿児島)、沖縄県(那覇)、[九州地方] の47都道府県 政令指定都市 東京 中央区、千代田区、港区、江東区、品川区、大田区、世田谷区、目黒区、渋谷区、杉並区、新宿区、 文京区、江戸川区、北区、墨田区、台東区、荒川区、葛飾区、足立区、板橋区、練馬区、豊島区、中野区 大阪 中央区、北区、都島区、旭区、城東区、鶴見区、東成区、生野区、東住吉区、住吉区、阿倍野区、 天王寺区、西成区、平野区、住之江区、大正区、港区、浪速区、西区、此花区、福島区、 西淀川区、淀川区、東淀川区、 名古屋 中区、中川区、港区、熱田区、南区、緑区、瑞穂区、天白区、昭和区、千種区 東区、北区、西区 横浜 西区、中区、南区、磯子区、港南区、栄区、金沢区、戸塚区、瀬谷区、泉区、 青葉区、緑区、都築区、港北区、鶴見区、神奈川区、保土ヶ谷区 川崎 川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区 福岡 東区、博多区、中央区、南区、城南区、早良区、西区、 北九州 門司区、小倉北区、小倉南区、若松区、八幡東区、八幡西区、戸畑区 京都 上京区、中京区、下京区、右京区、西京区、南区、左京区、東山区、伏見区、北区 神戸 東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区、垂水区、西区、北区 広島 中区、東区、南区、西区、安佐南区、安佐北区、安芸区、佐伯区 仙台 青葉区、太白区、泉区、宮城野区、若林区 札幌 中央区、北区、豊平区、南区、西区、東区、白石区、厚別区、清田区、手稲区 千葉 中央区、美浜区、花見川区、稲毛区、若菜区、緑区 さいたま 中央区、浦和区、大宮区、西区、緑区、平沼区、 世界遺産 ◎知床(北海道) (シリエトク(アイヌ語で「大地の果て」),流氷の南限,絶滅危惧種のシマフクロウが国内の半数が生息)、 ◎白神山地の天然ブナ林(秋田・青森) (世界有数の天然のブナ林,1本あたり8dという保水量,ニホンカモシカが生息, 面している日本海にも海藻の杜をつくり、ハタハタが生息している)、 ◎平泉(岩手県)(金色堂)、 ◎日光の寺社(栃木県)(東照宮(陽明門(500体もの彫刻で覆いかぶされている)),二荒雄神社など)、 ◎小笠原諸島(東京都)、 ◎法隆寺地域の仏閣建造物群(奈良県)(現存する世界最古の木造建築物) (上宮王院(東院伽藍)(救世観音(聖徳太子の等身大の像といわれている,飛鳥時代に)))、 ◎古都奈良の文化財(奈良県) (東大寺(大仏殿(昆盧遮那仏(盧舎那大仏像)),金堂,法華堂(三月堂)(不空羂索観音菩薩立像), 戒檀院(四天王像),八角燈篭(音色菩薩が描かれている),法華院,正倉院),など),興福寺(阿修羅像),)、 ◎飛鳥・奈良(法隆寺,薬師寺,唐招提寺,春日大社,(奈良県)、 ◎古都京都(京都府京都市)(鹿苑寺(金閣寺),上鴨神社,(北区),慈照寺(銀閣寺), 清水寺,(東山区),東寺,竜安寺,平等院,17の寺社)、 ◎紀伊山地の霊山と参詣道(熊野,吉野,高野山,那智の滝)(熊野三山と古道(和歌山県、三重県、奈良県),)、 ◎飛騨白川郷の合掌造り(岐阜)、◎広島平和記念碑(原爆ドーム)(広島)、◎宮島の厳島神社(広島)、 ◎姫路城(兵庫)、 ◎石見銀山とその文化的景観(島根) (間歩,大久保間歩(家康に任じられた大久保奉行によって開けられた石見最大の間歩), 岩盤加工遺構,熊谷家邸宅(天秤秤),羅漢橋,羅漢寺と五百羅漢)、 ◎屋久島の千年杉(鹿児島) (亜熱帯に属する,2000m級の山々がある為温帯、亜寒帯気候の地もある,年間9000oの降雨, 屋久杉(1970年代に伐採を全面禁止,樹齢千年以上のものだけそう呼ばれる), 縄文杉(屋久杉の中でも樹齢の長い,翁杉,天柱石,トーフ石)、 ◎琉球王朝のグスクとその周辺の関連遺跡(沖縄)、 日本国外務省 在米日本大使館
・大韓民国
ユーラシア大陸アジア北東部にある朝鮮半島の北緯38度線付近より南半分を占める国。 北は北朝鮮こと、朝鮮民主主義人民共和国が、南には対馬海峡を挟んで日本、 西には黄海を挟んで中国、北東には日本海を挟み、ロシアと日本がある。 首都は黄海に流れ込む漢江(ハンコウ)中流部にあるソウル(漢城・京城)。 公用語は世界に誇れる音読文字と自負するハングル文字を使用する韓国語。 (大韓民国をハングル読みすればテーハンミングク。) ビジネスの世界、歓楽街などでは、漢字や日本語も徐々に使われつつある。 民族は朝鮮民族(韓国民族)。済州島には半島とは別文化・言語を持つ済州島人がいる。 通貨単位はウォン。 歴史 紀元前後、拠っていた韓人により馬韓・辰韓・弁韓の三韓を形成。 4世紀初め、馬韓の地に百済(ペクチェ)が、 辰韓の地に新羅(シルラ)がおこり、弁韓の地に任那(小国家連合)が成立。 6世紀にはいって高句麗(コクリョ)が北から伸長。百済・新羅も勢いを強め、加羅諸国(任那)を支配下に。 660年、新羅が唐と協力して百済を滅ぼした。 663年、百済が救援を求めた日本を白村江の戦いで唐軍が破り、撤退させる。 そののち、新羅は唐と連合して高句麗をも滅ぼす。 668年、新羅が朝鮮半島統一。 8世紀中頃から王位をめぐる争いが激化。 9世紀末、新羅・後百済(ごひゃくさい)・蓁封(摩震)の3国に分裂。 918年、王建が高麗王国をたてて、新羅を滅ぼして、 936年、朝鮮半島統一。 1250年頃、元に侵攻される。 1274年、30年あまりの抵抗の末、元に完全に服属させられる。 1368年、元は衰退。再び高麗(コリョ)が隆盛する。 1392年、倭寇を撃退し名声をあげた李成桂が高麗をたおし、李氏朝鮮(〜1910)をたてた。 1592年(〜98)、豊臣秀吉による日本軍の侵攻を受ける。(壬辰和乱) 1592年、日本軍が釜山に上陸。漢城(現ソウル)を落とされる。が、講和に応じず。(〜1596) 1597年、再び14万の兵を日本は送ってきたが徹底抗戦。日本を苦戦させる。(丁酉再乱) 1598年、日本軍総大将秀吉が病死したため日本は全軍撤退する。解放。 1627年、後金の第一次侵略。(丁卯胡乱) 1636年、清(後金)の第二次侵略。(丙子胡乱) 1637年、清に服属させられる。 1882年7月、壬午事変が起こり、清が介入。 同年10月、清と水陸貿易章程を締結。宗属関係が明記される。 1885年、イギリスに巨文島を占領される。 1897年、国号を大韓帝国と改める。 1905年11月、日韓協約により外交権を日本に剥奪される。 1907年、内政全般についての指導権を日本に奪われる。 1910年、日本に併合される。 1945年8月15日、日本が連合国に降伏。ポツダム宣言(日本の朝鮮半島放棄)を日本が受諾。 日本人引き揚げ。代わって、アメリカ軍に占領され、軍政下に置かれた。 1946年〜47年、アメリカ軍の統治下に置かれる。(1949年、撤収) 1948年、北緯38度線より南部が大韓民国として独立。 1950年、朝鮮戦争勃発。同年8月、北朝鮮軍に一時期釜山(プサン)まで追いやられ、支配下に。 が、アメリカ軍を主とする国連軍の支援を受け、反攻。 1953年、板門店で休戦協定。 1960年、不正選挙をきっかけに学生革命。政情不安に。 1961年、軍部クーデター。軍政に。 1963年、民政に移管。 1964年、アメリカと共にベトナムに介入。 1973年、ベトナムから撤退。 1979年、強権政治を加速させた朴正煕大統領暗殺事件がおこり、軍部を背景に全斗煥が政権を握る。 1993年、民政移管。大統領選で金泳三が大統領に。 1997年、金大中が大統領になる。 2003年、盧武?大統領就任。同年4月、イラクに部隊を送る。 2004年、アメリカの強い要請によりイラクに軍を増派。 2008年、李明白大統領就任。 2010年11月、延坪島にて北朝鮮に砲撃され、砲撃戦となる。 行政区 済州道(チェジュ)(西帰浦())、全羅南道(チョルラナム)(光州(クワンシュ))、 慶尚南道(キョンサンナム)(昌原(チャンウォン))、慶尚北道(キョンサンブク)(大邱(テーグ))、 全羅北道(チョルラブク)(全州(チョンジュ))、 忠清南道(チュンチョンナム)(太田(テジョン))、忠清北道(チュンチョンブク)(清州(チョンジュ))、 京畿道(キョンギ)(水原(スーウォン))、江原道(カンウォン)(春川(チュンチョン))。 政令指定都市 ソウル 恩平(ウンピョン)区、麻浦(マポ)区、陽川(ヤンチョン)区、永登(ヨンドンポ)区、九老(クロ)区、 冠岳(クアナク)区、銅雀(トンジャク)区、瑞草(ソチョ)区、江南(カンナム)区、松坂(ソンパ)区、 江東(カンドン)区、城東(ソンドン)区、中浪(チュンラン)区、東大門(トンデムン)区、 道峰(トボン)区、城北(ソンブク)区、鐘路(チョンノ)区、中(チュン)区、 龍山(ヨンサン)区、西大門(ソデムン)区、 世界遺産 宗廟(チョンモ)、 慶州(キョンジュ)歴史地区() (金尺里古墳群(キムチョクリ),掛陵,月城(ウォルソン)(王宮),七仏庵磨崖石仏)、 在日大韓民国大使館
ユーラシア大陸アジア北東部にある朝鮮半島の北緯38度線付近より北半分を占める国。 北側の朝鮮半島付け根をヤールー川(鴨緑江)・トマン川(豆満江)を挟んで中国と国境を接し、 豆満江河口ではロシア沿海州とも接する。南に韓国、西に湾を挟んで中国遼東半島、東に日本海が広がり、対岸に日本がある。 首都は西朝鮮湾に流れ込む大同江(テードン川)沿の平壌(ピョンヤン)。 公用語は朝鮮語(ハングル)。民族は朝鮮民族。 歴史 B.C.2世紀初め、大同江流域に衛氏朝鮮が建国される。 B.C.108年、前漢(武帝)が出兵、楽浪・臨屯・玄莵・真番の4郡を置く。 紀元前後、かいはく民族(ツングース系)も国家体制を整え、高句麗を出現させる。 4世紀初め、高句麗(コクリョ)が有力になり、313年には楽浪郡を併合。 6世紀末、隋の侵軍を受ける。7世紀初め、唐からの攻撃。 668年、新羅に高句麗は滅ぼされ、唐の支配下に。 676年、新羅が唐の勢力を退け、朝鮮半島統一。 918年、高麗(〜1392)が興り、新羅を滅ぼし、朝鮮半島統一。 1271年頃、元に侵攻される。30年あまりの抵抗の末、服属させられる。 1368年、元は衰退。再び高麗が。 1392年、倭寇を撃退し名声をあげた李成桂が高麗をたおし、李氏朝鮮(〜1910)をたてた。 1592年、日本軍に豆満江まで侵攻される。が、講和に応じず。(〜1596) 1627年、後金の第一次侵略。(丁卯胡乱) 1636年、清(後金)の第二次侵略。(丙子胡乱) 1637年、清に服属させられる。 1897年、国号を大韓帝国 と改める。 1905年11月、日韓協約により外交権を日本に剥奪される。 1907年、内政全般についての指導権を日本に奪われる。 1910年、日本に併合される。 1945年8月8日、日ソ中立条約を無視して、ソ連軍が侵入。 1945年8月15日、日本敗戦・撤退。代わって、ソ連が南進。 1946年〜47年までソビエト社会主義共和国連邦軍統治下に。 1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国成立。ソビエト連邦軍撤収。 1950年、韓国に統一の名の元に侵攻。同年10月、韓国軍と国連軍の反撃に北部国境近くまで後退。 が、中華人民共和国義勇軍の支援を受け、反攻。 1953年、板門店にて休戦協定を。現在にいたる。 2010年11月、韓国領の延坪島に砲撃する。 行政区 黄海南道(ホアンヘナム)、黄海北道(ホアンヘブク)、江原道(カンウォン)、平安南道(ピョンアンナム)、 平安北道(ピョンアンブク)、慈江道(チャガン)、両江道(リャンガン)、 咸鏡南道(ハムギョンナム)、咸鏡北道(ハムギョンブク) 都市 海州(ヘージュ)、沙里院(サリウォン)、元山(ウォンサン)、 、 新義州(ンニジュ)、江界(カンゲ)、恵山(ヘサン)、咸興(ハムフン)、清津(チョンジン)
ユーラシア大陸北東部に存する国土の多くが砂漠の内陸国。 北部の国境はロシアと面し、南部は中国の内蒙古自治州などと面する。 首都は中央部、バイカル湖に流れ込む川の上流、中国とロシアを結ぶ鉄道と交叉する都市ウランバートル。 公用語はモンゴル語。民族は騎馬民族であったモンゴル族。 通貨単位はトゥグリク。 歴史 B.C.7〜4世紀頃、それまでモンゴル平原で遊牧生活をしていた匈奴が スキタイ文化の影響を受け、騎馬民族に。 B.C.3世紀後半、秦の始皇帝に匈奴は駆逐される。 冒頓単干が現れると、大国家をつくり、漢を圧迫。 B.C.60年頃、内紛が起こり、東西に分裂。東匈奴は漢に服属。 B.C.36年、西匈奴を滅ぼし、全匈奴を統合。 が、A.D.1世紀中頃、内紛が起こり、分裂。北匈奴成立。 匈奴が弱体した頃、鮮卑(モンゴル系)、柔然(モンゴル系)があいついで強大になる。 5世紀初めから6世紀半ば、鮮卑に代わって柔然が台頭。 402年、柔然はモンゴル高原からカザフスタンのイリ川流域にまで及ぶ地を支配する。 5世紀前半、柔然は高車族を征服。北魏の北辺にしばしば侵入。 552年、突厥(トルコ系)がおこる。 555年、柔然を突厥が滅ぼし、帝国を築く。 6世紀末、内紛により分裂。東突厥がおこる。 630年、唐に支配される。 679年、再び唐から離反。 710年頃、勢力を回復する。 8世紀中頃、突厥はウイグル帝国に滅ぼされ、配下に。 9世紀中頃、ウイグル帝国はキルギスに滅ぼされる。 916年、耶律阿保機(ヤリツ=アボキ,太祖)が東モンゴルを中心に部族連合を発展させ、契丹国を建国。 926年、中国の渤海国を滅ぼし、西のモンゴルの諸侯を征服。 947年、中国・燕雲十六州を手に入れ、遼と国号を改める。 11世紀初め、聖宗が宋に侵攻。 1004年、せん淵の盟が結ばれ、遼は宋と講和。 1038年、大夏国(西夏)が興る。(〜1227) 1115年、遼支配下の女真族(ツングース系)が統合して金を興す。 1125年、金に遼は敗れ、滅亡する。 1127年、開封を陥れ、旧遼領土を含む長江以北の地を宋から奪い、占領する。 1141年、金は宋と平和条約を結ぶ。 1153年、燕京(北京)に都を移す。 1206年、タタール・メルキット・ケレイト・ナイマンなど周囲の諸部族を平定。内外モンゴルをテムジンが統一。 位につき、チンギス=ハンと称され、モンゴル(蒙古)帝国成立。 1209年、西夏を降伏させる。 1215年、金の燕京をおとす。 1219年、ウイグル・カラ=キタイを攻略・倒す。 1220年、サマルカンド陥落。ホラズムを滅亡させ、支配下に置く。 1227年、西夏を滅ぼす。 1234年、南宋と結んで金を滅ぼし、中国北部を支配下に置く。 1236年、ロシアの大半を征服する。ポーランド・ハンガリーを攻略。 1241年、ドイツ・ポーランド諸侯の連合軍を撃破する。 1253年、大理国、チベットを降す。 1258年、アッバース朝を滅ぼし、イラン・イラクを支配する。 1271年、国号を中国風に改めた元(〜1368)が成立。 1274年、高麗を服属させる。日本遠征。 1279年、南宋を滅ぼし、中国全土を支配下に。 1281年、再び日本遠征。 1287年、大越国へ侵攻。 1292年、ジャワ遠征に失敗。 1368年、朱元璋が漢民族の統一政権(明王朝)を樹立し、 中国本土から追い出され、北方のモンゴルで北元成立。 15世紀初め、北元を奉ずるタタール部(韃靼部)が永楽帝(明朝中国)の5度の親征に遭い、衰退する。 15世紀半ば、西モンゴルのオイラート部(瓦刺部)が強大になり、北アジア全域を支配する。 1449年、中国に侵入し、明の英宗正統帝を捕虜にする。のち、明朝中国と和議を結ぶ。 1454年、オイラート部を率いていたエセンが部下に殺され、オイラート部は衰退する。 15世紀末、代わって、タタール部が勢力を回復し、全モンゴルを統一する。 1542年、盛んに明朝中国に侵入し、略奪をほしいままにする。 16世紀半ば、明朝中国との和議が成立する。 外モンゴルに進出。青海・チベットをしたがえ、 中央アジア(ウイグル、現カザフスタン南東部)にも侵出する。 1634年、後金(満州族)が内モンゴルを支配する。 1688年、3ハーンが割拠していたハルハ部は清に帰順する。 1697年、オイラート部の末裔ジュンガル王国は全モンゴルの支配を目指して内モンゴルにまで侵入する。 清朝中国の康熙帝の親征軍がジュンガル王国を破り、清朝に外モンゴルまでも支配された。 1727年、ロシアと清朝中国がキャフタ条約を結び、外モンゴル(現モンゴル)とロシアの国境を画定される。 1732年、支配下の青海の反乱を清朝中国に鎮定され、チベットのラサに駐蔵大臣を送られる。る。 1755年、清朝中国にジュンガル部(他、現カザフスタン南東部)は攻略される。 1759年、支配下にあった東トルキスタンを清朝中国に服属され、清朝中国に併合されて新彊と称される。 1911年、辛亥革命の中、ロシアの援助のもとに独立。モンゴル成立。 1915年、キャフタ協定が締結され、独立を取り消され、ロシアの保護国になる。 1919年、(ロシア革命の時)一時中国が支配圏を回復。 のちまたソ連が進駐。 1921年、君主制人民政府樹立。(モンゴル革命) 1924年、モンゴル人民共和国成立。 1989年、複数政党化。モンゴル共和国とする。 1992年、モンゴル国と国名変更。 世界遺産 ・オルホン渓谷の文化的景観 (石切場(年代不明),ハルバルガス遺跡(もっとも規模の大きい都市遺跡,8世紀のウイグル人国家の都), ホショー・ツァイダムの突厥遺跡(8世紀に最盛期を迎えた突厥の王と弟の2つの廟, 突厥文字や多量の金銀製品が発掘),エルデニ・ゾー寺院(チベット仏教,現在は博物館, サンゴの祭壇飾り,都からの資材で再建,アラビア文字の碑文),カラコルム遺跡(柱の跡,亀石))、 在日モンゴル国大使館 在モンゴル日本国大使館
・中華人民共和国 China Cína
ユーラシア大陸北東部に存する大国。(画像は北京市の天安門) 北部東側は主に黒竜江を境にロシア沿海州との国境を持ち、北部西側にもまたロシアとの国境を持ち、 その間にモンゴルとの長い国境がはさまれて存する。 西は、北から旧ソ連のカザフスタンやキルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、と隣接し、 南部はヒマラヤ山脈を挟み、カシミール、南アジアの大国インドやネパール、ブータン、 チベット以東にミャンマー、ラオス、ベトナムと国境を有する。 東部は、渤海、黄海、東シナ海、南シナ海、といった太平洋に属する海に面し、 その海の東対岸には、フィリピン、台湾、日本があり、南対岸にはマレーシア、ブルネイ。 北東部は、ロシア・沿海州と北朝鮮との国境を持つ。 首都は渤海に流れ込む永定(ヨンチン)川近くの北京(ペキン)。 公用語は中国語。官僚や政府ではその中国語の中の北京語が用いられている。 が、地方には、広東語、呉語、湘語、客家語、などの中国語やロロ語、ウイグル語、などの多数の言語が存在する。 民族は、漢民族が全人口の8割以上を占め、他、モンゴル族、満族、 ウイグル族、カザフ族、チョワン族、回(ホイ)族、白(パイ)族、イ族、苗(ミャオ)族、 チベット族、土家(トウチャ)族、布依(プイ)族、朝鮮族、トン族、タイ族、リー族、など計55族。 通貨単位は元。 歴史 世界の古代四大文明の一つ、黄河文明に起源を持ち、B.C.3000年頃にはあった。 やがて都市国家ができ、それらを統一した殷王朝が成立(B.C.1500年頃)。 その殷王朝以前に夏王朝があったことも最近発掘されて立証された。 B.C.1100年頃、殷を滅ぼし、周が成立。華北一帯を支配する。 B.C.770年、周は都を鎬京(現陜西省西安)から洛邑(現河南省洛陽)に移す。(周の東遷) 春秋時代に(〜B.C.403)。諸侯は1800余の都市国家が興る。 B.C.630年頃、140余の領土国家に統合される。 有力諸侯に斉の桓王・晋の文王・楚の荘王・呉王夫差・越王勾践。(春秋の五覇) B.C.403年、韓・魏・趙が晋の領土を分割。戦国時代に。 B.C.249年、秦が東周を滅ぼす。 B.C.230年、秦が韓を滅ぼす。 B.C.228年、秦が趙を滅ぼす。 B.C.225年、秦が魏を滅ぼす。 B.C.223年、秦が楚(華南)を滅ぼす。 B.C.222年、秦が燕(東北部)を滅ぼす。 B.C.221年、始皇帝の蓁が斉(現山西省山東省)を滅ぼし、全中国を統一。 広東・インドシナの一部を征服し、桂林・象郡・南海の3郡を置く。 匈奴を北辺に駆逐、モンゴルを支配下に入れる。 B.C.206年、国内の反乱により秦は滅びる。 B.C.202年、長安(現西安)に都をおいて漢(前漢)をひらく。(〜A.D.8) B.C.123年、匈奴を攻略し、漢北に駆逐し、張掖・武威・酒泉・敦煌の4郡を置く。 B.C.111年、南越(広東・広西地方)征服し、南海など9郡を置く。 東越(福建地方)を滅ぼす。 B.C.108年、朝鮮に楽浪・臨屯・玄莵・真番の4郡を置く。 B.C.102年、パミールを越えて、大宛(フェルガナ)を降伏させる。 A.D.8年、外戚の王莽が皇帝を殺害、漢は滅び、新をたてる。 A.D.23年、各地に群雄がおこり、新は滅亡した。 A.D.25年、洛陽に都を置いて漢(後漢)を復興した。(〜220) A.D.91年、西域の50余国を勢力化に置く。 184年、黄布の乱がおこり、これを鎮圧するが、国内は大混乱に陥り、 地方の豪族や有力な武将による群雄割拠の状態になる。 208年、皇帝を擁して北中国を支配した曹操が赤壁の戦いで劉備・孫権連合軍に敗れ、統一果たせず。 220年、曹操の子・曹丕が漢帝を廃し、漢は滅び、魏をたてた。 同年、孫権が長江下流域を中心に建業(現南京)を都に呉をたてる。 翌221年、四川省に漢王室の血統の劉備が蜀をたてた。三国(魏、呉、蜀)時代(220年〜280年) 263年、蜀が魏に滅ぼされる。 265年、魏から司馬炎が帝位を奪い、晋をたてる。 280年、晋は呉を攻めて、全中国を統一する。(〜316) 300年、封建していた一族諸王が争い、8王が次々に実権を握った。[八王の乱](〜306) 結果、モンゴル系の鮮卑、匈奴(南匈奴)、その別種の羯、チベット系の羌、ていに華北を占領される。 五胡十六国時代(鮮卑、匈奴(南匈奴)、羯、羌、、(五胡)、成、前秦・後秦・前趙、南涼、西秦、 前燕・後趙、南燕、後燕、北燕、夏、前涼・後涼・北涼、西涼(十六国) )、と漢人と入り乱れ、興亡。 4世紀初め、朝鮮半島で高句麗(コクリョ)が有力になり、 313年、高句麗(コクリョ)に楽浪郡(現黒龍江省・吉林省・遼寧省)を併合される。 316年、匈奴の劉氏に都の洛陽を攻められ、晋(西晋)は滅びる。 317年、江南にいた一族の司馬叡が建康(現南京)で即位し、晋(東晋)を再興する。(〜420) 386年、鮮卑の拓跋氏が巨大になり、魏(北魏)をたてる。 420年、晋の武将劉裕がその帝位を奪い、宋の王朝をたてる。 439年、北魏が華北を統一。南北朝時代(〜589)に。 479年、宋にかわって斉(南朝)の王朝がたてられる。 502年、斉が絶え、梁(南朝)の王朝がたてられる。 534年、魏で内紛が起こり、東魏・西魏に分裂する。 550年、東魏は北斉にかわられる。 556年、西魏に代わって北周が王朝をたてる。 557年、梁の王朝が絶え、陳(南朝)がたてられる。 577年、北周が北斉を滅ぼし、北朝が統一される。 581年、外戚の楊堅が北周を倒して隋を建国する。 589年、北朝から興った隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。 6世紀末、内紛により突厥が分裂したのに乗じ、東突厥を服従させ、西突厥を抑圧。 チベット系の吐谷渾(とよくこん)を降す。 林邑(チャンパー)、台湾(流求)を征服する。 6世紀末、高句麗に侵軍をする。 618年、隋末の反乱に際して、任地の太原で兵をおこした山西の豪族李淵が長安を占領、唐の建国(〜907)。 628年、唐が中国国内を統一する。 630年、東突厥を服属させる。 660年、新羅と組んで百済を滅ぼした。 668年、高句麗を新羅と連合して滅ぼし、領有する。 676年、朝鮮半島から新羅に勢力を退けられる。 679年、再び東突厥が離反する。同じ頃、西突厥は滅ぼす。 698年、東北部に渤海が興る。(〜926) 822年、ラサで唐蕃会盟。 875年、河北で起こった反乱が起こると、山西の黄巣も呼応し、四川を除く全中国に波及。(黄巣の乱) 884年、反乱を鎮定するが、軍閥割拠の情勢は強まり、混乱に陥る。 902年、江南に呉が興る。 907年、朱全忠に帝位を奪われ唐は滅び、後梁がたてられ、華北を支配する。五代十国(〜960)。 同年、四川に前蜀、湖広に荊南、江南に呉越が興る。 909年、福建にびん(門構えに虫の漢字)、湖広に楚が興る。 917年、広東に南漢が興る。 923年、後梁が滅びて後唐がたてられる。 925年、前蜀が後唐に滅ぼされる。 926年、遼(契丹)に渤海が滅ぼされる。 934年、四川に後蜀が興る。 936年、後唐が滅んで後晋がたてられる。 937年、江南の呉が滅びに南唐が興る。 945年、びんが南唐に滅ぼされる。 947年、後晋が滅んで後漢が興る。 同年、燕雲十六州(北京を中心とした河北7州と山西の9州)を手に入れた契丹国が遼と国号を改名。 951年、後漢が滅び後周が成立。山西に北漢が興る。湖広の楚が南唐に滅ぼされる。 960年、後周が滅んで宋(北宋)が建国される。 963年、湖広の荊南が宋に滅ぼされる。 965年、四川の後蜀が宋に滅ぼされる。 971年、広東の南漢が宋に滅ぼされる。 975年、江南の南唐が宋に滅ぼされる。 978年、江南の呉越が宋に滅ぼされる。 979年、山西の北漢が宋に滅ぼされ、宋が中国統一する。 1038年、西北の興慶(銀川)に都を置いたタングート族の西夏(大夏国)が興る。(〜1227) 1044年、宋は西夏と和解する。 1115年、東北部で完顔阿骨打(ワンヤン=アクダ)が女真族を統合して、金をたてる。 1125年、金が宋と協力して遼を攻め滅ぼす。 1127年、金が都の開封(現北京)を陥れ、北宋を滅ぼし、長江以北を占領・支配。 臨安を都とする南宋が建国される。 1141年、金が宋と平和条約を結ぶ。 1227年、西夏(大夏国)がモンゴル帝国に滅ぼされる。 1234年、モンゴル帝国が南宋と結んで金を滅ぼす。 1279年、元(モンゴル帝国)が南宋を滅ぼし、中国を統一する。 1368年、元の支配を排し、明が建国。元をモンゴルの故地に追い返し、中国の主権を回復。(〜1644) 1407年、陳朝大越国(安南・現ベトナム)を征服。直轄領にする。 1428年、陳朝から家臣の黎氏が独立して大越国をたてられ、安南の直轄支配をあきらめ、朝貢国とする。 1542年、盛んにタタール部が侵入し、略奪をほしいままにされる。 16世紀半ば、タタール部との和議が成立する。 タタール部は外モンゴルに進出。青海・チベットを従属させられ、ウイグルにも侵出される。 1557年、ポルトガル人にマカオの居住を認める。 1616年、女直族(トゥングース系)がホトアラ(興京)を都として後金国をたて、明から独立する。 1625年、後金が盛京(瀋陽)に遷都する。 1627年、後金が朝鮮を侵略。 1632年、チャハル部(現内モンゴル自治区)を後金に滅ぼされる。 1636年、再び後金が朝鮮を侵略する。後金は国号を清とする。 1637年、朝鮮を服属させる。 1644年、農民反乱軍により明が滅ぼされる。清は北京に遷都する。 1681年、清が全中国を直轄支配。 1683年、台湾の鄭氏を制圧する。 1689年、ネルチンスク条約を欧州諸国と結び、外興安嶺を北辺の国境とする。 1727年、ロシアとキャフタ条約を結び、外モンゴル(現モンゴル)とロシアの国境を画定させる。 1755年、ジュンガル部(現青海・チベット・モンゴル・東トルキスタン・カザフスタン南東部)を攻略。 1759年、ジュンガル部の支配下にあった東トルキスタン・回部を平定。新疆成立。 1769年、雲南に侵入したビルマを服属させる。 1786年、シャム(タイ)を属国とする。 安南(鄭朝大越国(現ベトナム))を属国に加える。 1792年、グルカ族の在地(現ブータン・ネパール)に遠征する。 1842年、イギリスに香港島を割譲。 1858年、ロシアとアイグン条約を結び、黒竜江以北を割譲。 1860年、北京条約が結ばれ、 イギリスに九竜半島の一部を割譲、ロシアにウスリー川以東の沿海州を割譲する。 1883年8月、阮朝越南(ベトナム)はフエ条約を結び、フランスに保護国化を図られるが、 清が宗主権を主張し、フランスと清朝中国とが対立。 1884年、フランスとの全面戦争。 1885年6月、天津条約がフランスと結ばれ、ベトナムをフランスに奪われ、フランスの保護国にされる。 1886年、イギリスとの条約。清国へビルマの朝貢(〜1895)と同時に、ビルマのイギリス支配を承認する。 1895年、下関条約が結ばれ、日本に台湾を割譲。 1898年、ドイツに山東半島の膠州湾を租借され、ロシアに遼東半島の旅順・大連湾を租借される。 イギリスには九龍半島・威海衛を租借させられる。 1899年、フランスに広州湾を租借させられる。 1900年、ロシアが事実上満州を占領。 1905年、遼東半島の旅順・大連湾をロシアに代わって日本に租借される。 1911年、辛亥革命。 1912年1月、中華民国建国。同年、宣統帝退位、清朝滅亡。 1932年、東北部に日本が満州国建国。 1934年、満州国、帝政実地。清朝の末裔の溥儀を即位させ、事実上は日本の傀儡政権とされる。 1945年8月15日、台湾・満州や占領地から日本は撤退。満州にはソ連軍に進駐される。 1945年、国共内戦がはじまる。 1949年10月、北京に毛沢東を主席とする中華人民共和国樹立。 1949年、中国本土を追われた国民党軍が台湾に逃れ、中華民国臨時政府を樹立。 1950年10月、韓国軍と国連軍の反撃に国境近くまで後退してきた北朝鮮軍に義勇軍を出し、押し戻す。 1953年、板門店にて休戦協定が結ばれる。 1955年、2番目の自治区・新疆ウイグル自治区を成立する。ソビエト連邦軍が太連から撤収。 1959年、インドにチベット亡命政府を樹立される。アッサムでインドと軍事衝突する。 1965年、チベット自治区を成立する。 1969年、ソビエト連邦と軍事衝突する。 1978年、ヴェトナムと南部国境で軍事衝突する。 1997年7月1日、イギリスから一国二制度の下、香港の領土の主権が復帰する。 1999年12月、ポルトガルから同じく一国二制度の下、マカオが返還される。
鮮卑(モンゴル系)、羌(チベット系)、北魏(鮮卑系)南北朝、五代の後唐・後晋・後漢、 遼(契丹族)、金(女真族)、元(モンゴル族)、清(満州族)以外の時代の王朝はすべて漢族。 対外戦争は、 タラスの戦い(対イスラム帝国,6 年)、 鄭和の南海遠征(,1405〜33年)、 アヘン戦争(対英連邦,1840〜42年)、 第二次アヘン戦争(対イギリス、フランス,1856年〜60) 清仏戦争(対フランス,1884年夏〜85年6月)、 清日戦争(対日本,1894年8月〜95年4月)、 中日戦争(対日本,1937年〜45年8月)、 国共内戦(1945年〜49)、 朝鮮戦争(対韓国、アメリカ合衆国、連合国,1950年〜53年)、 中印国境紛争(対インド,1959年〜62)、 中越戦争(対ベトナム,1978年)、 中ソ国境紛争(対ソ連,1969年)、 行政区 黒竜江省(ヘイロンチアン)・哈爾浜(ハルピン)、吉林省(チーリン)・長春(チャンチュン)、 (省都) 遼寧省(リヤオニン)・瀋陽(シェンヤン)、東北部 河北省(ホーペイ)・石家荘(シーチヤチョワン)、山西省(シャンシー)・太原(タイユワン)、 河南省(ホーナン)・開封(カイフォン)、 山東省(シャントン)・済南(チーナン)、 江蘇省(チヤンスー)・南京(ナンキン)、 安徽省(アンホイ)・合肥(ホーフェイ)、 湖北省(フーペイ)・武漢(ウーハン)、 湖南省(フーナン)・長沙(チャンシャー)、 江西省(チヤンシー)・南昌(ナンチャン)、 福建省(フーチエン)・福州(フーチョウ)、 台湾省・台北(タイペイ)、 広東省(コワントン)・広州(コワンチョウ)、 海南省(ハイナン)・海口(ハイコウ)、 雲南省(ウンナン)・昆明(クンミン)、 貴州省(コイチョウ)・貴陽(コイヤン)、 四川省(スーチョワン)・成都(チョンツー)、 甘粛省(カンスー)・蘭州(ランチョウ)、 青海省(チンハイ)・西寧(シーニン)、 内モンゴル自治区・呼和浩特(ホフホト)、寧夏(ニンシヤホイ)族自治区・銀川(インチョワン)、 新彊維吾爾自治区・烏魯木斉(ウルムチ)、西蔵(シーツァン)自治区・拉薩(ラサ)、 広西壮(コワンシーチョワン)族自治区・南寧(ナンニン)、 特別市 北京市、天津市、上海市、香港、澳門、 世界遺産 ※万里の長城(The Great Wall)(黒龍江省、内モンゴル自治区、山西省、甘粛省)(総延長9000km) (老龍頭(河北省,海に突き出た長城の始点),山海関(明代の東の関所),角山長城(山岳地に入る), M家口ダム(1970年代完成,長城の一部を水没させる),司馬台長城(北京の北120km,剣山のような嶺が続く), 金山嶺長城(北京市/河北省,高さ7m),八達嶺長城(北京北方),居庸関(明代の北の関所), 天鎮長城(山西省穀倉地帯,土を固めてできている),堡(長城を守る守備軍の駐屯地, (黄土地帯,雲崗石窟(大同市)),嘉 関(西の関所,甘粛省), 秦代の長城跡(内蒙古自治区,西安の北およそ1000km),玉門関(敦煌,砂漠に埋没する漢代の長城))、 ※胡宮(北京市)、※竜門石窟(河南省)、 ※西遽村(せいていそん)・宏村(こうそん)の明代清代の町並み(安徽省南部)、 ※雲崗石窟(山西省大同の西16q)(北魏の時代から作られた仏教遺跡) (曇曜五窟(第16〜20窟)・五華洞(第7〜13窟))、 ※天壇(北京市)、 ※雲南省の三江併流保護地域(金沙江(長江)・潤滄江(メコン川)・怒江(サルウィン川)の三江の流れる虎跳渓、 ヒマラヤ東部にある桃源郷といわれた地,香格里拉(Shangri-La)),16の少数民族が住む, 横断山脈(梅里雪山(八大聖山), カワグボ峰(6740m),メツム峰(6054m),五冠法峰,ミンヨン氷河(カワグボ峰から2730mまで), 松賛林寺,茨中教堂(仏人宣教師により1906年建立),属都湖(海抜3700m),納舶海(湿原),白水台(石灰岩)、 ※青城山と都江堰の水利施設(四川省)(道教の聖山,道観が100ぐらいある)(天師胴,黄帝殿,建福宮,杜甫の詩碑) (眠江にある施設、金剛堤,魚嘴,飛紗堰,宝瓶口からなる、二王廟)、 ※麗江旧市街(雲南省) (ヒマラヤ山脈東端の玉龍雪山(5596m)の麓・標高2400m,茶馬交易で栄えた納西(ナシ)族の古都,)、 ※蘇州古典庭園(千年前,明代の9つの庭園) (拙政園(蘇州最大の園,與翠,同坐軒閑居,梧竹)、絹師園(獅子林)、五峰仙館、留園、 退思園(冠雲峰,瑞雲峰)、芸圃(げいほ)(洞門)、環秀山荘、滄浪亭、?園(ぐうえん))、 古琴音楽(無形文化遺産)、 ※ィ和園(西大后)、 ※孔廟(山東省曲阜(魯の都))(孔子死後のB.C.478年創建,南北1300m.東西1000m) (杏壇、奉文閣(代々皇帝が孔子に宛てた書物が納められている)、 十三碑亭(50余の皇帝からの石碑が納められている))、 大成殿(2対の龍が彫られた十龍柱が前面にあり、奥に孔子像が鎮座・祭られている)、 ・孔府(孔廟の東,衍聖公(孔子の直血の子孫に与えられた役職)の役宅と住居群,463棟) (役人60人、使用人900人以上がいた)、 (大門,儀門(皇帝のみ通れる門),内宅門(私邸エリアと分ける門), 前上房(客室),鉄山園(皇帝が来た時に宴を開く庭園), 後堂楼(孔子直系77代孔徳成(最後の衍聖公,台湾に連れ去られる)が結婚式を挙げ、居住していた))、 ・孔林(孔子一族の墓地)、 ※黄山(安徽省南部に連なる峰々の総称) (上海の南西350km,大小72峰(蓮華峰、合掌峰など),45本の黄山松(迎客松、送客松、など), 奇岩(飛来石、葡萄を喰う猪八戒、雲海を見る猿、荷物を背負う老人、など),屯渓,百丈滝) (一億年前に隆起した花崗岩が氷河や風雪で侵食され、、)(水墨画の大半を占める景色)、 ※秦の始皇帝陵墓と兵馬俑(黄河中流域,漢中平原,西安(旧長安)郊外)(1974年発掘) (鎧甲軍吏俑,戦武士俑,厩座俑,文官俑8体)、 ※泰山(山東省)(標高1545m,麓から頂上まで9q,6000段の階段) (麓に泰安市,天 殿,岱廟,漢柏,東岳泰山神が奉ってある,東岳大帝啓蝉回ル図(背後の壁画,幅62mx高3.3m)) (経石峪(金剛経経文,1900年,5p四方の文字が1067),清摩崖(清代高宗の書),迎客松, 五大夫松(B.C.219年に始皇帝が雨宿りに使い、官位を与えた),十八聖(450段の最後の急な階段), 南央門,天街坊,道教総本山碧偵元君祠(3000u,落雷対策に建造物は石と銅だけで造られている), 無字碑(2100年前、漢の武帝が石碑を納めようと用意したが文字が浮かばなかったという古事あり), 唐摩崖(唐代玄宗の書))、 ※武陵源の自然景観と歴史地区(湖南省)(3000の石柱,奇岩,怪石,幽谷) (宝鉢湖,黄龍洞(2km,20mの石筍),持葉老人,神兵集会,仙女献花,箒筆峰,天橋道墳, 天下第一橋(357m),宙空田園(現地住民の土家(トウチャ)族の造った田園))、 ※古都平遥(山西省,北京から西に500q) (高さ10mを越す全長7kmの城壁,土壁を煉瓦と石で覆う,16世紀,明朝時,城門は六ヶ所) (市楼,塩の売買権を得た山西商人・富豪の拠点,長昇源(17世紀前,300年以上黄酒(ホアンシュ)を造る造り酒屋 日昇昌(旧票号・銀行)(清代),華北第一?「金票」局(警備会社)(長拳,八掛掌),)、 ※四川のジャイアントパンダ保護区群(四川省) (5000m級の山が連なる,30ヶ所を越す保護施設のうち7つの保護区, 総面積1万5千平方q,五千種を越す植物,3割の野生のパンダが生息する) (臥竜自然保護地区(保護区最大,パンダ渓谷,ジャイアントパンダ保護研究センター(1989年設立), レッサーパンダも生息している),), ※九塞溝の自然景観と歴史地区(四川省,チベット高原東,全長50qの渓谷) (長湖(標高3159m,起点の湖),五花湖(標高2472m),40種の固有の藻,火花湖(標高2178m), 犀牛湖(標高2315m,マニ車が回る),珍珠灘(標高2150m),芦葦湖(標高2139m,水深1m程の浅瀬に無数の葦), 森林伐採が深刻だった(標高2140m,石灰質が沈み込んでいる)) ※石林(雲南省)(石灰岩の柱の形状の岩がぽこぽこ,黒松岩林群),れい破(貴州省)(円錐の山がぽこぽこ), ※開平の望楼閣(広東省,香港の西200km) (1800の楼閣がある,瑞石楼(開平で一番高い))、 在日中国大使館経済商務参賛処
ユーラシア大陸東中央部、中華人民共和国国内西南部にある自治国。 東部は、揚子江の源流の金沙江を境に中国・四川省、 その南に中国・雲南省、そこを流れる金沙江やメコン川の源流の潤滄江や サルウィン川源流の怒江を跨ぎ、南部国境の東端でもあるミャンマーとの国境。 北東部は中国・青海省と接し、北部は崑崙山脈を境に新疆維吾爾(ウイグル)。 西部はカシミールとの国境を有し、 ヒマラヤ山脈を挟み、インド・ヒマチャルプラデシュ州。 南部は、ヒマチャルプラデシュ州の東隣にウッタルデシュ州、 ネパール、インド・シッキム州、ブータン王国、インド・アルナチャルデシュ州、 ミャンマー、との国境がヒマラヤ山脈を挟んで連なる。 首都は南部、雅魯蔵布江(ヤルンズアンボ川)に面する拉薩(ラサ)。 公用語は中国語。現地語はチベット語。 民族はチベット民族、移民してきた漢民族など。 歴史 7世紀初め、統一国家の吐蕃がたてられる。(〜9世紀中頃) 822年、ラサで唐と唐蕃会盟。 1253年、元に服属させられる。 16世紀半ば、タタール部に従属させられる。 17世紀、ジュンガル部に支配される。 1755年、ジュンガル部(他、青海・モンゴル・東トルキスタン・カザフスタン南東部)を清朝中国に攻略される。 1950年、中華人民共和国に侵攻される。 1956年、武装蜂起を起こす。 1959年、大規模な武装蜂起に発展するが、人民解放軍に介入される。インドに亡命政府樹立。 1965年、中華人民共和国チベット自治区成立。
新疆維吾爾(シンチヤンウイグル)
ユーラシア大陸中央東に位置するタリム盆地を中心とする自治区。 北西はカザフスタン、キルギスタン、西はタジキスタン、アフガニスタン、 南西にカシミール、南部はチベットと接している。 州府はジュンガル盆地の南端の都市・烏魯木斉(ウルムチ)。 公用語は中国語。原住民はウイグル語(チェルク語)を使う。 民族はウイグル族、移民してきた漢民族。 歴史 552年、突厥(トルコ系)がおこり、柔然を滅ぼし、帝国を築く。 6世紀末、内紛により分裂。西突厥がおこる。 651年、唐に滅ぼされる。 710年頃、勢力を回復した東突厥が回収する。 755年頃、ウイグル(回)族が帝国を興す。突厥を滅ぼし、配下に置く。 9世紀中頃、ウイグル帝国はキルギスに滅ぼされる。 滅ぼされたウイグルの一部が東部のイリ盆地に拠ってカラ=ハン朝をたてる。 1132年、カラ=ハン朝を滅ぼし、カラ=キタイ(西遼)をたてる。 12世紀前半、東方から西遼に併合される。 1211年、ナイマン族に国を奪われる。 13世紀初め、モンゴル帝国に服属させられる。 15世紀前半、オイラート部に支配される。 16世紀半ば、タタール部に侵出される。 17世紀、ジュンガル部やホショト部に支配される。 1755年、ジュンガル部(他、青海・チベット・モンゴル・カザフスタン南東部)が 清朝中国に攻略される。 1759年、清が回部を平定。新疆成立。 1933年、東トルキスタン・イスラム共和国建国宣言。 1944年、東トルキスタン共和国建国宣言。 1949年、中華人民共和国成立。共産党による解放。 1955年、中国で2番目の自治区新疆ウイグル自治区となる。
ユーラシア大陸東部、中国南東部にある広東省の九竜半島の先にある香港島と その対岸と235の離島の旧英国租借地。 北東は大鵬(タイパン)湾、北西は深チェン湾で、北部陸境は中国と接している。 首都のような総領事所在地は香港新界。 公用語は中国語。日常語しては中国語の広東語や英語が使われている。 民族は、華僑や中国本土から移入した中国人(漢民族)が多くを占め、 あと返還後もいる英国人や他地域からの難民や移民からなる。 通貨単位は香港ドル。 歴史 1842年、清朝中国からイギリスに割譲される。 1860年、北京条約が結ばれ、香港島の対岸の九竜半島の一部をイギリスに割譲する。 1898年、九竜半島と威海衛を99年の期限でイギリスに清朝中国は租借される。 1997年7月1日、イギリスから一国二制度の元、中国(中華人民共和国)の領土に主権が復帰する。 2020年6月30日、香港国家安全維持法成立。 香港ン制度(言論や表現の自由、報道や出版の自由、民主主義的価値観など)に 中国(中華人民共和国)が警察権や軍事力の行使を含めた介入が可能にされる。 香港政府観光局
澳門(マカオ)
ユーラシア大陸東部、中国南東部広東省珠江(チュー川)河口、
周囲およそ13kmの半島。香港の対岸に位置する旧ポルトガル領。
(画像はフランシスコ・ザビエル修道院)
東側60km対岸に香港があり、北は中国本土と陸続きで、広東省珠海市。
西は中国沿岸の島々で、南は南シナ海で遠くに西沙諸島。
公用語は中国語、ポルトガル語。
歴史
1517年、ポルトガルが明から居住権を得る。
1553年、ポルトガルが占拠。東洋貿易の拠点とした。
1602年、オランダに攻撃される。
1999年12月、ポルトガルから中国に返還される。
ユーラシア大陸東部沖合いに浮かぶ島。 北部は日本の最西端の島・与那国島(沖縄県)が海を挟んで羨望でき、西側は台湾海峡を挟んで中国の広東省・福建省があり、 南部にはフィリピンがあり、東部は太平洋に面し、日本領海と接し、南東は米領マリアナ諸島とミクロネシアがある。 公用語は台湾語といわれている中国語の方言の一つ。 山岳ではセデック語(台湾高砂諸語)を使う土着の高山(カオシャン)族がいる。 他、民族には、古くから中国から渡ってきた中国人の子孫の内省人と、中共革命で敗退してきた中国人とその子孫の外省人、 日本占領下からいる日系人からなる。 通貨は台湾ドル。 歴史 6世紀末、隋が征服する。 1624年、居住していた日本人を追い出したオランダに占領される。 1661年、明の鄭成功がオランダ人を駆逐して、占拠。 以降、明の鄭成功の子孫が拠る。 1683年、清に屈服。 1895年、下関条約により清(現中国)から日本に割譲され、日本領にされる。 1945年8月15日、日本が連合国に第二次世界大戦敗戦。中国に返還される。 1949年、国共内戦に破れ、中国本土を追われた国民党軍が流入。中華民国臨時政府樹立。
東南アジア
ユーラシア大陸南東部沖合いの大小7107の島からなる島国。 (画像はパナウエの棚田) 北部はバシー海峡を挟んで台湾があり、北西方向には南シナ海を挟んで中国がある。 西は南シナ海を挟んでインドシナ半島ベトナム、 南南西はバラバク海峡を挟んでボルネオ島マレーシア領、 南はセレベス海とインドネシアのマレー列島。 東部にはマリアナ海溝があり、南東にパラオ、フィリピン海を挟んで米領マリアナ諸島。 首都は北部の大きな島・ルソン島の南南西、マニラ湾東岸の都市マニラ。 公用語は、現地語のタガログ語、他、英語、スペイン語。 言葉としては他に各地に、イロカノ語、カパンパンガン語、ビコル語、 ヒリガイノン語、セブアノ語、サマル=レイテ語など、多数存在する。 少数民族も多く、モロ族、ビサヤ族など170部族。 通貨単位はペソ。 歴史 1521年、ポルトガル人のマゼランに見つけられる。 16世紀半ばにスペインが進出してきて、占領される。 1565年、スペインに侵略を開始される。 1571年、スペインがマニラを建設し、根拠地とする。 1898年、独立宣言をするが、アメリカは宣言を無視し、スペイン領からアメリカ領になる。 1934年、36年に亘る抗米ゲリラ戦で米国に10年後の独立を約束させる。 1941年12月8日、日本に侵攻される。 1942年1月2日、日本軍によってマニラ陥落。 1943年10月14日、独立を宣言。日本の後ろ盾に名目上の独立をする。 1944年10月、日本軍を駆逐してアメリカ軍が上陸。 1946年、7月4日フィリピン共和国として独立。米軍基地はアメリカが引き続き占領。在比米軍は駐留。 1992年、クラーク空軍基地、スビック海軍基地をアメリカに返還させる。 2018年、バンサモロ基本法成立。ミンダナオ島に自治政府の樹立容認。 世界遺産 コルディレラの棚田群、 プエリト・プリンセサ地下河川国立公園、
ユーラシア大陸南東部のインドシナ半島の東海岸沿いを占める国。 北部は中国雲南省・広西壮族自治区と接し、北東部はトンキン湾を挟んで中国海南省と近接する。 西側は、北半分はラオスと、南半分はカンボジアと接している。 南は海を挟んでマレーシア(東マレーシア(ボルネオ島))がある。 東側には南シナ海と係争中の南沙諸島があり、その向こうにはフィリピンやマレーシアがある。 気候は亜熱帯から熱帯モンスーン区に、北部から南部へ推移する。 首都は旧北ベトナム、トンキン湾に流れ込むソンコイ川下流部域近くの都市ハノイ。 公用語はベトナム語。言語としては、他、ムオン語、フランス語。 民族はアンナン(ベトナム)族。他、51の民族からなる。 通貨単位はドン。 歴史 B.C.220年頃、秦の遠征軍に平定され、南海郡などを置かれた。 秦の滅亡(B.C.206年)頃、南越国独立。中国広東・広西両省と北部地方を領有。 B.C.111年、漢(武帝)に滅ぼされ、南海郡などの9郡を置かれた。 北部(安南)は秦漢(B.C.221〜A.D.220)から隋唐(589〜907)までおおむね中国の支配下。 2世紀末、南部では漢の日南郡からチャム人がチャンパー(林邑→占城)を興す。 1010年、李氏が李朝大越国(〜1225)建国。昇竜(ハノイ)に都を置く。 1225年、政治の実権は陳氏に変わる。陳朝大越国(〜1400)。 1287年、元が侵攻。撃退。 1407年、内乱が絶えず、明の直轄領にされる。 1428年、大越国独立。明の朝貢国になる。 1802年、反乱を平定して阮朝越南(〜1945)をたてる。 1857年、フランスナポレオン3世が宣教師殺害を口実に武力干渉。 1858年、フランスはスペインと連合してダナン・フエを攻撃。 1861年、フランス・スペイン連合軍にサイゴンを包囲陥落させられる。 1862年、南部3省をフランスに割譲。 1873年、フランス武器商人とベトナム官憲の間に衝突が起こり、 北部に派遣されていたフランス軍が紅河デルタ一帯を占拠。 亡命華人に率いられた軍事組織黒旗軍の攻撃によりフランス軍は撤退に追い込まれる。 1874年、第二次サイゴン条約(フィラストル条約)が結ばれ、 紅河航行の開放が決まり、主要都市にフランス軍が駐留する。 1882年、突如、フランス軍にハノイほか主要都市が占領される。 1883年、黒旗軍とベトナム軍がフランス軍指揮官リヴィエールを敗死させる。 本格的な武力侵攻をフランスはし、フエを侵攻。 宮廷に迫ったフランスに第一次フエ条約(アルマン条約)を結ばされ、 フランスに黒旗軍駆逐の自由を付与してしまう。 1883年8月、フエ条約を結び、フランスに保護国化を図られるが、清が宗主権を主張し、 フランスと清朝中国とが対立。 翌1884年、フランスと清国の全面戦争。 1885年6月、両国に天津条約が結ばれ、フランスに保護国化される。 1887年、仏領インドシナ成立。 1940年、北部に日本軍が仏軍を排し、進駐。 1941年、南部にも日本軍が仏軍を排して、進駐。 1943年、ヴェトナム独立同盟結成。 1945年、日本の傀儡バオ=ダイ政権が倒れ、ヴェトナム民主共和国成立。 1946年、フランス介入。対仏インドシナ戦争始まる。 1949年、フランスによりバオ=ダイ政権復活。 が、パテト=ラオや自由クメールと連帯して抗仏戦争を展開。 1954年、ディエン-ビエン-フー陥落。ジュネーヴ協定により休戦。 北緯17度線をもって、北にはヴェトナム民主共和国、南にはヴェトナム共和国、と分立。 1960年、南ヴェトナム解放民族戦線結成。 1963年、ヴェトナム共和国でクーデター。 1964年、ヴェトナム共和国(南ヴェトナム)側につきアメリカ合衆国が軍事介入。 1968年、アメリカ合衆国に北爆の部分停止を宣言させる。 1973年、パリで停戦協定。アメリカ軍を撤収させる。 1975年、南ヴェトナムが北ヴェトナムに無条件降伏。(ヴェトナム共和国の消滅) 1976年、ヴェトナム社会主義共和国として統一。 1978年、北部国境で中国と衝突する。(中越戦争) 1979年、カンボジアを侵攻。駐留。 世界遺産 ※フエの建造物群(中部,ベトナム戦争の激戦地) (フエの王宮(Hue Royal Citadel)(清代の故宮を模している), 太和殿(Thai Hoa Palace)(朱塗りの柱,龍の絵が彫られ、描かれている), 紫禁城址(Forbidden Purple City)(太和殿の裏,グエン朝の王居), 明命帝陵(Minh Mang Mausokum),第3代皇帝明命(ミンマン)の墳墓(扉の向こうは丘), 嗣徳(ツードゥック)帝陵(Tu Duc Mausokum)(明命帝陵の北4km), 和謙殿(板ガラスに絵を描いたガラス絵が多数残る), 世廟(The Mieu)(王宮近く,歴代皇帝が祀られている, フランスに抗して流刑になって当地で亡くなった8代10代11代皇帝の遺灰も戦後戻され、祀られている), 啓定(カイディン)帝陵(Khai Dinh Mausoleum)(森の中,第12代皇帝陵,バロック風,ベルサイユ宮殿を模す)、 ※宮廷音楽ニャーニャック(無形文化遺産)、 ※ハーロン湾(降龍湾)(2000を超す奇岩が浮かぶ,南西のニンピン省タムコックは陸のハーロン湾といわれる, ディエンフォン洞窟寺(龍はこの地から天に舞い上がったという伝説, その龍が翡翠を吐き出し、降龍湾の風景に), 奇岩(闘鶏,香炉,親指,カエル,人の顔,),レウ島(アカゲザルが自然繁殖している), ボノ洞窟,スーンソット洞窟(高さ20mの鍾乳石がある),ダウゴー洞窟(輝く方解石の結晶が見られる), チンヌウ洞窟(新石器時代の独特な石斧,両刃の石斧が発掘されている),バンチャイ村(水上村))、 ※古都ホイアン(貿易陶磁器博物館,来還橋(通称日本橋)、 ベトナム社会主義共和国在日大使館
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島の南部にある小国。(画像はアンコールワット) 南東から東側国境をベトナムと接し、西側と北部国境西側をタイと接し、北部国境東側をラオスと接する。 南西部はシャム湾に面していて、対岸にはタイ領マレー半島がある。 首都はメコン川流域近くのプノンペン。 公用語はクメール語。他、フランス語、英語も使われている。 民族はクメール族。 通貨単位はリエル。 歴史 68年、アンコールボレイ(現在のべトナム側の国境近く)を首都として扶南が興る。 550年頃、ソンポールプレクックを首都に真臘が興る。 713年、真臘は南北に分裂する。 7世紀、北部の真臘が扶南を併合。 790年頃、アンコール王朝が建てられる。 802年、北西部にアンコール王朝が興る。 1113年、アンコールワット建設開始。 周辺(現ベトナム・ラオス・マレーシア・タイ・ミャンマー)を配下に置く。 1431年頃、アンコール王朝が衰亡する。 1602年、ロンヴェーグの王族が一応の再統合する。 1863年、シャム・カンボジア保護条約締結し、王権保護の為の仏人理事官を王国政府の最高官とされる。 1867年、シャム・カンボジア保護条約を破棄させられ、 王都をウドンからプノンペンに移し、フランスによる保護王国化を確定される。 1884年、保護条約が更新され、行政最高顧問に理事長官が置かれ、フランス人が就任。 国王の行政力は奪われた。 1907年、西北のバッタンバン、シソポン、シエムリアプの3州をシャムから奪還、編入する。 1941年1月、日本がフランスから奪い、占領する。 1945年、日本が敗退して、フランスが再占領する。 1946年、自治を認められるが、フランスの支配内容は変わらず。だが、制憲議会開催を許される。 1952年、シアヌークがクーデターを起す。 1953年、フランスからカンボジア王国完全独立。シアヌークのもと、社会主義的中立国策を進める。 1954年、フランスもそれを認める。 1970年、クーデター。親アメリカ政権ロン・ノル将軍政権誕生。 1972年、クメール共和国と改名。 1975年、ポルポト派により親米政権が打倒され、プノンペン陥落。 クメールルージュ・民主カンボジア成立。 1979年、ベトナム軍に侵攻される。ポルポト政権崩壊、密林に逃走。 親ベトナムのサム・リン政権樹立。カンボジア成立。内戦激化。 1993年5月、内戦終了と共に国連監視の元、普通選挙が行われる。 同年9月、新憲法発布。カンボジア王国発足。 1998年11月、新政府成立。 2008年、プレア=ヴィヒア州の国境未画定地でタイと銃撃戦になる。 世界遺産 アンコール遺跡 在日カンボジア王国大使館
・タイ王国 Tighland
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島中南部に位置する国。旧称シャム。 (画像はワット・プラ・シー・サンペット) 南部はマレー半島北部を有し、マレーシアと国境を接する。西部・西北部とミャンマーと国境を接し、 マレー半島部の西岸はインド洋ベンガル湾に面し、対岸にはインド領アンダマン・ニコバル諸島がある。 東部はカンボジア、北東部はラオスと国境を接する。 南岸・マレー半島東部と、タイ(シャム)湾に面している。 首都はタイ湾に流れ込むメナム(チャオプラヤ)川下流域のバンコク。 公用語はタイ語。民族はシャム族の他、ラオ族などの山岳民族が少数民族として存在する。 宗教は小乗仏教。南部4県ではイスラム教徒が多い。 通貨単位はバーツ。 歴史 13世紀前半、シャム族がスコタイ王国を形成。 1359年、スコタイ朝などを併合したアユタヤ朝が14世紀頃から有力に。 1438年、以降に服属国のスコタイはアヨドヤ王国領に編入する。 1752年に興ったビルマ族アラウンバヤー朝(〜1885)にアユタヤ朝は滅ぼされる。 1767年、アユタヤ朝が滅亡させられる。 1782年、アラウンバヤー軍を追い返した後、チャクリ朝(バンコク朝)が開かれた。 1786年、清に属国にされる。 1893年、ラオスをフランスに譲渡。 1907年、北東のバッタンバン、シソポン、シエムリアプの3州を仏領カンボジアに奪還、編入される。 1932年、クーデターにより立憲君主国となる。 2006年9月、軍事クーデター。 2008年、民生復帰。 2008年、バッタンバンの国境未画定地でカンボジアと銃撃戦になる。 世界遺産 スコータイとその周辺の古都、 古都アユタヤ(Ayutthaya)(バンコクの北80q,チャオプラヤ川の中洲) (ワット・チャイ・ワッタナラーム(仏教に帰依する王と民衆のレリーフ), ワット・プラ・シー・サンペット(アユタヤ最大の寺院(寄進した寺院375中最大)), ワット・マハータート(仏像に大木が絡まっている), ワット・スワンダーラーラーム(現王室の特別な庇護下にある), ワット・ラーチャプーラナ,ワット・ヤイ・チャイモンコン, ワット・ラーチャプーラナ(アユタヤ朝の貴重な宝物・装飾品が数多く出土), ポルトガル人村教会跡(ポルトガル人の遺骨が200体),ワット・マヘーヨン(再建された))、 在日タイ王国大使館
・ラオス
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島中東北部に位置する内陸メコン川に面した国。 北部を中国雲南省と国境を接し、北東部にはアンナン山脈などの山並みが延び、ベトナムとの国境を有している。 北の方の西部はミャンマーと隣接していて、南西部にはメコン川が流れていて、タイとの国境を有す。 南部はカンボジアと国境を接している。 首都はメコン川沿、タイとの国境近くのビエンチャン。 公用語はラオス語、ベトナム語。フランス語も一部で使われている。 民族はラオ族が多くを占め、他、苗(ミャオ)族が北部にいる。 通貨単位はキープ。 歴史 1383年、 1893年、シャムからフランスが取得。フランス領インドシナに加えられる。 1954年、フランスから独立を獲得。ラオス王国成立。 が、ブーマ政権とパテト=ラオとの間で内戦状態が続く。 1971年、アメリカ合衆国と南ヴェトナム軍に南ラオスを侵攻される。 1974年、両者の間にラオス和平協定が成立。臨時民族連合政府が発足。 1975年、王制を廃止、ラオス人民民主共和国成立。 世界遺産 ☆チャンパサックの文化的景観にあるワットプーと関連古代遺産(Wat Phou)(アンコール文明の始祖) (プーカオ山(須弥山に見立てられる),アンコールから250km,ナンシダ寺(Nang Sida Temple), タオタオ寺(Thao Tao Temple)(救済者や貧者の療護院),トモー寺(Tomo Temple)(9世紀のlingaが出土), 乳祇祷師のレリーフ,ワニの石,象の岩)、 ラオス政府観光局
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島西部に位置し、マレー半島西部にまでいたる国。 東は北部分をラオスと接し、残り南は半島域までタイとの国境を有す。 北は中国西蔵自治区と接し、北東部は中国雲南省と接する。 北西部にはパトカイ山脈が連なり、インドのナガランド・マニプル・ミゾラム州と接する。 西部はベンガル湾に面し、湾岸の北西部はバングラディッシュとの国境を有す。 南西はアンダマン海に面し、沖合いにはインド領アンダマン諸島が浮かぶ。 気候は、熱帯モンスーン気候。一年中暑く、乾季と雨季がある。 首都はネピドー。ピンマナ(ヤンゴンの北320km)。 (2005年まで、アンダマン海に流れ込むエヤワディ(イラワジ)川の支流の流れるヤンゴン(英名ラングーン))。 公用語はミャンマー語。 言語は、英語、モン語、カレン語、カチン語、カナン族、など、ビルマ民族以外の少数民族の数だけある。 通貨単位はチャット。 歴史 ビルマ人は当初中国西南部に住んでいた。 唐代(618年〜907年)に雲南で南詔国をたてる。 10世紀初め、南詔国が滅ぶと、その部下が大理国をたてる。 1044年、パガン朝(〜1287)をたてる。 1253年、大理国が元に滅ぼされる。 1287年、モンゴル軍によりバガン朝が滅ぶ。以降、諸王朝が興亡。 1752年、ビルマ族がアラウンバヤー朝を興す。(〜1885) 1767年、アユタヤ朝を滅ぼし、タイを支配。 1782年、タイから撤退する。 1769年、清に服属させられる。 1824年、国境紛争をきっかけにベンガルのイギリス東インド会社軍にラングーンに上陸される。 1826年、イギリス東インド会社軍がラングーンから北上してきてビルマ平原のバガンまで侵入される。 同年、ヤンダホー条約が結ばれ、 ベンガルに接するアラカン・マレー半島西海岸のテナセリム地域を割譲される。 1852年、ラングーンやシリアムなどの諸港をイギリスに占領される。 1853年、イラワジ・デルタを含む下ビルマ一帯をイギリスに領土化される。 1886年、イギリスと清の条約。清国への朝貢(〜1895)と同時に、イギリスの支配を承認される。 同年、併合されてインドの一州として英国の植民地に。 1937年、インドから分離。 1942年1月19日、日本軍が侵入。名目上独立国となる。 1945年8月15日、日本敗戦、撤兵。再び、イギリス領にされる。 1948年、ビルマ連邦共和国としてイギリスから完全独立する。 1974年、憲法によりビルマ連邦社会主義共和国となる。 1988年、軍事クーデターが起こり、英名のビルマから現地語音のミャンマーとする。 2004年、ヤンゴンから遷都。 20021年2月、軍事クーデター。 対外戦争は、 ビルマ戦争(対イギリス,1824〜26、1852〜53、1885〜86)、
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島よりさらに南に伸びているマレー半島の南部(西マレーシア)、 及び、その東海上に浮かぶ世界有数の大きさのボルネオ(カリマンタン)島・北部(東マレーシア)からなる国。 西マレーシアは、北部はタイとの国境を有し、南西にはマラッカ海峡を挟みインドネシア・スマトラ島を臨む。 マレー半島南沖にはジョホール水道を挟んでシンガポールがある。南東にはインドネシア・ジャワ島・バリ島、など。 東にはボルネオ島(東マレーシア)が浮かぶ。 東マレーシア(ボルネオ島)は、南はイラン山脈を挟みインドネシアと接する。 北東はバラバク海峡を挟んでフィリピン、島中北部にはブルネイと接する。 北は南シナ海に面して、領有権を争っている南沙諸島とベトナムがあり、北西はシャム湾を挟んでタイ。 西には西マレーシアとシンガポール、インドネシア・スマトラ島。 首都はマレー半島中南部にあるクアランプール。 公用語はマライ語、英語。華僑では中国語も使われている。 民族はマレー民族が70%弱、30%が華僑、他インド人など。 宗教は、イスラム教を国教としている。 通貨単位はリンギット。 錫の産出量は世界一位。 歴史 1390頃、マラッカ王国成立。(〜1511) 1511年、マラッカ王国はポルトガルに侵攻される。 1526年、ポルトガルにビンタン島は破壊される。 1530年頃、ビンタン王は南端に移動し、ジョホール王国(西マレーシア)を建設する。 1602年、オランダに東インド会社が設立され、ポルトガルからオランダが奪う。 1641年、マラッカをポルトガルからオランダが奪う。 1786年、ペナン島をイギリスが武力占拠。 1800年、ペナン島の対岸のケダー王国領が年金と保護を条件にイギリスに割譲される。 1819年、オランダからマラッカをイギリスが獲得。 1840年、ブルネイ王国スルタンに英国人冒険商人ジェームズ・ブルックが サラワク(ボルネオ島現サラワク州)の王に任命される。 ブルックは英国海軍と協力して海賊を制圧し、 領土を拡大し、ブルネイから独立。ブルック王国建設。 1848年、タイピンに錫鉱床が発見され、中国人が移民し始める。 1867年、イギリスがペナン・マラッカを直轄化におき、海峡植民地を開いた。 1870年代、マレー諸王国の内紛にイギリスが本格介入してくる。 1874年、ペラクに親英的なスルタンを選出させ、 海峡植民地知事の指揮下にある理事官の設置を認めさせられた。 理事官はしだいに徴税権や裁判権をもつようになり、ペラクは事実上イギリスの保護国にされる。 1878年、英国人アルフレッド・デントが北ボルネオ会社を設立。 ブルネイとスールー王国から現在のサバ州にあたる地の賃借に成功される。 1885年、スペインとイギリスは協定を結び、北ボルネオがイギリスの勢力圏となる。 1888年、ブルック王国、北ボルネオ会社の租借地、ブルネイ王国をイギリスに保護領とされる。 1890年代中頃、ペラク、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハンの4スルタン王国に 理事官制度が施行される。 1895年、海峡植民地知事の指揮するマレー連合州への参加を強制される。 1901年、ゴムのプランテーションが始まり、 労働力としてスリランカなどからタミル人などのインド人が移民してくる。 20世紀初め、ジョホール王国もイギリスの保護下に入れられた。 1909年、シャムの朝貢国だったケダー王国、クランタン王国、トレンガヌ王国が英国の保護国にされる。 西マレーシア(マレー半島部)とシンガポールにあたる地域が英領マレーにまとめられる。 1957年、マラヤ連邦としてイギリス連邦内の独立国にされる。 1963年、サバ・サラワク・シンガポールと合併してマレーシア発足。英連邦から独立する。 1965年、宗教・政策に従わないシンガポールを分離、独立させる。 世界遺産 ☆キナバル公園(東南アジア最高峰キナバル山がある)、 ☆グヌン・ムル国立公園(ボルネオ島(BORNEO)サワラク州(SAWARAK)北西部) (DEER CAVE、CLEARWATER CAVE、PACIR CAVE、WIND CAVE、他、無数の洞窟・鍾乳洞がある密林地帯)、
ユーラシア大陸南東部に浮かぶカリマンタン島北東部沿岸にある小さな立憲君主国。
東西南をマレーシアに囲まれ、北は南シナ海に面していて、北対岸には中国、北東対岸にはフィリピン、
北西対岸にはベトナムが在る。その南シナ海中央に浮かぶ南沙諸島の一部領有を主張している。
首都はムアラ港の西側領にあるバンダルスリブガワン。
公用語はブルネイ語、英語。
通貨単位はドル。
歴史 5世紀、仏教の都市国家が既に成立。
15世紀、イスラム教王国として全盛期を迎える。
1571年、スペイン、次いで、英国に侵入される。
1840年、スルタンが英国人冒険商人ジェームズ・ブルックをサラワクの王に任命する。
ブルックは英国海軍と協力して海賊を制圧し、領土を拡大し、ブルック王国建設、独立される。
1888年、ブルネイ王国がイギリスの保護領にされる。
1959年、憲法を発布。内政自治を回復させる。
1971年、軍事・外交以外の主権を奪取。
1983年、英連邦から独立。
1984年1月1日、完全独立を果たす。
ユーラシア大陸南東部に存するインドシナ半島 よりさらに南にのびているマレー半島の南端に浮かぶ島国。 北部はジョホール水道を挟んでマレーシア。 南西はビタン島などインドネシアの小島が多数あり、 南東にマラッカ海峡の入り口、その向こうにインドネシアスマトラ島がある。 気候は熱帯雨林気候。 首都はシンガポール島南部にあるシンガポール。 公用語は英語、中国語、マライ語。 民族は76.9%、8割近くが華僑。他、マレー人が14%、インド人が7.7%、など。 通貨はシンガポールドル。 歴史 1530年頃、ジョホール王国を建設する。 1819年、英国東インド会社のラッフルズが建設。 1824年、ジョホール王からラッフルズが買収。 1832年、海峡植民地の首都がペナンから移る。 1867年、イギリスは直轄下におき、海峡植民地とする。 1957年、外交・国防を除く自治権をイギリスから獲得する。 1963年、マラヤ連邦・サバ・サラワクと合併して、英国からマレーシアとして独立。 1965年、人種・経済的対立からマレーシアから分離独立。シンガポール共和国となった。 シンガポール政府観光局 在京シンガポール大使館
オーストラリア大陸北西沖、ユーラシア大陸南東部、赤道周辺、 マレー半島南西沖からニューギニア島まで東西2000qに大小1800の島々からなる広い領域を持つ島国。 大きな(知られてる)島としては、西からスマトラ島・ジャワ島・バリ島・カリマンタン島、 スラウェシ島・ティモール島・モルッカ諸島(香料諸島)・ニューギニア島、などがある。 (画像はボロブドゥール寺院遺跡群) 西部のスマトラ島北東はマラッカ海峡を挟んでシンガポールやマレーシア・タイを臨み、 北西にはインド領ニコバル諸島。スマトラ島南西、ジャワ島南部にはインド洋が広がる。 中部のカリマンタン島(ボルネオ)の北半分はマレーシア領とブルネイ。 中部スラウェシ島(セレベス)北部はセレベス海を挟んでフィリピン、 マルク諸島(モルッカ)の北東沖にはパラオ、イリアンジャ(西パプア)北部には米信託領カロリング諸島。 小スンダ列島東部、ティモール島東部は東ティモール。 東部のニューギニア島の西半分はパプアニューギニアで、陸の国境を有す。。 南部の東側にはオーストラリア、西側はインド洋に面して、はるか遠くに南極大陸に達する。。 首都は南東部大スンダ列島ジャワ島北西部、ジャワ海に面する都市のジャカルタ。 公用語はインドネシア語(マライ語)。他、英語、ミナンカバウ語、バタック語、アチェ語 、ジャワ語、スンダ語、 マドゥラ語、バリ語、ササク語、ンガジュ語、ダヤク語、スンバ語、ビマ語など、700語以上。 言語の多さにわかるように、民族もマレー族、ジャワ族、華人、をはじめ、他多数300以上いる。 宗教は、国教ではないがイスラム教信仰者が90%以上を占め、他、キリスト教、ヒンズー教など。 通貨単位はルピア。 歴史 7世紀〜、シュリーヴィジャヤ王国にかわってマジャパヒト王国成立。 9世紀、ジャワのシャイレンドラ王家が強大となってシュリーヴィジャヤ王国を支配する。 13世紀、元がジャワに遠征してきて、混乱。クルタラージャサが混乱に乗じ統一。 1512年、ポルトガルにモルッカ諸島のアンボンを占領される。 1520年頃、ジャワ島で、バンテン王国やマタラム王国など成立。 1522年、テルテナ島(マルク諸島)に要塞をポルトガルに建設される。 1527年頃、ドゥマクにマジャパヒト王国は滅ぼされる。 1602年〜05、モルッカ諸島をポルトガルからオランダが奪う。 ジャワ・スマトラ・セレベスをオランダに征服される。 1605年、テルテナ島(マルク諸島)・アンボン島をオランダがポルトガルから奪取する。 1619年、ジャワにオランダがバタヴィア(現ジャカルタ)を建設する。 1623年、アンボイナ虐殺事件が起こり、オランダによりイギリスはモルッカ諸島から排除される。 1675年、ブギス=マカッサル人にマタラムは反乱を起こされ、 スラバヤなど沿岸都市から王都(ジョクジャカルタ近郊)を陥落させられる。 1679年、マタラム王家に求められて支援して、反乱軍を破ったオランダ東インド会社に ジャワ北海岸諸都市を保障占領され、要港スマランなどを割譲。 1682年、西ジャワの胡椒王国バンテンをオランダに完全服属させられる。 1709年頃、オランダにバンテン王国などは圧迫され、オランダは植民地化し始める。 1811年、イギリスに命ぜられた英東印会社のラッフルズにジャワを占領される。 1816年、イギリスは東インドをオランダへ返還する。 1824年、ロンドン条約が結ばれ、イギリスから英領ベンクーレンが蘭領マラッカ(現マレーシア)と引き換えに オランダ領東インドに組み込まれる。 1830年、オランダにジャワの諸王国領をジョクジャカルタなど王都の周辺に限定され、 ジャワ島のほとんどを直接統治下に置かれる。 1833年、長期の戦乱ののち、オランダに西スマトラの大部分を占領され、西スマトラ州を作られる。 1858年、シアク王国が内紛に乗じたオランダに保護領化される。 さらに、東海岸の港市国家はオランダの武力に服属させられる。 1859年、オランダとポルトガルの間でリスボン条約が結ばれ フローレンス島東部・ソロール島・アドナラ島をポルトガルからオランダが買収、 1873年、アチェにオランダが侵攻する。 1912年、長期の民衆的な抗戦を排して、オランダにアチェ全土を征服される。 1942年3月、日本がオランダを撃退し、侵攻・進駐する。 1945年、日本軍撤退。独立宣言。これを不満とする再び進駐したオランダと武力衝突。 1945年、西スマトラ州にアチェを合併する。 1949年、国連の仲介によって独立が承認され、スカルノ氏が初代大統領に。インドネシア共和国成立。 1959年、自治権をアチェに付与する。 1962年、国連がイリアンジャヤを暫定統治する。 1963年、イリアンジャヤの行政権がオランダから移譲される。 1966年3月、軍事クーデター。 1968年、スハルト強権体制始まる。 1969年、イリアンジャヤを併合する。 1975年12月7日、東ティモールに武力介入。侵攻する。 1976年、東ティモールを併合する。 1997年、アチェでGAMが独立宣言。政府は自治州として残留することを望む。 1998年、スハルト体制終焉。 1999年、東ティモールで住民投票で独立派が勝利。暫定機構が置かれる。 2002年5月20日、東ティモール共和国が成立。独立宣言される。 2002年、アチェ自治州をナングロアチェ・ダルサラム州とする。 対外戦争は、 ジャワ戦争(対オランダ,1825〜30年)、 パドリ戦争(対オランダ,) 世界遺産 ☆ボロブドゥール寺院遺跡群(ジャワ島中部・2968mのムラピ山近く,世界最大の仏教遺跡) (時計回りに仏教の物語が浮き彫りの彫刻が並ぶ)、 ☆ブランバナン(↑の東50km、ジャワ島最大のヒンズー教寺院跡)、 ☆ロレンツ国立公園、 ☆コモド国立公園(コモドオオトカゲが唯一、
アチェ
ユーラシア大陸南東部マレー半島とマラッカ海峡を挟んで対岸にあるインドネシア・スマトラ島の北西端の地域。 北東は海を挟んでマレーシア、北はアンダマン海、北西はインド領ニコバル諸島、 南西はインド洋、南東はインドネシア。 州都はバンダアチェ。 言語はアチェ語、インドネシア語。 民族はアチェ人。(多くがイスラム教徒シーア派) 歴史 1520年頃〜、胡椒栽培地や金の輸出港を支配し、アチェ王国が強力になる。 17世紀前半、ジョホールを攻撃し、マレー半島やスマトラ島沿岸も支配。 1629年、ポルトガル領マラッカを攻撃するが、敗北。 1873年、アチェ王国にオランダが侵攻する。 1912年、長期の民衆的な抗戦を排され、オランダにアチェ全土を征服される。 1945年、インドネシア西スマトラ州に合併される。 1959年、自治権をインドネシアから付与される。 1997年、GAMが独立宣言。 だが、インドネシア政府は自治州として残留することを望む。 2002年、インドネシア領ナングロアチェ・ダルサラム州とされる。 2006年、スマトラ沖地震の大津波により甚大な被害を被る。。
スラウェシ(セレベス)
東南アジア、インドネシアのマレー諸島東部の島。 西はマカッサル海峡を挟みボルネオ島があり、北にはセレベス海がフィリピンとの間にあり、 北東にはモルッカ海とマルク(モルッカ)諸島(旧称香料諸島)、南東にバンダ海、 南にフロレス海を挟んでコモド島などの小スンダ列島が東西に多数浮かぶ。 州都はウジュンパンダン(マカッサル)。 公用語はインドネシア語。現地では、ゴロンタ語、ブギス語、マカッサル語、なども使われている。 民族はブキ族、マカッサル族、華僑など。
・東ティモール
オーストラリア大陸北北東部沖に浮かぶティモール島の主に東半分を占める国。 西はインドネシア領ティモール、南はティモール海を挟んでオーストラリア。 東はインドネシア東部に小島群とアラフラ海、ニューギニア島、北はアロル諸島など小島群、その向こうはバンダ海。 首都は北岸の中心都市ディリ。 公用語はポルトガル語。現地語のテトゥン語やインドネシア語も国民の間では使われている。 歴史 16世紀、ポルトガルが占拠する。 1661年、ポルトガルとオランダは平和条約を締結し、相互の勢力圏を承認。 (これによって東ティモールはポルトガルに帰属) 1697年、ポルトガルがリファウに主都を建設。 1701年、リファウにポルトガルから初代総督を派遣される。 1769年、ティモール人とトバッス(混血)の反乱が起こる。主都をリファウからディリに移す。 1859年、ポルトガルとオランダでリスボン条約が結ばれ、 フローレンス島東部・ソロール島・アドナラ島がオランダに買収され、 バンター島・オロール島の主権をポルトガルが放棄する。 1863年、マカオから行政権が独立。 1866年、ディリで大火災。マカオ・チモール州として再びマカオ政庁の行政下に置かれる。 1899年、正式にマカオから独立した行政区になる。 1904年、東西の国境線調整に関してポルトガルとオランダで協定が結ばれる。 1914年、ポルトガルとオランダが国境線を調整。 オエクシを除く飛び地はオランダ領に編入。(現国境線が確立される) 1941年、オーストラリア・オランダ軍が進駐する。 1942年、日本軍に占領される。 1945年、日本は引き揚げ、再びポルトガルの宗主下に置かれる。 1970年代半ば、ポルトガルが宗主権を放棄。独立派とインドネシア併合派の内戦になる。 1975年12月7日、インドネシアが武力介入。侵攻される。 1976年、インドネシアに併合される。 1999年、住民投票で独立派が勝利。暫定機構が置かれる。 2002年5月20日、独立宣言。東ティモール共和国成立。 世界遺産
西パプア(イリアンジャヤ(インドネシア領))
オーストラリア大陸北部沖に浮かぶ世界で2番目に大きな島・ニューギニア島。その西半分を占める地域。 南はアラフラ海を境としてオーストラリア・ノーザンテリトりーやカーペンテリア湾があり、 西はパプアニューギニアと接し、北は西カロリン海盆を挟んでパラオがあり、東はインドネシア。 州都はパプアニューギニアとの国境に近い太平洋に面する都市ジャヤプラ。 公用語はインドネシア語。 民族はメラネシア系人。(多くがキリスト教徒プロテスタント) 歴史 1961年、オランダが独立を了承。それにインドネシアが反発、西イリアン解放闘争を宣言。 1962年、国連が暫定統治する。 1963年、行政権がオランダからインドネシアに移譲される。 1969年、インドネシアに併合される。 2000年6月4日、独立宣言。 2001年10月22日、インドネシア議会は大幅な自治を認める法案を可決。 世界遺産 ☆ロレンツ国立公園(Lolenz) (南部,海辺の低地ジャングルから5000m級の山の頂まで,東南アジア最大の国立公園) (中央高地(島を東西に貫く,オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突,今でも年間5cm隆起), ハベマ湖(標高3225m,ここにしかない固有種・植物が自生する,パプア州だけで500種のラン類), カールステンツ山(海抜4884m),450種の鳥類,有袋類も生息する,ジェイカ村(Jewika))、
南アジア
ユーラシア大陸中部、インド洋に突き出たインド半島の南西に浮かぶ1190の島々からなる諸島国家。 (うち有人島は200あまり) 北・北東沖には大国インド。東沖にはスリランカ、遠くにはインドネシア・スマトラ島。 北西沖はアラビア海を挟み、パキスタン・イラン・オマーン。同緯度西沖にはソマリア。 南沖には英国領ディエゴガルシア島とチャゴス諸島。南西沖にはセイシェル。 首都はマレ。 公用語はディベヒ語、英語。 通貨単位はルフィア。 歴史 1965年、英連邦から独立。モルジブ王国独立。 1968年、スルタン制を廃止。モルジブ共和国成立。
ユーラシア大陸南東部のインド半島の南東部に浮かぶセイロン島を中心とした島国。 北西岸対岸には大国インド。西沖にモルジブ。 首都は南部西岸にあるコロンボより内陸のスリジャヤワルダナプラコッテ。 公用語はシンハラ語。北部の少数民族の間ではタミル語が使われている。 民族はシンハリ族(多数が仏教徒)。北方に少数民族タミル族(多くがヒンズー教徒)。 通貨単位はルピー。 歴史 1510年、ポルトガルに占拠される。 1602年、オランダがポルトガルから奪う。 1815年、ウィーン議定書が調印され、オランダ領からイギリス領にされる。 1948年、イギリス連邦内の自治国としてセイロン成立。 1972年、国名をスリランカ民主社会主義共和国と改める。 1973年、LTTE(タミルの虎解放軍)との内戦がはじまる。 2009年、北部のLTTE(タミルの虎解放軍)拠点を大規模軍事制圧する。 世界遺産 ダン・ブッダの黄金寺院、古代都市シーギリア、古都ポロンナルワ、 シンハラジャ森林保護区(南部,1万ヘクタールの熱帯雨林)、 聖地アヌラーダプラ(スリランカ仏教発祥の地)、 ゴール旧市街、 在日スリランカ大使館
・インド
ユーラシア大陸南部の大国。(画像はデリーにあるタージマハール)
南東岸、南岸、南西岸とインド洋(ベンガル湾・アラビア海)に面し、南西沖合いにはモルジブ諸島があり、
南東岸にはポーク海峡を挟んでセイロン島・スリランカ、ベンガル湾を挟みインドネシアの国境がある。
北部にはヒマラヤ山脈がそびえ、ブータン、ネパール、中国、カシミール、と国境を接する。
北西部はカッチ湿地・・大インド砂漠(タール砂漠)を挟んで、パキスタンと国境を接し、
北東部はバングラディッシュを東・北・西と囲み、その北部をパトカイ山脈を挟み、ミャンマーと国境を接する。
ベンガル湾東方にアンダマン諸島・ニコバル諸島がならび、東沖対岸にはミャンマー、タイ。
南東沖にはインドネシア・スマトラ島。
首都は東北のヒンドスタン平原西奥、ガンジス川に流れ込むヤムナー川沿いのニューデリー。
民族はインド民族(多くがヒンズー教徒)。他、ドラビダ族、など。
公用語は英語、ヒンディ語など15語。日常語としては、他、ラージャスターン語、パンジャーブ語、カシミール語、
マイタール語、ビハール語、アーメダバード語、マラティ語、オリヤ語、ベンガル語、アッサム語、(以上インド・ヨーロッパ諸語)
クイ語、テルグ語、カンナダ語、マラヤラム語、タミル語、(以上ドラビダ諸語)、サンタール語(オーストロ・アジア語)など1500もある。
通貨単位はルピー。
歴史
B.C.7〜6世紀頃、ガンジス川中流付近を中心に16の王国が成立。
やがて上・中流域のコーラサ王国と下流域のマガダ王国が有力になる。
コーラサ王国をマガダ王国が押さえて北インドの大半を支配する。
B.C.326年、アレクサンドロス大王の遠征軍に西北インドを侵入され、パンジャーブ地方を平定される。
B.C.317年頃(320年)、マガダ王国のナンダ王朝を一部将のチャンドラグプタが滅ぼし、マウルヤ王朝をおこす。
B.C.305年、インダス川流域までマウルヤ朝が支配する。
B.C.268年頃、インド南端を除く全インドをマウルヤ王朝が支配する。
B.C.230年頃、マウルヤ王国は急速に衰亡。北インドには異民族が侵入して、分裂。
B.C.170年頃、バクトリア王国にインダス川流域に侵入される。
B.C.1世紀、デカン高原を中心にドラヴィダ族がアーンドラ朝をたてる。(〜A.D.3世紀)
320年、ガンジス川中流域にグプタ朝が建設され、インドの主要部分を統一する。
5世紀中ごろ、西北からエフタルに侵入され、グプタ朝は圧迫され、マガダ地方に縮小。北インドは混乱する。
5世紀末、ラージプターナ地方にラージプト族が定住する。
6世紀末、ヴァルダナ朝がおこる。
606年頃、ヴァルダナ朝の王ハルシャ=ヴァルダナが南インドを除く全域を支配する。
647年、ハルシャ=ヴァルダナ死去。以降、国土は分裂状態になる。
7世紀、インド化したラージプート族が北インド一帯に勢力を張る。
以降、ラージプート諸王朝が興亡する。
11世紀初め、ガズナ朝の王(スルタン)がラージプート連合軍を破って、パンジャーブ地方を支配下に置いた。
1148年頃、トルコ系のゴール朝が北インドに侵入。
1192年、北インド一帯をゴール朝に支配される。
1206年、ゴール朝のインド領統治にあたってたトルコ人将軍のクトゥブ=ウッディン=アイバクが奴隷王朝をおこした。(〜1290)
1290年、奴隷王朝に代わってハルジー朝が興る。(〜1320)
1320年、ハルジー朝に代わってトゥグルク朝が成立する。(〜1414)
1414年、サイイド朝がトゥグルク朝に代わって成立する。(〜1451)
1451年、アフガン系のロディー朝がそれまでのトルコ系に代わって成立。(〜1526)
16世紀前半、パーブルが侵攻してくる。
1510年、ポルトガルにゴアを占領される。
1526年、パーブルがデリーのロディー王朝を破り、西インドを征服する。
次いでヒンドゥー教徒を破り、ガンジス川流域を併せ、ムガール帝国を建設する。(〜1858)
1556年頃、ラージプート族を征服。南端部を除くインドの大部分を統一する。
1658年頃、ほぼ全インドを統一する。
17世紀中頃、デカン高原を中心にヒンドゥー教徒のマラータ族がマラータ同盟を結成。ムガール帝国南征軍を破る。
パンジャーブ地方でシーク教徒が台頭する。
18世紀初め、各地でヒンドゥー諸侯が割拠(藩王国)し、帝国は名目上の存在となる。
1765年、ムガル皇帝に年金をあたえる約束でイギリスが一帯の租税徴収権・司法権を得て、初代ベンガル知事を置く。
1773年、知事をベンガル総督とし、東インド会社をイギリス本国の監督下において領土支配者に変容させる。
1775年、中部でヒンドゥー教徒のマラータ同盟と英国の戦争がおこる。(〜1782,1803〜05,1817〜19)
18世紀後半、南インドのマイソール王国と英国が対立。4度にわたる戦争。
1803年、デカン高原周辺でマラータ同盟にイギリスが侵略する。
1817年、三度イギリスがマラータ同盟に戦争を仕掛ける。
1819年、中部もイギリスの配下に入れられる。
19世紀中頃、大半をイギリスに征服される。
1843年、イギリス連邦に併合させられる。
1857年、第一次独立戦争が起こる。(〜59)
1858年、ムガル皇帝をイギリス連邦に廃され、ムガル帝国は名実ともに滅びる。
イギリス政府は東インド会社を解散させ、直轄地とした。英国領インド成立。
1877年、英国ヴィクトリア女王がインド皇帝をかね、インド帝国成立。
1886年、ビルマを併合して、一州として英国の植民地にする。
1919年、英国でインド自治法とローラッド法が発布。
1935年、新インド統治法が成立。イギリス連邦内での自治が実現される。
1937年、ビルマに分離される。
1947年8月15日、イギリス連邦からパキスタンと分離・インド独立。
1949年8月、ブータンと友好条約を結び、英国に代わりブータンに駐留する。
1950年、憲法を制定してインド共和国となる。
1961年、ポルトガルからゴアを返還させ、併合する。
1975年、シッキムを併合する。
対外戦争は、
第一次独立戦争(対イギリス連邦,1857〜1859年)、
第二次独立戦争(対イギリス連邦,1945〜1947年)、
第1次印パ紛争(対パキスタン,1947年)、
印中国境紛争(対中華人民共和国,1959〜1962年)、
第2次印パ紛争(対パキスタン,1965年)、
第3次印パ紛争(対パキスタン,1971年)、
行政区 ミゾラム州・アイザウル、トリプラ州・アガルタラ、マニプル州・インパール、ナガランド州・コヒマ、(バングラ東部)
メガラヤ州・シロン、アッサム州・ディスブル、シッキム州・カントク、(バングラ北部)
ビハール州・パトナ、ウェストベンガル州・カルカッタ、オリッサ州・ブハネシュワル、(東海岸北部)
アンドラプラデシュ州・ハイデラバード、タミルナド州・マドラス、(東海岸南部)
ケーララ州・トリバンドラム、カルナータカ州・バンガロール、マハーラシュトラ州・ボンベイ、(西海岸)
グジャラート州・ガンディーナガル、(パ国境沿い西海岸)
ラージャスターン州・ジャイプル、パンジャーブ州・チャンディーガル、(パ国境沿い南)
ヒマチャルプラデシュ州・シムラ、ジャンム=カシミール州・スリナガル、(パ国境沿い北)
ハリアナ州・ニューデリー、ウッタルプラデシュ州・ラクナウ、マッディアプラデシュ州・ボーパル。(内陸)
世界遺産 ☆ダージリン・ヒマラヤ鉄道(北東部)、☆ゴアの教会と修道院(南西岸)、
☆クトゥブ・ミナールとその周辺(デリー)、☆フマユーン廟(デリー)、
☆エローラ石窟群(ELLORA CAVE)(デカン高原,マハーラーシュトラ州,6世紀〜10世紀に岩山を刳り貫いた34の石窟)
(1〜12窟・仏教窟,13〜29窟・ヒンズー教窟,30〜34窟・ジャイナ教窟)、カイラーサ寺院・エローラ第16窟,奥行き85m)、
☆アジャンター石窟群(デカン高原,マハーラーシュトラ州,紀元前の仏教壁画,彫像)
(30窟のうち保存状態が良いのは、1窟、2窟、16窟、17窟)、
☆サンチーの仏教建造物()、☆ブッタガヤの大菩薩寺()、
☆マーマッンラフラムの建造物群(MAHABACIPURAM)(南部東海岸,チェンナイ(旧マドラス)の南,10世紀前後のヒンズー遺跡)
(クリシュナ・マンダンバ石窟,マビシャマルディニー窟,他10以上の石窟,野外彫刻,ガンジス川の降下,
石窟寺院(1つの石から出来ている),五つのラタ(ダルマラージャ ラタ,ピーマ ラタ,アルジュナ ラタ,
ドラウバディー ラタ,ナワラ・サハディーヴァ ラタ(他の4基から離れている,象がモチーフ,未完成)))、
☆タージマハール(北部,アーグラー(AGURA))(ムガル帝国第4代皇帝シャージ・ハーンにより1643年建立)
(真ん中にミナレットとドームを有す廟,右に迎賓館,左にモスク)、
☆ファテープル・シークリー(FATEHPUR SIKRI)(北部,アーグラー南東)(ムガル帝国第3代皇帝アクブルが建設した,14年で放棄)
(モスク,宮廷,ディーワーニ・ハース(内閣殿)(皇帝への謁見,4つの吹抜け,赤い砂岩),フワープ・ガーフ(王の寝所),
ヒラン・ミナール(望楼)(象牙を模した石が無数付いている),ジョード・バーイーク(息子の妃にとったヒンズー教徒の王女の館),
ハンチ・マハル(五層閣),ミリアムの館(アクブルの妻の館),ピルパルの館(トルコ王妃の館,イスラム風),
アーグラー城(16〜17世紀))、
☆チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(Chatratj Shivaji Terminus)(北部西海岸ムンバイ市(旧英名ボンベイ))
(インドで初めて造られた駅,英国の建築技師スティーブンス設計,ビクトリアゴシック様式,ジョージ5世時)
(インド門(1924年),鉄道本社ビル(3層アーチ,柱廊(インド・イスラーム様式,スペイン・コルドバ様式,イタリア・ヴェネツィア様式),
中央ドーム(螺旋階段),ライオンの像(駅舎正面,英国の象徴),トラの像(駅舎正面,インドの象徴)),孔雀の意匠,
行政庁舎(1893年),ボンベイ大学図書館(1878年)(80mの時計搭))、
☆ナンダデヴィと花の谷(ガンジス川源流域,3500m,600種類以上の高山植物が自生)、
在日インド大使館
ユーラシア大陸南部インド半島東部ガンジス川下流、 低地にある小さなイスラム教国。(画像はダッカにあるラルバグフォート) 南岸はインド洋ベンガル湾、残る三方向をインドに国境を囲まれ、南東端をミャンマーと接する。 首都はガンジス川河口三角州の北東にあるダッカ。 公用語はベンガル語と英語。 民族はインド民族。多くがイスラム教徒。 通貨単位はタカ。 歴史 16世紀、ムガール帝国に征服される。 1765年、ムガル皇帝に年金をあたえる約束でイギリスが一帯の租税徴収権・司法権を得て、 初代ベンガル知事を置く。 1773年、知事をベンガル総督とし、東インド会社をイギリス本国の監督下において領土支配者に変容させる。 1877年、イギリス領インド帝国成立。 1947年、イギリスからインドと分離独立。パキスタン領東パキスタンとして成立。 1971年3月26日、バングラディッシュとして独立宣言。 同年12月16日、パキスタンから独立を勝ち取る。 1972年、バングラディッシュ人民共和国成立。 世界遺産 ☆パハールフル仏教寺院、 ☆バゲルハットのモスク都市(南部クルナ県) (サイト・グンドット・モスク,チュナ・コラ・モスク,9ドームのモスク, シンタ・ビール・モスク,カーン・ジャハーン廟)、 ☆シュンドルボン(最南端にある湿地帯)、 在日バングラデシュ大使館
ユーラシア大陸南部インド半島北東部、崑崙山脈南部にある山国。 北部は中国、南部はインド。西はインド・シッキム州を挟み、ネパールがある。 東は、中印国境紛争の中立地帯アルナチャルプラデシュ。 首都は西部の山中にあるティンプー。 公用語はチベット語。 歴史 1907年、初代王が王位に就く。英国の支援の下、地域の豪族を統一。 1910年、英国の保護国にされる。 1947年、英国から独立。ブータン王国再成立。 1949年、インドと友好条約が結ばれ、インド陸軍を駐留させる。
ユーラシア大陸南部、ヒマラヤ山脈にある立憲王国。 国の南部国境はインドと接し、東はインドのシッキム州を挟んでブータンがある。 北部はヒマラヤの尾根が連なり、中華人民共和国チベット自治区がある。 首都はガンジス川に流れ込む支流の上流域にあるカトマンズ。 公用語はネパール語。英語をも使う人も多い。 民族はチベット系ネパール人。他、ネワール人、中国から流れてきたチベット人。 歴史 4世紀ころ、ヒマラヤの岩塩とインドの布の交易で王国が栄えてくる。 13世紀、マッラ王朝がカトマンズ盆地を手中に収める。 カトマンズ・パタン・バクタプールの三王朝がそれぞれを統治。 18世紀、 1959年、チベット動乱で多数のチベット人が流れてくる。 2006年、王権を剥奪。 2008年5月、王制廃止。連邦共和制に移行。 世界遺産 ロイヤル・チトワン国立公園、 仏陀生誕の地・ルンビニー、 サガルマータ国立公園(SAGARMATHA)(6000m級の峰が30以上連なる)(チベット名チョモランマ,英名エベレスト) (ピグフェラゴ(Pigpherago)6719m,タウェツェ(Tawetse)6495m,タムセルク(Tamserku)6618m, フンクー(Hunku)6119m,プモ・リ(Pumo Ri)7138m,クスム・カングル(Kusum Kangguru)6370m, アマ・ダブラム(Ama Dablam)6814m,カンテガ(Kantega)6783m,エベレスト(Everest)8848m, ナンパ氷河(Nampa Glacler),クンブ氷河(Khumbu Glacler),ドゥード・ポカリ湖(Dudh Pokhari) アイスフォール(Ice Fall),ヌプツェ(Nuptse)7864m,マカール(Makalu)8485m, イムジャ湖(Imja Cho)20世紀にできた標高5010m水深100m以上ある湖)、 カトマンズ盆地(チャングナラヤン寺院(Changu Narayana)(ヒンドゥー教), スワヤンブーナート寺院(Swayambhu)(仏教),パタン旧王宮(Patan),バクタプール旧王宮(Bhaktapur), カトマンズ旧王宮(Kathmandu),インドラチョーク(かつての交易の道), ニャタポラ寺院(バクタプール市内)(ヒンドゥー教),クマリの館(カトマンズ市内), クリシュナ寺院(パタン市内)(ヒンドゥー教), ボーダナート大塔(カトマンズ郊外)(世界最大のストゥーパ)(仏教))、 在日ネパール王国大使館
ユーラシア・アジア大陸南部内陸、ヒマラヤ山脈西部の山間国。現在はインド領とパキスタン領に分かれる。 南東をインド、南西をパキスタン、北東を中国のチベット・新彊、北西をアフガニスタンに囲まれている。 スリナガル(インド側州都)、ムザファラバード(パキスタン側中心都市)。 使用言語はカシミール語(インド諸語)。 歴史 962年、サーマン朝のトルコ人傭兵がガズナ朝をたてる。 1148年頃、ガズナ朝にかわりゴール朝が興る。 1526年、ティムール帝の子孫のバーブルがロディー王朝を破り、西インドを占領。 同年、ヒンズー教徒と戦って、ガンジス川流域を合わせ、ムガル帝国を建設。 18世紀初め、ムガール帝国を割拠。カシミール藩国が成立。 1877年、藩王国は合併され、大英帝国のインド帝国成立。 1947年、イギリスから独立し、分離したインドとパキスタンに帰属の選択を迫られ、 ヒンズー教徒のカシミール藩国王はインドを選択。が、国民はイスラム教徒のため、紛争に発展。
ユーラシア・アジア大陸南西部、インダス川流域にある地域大国。 南東をカッチ湿地・タール砂漠を挟んでインドと長い国境を接し、北東はカシミール、中国とある。 北西はアフガニスタンの南部と国境を接し、南部の西はイランと接し、 南岸にはアラビア海、遠く沖合いにはモルジブ。 首都はインダス川上流域、ガンダーラ仏跡近くにあるイスラマバード。 公用語は、ウルドゥー語、英語。 他、日常語として、バルチ語、シンド語、パシュト語、 パンジャーブ語、カシミール語、(以上インド・ヨーロッパ諸語)が各地方で使われている。 歴史 B.C.326年、アレクサンドロス大王の遠征軍が侵入、パンジャーブ地方を平定する。 B.C.170年頃、バクトリア王国がインダス川流域に侵入される。 11世紀初め、ガズナ朝の王(スルタン)にラージプート連合軍は敗れ、パンジャーブ地方を支配される。 1148年頃、ガズナ朝にかわりゴール朝が興る。 1192年、北インド一帯を支配下に置く。 1526年、ティムール帝の子孫のバーブルがロディー王朝を破り、西インドを占領。 同年、ヒンズー教徒と戦って、ガンジス川流域を合わせ、ムガル帝国を建設。 17世紀中頃、パンジャーブ地方でシーク教徒がムガール帝国に反して台頭する。 1845年、パンジャーブ地方のシーク教徒とイギリスが交戦。(〜1846,1848〜49) イギリスに鎮圧され、支配される。 1858年、パルチスタン藩国、カシミール藩国は存続。以外はイギリス領インドとなる。 1877年、英国女王がインド皇帝をかね、藩王国を含むインド帝国成立。その配下に。 1947年8月15日、イギリスからインドと分離独立。 1956年、パキスタン成立。 1971年3月26日、東パキスタンに独立宣言される。 同年12月16日、バングラディッシュとして東パキスタンに独立を勝ち取られる。 対外戦争は、 第1次印パ紛争(対インド,1947年)、 第2次印パ紛争(対インド,1965年)、 第3次印パ紛争(対インド,1971年)、 カーネギー紛争(1991年)、
中央アジア
西アジア
ユーラシア・アジア大陸西部、中近東の東に位置する内陸国。 北はウズベキスタン、タジキスタン、と国境を接し、 南東部はパキスタン、西をイランと接している。 首都は北東部にある交易路の交差点の街・カブール。 公用語はパシュトゥー語(イラン諸語)。一部で、ウズベク語、タジク語、ペルシャ語、など使われている。 民族はパシュトゥー人が6割を占め、少数にウズベク人、タジク人、ハザラ人、など。 通貨単位はアフガニ。 歴史 962年、サーマン朝のトルコ人傭兵がガズナ朝をたてる。 11世紀初め、ガズナ朝の王(スルタン)はラージプート連合軍を破って、パンジャーブ地方を支配下に置いた。 1148年頃、ガズナ朝にかわりゴール朝が興る。北インド一帯を征服する。 1500年、ティムール帝国瓦解。 1526年、ティムール帝の子孫のバーブルが国をたてる。 1526年、ロディー王朝を破り、西インドを占領。 同年、ヒンズー教徒と戦って、ガンジス川流域を合わせ、ムガル帝国を建設。 1796年、ムガル帝国に服属していたアフガン人がアフガニスタン王国興す。 1881年、イギリスの保護国にさせられる。 1919年、保護国のイギリスに宣戦。同年、講和が成立。 1921年、完全な独立をイギリスに承認させ、アフガニスタン王国再成立。 1978年、軍事クーデター。アフガニスタン社会主義共和国成立。 1979年、クーデター。ソビエト連邦軍に侵攻される。 1989年、ソ連軍を撤退させる。 1992年、親ソ連社会主義政権崩壊。暫定政府樹立。 1994年、暫定政府崩壊。内戦状態になる。 同年、南部にタリバン(神学生という意味)が発足。 1998年、タリバンが国土の9割を支配下に置く。アフガニスタン・イスラム共和国樹立。 2001年10月、アメリカが空爆。同年12月、タリバン政権崩壊。同月22日、暫定政権発足。 2004年10月、大統領選挙がおこなわれる。アフガニスタン共和国樹立。 2021年8月15日、米軍撤収。タリバン復権。 対外戦争は、 第1次アフガン戦争(対大英帝国,1838年〜42)、 第2次アフガン戦争(対大英帝国,1878年〜81)、 第3次アフガン戦争(対大英帝国,1921年)、 世界遺産 バーミヤン渓谷(Bamiyan Valley)の遺跡と景観(フォラディ渓谷にも30余窟)、 ジャムのミナレット(西部の都市ヘラートから東に車で2日,標高1900m、ハリー川とジャム川の合流域) (世界第2位の高さ(65m)のミナレット(台座の直径9m))クシュカクの丘(ヘブライ語の多量の墓石が出土)、 、