【脱走特急】
製作年 1965年、米
監督  マーク・ロブスン → アバランチ・エクスプレス
出演  フランク・シナトラ トレバー・ハワード
【あらすじ】
 第二次大戦下のイタリア戦線。撃墜された米陸軍航空隊のライアン大佐(フランク・シナトラ)は捕虜となりイタリア軍が管轄する収容所に送られる。そこにはフィンチャム少佐(トレバー・ハワード)以下のイギリス兵が収容されていた。彼らは反抗的なため、収容所所長から制裁を受けみすぼらしい格好をしていたが、ライアンは脱走に備えて隠匿していた物資を配るよう命じ、脱走も禁止した。 そういう振る舞いにフィンチャムは反感を持つが、やがてイタリア軍が降伏し、収容所も開放された。彼らは脱出しようとするが、ドイツ軍に見つかり、オーストリアに向かう貨車に全員が収容されてしまった。
 しかし、ライアンらは貨車の床下を壊して脱出すると、護送兵を襲い列車を乗っ取ることに成功する。ドイツ語が出来る従軍牧師の大尉がドイツ軍の将校に扮して、にせの命令書を作成して、列車をミラノに向かわせた。途中、連合軍側の空襲を受けたり、逃げ出した護送列車の指揮官と愛人をやむおえず射殺したり、ゲシュタポがライアンの腕時計を無心に来たりしたが、ドイツ軍にばれることなくミラノの手前まで到達する。そこからイタリア人の機関士のアイデアでスイスに向かうことにし、信号所を襲って混乱させてミラノを通過すると、列車はアルプスを望むところまで来た。
 異変に気付いたドイツ軍は戦闘機と追跡列車を使って列車の阻止を図るが、ライアンらがくい止めて列車はかろうじて国境を越えることができた。しかし、ライアン自身は敵弾に倒れてしまう。
【解説】
 「大列車作戦」では美術品をドイツに送ろうとする話だったが、この映画での荷物は連合軍捕虜である。イタリアはムッソリーニが失脚したため戦意を喪失し、連合軍がイタリア本土に上陸したとたんに休戦した。以後は在留ドイツ軍がイタリアで連合軍を迎え撃つこととなったが、ドイツ軍から占領されるかたちになったイタリアの人々は憤慨し、連合軍寄りになってしまうところはロベルト・ロッセリーニ監督の「戦火のかなた」(46年)などの作品でも描かれている。
 主演のフランク・シナトラは言わずと知れた20世紀のアメリカを代表する歌手だが、俳優としても、”ザ・ボイス”という異名の歌声を生かして「錨を上げて」(45年)、「私を野球につれてって」(49年)などのミュージカルに出演して絶大な人気を博していた。50年代にはいると、マフィアとの黒い関係が暴露されたりして低迷するが「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(53年)での渾身の演技が認められアカデミー助演男優賞を受賞する。得意のミュジーカルはもちろんシリアスものなど毎年3本近くもの映画に出演するまで人気が復活した。生涯に4度結婚しているが、この映画の収容所でのシークエンスをハリウッドで撮影中、隣のスタジオで撮影をしていたミア・ファローと知り合い30歳の年齢差をものともせず、翌年3度目の結婚をしてプレイボーイぶりを発揮している。トレバー・ハワードはイギリス出身でデヴィッド・リーン監督の「逢びき」で本格デビューした。あくの強い役柄が多く「戦艦バウンティ」では冷酷なブライ艦長を演じている。撮影はイタリアの各都市を実際に汽車を走らせておこなわれたが、映画に使用した貨車の中には衣装貨車や小道具貨車、撮影済みのフィルムを保存する冷房貨車まであり”移動する撮影所”としての役割もはたしていたそうだ。ドイツ軍の追跡列車に使われている743型蒸気機関車は、ボイラーの脇に取り付けられた温め装置に排煙を送り込んでボイラーの給水を温めるようになっている珍しい機関車である。
 映画で通過するミラノはイタリアン・ファッションの中心地として有名だが、その中央駅はヨーロッパ一壮大な駅としても知られている。ムッソリーニの国威発揚の一環として建設された宮殿のような駅舎は、1931年に完成し、頭端式のホームが18番線まである。1996年からフランスのパリよりTGVが乗り入れするようになり、2大ファッション都市が直接結ばれることになった。映画の中で列車はミラノからスイスに向かっているが、現在この路線はチザルピーノと呼ばれる振り子特急が走っている。これは車体傾斜装置により、カーブにさしかかると振り子のように車体を傾けることによりスピードを維持したまま曲がれ、旅客の不快感も緩和される代物で、この技術は日本とイタリアが優れている。ちなみに、車体と内装のデザインはカーデザイナーのジュージアロが手掛けており、使われているフィアット式の車体傾斜機構はフィンランド、ポルトガル、チェコなどの欧州各国にも技術導入されている。