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レコードコンサート

 このイベントを知ったのはステレオサウンドですが、8月に行われた3回目に申し込んだところ、定員30名に対し、何と230名の応募があったとのことで、見事に落選しました。その時の返信はがきに次回は11月に開催との案内があり、再度申し込んだところ、今回は当選し、ようやく参加できました。
 会場は練馬区役所 本庁舎4階会議室で、もちろん初めての訪問でしたが、まずは区役所の立派なことに驚きました。都庁ほど高層ではないものの、威圧感は似たようなものです。約30分前に到着しましたが、すでに10番目で、これは真ん中の席は無理かなと思ったとおり、やや左寄りですが、前から3列目でまずまずの条件でした。部屋の大きさはほぼ五味氏の部屋に匹敵するサイズだそうですが、幅5m×長さ10mといったところでしょうか。目測では50㎡で、オーディオ随想のページに記載した「西方の音」によれば、五味氏がオートグラフのために作った部屋は30畳(49.5㎡)ですから、確かにほぼ同じ容量です。ただし、当日のゲストであるティアックの清川氏によればもう少し天井は高く響きも良かったとのこと。それにしても個人の部屋にしては贅沢なサイズと思う一方で、オートグラフの大きさやその音を聴くに及んで、なるほどその位の広さは必要だろうなと思った次第です。
 当日のスタッフは三名で、主催者として練馬区の学芸員の方と、ティアックの清川氏、およびエソテリックの唐金氏。このレコードコンサートは毎回テーマを設定しているそうで、今回は「スピーカという楽器」でした。つまり、スピーカがテーマということで、これはラッキーでした。何故かといえば、五味氏といえばオートグラフというほど、氏のオートグラフへの思い入れは深く、氏の著作に一番多く登場するオーディオ機器だからです。
 そのオートグラフは区役所のこの部屋に設置するために作ったという台に載っており、見かけも非常にきれいで、45年も前のものには見えません。まずは音を聴いてみましょうと言ってかけたのは、バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルのマーラーの交響曲第五番 アダージョ。奥行きの深い部屋なので、前と後ろでボリュームの設定は異なりますが、そこはこのような試聴会の宿命で、真ん中あたりで最適になるようにセット。後半ややきついところはあったもののアダージョの最初で設定したにしては、もまあまあの感じでした。まず鳴り始めてはっとするのはブツブツ、ブチブチが目立つこと。最近の装置でアナログを聴くと、こんなに目立ちません。恐らくツイターの質が当時より格段に向上しているのためでしょう。しかし、その中で弦の音がしっかりと力強くきこえてきます。最近のオーディ機器の非常にきれいで透明な音とは対極の音といえるでしょう。

 そういえば、五味氏は西方の音で、初めて聴くオートグラフの音について次のように述べています。「カサドジュの弾くドビュッシーの前奏曲を次に聴いたが、盤質のよごれているのがこんなにハッキリ(つまり煩わしく)耳を刺したことはない。それでいてピアノの美しさはたとえようもない」

 一曲目が終わったところで、当日のゲストであるエソテリックの唐金氏による五味氏のオートグラフの話で、これは非常に興味深い話が聞けました。このオートグラフは約30年間放置状態にあったようで、練馬区が引き取った後、その扱いについて相談を受けた時、まずはエージングをしてくださいとのことで、半年間鳴らし続けたそうです。状態は良いものの、やはり接触不良で右側の低音がでなくなり、分解に踏み切ったとのこと。サランネットは簡単に外せますが、その後のユニットを取り出すのが大変な作業らしく、とにかくねじの多さと深さに閉口したそうです。そうやって取り外したユニットは、写真によれば紛れもない15インチのモニターレッドで、磁気回路カバーの色が鮮やかな赤でした。唐金氏はこの作業を慎重におこなったようですが、面白いのは五味氏がバッフルを分解しようとした跡が残っていたことで、それも一部だけネジの周囲が変色しており、途中であきらめたらしい。接触不良は、よくあるユニットのソケット部分で、対策は接点を良く磨くこと。問題は右側のスピーカだけを解体すると、締め付け状態が左側と異なってしまうので、問題のない左側も同じ作業をしたそうです。


 オートグラフの話が一段落したところで、次の曲はベートーヴェンの交響曲第九番、ベーム指揮、ウイーンフィル。先のマーラーは1963年の録音に対して、こちらは1970年の録音。7年しか違わないので、年代の差というよりも録音状態の差でしょうが、こちらの方がだいぶ聴きやすく、マーラーでちょっと弦がきついなと感じましたが、こちらはそんなこともなく、非常にバランスの良い音でした。現代のオーディオに比べると、明らかに違うのは透明感で、空間に漂うような音は出ない代わりに、骨格のしっかりした存在感のある音がします。ただし、音の分離は申し分なく、管楽器が埋もれることなく、よく聞こえてきます。低音も非常に豊かですが、バックロードホーンのせいでしょうか、いわゆる地を這う低音といった感じです。五味氏の音楽に対する姿勢に思いを馳せれば、確かに五味氏が心引かれたであろう音で、現代の音を聴いたら、きっときれいな音だけど、演奏家の魂が感じられないと言いそうな気がします。
 ちょっと意外だったのは、この第九のレコードの傷。久しぶりにアナログレコードのことを思い出しましたが、レコードのヒゲに拘っていた五味氏にしては、どうしたのかしらというところです。

 ついでに、もうひとつ意外だったのは練馬区に寄贈したレコードが800枚であること。五味氏はその著書のなかで、レコードコレクションは名盤と思うものを200枚もあれば十分で、枚数を誇ることほどくだらないことはないと書いています。そういう五味氏もやはり捨てるには忍びない、あるいは何度か聴いて良さがわかるかもしれないと思って捨てられなかったということでしょうか。
 最後にかけてくれたのが、ヨハネス・オケゲムのモテット集。15世紀の作曲家らしいが、合唱を聴けたのは幸運でした。まあ第九も合唱ですけど、欲をいえばピアノも是非聴いてみたいところです。オートグラフは教会の残響の多い雰囲気を出していましたが、ここでもやはり雰囲気で聞かすよりも、声、もしくは人の存在感が優先し、その点では現代にも通じる音であるどころか、最近のオーディオが失いつつあるものを示してくれているような気がしてなりませんでした。(2009年11月)