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日本語対訳

 CDの時代になってからはあまり話題にならないようですが、レコードの時代には国内盤と輸入盤の音質にかなり違いがありました。もっとも、自分で同じものを国内盤と輸入盤で聞き比べたわけではないので、個人的体験というよりもそういうことが定説であったと言うべきですが、それでも英EMIのレコードなど、国内盤に比べてしっとりした感じの音がした印象があります。現在所有しているCDの恐らく90%以上は輸入盤だと思いますが、これは音が良いからではなく、安いからです。最近は国内盤でも過去に発売したものをセットで安く販売しているようですが、特に新譜では1000円以上の差があります。これだけ差があるのに値下げしないというのも不可解ですが、もともとクラシックでは商売にならないので、価格競争はしないということでしょうか。
 そんなわけでもっぱら輸入盤を買うのですが、ひとつだけ困るのは日本語の対訳がついていないことです。和訳が必要なものの代表はオペラですが、イタリアオペラやフランスオペラの場合はあらすじをしっかり頭に入れておけば、CDに添付されている英語版でおおよその流れは理解できます。しかし、ドイツオペラ、特にワーグナーとかリヒャルトシュトラウスのオペラはこの方法では無理で、やはり日本語訳が欲しくなります。そういう時は仕方なく国内盤に頼ることになりますが、有名な曲はほとんど音楽之友社のオペラ対訳ライブラリが揃っていて、これを買ってもなおかつ国内盤より安いということも結構あります。
 言葉がわからないとその曲を理解したことにならないのはオペラに限りません。リートはもちろんそうですし、多くの宗教曲もそういった音楽の代表でしょう。年末ということで、メサイヤとかクリスマスオラトリオなどをCD棚から引っ張り出して聴いていましたが、バッハの音楽というのは独自の世界で、これ以上何が必要なのかと思うほど、音楽というものの持つあらゆる可能性が備わっており、確実にある周期性を持って回帰するようです。クリスマスオラトリオはクリスマス、つまりキリストの生誕に関するカンタータを集めたものですが、歌詞を知らなくても楽しめるとはいうものの、やはり曲に対する理解度が違います。そういった意味ではヘンデルのメサイヤも同じですが、こちらはもともと英語ですし、歌詞も比較的簡単なので、日本語訳がなくても十分楽しめます。とはいえ、やはり日本語訳があると便利なことは言うまでもありません。
 これらの宗教曲はファンも多いのでしょうか、最近はインターネットで多くの歌詞対訳が公開されています。たとえばメサイヤではメサイヤ解説というサイトがあり、この中に対訳も出ています。バッハのサイトも多くありますが、なかでも充実しているのがバッハの教会カンタータです。カンタータ全曲のカタログはもちろん、楽譜まであり、著作権保有者の協力なしではなし得ない偉業です。このサイトのメリットは単にカンタータの対訳を見るにとどまらず、その用途、作曲の背景など、よくぞここまで調べたと思う内容で、まさにインターネット時代の恩恵に感謝せずにはいられません。

 このサイトのおかげでバッハの作品はほとんどカバーされますが、対訳があれば良いと思える曲は宗教曲に限りません。まさに無限にあるわけですが、一方で良く聴く曲は限られており、そうなると欲が出てきて何でもネットで収集できないかと考えるわけです。最近のリリースではアーノンクールのシューマンのオラトリオで、楽園とペリ、ファウストからの情景です。これらは歌詞がないと聴いたことにならないのではないかと思える位歌詞が重要ですが、あまり知られていない楽園とペリもありました。こちらは個人の方が合唱団用に作られたもので、こいういった地道な作業を独り占めにせず、公開されるということに、心から敬意を表したいと思います。なお、このサイトはシューマンのほか、シューベルトのリートも多く、ハイドンのオラトリオ、天地創造も掲載されています。
 未だ見つからないのがファウストからの情景ですが、こちらはあの有名なゲーテの「ファウスト」の一部ですから、日本語訳はいくつもあります。ただし、当然シューマンが作曲した部分をを抜き出すという作業は必要です。このくらいはやらなくてはと、ファウストを読み始めたのですが、さすが多くの解説本があるだけあって難解です。文章というか話が難しいということではないのですが、その登場人物の位置づけや、彼らの独白の意味するところが難解です。読んでみてすぐ思うのは、これは戯曲というよりも詩であって、まさに全編が歌詞なのです。実はゲーテはモーツアルトに作曲して欲しかったという逸話があるそうですが、その真偽はともかく、このまま曲をつければオラトリオが出来上がるような感動的な詩が全編に満ちています。
 対訳はまず、輸入盤に付いている歌詞カードをOCRで読み込み、ドイツ語のテキストにして、その横に今度は日本語訳を並べる作業になります。ここでシューマンはどの部分を取り出したのかは非常に興味のあるところです。以下は原作の構成と、シューマンが曲を付けた部分の対比です。なお、原作は高橋義孝訳の新潮文庫「ファウスト」を引用しています。

原作

第一部
市門 の前
書斎
ライプイツィッヒのアウエルバハの酒場
魔女の厨
街頭

散歩道
隣の女の家
街頭

ファウストからの情景

第一部の前に「献詞」、「前狂言」、「天上の序曲」の三部構成の序章があり、この「天上の序曲」から始まるのかと思いきや、「庭園」の途中のファウストとマルガレーテ(グレートヒェンの愛称)との愛の告白の場面から始まる。
ただし、このオラトリオには序章に代わるものとして、オペラかと思うようなすばらしい序曲があります。

庭園
あずまや
森林と洞窟
グレートヒェンの部屋
マルテの家の庭
噴水のほとり
市壁の内側に沿った小道

教会
ワルプルギスの夜
ワルプルギスの夜の夢
曇れる日
 野原
 夜、広き野
 牢獄

Nr.1 庭のシーン
 ただし、前半部分のマルテとメフィストフェレスの会話部分は省略し、かつ後半はカットされ、次の「あずまや」の前半までが含まれる。

Nr.2 聖母像の前のグレートヒェン
 自らの罪を聖母に告白する場面。原文そのまま。
Nr.3 教会のシーン
母を欺き、兄を失ったグレートヒェンが、神の怒りに押しつぶされる場面。第一部の山場でここを選んだのは納得。ただし登場人物のせりふは交錯しており、音楽的効果を高めている。
原作で第一部の悲劇を最も良く表しているのは牢獄であるが、この部分は引用されていない。

第二部
第一幕
 優雅な土地
 皇帝の居城
第二幕
 狭いゴシック式の高い丸天井の部屋
 実験室
 古代のワルプルギスの夜
第三幕
 スパルタのメネラーオスの宮殿の前
第四幕
 高山
 前山の上
 反逆皇帝の帷幕
第五幕
 打開けた土地
 宮殿
 深夜
 夜半
 宮殿の大きな前庭
 埋葬
 山峡

第二部

Nr.4 アーリエル 日の出
第一部で救われたファウストが蘇生する部分で、ソプラノと合唱の優しい音楽が響く。

第二部、第三部は後半に集中している。原作の第二部はファウストが悪魔の力を借りて、己の欲望を実現する話が中核にあり、その部分の原作での位置づけはともかく、曲をつける対象から外していることは理解できる。後半の劇的な展開がこの楽曲の聴き所となっている。
Nr.5 夜半
Nr.6 ファウストの死
第三部
Nr.7 この部分はさらにⅠからⅦに細分化されているが、歌詞は原作の「山峡」部分を忠実に引用している。

 シューマンの生涯は1810~1856年で、この作品を作ったのは1848年です。一方のゲーテは1749~1832年で、ファウストが完成したのは1831年であり、一生かかってこの作品を作ったことはよく知られた事実です。考えてみれば、これだけヨーロッパの音楽に親しんでいても、当時の文学作品はほとんど読んでいないわけで、いかにもアンバランスです。とはいうものの、200年を経ても音楽は親しみやすいのに対して、文学作品はどうしても古臭いイメージが付きまといます。これは時代背景が違うのでいたし方ないことですが、それにしても、音楽ではそういった違和感を感じないのは、単に慣れの問題だけではないように思います。その観点で、絵画はどうでしょうか。この時代と重なるのはコロー(1796~1875年)で、印象派への橋渡しと言われている時代です。題材や表現に印象派ほどの新鮮さはなく、やはり時代の違いを感じますが、表現されたものについては現在でも通用するものが多くあります。これは文学も同じことですので、つまるところ、我々がそれをどう捉えるかによるということでしょう。

 シューマンといえば幻想的な曲というイメージが強く、ファウストからの情景よりも、楽園とペリの方がそういったイメージに近いでしょう。ファウストからの情景はこれがシューマンの作品かと思えるような、力強くかつこの壮大な物語にふさわしい曲ですが、やはりシューマンらしい親しみ易い旋律に溢れています。壮大な物語の開始を告げるロマンチックな序曲の後、ファウストとグレートヒェンの恋の場面はポップ調の浮き立つような曲で、まさにオペラそのものです。シューマンはこの作品をオペラにしたかったそうですが、このあたりまでの展開は確かにそう思わせるものです。さらに、ファウストが歌う部分はシューマンにしては重厚かつ叙情的で、ワーグナーのオペラを想起させる楽想です。特に印象的なのは第二部Nr.6の「ファウストの死」で、あの有名な最後のせりふ"Verweile doch, du bist so schön!"「とまれ、お前はいかにも美しい」の部分。こうして取り上げていくときりがないのですが、最後に触れておきたいのが合唱部分で、第二部、第三部の冒頭や、最後の神秘の合唱など、まさに天国的な美しさです。

 このファウストからの情景、および楽園とペリは、いずれも優れた作品ですが、演奏会ではめったに取り上げられる機会のない曲が聴けるのはオーディオの良さですし、そういう楽曲を選んで録音してくれたアーノンクールに感謝せねばなりません。特にファウストからの情景はコンセルトヘボーでのライブ録音で、会場の熱気が伝わってくるような名演で、大切にしたいソースですが、さりとて繰り返して聴くような曲ではないように思います。ファウストの和訳は著作権の無断使用となりますので、ここには掲載できませんが、ご希望があれば個人使用に限り提供することは可能です。(2010年3月)