母系社会研究会
現代的母系社会のビジョン研究サークル
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  日本の母系社会
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母系社会の構想
私達への疑問と答え
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資料とリンク集
                   はじめに
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かつて人類の初期社会は母系社会であったとする歴史観が優勢でした。そしてこの歴史観に基づき、日本にも母系社会が実在した考える歴史学者もたくさんいました。しかし現在では、この母系社会説を否定する学者も多くいるようです。私達は母系社会の実在説を支持しますが、いずれにせよ、両者とも決定的な証拠など見つかるはずのない遠い過去の問題なので、否定説より肯定説の方が、説得力があるという意味での支持です。

実際の人類史をもし正確に表現するとしたら、人類史は無数のエピソ―ドの連鎖、累積としか言いようがありません。しかしこれでは人類の歴史とは何か、全くわからないので、人間は歴史を様々に解釈して様々な歴史観をつくりました。初期社会の母系社会説を主張する歴史観はこの内の最有力な学説であったため、今日まで様々な批判に晒されてきましたが、結局この歴史観を批判する側も、この歴史観を凌駕するほどの論理性と整合性があり、人類史をト−タルに説明しうる新しい歴史観を提起することはできませんでした。また現在、この歴史観を支持する側も、様々な批判を受けてこの学説の再解釈や修正の試みをしており、最新の見直しの一つには、人類史の最初期段階としてアフリカ的段階を提唱する吉本隆明の試みなどもあります。

もし初期の人類社会が100存在したとすると、本当はその100の社会は全て異なった社会で、一つとして同じ社会はなかったでしょう。私達はこれらの社会を家族関係という一つの視点から分類して、人類の初期社会を母系社会とみなしているのですが、この母系社会とは女王や、女首長の統治する社会、つまり母権社会ではなく、家族が母親の系統で編成される母系家族を単位として構成された社会という意味の社会です。

私達は単に現在の父系社会が破綻したのだから、過去の母系社会に戻るべきだと主張しているのではなく、現在の父系社会的核家族と母系社会の母系大家族を比較して、母系社会の家族形態の方がより優れている判断しているので、この母系社会説が誤りだとしても、それで直ちに私達の「母系社会」主義が否定されるわけではないと考えています。

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私達が、人類の初期社会を母系社会とする根拠は、世界各地の神話などから妊娠での男性の生理学的役割が考慮されていない輪廻転生説的人間観が、つまり祖先霊などの何らかの霊的存在が女性の胎内にやどり、子供として生まれてくるというような人間観が、かつて世界の各地にあったと考えられるからです。

この輪廻転生説的人間観では、妊娠での男性の役割は意識されていませんので、まだ人類が妊娠の秘密に気づかない、人類の初期時代に生まれた人間観と考えるのが妥当だと思います。人類はこの輪廻転生説的人間観を獲得した後に、妊娠での男性の役割に気づき、この新しい人間観と輪廻転生説的人間観とが共存、融合する時代に入り、さらに現在のようなこの新しい生理学的人間観が優勢な時代になったのだと思います。

この輪廻転生説的人間観は、仏教の生まれたインドだけでなくアジア各地にも存在したので、輪廻転生説的仏教が世界宗教となり得たのであり、またブッダの初期仏教を輪廻転生説的仏教に変化させた主要な思想的背景でもあります。そして日本にもこの輪廻転生説的人間観があったと考えられます。というのは、日本でも特に古い宗教を保持しているアイヌや沖縄などの宗教は、この輪廻転生説的な人間観の宗教だからです。特に、アイヌ人の宗教から、かつて九州にまで日本に広く居住し、日本人の祖先の一つでもあった「原アイヌ人」達は人間はもちろん、植物にまで霊魂の存在を認め、この霊魂は死後「あの世」に行っても、再び「この世」に戻って同じ生物に生まれ変わると考えていたと推測できます。

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そしてごく最近まで、輪廻転生説的人間観を信じ、男女の性行為で子供が生まれるという知識のない人間社会がパプア・二ュ―ギ二アにありました。彼らは太古の日本と同じように、子供は祖先の霊魂の生まれかわりという輪廻転生説的宗教で妊娠を理解し、夫は妊娠には無関係と考えています。ですから、この社会には私達のような生理学的父親という概念がなく、養父という社会学的父親としての役割もないため、「父親」は単なる養育係でしかないので、必然的に母系家族制社会となります。

彼らは元々はこの知識を持っていたが、宗教の影響で放棄したのではなく、元々この知識がなかったのでこのような宗教的な解釈を受け入れてしまったのだと思います。というのは、もし彼らが男女の性行為で子供が生まれるという知識をすでに持っていたとしたら、宗教といえど、このような基本的な知識をすでに持つ人々に、それを放棄させて子供との親子関係意識まで失う別の認識、祖先の霊魂の生まれ変わり説を信じ込ませるのは、相当困難だと考えられるからです。

もしこの説を受け入れると、この社会のすでに子供がいる男親達は、自分の子供に対する親としての立場、諸権利を失い、単なる子供の養育係としか見なされなくなってしまいます。そして大切な子づくりに関与していないとされると、婿の母系家族内での立場は極めて弱い立場に置かれるので、このような宗教の受容には相当抵抗があるはずです。ですから、この社会はおそらく妊娠の秘密の認識を初めから持たない人々だったのでしょう。私達現世人類は約20万年前、アフリカ女性から生まれたらしいので、彼らは現在のような妊娠についての知識を人類が獲得する前に主要な人類集団から分離し、今日までこの事実に気がつかないまま生き延びてきた人々だと思います。

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父系社会が成立するためには、父親、生理学的父親という概念の獲得が必要です。妊娠は目に見えない現象であり、人の場合は性行為をすれば必ず妊娠するとは限らないので、妊娠の仕組みを推理し生理学的父親という概念を得るのは、長い時間が必要だったのでしょう。いずれにしても、この知識の獲得が人類だけに父親という役割、立場をもたらし、人類だけに父系家族−父系社会を成立させたのです。

最初期の現世人類、ホモ・サピエンスにこの知識ないとすると、その前の原人もこの知識がなかったはずです。もしこの知識が原人にあったなら、原人から生まれた現世人類に引き継がれたはずだからです。すると原人も母系社会の可能性が高くなります。現世人類と原人の違いは、形態的なものでしかない可能性もあり、原人の精神世界がどの程度なのか、不明です。ですから、私達と同じ感情や言語、更に宗教も持っていたかもしれないので、母系社会段階は、想像を絶するほどの長期間続いた可能性もあるのです。

最初期の人類社会は、この妊娠の生理学的知識がないので母系社会であったと思います。子供は「コウノトリが運んでくる」等の解釈をしていた時代が実際にあり、このようなお話はその時の名残でしょう。そして日本にもアイヌや沖縄などの人々の輪廻転生説的な人間観だけでなく、日本人(本土人)にも死ぬとその霊魂は特別に信仰されていた山の頂上に行くが、また地上に戻って子孫の女性のお腹に入り、再び子供として生まれてくるというパプア・ニュ−ギニアの人々とほぼ同じような祖先霊の輪廻転生説的人間観をもつ人々もいたのです。ですからパプア・ニュ−ギニアの人々は、私達人類の最初期社会の人間観を保持してきた人々で、母系社会説の生き証人でしょう。私達日本人の祖先もまだこの日本列島に到着する前の大陸時代かもしれませんが相当長い間、母系社会を経験していたはずです。 
            日本の母系社会の消滅原因
古事記には神武天皇が大和を制圧した後、地元の豪族の娘と結婚した時に、「通い婚」をしていたと窺わせる記述があります。また有名な源氏物語では、光源氏は夜になるとお相手の女性の家に行きデートしていますが、これも「通い婚」であり、源氏物語が生まれた頃の貴族社会の一般的な結婚制度を反映したものでしょう。この貴族達の「通い婚」は母系社会や母系社会から現在のような父系社会への過渡期の結婚制度であったと考えられます。ということは、彼らが日本に移住する前か後かは解りませんが、それ以前の社会は母系社会だったのではないでしょうか。

現世人類が誕生した20万年前から結婚制度があったとは考えられないので、この20万年間のどこかで結婚制度が生まれ、現在のような形態の結婚制度にまで変化してきたはずです。もちろん、これだけで日本人はかって全て母系社会人だったとまではいえません。しかし私達は他の様々な理由を総合して、日本人の祖先は、まだ大陸にいた頃かもしれませんが母系社会人だったと考えています。それではなぜ母系社会は消滅し、父系社会に移行したのでしょうか。

今となっては推測するしかないのですが、3つのケースが考えられます。一つは、妊娠のメカニズムを知らなかった人々が、妊娠での男の役割に気がつき、男に生理学的父親、実父という自覚が生まれ、子供に対しての権利を父親が主張し始めて、その結果母系社会が父系社会に移行したケ−スです。この場合ですと、このグル−プはまだ大陸にいた頃に母系から父系へと移行し、父系家族集団として日本列島に移住してきたのかもしれません。

そしてもう一つは農業の導入により戦争が本格的に始まり、父系社会に移行したケ−スです。農業の導入以前は狩猟採取の時代でした。現代の狩猟採取民の戦争を調べた学者によると、戦争の必勝法である奇襲といったことはせずに敵が戦争の準備を整えるまで攻撃を待ち、両者の準備が整うと合図とともに弓を打ち合うような儀式的な戦争で、弓も小動物用なのであまり威力もなく、犠牲者も数人の場合が多いそうです。ところがやがて、農業―栗などの栽培時代も含めて―の導入により、世界中で農地や農産物などの富の奪い合う本格的な戦争が始まります。初めは男性の職業的軍人はわずかで、村中の戦闘可能な男が動員されて戦っていたのでしょうが、繰り返し起きる戦争は戦闘員としての男の発言力を増大させたと考えられます。

やがて、より大規模な戦争が始まると万物を神聖視するアミニズム的な自然宗教(山や奇岩、大木などを神として祭る古代の神道)の日本列島に、後から様々な神を祭る集団が移住してきて各地に小国家を形成しました。最後に職業的な軍人集団を操り、「生き神」的な宗教的権威(天皇)を中心とする集団が日本に移住したのです。この集団は軍事力だけでなく「生き神」としての宗教的な権威も利用して支配領域を拡大し、やがて彼らはこの「生き神」を中心に専制的権力を日本に樹立したのです。このような過程で日本の各時代、各地の支配層を形成したこうした様々な集団の男達は、土地などの財産を自分と血の繋がった子供に相続させたいと考え、日本に男性が子を産む女性を専有する実質的には一夫多妻制の結婚制度を持ちこんだと考えられます。こうして長い年月を経て財産(土地など)を持つ者から順に父系家族へ移行したのでしょう。

3番目は市場−貨幣経済の発達により、父系社会化したケ−スです。現在の農漁業などを営む自給自足的な母系社会は、貨幣収入が得にくい為に、伝統的な生活の村から都市へと人口の流出傾向があるようです。これは市場経済が始まった数千年前から今日まで、世界中で継続して起きている現象ではないでしょうか。農業により食料の生産が増大すると「都市」が生まれ市がたつようになり、市場経済が始まります。この市場経済には父系の核家族の方が適しています。というのは母系社会では、同じ場所に大家族で生活し、そこから通える距離でしか働けないのですが、核家族だと住居地を変えやすいので、新しい職を求めて各地の都市を移動するなどして、社会の変化に素早く対応出来るからです。

ですから市場経済、貨幣経済も母系社会を消滅させた原因の一つでしょう。「都市」の形成−拡大は市場経済も拡大させ、その都市の周辺から母系社会は消滅したのかも知れません。貨幣は日本では12.13世紀頃にならないと、本格的使われなかったのですが、それ以前は米や絹が貨幣の代わりに使われていましたので、これらを貨幣の代わりに使用した分業制の発達による経済の高度化は、日本でも伝統的な自給自足の母系社会的村落から「都市」へと人口を移動させ、母系社会を崩壊させたのでしょう。

このように妊娠の仕組みの認識や農業用の土地などの所有権をめぐる戦争、「都市」の形成による市場経済の発達は父系社会を拡大し、徐々に母系社会を縮小させたと思います。もちろん父系社会的宗教の影響も庶民レベルでは大きかったと考えられます。

現在の日本人は、おおよそ中国系、朝鮮系、南方系、アイヌ系の血がほぼ4分の1の割合で入り混じっているそうです。ですから東アジアの様々な地域から別々にこの日本列島に到達し混血しているので、この3つのケ−ス、グループのうちのどれか一つというよりも、ある人々は大陸時代に、またある人々は日本列島に到着後父系社会に移行したと考えるべきでしょう。
               遅い父系社会の形成
縄文時代の東日本は、世界でもトップクラスの人口密度の高い豊かな地域でした。日本(特に東日本)は自然が豊かだった為、農業を急いで導入する必要がなく、今の「先進国」の中では最後に農業を始めたのです。ですから農業の導入で父系社会化した人々が多いとすると、日本の農業の歴史は「先進国」中で最も短いので、父系社会の歴史も「先進国」中で一番短い国、逆に言えば母系社会の習俗、習慣、思想が最も長く続き、残存している社会かもしれません。

よく言われる日本人の集団主義とか個性のなさとかの特徴は、農民ではなく、リーダーの指示どうりに行動しなければならない狩猟民の特徴で、農業はほとんどの作業が、家族単位で出来るのでむしろ個人主義を育てます。そのため、日本人の意識には母系社会的意識が今でもかなり残っていると言う人もいます。おそらく父系社会への移行が人々の意識までほぼ完全に変えて、完了したのは明治期だったのではないでしょうか。

その理由は、いわゆる「夜這い」がほぼ消滅したのが明治期だからです。西欧化を急いだ明治政府が、この「悪習」を早く止めないと西欧から野蛮だと思われるのを恐れて、厳しく禁止したのです。「夜這い」には様々なタイプがあり、結婚している女性まで「夜這い」の対象に認められている地域もありました。このような社会の家族とはどんな家族なのか、今では想像もつきません。

16世紀に日本で30年以上暮したキリスト教のある外国人宣教師は、他の事では日本を絶賛しているのに、日本の女性だけは純潔を少しも重んじないとか、娘や妻が無断で数日勝手に外泊するとか、夫婦でも財産は別管理で、妻が高利で夫に貸し付けるとか西欧の父系社会的価値基準から日本の女性の悪口を書き残しています。またさらに古い13世紀の頃の書物には、寺や神社は世俗の決まり事が及ばないフリーゾーンとみなされ、祭りや徹夜の祈祷会の際に結婚している男女も参加して、しばしば乱交がおこなわれたので、これも度々時の政府から禁止令が出たとの記録が残っています。さらにさかのぼれば、有名な万葉の歌垣もあります。

このように日本はかなり性的には、おおらかな社会で良妻賢母的な厳格な性道徳が庶民にまで浸透したのは、「夜這い」が消滅したのと同じ頃の明治期でしょう。それまでは日本の一般庶民は長期間、かなりゆるい結婚制度の父系社会で、おおらかな性道徳や人間関係を変えずに、形式だけ父系社会のフリをしていたのだと思います。

日本では性に対し比較的厳格なキリスト教徒は、今でも人口の数%ですし、同じく厳格な性道徳を説く儒教も武士階級でさえ信じるフリをしていただけです。仏教も日本ではこの点は厳守されませんでした。儒教的性道徳は明治期以降、国家が学校教育をとうして国民を組織的に、徹底的に洗脳して、戦中世代にはある程度定着して戦後世代の私達も影響を受けてきましたが、戦後世代は結局、現在の欧米流の比較的開放的な性道徳を選びました。そもそも父系社会的法制度そのものが、儒教の中国からの輸入品で、この時は中国に対して日本は野蛮国でないと示したかったので、中国と同じ制度を取り入れたフリをしたのでしょう。

私達が教えられてきた明治以前の日本の社会や女性のイメージは、本当の姿とはかなり違い、明治以降の、あるいは戦後の日本の社会を正当化する為に、実際以上に暗く描かれてきたのです。当時の法律文面がどうであれ実際の運用面では、例えば離婚も妻の側からも出来ましたし、有名な三行半も夫の側に役所への申告の義務が有るという程度だったと言う学者もいます。

日本人に限りませんが、人類はその長い歴史のほとんどを母系にしろ父系にしろ大家族で生活してきました。現代の私達は、長い日本の歴史のなかでは、ある意味で極めて特異な父系社会的結婚観と核家族制度を持つ世代です。早くから儒教を取り入れたフリをしていた武士達を除けば、明治期以降の3.4世代でしかないのかもしれません。
              男性も支えた母系社会
なぜ母系社会を女性だけでなく男性も、何千年、何万年と支え続けてきたのでしょうか。この理由を考えるには、母系社会が成立し相当長期間、維持されてきた背景を推測してみなければなりません。まず人間と他の生物の違いと母系社会が成立した理由を考えてみます。

動物の親子関係は一時的で、子は親から独立すると再び会うこともなく親子としての生活上の関係は消滅します。人類の多くは、通常生涯にわたり親子関係を維持し、離れて暮していても、定期的に会ったり生活物資のやり取りをしたりします。親子としての関係意識が、人類は他の動物よりはるかに高度で、強いのです。

道具を利用したり、火を恐れない生物や短時間なら直立歩行する動物もいますので、この親子の意識の強度が人と動物を分ける決定的な違いだと思います。ですから、人類的親子関係、家族を「サル」がもつようになった時、その「サル」は人類になったので、あくまでそれ以降の人類を人類として扱うべきだと思います。要するに人類は初めからこのような高度の家族意識を持つ、つまり高度の精神世界を持つ生物であり、人類かどうかを分別するのは、単にDNAの問題ではないと思います。

男女の一定の固定的性関係はあっても結婚制度がない初期の人類社会時代で、さらに子供は男女の性行為で生まれるという知識もなかった時代は、社会は必然的に母系家族−母系社会となります。この知識がないと子にとって父親は、単に母親の恋人でしかないからです。

この知識を得たあとでも、結婚制度がなければ、子供にとって自然と生物学的な父親との関係よりも、ある程度日常的に世話をしてくれるオジとの関係の方が濃密になり、また日常的に世話をしてくれる母親との絆はやはり強いので母系家族からなる母系社会以外にはなり得ないでしょう。

しかし男女の性関係で子供ができるという知識が定着すると、男女関係が一定期間、固定している男性の側にも子供へ執着心が生まれ、男性の側も男親としての立場が公認される制度-結婚制度を望むようになったのかもしれません。するとこのような関係の男女がどこで生活するのかという問題が生まれます。

この問題はそれぞれの男女が所属する母系家族やさらに一族全体の問題にもなり、通い婚などを選択して母系社会のまま結婚制度をとり入れたり、父系社会に移行して、男性の家族へ女性が嫁として嫁ぐ結婚制度を選ぶ人々もいたと思います。しかし、母系社会の家族制度も当時の母系的宗教により「神が定めた」家族制度として支えられていたと思われますので、この問題だけで何千年、何万年続けてきた母系家族がほとんど全て父系社会に移行したとは考えにくいと思いますが、どうでしょうか。

このように母系社会は結婚制度の導入も乗り越え、次に母系社会が危機を迎える農業の導入までの長い期間、存続したと思われます。この背景には、男性もすすんでこの社会を支えたので維持しえたのですが、その理由でまず考えられるのは、母系社会の人々にとってみれば、母系社会の家族制度は当たり前の、自然なもの、あるいは母系社会的宗教の神が決めた制度で人は変えてはいけないなどの宗教的思考があったからでしょう。

また昔も今と同じく女性の方が長生きだったので、一族の中で最年長者が女性の場合が多くなり、そうした最年長者の女性の主導権を、その子や孫の男性にとっても、受け入れるのは、極めて自然だったのでしょう。この時代は、今のように社会が日々、激しく変化してゆく「熱い」社会、過去の経験があまり役立たない社会ではなく、毎月、毎年の生活がパターン化された単純な社会、「冷たい」社会だったので、何事も一族の中で一番経験豊富な老人(場合によっては女性)の方が、適切な判断を下せたのかもしれません。

既存の母系社会では男性はパートナーの女性の一族の中では、あまり発言権がないようですが、自分が所属する一族では最終的な決定権は女の家長にある場合でも、日常の家族労働の指導や財産の管理権は男性にまかされていて、婿入り婚で離れて生活していても、かなり影響力はあるそうです。

また社会制度上の法的権利では、圧倒的に不利でも、それを補うかのように男尊女卑的な風潮により、男性の尊厳が損なわれないようそれなりに配慮がなされている場合もあるようです。また村長などの役職は、世襲的に有力な一族の男性が勤める母系社会が多いようですが、自分自身の子供には継がせられず、姉妹の子供が継ぐそうです。

またこの社会は、少なくとも今のような「厳しい」結婚制度はないので一生涯、恋愛が可能でした。言うまでもなくこれは女性の側も同じで、作家の渡辺某ではありませんが、やはり恋愛は人が人生を生ききるための強力な動機づけになります。このように恋愛は人間にとって大変重要ですので、一生涯恋愛ができる環境を望むなら、それも可能な環境の母系社会の方がより自由で理想的社会でしょう。

今のように、不幸にして恋愛感情がなくなっても子供の為とか、経済的な問題で離婚しない男女が少なくない社会よりも、明らかによい社会でしょう。親が生き生きと本当に楽しく生きている姿を子供に見せることが、子供に必ずしも楽しい事ばかりでない人生を生き抜く希望を与え、人生に対して投げ遣りになりがちな子供を、少しでも減らす事になるのではなでしょうか。
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