●資本主義は、家族・人間を破壊する。しかし、社会主義も、保育や介護などの家事労働の社会化を進める核家族社会として構想され、家族より、諸個人・社会を重視する構想ではないか。
●家族を支えない社会は不要である。社会主義は、家族のための社会を創るべきではないか。
●核家族社会だから、福祉制度が必要になる。福祉社会は、海外の低賃金介護労働者なくして成り立たない。しかも、いずれ、日本にとって都合の良い低賃金介護労働者はいなくなる。
●そもそも、福祉社会は、他人による養育・介護の社会。他人より家族による養育・介護の方が人間には良い。特に、乳幼児には少数の、特定の大人による養育=家族による養育が必要。
●核家族社会(福祉社会)から、母系や父系大家族、核家族など自由に家族形態を選べる社会へ。更に、家族が主体的に養育や介護ができる母系社会主義の構想を!
「政治の変革をめざす市民連帯」(CS:市民連帯)の呼びかけ 


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2008年 7月30日 最終更新
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現代的母系社会=母系社会主義社会の構想
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07/8/22
2007年8月9日(木)午前0時36分、10,000アクセスを達成しました。全ての訪問者の方に感謝します。

07/6/29
「ハッピー育児★生活 毎日が宝物」をリンクしました。一歳児を育児中のユウさんが、子育てで学んだことを中心に、「妊娠出産体験」や「母親と子供の健康管理」、「生活の知恵・工夫」などを紹介して、育児中の方が直ぐに応用できる情報が豊富なサイト。「生活の知恵・工夫」では、料理の裏ワザレシピまでも紹介しています。是非ご覧下さい。

07/6/13
サイト「健康と生活の広場」をリンクしました。「健康と生活の広場」は、毎日を忙しく暮し健康に不安を持っている方が、快適に過ごせるように、ネットや書籍の情報や知人の体験などを伝える「ポッキー ママ 」さんのサイトです。是非ご覧下さい。

07/5/29
「自然の力で健康になる!」と「雑学☆おもしろ☆探検隊!!」の2つのサイトをリンクしました。「自然の力で健康になる!」は、自然の持つパワーと健康への効果を様々な角度から紹介して生活に役立てるための「 りゅう」さんのHP。「雑学☆おもしろ☆探検隊!!」は、様々な雑学やおもしろネタで、多くの方に楽しいひと時を過ごしてもらいたいと思っいる 「 kei 」さんのHP。2つとも様々なジャンルのリンク集も充実していますので、是非ご覧下さい。

07/4/26
「健康で幸せな日々を送り、さらに人生を大開運させましょう」と呼びかけるあおのりさんのHP<健康*開運ナビゲーション>をリンクしました。病気の情報や健康法だけでなく、健康維持に欠かせない「笑い」をテーマにした「ワハハの館」もあります。是非ご覧下さい。

07/3/21
3月18日(日)に、「沖縄参院補選勝利・東京集会」が開催され、4月の参院補選について沖縄現地の様子を池宮城紀夫さん(糸数慶子後援会長)に報告して頂いた。

現地報告後の質問で、都知事選のように、本土では野党の共同候補擁立が困難な情況なのに、なぜ沖縄では野党の共同候補擁立ができるのか、という質問がありました。

池宮城紀夫さんの答えは、@共産党を含めた野党の仲が本土よりも良いこと、A共産党を除いてしまうと、他の野党が共同候補を擁立しても、まず与党に勝てないという事情があることをあげていました。

@の野党の仲が本土よりも良い理由として、復帰運動以来の、様々な野党の共同闘争の歴史をあげていました。野党が常時共同闘争をしてきたので、本土よりも野党の仲が良いのでは、という答えはものすごくよくわかります。

Aの理由もあるのでしょうが、選挙以外の、様々な共同闘争を野党がしていれば、各党の支持者間の結束も産みだされるでしょうし、それを背景にして、野党の結束も可能になるのかも知れません。

本土では、選挙以外の野党の共同闘争は、60年安保闘争以来ほとんどないでしょう。様々な大衆組織での主導権争いの方が、むしろ主となってきたので、与党への憎悪とさしてかわらない憎悪を他の野党に対しても向けてしまうのではないかと疑いたくなるほど仲が悪いのは、どうにかならないだろうか。

07/3/12
最近は、ブログとこのサイトの掲示板を中心に活動しています。よろしかったら、ブログと掲示板もご覧下さい。
06/11/13
またまた、遅くなりましたが、11/10「糸数さんピンチ!東京連帯集会」の報告です。

糸数さんピンチ!東京連帯集会は、最終的に六七人名もの方々の呼びかけ人により、急遽開催が決まった事や、他の集会とも開催が重なるなど条件が厳しい中、50名以上の参加により会場は満席になり成功しました。

集会は、南雲和夫の司会により、糸数慶子後援会会長の池宮城紀夫氏の現地報告と質疑応答の後、支援連絡会議から池宮城紀夫氏へカンパ金50万円が贈呈され、最後に村岡到が閉会挨拶をして無事終わりました。

池宮城紀夫氏の現地報告によると、野党統一候補として、糸数さんの擁立決定が遅れ、選挙に出遅れるなどの不利な条件の中、糸数候補は精力的に選挙運動を進め、今回は野党の支援活動もフル回転しており、ほぼ理想的な体制ができたそうです。

しかし、相手の仲井真弘多候補も、企業ぐるみ選挙や公明党系組織の人海戦術により死に物狂いの選挙運動を進めており、2人はほぼ対等の情勢で、最後まで気を緩めることなく全力で闘うと力強く報告されました。

06/09/29
遅くなりましたが、9/22集会の報告です。タイミングよく最も有力で、一番望まれていた糸数慶子さんの立候補が決まり、集会は成功でした。糸数さんの秘書の方が現状を報告。糸数さんの旦那さんも勤めていた会社を辞めたそうで、立候補は間違いありません。

糸数さんは、沖縄では女性関係の団体と幅広く付き合いがあるそうで、結構顔が広く、男性からも受けが良いそうです。しかし、沖縄自体が保守化しており、出遅れも不利。排水の陣だそうです。

ゲンダイの二木啓孝さんの政界動向の講演、大変面白く、小泉、安倍の滑稽話で盛り上がりました。最近の首相の中では、ふたりとも想像以上の無知だそうです。

参院選挙敗北で安倍政権短期説もあり、谷垣が予想外の票で生き残ったので、安倍退陣の場合は同じ路線の麻生ではなく、谷垣に党内の期待が向けられ、谷垣派が受け皿となる可能性があるそうです。

参院選への流れを決める沖縄知事選挙に安倍も必死になっているとのこと。

また二木さんは、竹中が一番悪いと思っていたが、一番悪いのは、規制改革・民間開放推進会議議長の宮内議長。宮内は平成の政商とも言うべき人物だそうです。

170社余あるオリックスグループは規制緩和すれば必ず、どれかの子会社が儲かる仕組みになっていて、タクシー、人材派遣業などの例を具体的に説明。

村上ファンドでは、巨額の利益を得た一方で、大量の自殺者を出した責任は重いと激しく批判していました。

安倍は、「骨太の方針」の経済財政諮問会議では、官僚がつくった作文を1回読み上げただけで、他は全く発言してないそうです。経済の知識が全くないのではと不安になります。

安倍は挑発にのりやすいので、論戦で頭に血が上り本音を吐いて苦境に陥る可能性もあると言ってました。

選挙前にもう一度、東京で集会を開催することになるのではないかと思います。

06/08/18
レバノンで大変な悲劇が起きましたが、そもそもこの戦争の「根源」は、レバノンの南パレスチナの地に、ユダヤ人国家建設を目指すシオニストが西欧諸国、国連に働きかけ、その土地に住む多数派のイスラム系パレスチナ人の反対意見を無視してユダヤ人国家イスラエルの建国を強行したことにあります。

このイスラエル建国について、イスラエル初代首相デイビッド・ベングリオン本人が、自伝で「もし私がアラブのリーダーだったら、イスラエルとの合意書には絶対にサインしないだろう。当たり前だ。われわれは彼らの国を奪っているのだから。反ユダヤ、ナチス、アウシュヴィッツがあったが、それは彼らのせいか? 彼らにとっては、われわれが来て国を奪った、それだけだ。受け入れられる訳がないだろう?」 と書いていますが、パレスチナ問題の本質を「見事」に自己暴露しています。

イジメの被害者(ユダヤ人)が強盗(シオニスト)となり、イジメとは無関係な他人(パレスチナ人)の母屋(イスラエル本土)を乗っ取って居座り、元からの家主は庭(西岸・ガザ)でテント生活を強制されているようなものです。

暴力団(アメリカ)と暴力団に牛耳られた町内会(国連)までも強盗の味方をして、怒った家主が強盗に石でも投げようものなら「テロリスト」、「過激派」とレッテル貼りされて撃ち殺されてしまうのです。

日本の政府やマスメディアは、侵略者に住む家や土地を奪われ武装抵抗をするパレスチナ人を「テロリスト」、「過激派」と呼んでいます。もし彼らが、「テロリスト」、「過激派」であるなら、今でも日本の政府やマスメディアは満州国に反対してゲリラ戦で日本軍に抵抗した現地先住民はやはり「匪賊」だったと考えていることになります。

武装抵抗をするパレスチナ人が自爆攻撃、ロケット攻撃で、イスラエルの民間人を殺すから「テロリスト」、「過激派」と呼ぶと言うなら、イスラエルは、何倍もパレスチナ人の民間人を殺していますのでイスラエルを「テロ国家」、「過激派国家」と呼ばなければ欺瞞です。

欧米諸国やロシアの長年にわたるユダヤ人差別は、ついに差別されるユダヤ人達の内部に、パレスチナの地にユダヤ人国家を建設して、ユダヤ人の安住の地を得ようとするシオニズムを生み出しました。

シオニスト達は、ユダヤ教の神話も利用してパレスチナへのユダヤ人移住を推進し、逆に自国のユダヤ人をイスラエルへの移住により減らしたい欧米諸国や旧ソ連が支配する国連に働きかけて、イスラエル建国を強行したので、この一連の戦争は国連が生み出した戦争とも言えます。

この戦争は、本質的には宗教戦争ではなく、パレスチナという「土地争い」、「土地の所有権争い」であり、土地を奪ったのがユダヤ人で、土地を奪われたのがイスラム教徒というだけのことです。土地を奪われたのが仏教徒でも同じ争いが起きるのは当然のことです。

しかし現在では単なる土地争いというレベルを越え、イスラエルは、自国の軍事力だけではイスラエル建国に反対する周囲の潜在的な敵対諸国やその他全世界のイスラエル建国に反対するイスラム勢力との戦争に勝てないので、アメリカの対外援助の半額をイスラエル一国に投入してもらい、事実上アメリカのイスラム世界制覇のための戦略国家、アメリカの衛星国家となっています。

ですから、日本の政府やマスメディア、TV知識人達は、イスラエル初代首相自身が認めている「イスラエルは侵略国家」という真実を言うことができず、アメリカのプロパガンダのウソを知りながら、アメリカに都合のよい「善」・「悪」が逆転した中東世界像を真実の世界として垂れ流して、日本国民のイスラム抵抗勢力への恐怖や憎悪をあおりたています。

日本の政府やマスメディアは、アメリカの満州国であるイスラエルを支援し、かつて古代の東日本の民衆が、天皇軍の侵略に激しく抵抗しながらも最後には抵抗を諦めて天皇軍の支配を受け入れたように、パレスチナ人達が疲れ果て、抵抗を諦めるのを待つ作戦に協力しています。

アメリカやイスラエルの狙いどうり、不断の抑圧、弾圧によりパレスチナ人達は疲れ果て、抵抗を諦めつつあるのも確かですが、日本の政府やマスメディアが誤解・軽視しているのは、イスラムの民衆の中にはイスラム世界全体を一つの国家のようなイスラム共同体と考える人々が相当多数いることです。

ですから、たとえ直接の当事者であるパレスチナ人達のほとんどが疲れ果て、抵抗を諦めてイスラエルと妥協したとしても、かつて200年間抵抗して十字軍を追い出した実績のあるイスラムの人々ですから、全てのイスラム民衆がイスラエルへの抵抗を諦めてしまうようなことは、おそらくないでしょう。

武装集団が次から次へと現れ、おそらく侵略国家イスラエルが解体−再編されるまで抵抗を続け、日本人も「付帯的被害者」として巻き込まれかねない危険な事態が続くでしょう。イスラエルという侵略国家に協力する日本自体が敵として、イスラム武装集団から、狙われる可能性もあります。

アメリカにとって日本は、極東アジアのイスラエルであり、また日本政府も自ら極東アジアのイスラエルとして、どんなにアジアの人々から嫌われようがアメリカの支持さえあれば生き延びられると勘違いしてます。しかし、日本の最大の脅威は、日本に対する諸外国民衆の憎悪です。

現在では、いかなる独裁者と言えど、民衆の意向を全く無視した戦争は不可能です。かつてイラクの独裁者フセインは、スンニ派の民衆はもちろん、反フセイン派のシーア派民衆さえ持つクエートへの民衆的な憎悪を利用して、クエートを軍事占領しました。

かつてクエートは、南部イラクの一地方でした。しかし、民衆の激しい抵抗でイラク本土から撤退したイギリス軍が、再度のイラク侵攻の足場にするために、イラク最南端のクエート地方を無理やり独立させて居座ったので、クエートの民衆は、はじめはイラク復帰運動を盛んに展開したのです。

しかし、クエートで石油が発見されるとクエートの民衆は、石油の独占を図るため独立に賛成するようになったのです。ですから、イラクの南部に住む反フセイン派のシーア派民衆さえもクエート人を裏切り者として激しく憎悪するようになったのです。

独裁者フセインは、民衆の内部にあるこのクエート人への憎悪をプロパガンダにより都合よく操作して利用し、経済的な利益だけでなく、クエート人を懲らしめるというイラク民衆の願望をかなえて自らの独裁政権を正当化し、維持しようとしたのです。

日本政府は、自らアジアの民衆の日本に対する憎悪を駆り立てて日本の安全保障を危険にさらすという愚行をしておきながら、そのアジアの民衆の日本への憎悪を利用して日本の民衆のナショナリズム、危機感をあおり、憲法9条を改悪して対外戦争ができる「普通の国家」へと、再び日本が自滅しかねない道へと向わせようとしています。

狡猾で、世界戦略に長けたアメリカは、形式的批判でイラク・フセイン政権のクルド人毒ガス攻撃を見逃しながらフセイン政権への軍事援助を行い、イラクをイラン攻撃に利用しましたが、イラクの利用価値がなくなると毒ガス攻撃を問題にしたり、謀略でクエート侵攻を許可しながら、実際に侵攻すると侵略だと「悪」に仕立てて切り捨てました。

ですからアメリカは、場合によっては全ての「罪」をイスラエルに着せ、イスラエルを見捨てても生き延びようとするでしょう。アメリカは、イラク・フセイン政権のクルド人毒ガス攻撃を見逃しながら、後で問題化してフセイン政権の罪状としてフセインを裁判に掛けたように、今は小泉首相の靖国参拝を問題にしなくとも、後で日本の「罪状」の一つとして騒ぎ立て、日本を見捨てる理由として利用するかもしれません。

他の軍事大国も同じですが、アメリカは利用できるものは、たとえ「民主主義」という理念でさえも恣意的に利用して親米国家=アメリカの衛星国家を増やそうとしています。アメリカは、チリのアジェンデ政権、パレスチナのハマス政権などの自ら唱導する「民主選挙」により反米政権が成立すると、様々な手段でなりふりかまわず打倒する偽装民主主義国家です。

アメリカにとっての「民主主義理念」は、アメリカの世界戦略のためのプロパガンダ用の単なる道具でしかなく、アメリカの世界支配を実現するための親米政権を増やすことが真の目的なので、親米であれば独裁政権であろうが支援するのです。

日本がこのまま、アジアの人々から嫌われ続けたら、アメリカは日本を利用できるだけ利用しながら最後には先の大戦時のように、全ての「悪」を日本の責任にして切り捨て、アジアの民衆の憎悪がアメリカ自身に向わないようにするでしょう。

ですから、イスラエルの運命は、日本にとっても他人事ではなく、未来の日本の姿を映し出す鏡なのです。

06/06/11
「もうひとつの世界へ」(3号)に、このサイトの紹介文が掲載されました。よろしかったらご覧下さい。「もうひとつの世界へ」を発行しているロゴス社へは、ここから行けます。

06/04/11
パソコンの不調と病気のため、長らく更新できず大変申し訳ありませんでした。パソコンを買い換え、病気も完治しましたのでまた更新を再開します。今年の2月、私も編集に参加している「もうひとつの世界へ」という隔月刊の情報誌が創刊されました。HPもありますので覗いて見てください。


05/01/13
パソコン復旧、更新を再開します。長らく更新ができず大変申し訳ありませんでした。今回の不調は深刻でした。パソコンを買い換えればよいのですが、なにせ無職の身なので躊躇しています。

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 安倍首相は、史上稀に見る惨めな退陣をしましたが、依然として憲法9条を改悪しようとする勢力は健在です。また、世界的な新自由主義の拡大により、格差拡大・貧困化が急速に進み、地球環境も不気味に劣化しています。9条の改悪を阻止し、生存権などの憲法理念を実現するためには、左派の諸政党やグループ間の積年の不和を克服して信頼関係を創りだし、各種の選挙で平和共同候補の擁立などで力を合わせて戦わなければなりません。
 私たち「市民連帯」は、市民自治の実現のために、自己教育により私たち自身の統治能力を高めるとともに、市民の願いを国会に届けてくれる議員を数多く生み出すため、憲法9条の改悪に反対する左派の諸政党とグループ・市民が平和共同候補の擁立などの選挙協力を行なった場合だけ選挙支援活動を行う、政党や党派から独立した市民の自立的組織です。私たち「市民連帯」への参加と協力を心から訴えます。
 訪問者の方々へ

 毎日のように子供や家族をめぐる事件が起こり、現在の日本の社会と家族が深く病んでいることが共通認識になりつつあります。こうした事態の原因として、精神医学者の西尾和美さんは、著書の「機能不全家族」(講談社)で日本の約80%の家族が、子供の養育が十全にはできない「機能不全家族」と主張しています。最近は、ウツの低年齢化が進み、小学生にも広がっています。子供のウツの特徴は、周囲への攻撃性や非行に走ることですが、朝日新聞によると、何と、現在の小学生の10%以上が抑ウツ状態なのだそうです。

 現在の日本では、毎日90人前後、年間で3万人、この十年で30万人以上もの人々が自殺しています。戦後の62年間では、奈良県や長崎県の人口とほぼ同じ150万人以上もの人々が自殺したのは確実です。先の大戦による日本人犠牲者は、310万ですから、実にその半分もの自殺者を出したのが戦後日本社会です。ですから、戦後の日本は「平和な国」であったというのは、全くのウソです。

 長い間、近代的な核家族は、封建的な家父長制大家族との比較で、「男女の平等」や「民主主義」を支える進歩的、理想的な家族形態と見なされてきました。しかし、社会は高齢化社会に移行しつつあるのに、核家族は、老人介護を担うことが困難であることは明らかです。また、最近の家族内暴力事件の多発で、この理想的な家族と思われてきた核家族は、急速に信頼を失いつつあります。

 現在の常識では、30代になっても親と同居し続けたりすると親離れできていない変な人、子離れできない変な親などと見なされます。親も、子供の負担になりたくないと自ら老人ホ−ムに入るような人もいます。しかし、長い間人類は、親族が一箇所に集合して生きてきたのですから、これは極めて核家族的な倫理観でしかなく、決して普遍的な倫理観ではありません。現在では、病院ではなく、自宅で最後を迎えようという運動もあります。親が自ら老人ホ−ムに入ると、この選択は、やがて子供にも引き継がれ、将来、子供は、最後の別れを外国に住む孫とテレビ電話で行うようなことになるかもしれません。果たして、そうした死に方を子供に引き継がせて良いのでしょうか。

 子供も含めた自殺の多発や子供の殺人、家族同士の殺人、「凶悪」な犯罪の多発、少子高齢化や人口減少などで、現在の日本は、社会の根底から崩壊しつつあるのではないかという不安さえ多くの人々が感じていると思います。現在の、このような問題に対する処方箋は、福祉社会の実現ですが、福祉社会が実現したとしても、市場経済下の社会では、核家族の崩壊を、精神面も含めて根本的に解決することはできないと思います。そこで、主に子供の養育と言う面から、福祉社会後の社会として、母系大家族などの大家族を主な家族形態とした新しい社会についての案を、概略ですが提案したいと思っています。

(注)そもそも家族の問題は、他人には強制してはなりませんので、私たちが目指す社会は、母系や父系の大家族や核家族などが、混在した社会であって、母系だけの家族から成る社会ではありません。

(注)母系社会は、母親が子供の養育をするのに最適な社会であり、子供の養育のために母親を特別に保護する社会だと思います。そこで、私たちの母系社会の構想には、女性は、周囲の支援を受けつつも、主な子供の養育の担い手となるという前提があります。ですから、そのようなことを望まない女性にとっては、母系社会は、必ずしも理想的な社会ではないのかもしれません。女性ならば、必ず子供を産み子供を養育しなければならない、ということはありません。


  母系社会と現代核家族社会
私達の構想を出来るだけ手短にまとめたものです。お急ぎの方は、下記の目次をクリックして興味のある所だけでもお読み下さい。
(2008年3月29日。随時更新予定) 

目次

はじめに

1:母系社会
(1)社会の分類
(2)母系社会

2:家族
(1)家族の重要性を示すアダルト・チルドレン
2)家族を持つ唯一の動物としての人間
(3)人間の根源的な共同体としての家族

3:現代核家族社会
(1)資本主義に最適化された核家族
(2)家族を破壊する資本主義
(3)子供を追いつめる資本主義

4:福祉社会後の社会としての母系社会
(1)労働生産性を向上させるための福祉政策
(2)女性問題と母系社会
(3)「家事労働の社会化」社会である社会主義

5:現代的母系社会
(1)「家族的存在」としての人間
(2)母系社会を次の理想社会として検討すべき理由
(3)現代的母系社会

おわりに

(この「母系社会と現代核家族社会」は、3月13日に、文京区民センターにて開催された市民連帯「CSひろば」<母系社会と現代核家族社会>のレジュメ用に「現代的母系社会の構想」に新しいデータ等を加え全体的に短縮した文章です)


はじめに

●人間社会の最大の目的は、人間の、人類の生存の確保。大人が死滅したら、子供も餓死やその他で死滅してしまうので、子供を養育するためには大人も生存しなければならないが、社会の最大の目的は、子供の養育と言っても過言ではない。
●しかし、無意識の資本主義システムは労働力の担い手としての子供の養育、教育しか興味をもたず、人間が必ずしも楽しいことばかりではない人生を生き抜く力を得るために必要な「楽しい子供時代を過ごすこと」には興味をもたない。
●あらゆる凶悪な犯罪の背景には家族の崩壊がある。資本主義は封建的な身分制度を破壊し、身分制度たが、資本主義社会では、人間は単なる労働力として、生産設備の一種、物として自由な存在となっただけであり、あらゆるレベルに競争を持ち込み、家族的な紐帯を破壊することで人間を破壊し、必ず凶悪な犯罪社会となる。
●労働のあり方の問題や貧困・格差問題、あるいは環境破壊問題とともに、この家族の破壊という問題も現在の資本主義の最大の欠点の一つである。

●ところで、日本だけでなく、世界の大部分の近代的知識人は、人間を拘束し自由を奪う古い前近代的な社会制度、家族制度から人間を解放し、個人の確立、個人が自立することをテーマにしてきたので、家族一般を軽視し、家族の問題を避けてきた。
●だから、近代的知識人としてのリベラリストも資本主義の欠点を軽視して資本主義を肯定し、近代的知識人としての左翼知識人も、家族を「個人の自立」という問題で軽視し、むしろ家族の存在が、体制への反逆というリスクのある行動を抑止するものとして敵視してきた。

●この左翼の家族軽視は、エンゲルスの集団保育などによる「家事労働の社会化」という理念となり、女性を家事労働から解放する理念となった。夫だけでなく妻も働き、自己実現や自己収入を得て男女平等化を達成するという社会主義的な女性解放思想となり、社会主義的な家族制度の理念となった。
●しかし、このエンゲルスのプランを忠実に実現しようと集団保育を行ったイスラエルの初期キブツの子供は情緒不安定という症状を示すようになり、この悲劇は、改めて家族による養育の大切さを教えている。

●核家族社会だから福祉制度や膨大な福祉施設が必要になる。しかし、先進国の福祉社会は、海外の低賃金介護労働者なくして成り立たない。しかも、いずれ、日本や欧米の先進国にとって都合の良い低賃金介護労働者はいなくなる。
●北欧のような福祉社会や社会主義社会も、資本主義社会と同じように保育や介護などの家事労働の社会化を進め、家族より、諸個人や社会全体の共同性の強化を重視する核家族社会として構想されている。
●そもそも、福祉社会は他人による養育・介護の社会であり、他人による養育や介護よりも、家族による養育や介護の方が子供や老人には良い。特に、1,5歳、あるいは3歳までの乳幼児には、特定された少数の大人による緊密な養育が必要であり、結局、多くの場合は家族による養育が自然であり合理的となる。

●しかし、かつての古い封建的な家族制度が女性を犠牲として維持されていたのも確かであり、特に家制度のある日本では、女性が封建的な家族制度の犠牲となってきた。
●そこで、子供の養育という視点から、核家族や父系大家族よりも万全な子供の養育環境を築くことができる母系大家族という家族形態を提案したい。母系大家族では、子供の養育を一族の老人などにも補助してもらうことで老人に役割と生きがいを与え、幼児のいる母親でも働くことで自己実現や自己収入を得ることも可能となる。
●父親やその他の親族が主な子供の養育者となっても問題はないが、多くの母親が子供の主な養育者となることを望むのも事実。母系大家族という家族形態は、子供の主な養育者としての母親・女性を父親・男性よりも保護することで、子供を保護し、老人介護も家族が主な担い手として行う家族形態である。

●しかし、仕事を求めて頻繁に転居し続けなければならない資本主義社会では、母系大家族を維持し続けることは困難であり、社会が激しい変化を起こさない経済制度としての社会主義経済制度が必要である。
●母系大家族の提案といっても、社会の全ての家族が母系大家族になることを提案しているわけではない。現在の核家族社会から、母系大家族や父系大家族、あるいは核家族など自由に家族形態を選べる社会を提案しているのである。

●人間にとって、家族は最も大切な根源的な共同体であり、社会は家族を支えるためにこそ存在すべきである。社会主義は、家族のための社会を実現するべきであり、家族が主体的に養育や介護ができる母系社会主義の構想研究を提案する。

1:母系社会

(1)社会の分類

 多くの日本人は、日本の社会は父系社会と考えていると思いますが、現在の人類学や社会学では、日本や欧米の社会は、性別に関係なく財産などが継承される双系社会と分類されてます。しかし、ここでは、日本や欧米の社会も含めて主に父親の系統を軸に家族が形成される社会を父系社会、主に母親の系統を軸に家族が形成される社会を母系社会とします。

 また、父系社会を二分し、韓国などのように父親の血統を何代か前までさかのぼって共通の祖先を持つ人々が祖先の祭祀を共同で行ったり、相互に助け合うグループを創り、主に財産の継承を男性だけに限定する父系的父系社会と、日本のようにせいぜい2世代前の祖先しか共同で祭祀を行うことはなく、事実上財産の継承を男性に限定しつつも、男性がいない場合は、女性にも財産の相続を認める社会を父系的双系社会とします。

(2)母系社会

 母系社会は、現在でも少数ながらヨーロッパを除く全世界に存在しています。もちろん人口では圧倒的に少数派となりますが、面白い事に民族数では、全世界の約15%が依然として母系社会です。

 母系社会には、様々なタイプがありますが共通するのは、母親の系統の血縁者を中心に形成される家族からなる社会で、この母系家族では、実父の他に母方のオジ(母親の兄弟)もなんらかの父親的な役割を果たします。ですから、男性は自分自身の子供だけでなく、姉妹の子供の親としても何らかの父親的な役割を担います。三人の親がいる子供達は、両親が離婚しても父親的なオジや親族の大人が周囲にいるので、子供にとっての家庭環境は私たちの社会より安定的です。

 母系社会を結婚後の居住方法で分類すると、夫が夜だけ妻の家を訪れる訪妻婚(通い婚)、妻方居住婚(婿入り婚)、夫方居住婚の3タイプがあります。最後の夫方居住婚は、夫方といっても、夫の母親の実家の意味で、生まれた男の子は同じく結婚後、妻とともに母親の実家に引越し、もう一人の父親的な役割のオジと同居する居住方法です。

 現存する中国のある母系社会では、およそ3、4世代が一つの大きな家屋に同居して暮らし、男は夜だけパートナーの女性の家で過ごして朝、生家に帰ります。この母系家族では、子供の父親は母親の兄弟(オジ)の役割で、母親は経済的にパートナーの男性から完全に独立し、生涯を「夫」ではなく兄弟姉妹達とお互いに助け合いながら生きてゆきます。

 母系社会では、土地や家屋などの財産の所有権は、ほとんどがその一族の女性から女性へと相続され、家長が女性の場合もあります。ただし、田畑などの一族の共有財産の経営はその一族の男性に任され、村長などの地位も男から男へと継承されているタイプが多いようです。しかしこの地位も村長自身の息子には継げず、村長の姉妹の産んだ男の子に継承されます。

2:家族

(1)家族の重要性を示すアダルト・チルドレン

(私たちは、アダルト・チルドレン(AC)の存在を知り、母系社会にたどり着きました。そこで、まず、このアダルト・チルドレンについて説明します)

 アダルト・チルドレン(以下AC)は、アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリーの略語で、「機能不全家族」に生まれ現在大人になった人という意味です。当初、ACは、親がアルコール依存症の家庭で育てられた子供を示す言葉でした。しかし、現在では、アルコールだけでなく、様々な原因で機能不全となった家族に生まれ育ったために、ある共通の心理的な特徴を持つ人という意味で使われていまして、ACは、病名ではありません。

 アメリカの前大統領クリントンが、自らACであると告白するほど、アメリカでは、ACは社会的に認知されていて、AC達の自助グル−プが無数にあり、その活動は今や草の根運動のように広がっているそうです。

 子供は親の深い愛情により、大切に育てられなければなりません。子供は慈愛に満ちた環境で育てられると情緒的に安定し、親などの身近な人々を媒介にしてこの「世界」に対し親和感、安心感、信頼感を持つようになります。

 人間は他者の同意なしには自分の判断、認識に確信が持てませんので、自己認識にも、他者の同意が必要です。ですから、子供は、親や家族が他の誰よりも自分を心配し、大切に思っていることを認知することで、はじめて自分が大切な存在であると確信します。たとえ、他人は否定しても親だけは自分を肯定してくれるという確信が、子供にその存在を根源で支える「自尊心」、「自信」をもたらします。

 しかし、親自身がACであったり、親が依存症や嗜癖問題を持っていると、全てのケースではありませんが、家庭から子供を健全に養育する機能が失われる場合があります。親の暴力的な虐待だけでなく、無視(ネグレクト・育児放棄)や言葉の暴力による精神的虐待などにより、一見何の問題もなさそうなごく普通の家庭の子供でも、深刻な苦悩を抱え込んでしまう場合もあります。悲惨なことに親を否定したくないという心理から、多くの子供達は「虐待」を受ける原因が自分自身にあると、自分が悪いと思い込んでしまう場合が多いのです。

 AC達は、最も身近な他者である家族による虐待により自己の尊厳を否定され、自尊心や自信を保持するのが困難な人々です。自分を大切な存在だと思えないと、必然的に自分を大切にしなくなり、生命を保全しようとする生物としての基本的な「資質」さえ傷つきます。

 また、自尊心に深い傷を負ったACは、成長するにつれて自尊心を傷つけられることを極度に恐れるようになり、過度の自己防衛をするようになってしまい、些細な注意を誤解して過剰な反応をし、周囲から疎まれがちな人格を形成してしまう場合もあります。対人関係を上手に処理できないACは、仕事や恋愛、結婚生活などの人間にとって大切な社会生活の場で孤立し、引きこもり状態になる場合もあります。

 場合によっては、ウツ病や不眠症、パニック発作、解離性障害、身体化障害、抑ウツ・無気力と自己嫌悪、自傷行為と自殺未遂、対人恐怖症などに罹る人もいます。また、更にAC自身による一種の「自己治療」の試みでもあるアルコール・薬物・ギャンブル・摂食障害・恋愛嗜癖などの依存症や嗜癖問題を持ってしまう人もいます。

 このようなACの心理的傾向、特徴としては、「これでいい」との確信がなかなか持てない、情け容赦なく自分に批判を下す、楽しむことが不得手、まじめすぎる、親密な人間関係を持つことが難しい、他人からの肯定や受け入れを常に求める、他人は自分と違うといつも考える、常に責任をとりすぎるかとらなすぎる、衝動的である、ひとつのことに自らを閉じこめるなどがあります。

 このAC理論は、虐待児自身に何らかの落ち度があったから虐待されたのではなく、むしろ虐待した親の側に問題があると気づかせてくれます。また、誰でも自分と同じような虐待を受ければACとなってしまうという自覚により、AC達はまず自信を取り戻しますので、ACの救済に大変有効な理論です。また、約20から30%のACが、親になると自らの子供を愛したくても、逆に虐待してしまう場合があります。ACは世代を越えて伝わりかねない「伝染性」のある「現象」であり、子供を虐待する親自身がACの可能性が高いことを教えてくれます。

(注)JUST、21世紀家族研究所のHPを参考にまとめました。これらのHPにより詳しい情報がありますので是非ご覧ください。

(注)程度の差こそあれ、親との葛藤は誰にでもあるので、ACは、日本ではなかなか社会的に認知されませんが、日本でもほぼ全都府県にACの自助グル−プがありますし、インタ−ネットのAC関連のサイトも多数あり、専門病院(家族機能研究所=さいとうクリニック・東京など)もあります。

(注)ベネッセ教育研究所が、神奈川・埼玉・東京の中学1〜3年生1,737人を対象にして、83年と95年の12年間で意識がどう変化したか調べた調査結果。親との関係で「とても」、「かなり」、「うまくいっている」と答えた割合の合計。対父親<中1>83年63.0%→95年47.1%<中2>58.4→45.0<中3>42.6→46.7<男>54.8→44.9<女>54.1→47.6対母親<中1>83年71.9→95年57.9<中2>65.3→ 56.4<中3>55.7→ 56.1<男>57.3→48.2<女>71.4→65.0 

(注)「機能不全家族」は、一部の精神医学者たちから「反社会性人格障害」と見なされる人々をうみ出します。ACの場合は、自傷行為や自殺など自己を傷つける傾向がありますが、この「反社会性人格障害」の人たちは、他人の権利を無視し侵害する傾向があるので、逆に、他者を精神的、肉体的に傷つけ、時には犯罪を引き起こす場合もあるとこの精神医学者たちは言います。

(注)ACの問題が社会的な常識となり、義務教育の早い段階でこの問題を教師が全ての子供に教え、もっと多くの専門医療機関や自助グル−プが常時使用できる施設が全国に整えられれば、多くの苦悩を抱えた子供達が救われ、子供や若者の自殺も相当減少するのではないかと思います。

(2)家族を持つ唯一の動物としての人間

 人間の基底的な定義をするとしたら、人間は、道具をもちいて社会的に生産活動をする存在である、と言えますが、もう一つ、決定的に生物一般と異なる特徴が人間にはあります。それは、子供の性別に関わりなく、親と子の関係が生涯にわたって持続する、という特徴です。このような死滅するまで続く親子関係、つまり家族の存在が人と他の生物・動物との大きな相違点です。記憶力の増大により、母親とその子が相互の関係を死ぬまで記憶するようになった「サル」が人間とも言えます。家族は人類の誕生とともに存在し、人類が生存している限り、家族は消滅することはないでしょう。

 おおむね、サルの親子関係は、子の成熟とともに終わりますが、人は死滅するまで続く家族を持つようになったため、必ず肉親の死に直面するようになり、この経験からやがて宗教(文化)が生み出されたのではないかと思います。しかし、記憶力も文化も相対的な差でしかないので、家族の有無がサルや動物と人間との、もう一つの明確な相違点です。

(注)子供が親を自分の親として認識するのは、親がその子供を自分の子供として扱うからです。ですから孤児院で、ある特定の大人が特定の幼児を継続的に世話をすれば、その人は「親」であり、精神的にも普通の幼児と同じ発達過程をたどるでしょう。子供にとって、親との血縁関係の有無は無意味です。

(3)人間の根源的な共同体としての家族

 もし、小中学生のころ、親から「お前は、望んで産まれた子供ではない、間違って産まれた子だ」と言われたら、どうでしょうか。自分自身の存在根拠が失われたようなものすごい衝撃で、実存的な危機に陥るのではないでしょうか。このように、人間は親が望んで自分は生まれたと思いたい生物です。また、神などの絶対者の意思で産まれたと思えれば、更に自己の存在理由・根拠は確かなものとなります。

 通常、子供は親の態度から「自分は望まれて産まれた子供」と推測します。「自分は望まれて産まれた子供なのか」という質問は、ある意味で最も深刻な質問ですので、ほとんどの子供はこのような質問はできないでしょう。子にとっての親は、単に衣食住などの世話をしてくれる存在ではありません。人間の心の根底を形作るものです。ですから、人間は、人工授精や自動保育装置などで、機械的に育てられても人間にはなりません。

 ところが、親の虐待により「自分は望んで産まれた子供ではない、生まれた時に親は喜ばなかったはず」と推測せざるを得ないのがACたちです。家族の深い愛情を感受できずに育ったACたちは、肉親を激しく憎みながら、同時にそのような肉親を憎む自分自身にも罪悪感を感じるといった複雑な苦悩を抱えて苦しみます。

 このAC達の実存的な苦悩からわかるのは、家族というものが人にとって、いかに大切な存在でるかということです。子供は、大切に育てられると情緒的に安定し、家族を媒介にして社会に対しても親和感、安心感、信頼感をもてるようになります。人間は、生物として、あるいは社会的動物としての「基本的資質」を、大切に養育されることで獲得し、家族との濃密な人間関係がないと、生物としての危機にさえ陥りかねないので、家族は人間の根源的な共同体です。

 ほとんどの人は、自分の家族内の父や母といった役割を担う者として、家族として存在するのであって、個人としての自覚は、この家族との齟齬から生まれます。家族としての個人が第一義的存在であり、個人としての個人や市民、国民といった属性は二義的な規定でしかありません。ほとんどの人々の第一の欲求は「家族内での役割を果たし、家族とともに過ごす生活」です。

 時には、家族よりも社会が大切と思う人も社会には必要かもしれませんが、そのような人は例外的な人です。大部分の人々は、家族内の役割を果たすことを第一とし、世話の程度の問題もありますが、幼児や老人、病人などの家族は生きがいを生み出してくれる存在でもあります。

 家族という強固な共同体があるので、人は困難な理念、たとえば分業制の克服のための人間の「全面的な発達」という理念への挑戦も可能になるのです。このように家族は人間の根源的な共同体であり、人間の第一の欲求は家族なので、私たちは家族と過ごすことができる時間が長い社会ほど、より「人間的な社会」であり、より「理想的な社会」だと考えます。

(注)どんなに魅力的なビジョンを唱える思想でも、「国家」や「人民」、「人類」などを理念化して家族以上の価値物としたら、民衆からの支持は得られないでしょう。家族を軽視する「自由」や「平等」は、民衆にはありがた迷惑な理念でしかありません。「人民」や「労働者」の「実体」は家族であり、「人民」や「労働者」を理念化して擁護しても、その実体は家族なので、実質的には「人民」や「労働者」を抑圧することになります。

3:現代核家族社会

(1)資本主義に最適化された核家族

 私たちは、人類の初期社会は母系社会であり、父系社会は、母系社会から生まれたと考えています。また、現世人類の誕生は約20万年前との説が現在有力ですので、今までの人類史では、母系社会時代の方が長く、さらに大胆に推理すれば人類史のほとんどは母系社会だったのかもしれません。

 昨年亡くなった東経大経済学部教授今村仁司氏は、「現代思想の系譜学」(ちくま学芸文庫、1993年)の「市民社会化する家族」で、家族史の三つの段階説を述べています。第一は、未開社会のような親族システムが社会そのものであった段階、第二は、第一の親族システムが解体されて、封建的な大家族制の段階、第三は、更にこの大家族制が解体して出現した近代家族の段階の三段階説です。

 また今村氏は「近代市場経済の展開と近代家族の成立とは無縁ではない。共同体の崩壊と大家族制の崩壊とはパラレルである。核家族化とは、ファミリーの中に市場経済が進入した現象といえるだろう」と書いています。この説は、おおむね正しいと私たちも思います。

 私たちも、仕事を求めて各地に移住することが容易な、現在の父系核家族は、例外はあれ、主に市場経済がつくりだし資本主義が完成させた家族形態だと考えています。アフリカのタンザニアでは、貨幣経済に巻き込まれた母系社会が、一夜にして父系社会へと変った例がありますので、市場経済は、母系社会を父系社会へと変える力を持っています。

 ですから、太古の昔、世界各地に市場や都市が出現した頃、この市場周辺の母系社会は、父系大家族社会へと移行し始め、更に、近代の資本主義の発達は、この過程で中世農村の相互扶助的な互酬経済、贈与経済を破壊しつつ、貨幣経済を農村にも浸透させたのではないでしょうか。全社会が市場経済化されてゆくとともに、農村の大家族も核家族化し、都市に移住した核家族とともに、現在の主に両親と子供だけから成る父系核家族社会が出現した、と私たちも推測しています。

 資本主義は、「労働力」を「商品」として切り売りしながら生きてゆくしかない人間が必要です。しかも、労働力を確保したい時には、賃金の設定次第で、労働力を自由に確保できる社会が必要です。大家族は、ある成員の就職のために大家族全体が移住すると、別の成員が失業する場合もあり、大家族は移住することが困難な家族形態です。ですから、大家族社会より、核家族社会の方がより安い賃金で労働力を確保できるのは明白ですので、現在の日本や欧米の核家族社会は、労働生産性を向上させるための極めて資本主義的な、特殊な家族形態の社会です。

(2)家族を破壊する資本主義

 資本主義を支持する保守主義者や政府、マスメディアは、家族の大切さを説き、家族を守れなどと叫でいますが、彼らが支持する資本主義こそ家族を破壊する経済システムです。既に資本主義には、戦争や賃労働制度、環境破壊などの問題点は指摘されていますが、長時間労働による家族の「破壊」という欠陥もあります。資本主義は、人々から家族と共に過ごす時間を奪い、日々、毎日、日常的に家族の共同性を痛めつけ、時には家族を破壊する経済システムです。

 資本主義は、最大のライバルであったソ連・東欧体制に対抗するため、社会的な格差を緩和する累進的課税政策や財政投入による強制的な景気維持政策、福祉国家政策などを実施し、軍事費にも膨大な予算を投入し続けました。その結果、国家財政は破綻寸前にまで追い込まれながらも、かろうじてソ連・東欧体制の崩壊により、資本主義は生き延びました。

 対抗勢力が消滅して遠慮なく民衆を搾取することが可能となった資本主義は、より一層厳しく搾取するために、新自由主義政策の導入に躍起となっています。この政策は価格競争に勝つために、企業により一層厳しい効率経営を強いる政策で、あらゆる面で何よりも経済的効率が優先され、新技術による生産性の向上だけでなく賃金の削減、労働コストの削減による労働生産性の向上も必要です。不況になる度に企業は賃下げを繰り返し、民衆に長時間労働をさせ、共働きをしないと生活できない家族を増やしています。

 しかし、受験競争と同じく経済競争にも限度、終わりがありません。一時間でも多く受験勉強した生徒が受験に有利になるように、一時間でも家事労働を減らし、その分労働時間を増やした国や企業が経済競争で有利になるのは明らかです。ですから、受験生が睡眠不足になるように家族も「家族生活時間」不足に陥るのは必然です。

 家族として生きる人間を、単なる労働力商品としてしまう資本主義は本質的に反家族的な経済システムです。資本主義は、家族を単なる労働力の生産、供給源としてしか扱わず、人間の根源的な共同体としての家族を日々破壊しています。たとえ資本主義が景気の変動や環境問題、戦争を克服して常に「豊かで便利な社会」を築けたとしても、肝心の家族を破壊し続けます。

(注)ウツ病は、欧米での調査では人口の約5%。日本なら600万人ですので、現代社会では、ウツ病は、ごくありふれた精神疾患となっています。

(3)子供を追いつめる資本主義

 競争を万能の特効薬であるかのように賛美する風潮は、子供たちに一生競争は続き、少しでも息抜きをしたら生き残れないという重苦しい人生観を植え付け、子供のウツ病患者を生み出し、2005年は小学生6人、中学生66人、19歳以下で608人もの自殺者を出しています。日本では子供まで自殺するようになってしまいました。子供が自殺する社会が過去にあったのでしょうか。この子供の自殺現象や逆に子供の殺人、親の子殺しは、現代の病んだ父系的核家族社会を映しだす鏡です。

 現在の日本のような競争社会では、多くの親が競争に打ち勝ち生き残れるようにと、幼児期から子供に教育競争を強いるのも無理はありません。人類は長い間、子供の「仕事」は遊ぶことと見なしてきましたが、私たちの社会では、事実上満6歳以上の子供の「仕事」は学業と見なしています。現代社会では、義務教育は、比喩的に言えば「児童労働」を課しているようなものです。「高度な文化社会」を維持するためとはいえ、満6歳以上の子供にとって私達の社会は、子供の仕事は遊ぶことと見なす「未開社会」より「過酷」な社会、「野蛮」な社会です。

 しかし、一方で、この「児童労働」は、「高度な文化社会」を維持するために必要なことも確かです。ですから、子供は遊ぶことを主とし、義務的な学業は従にするように根本から見直すべきだと考えます。ところが政府は、少子化対策の一環として幼児教育に助成金を出すプランを提起しています。つまり政府は、2、3歳から「児童労働」をさせようとしているのです。

 親に迎合する傾向が強い子供もいます。このような子供の場合、幼児教育に同意したとしても、親の願望を察知して同意する場合もあり、見極めは大変難しくなります。本心からなら、問題はありませんが、そうでないなら子供には幼児教育は「児童労働」でしかなく、心の負担となり、やがて親自身への「不満」へと転化する可能性があります。競争社会は、子供を追いつめる社会です。

 既に「先進国」の父系社会的核家族は、3割(アメリカでは5割)近い離婚率やシングル族の増大により崩壊し始めています。核家族は、その崩壊の過程で、多数の子供達の心に深刻な「トラウマ」を刻み込みかねない家族形態であり、家族が愛憎の対象となるACは、核家族崩壊の象徴的な現象です。

 現在、政府は日本の人口は数十年後に8000万人ぐらいまで減少し、安定化すると予測していますが、今までの未来予測の多くが外れましたので、これもどうなるかわかりません。ですから、この少子化は、必要な「労働力の再生産」が十分に出来なくなる父系社会、あるいは資本主義の自壊、自滅現象で、核家族社会は崩壊へと向っているのかもしれません。

(注)2005年の全国高校PTA連合会の調査(高校2年生5755人とその保護者4574人)」によると、「家族との日常会話がない」者は、各種リスク行動全てにおいて約2倍以上の割合。特に「今の学校をやめたい」者の「自傷行為」は男女とも3倍以上。また「放課後の行動を親がまったく知らない」者の「自傷行為」は、男女とも2倍以上の数値。「泣きたいほどつらい気持ちの経験」が「よくある」の自傷行為は16倍以上、「非常に腹が立った経験がある」の自傷行為は18倍以上。また、保護者の約6割が高校生だった頃、家族全員食事が「毎日」。現在の高校生では3〜4割。

(注)2006年の文部科学省の国・公・私立の小・中・高等学校の児童生徒調査によると、自殺者数は171人。小学校で2人、中学校で1人、高等学校で128人。「不登校」は、小学校で2万3千人、中学校では10万人。国・公・私立高等学校は、5万78千人。

4:福祉社会後の社会としての母系社会

(1)労働生産性を向上させるための福祉政策

 経団連が、2008年年度の政党の政策評価用に2007年12月に決定した10の「当面の優先政策」では、 2番目の政策として「将来不安を払拭するための社会保障制度の一体的改革と少子化対策」を掲げ、この政策の狙いを、労働力不足を懸念して、少子化対策と「家事労働の社会化」による主婦の労働力化のために、「国・地方の役割分担の見直しや省庁間の縦割りの排除を通じて、保育サービスや放課後対策を多様で柔軟なものにするとともに、これらの効率性を高める」と解説しています。

 国際的経済競争を勝ち抜くためには、労働力を維持・増加して労働生産性を向上させなければなりません。そこで、労働力の豊富なアメリカ以外の、労働力不足に陥っている日本などの先進諸国の支配的な大資本は、民衆に対して更なる共働きを強制するために、「家事労働を社会化」をより一層推進し、保育所などの福祉施設を増設しようとしています。欧米資本は、民衆をより一層長時間働かせ、資本主義体制を維持しようとしています。もちろん、資本は効率的な福祉を第一に考えていますので、福祉サービスの質の向上を要求しなければなりません。

 政府は、民衆を新自由主義という「激流」に突き落としては保育所や介護施設という「浮き袋」を投げて、自分たちは民衆のための福祉政策を実施しているなどと宣伝しています。「先進国」の政府が莫大な予算を保育所などの福祉政策に投入するのは、家事労働を社会化して主婦の労働力化を誘導・促進し、民衆をより一層長時間働かせて、労働生産性を上げるためでもあるのです。

 ですから、民衆は、共働きにより生き延びられても、家族の生活時間は減少します。溺れかけている私たちが、川に突き落とした犯人に充実した福祉政策を要求するのは当然ですが、どんなに福祉制度が充実しても、コスト競争には際限がありませんので、家族との生活時間は減り続けるでしょう。やはり、激烈な国際的経済競争を止めるしかありません。資本主義社会の福祉政策は本質的に労働時間は引き延ばして労働生産性を向上させ、搾取を恒常化・永続化させるための政策です。

 家族との生活時間が減り続けるなら、たとえ、どんなに物質的に豊かになろうが意味がありません。連帯経済などにより、新しい経済社会を模索して行くしかありません。貿易は、適正価格で、お互いに不足している物を交換し合うような貿易をすべきです。全面的な貿易自由化は、民衆同士を競い合わせる自由化であり、長時間労働により家族と過ごす時間と賃金が減り続け、ワーキングプアを創り出します。

(注)江戸時代の職人は1日4時間ぐらいしか労働せず、男も相当育児を手伝うような生活をしていた。

(注)スエ−デンやフィインランド、デンマ−クなどの高度福祉社会を理想とする人々は、これらの社会が老人の自殺大国である事を軽視しています。いかなる理由であれ、老人が自殺するような社会が理想的な社会であるはずがありません。

(注)2006年の厚生労働省の調査によると、2006年年4月時点での待機児童数は約1万9千800人、3年連続減少し、初めて2万人を下回った。保育所数は、約2万3千か所、定員は約207万9千人、前年同月と比較して、約130か所、約2万7千人の増加。公立保育所は約240か所減少し、私立保育所は約370か所増加。保育所の民営化が続く。厚生労働省は、待機児童ゼロ作戦を展開中である。

(2)女性問題と母系社会

 母系社会では、家族単位の労働の増大がしますので、幼児のいる母親でも、一族のきめこまかい配慮に守られて働けます。また、家族単位の労働ではなくても、家族単位で集合居住しますので、親などの他の家族に育児を分担してもらうことで、幼児のいる母親でも働きやすくなります。このように現在の日本より、はるかに多くの女性が育児と仕事を両立させられる社会が母系社会です。

 母親は子供にとって重要な役割を果たすのですから、私有財産制社会ではせめて財産の女性相続制度で安定した環境を保障されるべきです。男性もこれにより、よりよい環境下で大切な子供時代を過ごせるので一方的に不利というわけではなく、子供の生活環境を守るために母親を、女性を保護するのです。

 母系社会では「嫁」は死語となり、結婚しても自分の母親達とともに生活するので、やっかいな嫁姑の問題に長期間悩まされることも起こりません。日本のような父系社会では、多くの女性は自分の親の介護ができません。また介護老人のいる多くの家庭が、主婦(嫁)一人の超人的な努力でかろうじて支えられています。

 母系社会では極力育児でも介護でも一族が助け合いながら行います。人生の最後の時間を家族ととも過ごせる人も多くなります。女性も自分の親の介護ができ、育児や介護疲れが引き起こす悲劇も起こりにくく、これからの高齢化社会にも最適です。

 様々な女性問題は、結局、父系社会という現在の社会の基盤的枠組みそのものが、この問題の主な発生源なので、母系社会の確立なくして根本的解決は不可能です。女性の首相や天皇が生まれようが、父系社会の矛盾を覆い隠すだけになりかねません。

(3)「家事労働の社会化」社会である社会主義

 最近、村岡到氏が社会主義の文献にしては大変珍しく、「<家族>の問題を重要な問題として位置づけることは、単に理論的レベルにおいてのみならず、活動の場においても大きな意味をもっている」(「社会主義はなぜ大切か」・社会評論社・79頁)と家族の重要性を指摘した著作を出版しました。

 村岡氏はこの著作で、(家族は)「その位置の大きさに見合った考察の対象にされてきたのであろうか」と問い、「残念ながら、マルクス主義陣営では、社会や国家をテ−マにした著作の中で「家族」は定位されていない」(同書・73項)と嘆いています。なぜ社会主義者は、国家や社会、個人については熱心に論じているのに、家族についてはあまり論じてこなかったのでしょうか。

 私たちは、その理由を次のように「邪推」しています。それは、社会主義が人間の社会的な連帯、助け合いを重視するあまり、社会に対して「自閉的な集団」になる場合もある家族は、この社会的な連帯を阻害しかねない存在として軽視し、忌避してきたからではないか、と。

 人間は、自己が大切にされた「度合い」に応じて、大切にしてくれた人や組織を大切に思うので、子供が社会より家族を大切に思うのは極自然な感情です。ですから、社会も大切にしてくれたが、他の何よりも家族が自分を大切にしてくれたという思いが子供の家族への信頼感や帰属意識を形成し、社会にとってもバランスの取れた精神を育むのではないでしょうか。

 今村仁司氏は、先述した「市民社会化する家族」の中で、家族内暴力や学校内暴力は、家族や学校を市場経済が包摂した結果であると言います。特に家族の中では、祖父と孫の関係が、家族全体の緊張関係を緩和する力があると説き、「子供が子供として育ちうる空間を保証しなければならない」、『 子供を「市民」として扱うこと、また老人をふつうの成人と同列に「市民」として扱うことは、ひとつの暴力』 だと言います。

 そして自由主義だけでなく、社会主義も『顕揚してきた「万人の市民化」あるいは「社会人」化とは、そんなにもすばらしいものであったのだろうか。人間が「社会化」することは、本当に「幸福」な理想であるのか』と疑問を投げかけています。この今村氏の疑問は、私たちの、社会主義も含めた個人の自由と自立を説く近代思想への疑問と完全に重なります。

 家族が存在してこそ、個人も「自由」で「自立」した存在へと目指せるのです。虐待されたら、生存の危機にさえ陥りかねないのですから、自由や自立どころではなくなります。家族が存在してこそ、また社会も存立しうるという視点が左右の近代思想とも抜けているので、私たちの疑念と今村氏の疑念は、おおむね一致します。

 エンゲルスは「生産手段の共同所有への移行とともに、・・・私的家計は一つの社会的産業に転化する。」「子供たちの養育や教育は公的な事項となる。」「すべての子供の世話を社会がみる」(家族・私有財産・国家の起源)と書いて「家事労働の社会化」社会としての社会主義社会を構想しています。これらの言葉には、子供が家族よりも社会に忠誠心を抱くように育てようとする意図を感じます。私たちは、家族像があまり論じられてこなかった理由は、この家族像に、他の理論家も疑問を持たなかったからではないか、と推測しています。

 しかし、イスラエルの初期のキブツでは、このエンゲルスの構想を忠実に実行しようとして、1週間のうち6日間は養育施設で過ごし、親と過ごすのは1日という養育を試みましたが、結局、子供が「情緒不安定」になり中止されました。主に、社会が子供の養育をするというビジョンは誤りだったのです。少数の大人が専門的に養育しなければ、つまり家族が育てなければ、幼児の心は、「健全」に育たないのです。その後キブツでは、毎日、夜は家族と過ごすように改良されましたが、多数の子供が犠牲になってしまいました。

 この初期のキブツの例は、日本人も他人事ではありません。政府は、育児所を大量に増設して、一時間でも多く女性を働かそうとしています。一時間でも多く働いて労働生産性を向上した側がコスト競争に勝つのですから、やがて、最悪の場合、日本でも大規模に再現されるかもしれません。あるいは既に再現は始まっているのかもしれません。

 家族への強い愛情が、人を現在だけでなく未来の家族(子孫)の運命も心配し、普遍的な立場でも考える社会的人間にするので、家族は、単なる自閉した利己的な共同体ではありません。家族よりも個人を優先し、家族を人間の社会的な連帯性を阻害する存在であるかのように見なしてきた私たちの方が誤っていたのではないでしょうか。つまり、家族だけが、人間に人類的なレベルでの助け合いをする能力を与えられるのです。ですから、こうした能力の発現を促すために社会が親の代わりになるという構想は、本末転倒そのものです。

 自由や人権意識が高まった近代、知識人たちは女性の解放のために、「家事労働の社会化」を目指し、この構想は社会主義にも採り入れられました。しかし私たちは、このようなビジョンは核家族的な、資本主義的な女性解放モデルでしかないと考えます。現在このビジョンは、資本主義がが実現しつつあるとも言えますが、幼児期の人間の心についてはまだ未解明な部分が多いので、「家事労働の社会化」の中でも特に「育児の社会化」はどこまで可能なのか慎重に考えなければならないでしょう。

5:現代的母系社会

(1)「家族的存在」としての人間

 かつて多くの特攻隊員が、最終的には民族や国家、天皇などのためでなく、家族のためにと死んでいきました。彼らにとって「日本民族の一員」とか「天皇の赤子」といった個人としての関係性からの自己規定・自己認識は、結局、特攻という究極の攻撃を目前にして無力となったのです。これは、民族や社会と個人の関係性が生み出す自己認識は、個人としての自己規定であれば二次的な関係性でしかないことを示しています。

 同様に、ほとんどの労働者には「労働者階級の一員」という自己規定も、個人としての自己規定であれば、二次的な関係ではないでしょうか。本人は労働者でも、息子が個人商店を経営していれば、息子の立場を優先して自民党に投票する場合もあり得ます。では何が人間の第一次的な関係性なのでしょうか。それは、あの家族のためにと死を受け入れた特攻隊員たちに学べば、家族との関係性であることは明白です。あの特攻隊員たちは、自らの死をもって私達に「社会的存在」としての人間は、第一次的には「家族的存在」であることを教えてくれたのだ、と思います。

 人間は、「自然的実在」としては一個の身体的存在で、当然思考も個人単位ですから、一見社会でも個人として判断しているように思えますが、村岡到の表現で言えば「家族を背負った個人が集まって社会を形成する」(同書・80頁)のであり、人間は社会では、自己と家族とを同一視して自己を「家族的存在」へと拡張して世界を認識する存在、家族という「共同体」の一員として思考する存在です。自己の家族の状況認識に応じて、家族の社会的諸関係を考慮した行動をするのです。

 ですから、ほとんどの人はまず家族として生きているのです。これは、多くの人々の日常生活を、そのまま素直に視ればわかります。「社会的存在」としての人間は、「個人」ではなく「家族的存在」と捉えるのが、より正確な人間の解釈です。しかし、人間の「家族エゴ」といった心理により、社会的な連帯性を損なうと指摘する人もいるかもしれません。そのような場合もあるのは事実です。しかし、人間が「家族的存在」であるのは現実ですので無視しようがないと思います。これを無視すれば民衆の願いとはかけ離れた空論を築いてしまうかもしれません。

(注)社会が家族を追い詰めると、時には家族は、反社会的な存在となります。しかし、家族だけが社会的人間を生み出すことで社会を形成できるのですから、家族(人間)を追い詰める社会の方が身の程知らずなのです。反社会的な行為をせざるを得ない状況に追い込む社会なら、家族の反抗は必然です。犯罪のない資本主義社会が存在しないのは、この資本主義社会が家族(人間)を追い詰める社会だからです。

(2)母系社会を次の理想社会として検討すべき理由

 私たちは、ACの問題を契機に、子供の養育に最適の家族と社会が人類にとって最も優れた家族と社会と考えるようになり、核家族を疑うようになりました。おそらく、現在でも70〜80%の日本の核家族は、愛情面ではそれほど深刻な問題もなく子供を養育しています。また子供を巡る事件が多発しているせいか、子供の養育に熱心な親が急増しているそうですので、おおむね現在の核家族は良好であり、このままで良いという評価をする方もいるでしょう。

 しかし、私達はAC達の苦悩の深刻さを考えると、ACは、できればゼロにしなければならないと考えます。核家族は、たとえ人類が資本主義を克服したとしても離婚がなくなるとは考えられないので、ACの問題を完全には解決できないのではないかと思います。もちろん、離婚したら子供は全てACになるなどということは全くありませんし、逆に離婚したので子供がACにならずにすむ場合も多々あるでしょう。

 しかし、離婚率が約30%(アメリカでは約50%)もあるので、全ての離婚や再婚が大きな心理的な問題を子供に与えずに済ませられるとも考えられません。もちろん母系大家族社会にも離婚はありますが、母系大家族は核家族の場合よりも、離婚による子供への影響を弱める可能性があります。

 ACを極力少なく、できればゼロにするための子供の養育という視点から、家族形態を考えますと、核家族よりも大家族が、大家族なら父系より母系大家族がより優れており、結局 親以外の親族の大人達も子供の養育に関わり、母親が優先的に「保護」される母系大家族が、唯一ACを極力少なくする家族形態であり、子供の養育に最も適した社会は母系大家族社会だと考えます。

 また、子育てには、他の親族も深く関わるので親の「虐待」も起きにくくなります。また深刻な病気や障害のある子供を持つ親も、自分達の死後は一族が世話をしてくれるので安心です。私たちは、この母系大家族社会は 単に子供の養育の問題だけでなく、老人介護などの現代社会が抱えるその他の多くの問題の解決策になることに気づき、母系大家族社会が、人類の理想的な社会の雛形になりえる可能性を秘めているのではないかと考えるようになりました。

(3)現代的母系社会

今までは、社会主義社会についても父系社会の欧米やロシア、日本の知識人により構想されてきました。その結果、社会主義の構想は、無意識的にであれ父系核家族を基盤的な核組織とする社会として構想され、社会主義も資本主義社会と同じ「家事労働の社会化」社会として構想されてきたのではないでしょうか。核家族をめぐる様々な問題が噴出している現在、資本主義が完成させたこのような「家事労働の社会化」社会である父系核家族を、社会主義も継承して良いとは考えられません。

 今までの社会主義を父系社会主義、もしくは非母系社会主義と見なすと、もう一つの社会主義、母系社会主義が想定できるのではないでしょうか。この母系社会主義は、いわば、母系社会の人々が社会主義的な視点から理想的な社会を構想したビジョンとも考えられます。

 現在、市場経済を完全に廃止しうるビジョンは構築されていません。ですから、私たちの構想は、当面、市場経済下での母系社会の構想を考えなければなりません。母系大家族は、居住地の移動が困難なために、現在よりも低い経済効率となり、激しい経済競争には耐えられないので、常により規制や統御の度合いを拡大・深化させた「穏やかな」市場経済へと移行してゆくように努力する必要があります。

 また、すべての理想社会のビジョンは、それが構想された時代の社会の否定形として構想されるので、歴史的な制約を帯びます。ですから、この現代的母系社会のビジョンも、当然この制約を受けていますので、常に見直しが必要です。その実行は社会的な実験ですので、計画通りの社会になるとは限りません。ですから、様々な広報活動や議論による説得が唯一の手段であり、失敗する場合もあるが、試してみる価値がある実験だと人々が認めた時にだけ実行に移すべきビジョンです。

 母系社会への移行は、両親や他の家族も母系社会を支持する男女が、将来、妻の親を扶養すると誓う結婚から始まります。この家族がやがて親の扶養が必要な時がきたら、誓いどうり妻の親を扶養すれば、この家族は母系核家族となります。更にこの家族が母体となり、この家族の子供達も同様な結婚を繰り返し、女性は母親と同居するかもしくは近隣に居住すれば、やがて自然に事実上の母系大家族となります。

 もちろん、実際に財産をどのように分配するかや母親のオジの第二の父親の問題も、それぞれの母系大家族が子供の養育を最優先に、最適と思われる相続方法を決めればよいでしょう。このような母系大家族が増えて相互の経験を学んでゆけば、自然に一定の風習や社会のル−ルが地域ごとにできるでしょう。この地域ごとの風習や社会のル−ルを無理に統一する必要はなく、様々な特色のある母系社会ができれば、それぞれの経験を他の母系社会も学ぶことができるますので、それぞれが、最適な母系社会となるでしょう。

 ただし、母系大家族を現在の競争的市場経済の下で維持するには、経済的な困難が予想されます。ですから、社会全体が、母系大家族が安定的に存続し得る「緩やかな市場経済」に移行すれば別ですが、母系大家族同士の相互支援だけでなく、母系社会の支持者もこの母系大家族が生産する産品を優先的に購入するなどの方法で、母系大家族を支える必要があります。

 父系社会とも交流のある開かれた母系社会を建設することで、建設途上の母系社会が抱えるかもしれない「ゆがみ」が是正できるでしょう。子供達も父系社会から隔離したりせず、子供達は父系社会や父系社会の子供達とも自由に交流させ、子供達が父系社会を選択しても自由にさせなければなりません。ヤマギシ会のように社会から隔離し閉じた社会にしてしまったら、自らの「ゆがみ」も是正できず、母系社会は崩壊するでしょう。

 母親が主体となりながらも、家族の協力を得ながら子育てを行なうためには、母系大家族は集合して居住しなければなりません。もちろん職業や婚姻、居住地の選択は自由ですから、一部の母系大家族のメンバ−は、核家族を選択するでしょう。しかし、この核家族も故郷に自己の母系大家族が集合居住する「根拠地」があり、万一の場合は様々な援助を期待できるので、遠隔地でも余裕のある生活ができます。ですから、同じ核家族でも現在のような孤立した核家族とは質的に異なる核家族になるでしょう。

 母系大家族が集合居住するためには、居住地から通える範囲内で一族の人々は働くことができなければなりません。ですから、もし働き先が不足して集合居住が困難な地域があれば、母系社会全体が支援し、その地域の各種協同組合企業や自営企業が経済的に自立できるよう援助します。

 自営企業の場合は、工場や店舗、土地、住居などの財産は、主に一族の女性から女性に相続され、子育てを主体として担う女性の経済的な基盤が維持されてゆきます。社会は自営企業の設立を希望する母系家族を支援し、できるだけ多くの母系家族が一族の経済的な基盤となる自営企業を保有できるようにします。

 もちろん、母系社会には自動車や船舶などを生産する「大企業」も必要なので、自動車などは雇用労働を最小限化するため、大規模な協同組合型企業が組織されなければなりません。また、いくつかの家族企業が合体して、小規模な協同組合型の企業が形成されるかもしれません。

(注)市場経済、私有財産制度という二つの条件下では、自動車などを生産する大規模な労働者生産協同組合型企業を中心にして、いくつかの大規模な企業グループを組織する構想も考えられます。原則的に、全ての母系自営企業は、このうちのどれかのグループに参加して様々な支援を受けつつ、企業グループ同士が、互いに緩やかな競争をする構想です。業績が悪化した場合は、グループの支援を受けて、早期に業種転換をして失業を防ぐことが期待できます。また、企業グループ間の定期的な協議により、競争が過度にならないよう調整する制御された市場経済体制です。

(注)現在の世界では、一国レベルでの経済政策は、長期間維持することはできません。世界の主要な国家が、経済の自由化を進めている時に、日本だけ経済活動を規制することは不可能であり、必ず破綻します。将来、母系社会を安定的に維持できる市場が廃止された社会主義社会を実現するためには、非営利的社会組織の活動やその他の文化活動により相互扶助の価値観を社会に浸透させ、社会主義社会の実現を目指す人々の政権を日本や欧米などの世界の主要な国家で樹立しなければなりません。

おわりに

 現時点での私達のおおよその構想はこのようなものです。私達は、母系社会という途方もないビジョン以外に現在の様々な問題を根本から解決しうる社会が想像できません。とにかく、過去200年間に世界は大きく変わりましたので、200年後の世界も、想像もつかないほど変わるかもしれないという期待が私達の支えです。

 私達は、「もう一つの社会主義」として、この「母系社会主義社会」、「現代的母系社会」の構想を呼びかけます。この構想は、私達の力量をはるかに上回る仕事であり、私達だけでは到底不可能ですので、本当に母系社会が理想的な社会になりうるのかという根本的な問題も含めて数多くの方がこの議論に参加し、検討して頂ける事を心より希望します。

「母系社会研究会と会員の募集について」
これは、私達の会報「RISA」8号の要約版ですが、最近会員についての問い合わせがありましたので、わかりやすくするためにこのぺ−ジにも掲載します。(2006年5月15日改訂版)

私達の「研究会」の会員になられても、メルマガ形式の会報「RISA」を読んで頂く以外の義務はありません。「RISA」は、会員以外の購読希望者にもお送りしていますが、会員の文章はHPに掲載します。「RISA」の購読者以上の関わり方を希望される方は是非会員になってください。

また、このHPの様々な掲載文に同意できないものがあっても、「母系社会」が人類の理想社会として検討に値する社会かもしれないという私達の根本的な判断に、賛同して頂ける方であれば大歓迎です。会費や会則もありません。会則をつくるばあいは、会員の総意でつくりたいと思います。

会員の方が、ご自分の文章、論文をこのHPに掲載を希望される場合は、無条件、無修正で、できるだけ早く掲載します。テーマは、家族関係の体験談など、このHPに少しでも関係のありそうなものや、このHPの私の文章への批判、疑問、質問でもかまいません。

また、会員になられるかどうかは別にして、もしどんな事でも、母系社会について質問があれば、私達が解かる範囲でできるだけ早くご返事しますので、お送り下さい。一人でも多くの方の力で、多方面からできるだけ正確に母系社会を理解し、理想的な現代的「母系社会」を構想したいと思います。

当たり前のことですが、私達は、この「研究会」からの退会を、裏切りであるとか「善悪」の問題として考える思考はありません。私達はこの「研究会」を単に自らの意思で「設立」したのであり、他の誰かから頼まれたわけでもないのですから、私達には、このような「研究会」を設立し、運営しなければならない「義務」といったものはもともとないのです。

自ら好き好んで、つまり恣意でこの「研究会」をしているだけで、その点では、他の文化系の同好会などと本質的には同じ普通のサ−クル、趣味的なサ−クルです。ですから無責任のようですが、私達も含めて、いやになったらやめればよいサ−クルなので、入会も退会も、全く自由です。

私達は、もしこのHPに興味をもたれる方がいるとしたら、核家族の悪い面に直面した方自身とそのような人の体験を知った人ではないかと思っていました。というのは、現在の核家族が全て「機能不全」というわけではなく、日本の核家族はまだかなり健全で、大半の人が核家族でもなんの問題もなく育てられています。おそらく、アンケ−トなどの結果から判断すると80%以上の家族に問題はないでしょう。ですから、大半の方にはこのHPの趣旨は理解されないだろうと思っていました。しかし、そうした方からも問い合わせを頂き、大変ありがたく思っています。

ところで私達は、母系社会を理念として支持する事と、実際に現時点の実生活で、母系社会的な家族をつくることは別だと考えています。現時点では、よほどめぐまれた条件がないと実際に母系家族を形成するのは不可能です。周囲の人々の理解なしに母系家族を形成すると、とんでもない迷惑を周囲の人々に与えてしまう場合もあります。ですから、母系社会を理想としていても、母系家族を許容する環境がなければ普通の核家族をつくるべきだと思います。

現在の社会は根本的におかしいと思われる方、是非私達へご意見、ご感想をお寄せ下さい。母系社会についての専門家や何らかの情報をお持ちの方、興味のある方も是非私達へご意見、ご感想をお寄せ下さい。よろしくお願いします。

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