-Good Old Days- その1




今は無き、大阪の羽衣海水浴場にて。
水質汚染により海水浴場として成り立たなくなってしまったそうだが、昔はにぎわっていたようだ。
手前のしゃがんでいる少年が履いている「ふんどし」型の水着が、何ともほほえましい。(*^-^*)
撮影:1954年8月





同じく、大阪の羽衣海水浴場にて。
こうして見ると、かなり遠くまで海水浴客が入っている。
遠浅だったのだろうか・・・。
撮影:1954年8月





タイヤ工場で満面の笑みを見せる子供達。
自分の体より大きな古タイヤでも、まるで基地のように使いこなしているのだろう。
戦後の貧しい中、子供達の明るさは生活の救いになったようだ。大阪府浪速区櫻川1丁目にて。
撮影:1954年9月6日





なんと、1954(昭和29)年10月15日〜16日の切符。持ち主が四国を旅行した際、使用した切符だそうだ。
ご覧の通り、アルバム内に写真を保持するように保管していたため、非常に保存状態が良い。まるで、さっきまで使っていたようだ。
かつて、切符といえば、タイムカードのような機械に通して日付を入れ、改札にはハサミを持った駅員がいた。
グッズ活躍時期:上記の通り





高知を代表する名勝・桂浜。
一度は訪れてみたい場所であるが、未だに予定が無い。今も変わらぬ風景なのだろうか?
このような場所の突端は、海風を全身に受けて、とても気持ちが良い。
撮影:1954年10月14日





室戸と徳島県牟岐町を結ぶ急行バスの車内風景。女性の車掌がいる。
昔は必ず車掌(女性が多い)がいて、料金を徴収していた。今でもある「ワンマン」という言葉はその名残だ。
バスの外観画像は無いのだが、恐らくボンネットタイプではないだろうか。
撮影:1954年10月15日





四国を代表する場所のひとつに、源平の戦場となった屋島がある。
これは、屋島に昇るケーブルカー(名称:屋島ケーブル)の車内から撮影されたもの。
残念ながら、屋島ケーブルは2004年10月15日をもって休業している。奇しくも、撮影日からちょうど50年目である。
撮影:1954年10月16日





屋島からの眺望。源平合戦の戦場となった「檀ノ浦」である。
歴史をひも解くと短文では語れないが、画像があると戦いのイメージが沸き上がるから不思議だ。
現在は瀬戸大橋などもでき、屋島からの眺めはまたひと味違ったものになっているだろう。
撮影:1954年10月16日





当時の一眼レフカメラで写真を撮る大学生。
最新式だろうか?レンズの筐体が光っているように見える。
場所は、古都鎌倉。写真を写すには最高の被写体であふれている。
撮影:1954年秋頃





鎌倉の観光地をのんびりと歩く大学生の一行。
よく見ると、後方に外車らしき黒塗りの乗用車が停まっている。
実はこの時代、車と言えばほとんどが外車だったそうで、今よりずっと遭遇率が高かったのだろう。
撮影:1954年秋頃





この画像について、実は詳細な情報が無いのであるが、恐らく日光・白根山のロープウエイではないかと思われる。
ロープウエイの名称、画像ではよくわからないが、左下に「DREAM」と書いてある。
何か情報をお持ちの方がいましたら、ぜひともご教示下さいませ。
撮影:1954年秋頃

その後、「ここは『日光明智平・パノラマレストハウス』です」と、画像付きの情報を頂きました。
50年以上経った今でも、屋根の形状は同じのようです。なんだか嬉しいですね。
情報提供の「セリカTA45さん」に感謝します。m(_ _)m





川崎市の多摩川べりに停まるセドリックとご婦人方。
このセドリック、1960年4月に発売された30型という、いわゆる「初代」と思われる。
今も残っていれば、間違いなく博物館行きなのであろうが・・・。
撮影:1962年頃



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