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母系社会研究会
  日本の母系社会化を探るサークル
  • 08年 6月23日  HOMEペ−ジの「現代的母系社会の構想」を改訂
  • 08年 3月29日  HOMEペ−ジの「現代的母系社会の構想」を改訂
  • 08年 3月26日  HOMEペ−ジを再改訂
  • 08年 3月15日  HOMEペ−ジを再改訂
  • 07年12月12日  HOMEペ−ジのお知らせ、その他を再改訂
  • 07年12月04日  HOMEペ−ジのお知らせ、その他を改訂
  • 07年08月25日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」などを改訂。
  • 07年06月29日   リンクページに「ハッピー育児★生活 毎日が宝物」を追加し、「管理人の編集後記」にも追記。
  • 07年06月13日   リンクページに「健康と生活の広場」を追加し、「管理人の編集後記」にも追記。
  • 07年05月29日   リンクページに「自然の力で健康になる!」と「雑学☆おもしろ☆探検                      隊!!」 の2つのサイトを追加し、「管理人の編集後記」にも追記。
  • 07年04月26日   リンクページに「健康*開運ナビゲーション」を追加。
  • 07年04月14日  HOMEペ−ジの「広告」他を改訂。  
  • 07年03月21日   「管理人の編集後記」追記。
  • 07年03月12日   「管理人の編集後記」追記。題字の一部修正。
  • 07年03月09日   リンクページに「健康でどんどん」を追加。
  • 07年01月11日   リンクページに「癒しin Australia」を追加。
  • 06年12月05日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年10月19日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年10月16日  「母系社会研究会blog」広告。
  • 06年10月14日  「糸数さんピンチ!東京連帯集会」広告。
  • 06年09月29日  「管理人の編集後記」追記。
  • 06年09月01日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年08月30日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年08月29日  「管理人の編集後記」修正。
  • 06年08月26日  リンクページに「ペシャワール会」と「もうひとつの世界へ」を追加。
  • 06年08月18日  「管理人の編集後記」追記。HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」改訂。
  • 06年07月26日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年07月24日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年07月21日  HOMEペ−ジの各文章を全面改訂。
  • 06年06月24日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年06月19日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年06月18日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年06月15日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年06月12日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年06月02日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年05月26日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂
  • 06年05月25日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年05月24日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年05月23日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年05月19日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年05月18日  HOMEペ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 06年05月17日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年05月16日  HOMEペ−ジの各文章を改訂。
  • 06年05月15日  HOMEペ−ジのタイトルとその他改訂。
  • 06年05月12日  「母系社会研究会とは」を改訂。
  • 06年05月09日  HOMEペ−ジの「母系社会の可能性」を改訂。
  • 06年05月07日  HOMEペ−ジの「母系社会の可能性」を改訂。
  • 06年05月06日  HOMEペ−ジの「母系社会の可能性」を改訂。
  • 06年04月11日  「もうひとつの世界へ」の広告掲載。
  • 05年05月24日  「管理人の編集後記」に追記。
  • 05年05月23日  HOMEぺ−ジのスロ−ガン、改訂。
  • 05年03月23日  HOMEぺ−ジに会報(メルマガ)申し込みフォ−ム設置
  • 05年03月13日  HOMEぺ−ジを改訂。
  • 05年03月09日  HOMEぺ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 05年02月25日  HOMEぺ−ジの「訪問者の方々へ」「アダルト・チルドレン、サバイバ−とは」「母系社会の可能性」の一部再度改訂。
  • 05年02月22日  HOMEぺ−ジの「アダルト・チルドレン、サバイバ−とは」と「母系社会の可能性」の一部改訂。
  • 05年02月21日  吉野花郎さんと稲村りょうさんのHPのリンク作成。
  • 04年09月02日  「日本の母系社会」を一部改訂。
  • 04年08月30日  管理人の更新後記に追記。HOMEぺ−ジのタイトル、一部改変。
  • 04年06月04日  RISA(3月号)「母系社会の可能性」掲載。 HOMEぺ−ジに「母系社会の可能性」のダイジェスト版と「母系社会研究会と会員の募集について」の改訂版掲載。「私達への疑問と答え」に3項目を追加。RISAの過去ログぺ−ジ作成。HOMEぺ−ジの「訪問者の方々へ」を改訂。
  • 04年06月02日  RISA(2月号)「非武装主義こそが最高の安全保障政策」掲載。
  • 04年04月28日  管理人の更新後記に追記。
  • 04年04月18日  管理人の更新後記に追記。  
  • 04年03月04日  RISA(1月号) 書評「家族の起源」山極寿一{著}人類の初期社会の父系社会説批判-3掲載。
  • 04年02月23日  RISA(12月号)書評「家族の起源」山極寿一{著}人類の初期社会の父系社会説批判-2掲載。
  • 04年02月16日  RISA(11月号)書評「家族の起源」山極寿一{著}人類の初期社会の父系社会説批判-1掲載。
  • 04年01月15日 「母系社会研究会とは」を改訂し、管理人の更新後記1月15日を追記。
  • 03年12月06日 12月 3日付管理人の更新後記を再改訂。
  • 03年12月03日 11月21日付管理人の更新後記を改訂。
  • 03年11月21日 管理人の更新後記に追記。
  • 03年11月20日 RISA(10月号)「母系社会研究会と会員の募集について」掲載。
  • 03年10月03日 RISA(9月号)「現代的母系社会の構想を」掲載。
  • 03年09月10日 RISA(8月号)「最終的市場経済社会としての現代的母系社会  1父系社会と資本主義の最大の危機としての少子化」掲載。
  • 03年08月22日 RISA(7月号)のタイトルと本文の一部を改修。HOMEぺ−ジに「思考実験サ−クル」と表示。
  • 03年08月22日 RISAの各号の並び替え。
  • 03年08月18日 RISA(7月号)「乳幼児の十分な養育補助金を」掲載。
  • 03年06月30日 RISA(6月号)「最終的市場経済社会としての現代的母社会 はじめに    科学について」掲載。
  • 03年06月18日 「母系社会研究会とは」の「母系社会研究会について」を改修。
  • 03年06月11日 HOMEペ−ジの本文の一部を改修し、さらに「アダルト・チルドレンとサバイバ−とは」を追加。
  • 03年06月04日 管理人の更新後記に追記。
  • 03年05月17日 RISA(5月号)私達への疑問と答え(追加版3)「母系国家の安全保障政策はどのようなものであるべきかという疑問」掲載。
  • 03年04月25日 RISA(4月号)私達への疑問と答え(追加版2)「母系社会の段解説は否定されたのではないかという疑問」掲載。
      管理人の更新後記過去LOG
05/05/24
107名もの人々が犠牲となり、かろうじて事故から生還できた人々も、生存したことが罪悪のように感じられて苦しむという何とも無残な事故が起きました。

このJR宝塚線の事故の主因は、JR西日本と阪急電鉄との鉄道会社同士の激しい「競争」であることは明白です。これは、企業の経済的「競争」による事故であり、「競争」による大量殺人です。

しかし、今まで企業間の「競争」が、社会を「進歩」させる万能の神であるかのように唱導し、国鉄の民営化を推進してきた政治家やマスメデイアは、JR西日本の経営陣が、安全よりも企業利益を優先していたと批判しています。彼らはJR西日本の経営陣に事故の責任をなすりつけ、自分達は事故の犠牲者の味方であるかのように振舞っています。

しかし、彼らは常日頃、何かと言えば口を揃えて「競争」を擁護してきたのです。彼らは、「競争」が社会にもたらす副作用、弊害については何も語らず、「競争」のマイナスの面に人々の関心が向かわないようにしてきました。

「競争」を一面的に評価して、国鉄を民間企業にした民営化論者の彼らこそ、今回の事故の「真犯人」です。要するに「主犯」が「共犯者」に、競争教の「教祖」が「信者」に罪を擦り付けているのです。

彼らは、一方で民間の株式会社は株主のものであり、株主の意向(利益)が全てに優先される資本主義を支持していながら、その法律を守り、忠実に実行したJR西日本の経営陣を利益優先だと批判しているのです。

国鉄を民営化して利益優先企業になるよう強制した張本人が、平然とJR西日本が利益優先だと批判しているのです。厚顔無恥、盗人猛々しいとしか言い様がありません。

この連中は、鉄道は公益企業などと言い、民間会社のJR西日本の経営陣を非難していますが、そもそもどんなに小さな企業でも、基本的にはすべて公益企業です。

JR西日本のような一部の企業は特別の公益企業だというなら、そもそも利益を稼がなくてはならない民営化などするべきではなく、むしろ逆に利益が出ると批判されかねない公的な事業体の国鉄を維持した方がましだったのです。

株式会社を公益企業と非公益企業に分類する彼らは、公益の株式会社は安全優先でなければならないが、非公益の企業は安全優先でなくともよいとでも主張するつもりなのでしょうか。彼らが分類する非公益企業の被害者は、その企業の責任を、大目にみるべきだと言うのでしょうか。

一部の民間企業を公益企業とし、利益優先という理由で非難できるとすると、企業の安全性への配慮に差があっても正当であり、企業の安全責任にも軽重があることになってしまいます。

もちろん事故ばかり起こしている企業は、株主への配当が払えませんから、企業は一定の安全対策も実行します。

しかし、あくまでも利益を稼ぎ配当を払う為の安全対策ですから、安全対策に費やす経費には限界があります。安全対策の経費と企業利益とを、つまり消費者の命と企業利益とを、常に天秤に掛けなければならないのが、資本主義的企業です。

多くの企業の経営者は、事故が起きた時のダメ−ジを最少限に押さえるために、法律で定められた安全対策は実行するでしょう。しかし、法律で定められた施策以上の安全策が、当事者として必要だとわかっていても、費用が高すぎれば利益を考慮して実行しない場合があります。

そして法律は、ほとんどの場合、事故が起きてからつくられます。つまり、多くの事故が法律上の安全対策が採られていても起き、経営者の法的責任は問えないのです。

今回の事故も、やがて裁判が行なわれるでしょうが、ほとんどの責任は死者(運転手)に転化され、競争のマイナス面を意図的に無視してきた政治家や学者、マスメディアなどの「主犯」はもちろん、「共犯」のJR西日本経営者達でさえ、せいぜい軽微な罪にしか問われないでしょう。

ですから、企業は全て基本的に非営利企業にするしかありません。特に、社会的に合意が得られれば、鉄道のような事業で、安全を最優先するための施策が、自力で費用をまかなえないのであれば、社会的な経費として税金で補填する元の国鉄のような公的な組織に戻すべきです。

その他の企業も、基本的には全て公益企業ですから、非営利の協同組合企業か、あるいは非営利のNPOのような法人が経営する企業にするべきでしょう。

JR西日本と阪急電鉄は、直ちに「競争」を「中止」し、利用者の代表とともに公開で「談合」をして、両者の役割分担を決め、「競争」ではなく、「棲み分け」により共存する道を歩むべきです。

「競争」は、己の犠牲者の屍を踏みつけながら、神であるかのような顔をして世界に君臨しています。しかし「競争」は、人々を分断、敵対させ、孤独と不安に陥れさせます。その結果、幼児に英語を習わせようとする親が現れるなど、明らかに効用より副作用の方が大きいのです。

生活がどんなに便利になろうが、生存の不安が強くなってしまうのであれば、何の意味もありません。人は個人であるよりも、労働者や社員、市民、国民であるよりも、まずある特定の家族の、あるいは未来に自らが築くであろう家族の一員として生きています。

ですから、家族が安全に生活でき、安心して生きられる事が最高の価値です。家族の一員という自覚、あるいは未来に自らが築く家族の一員となるという自覚が、人間に社会性をもたらすのです。

経済などの、人の生死に直接関わる分野では、「競争」よりも関係者が公開で協議して仕事を分かち合う、勝者も敗者もない本当の分業経済を実現すべきなのです。

05/03/23
メルマガ形式で購読・解除手続きが簡単な無料会報「RISA」(不定期刊)の申し込みフォ−ム設置しました。月一回以上の発行を目指しますので、是非登録して下さい。

5/03/02
急激に少子化の進むスペインが、介護などの労働者を確保するために移民を合法化する政策を実施したと新聞が報じています。

2国間協定で経済の自由化を進めたい日本は、フィリッピンとの交渉で、自由化の見返りとしてフィリッピン人介護労働者の受け入れを求められています。少子化で安い労働力が必要な日本も、やがてフィリッピン人の介護労働者を受け入れるでしょうが、その場合、このフィリピン人の親達の介護はどうなるのでしょうか。

フィリッピンは、数十の家族が、国土の半分以上の土地を所有しているために貧富の差が極端な国だそうです。フィリッピン政府は、この戦前の日本社会のような社会をなんとしても維持するために、土地をもたない貧しい国民を海外に働きに出させる政策を堂々と推進して恥じ入ることのない政府ですが、このような世界中の国の安い資源や労働力で維持されている日本や欧米先進国自慢の「自由で民主主義」的な福祉社会は、一体いつまで維持することができるのでしょうか。

05/02/21
最近は、SMS談話室(掲示板)中心の活動をしています。何でも気楽に書き込んで下さい。吉野花郎さんと稲村りょうさんのHPをリンクに追加しました。こちらも、覗いて見てください。

04/08/30
現在の腐敗した資本主義社会に代わり得る<オルタナティブ社会>の構想を模索する「オルタ・フォ−ラムQ」編集発行の隔月刊誌「QUEST第32号(家族と性の変容−特集)」に私達「母系社会研究会」の主張が掲載されました。ほぼ私達の会報「RISA13号」と同じ内容ですが、私達の「母系社会」主義が、活字で紹介されたのは、これで3回目です。東京・新宿の模索舎にてQUESTは販売されていますので、よろしかったら、お買い求め下さい。1000円です。
会報「RISA」を当面、不定期刊とします。管理人の力不足で、月一回の掲載が維持しえないのが原因です。申し訳ありません。

04/06/02
パソコン復旧、RISA2月号、掲載しました。近日中に3月号も掲載します。先日、九州に用事があり、帰りに大宰府に寄って古田武彦の九州王朝説の証拠という碑を4時間かけて見つけ、感激しました。

04/04/28
毎日新聞 4月26日 東京朝刊のグローバル・アイ<人質事件で考えたこと 「自己責任」論のとらえ方>という記事で、西川恵という記者が、今回の自己責任の問題を論じています。しかし、この記事で西川は、あの5人を善意で行動したが、結果的に周囲に迷惑を掛けた人達というような皮相な捉え方しかしていません。

今回の事件で、最も感動的だったあの「イラクの人達を嫌いになれない」とか「イラクに残りたい」「日本に帰りたくない」という発言は、アルジャジ−ラの放送により、数千万人のイスラムの人々に伝えられたでしょう。日本を憎悪しているイラクの人々やアルカイダ、アルカイダに共鳴している若者達にも伝わり、彼らの心を感動で揺り動かしたはずです。ですから、無防備なまま放置されている私達日本国民とイラクの自衛隊員の安全の為に、とてつもなく大きな働きをしてくれた事を、西川は全く無視していますが、この事こそ、私達一般の国民にとっての今回に事件の最大の意義なのです。残念ながら、彼らのイラク人の支援という本来の目的は達成できませんでしたが、その代わり私達日本の一般の国民に、命懸けで「安全」という大きな贈り物をしてくれたのです。数千万のイスラム世界の人々の日本人のイメージを改善し、ここ一年間、日本人にとって危険性が増すばかりだった情況を、大幅に改善したのです。しかし、イスラムを支援しようとした彼らが日本でバッシングに遭っていることで、再び日本人のイメ−ジは悪化したでしょう。

あの5人は、川で溺れている人を助けようとした人です。溺れている人を見て究極の決断を下したのです。このようなことをする人は皆、危険を承知で止むに止まれず行動を起こしたのです。彼ら5人も地獄のようなイラクを目の前にして究極の決断をしたのです。このような決断は、私が知る限り日本の伝統的な価値観でも、今までは崇高なものと見なされてきました。私は、人であれば誰もがこのような決断をした人を、批判する事などできないと思います。そのようなことは、あらゆる道義に反するからです。彼らが、一番ショックを受けたのは、このような根本的な価値観が政治屋や一部のマスコミにより否定されたことらしいのですが、無理もないでしょう。

また西川は「言うまでもない」などと断りをしつつも、「もちろんジャーナリスト、NGOには最大限の節度と慎重さが求められる」などと暗にあの5人を批判するような事を書いています。しかし、あの5人も含めて危険な地域に敢えて行こうとするNGOなどに「節度と慎重さ」がない人がいるはずはありません。そもそも、「節度と慎重さ」などという抽象的な「注意」など、聞く人にとって何の意味もありません。この言葉は西川本人が、あの5人に対して距離感があること、批判的だと言う事を暗示する意味しかないのです。誰に対して西川はこのような申し開きをしているのでしょうか。あの5人と西川とは、イラク戦争の捉え方が違うのかもしれませんが、そうであってもそのような政治的な見解の差などは超えて、何と言ってもまずは賞賛すべきです。

そもそも、この「求められる」とは、一体誰がジャ−ナリストやNGOに求るというのでしょうか。この主語を隠した曖昧な表現は、政府の立場を代弁しているととられても仕方ない表現です。日本のジャ−ナリストは、いつのまにか政府と同じ立場に立ち、国民に教訓を垂れたり、浅薄な人間観から言う必要のない極当たり前の事を偉そうに訓示したりしています。西川のようなジャ−ナリストが多いので、今回のように世界中で日本人が気味悪がられたり、もの笑いの種になってしまうのだと思います。彼らは戦前と全く同じ体質なのです。

なぜ、西川は、今の日本のあの5人へのバッシングの風潮を厳しく批判しないのでしょうか。明確な国際法違反の侵略戦争で破壊されたイラクを目の前にして、究極の決断をしたことがすべての前提です。日本人でこのような決断をした人がいる事を、何と言っても私達は感謝すべきです。彼らの行動が、怒りで正気を失っているイスラムの若者達の日本への憎悪を和らげ、私達の安全の確保に大変貢献してくれたからです。

政府と毎日新聞などのマスコミが、アメリカの不当な中東政策こそがアルカイダの攻撃を引き起こしている元凶であるにもかかわらず、アメリカの不当な中東政策を批判しないで、彼らを「テロリスト」などと一般の刑事犯罪者であるかのように見なし、日本を、無限に続きかねないような戦争に引きずり込んだのです。私達国民は100%防ぐ事など不可能な「テロ」と呼ばれている戦争行為の脅威に無防備のまま晒されているのです。あの5人やイスラム世界で活動するNGOは間接的であれ、私達の安全を守ってくれる人々です。西川も「長期的には」役立つなどとNGOの一般的な評価をしていますが、5人はまさに今の日本の安全に大変役立つ働きをしてくれた人達なのです。5人は、日本に憎悪をいだくアルカイダやアルカイダ予備軍の若者達の日本人に対する憎悪、怒りを和らげ、いつスペインのような惨事が起きないとも限らない日本の私達一般国民の安全に大変貢献した人々であるのは間違いありません。ですから、私達は彼らに感謝すべき立場であり、反対に彼らを批判することなど絶対に許されません。恩を仇で返す行為です。

また西川は「迷惑」論を否定せず、一般論としてあれこれ論じています。しかし、一体誰に迷惑をかけたというのでしょうか。私達国民にとって私達自身の安全に大変貢献してくれたのですから、迷惑どころかありがたい、感謝したい行動です。政府や政治家、マスコミは仕事ですから、当たり前のことです。国民はこのような時のために税金を払い、購読料などの料金を払っているのです。迷惑など誰にもかけていません。アルカイダの攻撃は全世界的なレベルに達しようとしています。彼らはアルカイダの憎悪さえ和らげたはずですので、世界中の人々にも迷惑など掛けていないのです。

政府や与党、一部のマスコミまでが的外れな「自己責任」論で5人を批判したことが、アメリカの主要紙に取上げられ、ニュ−ヨ−ク。タイムズは、日本は、「政府にそむき個人の目的を追求する事が許されない」国と断言したそうです。これは実質的に、日本は民主主義国ではないという最大級の批判です。日本のイメージは地に落ちました。同様の記事は、世界中のマスコミに取上げられているそうです。現代はイメ−ジで、多くのことは決まり、一度落ちた評価を回復するのは、大変な労力と時間が必要です。ですから、日本の商品は、買いたくないとか、観光に行く気がしなくなったとか、経済的な損失だけでも計り知れません。「自己責任」の問題なら、この問題の責任の追求もかかせませんが、西川は全く取りあげませんでした。

それどころか、今回のような事件が起きても、ジャーナリストやNGOは、「所与の条件の下で活動するよう運命づけられている」ので、「自衛隊派遣のせいで人質になった」「こうなったのは日本政府のせい」とは言うべきではないなどと、前代未聞の暴言を吐いています。日本は大勢の幼児や子供、女性まで殺されるような戦争を支持し、協力しているのですから、NGOからも犠牲者がでる可能性は十分あります。西川は、もしNGOが殺されても、自然災害か事故に遭ったように捉え、犠牲者の遺族は、政府を批判してはいけないというのです。政府の戦争政策が不当だと思うNGOの人も国民ですから、何を言ってもよいのは、極当然なことです。

そもそもジャーナリストやNGOだけが、「所与の条件の下で活動するよう運命づけられている」などということはありません。私達国民も皆同じです。現に原発関連施設のある町の住民が被爆する事故が起きました。この被爆した人々は、原発関連施設が近くにあったことを「所与の条件」として、事故を起こした企業や政府を批判してはならないなどといことはありません。既に東京は攻撃を予告されています。政府が東京は危険地域と警告しても、東京以外に居住地を見つけられる人は限られていますので、ほとんどの人々が危険を承知で東京に住み続けるしかありません。万一死傷したら、犠牲者が政府を批判するのは、当たり前の事です。このように、西川自身も含めほとんどの国民も「所与の条件の下で活動するよう運命づけられている」のです。西川の説が正しいのであれば、誰も政府を批判できなくなります。ですから、当然彼ら5人や家族が政府を批判しても全くかまわないし、むしろ家族の方が政府を批判してくれたので、国民は政府と区別されて、私達一般の国民の安全性は向上したのです。

また警告をしていたのは、政府だけではないのです。自衛隊が派兵される以前から、日本のNGOはイラクで活動していました。彼らは自衛隊が派兵されたらイラクのNGOが危険になると政府に警告をしていたのです。そして、この懸念は現実のものとなってしまいました。あの5人の誘拐は、明らかに自衛隊の派兵と因果関係があります。因果関係がある以上、家族や当事者の政府批判は当然です。西川が心配しなくとも、マスコミがNGOの意見を伝えてくれれば、国民はNGOやNGOの遺族の意見と政府の意見とを総合的に考えて、選挙で判断を下すのです。NGOも国民ですから、どのような批判でも国民は政府を批判する権利があるのです。その批判の当否は、国民自身が判断するのです。

マスコミが政府への批判を自重すべきだなどと読者に言うのは、戦前の毎日新聞と同じです。政府への批判は、民主主義国ならどのような批判でも批判自体は、認められるべきです。毎日新聞などの日本の主要な新聞、TVは、長年、中東政治についていい加減な論評をしてアメリカの不当な中東政策という問題の根源を曖昧にして意図的に見逃してきました。アメリカが中東政策を変えれば、日本やアメリカへのアルカイダの攻撃は直ちに終結するのです。逆にアメリカの中東政策が変わらない限り、アルカイダはなくなりません。イラク戦争が終わってもアルカイダは私達との戦争を続けるでしょう。ですから、このままでは、戦争は何年続くかわかりません。暴力に屈しないようにしているのは私達だけでなく、彼らも私達の暴力に屈しないようにしているのですから、戦争は終わらないのです。9・11の真の原因は、アメリカの中東政策にあり犠牲者は、アメリカ政府も恨むべきことを知りながら指摘せず、とうとう日本が無限に続きかねないアルカイダとの戦争に引き込まれた責任は毎日新聞にもあります。そのような新聞社の社員である西川に、そもそも命懸けのNGOや主要なマスメディアがアメリカ発の報道しかしない事に絶望して真実を報道しようとした真のジャ−ナリストに対して「教訓」を垂れるような資格がないのはいうまでもありません。

04/04/18
あのイラクで誘拐された5人は、日本の安全保障に計りしれない貢献をした方々です。あの5人は、日本のイスラム世界への不当な介入政策により、日本を憎悪するようになってしまったイスラムの人達の日本のイメージを改善し、私達日本人すべてと、イラクに派兵された自衛隊員の安全性も向上させたのは、間違いありません。しかし、日本政府が、イラクの民衆を支援しようとしたあの5人に感謝するどころか逆に非難したので、再び日本政府への憎悪は増し、私達一般国民とイラクの自衛隊はより危険になったでしょう。

政府は、もしまた神戸大震災のような大地震が起きても、被災地は危険なので救援に行くなと言うのでしょうか。政府が安全だと言う前に被災地に救援に行った人が危険になっても救助しないとか、救助費用を請求するとか言うのでしょうか。地震の被災地は、余震やガス爆発、火災などで、大変危険な地域ですが、被災地が安全になった頃に救援にいっても手遅れです。あの5人にとってイラクは、大地震に襲われた神戸だったのです。あの時、崩壊した神戸の街を前にして、多くの日本人が究極の決断をしたように、彼らも、この世の地獄のようなイラクを目前にして、究極の判断、決断をしたのです。このような真の人道支援を目的とした決断は崇高なものであり、誰もがこのような決断を批判する事などできません。また、あの5人は、やがて日本がイラク国民に日本の侵略行為の許しを請う時に、とてつもなく大きな役割を果たすでしょう。

あの5人のような方々は、やや大袈裟に言えば、人類全体から感謝されるべき人達であり、日本政府はもちろん、救出にあたった人達も含めて誰にも謝る必要はありません。なぜならば、彼らの今回の行動が、日本や欧米諸国と戦争をしているアルカイダなどのグループや彼らに同調しつつあるイスラムの若者達の怒りを、多少ではあれ静め、和らげてくれたと考えられるからです。今回の誘拐事件と世界的な救出への努力は、日本や欧米諸国にも、あの5人のようにイスラム世界を支援しようとしている人達が大勢いることを、怒りで正気を失っている彼らに思い起こさせたと思います。現在のような軍事的攻撃では、このような人々も殺してしまいかねないのではと、軍事的な攻撃に疑問を持つ人々も増えたかもしれません。ですから、彼らの私達への攻撃が全世界的なものになってきているので、あの5人は欧米諸国や日本のように彼らの憎悪を直接浴びている国の人々はもちろん、そうでない国の人々からも感謝される人達なのです。

ベトナム戦争の時、ベトナム人はアメリカ本土を一回も攻撃しませんでした。多くのベトナム戦争に反対する人達が世界中にいたのでベトナム人達に、アメリカ本土の攻撃が物理的に不可能だったのではありません。あの時は、強力なベトナム反戦運動がアメリカにはありました。それで、本土を攻撃しないことで、一般のアメリカ国民の反感をかわないようにしつつ、反戦運動の拡大により米軍を撤退をさせられる可能性があったので、本土への攻撃を控えたのだと思います。

ですから、「テロ」と呼ばれている悲劇を起こさせているのは、本当は彼らの声を聞こうとしない私達自身かもしれません。イラク人の要求はもちろん、アルカイダの政治的要求でさえ、それ自体としては極めて正当な要求ですから、日本は、イスラム世界への介入を止め、アメリカに中東政策を変えるように、イスラエルに対する軍事的援助などのイスラム世界への不当な介入政策を止めるように要求すれば、日本への「テロ」と呼ばれている軍事的攻撃は直ち停止されるのです。アメリカをはじめ欧米諸国が、中東政策を変えれば、彼らの「攻撃」は即時停止されるでしょう。

小泉のような日本人も残念ながらいるので、日本が常に正しいとは限りません。ですから、「テロリスト」と呼ばれている人々の私達への要求までが、全て常に不当というわけではありません。不当な要求であれば拒否すればよいのですが、今回のように「イラクからの自衛隊の撤退」というような極正当な要求であれば、私達は率直に誤まりを認め、受け入れればよいのです。暴力に屈しないようにしているのは、私達だけではありません。彼らも私達の暴力に屈しないようにしているのです。

あの5人の行動やイラク反戦運動は、私達自身も守ってくれるです。ですから、私達が彼らに感謝こそすれ、何も謝られる理由は全くありません。5人に対して暴言を吐いた小泉と川口、その他の与党の幹部達は、即時解任されるべきです。小泉は、5人が政府に迷惑をかけたなどと言って非難していますが、とんでもでもない暴言です。

あの5人も含めて私達国民は、あのような緊急時のためにも、日頃から高い税金を払って小泉自身も含めて彼ら外務省の役人達を、高給を払って雇っているのです。政府の役人が彼らを救出するのは、彼らの仕事であり当然のことです。彼らもたまには仕事らしい仕事をすべきでしたが、彼らが真っ先にした事は、誘拐者達がまだためらっている時に、「撤退」しないなどと言いい、彼らに処刑用の銃を送ったのです。

彼ら5人が、あのような体験をしながらも、「イラクに残りたい」とか「イラクを嫌いになれない」とか「日本に帰りたくない」と言ったのは、近年まれにみる大変感動的な発言でした。おそらく、これ以上「美しい」発言、人間を心の奥から揺り動かし感動させる言葉は、この世にはありません。イラク国民やアルカイダも、深く感動したと思います。イラクの「有志連合軍」に抵抗運動をしているゲリラグル−プにも感動を与え、日本人や自衛隊への攻撃を思い留まるか軽減すべきだと考えを変えた人々もいたかもしれません。ですから、あの発言は、イラク人やイスラム世界の人々の怒りを和らげる発言であり、政府や与党はもちろん、スペインの列車爆破のような攻撃が起きかねない日本の私達も彼らに感謝しなければならない立場であって、政府のように恩きせがましく、迷惑を掛けられたかのように批判するのは、とんでもない暴言です。

まして費用を請求するかのような事を言っている与党の議員は全員、直ちに辞職すべきです。彼ら自民党と公明党こそ、その費用を負担すべきです。彼らこそ自衛隊を送りこむために膨大な税金を無駄使いし、更にそれにより、国民を危険に晒して、救出のための費用まで必要とするような事態を引き起こしたのです。彼らこそ自衛隊の派兵によりどのくらいの税金を浪費したか公表すべきであり、今後、更に兆単位の税金を浪費しようとしているのです。

自分達は、警察に警護されて安全な所にいながら、自衛隊の兵士や国民を危険に晒したのは小泉です。そのような決定をしておきながら、国民に対して堂々と偉そうに「自己責任」などと言える神経は、人間のものではありません。そもそも「自己責任」を自覚していない人間が、この世に居るはずはありません。「自己責任」などというのは、当たり前のことです。一見、誰でも自己と違う価値観の人は皆、「自己責任」の自覚がないように思えるだけです。しかしちょっと考えれば、価値観の違いがあるだけで、皆、それぞれ「自己責任」を自覚して行動しているのです。

彼らは極めて幼稚な人間観の持ち主であるばかりでなく、民主主義の基礎の基礎さえも理解していない官僚主義者であり、自分達がパブリック・サ−バントであることを、全く自覚していない恥晒しです。あの5人を攻撃したマスコミ、評論家も同類です。

フセインの問題はイラク国民やイスラム世界の人々の問題であり、私達が頼まれてもいないのに口出しすべき問題ではありません。日本は、イラク国民の同意を得ないまま一方的に、つまり「暴力」的に軍を送りこみました。ですから、自衛隊を国外に排除しようとするイラク国民の戦いは、残念ながら当然の、正当な戦いであり、私達も彼らと同じ立場であれば、日本を侵略した軍隊を追い出すためであれば、行使するかどうかは別にして、あらゆる手段を使う権利はあるのです。他の国を侵略するような事をしたら、八つ裂きにされようが、何されようが文句はいえません。

ですから、小泉は彼らの反撃を「テロ」などと本末転倒して捉えて、自分達が被害者であるかのような態度をとり、「暴力」には屈しないなどと大見得をきっていますが、本当は逆に、既にアメリカの圧力に屈しているのです。ですから、暴力に屈してないのは小泉ではなく、イラク国民の方です。何と言う偽善的な政権なのでしょうか。よくも愛国心を持てなど言えるものです。

日本のイラク侵略に対する「反撃」は、完全に防げるはずはありませんので、生命の危険に晒さらされているのは、あの5人だけでなく、私達全国民です。しかも私達は、万が一の場合侵略者として死ななければならないのであり、最悪の死に方を私達は強いられているのです。

インタ−ネットに流れる米軍の攻撃で頭を割られ、脳みそがとびちったイラクの幼児の無残な死骸写真を見たイスラムの若者達やイラクに派兵していない国の人達はどう思うでしょうか。およそこの世では、幼児の殺害以上の「悪」は考えられませんので、怒りのあまり、正気をなくした彼らは、「遠慮」なく私達日本の幼児でさえも殺してもよいと思うかもしれません。これが、私達が「テロ」と呼んで、非難している事態なのです。

200名以上の女性や幼児、子供を含めて700名以上が米軍に殺されたと言われているファル−ジャの大量虐殺は、第二のソンミ村事件として、やがて国際的な大問題となり、イラク戦争を支持し、派兵までした私達日本もその責任を追及されるでしょう。反フセイン派が多いファル−ジャの人々が大量に殺されたのですから、極めて強烈な批判を、米軍がすべき民生事業を肩代わりしてイラク侵略に加担した日本も浴びるでしょう。私達の手は、見えないイラク人の血で真っ赤だと思う人の方が、世界には多いのですから。

イラクの自衛隊が攻撃され、また海外で日本人が犠牲になり、国内でも悲劇が何度も起き続ければ、やがて私達日本国民も、一部のアメリカ人やアルカイダのように正気を失うかもしれません。

小泉は、イラクのファル−ジャに行き、自らのとんでもない判断の結果を確かめ、イラク国民に、ファル−ジャの遺族達に日本国を代表して許しを請い、私達国民に悲劇が起きないようにしてもらいたい。必ず一人で。切符は、片道分だけで。自民党と公明党は、税金の「浪費」がとても気になっているようですので。

04/04/10
5月9日(日)オルタ・フォ−ラムの研究会の会場が決まりましたので、お知らせします。文京区民センタ−(地下鉄後楽園駅もしくは、JR水道橋駅より徒歩3分。2時より)です。公開ですので、私達の母系社会研究会に関心のある方は、どなたでも是非参加して下さい。

イラクで、邦人3人が、誘拐される事態が、発生してしまいましたが、政府は「テロ」と見なして、既定の方針どうり彼らを見捨てようとしています。政府はアメリカのイラク侵略を支持し、本来占領軍(米英軍)の任務である被占領国民の民生面の面倒を肩代わりするために、人道支援などと誤魔化して派兵までしたので日本が占領国とみなされ、「反撃」されたのです。支持を失う事を恐れた姑息な政府は、アメリカのイラク侵略戦争への支持や自衛隊の派兵は実質的に日本が「戦争状態」に突入する事と同じであり、戦争をする以上、「反撃」もあり得る事を国民に問いませんでした。こうした「反撃」を、国の内外を問わず100%防止できないのは明白ですので、政府がアメリカを支持した時点で、小泉達と異なり、個人警護を受けられない私達一般の国民の誰もが既に政府から見捨てられたのです。ですから、あの3人は明日の私達であり、既に私達の首にも見えないナイフが付きつけられているのです。

04/03/13
本日、1000アクセス達成しました。1000アクセス達成に、ほぼ一年かかりましたので、あまり自慢できませんが、今後もよろしくお願いします。本当にありがとう、ございました。

04/03/04
RISAの04年1月号をアップしました。近日中に2月号もアップし、少しでも遅れを取り戻したいと思います。

04/02/16
5月9日(日)2時より、会場は未定(都内予定)ですが、オルタ・フォ−ラムQの第19回研究会で、私達母系社会研究会の報告会が開催されます。会場が決まり次第、当HPにてお知らせしますので、興味をお持ちの方は、是非ご参加ください。

大変、遅くなりましたが、RISA11月号を掲載しました。山極寿一氏の「家族の起源」の書評です。氏の人類の初期社会は父系社会との説は、一部の知識人達に強い影響を与えているようです。私達は、この仮説を肯定できませんが、いずれにしろ、遠い昔のことですから、誰にも真相はわかりません。私達は母系社会説の方が、説得力があると判断しているだけで、母系社会が、人類のオリジナルな社会だから、復活すべきと考えているのではありません。単に母系社会と父系社会の比較をすると、母系社会の方が、人間にはよい社会ではないかと考えているだけです。今回、サル学の本を色々読んでみて面白かったのは、サル社会では、母系の群れの方が、父系の群れより、対外的には融和的、平和的に接するという話です。チンパンジ−などの父系の群れは、他のチンパンジ−の群れと出会うと激しく攻撃しあい、相手のメンバ−を殺す場合も珍しくないのだそうです。なんとなく理解できる話ですが、人類の場合はどうでしょうか。

04/01/15
あけまして、おめでとうございます。早速ですが、「るいネット」の感想投稿で、8人中7人の方から当HPに対して好意的評価を頂き、大変ありがとうございました。まだ、このHPには、様々な誤まりや弱点もあろうかと思いますので、厳しいご批判も期待しています。会報が、大幅に遅れています。大変申し訳ありません。近日中に、完成させます。

03/12/06
未来の歴史家は、先の総選挙の日を、日本が再び戦争を決断した歴史的な日として記録するかもしれません。それも日本史上初の、選挙により承認された国民の総意として参戦した日として。

世論調査では、70%以上の人々が、イラクへの自衛隊の派遣に反対しているので、多くの与党に投票した人々も、イラクへの派兵に賛成したつもりはなかったのかもしれませんが、日本は、派兵を公言する与党を政府に選出したので、国家意思として戦争を選択したと世界からは見なされるでしょう。早速、米軍と戦うゲリラ兵達の代理人らしき人物が、日本が派兵したら、日本でも「死の車」が走ると警告してきました。

今米英が、直ちにしなければならないのは、戦争の大義が消滅したことを認めて戦闘行為を中止し、全ての抵抗勢力に停戦と和平交渉を呼びかけることです。そして、反フセイン派の意見も尊重しながら交渉し、米英の撤退後に内戦が起きないようにしなければなりません。日本が民生部隊であれ、派兵したらより激しい抵抗を生み出し、イラク人の苦しみを長引かせるだけです。

産経新聞によれば、親日的な国民だったイラク人が今では、日本人とわかると、なぜ米英に味方するのかなどと詰問してくるそうです。欧米諸国とちがい中東地域に介入したこともなく、先の大戦で欧米諸国と戦った日本が、米英に味方したので、近親憎悪的な感情から、今では、日本は特に憎まれているのかもしれません。そのようなイラクへ対ゲリラ戦や砂漠地帯での戦闘の訓練もろくにしていない自衛隊が派兵されると、派兵を侵略とみなすゲリラ兵達からの攻撃を誘発し、平穏だった地域が戦闘地域に変わる可能性が高く、政府の「安全地帯」という条件は空論としか思えません。

そもそも、戦争状態の国に、武装した軍を「人道支援」のために派遣するなどという政府のたわごとは、世界に通用するわけがありません。米英軍の占領体制に資金援助をしたり、民生面であれ協力し、本来占領軍がしなければならない民生事業を肩代わりすれば、その分、占領軍は資金や兵力を戦闘に向けられ、占領軍の戦闘能力は高まるので、米英のイラク侵略に直接加担する行為です。また、政府は、派兵の理由に日米同盟の維持や日本が、大部分の石油を中東に依存している点も派兵の理由あげ、国益のためだと言っています。しかし、軍を送りこまれるイラク人には日米同盟の維持など無関係であり、さらに、石油の問題は、反フセイン派のイラク人からさえ、「人道支援」と言いながら、本当の狙いはイラクの石油だとみなされかねず、今後のイラク国内の政治状況によっては、かって中国で、日本軍を中国から追い出すために敵対していた国民党と共産党が手を結んだように、自衛隊は反フセイン派からさえ、攻撃されかねないのです。イラクへの派兵は、連帯感の強いイスラム世界全体の反感を生み、日本も欧米諸国と同じとみなす人々がますます増加するでしょう。十三億人以上もいるイスラムの人々から憎まれて、どうして「国益」といえるのでしょうか。

日本は最近まで、イラクに対しては米英とは一線を隔する独自外交をしてきたので、武装抵抗勢力の幹部に親日派の人物がまだいるかもしれず、仲介役に適しています。ですから、やがてアメリカはイラク支配をあきらめ、武装抵抗勢力と政治的妥協による停戦と和平を望むようになるので、その時に両者の仲介役となるべきで、その方が、未来のアメリカからも感謝されるでしょう。

憲法との関係から、戦争と言えず、「人道支援」などと誤魔化す政府は、「人道支援」を名目に他国に派兵することの恐ろしさに気づきません。たとえ今回、自衛隊員やイラク人に一人の犠牲者も出ず、逆に多くのイラク人の命を救えたとしても、このような「人道支援」を名目にした派兵の前例をつくると、将来他の国が、「人道支援」の名目で隣国に攻め入り、その国の資源を強奪するなどの侵略戦争を誘発する一因となりかねないのです。ですから、日本に憲法9条がなくとも自衛隊の派兵は、現在の国際秩序を破壊し、世界をより不安定化させる行為なので派兵してはならないのです。

大量破壊兵器はみつからず、戦争の大義が破綻したこの時点で派兵をしたら、米英軍と同じ大義のない戦争を支援した国家として、国際社会での発言力、影響力を失います。また、得てして強者は、歓心を得ようと群がる弱者を心の底では軽蔑するものなので、日本のようにイラク占領後に派兵した諸国家は、石油などの利権のおこぼれを期待した「ハイエナ的国家」ではないかと、未来のアメリカからさえ、軽蔑されるかもしれません。ブッシュのアメリカだけがアメリカではないからです。遅れ馳せながら、そのような「ハイエナ国家」へと志願しようとしている日本は、自爆攻撃などで死傷者が出ても、世界からは自業自得だと、同情さえされないようになるでしょう。

派兵しなければ、日本の周辺で戦争が起きても、アメリカが日本を助けなくなると危惧して、与党に投票した人も多いようですが、そもそも日本に、米軍の兵站、補給基地があるから攻撃されるので、攻撃を避けたいのなら、むしろ米軍の基地をなくせばよいのです。いずれにせよ、日本の米軍基地は、東アジアから、中東地域まで担当し、艦船などの高度な修理までできる他に代替えのない、米国の世界戦略上の最重要基地なので、この基地を守るために米軍は、日本がイラク戦争に反対しようがしまいが、日本を防衛せざるを得ないのです。イラク戦争に協力しないと、米軍に守ってもらえなくなるなどと大ウソを垂れ流す議員は、日本ではなくアメリカに忠誠を誓う議員です。そもそも米軍の基地があるので、日本は周辺国から潜在的な軍事的脅威として警戒され、日本は平時でも、相当なリスクを負っているので、米軍に支払っている「おもいやり予算」など論外です。

親米派イラク人への攻撃も始まり、イラクはすでに内戦突入寸前の状態です。イラクは、派兵より、撤退の方が難しい泥沼状態に陥りつつあり、自衛隊は、犠牲者を続出しても、いつ撤退できるのかわからない最悪の状態に陥りかねないので、政府はなぜこれほどのリスクを負ってまで、派兵しようとしているのか理解できません。もしかしたら改憲論者の小泉は、わざと自衛隊員に犠牲者を出させたり、国内外での自爆攻撃の犠牲者を出させ、世論が報復攻撃を求めて激興したら、戦争を可能にする改憲のための国民投票を実施して、一挙に9条をなくすつもりではとさえ疑いたくなります。

米英占領軍を攻撃しているイラク国内のゲリラ兵達のグル−プは、最終的には政治的妥協により、抵抗を止めるかもしれませんが、アルカイダなどのグル−プは、イスラム世界が欧米勢力から解放されるのを目的にしているので、彼らの攻撃は続き、警察や軍などの力では制圧できません。というのは、ほとんどのイスラム諸国政府は、欧米のイスラム世界への介入を事実上黙認し、日本と同様、アメリカの顔色を伺うばかりなので、今やイスラム世界の民衆は、公然と欧米のイスラム世界への介入に抵抗するビンラディンを支持し、彼は英雄と見なされているそうです。ですから、彼らの継戦能力は、ほぼ無尽となり、いかなる軍事大国といえど、彼らを力では壊滅できません。欧米のイスラム世界への介入の象徴的問題が、イスラムの反対を無視して強行されたイスラエルの建国であり、パレスチナ問題ですが、今や「眠れるアラブ兵に代わりて立つ」と言い残して、自爆死した女子高生がでるほど、パレスチナ問題は深刻化しています。更に現代のアウシュビッツ、ゲット−ではないかとさえ思われる壁でパレスチナ人は隔離されつつあります。パレスチナ民衆の苦難に怒るイスラムの若者達が彼らの背後には、無数に存在し、イスラム世界に広範囲な支持層をもつ彼らは、いかなる力を行使しても排除できません。ですから、アメリカとビンラディン達のとめどもない報復合戦は、終結の見通しのたたない事態となり、世界中に悲劇を撒き散らしています。

このような事態になぜ世界は陥ったのでしょうか。私は、「テロ」と「戦争」とを別のものとして捉える私達の常識的認識、思考が、平和的解決(停戦−和平交渉)を不可能にし、事態の泥沼化を招いているのだと思います。そして結論から言えば、大量破壊兵器が使われたりして、手遅れとなる前に、彼らの攻撃を「テロ」ではなく国際法的な戦争行為と認めて、彼らと停戦−和平交渉をするしか、解決方法はないと思います。(逆に、停戦−和平交渉ではなく、軍事力の行使を正当化しようとして、「テロ」は戦争だとする日本の軍事専門家もいますが、軍事力による抑止は不可能なので、和平交渉しかないのです。ブッシュは、ある時は刑法的な犯罪行為としての「テロ」、またある時は国際法上の戦争と規定し、自分達の都合のいいように使い分け、交渉を拒み、軍事力の行使を可能にしています)

「テロ」という言葉は、学者やマスメディア、そして反戦派までもが使用していますが、現代では、他国であれ、自国であれ、政府などの権力的存在に対して、武力により強制的に政策の変更などを求める行為は全て、「テロ」でなく「戦争」とみなすべきだと思います。というのは、ちょと信じがたいのですが、「テロ」という言葉は、そもそも定義さえできない極めてあいまいな言葉なのです。世界中の軍事、政治、法律の専門家が、「テロ」を戦争や刑法的犯罪とは別のものとして、定義をしようと試みましたが、誰もできませんでした。今では、これほど日常的に使われている言葉に定義がないのです。ですから、この言葉は、益々拡大「解釈」され、最近では単に凶悪犯罪いう意味で使われたり、定年制で無理やり小泉に引退させられた中曽根まで、怒って「テロだ」などと言っています。「テロ」という言葉は、極めて恣意的に使われる言葉で、既存の「テロ」の定義とされているものは、戦争と区別できないものか、もしくは、一般の刑法的犯罪と区別できないものばかりです。同じ民間人を巻き添えにした攻撃でも、敵の場合は、「テロ」と呼び、味方の場合は、単に作戦とか戦闘と呼ぶのです。敵の攻撃を「テロ」と呼ぶ者は、例外なく自らの非人道的行為を棚に上げて、敵の攻撃の非人間性を非難する事で敵を「犯罪者」や「悪」とおとしめ、「悪」と戦う自分達は、「正義」と正当化しているのです。

ところで、私達は、戦争で民間人が巻き込まれて死傷するのは、当たり前だと思っています。しかし近代以前の軍隊どうしの戦争では、兵士以外の無抵抗な農民や町民が殺されるような戦争は、例外的にしかなかったのです。ですから、私達の戦争観は、20世紀以降の戦争観であり、第二次大戦では、民間人を攻撃目標にした都市爆撃が実行されましたし、先の湾岸戦争の時は、戦争中だけでも民間人が最大1万5千人、アフガンの場合でも、3千人以上殺され、9.11の犠牲者を越えたそうです。ですから現代では国家が発動する戦争は全て国家テロとなったので、戦争とは別のものとしての「テロ」の定義ができないのです。「テロ」は戦争であり、戦争は「テロ」です。私達の眼前で、残虐、残忍な戦争の本当の姿を開示するのが「テロ」です。「テロ」という言葉には、戦争よりも、より犯罪性や非人道性が強い行為という意味があるので結局、戦争をよりましな別のものとして認めてしまうのです。ですから、「テロ」は戦争ととらえ、停戦と和平交渉による平和的な問題の解決がしやすい情況を形成するべきだと思います。

そもそも、「テロ」は、現在の刑法的一般犯罪のような私利私欲の実現のための暴力でなく、なんらかの政治的理念を持つ集団が、自分達の政治的要求を、政府の政策の変更を実現するために行使する暴力行為で、政治の延長としての戦争と同じです。「テロ」の特徴とされる「民間人を標的に攻撃する、あるいは民間人を巻き込む」とか、「心理的脅迫、威嚇」、「奇襲性」などは、そのまま戦争(戦闘)にもそっくり当てはまります。また、ビンラディン達のような非国家組織が世界中で、戦争としかいいようのない軍事的闘争をしてきた例は、数限りなくあります。戦争は、敵と味方の力関係に応じて、非公然的組織による攻撃から部分的に公然化したゲリラ戦、更に正規軍どうしの正規戦と形態を変えて行われますが、本質的には皆同じ戦争であり、政治的意思を暴力により強制的に実現しようとするものと解釈すべきです。現在でも、イスラエル軍は「暗殺作戦」をしてますし、朝日新聞によれば、朝鮮半島の南北両国は、北だけでなく南政府も、北に対して特殊部隊による爆弾を使った破壊工作や住民の拉致までしていたそうです。こうした行為を国家テロと呼ぶ人もいますが、現代では戦争とは別に国家テロというものがあるのではなく、戦争は全て国家テロなのです。(「テロ」と戦争と刑法的犯罪とを、明確に区別して定義ができる人がいたら、是非教えを請いたいと思います)

幸いにも人類は、敵を皆殺しにするような戦争は、ほとんどしてきませんでした。本来、戦争は敵に降伏を求める行為なので、個々の戦術的戦闘行動も含めて全てが敵兵の士気を砕き、敵指導部の継戦意思を挫こうとする心理戦で、「テロ」と同じです。どちらが先に停戦と講和を求めるか我慢比べなのです。現代戦では、自国の世論も戦争の帰趨を決する重大な要因なので、様々なフィクションを捏造して敵の残忍さを強調し、敵への憎悪をかきたて、国民の戦争継続意思を持続させようとしています。つまり敵だけでなく、味方にも心理戦を仕掛けているのです。

また、現代戦は、奇襲攻撃に成功するかどうかが、ほとんどの戦争の勝敗を決するので、軍人達の間では、宣戦布告の有無にかかわらず、敵の奇襲を防げなかった軍人は無能と見なされるそうです。通常、「テロ」も戦争も、攻撃を成功させるためには、奇襲ができるかどうかにかかっているので、必然的に民間人を巻き込むのです。

先の大戦では、日米ともに相手が軍事施設を破壊されても降伏しなければ、民間人を攻撃してでも、降伏を求めようとしました。1939年から40年にかけて、数十回繰り返された日本軍による中国の当時の首都重慶の爆撃は、世界初の民間人を標的にした本格的都市爆撃でした。日本も米軍に都市爆撃や原爆による攻撃をされて、多数の民間人が殺されました。民間人を殺したと「テロ」を批判するアメリカ自身が、現在でもこの日本の都市爆撃と原爆の使用を、誤まりと認めず、それどころか正当化しています。彼らの厚顔無恥ぶりには、呆れ果てますが、これは、民間人を殺傷しない現代戦は不可能なために生じる自己矛盾なので、戦争を肯定する者は、敵の民間人殺しを批判できないのです。最近でも米軍は、アフガンでもイラクでも「敵国」の民間人の巻き添え防止より、自軍の兵士の損害の防止を優先しました。精密誘導兵器が、目標をはずす確率や民間人の犠牲者の数、あるいは味方への誤爆による死者の数まで、あらかじめ過去の例から、おおよそわかっていても、攻撃するのですから、戦争も「テロ」なのです。(軍は、自国の政府機能を守るのが最優先の任務であり、政府を守ることで、政府組織が国民を守ることを期待する組織なので、場合により自国民さえ見殺しにしても、生き延びようとします。ですから、かつての関東軍のように満州移民を見捨てて撤退しても、政府機能の防衛が再優先の軍としては「正しい」判断なのです。世界最強の米軍でさえ、全ての米国民を常に守ることなどできません。軍が国民を守るという宣伝は、誇大広告ですが、もしそれを本当に国民が期待するなら、当然、軍は膨大な兵力を要求し、国家は成り立たなくなるでしょう。ですから、軍があろうが、なかろうが国民は、基本的には、自分で自分を守るしかありません)

現代では、「テロ」も戦争ですから、入手可能な武器で実行可能な作戦をします。戦争を選択した者は、最も効果的な目標を実行性と効率性の原則に従って攻撃するでしょう。敵の戦争意思を挫くために最も効果的な軍事施設の攻撃が可能なら、そうしますが、不可能であれば、次善の策として電力施設などのインフラを攻撃し、それも不可能ならば、敵国の民間人の命より、自国民でもある自軍の兵士の命を優先して、最終的には敵の民間人を攻撃してまでも、敵に降伏を求めるのです。

破壊力の大きい兵器を使用する現代戦は、通常の戦闘でも敵の民間人を巻き添えにすることなく戦争を遂行するのはほぼ不可能です。ですから、民主主義国が戦争を始めた場合、自軍も敵の民間人を殺傷してしまうので、戦争政策を主張する政府を選出した国民も、逆に戦争の責任を自らの命や家族の命で問われても、敵を非難できません。自分達も民間人を殺しているのに、敵が自国の民間人を殺した場合だけ非難するのは、偽善の極みです。戦闘の巻き添えや誤爆で民間人を死傷させている占領軍を、認められなければ支持もやめ応援の派兵も中止すればよいのですから、占領軍を支持し派兵もするということは、民間人の死傷も容認していると見なされるでしょう。ですから、米英軍を支援したり派兵すれば、自衛隊が民間人を死傷させなくとも、イラクの民間人を死傷させた米英軍の責任までも日本は問われるかもしれません。大半の国民の反対を無視して派兵を決めた政府首脳は、手厚く護衛されて攻撃できないので、結局私達民間人が自らの血で、政府の政策のツケを払わされるのです。9・11の犠牲者のように。かって自ら、デイル・ヤシン村の村民虐殺など幾度となく民間人の大量虐殺をしたイスラエルが、自爆以外は効果的な軍事的抵抗が不可能な相手に戦争を仕掛けておいて、民間人を攻撃したなどと非難するのは、厚顔無恥の典型ですが、小泉ももうしばらくしたら、どうしたら厚顔無恥になれるか教えを請いに、シャロンのイスラエルにでも出かけて行かなければならなくなるでしょう。

このように現代では、戦争が「テロ」化したため「テロ」と戦争は区別できなくなりました。彼らの戦闘を「テロ」としてしまうと、戦争派が宣伝する、(犯罪行為としての)「テロに屈するな」というキャンぺ−ンは、正しいことになります。更に犯罪的なグル−プと交渉することが「悪」とみなされ、力で封殺するしかないことになり、警察力では対処しきれないので、「テロ」よりはまだましだと、必要悪として戦争を正当化してしまうのです。つまり、「テロ」を防止しようとして、「テロ」をおこなうことになるのです。交渉により平和的に解決する道も閉ざされてしまい、「対テロ戦争」を唱導する「戦争派」の論理が正当化されてしまいます。

ビンラディン達は、日本の公明党のように宗教を母体とした組織ですが、欧米のイスラム世界への介入、特にアメリカの中東介入政策の変更などの政治的目標をもつ政治組織です。私利私欲を目的にした犯罪集団ではないので、交渉による妥協で、平和的な解決が図れる可能性があるのに、アメリカは、中東への介入政策を少しでも変更したくないので、彼らを犯罪者扱いして交渉しない事を正当化し、、「犯罪者の言い分」として彼らの政治的要求の冷静な検討をさせないようにしているのです。そうしないと、イスラムへの不当な介入に反対する彼らの言い分に理があり、自らの強欲な中東政策が全ての悲劇を生み出していることが明らかになるのを恐れているのでしょう。

アメリカは、今のところ、彼らの軍事的能力を甘くみて、負けるとは思っていないので自分達の中東政策を多少とも変更しなければならない政治交渉による平和的な解決をする意思がありません。しかし、本当に勝てるのでしょうか。ビンラディンや現在のアルカイダのメンバ−を全員、殺せば、この戦争は終わるのでしょうか。とてもそうとは、思えません。なぜなら、アメリカの真の敵はアメリカの中東政策により生み出されたイスラム世界の世論そのものだからです。この世論は必ず第二、第三の更に進化したアルカイダを生み出すでしょう。ですから、アメリカはイスラエルへの軍事的支援を止め、イスラエルとパレスチナの両者が、問題の平和的な解決を図れるようにするとともに、イスラム諸国への干渉、介入を中止するしか、この戦争を終わらせる道はないのです。

悲劇的な9.11は、アメリカにとって自らの行状を反省する一大契機だったのですが、無知と傲慢さが、武力への過信と強欲が、イラクへの侵略という最悪の対応を選択させてしまったのです。被害者意識だけで、加害者意識の欠落した無知なアメリカは、敵か味方かと問う自らの傲慢に気づきません。このようなアメリカに、停戦と和平交渉しか、根本的な解決の道はないと納得させるのは大変困難ですが、全てが手遅れになる前に、未来の日本政府は、アメリカを説得し、和平交渉の仲介者となるべきです。

また、ビンラディン達は、イスラム世界でも特異な国家理念を持っているらしいのですが、どのような国家を目指すかは、基本的にイスラムの人々が決めるべき問題で、外部の私達が、口を出す問題ではありません。まして理念の保持を理由に攻撃をするというのは、民主主義の理念そのものに反しています。

このようなことを書くと「テロ」(戦争)を支持、あるいは、擁護していると誤解されそうですが、支持も擁護もするつもりはありません。私は暴力的な圧政や抑圧に対しては、現代では非暴力主義が最高の抵抗策、軍事的抵抗策だと考えています。なぜなら、軍事力の行使の目的は、敵の軍事力の無力化による敵の威圧だとすると、非暴力主義が最も効果的にこの目的を達成するからです。素手のデモ隊に対して、大砲や銃弾を撃ち込むのは、マスメディアの発達した現代では不可能なので、数十万、あるいは数百万ものデモ隊は、いかなる高価な兵器をも使用不能にし、怒れる数十万、数百万人もの群集は最高度の恐怖を抑圧者に与える力、軍事力と化すのです。寸鉄も帯びない人間の身体こそ、最高の武器であり、非武装こそが、最強の武装なのです。

03/10/03
現在の腐敗した資本主義に代わり得る<オルタナティブ>の構想を模索する「オルタ・フォ−ラムQ」編集発行の隔月刊誌「QUEST第27号」に私達の投稿を掲載して頂きました。私達の「母系社会」主義が、活字で紹介されたのは、これで2回目となりました。心より感謝します。大変ありがとうございました。

03/08/22
ロゴスの会の村岡到氏の個人誌、「稲妻」(2003・8・10)に、このHPの紹介文を掲載させて頂きました。感謝感激しています。ありがとうございました。
今秋より、会社の希望退職に応じて、無職となります。しばらくは、このHPに力をいれてゆきたいと思います。

RISAの7月号(将門WEB、周の掲示板への反論)、大変遅くなりましたが、掲載しました。退職の件でごたごたして遅れ、申し訳ありませんでした。この掲示板で、「濱田46才」氏より、当HPへの高い評価を頂き、大変感激しました。心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
「るいネット」でも5人中4人の方より、好意的な感想投稿を頂きました。大変ありがとうございました。母系社会への必然性(の説得力)が弱いというのは、そのとうりで、これからの課題だと思います。

03/06/04
現代社会(現代的父系核家族社会)は環境だけでなく、人間の心も傷つけるシステムであり、アダルト・チルドレン(AC)はこの問題の象徴的な現象です。ACの問題は、大家族制の伝統社会では起こり得ず、公害のように現代社会の問題であるが故に、世界中にこれから蔓延しかねない深刻な問題です。私達はACの根本的な解決策を考える過程で、何度も何度もためらいながらも結局、現在の父系的核家族社会から母系社会に移行するしか解決の道はないという結論に達したのです。社会の根底的な制度である家族形態に手をつけるという、目がくらむような結論にたじろぎながら、このHPを作り続けています。
    
03/05/13
よくもこんなサイトをつくったものだと、我ながらあきれないでもない。いや、今もこんな馬鹿げたことを提案するなんて正気じゃないよという声が聞こえてくるような気がする。「母系社会をこれから再建するなど、出来るわけがないというのが常識じゃないか」と----。このなかなか消えない内部の声は私の最大の敵なのか?あるいは、かすかに残る正気のなせるものなのか?
       
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