90年4月に入り、バイク雑誌 月刊オートバイのミニバイクレースコーナーに
(忘れもしないカストロールカップ第一戦)なんと!走り屋時代のライバルグループのライダーが
レースの表彰台に乗っているではないか!実力的には、自分と変わらないのに?なんて凄いんだ、
もしかしたら自分も・・・と言う気持ちが高まり、トランポの購入に踏み切りました。
トランポを購入した理由は、会社の仲間とはレース参加の感覚が違い、自分はレースに積極的に参加したいと思ったからです。
又、走り屋としてコースにしていた場所も、警察の取り締まりで走る事が不可能になったからです。
この頃は、ちょうどバブル期なので資金にも困る事無かったし、給料の半分をレースに使っても全然痛くなかった。
90年は、参加しようとしているレース会場が、千葉の京葉スピードランドと言う場所だったので、
そこをホームコースとして、活動を開始しました。
続きを見てね!
89,90年3月まで、NSR50をパートナーに走り屋をエンジョイしていました。
場所は、千葉ニュータウン内の住宅予定地をホームコースとして、
週末走っていました。
中でも、コースを仕切っているチームが色々な方面から来る自信のある
ライダーに声をかけて、NSR50のワンメイクレースを行っていました。
多分、仲間内だとマンネリ化でつまらないからだと思う。
当時の週末の過ごし方は、仲間を求め千葉ニュータウンへ足を運んでいました。
90年3月、運命の出来事が襲う。
会社仲間が、自分が出張中にミニバイク4時間耐久レース
に参加したと聞き、自分も出たいと言う思いが強くなった。
でも実際は、レースをするに対してレース専用バイク、
レーシングスーツ(つなぎ)、ブーツ、グローブ、スペアー
パーツ、最大の問題は、トランポ(バイク輸送用の車)が必要なのです。
会社の仲間は、自分を含め3人いましたが、中の1人が先輩で、
トランポも持っていましたが、イマイチ意見、レースに対する
考え方が違ったので、うまく共にレースを行えませんでした。
当コーナーは、走り屋からミニバイクレーサーそして、シリーズチャンピオン迄の記録を紹介します。