2006年11月〜12月の日記 平穏に暮らせたらいいなぁ……。 のんびり、ゆったり。 だけどね、そうとばかりは言ってられないことも たくさんありますね。 日々感じることを書いてみようと思ってます。 |
2006.12.30(土) 今年の大仕事
もう少しで今年も終わる。私の今年一番の仕事といえば、ホームページを作ったことだろうか。HP作りはややこしく、思ったとおりにレイアウトできない。ちょっと更新しようにも、あーでもない、こーでもないと試行錯誤の連続。写真がうまく配置できなかったり、きれいに表示されなかったり。 だけど、ちょっとでも見やすくしたいと思う。それで、少しこだわったことは、デジカメ写真の“でき”。画素数が高く、きれいに撮れた写真は、かたすみに写っている雑草でさえ、トリミングすれば立派な1枚の写真となる。 けれど、悲しいかな、私はなかなかうまく撮れない。ブレたり、ぼけたり、暗かったり……。 撮った写真を何とかして使いたい。そこで写真ソフトを使うことが多かった。 上の写真は、まず背景を抜き、次にお化粧をした。(写真ソフトのペンなどを用い色むらを補正)最後は、全体的に黒っぽすぎるのでコントラストを調整して仕上げ。これだけの作業だが、もう肩コリコリ。 写真の猫は民芸品店で買ったものだが、ウチの花子(日記写真)に似ている。「かわいい!」と自画自賛。 11月半ばから始めたこの日記、お読みいただき、ありがとうございました。みなさま、よいお年を! 2006.12.25(月) 天国のサクラさまへ
サクラ、今頃なにしてる? えっ、キリスト様と宴会中?あんた、お行儀よくしなくちゃだめだよ。まったくサーちゃんときたら、欲望には勝てないんだから。欲しいものがあったら、何が何でも要求貫徹なんだからねぇ。えっ、そこには七面鳥の丸焼きがあるの? 「あたしは何たって鳥獲り名人! ウチではお目にかかれなかった七面鳥の味見をしなきゃニャー!」 でもね、キリスト様の分をとっちゃいけないよ。今日はそのお方のお誕生日なんだからさ。 ウチにいたときみたいに、意地汚くしちゃあ、かあさん恥ずかしいから。みんなで食卓を囲んで、あんたにも刺身を分けてやってるってのに、皿の上の切身が少なくなってくると、とたんにソワソワ落ち着かなくなって。自分の分があるのに、皿を乗り越えてパク! これはやめよう。 刺身と言えば、今年はマグロが高くなったんで、めったに食べられないんだよ、こっちの世界では。そんで、花子は不満だらけなの。まぁ、花子はがまん強いから、何とか耐えてるよ。 あっ、そうそう、報告することがあるのよ。サーちゃんの眠っている土の近くにクリスマスローズを植えたからね。今年は花が咲かないかもしれないけれど、来年はきっと咲くよ。クリスマスローズを植えるのは、かあさんの憧れだったんだぁ。ウチのような日陰の庭でも、ちゃーんと花を咲かせてくれるみたいよ。貧乏性のかあさんはやっと安い株をみっけて、「やったー!」と大喜びだったんだよ。 サーちゃんは恐いもの知らず、勇気あふれるツワモノだから、いろんなところにお邪魔してるんだろうねぇ。閻魔さまのとこは行った? あー、そう、だっこしてもらったの。 へぇー、来年は七福神のところに行く予定なのね。ぜひぜひ、よろしく言ってちょうだい! ウチにも来てねってお願いしてきてよ。じゃー、またね。 2006.12.22(金) ルピナス合唱団の忘年会 夢のひととき
「ひろばサラ」のドアを開けると、歌声が響いてきた。ふしぎ〜ふしぎ〜♪あっ、これが「地球のうた」なのね!団員のM子さんがブログに書いていた歌!(http://green.ap.teacup.com/kuwanomi/ 2006.12.9)先日、私はルピナス合唱団の忘年会にお招きを受け、「ひろばサラ」を訪れた。たかだかコンサートのプログラムを作ったというだけなのに、招いていただいて本当にうれしかった。 ルピナス合唱団は、立川市けやき台団地の一角にある「ひろばサラ」で練習を重ね、年1回のコンサートと老人施設訪問などの活動を続けている女性コーラスの団体である。団員は30〜80代の幅広い年齢層で、20名近くいらっしゃるようだ。M子さんとK子さんの呼びかけで結成され、N子さんがピアノ伴奏と講師。みんな友だちなので、私もルピナス合唱団のそばにいることが自然に感じられる。 何をかくそう、結成当初、私は“さくら”団員だった。「あんた、クチパクでいいから出て」と誘われ、たった一度だけルピナス合唱団員として本当にクチパクしてしまったのだ。 ところがところが、私の声は出ない。音域が狭く高音が出ない。これは小さい頃からのことで、音楽の授業では苦しい思いをした。やっぱり無理だ……。というわけで、泣く泣く入団をあきらめた。(ほんとーだよぉ) ルピナス合唱団の忘年会は、美しい夢を見ているようだった。心づくしのお料理をいただいて、「あら、このびわ酒、おいしい」とちびりとやっているうちに、どこからか歌声が。そして、N子さんのピアノが軽快に流れ始める。「きよしこの夜」「サンタが街にやってきた」「水色の恋」「小雨降る径」……。きれいな歌声とピアノ。うっとりとしてしまう。あ〜、うたっていいな〜、楽しくて楽しくて。 忘年会の最後は、「涙そうそう」。来年の発表曲の一つということ。みなさん、とってもしあわせそうなお顔で歌っておられた。来年のコンサートが楽しみ! ルピナス合唱団のみなさん、夢のようなひとときをありがとうございました。 2006.12.17(日) 「悔しいです!」のメール
背中が痛い。ズーンと鈍い痛みが背中をおおう。重苦しい痛みは、胸にまで伝わって息苦しくなる。背中をさすりたい。でも、手がとどかない ここ1週間ほど、体の調子がよくない。季節に似合わない雨のせいなのか、疲れがたまったからなのか。 15日の夜、パソコンを開けると迷惑メールが何十通も届いていた。どんどん削除していく。その中に「悔しいです!」という件名の真正メールがあった。ML(メーリングリスト)で送られてきたものである。 友人・J さんのMLには“5時51分、「新」教育基本法が成立しました。……(略)……本当に悔しいです。”と書いてあった。国会前には、連日大勢の人たちが教育基本法改悪反対のために集まっていたという。が、15日同法は、自民・公明両党によって、あっさりと可決された。その直後の様子をメールは伝えてくれる。国会前に集まった人たちの悔しさをかみしめた表情や思いが、メールには綴られていた。 「ああ、やっぱり」、私はそう思った。 何だろう、この無責任な感想は! 自分に苛立つ。 「悔しいです!」その言葉さえも共有できない自分に、「何なんだよ、おまえは」とあきれはてる。私も教育基本法の改悪には反対だった。でも、何の行動もとらなかった。だから、国会前に集まった人たちのその思いさえも共有できない。そして、背中の痛みはますます重さを増していく。 自分を愛したい。家族を愛したい。友を愛したい。人間を愛したい。自然を愛したい。 だけど、いやだ! この日本という国家を愛すことはできない。 愛せと強制されることは、もっといやだ! 改正教育基本法は、国家を愛せといっているのだ。 政府は法改正のために、やらせタウンミーティングを行い、約3億円もの費用まで使った。 今国会で「防衛省」昇格も決まった。そして為政者たちは、この次に日本国憲法を変えようとしている。 そんな国をどうして愛することができるだろうか。 政治や法律は民を守るためにある。民が主役で、為政者はその代行者にすぎない。それが主権在民だ。政府や政治家こそが、民を愛すべきなのである。 何の行動もしなかったくせに、ただ事態を嘆いているだけの私。12月15日、「悔しいです!」のメールを読んで、そんな自分がいかに情けないかを思い知った日だった。 ★タウンミーティングは以下のアドレスを参照してください。 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061214/mng_____tokuho__000.shtml 2006.12.12(火) 「わたしの夢を奪わないで下さい」
9日、「にがい涙の大地から」を見てきました。日本軍が中国に遺棄した兵器の恐ろしさ、被害者の想像を絶する苦しみ……。後遺症に苦しむ方の咳が、いまだに耳の中で響いています。治療費のために身を粉にして働く家族の生活は、あまりにも貧しくつらいものでした。誰に責任があるかは問うまでもないことです。 毒ガス兵器や砲弾を捨てたのは日本。戦争は終わっても、兵器はまだ人々を殺し続けている。 2003年9月、日本政府を訴えた原告(中国人被害者・遺族)たちは勝訴(東京地裁)しました。そのときの明るい笑顔はとても印象的でした。ところが、笑顔は一瞬にして号泣に変わるのです。 小泉首相に「控訴しないでください」と涙ながらに訴える被害者たち、日本には責任がないというように顔をそむけて立ち去る小泉の後姿。映像は対照的な光景を映して出していました。そして、日本政府は控訴。 この国の政府は、恐ろしい兵器を置き去りにしても居直ります。その兵器が、今もなお人の命や生活を奪い続けていることにも知らん振りを決め込みます。映画を見ながら、私はこんな国の「国民」であることが、とても恥ずかしくなりました。 民と民が助け合うことはできないだろうか。当たり前すぎることかもしれませんが、そう思いました。帰宅して、上映会場から持ち帰ったチラシを見ると、「わたしの夢を、奪わないで下さい」と書かれた1枚のリーフレットがありました。「化学兵器CAREみらい基金」という団体のものでした。小額かもしれないけれど、カンパをしようと思います。(詳しくは、http://blog.care-mirai.net/ をごらんになってください) すでに多くの人の未来を奪ってしまった兵器。リーフには、被害にあった子どもたちの顔が写っており、「体操選手になるのが夢でしたが、もう、叶わなくなりました」と書いてありました。胸が痛いです。 2006.12.8(金) メジロと柿の実
ここはウチの庭。メジロがかわいいでしょう? ニコニコ笑ってるように見えます。 最後に残った1個の柿とメジロ。どうにか写真を撮れました。 昨日はメジロがたくさん来て、小さなクチバシで柿の実をチョンチョン。 「おいしいよ、おいしいよ!」とさえずりながら。 その姿の愛らしいことといったら! このあとムクドリがやってきました。 「おーい、ここに柿があるぞぉ!早くおいで」と仲間を呼び集めます。 バサバサバサ、何羽かやってきて、貪欲に食べていました。 1個しかない柿。この実がなくなったら、本格的な冬かもしれません。 野鳥の世界も厳しいですね。 柿がなくなっちゃったら、リンゴでもあげようかな。 2006.12.6(水) えっ、ホント?
「タケシの本当は怖い家庭の医学」という番組を見たことがありますか?朝日放送で火曜日の夜8時から放送されます。(ビートたけしがおとぼけ院長役、渡辺真理さんが司会) 病気の進行をドラマ仕立てにし、低く不気味な女性の声でナレーションが流れます。 ドラマのクライマックスは「これが病気からの最終警告だったのです」。最終局面で患者は最悪の事態をむかえ、背筋も凍るような声で「テレビの前のあなた……放っておくと大変なことになりますよ」。 見ている側はハラハラドキドキ、「もしかしたら私も」と思ってしまう仕掛けです。 昨夜は腰痛について。腰椎椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)の症状、予防の体操などが紹介されました。病気のチェック方法は次の通り。 ヘルニア……仰向けになり、片足をゆっくり持ち上げる。(左右の足) 上げた足の角度が床から70度以下・要注意、30度以下はかなり危険。 狭窄症……腹筋運動の要領で、膝を直角に曲げて補助者に固定してもらう。 腕を胸部で組み体を持ち上げる。その動作が、30秒で何回できるか。(腹筋検査) 14回以上・20歳台、11〜13回・30歳台、8〜10回・40歳台、6〜7回・50歳台……。 もちろん、私もやってみました!足は85度くらい持ち上がり、腹筋検査は15回! 20歳台、えっ、ホント? まったく「シンジラレナ〜イ」です。この頃調子がいいとはいえ、私は腰痛持ち。ときどき痛くなることもあるしなぁ。 意外な結果に驚きました。散歩の成果かなー。 腹筋検査はこちらhttp://www.asahi.co.jp/hospital/を参照してください。 今正しい腹筋検査を見たら、私はいいかげんにやってたみたいです。アハッ、ぬか喜び。 2006.12.3(日) 珍客・ウコッケイ
今日は、お仕事でほとんど外にも出ずに過していました。外はいい天気ですのに。窓から庭を眺めると、鳥が来て柿の実を食べていました。最初はかわいいメジロ。スズメがその横で「次は私の番よ!チュン!」。あーぁ、それなのに大きいヒヨドリがバサッと飛んできました。メジロもスズメも退散。ヒヨドリは、「この柿はオイラのもんだ」と長いクチバシで主張しパクパク。 今年は、柿の実が10個ぐらい。例年だと100個以上もなって、食べきれないのですが。狭い庭に、木は生い茂りました。それで、今年は思い切って、たくさんの枝を落としてしまったのです。 実をあてにしている鳥たちに申し訳ないので、なった実は一つももがず、そのままにしておきました。 でも、やっぱり、鳥たちには足りなかったのねぇ。来年も実はならないだろうなぁ。 そんなことを考えながら地面を見ると、何か白いものがいます。キタロウかな?(キタロウはたまに来る白猫。白い毛が汚れてきたないので「キタロウ」と名づけちゃった) いえいえ、違いました。なんと、ウコッケイ! 近所で飼っているウコッケイが、初めて遊びに来たのでした。 デジカメでパチリ。そばに行っても割と平然として、地面の虫か何かをつついていました。 漢字では「烏骨鶏」と書くそうです。別名ホワイトシルキー。 この子(メス)は頭の冠が少し汚れていましたが、全身真っ白で、やわらかく光沢のある羽毛で覆われていました。 さっき調べたら、ウコッケイの卵って、とっても高いんですって。1個500円くらいするらしいです。 ウチの庭に卵を産んでいってくれたら……いいなぁ。 2006.12.1(金) 『にがい涙の大地から』 12月、もう今年も終わってしまったような気分です。夏のことが、つい昨日のできごとのようで、あまりにも早い時の流れにあわてています。 夏といえば、今年はかなり不快だったなぁ。 梅雨明けと同時に、両腕に赤いブツブツがびっしり。痒い、痛い、それに見た目も気持ち悪い。薬を塗っても冷やしても、いっこうに治らない。かきむしりたいのをガマンすると、それがストレスになって、さらに不快。悪い虫に刺されたのか、光線アレルギーなのか……、あれこれ悩んでいるうちに秋になり、嘘のように赤いブツブツはひっこんだのでした。 何かを触ってしまっただけで、突然全身に水泡ができ体中から膿が噴き出したら……、そしてどんな治療でも治らず、その後遺症を一生ひきずり、仕事もできなくなり家庭生活も営めなくなったら……。 何かを踏んだだけで、手足が吹き飛び、命を失ったら……。 これは仮定の話ではなく、中国で今も起こっていること。原因はあの戦争で日本軍が中国に遺棄してきた毒ガス兵器や砲弾。何千人もの方が被害を受けているそうです。この事実を知った時、私は身がすくみました。 海南友子(かなともこ)さんという若い監督が、このドキュメンタリー映画を作っています。 詳しくはこちらのHPをご覧になって下さい。http://kanatomoko.jp.todoke.net/nigainamida/niga_index.html ずっとこの映画を見たいと思っていたら、国分寺で上映されることを知りました。 ●ドキュメンタリー映画 『にがい涙の大地から』 上映会 ●12月9日(日) 国分寺労政会館 第1回上映14:00〜、第2回上映17:00〜 主催:うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会 私の不快な夏は終わりました。けれど、中国の大地にはいまだに日本が遺棄した兵器が残り、人々を苦しめ続けています。悲惨な戦争は終わっていません。 この映画をみて、日本の戦争責任ということをしっかり考え続けたいと思います。 2006.11.24(金) 歩く
また昨日も歩きました。小作(おざく)に仕事で出かけ、その帰りに歩いたのです。JR青梅線の小作駅から拝島駅まで。小作発15時10分、拝島着16時35分。1時間25分、歩きました。 線路沿いにずっと道があるので、ひたすらまっすぐに歩いたのでした。 難関は拝島駅の手前、ここで直線だった道がとぎれます。住宅街は入り組んでいて、行きつ戻りつ……。 「ここは行き止まりですか」と工事事務所の方に尋ねると、親切に駅への近道を教えてくれました。感謝!そのお陰で、暗くなる直前に駅にたどりつきホッとしました。 私が「歩く」ようになったきっかけは腰痛。3年前の早春、ひどい腰痛に。その頃、イラク反戦の「ピースウォーク」があり、友人に誘われたのでした。行きたいけれど、痛くてダメ。腰痛に効くことはあれこれ試しましたが、さほどよくならず、気分はうつうつ。4〜5ヶ月も腰痛が続くと本当に滅入ります。このまま一生すごすのか……。 そんなときに「あんた、歩いてみたら」と家族からの進言。藁をもつかむ思いで始めました。1日30分ほど歩いて3〜4ヶ月、腰痛は軽くなりました!1年もすると足も鍛えられて歩く速度も早くなり、ほぼ完治。 今では「歩く」という意思よりも、体の方が「歩きたい」と言っています。 拝島にたどりついて、飲んだ1杯のコーヒーはおいしかったなぁ。「D」というチェーン店です。 「D」にはここ数年、拝島に行くたんびに入ります。「いらっしゃいませ」とやわらかな声。いつも同じ人。 感じの良い人で、その声がとても心地よく響き、疲れを癒してくれました。 2006.11.23(木) 玉川上水散歩
昨日は久しぶりに一日中遊びました。玉川上水を2時間半ほど歩いて昭島まで行き、映画をみてきました。西武線の玉川上水駅から武蔵砂川駅のあたりは木々が繁り、小鳥の宝庫でした。 梢からうるさいくらいに小鳥のさえずりが聞こえてきました。住宅街でよく見かけるムクドリ、ヒヨドリ、シジュウカラはいっぱいいました。ギューイとだみ声をはりあげているのは、すがた美しいオナガのようです。 中でもかわいらしいのは、白と黒のシマ模様のコゲラ。コゲラはキツツキの仲間なので、木の幹の周りをコンコンとクチバシでつつきながら、せわしなく動き回っています。 ヤマガラも見ることができました。シジュウカラに似ていますが、ヤマガラのお腹は明るい茶色でカラフルです。地面をつついたり、木に飛び移ったり、そのしぐさはとても愛嬌があります。 ヤマガラは、人が近くを歩いていても、驚いて飛び立つようすもありません。そこで、デジカメで撮ろうと思いました。が、どうしてどうして、そうことはうまく運ばず……。ほとんどは失敗。かろうじて撮った写真がこれ。虫をくわえているヤマガラです。 鳥を上手に撮りたいなぁ。もっとデジカメ修行をしなくては……。 2006.11.15(水) 待ち人来たらず……
今日は仕事の電話や集金やらが来るはずの日。ずっと待っていたけれど、ついに電話も鳴らず、ドアを叩く音もない。まぁ、いいか。のんびりとお茶でもと思い、後ろを振り向くと猫。花ちゃん?呼びかけても何か違う。目の悪い私、外猫さんを花子と勘違いしていたのでした。あっ、窓をあけっぱなし。いらっしゃったのは、マムシ君。マムちゃんは春ごろから来るようになったのですが、私はこの子が怖い。そのわけは……。ちょいと手を出したとき、シャーッとやられたのです。ピューと血が噴き出して、あーイテテ。そして、マムシ君と命名。そんなわけで、彼には不用意に触れないようにおつきあいしてきました。 しょっちゅういらっしゃるところから察するに、心の中では「あいつは敵ではない」と思っているのでしょう。この頃は、ときどき上がりこんできます。落ち着いた様子でくつろいでいる姿は、まるで我が家の子みたい。 「あんた、ウチの子になる?だけど、そのためにゃ、触らせてくれなきゃねぇ」と言うと、「はぁ、何言ってるのさ。ここをオイラのテリトリーにするために来てるんよ。うっ、かゆ、かゆ」と後ろ足で首をかき始めました。「や、やだよぉ、ノミの卵なんか落とさないでね。ごめん、それをやるんだったら外でやって」とおそるおそる外に追い出しにかかった私。……これは外猫差別かしら。日頃、差別はいけないなどと大義を語っている人間の私。ウームと考えました。 そういえば、かつてご近所の方が、「今度、引っ越すの。この地域の子どもや学校って悪いという評判だし」と引越しの挨拶をされたとき、すごくいやーな気がしました。リベラルな思想をお持ちだと思っていた分だけ、そのことばは後味が悪かったのです。これは明らかな差別だよね。 マムちゃん、ごめんよ。私はノミがいやなだけだから。また、きてね。 2006.11.12(日) はじめまして
日記の表紙に使った写真は、私の家族、花子です。10歳半の中年。ごらんのとおり、どう見ても美しいとはいいがたい毛色。
こういう毛色を“さび猫”といいます。わびさびのさびではなく「錆」。文字通りさびたような毛色からこう呼ばれているようです。この写真を撮ったのは妹。デジカメで花を撮るのが上手です。その妹と一緒に今春からハーブ栽培を始め、借りた畑に自然に生えてきた紫蘇も育てました。夏が終わったころ、紫蘇の実がなり、「紫蘇の実漬け」を作りました。簡単に思えた作業は、けっこう大変。何時間もかけて出来上がったのは、ほんのわずかでした。(そして、塩を入れすぎたのか、ちょっとしょっぱかった) リビングのテーブルで、妹と二人でその作業をやりました。紫蘇の穂から実をもぐのは気の遠くなるような作業。指先は真っ黒に染まり、肩がこってきて、ふと「家内制手工業」という言葉が浮かびました。 そのときに「リビング ファクトリー」というタイトルで日記をつけたいなぁと思ったのです。 さて、これからどんな文字が綴られることでしょう。私も花子と同じように中年。体もさびつきはじめて、いつもどこかしら調子が悪かったりです。でも、せめて心はさびつかないように磨かなくちゃ、ネ! |