2007年10月〜12月の日記 平穏に暮らせたらいいなぁ……。 のんびり、ゆったり。 だけどね、そうとばかりは言ってられないことも たくさんありますね。 日々感じることを書いてみようと思ってます。 2007.10〜12/7〜9/1〜6 |
う〜〜、イテテ。右手、右肩、首、背中……痛い痛い。 アチコチのお掃除をまとめてやろうってのが、そもそもの間違い。こんなことなら、こまめにやっとくんだったよね。さぼりにさぼった掃除のツケが、一挙に体の痛みとなって出てきて初めてわかる自分のだらしなさ。 家の中は外から見えないけど、庭ばっかりはそうはいかない。外から丸見えだもの。それで、一昨日せっせと掃除を始めたら、雨。中途はんぱのままで終わってしまった。まぁ、いいか。道路側は一応きれいになったことだし。 落ち葉かきは半分しかできなかった。まだ、たくさん残っているなぁ、やれやれ。じつは、この落ち葉を畑の堆肥にするつもりだった。ところが、堆肥作りは落葉樹なら何でもいいってわけじゃなかったのだ。雑木林に生えているクヌギやコナラなどの落ち葉は、3ヶ月くらいで堆肥になるという。しかし、柿や桜は堆肥には向かないらしい。ウチの庭にあるのは柿と桜だけ。残念だった。 堆肥には役立たない柿だが、果実は鳥の好物。まだ残っている実を、メジロが美味しそうに食べていた。 庭掃除をする度に思い出すのは、猫のサクラである。(2年近く前に天国に行ってしまった) サクラは庭掃除が好きな猫で、私のあとをついてまわった。木の枝を鋏で落としているというのに、そばで長い尻尾をくねくねさせる。「サーちゃん、お尻尾を切っちゃうよ」などと、おしゃべりしながらの庭掃除だった。 そんなことを思い出して掃除をしていたら、近所のシマちゃんが来た。この猫は最近ウチに来るようになった若い猫。警戒心まるだしだが、私のことが気になるらしく、つかず離れずの距離から観察している。 「シマちゃん、遊びに来たの」「大丈夫だよ、そばにきても」「サクラによく似ているね」などと話しかける。やさしい気立ての子のようで、じっと私を見つめ返す。こんなふうに猫とおしゃべりをしている私は、はたから見たら奇人変人かな。疲れ果てた庭掃除だったけれど、シマちゃんとの会話は心癒された。 先週(12/15)のことだが、空堀川を下ってみた。(早く日記を書かなくちゃと思いつつ、更新が滞ってしまった) 近所を流れる空堀川が太平洋に注ぐんだと思うと、胸がわくわくした。太平洋まで歩くことはできっこないが、せめて清瀬市にある柳瀬川との合流地点ぐらいは確かめたかったのである。 下流に行けば行くほど水量が増し、川は豊かになるものと私は期待していた。久米川駅(東村山市)付近までは軽い足取りで歩いた。流れもさして変わらず、鴨や鷺がいて、釣り人もいる。 さて、これから川に沿って東村山市縦断だ、と私は意気込んでいた。合流地点の水の流れを想像し、ますます気分は高揚した。しかし、歩を進めるに従い、川の水量は減っていくではないか……。水鳥の姿も少なくなった。そして、しばらく歩き、「ふれあい橋」にさしかかったとき、なんと、そこで水の流れが消えた! そんなことってありか?! 私は何度も川を振り返ってみた。そこにあるのは石ころばかり。 意気消沈して歩いていくと、ところどころ排水が注いで、川らしき様相を呈す部分もあった。が、それは水溜りに等しい。水のない川というのは、あまりにも寂しすぎた。砂の道路のような空堀川を見ているうちに、歩く元気がなくなってしまった。ふと電柱を見ると、「清瀬市梅園」とある。柳瀬川まではもう少し。でも、もう私は疲れて歩けなかった。幸運にも西武線秋津駅が近かったので、電車に乗って帰ってきた。 3時間ほどの短い“旅”は、何故この川に「空堀(からぼり)」という名がついたかを教えてくれた。 最近、家の近くの空堀川も、水量が減ってきたような気がする。それでも、水鳥たちはたくさんいて、散歩に行くたびにカワセミにも出会う。水がなくなった下流から鳥たちが集まったのだろうか。 この川は、雨量が多いと氾濫し、水害もあるらしい。それが信じられないほどの涸れ果てた下流だった。写真は下流にある「栗木橋」の上から撮ったもの。川の存在証明のように、わずかな水溜りがあった。 「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが」ではじまる昔話。ここに登場する老人の年はいくつぐらいだろう。寿命が短かった昔、結婚は今の中学生の年齢でしていたわけだし、30代で孫がいる人なんてざらにいたに違いない。すると、50代の私なぞは充分におばあさんということだ。 久しぶりに庭掃除をしたら、枯葉の下からカモミールの芽が出ていた。 今年は畑でたくさんのカモミールの花を収穫した。カモミールは夏になっても咲き続け、その花をベランダで干していたのだが、過ぎたるは及ばざるが如し。あの暑さの中で、カモミールはカラカラに乾燥し、少し触っただけでもボロボロと崩れ、粉のようになってしまった。せっかく手間隙かけたのに、もったいないなぁ。 それで、私はザルを片手に、夏空にその粉を撒いた。風にのって、いろんな場所で咲いてねー、と。 このカモミールは、その時の種が芽を出したのだろう。さて、他の種はどこまで飛んでいったことやら。日当たりのいい場所に着地し、花を咲かせてほしいものだ。 いつのことだったか、散歩途中で初老の方と話したことがあった。「団地の空地に、黄花コスモスが咲いていますね」と言うと、「あっ、あれは私が蒔いたコスモスですよ」と答えられた。その時まで、私はあのコスモスが自然に生えてきたものと思い込んでいた。だが、園芸用の花は雑草に負けてしまうとのこと。だから、生い茂る夏草を抜いて、その方がていねいに世話をしてきたということだった。 この頃、いろんな空地できれいな花をよく見かける。あの花たちは、どこかの花咲かばあさん・じいさん、いやいや花咲かねえさん・にいさんたちが咲かせているのだろう。 今日、ウチの母さんは遊んでいます。あっ、あたし?花子ですよ。母さんが熱心に何かをやっているので、覗いてみたら…。にゃーんて、アホラシイことをやっているんでしょ、まったく! 右の画像を見てくださいな。あたしをこーんな画像にしちゃって。(マウスを右画像にのせたままにして見てね) さっきね、あたしはものすごい勇気をもって、外に出たんです。だって、外は何が出るかわからないのよ。車はおそろしい音を出して走っているし、近所の猫がいつやってくるかわかったのもではない。 そんな恐怖を味わいながらも、外っていいわよねー。外気を吸うと、新鮮な気分になるから。そう、気分転換なの。そのあとのお昼寝は最高。 人間てのは不思議な生き物だって、つくづく思いますよ。ウチの父さんも母さんも、やたらあたしを触りたがるわけ。だけど、あたしは触られるのがイヤ。布団の中に引きずり込まれるのなんか、まっぴらごめんだわ。それなのに、「花子は猫らしくない」って、いつも言ってるのよ、ウチの「両親」は。父さんなんか、「サクラはよかったなぁ。目が合うと膝の上に乗ってきたもんな」だってさ! 「バナコ、おまえは養子に行け!」だってさ。バナコって、わざと濁点付きで呼ぶんだから、意地が悪いよね。 「養子にもらってくれる人なんているわけないよ」と、母さんは言う。それだってプンプンだわさ!あたし。 「いや、そんなことないよな、バナコ。タマコ(※)さんとか、森さん、林さんとかいるだろ。川原さんもOKだよ」 そうよ、あたしは人気者、父さん、わかってるじゃないのと思ったら……。母さんが「えっ、そんな人、知り合いにいたっけ?」。「あー、人間じゃないけどね」と父さん。なんて、意地が悪いんだ!人間って。 ※タマコさん……東京都の水がめ(貯水池)、多摩湖のこと。 休日になると、ウチには私と花子(猫)しかいない。「休みぐらい家族旅行とか行かないの?」とよく言われるのだが、ウチのおじさんは自分の趣味に忙しく、家にいたことがない。 そんなわけで、この3連休も一人で過ごし、毎日散歩をした。 「花子もいっしょに行く?」と誘ってみたが、彼女は「あたしはダメ。ウチの庭以外は怖くって出られないにゃー」という。残念! いつもより遠くまで散歩をした。空堀川から多摩湖にまわり、狭山丘陵はずれの森を抜けて帰ってきたり。 ムフフ、収穫あり。連休一日目に空堀川でカワセミと遭遇。(以前も見かけたが、それは遠くの小さな姿だった) 今回は橋のすぐそばにとまっていた。鮮やかな羽がとってもきれい! そっと近寄ったら、目にも止まらぬ速さで飛んでいってしまった。けれど、昼間の川には小鷺、鴨、セキレイなどの鳥たちがたくさんいて、それだけでも充分目を楽しませてくれる。 鷺が飛びたった。青空を飛翔する白い鳥、その姿は自由で美しい。それを見て、「私も鳥になりたい」とありきたりのことを思って照れくさくなり、そんな自分がおかしくて一人笑い。 そうこうしながら、私お気に入りの場所に着いた。(写真) そこは広い原っぱ。ここには柵がないので、自由に川原に降りられる。草の上を歩くのは気持ちがいい。すっかり無邪気になって歩いた。 すると、少し前の小枝にとまっているカワセミが目に入った。無邪気さは幸運をもたらしてくれる。写真も撮ることができた。(出来は悪いけど……) 昔、空堀川は東京都でも屈指の汚い川。私が子どもの頃は、ヘドロが浮いているドブ川だった。魚1匹、見たこともない。今は、魚や鳥やタヌキやいろんな生き物が集う川になり、本当にうれしい。川を汚したのも人間、復活させたのも人間。散歩するたびに複雑な思いがする。 先週の夜、また空堀川近くを歩いた。タヌキに会えるといいなぁと思って。 草の繁みもなくなり、水鳥たちの数も減った空堀川は、初冬の気配が漂っていた。枯れ草の上で寒そうに身を寄せている鴨や川原の真ん中を闊歩するブチ猫がいたが、夜の空堀川は閑散としている。「タヌキの家族はどこに行っちゃったんだろう」と残念に思い、ウチに向かう橋を渡った。 と、その時、橋の下で動物の影。一瞬、タヌキかと思った。 覗き込むと、その動物はすばやい身のこなしで向きを変え、川を渡った。そして、コンクリートの配水管にパッと飛びついた。尻尾は縞模様。アライグマ! もちろん、そう直感しただけのことで、本当にそれがアライグマかどうかはわからなかった。今まで、野生のアライグマを見たことはなかったのだから。 インターネットで調べて、本物のアライグマだと確信した。やはり、あの尻尾のしましまはアライグマの証拠。 でも、さまざまな記事を読んで、気分は落ち込む。「害獣」という文字がやたら目についた。アライグマは歓迎されていないのだった。駆除とか防除とかが条例化されている地域の多いことにも驚いた。その理由は、農作物への被害、在来種(タヌキ、キツネ、野鳥など)への脅威、感染症(狂犬病、回虫)の懸念などのようである。 アライグマは北米原産。それなのに、なぜ駆除するほど日本全国にいるのだろう? テレビアニメ(1977年)の影響もあってペットブームが起こり、大量に輸入されたという。しかし、ペットとしては不向きであったのか、逃げ出したり捨てられたりしたものが野性化した。アライグマは雑食でたくましかった。おまけに、日本には天敵もいない。そして、「害獣」になってしまうほど繁殖してしまった。 検索していて、『ぜったいに飼ってはいけないアライグマ』 (さとうまきこ著 理論社)という本があることを知った。アライグマを飼っていた著者の体験が綴られているらしい。機会があったら読んでみたい。 悲しいペットの行く末……。空堀川のアライグマには、そっとそっと生き延びて欲しいと思った。 ホームページを開設して1年が経ちました。下手な文章の羅列でしたが、1年間続けてきて自分が変わったような気がしています。 以前は、インターネットを開くのも、それほど好きではありませんでしたし、まさか自分がホームページを持つなどとは想像もできませんでした。 そんな私がなぜ始めたのか……。 一つは、文を書くことへの憧れ。心の中は、いつも誰かにおしゃべりしたくてたまらないことがいっぱい。「何か書きたい」という想いは、私の中にずっと前からあったようです。しかし、いざ始めてみると、四苦八苦でした。 もう一つのきっかけは、友人から頼まれて作り始めたホームページ。初めは何がなんだかわからずに、ただソフトだけを頼りに作っていましたが、2つ、3つと作成させていただくうちに少し慣れてきました。そうして、自分のページも持ってみたいなという気持ちになってきたのでした。友人に感謝です。 それから、ハーブ栽培のことも記録したかったのです。植物はすばらしい命をもっていて、その成長のさまは私たちに感動を与えてくれる。葉や花を見ているだけで癒され、香りは心を安らかにしてくれる。そういうことを誰かに伝えたいとも思ったのでした。畑で一緒に汗を流してきた妹にも、改めて感謝です。 こうして日記を綴っていても、書くということ、表現するということが、いかに難しいかを実感します。私には至難の技です。でも、心の混沌としたものが多少でも形となり、自分を確かめられるように思いました。 デジカメを使うようになってからは、目に映る小さな命が愛おしくてたまりません。雑草や虫たち、その命の輝きをカメラはとらえてくれます。今回の写真は、道端に咲いていたヒメジョオンです。秋の陽射しをあびて咲いている花に、紅シジミがとまって蜜を吸っています。今までは見過ごしてきた景色でした。 これまで、リビングファクトリーに訪れてくださった方々、ほんとうにありがとうございました。 いつまで続けられるかわかりませんが、これからもよろしくお願いいたします。 ねぇねぇ、聞いて聞いて! また、タヌキを見たよ、6匹も! と、かなりハイな精神状態で日記を書いている。興奮しているためか、やたら甘いものが食べたくなって、今チョコをパクパク。 夜毎の散歩が完全にタヌキウォッチングとなり、どこに出かけてもタヌキのことしか考えていない私にとって、こんなに嬉しいことはなかった。 昨夕、妹にお願いして、車でタヌキウォッチング。「こっちに行けば会えるかもしれないよ」と多摩湖方面に回ってもらった。なかなかお目にかかれず、あきらめて帰る直前、私の目はタヌキの姿をとらえた。 「とめて!」と叫ぶや、私は車から飛び降り、タヌキのもとへ! そろりそろりと近づくと、何と6匹ものタヌキが草原にいた。ふさふさとした毛並みは立派で、地面に口をつけて何かを食べている様子だった。タヌキは私の影に驚き、いっせいにこちらを見る。「大丈夫、何もしないから。行かないで」。また近寄って、写真をとらせてもらった。ボロカメラなので、ちゃんとは写らなかったが。 写真には3匹写っている。右端に1匹、左に2匹。(木の葉の下に1匹、隣の青白い点がもう1匹の目)。あと3匹は、木の向こうにある公衆トイレの前にいた。 散歩人からお聞きした話によると、この6匹のタヌキ家族は毎夕そこに現れるということだった。毎年何匹かの子を産んでいると言う。しかし、生まれた子は交通事故で亡くなることも多いらしい。 今回タヌキと会った所から空堀川までは、徒歩15分くらいの距離である。たぶん、空堀川のタヌキはこの家族の親戚なのだろうと思った。 なぜ、私はこんなにもタヌキに夢中になってしまうんだろう。妹はあきれ顔で待ちくたびれていた……。 我は人参星人なり! エッヘン! 見てみよ、この手足と色鮮やかで艶やかな赤い肌を。立派なもんじゃろ。 そこそこ、そこの貴方、何を笑っておるのか。「できそこない、ウフフ」だと! 冗談ではござらん。我は人間に苦言を呈するために地上に現れたり。右手に持っておる鞭は、人間の無知に鞭打つためのものぞ。 我を掘り出した人間は、美しい緑の髪を引きちぎり、「どうせゴミになるもんね」とぬかし、畑に捨ておった。あー、この頭に豊かな髪があったら完璧な姿だったのに。 コヤツの無知は、我が髪の栄養を知らないこと。緑の葉っぱにはビタミンAがたくさん含まれている。それだけじゃない、タンパク質、カルシウム、鉄分などだって、たっぷりあるんだ。それなのに、コヤツは……。ああ、情けないことよ、ピシッ! それから、我の故郷を知っておるかな? アフガニスタンじゃ。ニュースを聞くたびに胸がはりさけそうになる。(「人参星から来たんじゃなかったの」だって? 変なつっこみはこの際なし!) 故郷は干ばつや戦争で大地が荒れ、人々は苦しんでいる。複雑な政治のことはわからん。じゃが、「武器による支援」だけはやめてくれ。「アフガニスタンを救うのは水と緑だ」と言ったのは、ペシャワール会の中村医師だ。いかにもそのとおり。アフガニスタンで生まれ、とうとうこんな畑まで来てしまったが、故郷の平和こそが我らが願い。我らから貴重な栄養をとって生きのびている人間たちよ、この足の1本や2本、さぁ切り取って食べるがよい。その代わり、アフガニスタンに水と緑を! 武器を持つ者に我らの命は与えない。我を裏切るヤカラは、ピシッピシッとこの鞭のお仕置きぞ。 人参星人さま、私の無知をお許しください。この話、肝に銘じますです。ペシャワール会の活動を知りたい方はこちらへ。 私の苦しみは1本の虫歯からはじまった。 4年前、奥歯が痛くなって1軒目の歯医者に。治療しても痛みは消えない。それで歯の根を調べることになった。なんと歯を一旦抜いて、歯肉に植え戻された! より痛くなった。同時にブリッジの治療も始まった。(欠損している歯があったため) ブリッジは違和感だけがあり、不快でならなかった。 不安なので2軒目の歯医者に。ひどいところだった。奥歯はあっさり抜かれ、前歯(差し歯)も抜かれた。ブリッジの治療は乱暴で、焼け付くような痛み! おそるおそる「痛くてたまらない。舌も歯茎も火事のようです」と訴えると、「正しい歯磨きをしていないせいだ。他の医院ではこんな丁寧な治療はしない」と怒り出し、「保険医療では治療の効果は期待できない」とも言った。 悩んで3軒目に。歯科医は一応私の苦痛に耳を傾けてくれた。けれど、その頃はかみ合わせもおかしくなって、あごの疲れや舌痛がひどくなり、治療しても解消しない。「治療は終わりました。舌痛は更年期から来ていると思うので、婦人科にでも行ったらどうですか」と見捨てられた。 歯茎は痛い、あごは疲れる、舌べろが焼けるよう……。治療された歯すべてが異物のように感じ、発音がうまくできなくなった。人としゃべるのもいやになってしまった……。歯医者に踏んだり蹴ったりされたまま。 あきらめ気分で4軒目の歯科医院へ。若い先生は私の苦痛をじっくり聞いてくれ、1本ずつじっくり治していった。かみ合わせの悪さや異物感はまだあったが、3年経って最悪の状態からやっと脱出できたのだった。 以上、過去3年間の歯医者通いの経歴である。一挙に複数の歯を抜かれたり、あちこち治療されると、口の中は確実におかしくなる。本当につらかった。口腔内のつらさは精神面にも及ぶことを体験した。 それから1年後の今夏、また奥歯の痛み! もう歯医者通いはこりごりだと思っていたのに。 4軒目の歯科医院で診てもらった。歯根膜炎(歯と歯肉の間にある膜の炎症)と診断され、回復はむずかしく、歯を抜くことになるかもしれないと言われた。私は落胆したが、ぎりぎりまで治療して欲しいと伝えた。若い先生は根気よく治療を続け、3ヶ月後、「もう大丈夫そうです。それにしても驚異的な回復力ですね。最初はあんなにひどかったのに」と言った。もちろん、先生のおかげ。 でも、実はもう一つ大きな“おかげ”があったのだった。それはコモンセージ(薬用サルビア)。 初夏に収穫した葉をオリーブ油に漬け込んでおいた。1ヶ月後、濃いグリーンのインフューズドオイル(浸出油)ができあがった。セージは万病に効くハーブで、歯茎の腫れにも効くという。問題の歯茎に塗ってみた。塗り始めたら、痛みは薄らいでいき、歯茎も引き締まってきたのだった。 歯根膜炎の「驚異的な回復力」は、セージがもたらしたのだと思う。セージは私を救ってくれた。 小雪さんの子どもは自立したらしい。この頃は一人でやってくる。 一昨夜も「おばちゃーん、何かある?」とびくびくした様子で遊びにきた。男の子っぽいのでシロタと命名。かわゆいでしょ! シロタはやたら緊張し、後ろや左右を警戒していた。秋刀魚の残り物を食べている時、後ろから黒い影! ご近所の飼い猫・レイちゃんだった。シロタは大きい猫に場を明け渡すしかなく退散。それなのに、レイちゃんは秋刀魚にちょっと口をつけただけで、「あら、何てまずいの」とさっさと帰ってしまった。シロタを追い出したのだから、せめて秋刀魚くらいちゃんと食べていってよ、レイちゃん。 それはともかく、シロタの警戒ぶりは同属の猫に対してではないように思えた。この頃、夜中に猫がギャオーとただならぬ鳴き声をあげ、ガサッと大きな音がすることがある。他の動物と争っているのではあるまいか。私はシロタの様子から、妄想をかきたてられた。 昨夜、月夜の晩のような胸のざわめきがして、はやる気持ちで散歩に出かけた。最近の空堀川は草が伐採されたせいか、タヌキにはとんとお目にかかれない。けれど、今夜あたりは会えるかもと。 家から3〜4分の場所に家具センターがある。そこを何気なく歩いていた。 と、目の前を太い尻尾の黒い影が走った。その影は花屋の横から現れ、農園に向かった。 気がつくと私は全速力で走って、影を追いかけていた。そして、追いついた。やっぱりタヌキだった!! たが、当然タヌキはまた逃げる。また私は走って追いかける。タヌキはお茶の植え込みの中に入って一安心したのか、しばらく私を見つめていた。私との距離は3メートルくらい。こんな間近で対面したのは初めてだった。タヌキは追いかけられて、心臓が破裂しそうなくらいに驚いただろう。 ごめんねタヌキくん、捕って喰うつもりなんかないんだよ。ただ、私は好奇心が抑えられなかっただけなの。 そう心で詫びたけれど、デジカメのシャッターで更に脅えさせてしまった。タヌキはお茶の植え込み深くもぐりこみ、どこかに逃げてしまった。(写真は失敗。慌てた私は、フラッシュをOFFにしていた) やっぱりタヌキはこんな近くにいたのだ。時には近所の猫たちと夜中のバトルもあるのだろう。もしかしたらウチの花子も、とっくにタヌキと出会って顔見知りだったりして……。そして、そのうちタヌキがウチの庭に現れるかもしれない、と私は更なる妄想をたくましくしている。 ウチの花子は11歳6ヶ月、サビ猫。体型や色はタヌキのよう。お腹はたっぽんたっぽんと垂れ下がり、歩くたんびにお腹がすだれのように揺れる。ややメタボな中年猫なのだ。 花子はお尻をパンパンと叩かれるのが大好きで、それなくしては1日が終わらない。 いつの頃からだろうか、私の風呂あがりが、花子の“楽しみの時間”になってしまった。風呂から出るのを花子は待ち構えており、ニャンニャンニャーンと催促する。「かあさん、ここ! ここでお尻を叩いて」とテレビの上に飛び乗って、尻尾をたててポーズをとる。お尻を叩かれるのが好きな子なんて、めったにいないだろうなぁ。 昨夜も勢いよくテレビの上に飛び上がった……と思ったら、ずり落ちる寸前。私は慌てて花子の体を支えた。そのあと、お尻を叩いてあげたのだが、すぐに「もう、いいよ」とテレビから下りてしまった。いつもだったら、「はい、おしまい」と言うと、猫パンチまで出して「やだー、もっともっと」と要求するというのに。 花子はうつむき、すっかり意気消沈していた。ジャンプの失敗がよほどショックだったのだろう。 今までだってジャンプの失敗はあったけれど、こんなに落ち込んだ様子を見せたのは初めてだった。 実は私も“失敗”をした。年に何回か相手先の事務所に出向き、パソコンから輪転機にデータを送って印刷する仕事をさせてもらっていた。ところが、今回は何をどうやってもできない。自分の機械ではないため、原因もわからない。途方に暮れた。今までもトラブルはつきもので、スムーズに行ったことの方が少なかったが、何とかこなしてきた。今回、仕事を完結できなかったことはショックで、いろいろ考えさせられた。 そして、この事態は、「もうこの仕事はやめたほうがいい」という機械からの警告だと感じた。 かつて私は印刷関係の仕事に携わっており、その頃はコンピュータで印刷データを作るということが“先進的”なことだった。パソコンや専用ソフトのことを取扱説明書片手に学び、試行錯誤して指に覚えさせてきた。 しかし、それから間もなくパソコンは普及し、一般の人がワープロソフトで何でも作れる時代をむかえた。フォントは豊富だし、プリンターの解像度は格段によくなった。不況もあいまって零細の印刷屋はつぶれる。 こういう時代に、その事務所が私に仕事を依頼してくださったことは、つくづく有り難いことだったと思う。 2、3年前、ある人から「あなたの仕事なんて、誰にでもできることじゃない? 代わりはいくらでもいる」と言われた言葉が、とげのように心に突き刺さったままの私である。その言葉は、これまでの私の努力や矜持を否定しているように思えたのだった。でも、今や家庭のパソコンで誰もが自由自在に、しかも簡単に印刷物を出力できるのだ。そういう意味では、彼女の言葉は真実に違いない。 印刷の仕事が私は好きだった。はじめて目にする手書きの原稿を読みながら、書き手の心を感じ、誤字や表記を整え、なるべく読みやすいようにレイアウトしていく。出来上がってしまえばありきたりのもので、自分にはデザイン力がないことを思い知るが、刷り上ったばかりのインクの匂いのする印刷物は何ともいえない。 こんな想いは、もと印刷屋のノスタルジアだろう。言っても詮方ないことを今日は書いてしまった。 ※写真はツマグロヒョウモン(褄黒豹紋蝶)のオスです。黄花コスモスとよく似合っている蝶ですね。 もう日が暮れてしまった。お外はまっくら。 今頃はゆったりと夕暮れをむかえ、読書の充足感に浸っているはずだった。ところが、予定はいつだって裏切ってくれる。 パソコンはだいっきらいだーと叫んで、パソコンに時間を奪われてしまったことを口惜しがっている今夕……。でも、その原因は私自身のあきらめの悪い性格にあるんだな、本当は。 FAX送受信の紙はたまっていくばかり。それで、「パソコンから直接FAX送信をやってみよう」と単純に考えたのが、間違いだった。 何度やってもFAX送信できない。「えー、そんなはずないよ。インターネットはこんなに便利なんだから」、私は一人つぶやき続け、あーでもない、こーでもないとパソコンをいじくり回していた。送信書類はワード。ワードには「FAX送信」の機能だってついていた。それなのにどうして? ふー、調べてわかったことは、インターネット経由ではFAXは送れないということだった。ウチはADSL回線で、これはインターネット専用回線。だから、ダイアル回線のFAXは使用できないらしい。 ダイアル回線でインターネットを利用していた時には、その速度の遅さと通信料の高さという不便さがあった。たが、ダイアル回線はパソコン内の文書を直接FAX送信できたのだった。 ということは、ダイヤル回線をパソコンに繋げばいいってことだよね。そうひらめいて、昔使っていたダイアル回線用のモジュラージャックを探し出し、接続してみた。ピンポーン、ピンポン、ピンポン!!! 私の頭の中では、インターホンやら卓球の音が鳴り響き、ダイヤル回線はFAXを送信してくれた。こうして、時間を浪費し続け、やっと成功し、諦めの悪い私の性格はようやく納得してくれたのである。 ……ああ、だけど、こんなことでいいのかな。パソコンやインターネットが便利だといっても、そこには人の生の声、表情の豊かさはない。メールだって、開かなければそれまでだ。やっぱり大切なことを伝えるには、アナログでなくてはならない、と自戒もこめて思う秋の夕暮れである。 頭が疲れたので、先日写した蝶の写真をアップ。コスモスの蜜を吸うヒメアカタテハ(姫赤立羽)です。 |