リビングファクトリー★管理人のよしなしごと 日記
猫の花子
2008年1月〜12月の日記

平穏に暮らせたらいいなぁ……。
のんびり、ゆったり。
だけどね、そうとばかりは言ってられないことも
たくさんありますね。

日々感じることを書いてみようと思ってます。


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2008|20072006
2008.12.31(水) 相変わらず   
柴又の寅さん  「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎……」は映画『男はつらいよ』の寅さんの口上だが、秋、念願の柴又に行ってきた。柴又駅前には寅さんの銅像が今にも歩き出しそうに立っていた。寅さんが諸国を旅して帰るのは柴又、そこには叔父夫婦と妹家族がいる。帰る度に大喧嘩をして、又柴又駅から旅に出る寅さん。ユーモラスであり、哀しくもあり、そして心が温まる映画だ。映画の中の柴又は、ずっと変わらない場所としてあり続けた。

 今年の漢字は「変」だそうである。経済のことはよくわからないが、何かがちょっとおかしくなるだけで世界中が揺れ動く。庶民は流れに翻弄される木の葉のようだ。
 あっ、そういう難しいことはともかく自分のことを書こう。私は相変わらずだ。
 思えば、ずっとずっと前から相変わらずだ。その昔、女性の経済的自立を目指そうと思ったことがあった。時流に遅れまいといつも焦ってはみる。けれど、私には常に何かが欠け、中途半端であきらめる。それだけではない。世間一般と上手に付き合って生きる術すらなかった。あとさきを考えず本音を言ってしまったり、人間関係を考慮せず何かをしゃべっていたり。思い出すだに恥ずかしいし、私自身けっこう辛かったのだ。
 私に欠けているものは何だろう。それは自信と平衡感覚か。
 年が終わろうとする今、自分自身のことを少し真面目に考えてみた。あれこれ思いを巡らせて、辿り着いたのは「劣等感」。自分は何をやってもダメな人間だと思う反面、そのことを誰かから指摘されるのが怖ろしい。そういう潜在意識がずっとあり続けたような気がする。
 今更、その「劣等感」を払拭するのは至難の技に思える。50年以上も付き合ってきたのだから、いっそのこと「劣等感」をやさしく見つめてあげてもいいかな。今更、私がキャリアウーマンや底抜けのいい人になれるのでもないのだから、“相変わらずの私自身”に居直ってもらおう。なるべく、向上心は持つようにするから。

 こんな生き恥を晒しているような私であるからこそ、1年を終えるにあたって、周囲の方々に深く感謝しなければとつくづく思う。このHPを読んでくださった方々、お付き合いくださった知人・友人、一緒に暮らしてきたきょうだい・家族のみなさん、ありがとうございました。



2008.12.19(金) 連理の根?  相思相愛、深い契りの人参
根のくっついた人参  まだまだ大丈夫と思っているうちに師走も下旬に突入してしまった。はぁ〜。

 先週のこと、「もう、人参ができたかな」と引き抜いてみた。5月に種蒔きした人参だが、育て方が悪かったらしく、なかなか大きくならなかった。色艶もこのとおりよろしくない。そして、この格好! 地上部の茎は2つ、地下の根は1つなのだ。相思相愛の男女を「連理の枝」というが、これは「連理の根」かなぁ。 以前(07年10月)にも人参星人が現われて驚いたものだが。(それは母が作ったので、色艶はよかった)
 ウチの畑は変な格好のものが出現する確率が高いのか? いやいや、違う。相思相愛の人参は、間引きをしなかったのが原因だと思う。根が込み合って結合してしまったと推測できる。あー、ホントに私たちは素人だ……。勉強不足だ……。

 「連理の根」から、ずーーーっと昔に習った漢文を思い出した。
 「天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝」という『長恨歌』(ちょうごんか/唐の白居易の詩。806年)の一節。玄宗皇帝が一目みたら国を傾けてしまうくらいの美人を得たいと思い、手に入れた楊貴妃。初老の玄宗が若い絶世の美女に溺れているうちに、本当に国は傾きかけ“安禄山の乱”というのが起こってしまった。そして、楊貴妃は殺されてしまう。その悲しみを詠った詩だった。
 「比翼の鳥」は雌雄それぞれ一目一翼、常に一体となって飛ぶそうだ。想像もつかないが、何だかとっても飛びづらそうな感じがしてしまう。「連理の枝」は根は2つだが、地上で枝が繋がっている。どちらとも相思相愛、深い契りを結んだ男女(夫婦)を喩える場合に用いるらしい。
 この喩えはやけにエロティックに思え、そしてすごく不自由な感じがしてしまう。こんなに身動きがとれそうもない関係なんていやだよと思ってしまうが、それは私が熱愛をしたことがないからだろうか。
 国が傾きかけているような暗いニュースが毎日続く年末。リストラ、解雇、失業者などのみだしばかりが目に付く。為政者は今こそ庶民の生活や不安を見て政治を行ってほしい。われわれ民あっての国なのだから。



2008.11.26(水) レッドアンデス  秋の赤いジャガイモを収穫!
赤いジャガイモ(レッドアンデス)  昨日、バケツに1杯、ジャガイモを収穫した。それはレッドアンデスという赤いジャガイモである。(サツマイモではありません、念のため) 別名はアンデス赤といい、最近ちょっと人気の品種で、アンデスの原産種(ソラナム・フレハ)と紅色の皮を持つ品種(アーリーローズ)との交配種だそうである。

 プハッ、ゴトンと音がした。とりたてのレッドアンデスを早く味わってみたいと思い、小ぶりの芋1個をレンジでチン。そしたら、レンジの中でジャガイモが跳ねたのだった。一応火が通ったようなので、食べてみた。
 他のジャガイモと比べると味は少し粘り気があって濃い感じがする。黄色の身にはカロチンが多く、赤い皮にはアントシアニンが含まれているそうだ。ビタミンだって、たくさん含まれているらしい。

 こんなに優れもののジャガイモがとれたとは! そして、私は喜びにひたり、ウフォッフォと笑う。
 実は春のジャガイモは失敗した。収穫時期が遅れたためか、ゴツゴツしたまずいものになってしまった。それが残念だったので、一か八か実験的にやってみたのが秋のジャガイモ作り。
 夏頃、新聞にジャガイモが特集されていた。そこには「秋にも収穫できるジャガイモ」が紹介されており、その一つがレッドアンデスだった。レッドアンデスなら、もらった小芋が残っている。「よし、やってみよう」と9月中旬に植えたところ、どんどん伸びた。メークインや男爵も植えてみたが、こちらはほとんど伸びなかった。
 今週、霜で葉は完全に枯れた。先週まではジャガイモの花もちらほら咲いていたが、急激な季節の変化は植物を一変させる。そして、掘ってみたら、こんなにちゃんとしたジャガイモになっていた。
掘り出したレッドアンデス つくづくレッドアンデスのすごさに感心する。年に2回も収穫でき、しかも栄養はバツグンだなんて。(難は小粒が多すぎること)
 アンデス原産といえば、トマトやトウモロコシもそうだった。私たちの食生活はアンデスのおかげで、ずい分豊かなものになっている。私たち人類はアンデスの植物に深く感謝しなければならないよね。食物をもっと大事にしなければと改めて思う。



2008.11.12(水) メランコリー  
空堀川の小鷺  今日は肌寒い日でございましたわねぇ。
 えっ、いつになく言葉遣いが丁寧ですって? あら、いやだ、だって私は空堀川の小鷺でございますよ。この品のいい容姿を見ればおわかりでしょ。
 まっ、それはジョーダン、冗談。私だって、上品ぶって生きているわけじゃないのよ。こうしてね、この空堀川に佇んでいるは食べるため。
 長い足もしなやかな首も鋭い嘴も、小魚を採るためにあるんです。全身を使って捕獲するの。あなた方人間が「優雅だ」「きれいだ」って、私を褒めてくださるのはありがたいんですけれど、伊達でこうして立っているわけじゃないの。鵜の目鷹の目、いえ、鷺の目で小魚を探しているんです。
 ミチコさん、あなたは気楽でいいわねぇ。お腹が空いたといっては買ってきたものを食べ、歯が痛くなったといっては歯医者に通って。そういえば、今日は歯医者の帰りなんでしたわね。お家に帰れば、灯油や電気を使って温まるのね。私は、そんな人間たちこそ優雅に思え、不思議でしょうがないの。

 はい、空堀川の小鷺さん、すみません。実は私、こんな自分を顧みて憂鬱な気分。まっ、一応毎日働いているつもりなんですが、人間社会の中では認知されない労働なもんで……。今は“お金”を使って暮らしているけど、この先どうなるのか考えると本当にメランコリー。どこかの国の首相が「庶民の生活が苦しい?アッ、ソウ、じゃ給付金を配る」などと言い、それがあまりにもメチャクチャな政策なので世間を騒がしてます。行政に頼るつもりはないけれど、私は生きるための画期的なアイデアも産み出せないので不安で憂うつなのです。
 そういえば、メランコリーには「黒い胆汁」という意味もあるそうですよ。語源はギリシャ語(melancholia)にあり、「melan」が黒いという意味の接頭語で、「cholia」が胆汁だとか。昔のヨーロッパでは黒胆汁が広がると憂うつになると信じられていたそうです。あわわわわっ、もしかして私の体は黒い胆汁がいっぱいになっているのかしら。ぎゃー、どうしよう。(黒胆汁は想像上の体液で、実際には存在しないとのこと)
 今日は小雨で寒かったから、こんな気分になっちゃったのかもしれないですね。そうだ、今は稔りの秋。芋があったあった。青菜と物々交換したさつま芋と里芋です。芋の煮っ転がしでも食べて、メランコリーを追い出すことにしよう。空堀川の小鷺さん、あなたにもあげたいけど芋はダメよねー。



2008.11.3(月) てんもうかいかい  「天網恢恢疎にして漏らさず」を考える
犬のフン持ち帰って下さい  散歩をしていたら、ある場所で「犬のフン」(写真)の貼紙を見つけた。
 ほほー、こんな手もあるのかと感心しきり。
 人も歩けば糞に当たる。特にここらへんは犬の散歩銀座なのだろうか。朝夕の犬の散歩の多さには目を瞠る。その中のどれくらいの人が糞を放置していくのかはわからないが、あっちにもこっちにも犬の糞が転がっている。最も困るのがウチの真ん前にされること。片付ける度に腹が立つのだ。
 この頃、畑の小屋に花や野菜を数束置き、「1束100円」で売っている。1日、2〜300円しか売れないけれど、買ってくださる方がいることに感謝感謝である。ところが、花や野菜を置き始めて、泥棒さんの多いことにも驚いた。1束10円、5円、1円で持っていく人がいる。そばに「お金入れ」の缶カラが置いてあるので、一応入金していれば怪しまれないという用心の金額か。置きっぱなしにしておくと、全部誰かが持ち去っていくこともある。

 天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず──この言葉を知ったのは、いつのことだったか。政治汚職のことが話題になった時、どなたかが「テンモウカイカイ……って言葉があるでしょ」と言われた。聞きなれぬ難解な言葉にチンプンカンプンの私は、その意味を質問したことがあった。
 天網とは悪事を逃さないために天が張った網のことだそうである。恢恢とはひろくゆったりとしている様子らしい。つまり、天の網は目が粗いようだが、決して悪事を漏らすことなくひっかけて、それを罰するということ。
 「天網恢恢疎にして漏らさず」は『老子』(老子が書いたという書物)の73章にある。そして、それを書いた老子は紀元前5世紀の人。そんな昔から人はこうして戒められてきたのだな。戒めても戒めても、悪さをする人は絶えることがない。もちろん、老子は犬糞の垂れ流しや野菜泥棒ごときのみみっちい“悪”を戒めたのではあるまい。だが、小さな悪さをしている人は罪の意識がほとんどない。だから余計、始末が悪いと思う。
 「疎にして漏らさず」であってくれれば、世の中、とっても平和で暮らしよくなると思う。だけど、どうも天の網は恢恢のままで、悪政から小ワル市民の行為にいたるまでひっかけてはくれそうもない。
 とすると、頼りになるのは、人の監視の目、批判の目というところだが……。ウチの前の犬の糞、早朝の仕業ゆえ、朝寝坊の私は早起きできずに悪人を見つけることすらできない。



2008.10.21(火) 映画『ホテル・ルワンダ』  じわじわとこみあげてきた感動
映画『ホテル・ルワンダ』  日曜日の私はかなり寂しい。一人で過すことが多く、「まったく、ウチときたらねぇ。たまには一緒にどこかに行くとかさぁ…」と家人にイヤミを言って送り出した。それで、しょうがないので、いつものように一人で散歩に出かけた日曜日。
 テクテクテクと歩いていたら、急に胸が熱くなって涙がこみあげてきた。
 あー、この感情は何だろう? うわー、この涙をどうしよう……。
 歩きながら考えていたのは、土曜の深夜に見た『ホテル・ルワンダ』のことだった。1994年、ルワンダでは民族対立が激化し、約100日間で100万人の人々が虐殺されたという。その時、高級ホテルの支配人ポール・ルセサバギナが、1200人以上もの人々をホテルに匿い命を救った。その実話に基づいて作られた映画だった。
 時間が経つにつれ、じわじわと感動が広がり、様々なシーンがよみがえってきた。

アフリカの地図 ルワンダ アフリカの出来事だとは承知していたが、どんな映画か私はほとんど知らなかった。民族対立という内容から、物語の舞台はアフリカの大地だと勝手に想像していた。ところが、舞台は近代的な高級ホテル。主人公のポールは真っ白なワイシャツを着たスマートなホテルマンであり、彼の家族や親戚は欧化された豊かな暮らしをしている。ポールは家庭では良き父・良き夫であり、仕事では有能なホテルの支配人だった。ここだけを見ていると、まるでアメリカ映画のようであった。これほど欧化された暮らしのどこに“民族対立”があるのだろうかと不思議に思ったくらいである。
 けれど、巷間では急激に不穏な空気が蔓延していった。
 これまでルワンダではツチ族とフツ族が対立しており、その遠因にはベルギーの植民地時代の支配が影響していた。フツ族の多くは貧しい。フツ族の不満・怒りはツチ族に向かう。「高い木を切り倒せ!」その言葉を合図に、民兵がいっせいにナタを持ってツチ族に襲い掛かる。暴徒化した人々の猛々しさ、背筋が凍るような“狂気”にルワンダは包まれた。
 ポール自身はフツ族であったが、妻や親戚はツチ族であった。まずは家族を守ろうとする。けれど、ホテルには多くの人々が救いを求めてきた。彼は自分の持てる力のすべて使い、人々を守った。ホテルに入り切れるだけの人々を匿い、ギリギリのところで助けることができた。──こう書いてしまうと、あまりにも簡単すぎるが、映画は迫り来る恐怖と心が張り裂けそうな緊迫感をスリリングに描いていた。その中で人々を救うのは奇跡に等しい。奇跡を起こしたのは、ポールの英知と勇気だったと思う。それは私に感動を与えたのである。

 「ああ、生きのびることができてよかった」、まるで私自身がポールに助けられた人々の一人であるような錯覚にとらわれる。散歩中のこみあげてきた涙はこの感情によるものだったように思う。
 ルワンダの出来事は最近のことで、「ツチのゴキブリども!」と喚きながら、一般の人々がナタを振り上げる映像は実際にあったことだろう。ナチのユダヤ人虐殺を連想させるし、人間はここまで凶暴になれるものかと目をそむけたくなる。では、私たち日本人は誇りをもって過去を語れるのか。戦争という国家規模の罪は、そうたやすく清算できまい。『ホテル・ルワンダ』は民族や国家、戦争を深く考えさせる映画だと思った。

★製作は2004年、イギリス・イタリア・南アフリカの合作。日本では興行映画として評価されず、どこの配給会社も買わなかったそうです。若者を中心にした〈『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求める会〉がこの映画を宣伝し署名を集めた結果、2006年に日本公開が実現されました。今はDVDも出ています。私は土曜深夜にBSの放送で見ました。



2008.10.13(月) おいしそうなキス  ドラマ『ジェイン・エア』(BBC)を観て 
『ジェイン・エア』(BBC)のジェインとロチェスター  さてさてさて……どう書いていったらいいだろう。
 私は『ジェイン・エア』(Jane Eyre)を観た。それで印象的だったのがキスシーンだったのだ。ジェインロチェスター氏がチュッチュッチュッとさもおいしそうに何度も何度もキスするシーン。
 チュッチュッチュッ……小鳥が囀りあうようなキス、甘い蜜を吸うようなキス、果物の香りのするキス……どう表現したらよいかわからないが、とにかくおいしそうなキスだった。愛し合うというのは、こんなにおいしそうなキスをするものかと魅了されてしまった。

ジェインを演じたルース・ウィルソン(Ruth Wilson)  芸術の秋、たまには映画でも見てみたい。先週、そう思ってケーブルテレビをつけると、LaLa TVで『ジェイン・エア』。2006年にBBC(イギリス国営放送)が制作したドラマで、4話を前編・後編に分けて放送していた。
 シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』はあまりにも有名だが、私は一度も読んだことがない。だが、ドラマを見て、そのおもしろさに引き込まれた。
 つらい幼年時代を過した孤児のジェインは、成人して家庭教師になり、領主のロチェスター氏に雇われる。広大な館には養子の女の子と使用人が暮らしていた。だが、館には何か不気味さが漂っている。
 ジェインとロチェスター氏は互いに魅かれあっていった。静かで純粋なジェインと屈折した暗さを宿すロチェスター氏は、すんなりとは結ばれない。ロチェスター氏の秘密が恋に大きな影を落とす。
 最終的に2人は結婚しハッピーエンドを迎えるのだが、ドラマは様々な見どころにあふれていた。2人の恋が山あり谷ありなのもおもしろいし、館の不気味さを謎解きするのもおもしろい。
 そして、ジェイン役のルース・ウィルソンという俳優の表情が素晴らしかった。ジェインの強さを何とも言えない表情で演じていたと思う。意思的な眉と目、ややめくれた感じの唇がとってもいい。
 客の令嬢が「子どもの存在とは何?」と意地悪に投げかけることばに対し、「子どもは愛される存在です」と臆することなく静かに答えるジェイン。こんな感じの科白だったと思うが、そのシーンが心に残っている。

 ジェインの服装はずっと地味で無彩色だった。だが、一つだけ鮮やかな色があった。それは赤、ロチェスター氏の愛を感じたときに首を飾ったタイの色である。その静かなおしゃれにジェインの喜びと情熱を感じる。冒頭に書いた「おいしそうなキスシーン」は、ロチェスター氏に求婚された日のキスだったろうか。

  ●詳しくはこちらを参照してください。また放送されるといいですね。  LaLa TV ジェイン・エア
  ●英語が読める人はこちらを。(私はほとんど読めませんでした)   BBC Jane Eyre



2008.9.22(月) シソの葉おにぎり   
シソの葉おにぎり  シソの葉おにぎりを作ってみた。とっても美味しかった。
 このシソは畑にわんさか繁っていた青ジソの葉。
 青ジソは今すごい勢いで繁り畑をおおっている。実もつきはじめてきたので、この間バサバサと切った。「無料です。ご自由にお持ちください」と書いて、バケツに入れて置いてみた。けれど大半は残り、ゴミになる。

 青ジソの葉がもったいないなぁ。大量に保存する方法はないかな?
 そこで、妹がいろいろ調べた。その一つがシソの葉醤油漬けで、とても簡単にできるという。で、私もネットで調べてみたら、なんとシンプル!
 洗ったシソの葉の水気を取り、適量を容器に入れてヒタヒタに醤油を注ぐ。そこに、スライスしたニンニク1〜2片を入れて漬け込むだけ。1晩漬けたらOK。冷蔵庫で保存すれば半年は大丈夫のようだ。
 簡単にできるが、何しろ量が多いから大変。枝から葉っぱを1枚1枚とって洗い、水気を拭く作業に時間がかかった。やわらかい実も穂のままもいで、これも醤油に漬けてみた。
 葉の半分は単純な塩漬けにした。容器にシソの葉を入れて1振りの塩、またその上に1枚置き1振りの塩……、60〜70枚もこれを繰り返すとやっぱり疲れた。(ほんに私は根気がないことよ……)

 炊きたての新米(これも美味)に漬け汁の醤油を少し入れ、シソの葉をつけて握る。漬けたシソの葉は海苔のようには貼り付かず、形が崩れたりもしたけれど、そこはご愛嬌。青ジソの風味に醤油とニンニクが絶妙な味わい、あー、おいしかった。



2008.9.14(日) 憮然を落書き  新聞記事をそのまま信じてはいけない?
憮然(ぶぜん) 2つの顔  いつだったか日本語の世論調査(文化庁)の記事を読んだ。「憮然」の意味を取り違えている人が7割以上いるとのこと。
 もちろん、私もその一人。憮然は「ムッとする」ことだと思いこんでいた。
 ところが、本当の意味は「失望してがっかりする様子」だという。
 私は自分の国語力のなさに“憮然”とした。そして、変に得心したのだった。そうよね、いつも文章が書けなくて苦労している私ですものね。

 これは新聞記事から得た立派な知識、これで私も一つ物知りになったと思い、したり顔で「憮然の意味は……」と先輩諸姉にレクチャーしてしまった。そしたら、「あら、いいのよ、ムッとするで。あなた、他の言葉と勘違いしたんじゃないの」。パッと電子辞書で調べてくれて、「ほらね」と。えっえっえっ? だって新聞にそうじゃないって書いてあったんだもん。私は大いに混乱した。
 それで帰宅し辞書を2、3冊調べ、さらにヤフーの辞書検索もやってみた。『広辞苑』は確かに「失望してぼんやりするさま。がっかりするさま」と書いてある。国語辞典、漢和辞典でもほぼ同様。しかし、ヤフーの『大辞林』には「思いどおりにならなくて不満なさま」とあった!(電子辞書はこれだったのかもしれない)ふむふむ、これはムッとしている、ちょっと怒っているって感じだよね。ムッ!がっかり…、両方の意味があったのだ。
 辞書の双璧、『大辞林』(三省堂)と『広辞苑』(岩波書店)。文化庁や新聞は『広辞苑』の意味ををとったってことか? 何が正しいのかわからない。もともとの言葉の意味が、巷で使われているうちに転化する場合もあるだろう。新聞記事やニュースなんてものは、そのまま信じちゃいけないのね。

 「犬のオシッコをどこでも平気でかけさせていく散歩人。ひどい人になると、犬にウンチをさせたまま片付けもせずに立ち去っていく。私は憮然として、マナー違反の人間たちを見る」
 さぁて、この文はどう解釈する? 「私」は犬の散歩人の行動が情けなく、とってもがっかりした。そして、マナー違反の人に「恥ずかしくないのか!」とだんだん怒りの感情が湧いてきたってことかな。

 今日は「憮然」を落書きしてみました、お粗末さま。それにしても、言葉や文章って難しいです。(絵も)



2008.8.31(日) 8月の終わりに  
山百合  8月の終わりになって、ようやく太陽が顔を出した。
 ここ数日、雨でうんざり。そんな日の手すさびに、デジタル写真のくり抜き加工をやった。8月はじめの旅行で撮った山百合である。
 それにしても、週末の夜はこわかった。ザンザン降りの雨、ビカビカと光り轟音をあげる雷。「天の神様、お鎮まりください。地の神様、お助けください」と、無神論者の私でさえ思わず手を合わせてしまった。
 団地に住む友人は、すごい光景を愉しんだ(?)らしい。建物を揺るがす雷の音と閃光で、彼女は夜中に目が覚めた。間近で雷が落ちているらしく、すさまじい音と光。4階から駐車場を見下ろすと、車に雷が落ちていた。雷は何度も落ち、その度に車全体に光りながら電流が走る。映画のような光景だったらしい。それを聞いた私は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い描いた。タイムマシン(スポーツカー)を発進させるために雷の電流を用いるシーンがあったが、それとそっくりだったに違いない。

 週末の雨の夜、家族はテレビを見ていた。その番組は、太平洋戦争を体験した兵士たちの証言で構成されていた。傍らから覗き込むと、画面にはいかにも好々爺という感じのおじいさんが写っていた。
 「何にも食べ物がなかったから草でも何でも食べましたよ。死んだ人の肉を食った兵士もいる……」
 元日本軍兵士のおじいさんたちが次から次へと証言するのは、この世のものとも思われない生き地獄の話だった。南の島で食糧も武器もなくとり残され、餓死・病死した兵士、投降せずに米軍に殺された兵士、その数の多さに驚く。証言している老人の年齢は80〜90代。みんな、戦争当時20代の若者だった。
 普通に暮らしていて、兵士の証言を聞くことはごく稀だと思う。本になったり映像になったりしているのかもしれないが、勉強不足の私は多くを知らない。まだまだたくさんの〈真実〉が語られていないのではないだろうか。私の父も「南方のパプア・ニューギニア」に行っていた。そこでバナナや椰子の実を食べたという話を聞いた記憶があるが、当時の幼い私はそこが戦場だったとは思いも及ばない。そして、戦争の話はそれ以外に聞いた事がなく、ぼけたまま父はあの世に逝ってしまった。
 兵士からの証言は過去へのタイムトラベルのようだった。けれど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するようなタイムマシンがあっても、決して戦場には行きたくはないと思う。もし行けるなら、戦争が起こる前の時代へ。そこで戦争をとめるのだ。だが、どうやって? あー、これは現代の問題とも同じだな……。おじいさんたちは「絶対にこんなことは起こしてはいけない」と、語りたくない辛い体験を証言したのだろう。若き日の自分自身や友人に語りかけるように、現代にいる私たちに〈過去〉から伝えたのかもしれない。

 ……と書いているうちに日が暮れ、また豪雨と雷だ。どうか被害がありませんように。



2008.8.20(水) 夏休みの宿題  作文はむずかしい
8月の旅行  小学生の皆さん、もう夏休みの宿題はやりましたか。
 夏休みもあと十日余り、すぐに夏休みは終わっちゃいますよ。さぁさぁ、切羽詰らない今のうちにやってしまいましょう! そうすれば、重苦しい気分からも解放されて、有意義な夏休みの最後を過すことができますから。
 「作文はいやだなぁ」ですって? うんうん、私もわかりますよ、その気持ち。読書感想文や夏の思い出なんて、どう書いたらいいもんでしょうねぇ。
 あっ、これじゃアドバイスにもなんないね。すみません。

 ……と書いたものの、私に小学生の知り合いがいるわけでもなく、ましてやこのページを小学生が読むなんてことは絶対ないだろうし。まぁ、今の私自身が夏休みの宿題を抱えている小学生の気分なんである。
 それは作文の宿題なのだが、もう3月から持ち越している。夏休みになったので「できる!」と変な確信を持ち、やり始めたものの一向に終わらない。ちょっとやっては行き詰まり、気が変わり、疲れてしまう始末。強制や義務じゃないのに。むしろ自主的に「やりましょう!」と決めたことなのにね。
 古くからの友人がずっと作り続けている文集がある。「書いてみませんか?」と誘われたのは、もう二十年以上も昔のこと。いつしか常連(?)となり、ときどき文集作りの助っ人をする。今回も「最近はデジタル流行りだけど、やっぱり紙の文集のほうがいいよね」と賛同し、私自身も書くことを約束した。
 すでに他の原稿は出揃い、あとは目次を作って表紙を決めるだけ。なのに、まだ私は書き終えていない。8月に旅行をしたので、今までの作文を破棄した。そして、新たに旅行のことを書き始めたのだが。
 はぁ〜、なんてことだ。原稿用紙数枚の作文だっていうのに……。書きたいことが分散したり、テーマから逸れてしまったり、繰り返し同じことを書いていたり、接続詞がわからなくなったり、主語と述語があやしくなったり、うまく表現できなくて悩んだり。作文はむずかしい。ほんと、子どもの気持ちがよくわかる。
 「すみません、すみません、M子先生(文集主宰者)」とひたすら頭を下げるばかり。m(__)m
 はい、こんな日記を書いているヒマがあるのだから、がんばって書きます!
 この日記を万が一読んでしまった小学生の皆さん、私もがんばりますから、ぜひ、あなた方もがんばってください。そのほうが、とっても楽な気持ちで夏休みの最後を過せますから。



2008.8.8(金) 「ヒバクシャからの手紙」を見て  
住宅地の空(8月)  5日深夜、NHK広島の「ヒバクシャからの手紙」という番組があった。
 特に見ようと思っていたわけではないのだが、聞こえてくる手紙の朗読が心に沁み、テレビに見入ってしまった。63年前の広島・長崎の夏、突然原爆が落とされ、人々の日常は阿鼻叫喚の地獄に変わる。母を助けられなかった子の思いやたった一人生き残った辛さ、原爆の後遺症や被爆者差別の体験など……さまざまな手紙が朗読された。
 すべての手紙に共通する思いは、戦争はしてはならない、原爆は絶対にあってはならないということだったと思う。
 その思いを後世に伝えること──番組の終わりはその手紙でしめくくられ、若い世代から寄せられた感想が紹介されていった。

 手紙の朗読中、画面には原爆ドームが映し出されていた。
 テレビの隣りでは、扇風機がブーンという微かな機械音をたてていた。その音がまるで映像の効果音みたいで、63年前のあの日、空の向こうから飛んでくる爆撃機の唸りを聞いている錯覚に陥った。
 無言で佇む原爆ドームは、後世に生きる私たちに平和の大切さを訴えかけているようだった。

 何日か前に本を整理していたら、ポスターが出てきた。原爆ドームを背景にして、斜めに「暮らしの中から反戦を」とロゴが入っている。青いインクのシルク印刷のもの。
 このポスターを作ったのは、いつのことだったか? 二十数年前だったか……。みんなで集まってタイトルを決め、デザインを決め、シルク印刷の仕方を教わりながら自分たちで刷ったポスター。
 あのときの思いを今でも持っているかと自分に問う。

 ときどき“大切なこと”を書かなければと思うけれど、なかなか書けません。あまりにもいい加減に生きちゃっているから……。でも、やっぱりこの日常の平和こそが大切だと、戦争も原爆も絶対あってはならないと言い続け、若い世代に伝えなければならないですよね。「ヒバクシャからの手紙」を見てそう思いました。



2008.7.29(火) 遅蒔きキュウリ  無農薬栽培で出来ました!
畑の収穫(キュウリ・トマト・カモミール)  「わー、なってるなってる!」と喜びの声を上げたのは先週末のこと。
 強健キュウリが収穫できたのだ。6月半ばの遅蒔きなのに、無農薬でちゃんと実がなってくれた。 強健キュウリという名前のとおり、強いキュウリだった。(写真はそのキュウリとトマト、夏に咲いたカモミール)

 5月、今年こそは夏野菜を作ろうとナス、トマト、キュウリを植えた。もちろん、市販の苗を買ってきて。ところが、ナスとキュウリの大半は枯れてしまったのだ。「えー、どうして?」私と妹は戸惑った。肥料が少ないんではないか、苗が悪かったからか、やっぱり無農薬栽培では無理なのか……。
 6月、妹が「このキュウリは強いらしい」と旅行先の農家から2株買ってきた。私も小さなお店で「昔ながらのキュウリ」というのを見つけ4株購入。どちらも最初に植えたキュウリ(「五月ミドリ」という品種)より逞しい感じの苗だった。なるほど、見かけも強そうだったが、生育もよかった。
 だが、私はこの苗もダメになったらと心配でならなかった。自分たちで作るキュウリが食べられないなんて、あまりにも残念だから。(実際、これらの苗は枯れることなく、7月半ばに実がなった。普通のキュウリよりも太く、ゴツゴツした感じ。見た目は悪いけど、皮がやわらかく甘みがあった。)

 最悪の事態を回避するためには、どうしたらいいのだろう? 無農薬でキュウリを作るにはどうしたらいいのだろう? そして、園芸店で見つけたのが「強健キュウリ」という種。病気に強く、6月下旬まで種蒔きはOK。素人に等しい私たちだが、種蒔きから始めてみよう! その種を見て、そんな勇気が出た。
 種蒔きした強健キュウリは、かわいい芽を出し、本葉が出て、グングン伸びた。私たちの背丈を超えた頃、初めて花が咲いた。ところが、雨がほとんど降らず、畑の土はカラカラ乾燥。毎日お水を持っていき、根元に撒きながら、実の様子を観察した。「いつ頃採れるだろう」とワクワクして1週間後、すんなりとした瑞々しいキュウリが!我が子を育てるように世話をしたキュウリの成長は、こんなに嬉しいものかとしみじみ思う。

 えへへ、でもその可愛い我が子を食べてしまいましたが……。お味噌をつけて。おいしかったぁ。



2008.7.16(水) 2つの顔をもつオトコ  その後のマムくん(マム2世)
マムくん  年とともに汚くなっていく私の手。この頃ますます汚くなった。
 別に悪事に手を汚したわけでもないのに、家事・野良仕事、そしてマムくんの爪と歯によって、いつも傷だらけで、見るも無残な汚さである。
 2ヶ月前、病気を患って我が家を頼ってきたマムくん(猫)は、すっかり元気。体も1回り大きくなり、太ってきた。
 毎日、エネルギーをもてあまし、玩具と格闘をして楽しんでいる。お気に入りはアンパンマンのぬいぐるみ。私の手も“生きた玩具”に見えるらしく、ガバッと噛み付き爪を立てるのだ。決して本気でないことはわかるが、やっぱり痛いし、傷跡ができる。

 さて、このマムくん、ウチの子になったようである。彼にとって、私たちとの出会いは「第二の親、見っけ!」といった感じだったのかもしれない。
 「お乳の代わりにエサをくれ、なめる代わりに撫ぜてくれる。猫可愛がりが好きな人間は、種は異なるが親にしてやってもいいにゃあ。それに家の中というのは、安全で居心地がいいもんだ。
 だが、自由は手放さないぞ。夜は帰ってきたほうが安全だけど、昼は外の生活を満喫する。もとの家の猫の仲間や人間にもきままに会って、つきあっていきたいからにゃあ」
 実際のところ、マムがどう考えているかはわからないが、昼間は外に出かけることが多い。元の家の庭でくつろいでいたりもする。外で生まれ外で飼われていたマム。だから、夜見かけなくても、向こうの人は何の不思議も感じないだろう。「お前、あんまり食べないのに太ったね」なんて声をかけられているのかもしれない。
 ウチで見せる顔、元の家で見せる顔、2つの顔をもつマムくんである。
 外で会うときのマムくんはそ知らぬふうを装い、触ろうとすると逃げていく。ウチではゴロゴロ喉を鳴らして、膝に乗って甘えるというのに。その姿など想像もできないツレナサだ。



2008.6.27(金) 手作り化粧水と防虫剤  手作り―その1
手作り化粧水(レモンバーム)  もう6月末、今年も半分終わろうとしている。……無為に過ぎていく日々。
 などと、ためいきまじりに曇った空を見上げたり、片付かない部屋を見回したり、いわずもがな自分の人生をかえりみたり。
 ふう、大それたことをしようなどと思わなければいいのだな。“生きている証”なんて思っちゃダメなんだな。自分で家を建てるなんて到底できっこないから、そこはあっさり諦めて、例えばカーペットを替えてみるとか。小説を書くなんてことも絶対不可能、だからこんな日記をちょっと更新するとか。
 そうなのだ、ちょっとした“もの作り”というのは、けっこうおもしろい。
 
●6月になって作ったものというと、ハーブ化粧水。(月1回は作っている)
 1.レモンバームの生葉を数枚ちぎり、ウォッカ15mlに一晩漬けておく。(セージの葉も少し加えた)
   きれいな薄緑色のエキスができる。
 2.1を漉し精製水100ml、グリセリン10mlと混ぜる。これにティーツリー(精油)を数滴入れ、出来上がり。
 本に書いてあった作り方(分量)を参考にして作ってみた。いたって簡単、香りもいい。
 保存期間は3〜4ヶ月らしいが、だいたい1ヶ月で使い切っている。

ハーブ防虫剤●もう一つ作ったのはハーブ防虫剤。庭木や野菜の殺菌消毒・防虫に希釈(500〜1000倍)して使用する。作り方は、唐辛子(ちぎる)・ローズマリーをペットボトルに入れ(量は適当。ボトル1/4くらいか)、ホワイトリカーを注いで1週間〜1ヶ月おく。(ネットで調べたのだが、作り方・抽出期間はまちまち。ニンニクや木酢液などを混ぜる方法もあったが、私はあり合わせの材料で適当に作ってみた) 2〜3日もすると、ボトルの中は唐辛子のエキスで赤く染まり、かなり辛そう。1週間も漬ければ充分に効果ありの感じ。 1000ml作ったので、ずい分と使えそうである。

 手近にあるもので、普段使うものを作る。これは便利で安心・安全。それで効果があったら、これは相当すごいことのように思うのだけど。



2008.6.19(木) またカモミールが咲きました  ローマンとダイヤーズ
ローマンカモミールとダイヤーズカモミール  リビングファクトリーの畑には、またカモミールが咲いた。
 と言っても、今咲いているのは、ローマンカモミールダイヤーズカモミール。5月に花摘みをしたジャーマンカモミール(1年草)とは種類が違い、こちらは多年草であり、花も大きい。

 ローマンカモミールは3年目の株で、初めてたくさんの白い花をつけてくれた。これも梅雨の中休みのおかげかもしれない。例年、梅雨の湿気のため、気がつくと根元がだめになって、あわてて刈り込んだり、植え替えたりしていた。
 うん、今年は好調!花からも茎からもいい香り! きれいに咲いている花を見て、気持ちも晴れやかになる。
 ダイヤーズカモミールは、昨年妹が富士の裾野から買ってきたもの。「どんなふうに育つんだろう」と心配していたが、春から急に勢いづいてグングン株は大きくなり、これもまた、梅雨の中休みにいっぱい花が咲いた。すっくと伸びた茎の先端で、黄色の花はまっすぐに天を仰いでいる。見事!
 ローマンカモミールは石けんやハーブ風呂、化粧水などに使える。ダイヤーズカモミールはポプリや染色用に使うものらしい。まだ染色はしたことがないが、やってみようかな。
 この2つのカモミールは切花にも向くので、飾ってみた。花瓶の中でもよく咲いてくれる。
 そして、昨日はウッヒョッヒョッと喜びの笑い。売れるかな、売れないよね、期待せずにダメモトで売ってみようか、などと妹と話しながら、「1束100円」の値札をつけて小屋に置いてみた。ヤロー(西洋ノコギリソウ)も一緒に束ねて。そしたら、9束も売れてしまった。はじめての“高収入”。わーい!カモミールさん、感謝!!
 ※小屋…6月になって、末の妹夫婦が手作りで建ててくれました。妹夫婦にも感謝。(機会があったら写真アップします)



2008.5.29(木) 父の遺言  ボクはマムの息子です
冬の日のマム2世  地上の息子よ、お前に伝えておくことがある。
 何かあったときには、LF(リビングファクトリー)家を頼っていきなさい。そこのオバさんもオジさんも私に約束してくれた。
 「もしも生まれ変わってきたら、今度はウチの子になってね」と。
 私は若くしてこの世を去ることになってしまった。幼いお前を残して……。それだけが心残りだった。息子よ、健やかに育ってほしい。

 ってね、ボクの父ちゃん(マム)が言ったんだよ。ある日、空の上から父ちゃんの声が聞こえてきた。だから、ずっとLF家を観察していたんだ。冬の終わりごろ、オバさんは暇そうに散歩に出かけたよね。そのとき、オバさんをじっと見つめて、ボクが父ちゃんの生まれ変わりだってことを目で訴えた。
 春になってから、思い切ってLF家に遊びに行ってみた。オバさんは「マム2世」ってボクのことを呼んでくれたので、「あーよかった。父ちゃんの遺言のこと、この人も知っているんだ」と安心したよ。

 というわけで、マム2世がウチに来るようになった。というより居ついてしまった。
 外の猫には珍しく、スキンシップが大好きなマム2世。もう大人なのかもしれないが、体が小さくて、仕草は子猫のようだ。去年の春までウチに来ていたマムちゃんとそっくり、一目で彼の子どもだとわかる。
 そのマム2世がぐったりとして訪れた。熱が41度以上もあった。お医者さんに連れて行ったり、お薬を飲ませてあげたりのてんやわんやの1週間が過ぎた。さて、ちゃんとウチの子になってくれるかどうか。
 とにかくマム2世、元気に大きくなってね!



2008.5.17(土) 映画『光州5・18』  28年前の5月、光州民衆蜂起のこと
映画 『光州5・18』  5月は明るい。韓国の5月も緑が輝き、明るく過しやすい季節なのだろうか。韓国映画『光州5・18』を観てきた。
 舞台は韓国・光州市。映画の前半は、光がふりそそぐ風景の中で、若者の恋の兆しを明るくコミカルタッチに描いていた。
 後半は一転し、若者たちが光州事件に飲み込まれ、学生・市民と軍隊との衝突に変わる。衝突……いや、そんなものじゃない。民衆に銃を突きつけ発砲する軍隊と血まみれになって倒れていく人々の悲惨な姿は、思わず目を覆ってしまうほどだった。
 だが、その愛する者を失った悲しみや怒りは、軍に立ち向っていく力に変わる。(韓国では徴兵制があり、男は2年間の兵役に就く。だから、普通の市民が武器を持って抗戦できたのだと、観ながら気付いた)
 しかし、市民軍は軍隊に制圧され、「俺たちは暴徒なんかじゃない」と叫びながら若者は銃殺された……。
 銃撃シーンの度に体が震えた。怖くて、悲しかった。
 映画だからフィクションも含まれていただろう。だが、これは28年前の韓国で実際に起こった出来事である。実際は、もっとむごたらしいものだったという。

 映画を観るまで、この光州事件(事件というより民衆蜂起というべきかもしれない)のことを忘れていた。
 28年前の5月、テレビの映像は、軍隊に対し立ち上がった万単位の民衆、武器を片手に闘う若者を映し出していた。そのニュースを知り、若かった私は胸を熱くした。ロックシンガーの白竜(在日二世)が『光州Ctiy』(発売禁止になった)を歌い、そのコンサートに出かけたこともあった。
 韓国の歴史は重い。長く日本に支配され、更に戦争で国を分断された。その後、軍政に苦しめられながらも、人々は民主化をその手でかちとってきた。その一つの大きな闘いが光州民衆蜂起だったのだと思う。

 殺されゆく若者の「暴徒じゃない」という叫びは、ずしんと私の心に響いてきた。たとえば、イラクの人々が米軍に抗して闘ったとき、彼らは「テロリスト」という名にされてしまう。そこで実際何が起こったのか、愛する者を殺された人々の怒りや悲しみがどれほど深いものだったのか、報道はそれを伝えない。

 ★「光州5・18」公式サイト http://www.may18.jp/



2008.5.10(土) 大地のりんご  お日様と大地の恵み・カモミール
大地のりんご・カモミール  いきなり“カモミール地獄”だなんて書いたら、これを読む人はびっくりされることと思う。ここ1週間ほどカモミール摘みにおわれ、かなり疲れている。それほどたくさんのカモミールが畑いっぱいに広がって、摘みきれない。花摘みから干すまでの処理に数時間かかるが、せいぜいザル1杯の量。腰は痛くなるし、肩もこる。ヨーロッパなどの産地では、どんなふうに摘んでいるのだろうか。
 でも、それも今週でおしまい。カモミールは盛りをすぎ、少し色あせた花芯はスポンジのようになってきた。そして、ついにカモミール畑に不動産屋が訪れ、来週からはもう入れない。
 
 カモミールとは、ギリシャ語で「大地のりんご」(khamai <大地>と melon <リンゴ>)という意味らしい。甘い香りに包まれていると、気持ちがやすらいでくる。お日様と大地が、こんなにたくさんのカモミールを恵んでくれたことに感謝したい。新しい畑に移植したカモミールが命を長らえてくれますように。

 今週は友人のカヨコさんが畑に来てくれた。その日は初夏の陽がふりそそぎ、外はまぶしいほど。カモミールは太陽の光を浴び、りんごのような甘い香りを漂わせていた。畑にたつカヨコさんは木綿のスカートをはき、そのふわりとした感じがとてもいい。その姿がカモミール畑に溶け込んで、よく似合っていた。
 「大地に立って、地球の中心につながっている自分をイメージしてみて。そして深い呼吸をして……」
 数年前、突発性難聴になった私を治療してくれたのがカヨコさん。耳が聞こえなくなっただけでなく、私の体のあちこちは「いたい(>_<)」と悲鳴をあげていたのだった。耳鼻科で「治らない」と言われた難聴は、3ヶ月ほどでほとんど回復した。その頃、カヨコさんの「はぁ〜る」に通い、治療のとき、囁かれるように言われた言葉をふいに思い出す。彼女の声はやわらかく、耳にやさしかった。
 そのカヨコさんが、ブログに畑のことを書いてくださった。タイトルは「幸せな時間」。
 とてもうれしい。私のほうこそ幸せをいただき、どうもありがとうございます!

  ★カヨコさんのブログレゾナンス   ★ホームページセッションルーム はぁ〜る



2008.5.5(月) カモミールが満開に  ハーブ畑にお客さま
洗ったばかりのカモミール  日記を開いて唖然、4月は1回しか書かなかったんだ……。
 もう5月、連休も真っ盛り、畑ではカモミールが満開になった。
 連休の中日、カモミール畑見学のお客様がいらっしゃった。あいにく午後から雨が降り始め、傘をさしながら見ていただいた。
 雑然とした畑と我が家なので、恥ずかしかったのだが。このホームページもほとんどが“いいとこどり”で、畑(farm)はハイライトシーンづくめなのである。畑をはじめて3年目の私はズブの素人、その私が「これは…」などと説明する。おこがましい限りであった。
 でも、お客様には喜んでもらえたようで嬉しかった。
 カモミールは健気に育った。秋に芽が出た株はしっかりと大きくなり、たくさんの花をつけて甘い香りを放っている。この私でさえも、3年経てば立派なカモミール畑を作ることができた。それは、カモミールが強いからである。(なんてったって、西洋の雑草だから!) 育てる条件は日当たりがいいこと、こぼれ種から出た芽を大事に保護してあげることくらいだと思う。当然、農薬もいらない。
 けれど、満開になったカモミールも、あと幾日かの命。その畑は、すぐに建築工事が始まる。
 なくなってしまう前に見学してもらえて、よかったと思う。カモミールもきっと喜んでいるだろうな。
 お客様のクリさんがその日のことを書いてくださっており、私はただただ恐縮、そして昇天しそうなくらいに感激。畑もウチも、クリさんの筆にかかると、こんなにステキに変身してくれるんだなぁ。クリさん、感謝です。
  ★クリさんのブログ BOOK&CINEMA

 昨日の午後、花を摘んできた。小さな花を一つひとつ摘む作業は捗らず、足腰が疲れる。ほんの一部分を摘んだだけで終わった。それからの作業がまた大変、ザルに入れて何度も洗う。(アブラ虫がついたりしているので)水を切って、竹のザルやら木の箱に並べて一段落、その並んだ姿(写真)ににんまりとする夜中の私であった。さぁ、明日もカモミール摘みにがんばろう。



2008.4.21(月) 振り返ればハクセキレイ  
畑のハクセキレイ  「ほら、ミチコ姉さん、うしろにセキレイがいるよ」と妹が言った。
 「えっ、本当?」と振り返れば、そこにはハクセキレイ。つかずはなれずの距離を保って動き回っていた。荒れた畑を整地している作業中のことであった。
 毎回畑に行くたびに、気がつくとセキレイが1羽。必ずと言っていいほど、作業中の私たちのうしろにいた。たぶん、いつも同じセキレイだと思う。
 何をしているのか観察してみると、セキレイは虫を捕っていた。
 畑の土中には“まんじゅう虫”が多い。(甲虫の白い幼虫が丸くなり、見た目がお饅頭のよう。子どもの頃、祖母から“まんじゅう虫”と教わった)
 野良仕事をしていると、あちこちから小さな“まんじゅう虫”が出てくる。セキレイのお目当てはこれだったのだ。“まんじゅう虫”を食べるのはセキレイだけ? いや、違った。人間が去ると、ハトやムクドリがやってきて、さかんに土をつついていた。もしかしたら、蒔いた種も食べているのかもしれないが……。
 このセキレイは人懐っこいのだろうか。チュンチュン、チュチュンと軽快に囀りながら、さかんに虫を啄ばんでいる。それも尾羽を上下させながらリズミカルに歩き、顔はニコニコしているように見える。
 空堀川にもたくさんのハクセキレイがいるけれど、人間が近づくとサッと逃げてしまう。
 畑のハクセキレイは知恵者なのだろう。人間の野良仕事のあとには、必ず虫が出てくることを学んだに違いない。そして、人間が危害を加えないことも理解しているからこそ、うしろをついて回れるのだな、きっと。
 野鳥とのこんな触れ合いに嬉しくなってしまう。

 もう一つ、喜びを体感中。それは、庭に遊びにくる猫と仲良しになったことである。(次回、請うご期待?)



2008.3.31(月) 桜夜  花見のかわりに
さくら  昨日の午後、所用でちょっと出かけた。帰りに公園でも回って、一人で花見でもしようかなと思っていたら雨がふってきた。
 さくら、さくら……未練が残る。夜、ひとり、インターネット。Googleで検索しようとしたら、あれ、ここに「You Tube」があるじゃないの。今まで全然気がつかなんだ。たまにはこういうので楽しんじゃおうか。

 てなわけで、You Tube へ。
 しょっぱなは「桜坂」。切ない唄だなー。それにしてもフクヤマ君は美男である。次はやっぱり「さくら(独唱)」、ナオタロー君の声にほれぼれ。ユーミンの「春よ来い」は名曲だなー。そんなふうに何曲かを動画で楽しんだ。ついでにどら声を張り上げて、一緒に歌っちゃったりもした。
 そこへ愚息が帰宅し、「オカア、夜中だぜ。オヤジが怒って起きてくるからやめろよ」とたしなめられる。
 はい、はい、わかりましたよ。どら声をひっこめ、ボリュームを下げた。
さくら(合唱) そして再度、ナオタロー君のもとへ。「花」という曲もアップされていた。1回だけテレビで聴いたことがあったが、ステキな曲だった。ことばが深く、とても美しい。
 「さくら(合唱)」もあった。女子高生のコーラスをバックにした歌をはじめて聴いた。さくらのようなピンクの頬の女子高生、その声は澄みわたり、やさしく響く。
 雨に打たれながら夜咲く桜、それを思い浮かべながらのひとり遊びもなかなかのものだった。みなさまもお楽しみくださいませ。

   ★「花」       http://www.youtube.com/watch?v=90YdHl_sPyw&feature=related
   ★「さくら(合唱)」 http://www.youtube.com/watch?v=JHupI_7ZFOU



2008.3.23(日) ゴミゴミ……  
ゆきやなぎ  のんびりした〜い、といつになく思う。少し前まではあんなに暇をもてあましていたというのに。暖かくなったとたんに、忙しくてたまらなくなった。
 冬の残滓(ゴミ)がたまってしまった庭、引っ越した畑の整理、大事なお仕事などなど、どれも同時にやらなければならず、頭の中は錯乱状態。でも、「私はきっとできる!」と自己暗示をかけてがんばろうとしていた。

 寸暇をおしんで庭のお掃除をする。去年の枯葉が隅にたまっているし、草は伸び始めていた。それらは何袋ものゴミとなった。
 「よし、これで本業のお仕事にじっくり取り組める」と安堵しているところに、真性のゴミ問題が発生した。今までのゴミ置き場(企業駐車場前)にゴミを出せなくなったのだ。ゴミ置き場そばの方から「そちらの人は別にゴミ置き場を設けてほしい」という申し出があったわけだが、実際は「もうここにゴミを出さないで」と言う通告に等しかった。「そちらの人はゴミを出すだけで掃除をしない」というのが理由。言われるとおりだった。
 だが、腑に落ちない。この地区は自治会がなく、掃除当番も決められていない。住宅が数軒しかなかった30年ほど前、この付近の住民はそのゴミ置き場に出すことを市から指定されていたという。地図で見ると、そこには赤丸があり、昔からのゴミ置き場であることが一目瞭然。であるならば、当番を分担することで解決できるのではないか。しかし、この時点では、すでに感情の問題のほうが深く根を下ろしていた。
 こちらで解決するしかない……。ゴミ難民になってしまった私たちはいろいろ考えた。
 市役所に電話をして相談をしてみた。「民民には介入せず」というのが原則らしく、自分達で解決せよというもの言い。「今、駐車場側にゴミ置き場を設置していいかどうか頼んでいますが、返事がありません。市が仲介してもらえるでしょうか」と口にしたとたん、批難された。「そもそも発想がおかしいんじゃないですか。企業の駐車場前ならよく、自宅前はいやなんて。輪番で自分の家の前に出せばいいことでしょう。市ではそういう仲介はいっさいしません」。まったく不愉快きわまりない対応だった。
 こっちは自宅前がいやだと言ってるんじゃない。最終的にはそのつもりでいた。
 だが、輪番には問題がつきまとう。間口の狭いお宅、一切そういうことに関知しないお宅、いろんな個々の諸事情があるんですよ! 「輪番には参加できません」と言われた場合、そのお宅のゴミはどうなるの? 私たちが言われたみたいに「お宅はゴミを出さないで」と通告して、“村八分”にしろってこと?
 そういう事態を避けるためにも駐車場前のほうが適している。ゴミ当番をきちんとし、駐車場には迷惑をかけないということを条件に頼んでみよう。それが近所の人と話し合った結論だったのだ。

 どうしたって生きている限りゴミは出る。個人で解決するには限界がある。こんなに住宅がゴミゴミと密集して、その他の諸問題も起こっているというのに、いつも役所の言い方は冷たく、住民を助けてくれることはほとんどない。何が民民には介入せずだ! いろんなケース(問題)の情報を知っているんだから、一定のガイドラインくらい示してほしいもんだと思う。電話したのが私ではなく、有力者や議員などだったら、きっとあんな横柄なもの言いはしなかったに違いない。
 余談だが、ウチの息子を保育園に入れるとき、順番待ちですぐには入れなかった。けれど、議員さんの口利きがあった人の息子は即入れたんだぞ。これも行政の不平等な実態だってこと、役所の人自身がよーく知ってることでしょ。まったく、腹が立つったらないよ、プンプン!

 ※追記 本日、1週間ぶりに解決。駐車場がOKしてくれたおかげで、新ゴミ置き場ができました。
       市役所に行って申請手続き、近所への連絡を終え、ホッとしているところです。(3/24)



2008.3.11(火) すってんころりん  
すいせん 今日はあたたか、春うらら。散歩したら気持ちがいいだろうと思ったが、花粉が……などと考えているうちに日が暮れてしまった。こんな日は、空堀川沿いの桜の苗木が気になる。日曜に散歩したときには、もう蕾がふくらみ、ほんのり色づいていた。

 日曜の散歩といえば、大失態。私としたことが……いや、私だからこそなのかもしれない……。
 たまには川原を歩いてみようか。そう思って、ずんずんと進んで行った。足裏が石ころに刺激されて自然の指圧、気持ちい〜い。川上に向かいながら、「さて、どこから遊歩道に上がれるだろうか」という問題に突き当たった。そうだ、コンクリートの堰があるあたりで川を渡り、はらっぱになっている所に出よう。
 流れは浅いし、飛び石がある。楽勝、楽勝。そう思って、渡ろうとしたら、足がすくんでいた。慎重に慎重に。足を一歩一歩出しながら……、ツルッと足が滑った。すってんころりん!私は川の中で尻餅をついていた。
 おー、イテテ。お尻はびっしょり。水もしたたるいい女とあいなったのだった。思わず周囲を見回す。誰かにこの恥ずかしい姿を見られてはいないだろうな。
 「私のお尻を見るなよぉ!」と無言で威嚇しながら、人が歩いてこない道を選んで帰ってきた日曜の散歩。
 まるで私を笑うかのように、遊歩道の水仙の花が咲いていた。
 思えば、私の来し方は、すってんころりんの連続だったかもしれない。失態の数々はパソコンのファイルのように削除もできず、「どうかこんな恥ずかしい私を見ないで」と人様にお願いして生きなければね。



2008.3.3(月) 弥生三月、春なのに  黄砂・花粉・火の粉……
桃の花 気がついたら今日は桃の節句。3月は年度の終わる月。
 黄砂が関東地方にも来たことをラジオが告げていた。「お洗濯ものは早く取り込みましょう」というので、慌ててベランダへ。鼻がムズムズ、くしゃみと鼻水が出る。夕方の空は黄砂の影響なのかどんよりとして、風も吹いていた。鼻をこすりながら洗濯物を取り込んでいると、黒い煤が舞い降りてきた。大気は何やらきなくさい。「黄砂と花粉だけのせいじゃないよなー」と思っていると、消防車のサイレン。北の空から黒い煙があがり、煤がたくさん舞っていた。
 火事?! あまりにたくさんの煤が落ちてくるので、すぐ近くではないかと不安になり、外に出てみた。道の向こう側からモクモクと黒煙があがり、交差点は野次馬でごったがえしていた。やはり火事だったのだ。私が野次馬になった時点では煙だけだったが、その少し前には火が燃え上がっていたという。被害が少なければよいが。

 なぜ3月を弥生というのだろう。ちょっと調べてみたら、『弥』という字は「いよいよ」「ますます」という意味、『生』は字の如く。つまり、草や木がいよいよ萌え出す月ということ。旧暦3月は今の4月(今年は4/6が旧暦3/1にあたるようだ)である。なるほど、草木が一斉に芽吹き、桜も桃も咲き出す。新暦のお節句だと季節感がずれてしまうはずだ。子どもの頃、桃が咲いてなかったから、かわりに梅を雛壇に飾ったりしたっけ。
 ♪春なのにお別れですか〜♪という歌があったが、学校を卒業する若い人たちにとって、3月はまさに弥生。卒業で思い浮かぶのは教員の処分問題である。かなしいかな、東京では卒業式などで「君が代」斉唱を強制して、従わない教員には処分という重い措置がとられている。歌いたくない“心の自由”まで奪うとは……。卒業式や入学式の形式も東京都教育委員会に管理され、ちゃんと「君が代」が子どもや教員に歌われているかどうか監視する役人も来ているらしい。東京都がそこまでして「日の丸・君が代」にこだわる狙いは何なのだろうか。若者が明日に向かって芽をふき伸びていこうとする、そのお祝いが卒業式や入学式だろうに。草木も萌え、花が咲き出す明るい弥生にふさわしく、学校ものびのびとした卒業式をしてほしいものだと思う。



2008.2.26(火) マガモと青首アヒル  空堀川の生き物たち8
マガモと青首アヒル 昨日の空堀川は落ち着かなかった。アチコチで工事をやっていて水は濁りっぱなし。水鳥たちの多くは場所を移動した様子で、ずい分と少なかった。3月末にちゃんと工事が終わってくれればいいが。
 ウチの近くの空堀川には9羽の青首アヒルがいる。けれど、彼らは飛べないから、いつもの場所にいた。そろそろ繁殖期が近づいているのだろう。2羽だけ別行動だった。このカップルが他7羽の親なのかもしれない。(右写真の下)
 空堀川を下り、久米川駅付近まで行くと、カルガモやコガモがたくさんいた。マガモ(真鴨)のカップルもいた。(右写真の上) 以前見かけた時は“マガモかも”(笑)と思ったくらいだったが、昨日は確信した。その理由はというと、空を飛んだから! 体もアヒルより小さい。(カルガモくらいの大きさ) カップルで静かに泳いでいたが、近寄ると飛んでいってしまった。驚かせて、申し訳なかったなぁ……。
 
 マガモと青首アヒルは、どうしてこんなに似ているのだろう。とても不思議に思い調べてみると、マガモを家禽にしたものがアヒルだった。3000年くらい前から、もう人間は飛べない鴨=アヒルを作り出していた。マガモの中で、人懐っこく太る体質のものをどんどんかけあわせていったのだろうか。それで飛べなくなったアヒルは、なんとなく哀れである……。愛嬌のある顔で重そうなお尻をふりながら歩く姿は、かわいらしいけれど。
 アヒルが鴨たちと混血するというのも初めて知ったが、それは自然への回帰ではあるまいかと思ったりする。アヒルにとっては先祖帰り、いわば人間への抵抗とも言えるような気がした。空堀川の青首アヒルが鴨たちと共に暮らし続けたら、幾代か先には飛べるアヒルになるだろうか。そんなことを夢想したら愉快になった。
青首アヒル(オス) アイガモの両親が、アヒルとマガモだということも初めて知ったことだった。アイガモ(合鴨)は名の通り、アヒルとマガモのハーフ。(人為的にかけ合わせた) そして、このアイガモはえらい。アイガモは田んぼで虫や雑草を食べ、稲を安全に生育させている。鴨肉のほとんどもアイガモだそうである。人間はアヒルとマガモに感謝しなければならないとつくづく思った。



2008.2.18(月) カルガモさん、お待たせしました  空堀川の生き物たち7
カルガモ(軽鴨)  「あなたねぇ、私たちを忘れちゃいませんか! “空堀川の生き物たち”を書いているくせに、肝心の主役についてはなーんにも! 空堀川の多数派は私たち。あなた、私たちがカルガモだってことも知らないで、『あれはマガモかな』なんて言ってたでしょ。よーく、見て。私たちのクチバシの先は黄色、足はオレンジ、オスもメスも同じ柄。マガモは渡り鳥、私たちは留鳥。『多摩湖が工事しているから、鴨がこっちに来たみたいね』なんていう無知なお方にも、ちゃんとお知らせしてね。私たちがカルガモだってことを。それから一言付け加えておきますが、この辺にいる太った9羽はアヒルです。首が青いからマガモのオスだと勘違いしている方もいるようですが。まっ、私たちの一部には、おでぶさん…(いや失礼)、ああいうふくよかなアヒルを好むものもいて、たまにカップルになったりしますけどね」

 空堀川を散歩していてカルガモに叱られた。ついつい珍しいものに興味がいってしまい、たくさんいるもの、いつも見かけるものへの関心が薄かったことを反省している。私はカルガモをマガモだと思い込んでいた。
 近くの空堀川にはアヒル9羽(オス7羽、メス2羽)もおり、いつも集団で泳いでいる。見た目は鴨によく似ているが、体が大きく飛ぶことがない。これは近所で飼っていた人が、川に放したアヒルだという。調べたら青首アヒルという品種だった。(オスは青首でマガモのオスとよく似ている。メスは薄茶色)
 下流のほうにも青首アヒルが1羽いる。寂しそうだなと思っていたが、毎回の散歩で観察してみると、カルガモのメスとカップルになったらしく、仲良く並んで泳いでいたりもした。
青首アヒル(右)とハーフの鴨(左)  昨日はその地点で左の写真を撮った。青い首はいつものアヒルだと思う。その隣の黒っぽい首の鴨(?)は、カルガモと青首アヒルのハーフかもしれない。鴨やアヒルはよく混血するという。いろいろ調べてみると、おもしろいことがいっぱいあるもんだ。



2008.2.6(水) 雪の日の買い物  空堀川を眺めながら
スノードロップ(待雪草)  洗濯石けんの残りはあと少し、よし生協に行ってこよう。あっ、その前に郵便局にも行かなくちゃ。家を出ようとしたら雪。小雪ふる日の買い物も情緒があっていいかもしれないと思い、徒歩で出かけた。
 新青梅街道を避け、空堀川沿いを歩いていった。いつもの散歩コースとは逆に上流に向かって。上流は蛇行しており、まだ整備されていない。昔のどぶ川の面影があり、水もどす黒く排水の匂いがする。それでも、コサギも鴨もいた。なんとアオサギが佇み、ひゅーっとカワセミも横切っていった。魚も鳥もけなげだな、こんな汚い川でも生きているのだから。
 魚や鳥の「食の安全」は大丈夫なのだろうか。そんなことを考えて歩いているうちに、川の水はより汚くなって、ついに流れはなくなった。下流も水が消えていたけれど、上流も水が消えている。今は雨水と排水だけで川の命を保っているのか。そう思ったら、この空堀川がとっても哀しく愛おしくなってしまった。ずっと昔は湧き水などがたくさん流れ込んでいたのだろう。
 流れが途切れた辺りに生協がある。「毒ギョーザ」の影響があるのかと思っていたが、いつもと変わらない様子に見えた。5kgの粉石けんを抱えてレジに並んだが、レジの女性はとても慇懃で、その対応には一分の隙もない。けれど、私の“第六感”が受けるこの違和感は何なんだ? それは一種の距離感、ある種の冷たさとも言える。店内に「毒ギョーザ」に関するお詫びの貼紙でもあるかと、つい見回してしまった。レジを出たつきあたりに、お詫びと注意らしきことが書かれているB4大の用紙が1枚。へぇー、こんなものなのと驚く。
 たぶん、レジの人は消費者から直接苦情を受けているんだろうな……。

 昨日、ウチの生協のお兄さんが配達に来た。「配達に行ったら、餃子を突き返されちゃった」「この1週間で生協をやめるっていう人が出てきましたね」と言っていた。ウチの生協は、国内産にこだわり、まず安心していい生協だし、餃子も美味しい。それなのに……。生協のお兄さんが可哀想になってしまった。
 私たち消費者は弱い存在でもあるが、もっとしっかりしなくちゃいけない。見極める目を持ちたい。
 以前の空堀川は今よりももっと汚く、ヘドロが浮く川だった。それを無自覚に汚したのも私たち。汚れた川を見て、たった一人の個人に何ができるだろうかと思う。結局は行政が税金をつぎ込んで、大々的な工事をするのを待たなければならない。……でも、ピカピカの真っ白な洗濯物にこだわる前に、水をなるべく汚さない石けんを使おう。それが個人にできる最初のことかもしれないと、雪の日の買い物で思った。
 ※写真はスノードロップ(待雪草)。昨夜、雪が降るのをイメージしながら作りました。花言葉は「希望」だったかな。



2008.1.29(火) 蒼鷺(あおさぎ)  空堀川の生き物たち6
空堀川のアオサギ  ヒマになったので、近くの空堀川を散歩する日が多くなった。
 野鳥を眺めるのは、とても楽しい。昨日はアオサギに出会った。
 アオサギはでっかい。すぐに目につく。けれど、空堀川に常駐しているわけではなさそうだ。1羽しか見たことがないし、いつもいるとは限らない。秋口には夜しか見なかったから、夜行性かと思ったけれど、そうでもないらしい。
 昨日は東村山浄水場近くの橋の下にじっとしていた。私が橋の柵の間からパチリと写真をとったら、驚いて飛び立った。とても大きい。私が両手を広げたくらいの大きさがありそうだった。
 ひぃひぃ息を切らしながら走って追いついた時、すでにアオサギは優雅に、そして堂々と川を歩いていた。が、ふいに大きなものを咥えて飛び上がった。重そうである。
空堀川のアオサギ アオサギはまた川に降り、何度か咥えなおしていた。20〜30センチはありそうな魚だった。(鮒か鯉のようだった)こんな大きな魚を食べるのかな、けっこう獰猛なんだなと眺めていたら、魚はポトンと川に落ちた。魚が自力で逃れたのか、それともアオサギが食べられないと判断して放したのかは定かでなかったが。
 またアオサギは飛び立って向こう岸に移った。私も走って追いかける。まるでアオサギと一緒に遊んでいるみたい。
 排水が流れ込む辺りでじっと佇んでいるアオサギ、それをずっと見下ろしている私。あはっ、絵にならないねぇ。そんなことをして楽しんでいたら、そこにカワセミが飛んできた。近くにはコサギもいたし、ゴイサギもいた。もう少しで日が暮れるたそがれ時、幻想的な空間を独り占めにしたような気分だった。



2008.1.24(木) マイ・エコ  レジ袋の整理
レジ袋のたたみ方  私はひどい片付け下手。押入れといい、台所といい、どんどんたまっていく“もの”に圧倒され、途方にくれる。年末には世間一般の大掃除の圧力に心がうちひしがれ、もうどうしようもない精神状態に陥るのが常だった。
 ところが昨年末は完全に居直った。ひとつだけすっきりしたものがあったせいである。
 レジ袋を整理した。私だって、やればできるじゃん!
 レジ袋をたて半分に折って、また半分に折る。次に下から三角に折りたたみ、最後に上部の手さげ部分をうまく三角に折ってポケットに押し込む。コツはなるべく空気を押し出して折っていくこと。(実はこれ、友人から教わったのです)
 こうして、あふれかえっていたレジ袋は小さな箱の中にすべてが納まった。そして、たたんだ1〜2袋はバックや上着のポッケに常備。(…とエラソーに書いたものの、こういう工夫は皆やっているんだろうなぁ)
 そして、私はドラッグストアに買い物に行く。レジで「袋は要りません」。ちょっといい気分。おまけに、その店ではエコポイント1点が加算されるんだもん。500ポイントたまると(買い物額も)、「500円お値引きです」ということになる。この500円で花子(猫)や外猫のエサ「銀のスプーン」1袋相当が買えるってわけだ。
 近頃、再生紙偽装が問題になっている。メーカーは販売中止などと言っているが、偽装であれ作っちゃった紙はどうなるんだろう? 古紙を再利用してエコマークが付くんだから、偽装した紙は“古紙偽造”というマークでも付けて安く売り、消費者におわびせい!って言いたくなるよね。



2008.1.14(月) 『窓ぎわのゴースト』  わくわく、はらはら、どきどき…
『窓ぎわのゴースト』 ゆうきえみ著(大日本図書)  若い頃のこと、見せられた写真を覗き込み、ギャーと放り出してしまった。その写真には知人が写っていた。しかし、着衣の黒いセーターのお腹には寂しげな美人の顔が!驚かずにはいられない。このときから唯物論者であった私の信念は大きくゆらぎ、「もしかしたら幽霊は存在するのかも」と、ちょっと思い始めたのだった。
 「会えるものなら会ってみたいもんだ」と思っていたが、実際に幽霊をこの目で見たことはないので、その存在の有無に関しては、いまだに「かも」状態。
 もしも「ゴースト探知機」なるものがあったとしたら、私は即購入して持ち歩き、幽霊ウォッチングを始めるに違いない。(タヌキウォッチングに凝るほどだから)

 『窓ぎわのゴースト』(ゆうきえみさんの最新刊)には、「ゴースト探知機」が登場する。開発者は大学生の黒木紳一くんで、彼は「ゴーストハンター」として事務所を構えている。妹の薫子(ルコ)と彼の恋人・町田美奈子さん(マチ先輩)が協力者。
 取り壊し寸前のオンボロアパートに幽霊が出るらしい。そのために近所の人たちは気味悪がっていたのだ。
 アパートに探索に出かけたルコとマチ先輩は、なんと猫の幽霊に会う。私は興奮してしまった。
 だって猫の幽霊だよ、それも「さび猫」。思わずウチの猫に、「あんたがこの本に出ているよ!」とわめいてしまった。本には「ごちゃごちゃとした模様の汚い猫」と表現されている。「ねぇ、花子、さび猫はそれなりの美しさがあるよねぇ」なんて言いながらも、さび猫が登場する物語というだけでも感激していた。
 あっ、話が脱線したけれど、幽霊猫には飼い主がいるわけなのよ。それが鶴子さんという年配の女性。鶴子さんの友だちは、亀吉さん(老人)、杏子さん(若く美しい母親)、草太郎(小池鉄平に似ている大学生)。この4人は家族のように仲よく暮らし、みんなでミーちゃん(猫)を可愛がっている。
 杏子さんには幼い息子・健太くんがいた。けれど、行方不明。みんなはアパートで健太くんの帰りをずっと待ち続けている。みんなやさしく人間的な人たちばかり。そして、この人たちこそが全員幽霊なのだ。
 善良でやさしい人たちが、なぜ幽霊(ゴースト)として姿を現したのか?
 紳一、ルコ、マチ先輩は、近所の人から話を聞いたりして事情を知る。さらに紳一は「スピリコム」なる機械を発明し、3人は幽霊と会話ができるようになった。彼らは幽霊たちを助けたいと願う。そして、ルコは幽霊の草太郎に恋してしまう。(けれど、草太郎はマチ先輩に惚れていた)
 幽霊は住処がなくなると生きていけないこと、多くの幽霊は善良でなんの害もないこと、読み進んでいくに従い、読者にも幽霊の実態がよくわかってくる。紳一も「ゴーストハンター」という職業に疑問を感じつつあった。
 そんなとき、正真正銘のゴーストハンター・三枝が現れた。強力なゴースト退治の機械を持って。そいつは幽霊を憎み、虐殺することを生きがいとしている。三枝vs紳一の壮絶なバトルが展開された。
 鶴子さん・亀吉さん・杏子さん・草太郎の命は守られるのか。ルコの恋の行方は?
 わくわく、はらはら、どきどき…読み終えて、ほんわかとあったかいものが心に残った本だった。

 『窓きわのゴースト』(ゆうきえみ著/大日本図書 2007.11.20 第一刷)
      http://www.dainippon-tosho.co.jp/shop/product_info.php/products_id/1458?



2008.1.6(日) 正月・午前1時のタヌキ
タヌキ  このフサフサした毛並みを見てくださいな。立派なタヌキ! 今でもあの夜のことは、タヌキに化かされて夢でも見ていたのかなぁと信じられないくらい。はじめて、こんな至近距離から写真を撮ることができたなんて。
 タヌキとの遭遇は、2008年1月1日午前1時頃のこと。
 除夜の鐘がなって年が明けると同時に、家人とともに徒歩で多摩湖に向かった。(多摩湖の下に小さな神社があり、年のはじめに、ここに訪れるのが例年の習い)
 さすが深夜、多摩湖周辺はしんしんと冷え込んでいた。「今夜は堂々と夜歩きできるね。タヌちゃんも歩いているかな」などと言いながら、落ち葉を踏んで歩いていた。前方には公園事務所と公衆トイレが見える。神社まではもうちょっと。その時、トイレの横から影が見えた。「猫じゃねーの?」と家人、「いや、タヌキよ」と私。
 その影はこっちに近づいてくる。今まで会ったタヌキは、こちらの姿を見るや、すぐに姿を隠してしまった。それなのに、どんどんこっちにやってくる! 私の足元まできて、しばらく立ち止まった。そ、そんな……どうしよう、私は戸惑い、2,3歩後ずさる始末。ドキドキドキ……、予期せぬ事態に私はうろたえた。猫のようにスリスリしようというのかな。クンクンと私の匂いを嗅ぐような仕草をした。次に家人のほうに近寄った。が、一目散に逃げ去った。「あんたのこと、動物だと思ってんだよ、あのタヌキ」と家人は少しくやしそう。
 このタヌキは人間からエサをもらって、慣れているのかもしれない。可愛かったなぁ。
 2008年の初っ端からタヌキに出会えたしあわせ。隣人として仲良く暮らしていきたいね、タヌちゃん!