2012年1月〜12月の日記 平穏に暮らせたらいいなぁ……。 のんびり、ゆったり。 だけどね、そうとばかりは言ってられないことも たくさんありますね。 日々感じることを書いてみようと思ってます。 |
2012.12.26(水) 空堀川の放射線量 危険!河川敷には絶対下りないように!
今朝、友人のブログをみて驚きました。緊急の報告(引用)が載っていました。空堀川で高濃度の放射線が測定されたという記事でした。引用元は「東大和環境放射線研究所のブログ」。ぜひ、見てください。 大変高濃度のため、子どもたちは絶対立ち寄らないようにと研究所ブログには警告が発せられていました。 測定場所は、東大和市の空堀川の橋(上砂一の橋 上砂二の橋 清水橋)付近の排水口下流域だそうです。地上5cmで0.4μSv/h〜1.108μSv/h(都下で最高値)もあったとのこと。(他の橋の下も除染基準値以上の放射線量が数十メートルにわたり続いているそうです。) 私がいつも散歩する空堀川、子どもから老人まで遊ぶ空堀川、小鳥や水鳥が憩う空堀川……非常に危険で、悲しい事態だと思います。改めて、福島第一原発事故の恐ろしさを実感し、福島をはじめ東日本全域でこんな事態を招いても、厚顔無恥に存続する電力会社に憤りを感じます。 行政は一刻も早くこの事態に対処してください。 この報告をネットに出してくださった東大和環境放射線研究所に敬意を表します。 位置を把握するため、地図に場所を入れてみました。 (この付近の空堀川は新青梅街道の北側を流れています。下のクリーム色の道が新青梅街道。) 2012.12.25(火) 星になったボク クリスマスソングを聴きながら
一昨日のこと、ラジオからステキなクリスマスソングが流れてきたよ。スローなテンポで、やわらかい癒し系の声。ゆらりゆらり、ボクはそのまま眠ってしまいそう。♪き〜よし こーの夜 ほ〜しはー ひ〜かり……♪ このままお空に上って、小さなやさしい星になりたいな。 ボクを抱っこしたかあさんは、ボクが眠ってしまいそうになると体を揺らして、「ハクちゃん、眠らないで。立派なお猫になるんだから」といつまでも親バカぶりを発揮する始末。 でも、かあさん、ボク、もう眠くて眠くて。 家族がボクのことを心配していたこと、よくわかってるよ。放射能のせいで体が弱いんじゃないかとか、お日様に当てないから元気になれないんだろうとか、丈夫になるために緑黄色野菜入りの餌にしたりとか。 ベランダに出て、「空はこんなに広くて、ほら鳥が飛んでる。もっともっと向うまで色んなものがあるんだよ」なんて言いながら、抱っこしてくれたことも良い思い出。ボク、本当は外が怖くて仕方なかったんだけど。 立派なお猫になれないで、子ネコのまま眠り込んじゃって、ごめん。 ボク、高いお空に上って、星になる。サクラさんや花子さんに会ってくるね。じゃ、おやすみ。 5ヶ月という短い間だったけど、一緒に暮らしてくれてありがとう、ハクちゃん(我家の猫)。 最初から病弱で、この世界に生きていること自体、つらかったのかもしれない。風邪の症状が治まったものの、12月に入ると、いつも寒そうに布団に入って日がな一日寝てすごしていたね。目は瞬膜が出ていて、具合悪そうだった。生まれる前から何かの影響(放射能かな)を受けていたとしか思えない命の短さ。先一昨日、体がふらついているなと思ったら、あっという間に体が動かなくなってしまった。でも、眠りにつく直前まで餌を食べて、生きようとしていたハクちゃん。本当にえらかったね。 人間界はあまりにも下劣で、原発にさよならできずに、今度は国防軍だとか憲法改「正」(悪)だという人たちが世の中を牛耳ろうとえばり出している。ハクちゃん、こんなひどい世情だけど、何とかいい方に向かうようお空から祈っていて。携帯電話につけたハクのストラップを見て、私もがんばろうと思う。 2012.10.24(水) 雑感 あー、はやくご飯が食べたい
「雑感」という響きには、エッセイ風の香りがする。高校生ぐらいの時には、この言葉に少し文学的な憧れを感じたりもしたかな。だがだがだが、今の私はまさに雑なる感情が行き交っているのだ。グーグーお腹が鳴っている。早く食べたい。何か食べたい。何かして気を紛らわそう、ということでこれを書いている次第。実は今日、メタボ健診なので、それが終わるまで食べ物はじっと我慢なのだ。 何を書こう? そうそう、先日、秋留台公園に行ってきた。あきる野市にある広い公園には、バラ、コスモス、金木犀が咲いていた。写真はそのときに撮ったコスモス。携帯で撮ったのだが、まあまあきれいに写っていた。早くこんな写真があれば、トップページに飾れたのになと思う。 それから、ウチのハクちゃん(猫)は病みあがり。まだ本調子ではない。彼を見ていると不安でたまらなくなる。動物病院からもらってきたものの、初めから風邪気味だった。「健康管理をちゃんとやっていたのだろうか」とその病院に不信感を抱いた。でも、元気になったので、この前diaryに登場させたわけである。 ところが、それが祟ったのか、また具合が悪くなってしまった。かかりつけの獣医さん(歴代の猫がお世話になった)に連れていって注射をしてもらった。回復してきたと安心していたら、今度は下痢。カスピ海ヨーグルトを食べさせて、ようやく危機を脱したもよう。(私の指にヨーグルトをつけてなめさせた) どうか元気になってね。長生きしてね。ハクを抱っこしながら、“いわしの頭”にお願いする。 それにしても、私は子育てが下手である。人間の子は一人しか育てたことがないが、この結果は言わずもがなのこと。あと、猫の仔を何匹かの経験であるが、その猫たちの行状は人様に「躾が悪い」と言われてきた。 ハクにとって、捨て猫のままより我が家にいるほうが幾らかはマシだろうと思い、自分をなぐさめる。 そうだ、捨て猫と言えば、この頃また「彼」に再会した。ナイトくんである。団地の空き地に暮らしている。すばらしい大人の猫になっていた。ツヤちゃんという丸っこいガールフレンドと仲良くしている。この話はもっと書きたいけれど、また後日に。やっとメタボ健診の時間が迫ってきたので、布団をしまって出かけよう。 2012.9.18(火) “ネコババ”しなさい はじめまして、仔猫のハクと申します。
「ちゃんとネコババしなさい」とママハハが言うんです。誰かの財布を拾ってきて隠せっていうのかな。ここんちは貧乏だからね……。そんな犯罪行為をボクにやらせようなんて、やっぱり人間のママハハ、考えてることがあざといです。 何という家にもらわれてきてしまったのか、にゃー……。 あっ、ボク、猫です。たぶん、生後4ヶ月。ここんちに来てから約2ヶ月ほど。名前はもうあります。ハクといいます。 ママハハが『千と千尋の神隠し』(スタジオジブリの映画)を見て、登場人物の「ハク」にホの字。まっ、彼がハンサムだったからでしょう、惚れちゃったのは。「ハク」の本名は「ニギハヤミコハクヌシ」(饒速水琥珀主という漢字になるようです)。コハク川の神で白竜に化身したりします。かような名をつけておきながら、ネコババしろなんて…ね。 えっ、勘違いだって? ママハハがわめいています。 「ちがうよ! そのくさーいものに砂をかけて。ほら、こうして。これができなきゃ、猫じゃない!」 そんなことを言われたって困ります。一刻も早く臭いものから離れたいのが、普通じゃにゃーですか? どーも、ボクのDNAにはネコババの習性は組み込まれてないようで、アハハ。 ゆえに、ハクの糞(ババ)はママハハがせっせと砂で隠して、トイレにたまると袋に入れて始末しているってわけですね。ママババ、いえママハハは思ったほどひどい人間じゃないみたいです。とにかく、ボクに犯罪行為をさせようとしているのではない。安心しました。これからは「かあさん」と呼んでやろうかな。 ところで、カクの糞はどーなりますかね。ハクのじゃありませんよ、核です。ホントに人間は愚かです。とくに政治家のオヤジや経団連のジーサンはどうしようもないにゃあ。儲けることしか考えてないから、あんな恐ろしい事故があったというのに、原発をすぐにやめられないんですね。それで、「みんなが使ったエネルギーの廃物なんだから」などと詭弁を弄して、全国に核の糞を撒き散らそうとしているなんて、許せません。 それに比べたら、ネコババできない猫なんて、かわいいもんです。こんなかわいいボクですが、心配事がひとつ。ボクの餌に核の糞はまじってないでしょうか。そんなの食べたくないよー。 ネコババ=猫糞とは、猫が自分の糞(ババ)を隠すために砂や土をかけることからきた言葉です。清潔好きな猫の仕草ですが、どうも人間はそれを見て、「悪さを隠す」というように連想したんですね。それで、拾ったお金なんかをこっそり着服するような行為をネコババと呼ぶようになりました。金額にもよりけりでしょうが、「遺失物等横領罪」となるという話です。じゃあ、カクババ=核糞はいったいどれほどの罪に問われることやら。こっちの犯罪者は累計何兆円も着服したってことですよね。(注:ハク) 2012.8.23(木) ’12夏の旅 原発銀座の若狭湾に行ってみました
そんなわけで、翌10日は福井までドライブ。「せっかく(?)だから、原発銀座を見てこようよ」となった。 京都から約2時間で敦賀湾。豊かできれいな海だった。海水浴場と漁港が多い。敦賀半島の先端を目指して進んだ。 小1時間くらい車でいくと水産試験場があり、すぐ先の入江に敦賀原発が建っていた。えっ? こんなに無造作に危険な施設が建っているの? と意外な感じ。(写真上) 門近くでは作業員が整列して指示を受けている。 私がカメラを向けると、すぐに警備員みたいな人が出てきた。何か尋問されそうなので、すぐに立ち去った。 敦賀原発から引き返し、トンネルを抜けて半島を横断すると若狭湾である。出た所は明るい海岸で、美浜という名前のとおり、見事に美しい浜だった。海の家のお兄さんが盛んに呼び込みをやっており、海水浴客がいっぱい。「すいませんね、私たちお客じゃないから」とつぶやいて、ドキッとした。前方に見えるのが美浜原発だった。えーーっ! こんなに行楽客と接近しちゃって大丈夫なの?と、ここでもまた驚く。道路から原発のある岬まで、長い橋がかかっていた。(写真下) この橋は関係者しか渡れない。そして、原発に行くには、この橋しかない。何かあったら大変なことになると思う。 悪名高き「もんじゅ(高速増殖炉)」がすぐ先にあるのだが、疲れてしまって進むのはやめた。 原発は人目を避けて建っているのかと思っていた。けれど、違う。敦賀半島の先端にひしめきあって施設が建ち、人々の暮らしのすぐそばに存在しているのだった。若狭湾にはまだおおい原発も高浜原発もある。(今回は見なかったが) 原発が稼働しているとき、湾には大量の温水が流れ込み、生態系は壊されているのだろう。事故があるたびに秘密裏に放射能がもれていたり、作業員が被ばくしたりしてはいまいか。 旅から帰って、ネットニュースをチェックしてみると、敦賀原発ではこんなに多くの事故があったのだ。 5/18 2号機工事で下請けの男性作業員が転落する事故を発表。頭の骨を折る重傷。 7/9 活断層調査のボーリングを行った際、誤って地中の配管に穴をあけたことを発表。 7/11 1号機の配管の弁で冷却用海水が5分間に1滴程度の速さで漏れているのが見つかる。 7/25 1号機で配管の弁から冷却用海水が漏れていたと発表。 8/17 1号機で燃料集合体を覆う筒にすき間が見つかったと発表。 8/21 2号機で津波対策の密閉扉設置中に扉枠(510kg)が倒れ、下請け作業員が下敷き、重傷。 福井から京都への帰路は琵琶湖を眺めながらだったが、つくづく原発から京都も滋賀も岐阜も目と鼻のさきにあることを実感する。琵琶湖はゆったりとして、まるで海のよう。周囲は緑にあふれ、川には白鷺など多くの水鳥が飛び交う。琵琶湖畔の野鳥観察カフェで喉をうるおした。ここでは時がゆるゆると流れている。 ひとたび事故が起これば、この自然も人々の暮らしも壊されてしまう。琵琶湖の野鳥を見ながら、そんなことを感じた夏の旅だった。それにしても、敦賀原発の事故の多さには驚愕するばかり。 2012.8.7(火) 『沈黙の春』を読まなくちゃ 9年ぶりに再開した本
先日のこと、あまりに暑いので本の整理をした。少しでも風通しをよくするために。捨てる本をまとめていたら、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著 青樹簗一訳 新潮文庫)が出てきた。読もうと思っていたのに、9年間、行方不明だったのだ。 昨日は「広島原爆の日」。広島市長は福島第一原発事故を「忌わしい事故」と表現し、「人類と核は共存できない」と式典で述べた。福島原発は広島原爆の168発分のセシウム137(公式発表)を撒き散らした。大地に、海に。これから人間も含めて生物への被害がどれほど出るのか予想もつかない。人類が原発という愚かしい選択をしたことを、つくづく思い知らされる。即刻原発はやめて、核のゴミもこれ以上増やしてはならない。 さて、『沈黙の春』だが、私は本を読むのが遅いので、まだ数十ページしか目を通していない。 そこまでしか読んでいないけれど、とても衝撃的な内容だった。原発事故の起こった日本でこそ、この本は読まれなくてはならないと思った。レイチェル・カーソンは農薬の脅威を警告していた。もちろん、放射能も。自然界にないものが、どれだけ生態系に大きな影響を及ぼし、生き物の命を奪っていくことか。 昨夜読んだ箇所には、カリフォルニア州クリア湖の例が記されていた。 クリア湖にはたくさんのブユ(これは血も吸わず無害だそうだ)がいて、釣人や別荘地の住人をなやませたという。ブユとの共存を嫌がった人間は、DDD(DDTより魚に害が少ない薬品)を撒布した。撒いてもブユは復活し、撒布濃度はその都度高くなっていった。(1949年、1954年、1957年に撒布) クリア湖は魚が多く、カイツブリ(水鳥)も1000つがい以上いた。ところがDDDを撒布するごとに、カイツブリは死んでいき、1960年頃には30つがいほどしか残らなかったという。死んだカイツブリからは1600ppmものDDDが検出された。撒布されたDDD(毒)は、プランクトン→草食類(魚など)→肉食類(ナマズ・カイツブリなど)という食物連鎖の中で、どんどん濃縮されていったのだ。湖の水そのものはDDDがゼロだったのに。そして、クリア湖で釣った魚を人間がフライにして食べる。……この食物連鎖のことを考えると眠れなくなりそう。 暑さやだるさにめげずに、しっかり読まなければ。 1962年に出版された『沈黙の春(Silent Spring)』は、当時のアメリカで150万部も発行され、20数ヶ国語に訳され、世界中の人々に愛読されているという。 ─自然は、沈黙した。……春がきたが、沈黙の春だった。……リンゴの木は、溢れるばかり花をつけたが、耳をすましてもミツバチの羽音もせず、静まりかえっている。花粉は運ばれず、リンゴはならないだろう。─(『沈黙の春』の一節より) 2012.7.6(金) 青いお茶(コモンマロウティー) “夜明けのティー”を楽しんでみませんか
夜明けのハーブティーは、こんなにきれい。 ほら、カップの中に空が映っている。夜から朝へ、暗い空は青くなり、すぐに朝陽がバラ色に染めていく。というのはウソだけれど、このお茶の青さは夜明けの空のようで、レモンを入れると色を変えていく。だから、“夜明けのティー”と呼ばれているとか。 この不思議なお茶は、コモンマロウ(和名:薄紅葵)というアオイ科のハーブ。 マロウの花を摘んで乾燥させ、その花びらをポットにひとつまみ入れ、お湯を注ぐときれいな青いお茶ができる。それだけでも感動、さらにレモン汁を数滴入れると、喚声をあげてしまうほど。お茶はピンク色に変わる。(レモン汁が多いほど、ピンクは濃くなる。ユズなどの柑橘類でも同じ) お味は?と問われると、これが微妙なところ。そのまま飲んでも、私の舌はほとんど何も感じない。香りも私の鼻ではわからない。妹によると、かすかにミントのような香りがするという。 じゃ、単に色がきれいなだけかって? いやいや、そうじゃない。喉の炎症や咳などに効果があり、または胃炎にも良いらしい。生の花を虫刺されや傷につけても炎症が抑えられるという。お茶をうがい薬や化粧水にも使える。さすが、ハーブである。古代ローマ時代から使われていただけのことはあるなぁと納得。 先日、畑に咲いたコモンマロウを自慢して、私は義妹に言った。「生の花も若い葉っぱも食べられるらしいよ。好きなだけ採っていって、食べてね」と。そうしたら、「おねえさんが食べてからにするわ」と言われてしまった。調べただけで、じつはまだ食べていない。サラダにも、テンプラやお浸しにしてもいいようです……。 3年前、購入した時の苗はとても貧弱だったが、今年は巨大な株になった。こぼれ種から成長した株も立派である。赤紫の花が毎日いっぱい咲いて、1日で散っていく。私は2〜3日おきに花を摘んできて、乾燥ハーブを製造中。 うっとうしい梅雨の終わり、この清々しい色は癒しになる。こんなことを楽しんでいると、原発再稼働や電気料金値上げなどの腹立たしいことを、しばし忘れる。 みなさまもマロウティーで楽しんでみませんか? 真夏にはアイスティーが涼しそう。 2012.7.2(月) 私、怒っている 四つ葉のクローバーは見つけられない
何だろう、このイライラ、モヤモヤ……。 胸の中に濁った水があって、いっこうにその濁りが浄化されないような感じ。何とも言えない不安感と怒りが体中に拡がっていく。 一昨夜のテレビ画面は、いろんなものを失った老人の姿を写しだしていた。健康もお金も人間のつながりもなくなってしまった老人。最後に行き着いた場所で生きてはいるものの、それが幸せには決して見えない。 震災や原発事故だけじゃなく、日常生活の延長でも“被災”している人が大勢いる。それが、この国の現実。なんともやりきれない。 私の行き先は、と考える。テレビの中の老人に自分が重なる。とてつもなく不安になる。生きていくのが辛くなる。なぜなら自分がいかに要領が悪いかということ、お金を稼ぐのがとても苦手であること、人の間にあって上手に生きていけないこと……などなどマイナス面ばかりが浮かんでしまうのだ。 生きていけばいくほど、いい人に出会うことは少なくなる。世の中、けっこうひどい人も多い。身近な“よい友だち”が、実は人を利用するだけの自己中心的な人物だったなんてことはよくある話。 広い原っぱで、いつまで経っても四つ葉のクローバーを見つけることができない、そんな心境にもなる。 まっ、このごろの私は少し悲観的になりすぎているようなのだが……ね。 政治家はひどい人の象徴だ。強き者は弱き者を支配し、養分を吸い取るだけ吸い取って、容赦なく切り捨てる。それで自分たちは地位や権力を得て、えらそうにしている。ウソをつくのも、ウソがばれても平気の平左。自分たちの利益のためには、大飯原発を起動させても何とも思わない。人々の安全などは考えてやしない。そんな輩が政治や経済や学問を牛耳っていると思うと、つくづく情けなくなり、腹が立って仕方がない。 議員という人たちが、真実の政治家になりたいのなら報酬をゼロにすればいいと思う。利権を求めるのではなく、手弁当をもって民を助けよ。 この間、大飯再稼働に反対し、首相官邸前を埋め尽くした何万もの人たち。誰かがこの民衆の行動を“あじさい革命”といったけれど、実際に政治を変える力だと思う。この人たちに、私は「ありがとう」と伝えたい。 2012.5.11(金) 知ってた? スイシンジャーのこと 愉快痛快、笑いころげて脱原発を
みなさん、知ってた? こんな面白いものがあったことを!それはスイシンジャーの動画。もうずい分前からネットでは有名だったみたい。それを知らずにいたなんて、私としたことが何たる不覚。 新聞に載ってたんだよね、スイシンジャーのことが。この頃の新聞はたいしたものだ。(東京新聞だけど) 検索すると、『スイシンジャー』はYouTubeに何編かアップされていた。原子力村のヒーロー、3人のスイシンジャーが登場する動画だ。 『絶対原子力戦隊スイシンジャー』というのが初期の作品らしく、歌とともに映像が流れてくる。出演者の動きは切れがあって、只者でないことをうかがわせる。きれいな画像だし、見ごたえがあった。何よりもスイシンジャーの欲望がはっきり・くっきり、露骨に描かれているところがすばらしい!おもしろい! さらに最新作の『スイシンジャー 異形編』には驚かされた。怪人・小出男こと小出裕章さんが出演しているんだよ。もうもう目ん玉が飛び出るくらいびっくり。そして、小出男は完膚なきまでにスイシンジャーを論破して、反原発・脱原発の正しさを淡々と説くのだ。その様がまたまた愉快! 結末がもっとおもしろいんだ。(見てのお楽しみ)あはははっは〜、うふふふっふ〜。げらげら笑える。 久々に愉快痛快、心も晴れ晴れとしてきた。「原発推進じゃ」という輩を笑い飛ばしてしまえる。 この動画は反原発集団「尾米タケル之一座」さんが作った。この集団、若きお笑い芸人・俳優の4人が震災後に結成したものだという。スピーディな画面といい、リズミカルで明瞭な音声といい、なるほどプロのコント作品だなぁと感心して、笑い転げることができた。次回作も用意されているらしく、た・の・し・み。 一応、アドレスを書いておくね。(たぶん、「スイシンジャー」と検索するだけですぐに見つけられるけど) 『絶対原子力戦隊スイシンジャー』……http://www.youtube.com/watch?v=0AcQJE_R0iw 『スイシンジャー 異形編』……http://www.youtube.com/watch?v=9FiwgKYdwrg&feature=relmfu 2012.4.11(水) 桜めぐり Webアルバムに公開しました
今日は小雨。天気予報はどんぴしゃり。本当は今日出かけるはずだった。ところが、予報を信じて一日早めた。正解。 そのお陰で、久々のHPを更新している。 陽気がいい昨日、立川の根川緑道を散策し、国立駅まで歩くことができた。根川緑道はすばらしかったの一言につきる。桜が美しいのは言うまでもなく、その桜空間には、そこを歩く人びとを幸せにする魔法がかかっていたようだった。 水辺に憩うカルガモの眠たそうな顔も、ゆったりと泳ぐ鯉の姿も、何もかもが夢のよう。 半日、世の憂いを忘れて歩いた。 今日はその集大成(?)ということで久しぶりにWebアルバムに写真をアップロードしてみた。アップしてみると、「やっぱりなぁ」といまいちの出来にがっかりもしているが、これも思い出。 よろしかったら見てくださいませ。題して、「2012花めぐり」。 【追記】 4/12まだ懲りずに“桜めぐり”。所沢市にある金仙寺に。写真をアルバムに追加しました。 2012.3.23(金) 抵抗しない哀しみ 『私を離さないで』を読んで
先週、一気に『私を離さないで』(作/カズオ・イシグロ 訳/土屋政雄 早川書房)を読み終えた。こんなふうに夢中になって読書したことはめったにない。本のタイトルみたいに、この本は私を離さなかった。ここにあらすじを書いてしまうと、読もうとする人の楽しみを奪ってしまうので、中味には触れないほうがいいだろう。でも、まったく書かないわけにはいかないので、ちょっとだけ触れることを許してね。(作者は日本人だが英国籍。原作は英文で書かれている)キャシーは優秀な介護人である。もう11年以上も“提供者”の世話をしている。 彼女はルースやトミーとともに「ヘールシャム」という全寮制の施設で育った。そこは自然に囲まれた牧歌的な環境である。癇癪持ちのトミーはいじめられっ子、勝気のルースは目立ちたがり屋。キャシーは彼らと仲良しで、青年期になるまで友情は続いていく。 先生たちは子どもの健康保持に熱心で、喫煙などは論外だと諭す。また、絵画や詩などの情操教育に力を注いだ。でも、施設は外界とのつながりがなかった。 外から訪れるのはマダムだけで、子どもたちを「気味の悪いもの」のように見ている。キャシーはマダムの眼差しの意味をずっと考え続けた。 やがて、キャシーたちは子ども時代を終え、ルースとトミーは恋人同士に。キャシーは介護人になるために2人から離れていく。 そして、介護人になってから、“提供者”となった2人と再会するのだったが……。 読後、私の胸を満たしたのは“哀しみ”だった。その人生から逃げて出して! 運命を強いるものに抵抗せよ! 私はそんな叫び声を心の中であげた。だけど、彼女たちにその声はとどかないのである。どんなに力を込めて、大声をあげようと。現実に彼女たちがいるわけではない。あくまでも小説の中の話なのに、私は実際に彼女たちに会ってしまったような気がしたのだった。 彼女たちは本の中から私を見つめていた。受け入れざるを得ない運命、抵抗しない哀しみを背負って。 それは他人事ではないのかもしれない。福島で殺された牛たちの目は、彼女たちに似ていた。もしかしたら、明日、とりかえしのつかない原発事故が起こるかもしれないこの国にいて、私は逃げ出すことができない。放射能がどれだけ大地や自分たちの体の中に積もってしまっても、もう仕方がないこととして諦めてはいまいか。 この本を紹介してくれたクリさん、ありがとう。 ※写真はDVD。『私を離さないで』は映画化されている。(2010年) 2012.2.13(月) カワセミ 空堀川の生き物たち15
「写真を撮ってごらん」とでも言うように、じっと枝先に止まっていた。 輝くような空色とオレンジの羽が美しい。長く黒い嘴もかっこいいし、枝先をつかんでいる指が鮮やかな赤だった。それに、なんと魅惑的な視線だろう。 写真を撮ったものの出来が……、まっ、写せただけでよしとしなくては。こんなふうに心残りに思うのも、カワセミが美しすぎるからかもしれない。多くの人がカワセミに魅せられて、写真を撮る気持ちがよくわかった。 はじめてカワセミに出会ったのは数年前のこと。散歩中、目の前を、さーっと水色の光を放って飛んでいくものがあった。カワセミだった。きれいな水辺にいるはずのカワセミが、“旧どぶ川”の空堀川にいるなんて! 本当に驚いた。でも、川には無数の小魚が泳いでいる。サギが小魚を食べている。同じ小魚を餌とするカワセミがいることに不思議はない。カワセミも棲める空堀川に、くすぐったいような誇りを覚えた。「私が暮らしている街の川に、カワセミが棲んでいるんだよ。すごいでしょ」と吹聴したいくらいに。いや、実際に私は吹聴した。 かつて空堀川が汚いどぶ川になってしまったのは、人間社会のせいだった。だが、人間の力(実際には行政の施策)でこんなに川をきれいすることができる。それは大きな希望に思えた。 それなのに、なんという時代に出会ってしまったのだろう。つくづくと原発事故の恐ろしさを感じている。 11日には「さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動」があり、東京では12000人が集まったという。そこで中学生の藤波心さんという少女がアピールしたそうだ。動画を見て、彼女のしっかりした発言に心が揺さぶられ、その姿が空堀川で健気に生きるカワセミと重なってしまった。 (感動したので、文字に起こしました。以下、藤波さんのアピールの一部。()内は私の追加。動画はコチラへどうぞ) 「3.11以降、私の価値観は大きく変わりました。人類の歴史に残るような大きな事故なのに、たいしたことのないように見せる国の姿勢や行動、(食物の放射能)検査も少ししかしていないのに経済を守るために緩すぎる基準、『(福島産の農産物を)食べて応援しよう』なんて人の命を無視した無責任な国をあげてのキャンペーン、私はこれをすごくこわいことだと思います。日本ってこんな国だったのかと残念な気持ちになりました。今、日本は歴史上大変な危機に面していると私は思います。この狭い国土に地震の多い国土に、気がついたら原発を54基も作ってしまっていた。これは繁栄の象徴ではなく、ただの時限爆弾です。もし、今どこかで大地震が起きて、別の原発が爆発するようなことがあったら、今度こそ日本は終わりだと思います。いつ爆発するかわからない爆弾と一緒に生活するなんて私は絶対にいやです。美しい山や川、海、歴史ある町、おいしい山の幸や海の幸。もう私たちの国土に第二の福島を作っては絶対にいけません。(略)こんな地震の多い国に原発を作りまくるというのも自然をバカにした人類のおごりだと思います。(略)」 2012.1.19(木) ハシビロガモ (嘴広鴨) 空堀川の生き物たち14
「おや、まぁ、あなたはだ〜れ? きれいねー! もしかしたら、マガモの交雑種なの?」と私がつぶやくやいなや、そのカモはこっちを向いた。 な、なんと、強面なカモのおにいさん! 驚いてしまった。 人間さん、なに、じろじろ見てるんだよ。おいらは見せもんじゃないぜ。えっ? クチバシが靴ベラを歪めたみたいだって? 異様な形状だって? 「それがなければ、人のいい顔なのに」だって! よけいなお世話だい。それにカモが人のいい顔してどうするんだ。 最近、あんたたちの人間界では“アヒル口”がはやっているそうだね。口角がキュッとあがって、いつも笑っているような顔がもてるって話だけど、かわいけりゃいいってもんじゃないよ。あのニコニコした女優だって、本当はすごく腹黒いかもしれないし、あの人のいい顔した役者だって、本当は冷酷無比なヤツかもしれないんだよ。彼らの無表情な顔を見たことがあるかい? おいらには容易に想像できるけどな。 あんたたち、騙されるのが好きなのカモ。飼いならされたアヒルになりたいらしいね。 ──いつでもニコニコ、愛嬌たっぷり。何でもハイハイ、すなおで正直。これが一家団欒、人間関係円満の秘訣。遺伝子組換飼料をたらふく食べても、メタボ健診に行けばダイジョーブ。それに、原発事故だってもうアンシン。収束したって首相が言ってたもん。みんな我慢強くて、“アヒル口”のいい人ばっかりのニホンだよ。── そんなことを言ってたら、飛べなくなっちゃうよ。おいらたちは最後まで自由に生きたいね、ねえカミサン。 日本の人間界を辛口批評をしたカモは、つれあいのメスに同意を求めた。 そのカモの名は、ハシビロガモ(嘴広鴨)という。越冬のために日本に飛来してきたそうだ。大きさはカルガモよりやや小さく、草の実や藻はもちろん、昆虫・小魚も食べるほどの雑食性のカモ。 メスは地味で、口元さえ見なければ、カルガモの中にまぎれてしまう。オスは派手なのでとても目立つ。 ハシビロガモさん、お言葉を返すようですが、あなたがたの目はとても人がよさそうだよ、ウフフ。 2012.1.8(日) スズメさん! 今年もよろしくお願いいたします。
新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。昨年末から親しくしている(?)のが、スズメさん。 午後、私は布団を取り込むためにベランダに出て、パンパンと叩く。すると、隣の屋根に1羽のスズメ(雀)が飛んでくる。彼(彼女?)は偵察係らしい。 “オーイ、みんな、おばさんが出てきたぞ”と仲間に知らせるのだ。 “チュン、わかったよー。今、行くね” “チュン、今日もお米をくれるかな” 呼びかけに応えて、十数羽の仲間が桜の木に集まってくる。 「スズメさん!こんにちは。今、あげるね」と、私はいそいそとベランダの手すりにお米を撒く。 最初のころ、スズメたちは警戒して、私が姿を消すまで隣の屋根で待機していた。そのうち、桜の木まで来て、私が去るのを待っていた。ついに今日は、私がベランダにいるのにお米を食べ始めた。 きっかけは、年末に重たい箱を発見したこと。箱をあけると、あら〜、コシヒカリ。2〜3年くらい前のもので、もう食べられない。捨てるには忍びなく、試しに手すりに撒いたら、スズメたちがやってきたのだった。 スズメさん、安心して食べてね。そのお米は2011年産じゃないから。味は少し劣るけれど、放射能はついてないから大丈夫。それにしても、私は……、食べ物を粗末にしてきたよね。恥ずかしい。 江戸時代、人口の8割強は百姓だった。一所懸命に作った米は百姓自らが食べることはできず、大半を権力者(幕府や地主)に年貢としてとられてしまった。また、東北などはひどい冷害に苦しんできた。ちなみに饂飩(うどん)や蕎麦(そば)は、米を食べられない地方で発達してきた料理である。 米の生産量を高めるために、この国の人々は大変な努力をしてきた。そして、冷害に強い品種が作られ、現在、生産量のトップは北海道、2位は新潟県。東北も豊かな米どころである。そのお陰で、私たちはおいしいお米をふんだんに食べることができる。それなのに十分すぎると、つい有難さを忘れてしまう。(私のように) だが、昨年の原発事故は、お米をはじめとする農作物に放射能の脅威を与えた。食べ物を口にするたび、「これは大丈夫かな」と思ってしまう。日本の食べ物は、権力者(国や東電)に安全性を奪われてしまった。 カモや魚は藻や水苔を食べ、サギやカワセミは小魚を食べ、小鳥は草や木の実を食べ、タカなどの猛禽類は小鳥やカモを食べ……。何の罪もない生き物たちは、自分たちが体内被ばくしていることすら知らない。空堀川を散歩しながら生き物たちの営みを眺め、のどかな景色がものがなしく映った。 どうか、今年は昨年よりいい年でありますように。生き物すべてが幸せでありますように。 |