リビングファクトリー★管理人のよしなしごと 日記
猫の花子
2013年1月〜12月の日記

平穏に暮らせたらいいなぁ……。
のんびり、ゆったり。
だけどね、そうとばかりは言ってられないことも
たくさんありますね。

日々感じることを書いてみようと思ってます。


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2013.12.28(土) さんざんな年末  こんなことでめげててなるものか
すずめ  いよいよ年の瀬も押し迫り、世の中、せわしない。
 特定秘密保護法案が強行採決されたかと驚いている暇もないうちに、辺野古に米軍のヘリポートがつくられてしまいそうだし、首相が靖国神社参拝までやっちゃうし、権力者はやりたい放題。私たちはこんなにバカにされて、なめられきっていいものか。ああ、悔しい!こんな国の「国民」、やめたいよ。なーんて言うと、「不平不満があるんなら、とっとと出ていきゃあがれ!この非国民が」と罵られそう。ふん、冗談じゃない。ヤツらは4月に消費税を上げるけど、原発を再稼働しようとするけれど、憲法を改悪しようとするだろうけれど、めげてちゃいけない。私は抵抗していくつもりだよ。(デモや集会に参加はあんまり出来ないけどm(__)m)
 と、自分を鼓舞している年末。還暦を迎えた自分を忸怩たる思いで見つめている年末。それから些細な近隣トラブルで涙した散々な年末。
 卑近なことで心身が疲れるのは情けないが、これも現実。お目汚しになるけど読んで下さい。

 わが街はゴミ回収が無料で、個別回収がない。故に近所のゴミ問題が起こりがちになる。
 この間、家のそばも大量のゴミが残った。ある時は分別されておらず、ある時は間違って出された。出した人は若い男性だった。2回ほど「分別して出さないと持っていってもらえない」「資源ゴミの日に出すんだよ」と教えた。家族に不幸があり、そのゴミだそうだ。「これからは声をかけあっていこうね」と言葉を添えた。
 3回目は大量の雑誌が残っていた。若い男性の家のチャイムを鳴らすと、親戚の女性が出てきた。彼女に「これは資源ゴミなのでステーションに」と伝えた。
 と、その直後、私が家の玄関に入ろうとするや、向うから「バッカヤロウ、□×▼△◆……」と恐ろしい怒声が聞こえた。どうも私に向けられたものらしい。その若い男性の声だっだ。
 心臓がバクバクと鳴った。胃が痙攣を起したらしく痛くなった。しばらく外にも出られなかった。大げさかもしれないが、身の危険を感じた。あまりに怖かったので、近所の女性に話をした。

 そして、またゴミの日。片付けに出た私に、収集車の人が「何だこの大量のゴミは。この前も違うゴミがいっぱい出してあった」とゴミを指して言う。例の家が市に連絡を入れて出したらしい。「市に連絡すりゃいいってもんじゃない、ものには限度がある」と怒っている。たぶん、私が出したと思ったんだろう。もう一人の人が「連絡があったんだから仕方ない、持っていこう」と言ってくれ、全部車に積んでいった。
 このことも近所の人に話したほうがいいと思い、私は親しくしている家に行った。すると……。
 「いちいちそんなことを話しに来ないでくれよ。あんたが隣に何度も言いにいったから怖い目にあったんだろう。もし、俺が隣の立場だったらやっぱり怒るね。うちのカミサンと勝手に話す分にはかまわないけど、俺にはそんな話、しないでくれ」
 家に帰って、涙がこぼれた。なんで私がこんな目にあわなくちゃならないんだろう。親切が仇となって返ってきたわけだ。7〜8割方、一人でゴミ集積所付近の掃除とゴミネットの片付け、残ったゴミの処理をやってきたのだけれど。好きでやっているとしか思われてないんだな。
 相当落ち込んで、内省してみたりした。けれど、理不尽すぎる。もうこんな地域、本当にいやだと思った。心がずきずき痛く、元気が出ない。でも、政治批判をつぶやているうちに、「そうだ、こんなことでめげててなるものか」という気になってきた。
 もうわがままな地域の人のボランティアなんて、誰がやるもんか。

 妹や夫に改めて感謝である。話を聞いて、慰めてくれてありがとう。その支えがなかったら、こうして文など書く余裕もなかった。家族のありがたさを感じることができて、ざんざんな年末も何とか越せるかもしれない。



2013.11.30(土) 『かぐや姫の物語』  竹の子が姫になったときに……
『かぐや姫の物語』(高畑勲監督)  ああ、なんて美しいんだろう!深く満たされた気持ちで映画館を出てきたのは、今週はじめのこと。ジプリの映画『かぐや姫の物語』(高畑勲監督)を観てきたのだった。手描き風の映像は、麗しく、のどやかで、ほのぼのし、なめらかに流れるようだった。時には激流のごとく、または疾風のように、観る者の身体と心を揺さぶった。目に映る一こま一こまを大事に切りとって、心の美術館の中に並べておきたいと思った。
 日本最古の物語『竹取物語』は、ジプリの美しい絵と調べによって、最高のファンタジーとして再現されていたと思う。

 高畑風に再構築された『かぐや姫の物語』。そのステキさは自然と共に生きる庶民の美しさにあった。描かれた風景に翁も媼も鼻たれ小僧たちも、しっくりと納まっている。ほころびはじめた梅の花、天を仰ぐ辛夷(こぶし)、すくすくと伸びる竹林、野に揺れるレンゲソウやナズナや菜の花は、おだやかに人びとの暮らしを包み込んでいる。
 竹から生まれた女の子も、手足をのびのびと動かし、その自然の中で愛らしく逞しく成長していった。それも瞬く間に大きくなっていくから、近所の子どもらは彼女のことを「竹の子」と呼んだ。

 そして、「竹の子」に大きな転機が訪れた。それは、翁(男)の出世欲が招く不幸だった。翁は竹林から出てくる宝物を財源として、都の貴族の仲間入り(?)を果した。「竹の子」を「かぐや姫」に変え、貴公子を婿を迎えようとする。(そのあとの筋は私たちが馴染んでいる物語の展開とほぼ同じだった。)
 けれど、かぐや姫の心は悲しみでいっぱいになる。御殿できらびやかな衣装をまとい、貴公子をあてがわれようとしている姫は、籠の鳥そのものであった。野山に戻りたい、自由に走りまわりたい、大好きな幼なじみに会いたい。姫の心は、疾風怒濤のごとく大地を駆け、空を飛んだ……。

 翁は籠をあむ竹細工師、幼なじみたちは木の器を作る木地師(きじし)で、両者とも山の民・漂泊の民である。自由ではあったが、貧しく身分の低い賤民だった。また、彼らは権力(=大和朝廷)にまつろわぬ民であったのかもしれない。都の場面で「あのしずがめ(賤が女)が」(賤の女だったか)と、姫を蔑むように言う貴族の科白があったが、この映画では様々な場面に作り手のメッセージが埋め込まれていた気がする。
 富と権力を持った者たちが、いかに傲慢で滑稽であることか。その対極にある大切なものは何なのか。現代のファンタジーとしてよみがえった『かぐや姫の物語』は、改めて真理を問うているのではないだろうか。
 と、私が貧しい言葉で映画を称賛するより、百聞は一見に如かずである。私ももう一度観てみたい。
 折りしも映画上映と同時期に、現代の“竹取の翁(?)”たちのニュースが世を席巻した。話題のお一人は、名をばイツツワのトチ爺となむ言いける。権力を手にして、お金が簡単に手に入る“あの人たち”は、もう庶民の心を取りもどすことはできないだろう。そんな人たちが政治を動かしているかと思うと悔しいね。



2013.9.22(日) 十六夜の月  月の写真を撮って想うこと
十六夜の月  わーい、はじめて月の写真が撮れたぞ。さっそくアップといきたいころだったが、何をやるにももたもたした私、2日遅れの「発表!」とあいなった。
 十六夜の月である。撮影したのは2013年9月20日(金)、22時44分。

 ずっとお月様を撮りたいと思っていた。当然、過去にも幾度となく試してみたが、すべて失敗。ぼわーっと丸い蛍光灯のようにしか写らない。こんな安いカメラじゃだめなんだ、とあきらめていた。ところが、ネットは何でもありだ。「普通のデジカメでも月が写せる」と写真が掲載されているサイトがあった。
 えっ、じゃ、私でも写せるの? 十五夜の晩にテストしてみた。カシャカシャと設定を変えながら、深夜すぎまで何度も撮った。ようやく、ピンボケの月の地形が写った。思い通りに写すのは大変だと実感。
 翌日の十六夜、ちゃんと撮れたのがこの写真。日進月歩とはいかないけど、ほんの少し進歩した。
 四角く画像をトリミングしたら、黒地に白く月の丸。どこかの国旗のネガみたいでいやだな。ということで、兎さんの後姿を入れて遊んでみた。日本画にあるような萩やススキがあったら情緒があるだろうに。

 ここ一月ほど、私はいつも憤っていた。政治に対し、原発に対し、世間に対し、さらには近所や身内に対しと切りがないくらい次々に腹が立ち、なかなか治まらなかった。私は病気なのかしらと思ったりもした。何でだろう。「イヤだ」と思っても、自分ではどうにもならない。そんなことがたまっていくと怒りの感情になっていく。プラスに転化すれば変革・改革・革命みたいに何かが切り拓かれていくのだろうが、マイナスに転化すると暴力や犯罪になっていくのだろうか。十六夜の月の光を浴びながら、そんなことを考えた。そして、最も苛立つのは、たぶん自分自身に対してなのだろうと思い当たった。
 つくづく昔の夜空はきれいだったと思い返す。大地にはもっと土と緑が広がり、夜になると月や星がきらめいていた。若かった私は夜空を見上げ、自分を見つめた。すると己の小ささを思い知った。

 「十六夜」(いざよい)の語源は「いざよう」(「ためらう」という意味)。十五夜より月がためらいがちに少し遅く出ることから、十六夜の月をこう呼ぶようになったそうだ。
 改めて「いざよう」を調べてみると、「進もうとしても なかなか進めない」「進まないでとまりがちになる」とあった。ほぅ、そうなんだ。なんだかホッとする言葉だと思う。
 十六夜の月は、この暑すぎた夏の熱をおさめてくれるように、静かにゆっくりと光っていた。



2013.8.19(月) 代受苦  瀬戸内寂聴さんとEXILE ATSUSHIの『達人達』
高砂百合(たかさごゆり)  先週、旅から帰ると我家の庭は涼しげだった。それは、庭のあちこちで白い百合が風に揺れていたからだった。その百合はタカサゴユリ(高砂百合)。何年か前に自然に生えてきた。この猛暑の中、楚々として佇む姿は清々しい。

 ところが、百合を観察すると、花弁の破れているものが2つ3つ。それは奇形だった。「ああ、まだか」、私の胸にかすかな痛みがはしる。まだ、影響があるんだ……。
 写真の百合は2輪の内、1輪が破れている。中にはもっとひどい破れのもあった。こんなふうに百合が傷つき始めたのは2011年から。あきらかに放射能のせいだ。
 最初、これを見た時、花を捨ててしまおうかと思った。本来、美しいはずの百合の花がボロボロだなんて。花はセシウムを吸ったのだろうな。何となく気味悪かった。
 人間の罪のせいで、百合がこうなってしまったというのに、私は何と身勝手なことを思うのだろう。
 やさしい百合は、私たちに教えてくれているというのに。
 “私はこんな姿になってしまったけれど、本当はあなたの体の中にだって入ってしまったのよ。あなたの中でもこんなことが起こっているのかもしれない。気を付けて……” そんな囁きが聞こえてくる。

 先日、『達人達』を見た。瀬戸内寂聴さんとEXILE ATSUSHI(エグザイル アツシ)の対談番組だった。
 アツシが寂聴さんにぜひ会いたかったのだそうだ。もちろん、寂聴さんのほうはエグザイルもアツシも知らなかった。寂聴さん91歳、アツシ33歳、年齢差58歳。だが、対談がはじまるや話は盛り上がり、旧知の間柄のようにお酒まで飲み交わす。恋愛、芸術、革命……話題は壮大であり、とてもおもしろかった。
 その中で寂聴さんは若いアツシに伝えたいことがたくさんあったのだと思う。「若者は恋と革命ですよ」「芸術家はセクシーじゃないといけない」、91歳の寂聴さんの言葉はどれもが輝いていた。
 番組中、寂聴さんの説法などの映像が紹介された。はっとした言葉があった、「代受苦」。
 ──(震災で)亡くなった方は私たちの代わりに死んでくれたんですよ。私たちの命をこの世に残すために、その苦しみを自分がひき受けて死んでくれたんです。これをね、仏教のほうでは、「代受苦」といいます。人の苦しみを代ってやろうという。だからね、亡くなった人が「代受苦」で死んでくれたから今生きているんですよ。
ですから、その人たちを弔わなければいけないし、いつまでも忘れてはいけない。
 寂聴さんは、飯館村が放射能汚染されたことに涙する。反原発の座り込みもしてきた。
 ──おかしいと思ったら反対しなきゃいけないね。……誰かが反対したということを歴史に残したい。
 91歳の寂聴さんは、アツシにも、また番組を見ている人にも伝えたかったのだろう。
 私たちが今生きていることは、誰かが苦しみを引き受けてくれているからだということを。たとえば、福島で放射能被害にあっている人も、事故収束のために働いてくれている第一原発の労働者も、みんな私たちの代わりに苦しんで大変な思いをしているんだということを。
 「自分だけが幸せっていうのは本当の幸せじゃないのね」、番組の終りに寂聴さんはそう語った。

 清々しく咲いた百合はたった1週間ほどで終わりの時期をむかえ、散り始めた。
 破れた百合は、私の代わりに放射能の被害を受け、苦しんだのかもしれない。そんな気がしている。



2013.8.1(木) 7月に見た映画  『ニッポンの嘘』と『風立ちぬ』
ニッポンの嘘 報道写真家・福島菊次郎  今年は戦後何年? えーっと……68年。
 関東大震災から90年、東日本大震災から2年。
 戦後生まれの私には、戦争の記憶も関東大震災の記憶もない。
 だからこそ、つくづく写真や映像の力はすごいと感じている。
 7月に2つの映画を見た。『ニッポンの嘘─報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎監督)と 『風立ちぬ』(宮崎駿監督)。

 『風立ちぬ』は感動したくて見に行った。私は、時々いっぱい涙を流して自分自身を浄化したいと思うことがある。この映画の予告編は、すばらしかった。ユーミンの『ひこうき雲』をBGMに、青空を飛ぶ白い飛行機、青年と少女の出会い、関東大震災の映像、「生きねば」と書かれた手書き文字……それを見ているだけでも胸にこみあげてくるものがあり、宮崎監督は震災や戦争をどのように描くのだろうかと勝手に過大に期待した。実際に見て、アニメ映像のすばらしさは言うまでもなかった。ただ、私が思うほどに、少女は“薄幸”ではなく、青年は何か信念をもっているようにも思えなかった。つまり、少女も青年も私の“期待する人間像”ではなかったわけだ。きっと私は、もっと貧しくて、もっとドロドロした社会の醜さも描いて欲しかったのだと思う。90年前の関東大震災では、大勢の朝鮮人が虐殺された事実があることを忘れてはならない。戦争のせいでたくさんの苦しんでいる人びとがいるはずなのに、その姿が見えてこない。なぜ“戦争の時代”を背景にしたのだろうか。──予告編があまりにも良すぎたために、どうも酷評になってしまったようだ。

 『ニッポンの嘘』は自主上映だった。国分寺の本多公民館のホールは120〜130ほどの人で満杯、前方中央のこじんまりした画面には老カメラマンが映し出されていた。犬と暮らす姿、バイクに乗って出かける姿、福島県の立入禁止区域でカメラのシャッターを切る姿……90歳(現在は92歳)の報道写真家・福島菊次郎さんである。小さな痩せた姿ではあるが、その足は真実を追い、その瞳は真実を映し出してきた。
 福島さんの写真の原点は、ヒロシマだという。多くの被爆者を写してきた。中村杉松さんの写真もその中にひとつだった。カメラの前に自らの病身をさらした杉松さんは、単なる被写体ではなかった。杉松さんは原爆症の苦しみに顔を歪めながらも、必死に生きて、「仇をうってくれ」と福島さんに訴えた。福島菊次郎さんは、こうした原爆被害に苦しむ真実の人びとを写してきたのである。
 原発に反対する祝島(山口県上関町)、三里塚闘争、全共闘運動など、たくさんの人びとを撮った写真は25万点以上にも及ぶという。写真集は12冊出ている。「オモテに出ないものを引っぱり出して叩きつけてやりたい」とシャッターを切り続けたその人生は壮絶であった。90歳をこしても年金を拒否し、原稿収入などで慎ましやかに自活している姿に、崇高な精神を見る思いがした。
 長谷川監督は、福島さんの撮影した写真とともに本人の生きるさまを描きだす。作りものではない真実の人生が映画の中にあった。ナレーションは大杉漣さんであり、その落ち着いた語り口もまた良かった。
 戦後68年、東日本大震災・福島第一原発事故後2年、政治は大きく右旋回している。
 そんな中で、“わたし”はどう生きていくのか。『ニッポンの嘘』は問いかけている。



2013.6.26(水) 夏至の頃の恵み  ラズベリー摘みに行こうね
畑のラズベリー ──夏至の頃、森の入口にはラズベリー(木いちご)がいっぱいなっているよ。私たち子どもは篭を持って、ラズベリー摘みに出かけるの。
 あった、あった! ちょうど子どもが摘むのに手頃な低さの木に、たくさんの赤い実! 森の向うから吹いて来る爽やかな風は、ラズベリーの葉をさわさわと揺らし白い葉裏を見せて、その下にも赤い実があることを教えてくれる。
 熟した実を摘むと指先は真っ赤に染まり、あっ、服についちゃった。木の奥の実を摘もうとすると、小さな棘がチクチクと肌を刺す。ご用心、ご用心。
 夢中になって摘んでいると、実は篭からごぼれそうなくらい。
 あら、梢では鳥が、木の陰ではウサギやリスがこっちを見ているよ。そうそう、私たちの時間はここまで。次はあの子たちに場をゆずらなくちゃ。さあ、もうお家に帰ろう。
 そして、おばあさんにプレゼント。なーんて言っちゃって、本当はおばあさんにジャムやタルトを作ってもらおうっと。ジュースもおいしいよ。また、いっしょにラズベリー摘みに行こうね。──

摘んだラズベリーの実  自然に恵まれた北欧の森はこんな感じかしら。童話にラズベリーは似合いそう。今日は雨が降っているので、想像の世界を散歩してみた。(ベリー類の収穫は、日本の本州では初夏だが、北欧では夏が中心のようである)
 でも、この写真のラズベリーは想像の産物ではない。畑ではラズベリーが豊作で、ボールの実も私たちが摘んだ本物。(もちろん、無農薬)
 こう自慢げに言ったが、これは妹が栽培している。今年はとてもよく実って、もう3〜4回ほど摘ませてもらった。ありがたいことだ。
 持ち帰ってジャムやジュースにするのは、おばあさんになりつつある私。
 
 私はラズベリーのブツブツした食感が好きではない。そこで、砂糖を入れて煮たものを漉してみた。濃縮果汁の出来あがり。うん、これはなかなかいける。パンやヨーグルトにもよし、水で薄めてジュースにぴったり。北欧と違って、日本の夏至の頃は蒸し暑い。ラズベリー摘みを終えて、そのジュースを飲むと、とてもおいしい。
 生活の知恵(?)で勝手に作ってみたのだが、スウェーデンではこれをサフトと呼び、保存食にするようだ。
 そういえば、北欧には「自然享受権」があり、誰でも自然を楽しむ権利があるという。ルールさえ守れば、自由に森や湖に入り、その恵みを受けることができる。山菜・ハーブ採り、ベリー摘み、キノコ狩り、いいなぁ。
 富士山の世界遺産登録のニュースが話題だけれど、映像を見る限り、あの人ごみは何だろうと思う。人口密度が高い国だからなのか、自然破壊に近いようなにぎわいが気になるところだ。
 山林もそうだが、畑にも相変わらずゴミがうち捨てられている。ゴミをちょいと棄てたって罪に問われないから、平気でそんなことをする人たちが存在する。こんな人たちに「自然享受権」はないな、たぶん。
 その頂点に立つがあの企業、あの政府だったね、放射能のゴミ(灰)を撒き散らしても厚顔無恥な。



2013.5.20(月) なくなっちゃった  ウグイスカグラの赤い実の行方
ウグイスカグラ(実)  あっ、なくなっちゃった! 確か昨日まで、なっていたのに。
 消えた赤い実はウグイスカグラ(鶯神楽)。数年前、台所の外に生えてきた落葉低木の実である。春先に小さい花を咲かせて、私を楽しませてくれた。その花はピンクで可愛らしい。ウグイスがこの花をかざし、美しい鳴き声で歌いながら、お神楽を舞う姿を想像してみると何とも優雅ではないか。
 ウチにウグイスが来ればいいけれど、まだお目にかかったことはない。その代わり、ヒヨドリが毎日やってきて、大声で「ピーヨピヨ」とおしゃべりしている。彼らは花好きで桜や椿などの花を食べるが、果物もまた大好きなのだ。リンゴやミカンを木に挿しておくと、瞬く間に食べ尽くしていく。そう、お察しの通り、ウグイスカグラの赤い実の行方はヒヨドリのお腹の中。 (写真を撮ろうと思ったときにはもう実はなくなっていた。ここの写真は狭山丘陵のウグイスカグラ)
 ヒヨドリに「私が大事に見守ってきたのに、返してよー」と言いたいところだ。
 だが、そんなことを言ってはいけない。なぜなら、ウグイスカグラが実を成らせたのは鳥たちに食べられるためなのだから。実の赤く美しい色は、鳥たちに見つけてもらうための印なのだから。
 台所の外に生えてきたのは鳥たちのおかげである。ウグイスカグラは鳥に実を与え、その代わりあちこちに種蒔きをしてもらい子孫を増やす。おまけに鳥が実を食べながらする糞は土の養分になり、植物たちは大きくなれる。生き物たちは見事なネットワークを結び、生きるためお互いに助けあっているのだ。

 ニュースで耳にする小さな島々のことがわからない。複数の国が“我が国の領土だ”と言い争っている。ちょっと本を読んだりもしたが、はてさて、やっぱりこの島々がどこのものだか私にはよくわからない。
 「領土争い」のBGMはグンジグンジという足踏みのようで、改めてこの問題が怖いものに思える。
 「近くの人がみんなで仲良く使えばいいじゃないの」と言ってはいけないのだろうか。お互いに助け合って。
 赤い実の行方を探していくと、生き物たちの相互扶助の姿が見えてくる。そんなふうにお互いの繁栄を願えればいいのにね。それこそ、ウグイスカグラの花や実をかざして、歌って踊って、平和祈願したいものだ。



2013.4.2(火) アカエリヒレアシシギ(赤襟鰭足鷸)  空堀川の生き物たち16
アカエリヒレアシシギ  日曜日(3/31)、久しぶりに空堀川沿いを歩いた。寒い曇り空だったが、桜はまだ散らず、梢では小鳥がにぎやか。ヒヨドリやシジュウカラたちが宴会をやっているみたいだった。桜の蜜はきっと美味しいんだろうな。
 川にはサギやカモの水鳥たちがいて、ハシボソガラスがぴょんぴょんと石を渡っていた。放射能のホットスポットもある空堀川、ここで暮らす鳥たちは大丈夫だろうか。そんなことを考えると心までが曇ってしまいそうだった。

 空はどんより、心はぼんやり。ふと、遠くの川面を見ると、あれーっ、ハクセキレイが泳いでいる!? ぼてっとした私の目蓋がぴくっと持ち上がった。いや、いくら何でもハクセキレイがこんなに早く進化するはずはない。慌てて写真を撮った。不鮮明な出来だが、明らかにこの鳥は泳いでいる!
 たぶんシギの仲間だろうと見当をつけ、調べた。アカエリヒレアシシギ(赤襟鰭足鷸)だった。
 名前の由来はわかりやすい。私が見た鳥はモノトーンだが、夏羽は首筋が赤くなるという。それが「赤襟」に見える。また、足の指には鰭が発達している。つまり「鰭足」、だから水上生活が得意なのだ。この鳥の仲間は3種あり、チドリ目シギ科ヒレアシシギ属に分類される。一般のシギと異なり、ヒレアシシギ属は泳げる。
 アカエリヒレアシシギは南半球や熱帯地域等で越冬し、繁殖するために北半球北部に帰る渡り鳥で、とてつもない距離を大集団で移動する。だから、この鳥の翼は長い。当然、海上を飛ぶ時間もかなりなものだろう。休む場所は海しかないから、「鰭足」が進化したのかもしれない。
 この鳥は渡りの途中で日本に立ち寄るらしい。今は春だから、北へ帰る途中だったのだろうか。大勢の中のたった1羽が空堀川に来て、そこを通りかかった私と出会う偶然。神秘的な出会いだねー。
 それから、この鳥はすごくおもしろい。メスの方が体が大きく、色鮮やかになる。またしても「えーーどうして?」と思ってしまう。そのわけは、まるで昨年流行った『(逆転)大奥』みたいなのだ。
 普通の鳥とは異なり、オスとメスの役割が逆転している。メスがオスを獲得するために求愛行動を行い、メス同士は産卵場所をめぐって激しく闘うそうだ。そして、メスは産卵したら、すぐに旅立ってしまう。あとは、オスが抱卵と子育てを行う。ヒナは20日すれば飛びたてるというから、子育ては比較的楽なのかも。
 それからそれから、またまた驚く。この鳥は一妻多夫なんだって。何でこうなったのか興味がつきない。
 「まっ、こっちにはこっちの事情があるのよ。だけど、今度会うときはハクセキレイと間違えないでね」
 アカエリヒレアシシギ様、よーくわかりました。ところで、あなたはカンノミホ様? それともサカイマサト様?



2013.3.24(日) 花喰らう鳥  
ヒヨドリ レンギョウの花を食べる  今年は何と急ぎ足の春だろう。最初にワビスケ、次に紅い椿が咲いた。いつの間にか雪柳やレンギョウが垣根を飾る。チューリップもヒヤシンスも土から顔を出すとすぐに花開いた。ついには、桜の花まで咲いてしまった。
 庭の花を眺めながら、とまどっている。もう少しゆっくりでいいのにな。
 けれど、彼は迷わない。ピーヨピヨ、甲高い声をあげて花に突進する。蜜を吸うなどという優雅なしぐさではなく、花を喰うのだ。あれ〜、椿の花弁はぼろぼろ、輝くように咲いたレンギョウの枝が裸になっちゃった。咲いたばかりの桜もターゲット。おいしそうに、うれしそうに、ヒヨドリは花を喰らう。花はかわいそうだけれど、ヒヨドリの貪欲さはほほえましい。君の腕白ぶりは愛嬌があってかわいいよ、ヒヨドリくん!

庭に咲いた花(椿・レンギョウ・桜)  ヒヨドリが花を食べている頃、福島第一原発ではネズミらしきものが仮設配電盤(何とまだ仮!)をかじったらしい。それで停電し、冷却システムがストップしたというのだ。1・3・4号機のプールには2100本余、敷地内の共同プールには6300本余もの使用済燃料棒が保管されている。停電したままだったら、これらの燃料棒はむきだしになってメルトダウンしたのだろうか!? その被害の大きささえ、私には想像もつかない。何とか復旧したからホッとしたようなものの背筋が凍るような事故だったわけだ。それにしても、こんなにもろいシステムだったとは……。
 こういうことがあって、原発の恐ろしさを再認識する。逃げ出したくなる。けれど、逃げ出す準備もしてないし、行く当てもない。そして、頭のすみっこに放射能にやられて衰弱死していく自分たちの姿を思い描いたり。『風が吹くとき』(英国 レイモンド・ブリッグズ作のアニメ)のシーンのように。
 2年前の震災時の恐怖感と眠れなかった日々を思い出した。あの頃、目覚めて小鳥の声が聞こえると安堵し、咲く花を見ては心慰められたのだった。電車がいつものように走り、人びとが普段どおり暮らしていけることの大切さを思い知った。現在、福島で避難生活をおくっている人びと、放射能被害に苦しむ人びとがいることを忘れてはならないと思う。



2013.2.12(火) 相思相愛の小鳥  上水にはかわいい小鳥、我家の庭には○○○が出没
今来の生き物(ソウシチョウとクマネズミ)  昨日一昨日と2日間、玉川上水を散歩した。空堀川は放射能のホットスポットがあるので、上水まで足を延ばすことにした。
 上水は散策という言葉が似合う散歩道。落葉樹は北風を防ぎ、土の遊歩道は足にやさしい。耳をすますと小鳥のさえずりに心が癒される。
 梢にはエナガが数羽、近くにはシジュウカラやヤマガラが鳴く。コッコッと高木から音がする。見上げると大きめのキツツキがいた。(たぶんアカゲラ)

 そして、可愛らしい小鳥を発見して心がときめいた。全体は灰色っぽいのだが、頭がモスグリーン、胸がオレンジ、嘴と羽が赤い。明るい笹の中から姿を現したとき、妖精かと思ったくらい。鳴き声もきれいだった。
 何という小鳥だろうか。帰宅後、ネットで調べてみたが、なかなかわからない。やっとそれらしき小鳥にたどりつき、説明を読むと──。
 ソウシチョウ、「日本の侵略的外来種ワースト100」。何だって?侵略?ワースト?! 見間違えたのかな。まるでどこぞの政府が、お隣の国々に対して発する言葉みたいな単語が並んでいた。他のサイトもみたが、間違いではなかった。この鳥は江戸時代から飼い鳥として輸入されていた。野生化したのは、華僑が祝典の際に放鳥したことやペット業者が遺棄したのが原因云々とあった。真偽のほどは定かではない。もともとは中国南部の方に棲息する小鳥なのだった。相思相愛の「相思鳥」の漢字が当てられる。それほど雌雄の仲がいい鳥だという。

 外来種といえば、我家の庭に出没するものもそうである。最初は気味が悪かった。それは、クマネズミという。本当は東南アジアの樹林に棲息しているはずだが、この列島には2世紀頃人間とともに来て、かなり害をもたらす存在となった。(まっ、人間の側からの話ではあるが)
 真冬になり餌に不自由してきたとみえて、最近は昼間に姿を現わすようになった。塀の上り下り、木登りは大得意。昼に間近で見ると、けっこう可愛い顔・容である。けれど、さすが、このものたちを餌付けする気にはなれない。真冬は餌に困ると1日で餓死するという。どこかへ去っていってくれることを願っている。

 こうして、小動物を可愛いだの気味悪いだのと勝手につぶやいているのだが、考えてみれば、私だって“外来種”なんだな。いつの頃かは知らないけれど、私の祖先は渡来人だった。大陸から来た渡来人はもとから住んでいた原日本人と混血したりして生きて来た。今の日本人のほどんどは渡来人の子孫である。
 そうすると、私たちよりクマネズミのほうが先輩であり、ソウシチョウはちょっと後輩である。また、人間のルーツを辿ることは簡単であり、中国や朝鮮・韓国の人びとと日本に住む我々は“血縁”だとわかる。
 5世紀頃に中国や朝鮮から渡来した人びとを、今来たばかりの外国の人という意味で「今来の漢人(いまきのあやひと)」と言ったらしい。高度な技術を携えて渡来した人びとは、この国の人となった。
 それに倣えば、ソウシチョウは「今来の小鳥」とも呼べそうだが、人間(日本)は自分たちの都合で小鳥に「侵略」「ワースト」などのレッテルを貼る。そんな言葉は政治の世界だけにしてと思ってしまうのだが。



2013.1.5(土) 新年の立ち話  「レ・ミゼラブル」のこと
レ・ミゼラブル  「今年もよろしくお願いします」
 昨日は新年初のゴミの収集日。ゴミネットを片付けながら、近所のEさんと新年の挨拶を交わした。けっこうきつい北風の中、しばし立ち話。
 「映画の『レ・ミゼラブル』を観たけど、すごく良かったよ!」と話すと、彼女は「あら、偶然だけど、私はお正月にその本を買ってきたのよ」と答えた。
 Eさんは、遊びに来た孫に読んであげたそうだ。「聴いてなかったみたいだけどね」と謙遜していたが、何とすてきな“お年玉”だろうか。
 彼女が小学生の時、担任が『レ・ミゼラブル』を読んでくれたのだそうだ。それが印象的で、子どもや孫にはぜひ読んであげたいと思ったという。その頃の感動をかみしめるように、そして懐かしそうにEさんは話してくれた。
 きっと担任はいい先生だったんだろうな。残念ながら、私はそういう教師とは出会ってこなかった。
 Eさんの話を聞いて、“出会い”の大切さをつくづく感じた。いい出会いがあるかないかで、その後の人生が豊かにも貧しくもなる。彼女はしっかりとした芯をもち、充実した人生を送っている気がした。
 どこかの講演会(テーマはドメスティック・バイオレンス)で聞きかじったことだが、不幸(暴力)の連鎖は断ち切れるというのだ。それはいい友との出会い、友がいなければいい教師との出会い、そういう教師がいなければいい本との出会いが人生を決定する。いい出会いがあれば、必ず負の連鎖は断ち切れる。だから、親から暴力を受けた子どもが親になった時、再び我が子に暴力を繰り返すことはない。暴力の連鎖を強調することは差別につながる、とその講演者は聴衆に伝えていた。
 『レ・ミゼラブル』は、映画であれ小説であれ、おそらく観る者・読む者の人生を変えうるだろう。
 ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』は壮大なロケーションもすばらしく、出演者たちが高らかに謳い上げる歌は聴くものの心を激しく揺さぶる。貧しい民衆がこれほどに強く美しく描かれた映画はあるまいと思えた。
 三色旗(自由・平等・博愛)と赤旗が空にはためく。その民衆蜂起のシーンが目蓋に残っている。

 こう語ったものの、恥ずかしながら原作を読んだことがない。パン一つ盗んだだけで19年も獄舎にあり、出獄して出会った司教によって人生を変えるジャン・バルジャン。革命後のフランスが舞台であり、背景には巨万の貧しい民衆がおり、その民衆が蜂起するエネルギーの中で、主人公のジャン・バルジャンは生きた。
 今年はユーゴーの長編小説『レ・ミゼラブル』を読んでみることにしよう。
 「レ・ミゼラブルってどういう意味かな」と問う家人に、私は「“ああ、無情”でしょ」と自信に満ちて答えたら、 違った……。それは和訳された本のタイトルであって、本当は「悲惨な人々」という意味であった。