2009年1月〜12月の日記 平穏に暮らせたらいいなぁ……。 のんびり、ゆったり。 だけどね、そうとばかりは言ってられないことも たくさんありますね。 日々感じることを書いてみようと思ってます。 |
2009.12.30(水) 空堀川の汚染 年末の夜、川が白く濁った!
26日(土)の夜8時頃、散歩に出た。空堀川が白く濁っていた!一瞬、我が目を疑った。これは錯覚か。夜の空堀川はずっと先のほうまで流れが真っ白だった。魚は、鳥は、大丈夫だろうか? 驚きと当時に、不安と恐れが心の中に広がっていく。 何とかしなくては!一人で焦った。……冷静に考えれば、私一人で何とかできるはずがないのに、とくかく焦っていた。通行人に「これはどうしたことでしょう?」と話しかけたが、皆困った顔をするだけ。そりゃ、そうだ……。 どこが汚染源かを確かめることにした。上流に行くと、空堀川と奈良橋川の合流地点の排水管から汚水が流れ込み、その下はかなり濃度の高そうな白濁水(青い色も混じっている)がたまっていた。 一旦帰宅してデジカメを持ってきた。そして、写真をとっておくことにした。 どうしようと右往左往しているところへ、カーンカーンと音が聞こえて、年末警戒の消防車が来た。大きく手を振って、車をとめた。事情を説明すると、消防団の青年5〜6人が降車して、この事態を確かめてくれた。消防団のほうで然るべきところに連絡を入れてくれるというので、ひとまずホッとして家に帰ってきた。 けれど、心の中に広がる不安感は拭うことができない。私の大好きな空堀川、そこに住む生き物たちは本当に大丈夫だろうか? 白く濁った汚水は一体何なのだろうか? これらの疑問が解明されず“こと”は片付けられていくのではあるまいか? そして、私以外の信頼ができる人にこの事態を伝えておこうと考えた。 東大和市の議員・長瀬りつさんに初めて電話をした。夜間にもかかわらず、ていねいに話を聞いてくださり、説明してくれた。空堀川へ流れ込むのは、道路にある排水口からの雨水など。家庭排水は下水道に行くので、今回の汚水は、雨水用の排水口から流されたものであると推定できるとのこと。 月曜日には市に問い合わせた結果を知らせてくださった。汚水が流された場所を探ることは困難、また汚水は塗料らしく川への影響はなさそう(現在調査中らしい)、というのが行政の説明であったとのこと。 とりあえず、空堀川の汚染に関しては一安心。長瀬さん、どうもありがとうございました。 今年の日記はゴミの悩みからはじまり、空堀川の汚染で終わる。いろんなことに不安だったり、しょっちゅう憤っていたり……、自分の狭さをそのたびに思い知った年だったかも。 この1年、日記を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。 2009.12.11(金) これは何でしょう? 緑茶粉末入り○○○○
さてさて、これは何でしょう? チョコブラウニー? 黒砂糖?添えられたクリームがまずそうな感じ? はいはい、これは失敗作の部類にはいりますねぇ……。 緑茶粉末を少々入れすぎてしまったから……。 実は、これ、せっけん・石けん・石鹸でーす。作る前は、モスグリーンに仕上がると思っていた。インターネットで検索すると、そういうきれいな色合いの緑茶石けんが登場したりするから、そのイメージがあったのだ。 ところが、実際に作ってみたらこのような出来。泡立ちは悪いし、その泡は茶色っぽい。白いタオルにこの石けんをこすりつけようものなら、たちまち色がついてしまう。 多めに緑茶を入れてしまったからなぁ……。緑茶をミルで粉末にし、すりおろした石けんとまぜた。その時はまだきれいなモスグリーン。カモミール抽出液(ティー)を入れながら手でこね、四角に成形した。その時もまだモスグリーン。ところが乾いてくるにつれ、写真ように濃い茶色になってしまった。 そして、疑問。商品化されている緑茶石けんは、何であんなにきれいなの? 作るコツでもあるのだろうか? 調べてみると、大半の市販される石けんには「グンジョウ」(群青)という色素が入っていた。(その他にも肌に“良さそう”(?)な色々な物質が添加されていたが、私にはその一つひとつが何だかよくわからない)。 たまたま見つけた「柳屋茶舗」というメーカーの緑茶石けんは茶色だった。(茶カテキン以外は無添加)茶色は茶カテキンの証とのこと。ふむふむ、すると、私制作の緑茶石けんは、これでいいのだ〜♪(緑茶粉末が少々多すぎたため、泡立ちが悪いという難点はあるけれど……。) 緑茶はシミやシワに効果があるらしい。何しろ私の顔は、子供の頃からのソバカスや日焼けによるシミまで、千差万別。それらが賑やか過ぎて、ほとほと困っている。そんなわけで緑茶石けんを作ってみようと思ったのだ。さぁ〜て、緑茶石けんを使用してみて、効果があらわれるかな? 乞うご期待。 2009.12.3(木) 日なたぼっこ マムのお昼寝はベランダ
昨日はポカポカといい陽気でしたね。こんな小春日和は猫日和。ということで、今回はマム(猫)のおしゃべりです。 ボクの家、1階は最悪。午後になったら日が射さないの。もちろん、庭はまったくの日陰で、昼寝なんかする気にならないよ。 で、ボク、隣りのアパートの庭を発見した。そこは日当たりが良くて、枯れ草の絨毯までがあるんだもん。あまりの気持ちよさに他所だってことも忘れて、半日身動きもせずに、ぐっすりと寝入ってしまったことがあったの。 そしたら、「あの汚い猫、どこの猫?」「死んでるのかしら?」なんて人間に言われてたらしいんだよね。 ご近所には猫嫌いの人もいて、猫は汚いだの、コンクリートにウンチをして迷惑だなんて、流言飛語を流しているようす。猫の自由さをねたんでるのかな。人間が勝手に“他人の敷地”に出入りしたら不法侵入やプライバシーの侵害だものね。ボクみたいな気ままな猫をやっかんでるんでしょ、きっと。 人間は社会に管理されてしまっているから、ペットに限らず、自分達の子どもまで管理するのが大好き。だから、猫は家の中で飼い、外に出すのは言語道断とかいう風潮ができちゃうんだねぇ。 まったく、ブツブツブツ……。ボクらが何匹かそこらへんをうろついたって、ゆすりたかりをするわけじゃなし、病原菌を撒き散らして人間を絶滅においやるわけじゃなし……。人間はなんて狭量な生き物なんだろう。 まっ、そういうイヤミな人間はどうでもいいけど、ボクは家族が大好きだよ。カアさんのあとはどこでも付いて行く。(ウチの中ならね) 物干しがある2階のベランダへは、毎日ついていく。 ベランダは見晴らしがいい。貧相な我が家の庭も、桜の木がきれいに紅葉して別世界のように見える。 それに天気がいいと、ベランダはあったかい。ゴロンとしたら、気持ちが良くて天国みたい。ゴロンゴロンしているうちに、目がトローンとしてきて、ぐっすり眠っちゃった。 夕方、寒くて目が覚めた。そして、大慌て。だって、窓がしまっている。部屋に入れない。トイレに行けない!オシッコが満杯になってしまい、もう限界。泣きそうな気分でこらえていたら、ようやく家族が帰ってきて、なんとかセーフということもあったけどニャー。 2009.11.10(火) “パンプキン・パラダイス” 11/8 第7回 元気の出るコンサート
11月8日は『元気の出るコンサート』に行ってきた。今年で第7回目のルピナス合唱団のコンサートだった。今年は“ようこそ!パンプキン・パラダイスへ”というタイトルがついていた。「何で?」と疑問に思った。 プログラムを開くと一目瞭然! 『パンプキン・パラダイス』(作詩/高木あきこ 作曲/白川雅樹)という歌がある。詩を読むと、とにかく楽しそう。曲も軽快! ♪とかく この世で モテルのは 軽くて きれいで しゃれたもの けれどわがはい かぼちゃでござる どかんと重く ごつごつかたく……♪ そんなカボチャくんが、舞台から飛び出してきた。なかなか存在感がある立派なカボチャくんのようだ。 ♪しかし わがはい 変身が 得意で ほらほら 変わります…… プリン クッキー ケーキに パイ ちょっときどって パンプキン ハイ♪ いやはやこのカボチャくん、とっても変幻自在で自由人。意外とおしゃれなシティボーイなのかも! ♪おー かぼちゃ おーパンプキン のんきもの こまかいことは気にしない きょうもごろりと ごろがって なにになろうか かんがえる♪ あー、カボチャくん、のんきはいいね。あせらないで、ごろりごろりと。そうだ、私ものんびり元気になろう。 こんな軽くて楽しいリズム、元気な歌声が会場に響きわたった。はじめて聴いた曲だけれど、なんだかとても嬉しい気持ちになってしまった。ホントに元気が出てきそう。明るく楽しそうに歌っているルピナス合唱団の人たちの表情を見ているだけで、なぜこの曲がメインテーマになったか、わかったような気がした。 その日、作詩の高木あきこさんが会場に来ておられ、あいさつされた。それには、さらに感激。 その他『月の砂漠』『地球のうた』『地上の星』『野菊』などもよかったし、賛助出演のアンサンブル碧空(あおぞら)のタンゴの演奏も最高で、ステキな秋の午後をすごせました。ルピナスさん、ありがとう(^^♪ ※ルピナス合唱団:立川市若葉町・けやき台を中心に活動している女性合唱団。結成8年目
団員のミチコさん(私と同じ名前)のブログに記事が掲載されています。2006・てんしん日記 2009.10.19(月) 『イムジン河』 どこかで誰かが歌っていた
17日、ニュースは加藤和彦さん(62歳)の死を伝えた。音楽プロデューサーとして活躍されていたそうだが、私にはフォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)の、と言ったほうがピンとくる。私が中学生の頃、フォークルの歌う『帰って来たヨッパライ』が大ヒットした。♪おらはしんじまっただ〜、と始まる今までに聴いたことがないユーモラスな曲だった。次に出たのが、『イムジン河』。(1968年) けれど、この曲は発売中止になった。政治的なことが原因で自粛させられたらしい。当時の私には、「どうしてだろう?」と複雑な政治的理由などわからないままだった。だが、不思議なことに、私は『イムジン河』の詩やメロディを何となく覚えていた。テレビで流れたことがあったかもしれないが、たぶん、音楽好きな人がギター片手に地域や学校で歌ったりしていたのだろう。悲しげで美しいメロディ、分断された国の人々の切なる想いが伝わってくる詩。川を見る度に歌いたくなる歌だった。 「フォークルの歌詞は朝鮮のことを理解していないと思う。臨津江(イムジン河)は清らかに流れるだけではなく、冬には凍てつく厳しい川。原曲は戦争で分断された朝鮮の人々の厳しい現状を歌っているはず。日本人が朝鮮民族に何をしてきたのか、私たちは自己批判しなければならない」 私が大学生になって、少し政治に関心を持ったころ、『イムジン河』について私の先輩はそんなふうに評した。「そうなのかぁ」、あまり知識ももたず、論理的な思考ができない私はただうなづくしかなかった。 いつだったか、映画『パッチギ』(井筒和幸監督)をテレビで見たが、私は感動してあふれる涙を止められなかった。今回、ネット検索していて、その原作が『少年Mのイムジン河』(松山猛さん著)だと初めて知った。 松山さんが中学生の頃、京都の朝鮮学校にサッカーの試合を申し込みに行った。その時、聴こえてきたのが『イムジン河』。後に松山さんは朝鮮学校の生徒からメロディと歌詞を教わり、加藤さんに伝える。加藤さんがメロディを採譜し、松山さんが訳詩をした。多くの在日朝鮮・韓国人が暮す京都で、鴨川をイムジン河に見立てて歌い始めたそうだ。そのことを知って、『イムジン河』は人と人のつながりから生まれた歌だと私は思った。国家や民族の問題は大きい。けれど、地域や国を越えて、思いを共有できるのが歌の力なのだろう。 『イムジン河』を世に送り出してくれた加藤和彦さん、ありがとう。ご冥福をお祈りいたします。 (※写真は京都旅行をしたとき、ホテルの窓から撮った鴨川)
2009.10.10(土) 秋は夕暮 しみじみと清少納言を思い出す
台風一過、夕暮時、にわかに秋らしくなった風のなかで、清少納言の『枕草子』を思い出した。高校の頃だったか、『枕草子』は「をかし」の文学だと習ったような気がする。「をかし」「あはれ」両方とも「情緒がある」という意味だが、当時、この言葉の微妙な違いがよくわかっていなかった。後年、田辺聖子さんの『むかし・あけぼの』を読んだ。この本は『枕草子』を小説仕立てにしてあり、とてもおもしろかった。手元に本がないので曖昧な記憶だが、田辺さんは「いとをかし」を「なんてステキなの!」という感じで表現されていたと思う。それを読んだとき、ほほーっと納得した。そうかそうか、「をかし」の情緒って、ステキ感覚なんだなと。 時は平安時代(990年)、11歳の一条帝に14歳の定子が入内した。最初はままごとみたいな夫婦だったのだろう。二人はイトコ同士でもあったし、とにかく仲むつまじかった。定子つきの女房であった清少納言は、『枕草子』に明るくて楽しげなこの宮中の暮らしを活写した。「こんなことがあったの、とてもおもしろかったわ。これはステキよ」というようなことを知的に情緒深く書いたのだな。(昔、原文を読んだ気がするが、“記憶は朧 ようよう老いゆく我が頭 少しも思い出せずして”ってとこで、冒頭しか覚えてません) だが、定子の幸せは長く続かない。父・藤原道隆が亡くなったことにより、彼女は後ろ盾を失う。(995年) 親族内のすさまじい政争に翻弄され、辛い憂き目にあってしまうのだ。そして、叔父・道長がのしあがり、やがてその娘の彰子が華々しく入内した。(999年) 翌年、24歳の若さで定子は亡くなってしまう。(出産が原因)その後の道長一族の繁栄は周知の通り。(彰子つきの女房が『源氏物語』の作者・紫式部) つまり、定子は悲運の后だった。一条帝との愛は深かったにもかかわらず、晩年は不幸の連続。ここで、よよと泣き崩れる文学が生まれても不思議ではない。しかし、清少納言は知的で明るい随筆を残した。定子への愛情ゆえかもしれない。あるいは道長という非情な権力者への無言の抵抗だったのだろうか。 初めて『枕草子』を知ったとき、こんな政治的背景があるとは想像だにしなかった。しみじみと清少納言の筆の深さを思う秋である。それにしても、私は小さなことでグチばかり言うていたらく。あな、はずかし。 「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。」(『枕草子』より) 2009.9.28(月) “わがはからいにあらず”
「まったく、あの子のことを思うと涙がこぼれるよ。あたしより一回り以上は年下だったな。こんな小さいうちからお茶摘みの手伝いにきて、ほんとによく働くいい子だったよ。娘になってから大きい会社に勤めた。きれいな子だったから会社の人に求婚されたそうだ。だけど、ふた親の面倒をみなけりゃならず、結婚を断って、婿さんをとったわけだよ。最初の子どもが障害のある子だったから、二人目はあきらめたらしい。親と子どもの面倒をみて気が休まるヒマもなかっただろうよ。そのハーちゃんが、あたしなんかよりずっと若いっていうのにボケてしまって。今、婿さんは一人で子どもとハーちゃんの世話をしているって話なんだよ。 何であんなにいい子が苦労ばかりの一生をおくらなきゃいけないかと思うと、かわいそうでかわいそうで」 お彼岸に実家へ行った。ちょうどその日は誰もいず、珍しく母と二人で話した。と言っても、話しているのは母ばかりで、私はじっとがまんの子となり、ただ聞き手になっていたのだが。その一つが上記の話だった。 母が話す「あの子」(ハーちゃん)とは、母のイトコにあたる。母が既に成人している頃、ハーちゃんはまだ小学2年か3年くらい。母の実家はお茶農家だったから、茶摘の季節は猫の手も借りたいくらいだったのだろう。ハーちゃんは小さいのに何日間も手伝いにきて、よく働いたのだという。「おじさんに甲斐性がなかったから貧乏で、ずっと借家住まい。ハーちゃんは子どもの頃から苦労しているんだよ」 母の血縁のことはよく知らないが、とにかくすごい人数になるらしい。母のイトコは50人以上はいるようだ。そんなにたくさんいる中で、母はハーちゃんのことだけは忘れることがないという。 ある日、空堀川を散歩していて、暮れなずむ景色を見ながら、ふとその話が思い出された。 何だか切なくて、私までも涙ぐんでしまった。「わがはからいにあらず」、ふとその言葉が浮かんだ。 “人生の成功者”は誇りをもって、自分の努力を口にすることが多い。つまり自力で勝ち取った人生であると。裏をかえせば、貧乏をしたり、落ちぶれたり、不幸だったりする者は自業自得、向上心がなかったんだということになる。時々テレビなどでお目にかかる“成功者”が、自信満々にそんなことを語っているのを聞くと辟易してしまう。そこには人間へのやさしさはかけらもなく、あるのは弱き者への優越感と差別感だ。 「わがはからいにあらず」は親鸞(しんらん 鎌倉時代の僧・浄土真宗の開祖)の言葉だったと思うが、なんとやさしさにあふれた言葉かと思う。親鸞のことをちゃんと勉強したこともなく、私はその深い教えをわかっているわけではないが、「あなたのせいじゃない。あなたが悪いわけじゃない。いつかあなたは救われる」、そんなふうに貧しく苦しんでいる民に親鸞は語りかけてきたのだろうと思った。 2009.9.11(金) “必殺仕事人” 蒼鷺のアオちゃんは夜働く
何ですか、お前さん、そんなにコセコセと歩きなすって。人間にしてはずい分と小さいお方ですねぇ。散歩なんでしょう。だったら、もっとゆったりお歩きなさいな。短い足で何をせいておいでです? えっ、ビデオを見るために? だって、ビデオってもんは、いつでも見られるはず。冗談は大概になさいまし。あたしら鷺だって、そのくらいのことは知っておりますよ。 おっとっと、お前さんのコセコセ歩きに気を取られていたら、大事な仕事ができゃしねえ。確実に魚をゲットしなきゃ。闇の中、川をそっとそっと歩いて必殺! 私の夜歩きはアオサギ(蒼鷺)を少々苛立たせたようだ。アオちゃん、ごめんね。実は私、家人と一緒にビデオを見るために散歩を急いでいた。ウチのおじさんは早く寝るから、それに合わせなきゃならない。 この頃、ほぼ毎夜『必殺仕事人』シリーズ(No.3、No.4)を見ている。これが最高におもしろい! そして、一人で見るより二人のほうがおもしろさ倍増。だから、私も二人で見るための努力をするってわけだ。 舞台はお江戸。仕事人のメンバーは八丁堀同心・中村主水(もんど)、飾り職人の秀、三味線屋のおりく・勇次の親子、なんでも屋の加代、受験生の順之助。弱き庶民が金持ちや悪人に殺される。仕事人はそんな庶民の怨みをはらす“裏の仕事”を引き受けている。失敗は許されない。だから“必殺仕事人”なのだ。 クライマックスの悪人を殺す場面は芸術的だ。映像は一分の隙もない、張りつめた美学に貫かれている。 それとは逆に、表(おもて)の生活は江戸庶民そのものでユーモラス。例えば、中村さんは昼行灯と言われ仕事ができない役人。おまけに婿養子で子どもができないタチ。だから、“仕事”を終えて家に帰れば、妻と姑にいびられている。それが何ともおかしく笑いを誘う。ここの場面で緊張が溶け、大笑いしてほっとする。 と、まぁ、このビデオ鑑賞(?)が私の楽しみなのだが、夜の散歩で出会うアオちゃんの姿に必殺仕事人が重なってしまう。(アオちゃんは悪を退治しているわけではないけれど) 本来、アオサギ(蒼鷺)は昼に多く活動するもののようだ。それがウチの近くの空堀川では夜に出没する。暗い川の中をゆっくりと歩きながら魚を獲っている。その姿は粋で、面構えは少し獰猛かつ鋭い。 『必殺仕事人』にはまり込んで、8月末からの政権交代劇をよく見ていないのだけれど、今度こそは弱き庶民が殺されるような政治はやらないでほしいものだ。もしも庶民の怨みをかうようなことあれば、仕事人・アオちゃんに頼んで飛んでいってもらうからね。 2009.8.22(土) 『水辺のゴースト』を読んで 恋は切なく、人生も変える……
今年8月はお盆の頃から夏らしくなった。今日は油蝉が鳴き、蒸し暑さを倍増させている。蝉時雨 うるさ過ぎる 夏の午後、なんちゃって…お粗末。お盆といえば亡くなったご先祖(死者)をお迎えする行事で、生者は迎え火を炊いたり、盆踊りをしたりして、死者を迎えなぐさめる。また、お盆にはこの世で迷っているゴースト(幽霊)もたくさん出てくるそうだ。帰ってきた死者たちはゴーストに死を悟らせる。お盆にはたくさんのゴーストが死者とともに昇天していくらしい。 ふーむ、なるほど。だから、この世は幽霊だらけにはならないんだな……と深く頷いているのだが、そのニュースソースは『水辺のゴースト』である。(ゆうきえみさん著 ゴーストシリーズ第2弾。大日本図書 09年6月発行) 今夏、あの3人(ルコ、紳一、マチ)に再会した。本を開いた瞬間、刷りたての活字から聞こえてくるルコの元気な声に嬉しくなる。本の中の季節も夏、向こうはどうも相当の酷暑のようだ。 ルコ(高校生)には紳一という兄(大学生)がいて、彼にはステキな恋人・マチ(ルコはマチ先輩と呼ぶ)がいる。実はその兄がゴーストハンターで、ルコとマチは紳一の協力者なのだ。ハンターと名乗ってはいるもののゴーストを退治するのではない。出会うゴーストは人間臭く人情に厚いが、不遇にも昇天できない。これまで、3人はそんなゴーストたちを助けてきたのだった。 (『窓ぎわのゴースト』を読んでみてね。日記2008.1.14参照) 今度は、喜多郎池から物語がはじまる。その池は紳一とマチの通う大学にあったが、薄暗く不気味だった。この夏、池が干上がってしまい、そこから女性用の靴やらバック、衣服、それに白骨化した死体が発見された。さっそく探索に行った3人だが、感じたものはゴーストの強烈な哀しみだった。調べた結果、ゴーストは2年前に池で死んだ学生であり、千春という名前であった。 そして、千春のゴーストは霊感の強いマチ先輩に取り憑りついてしまう。そのおかげ(?)で、謎は少しずつ解明される。真冬の寒い夕暮れ時、千春は池のほとりで誰かを待っていた。恋しい人からの呼び出しに胸弾ませて待つ千春。けれど、来たのは別人。千春を脅すために……。 このミステリアスな出来事の推理は、とてもおもしろかった。が、それ以上に心動かされたのは、千春やその友だちの切ない恋心だった。報われぬ思い、叶わぬ恋……それは切なく苦しいのだ。若い恋はあまりにも一途で、時には道が見えなくなってしまう。千春が落ちた池の底のように、暗くて寒くて。「あのみっともない片思いさえなければ、私の人生は明るく、前向きだったはずなのに」なんて、50歳を過ぎた私でさえ、忘れたかった昔を思い出した。(あれまっ、私の中には若い時の自分がゴーストになって棲んで居るのかしら) 「人間は弱い。簡単には哀しみは癒されないわ。それでもいいの」と、作者が肩をやさしく叩いてくれているような読後感があった。いやー、それにしても結末はおもしろかった。ぜひご一読を。 『水辺のゴースト』(ゆうき えみ著 大日本図書) 2009.8.2(日) 紫蘇ジュース 暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます。皆様いかがお過ごしでしょうか。夏でも一番暑いはずのこの時期、予想外に涼しいので、体がほっとしている方が多いかもしれません。 (今回は“暑中お見舞い”なので、少していねいな言葉使いで書きたいと思います。) 紫蘇(しそ)ジュースを初めて作ってみました。とても簡単にできます。 私の作り方はかなり適当です。 1.ひとかかえの赤紫蘇、青紫蘇を畑からとってきて、葉をもいで洗います。 (赤紫蘇2/3、青紫蘇1/3ほど。大ザルに2杯くらいありました) 2.鍋7分目の水(1500ccほど)を沸騰させ、紫蘇の葉を入れてグツグツ煮出します。(10〜15分) 3.火をとめ葉を取り出して、液を漉します。(この時の色は青黒い) 4.漉した液に砂糖と酢を入れて、時々アクをすくいながら中火で煮詰めて出来上がり。(20分くらい) お砂糖は500gぐらい、お酢は200ccぐらい入れたかな。煮出したジュースはお鍋の半分くらい。 お酢を入れると、液の色はぱぁーと鮮やかな赤紫に変わります。その変化は見事。作ってすぐに飲めます。3倍程度に薄めて、味もさわやか。それにこの色の美しいことといったら! たぶん私のジュースは、かなり紫蘇が多く、お酢が少ないと思います。私はすっぱいのがちょっと苦手なので、お酢は少なめにしました。 紫蘇はとても薬効があり、夏バテ防止は言うまでもなく、アレルギーやガンを抑制したりするとか。私は鼻がムズムズでいつも痒い。それが治ったらいいなと思い、作ってみました。 畑にはたんと赤・青の紫蘇が生い茂っています。まだまだ、たくさん何かが作れそうです。 梅雨明けだ。うぅ〜、暑い、あつーい。毛皮を脱ぎ捨てたいけれど、我々猫はそういうわけにはいかない。だから、紙にやつあたりだい! 母さんもかまってくれないから。おっと、母さんといえば今日はものすごく機嫌が悪いぞ。罵詈雑言、悪態を思いっきりつきたいだって。たまには「○ソ○バァ!」って言ってみたいんだって。最初の○は味噌の「み」?二番目の○は河馬(かば)の「か」? ミソカバァ?? なんのこっちゃ? だからね、今日はボク(マム)が日記を書くよ。 今朝7時すぎにピンポーンがなった。誰?どんな緊急事態が起こったの?ボクもびっくり。寝込みを襲われた母さんは寝巻きのまま外に飛び出して行った。なぁーんだ、カラスがゴミを荒らしただけか。それを最初に見つけた人が大騒ぎして、仲良しのお宅と我家のピンポーンを鳴らした。ウチがゴミ当番だから、ピンポーンダッシュ(鳴らしてすぐ立ち去ること)していったようだ。これは礼儀正しいことか、大人のやることか。誠に失礼。「おはようございます。○○ですが」ぐらいは言うのが常識だろ。猫のボクだって、帰宅したときは必ず「ただいま、ニャー」って言うよ。 ボクの母さんだから弁護するわけじゃないけど、母さんはしょっちゅうカラスに荒らされたゴミを一人で片付けてるよ。道路の草取りもこまめにやってるぞ。そりゃ、ちょびっとはグチも言うが、一人黙々とやっている。 たかがカラスが散らかしたゴミだろ。5分もかからずに一人で片付けられるのに、何で3人の大人を呼んでやらなきゃならないわけ?ほんと、人間のやることといったら、とんでもなく不可解だ。 「マム、そんな口汚くものを言っちゃいけないでしょ」と母さんが言った。何、ビビってるのさ。「あたしはいい人になんかならないぞ!」って、いつも喚いているくせに。「100%いい人」になれないんだったら、他人の反応など気にせずに、「おかしいことはおかしい」と堂々と言って、腹が立つことには怒るべし。 以前、「友だち」から無償の手伝いを頼まれ、断れずに数年もやり続けた母さん。さしたる感謝のことばもなく、手伝うことが当たり前のようになってしまい、ストレスがたまって、すごく怒ってたじゃないか。 昭和の初めに『国防婦人会』なるものがあって、近所の“ご婦人”方が戦争に協力していったという話だ。周りに振り回され、いい人を演じていると、そのうち戦争なんかに動員されて、とんでもないことになるかもね。いい人にならない。大いによし。ボクみたいに紙をクシャクシャにして、憂さをはらしなよ、母さん! 小さなことにこだわって、あっという間に時間がすぎる。まるで私の人生そのもののような気がするが……。さて、何を書こうとしているかというと、「芸」という漢字についてである。 先日、仕事があと一歩で終わろうとしていた。(私は時々印刷データ作りをお請けする) データ作りは大変だが、特に最後は緊張し、「ミスしていないか」と神経衰弱気味になる。「もう次から仕事を断ろう」と思ったりするほどだ。 その仕事の最終校正で、「芸」という漢字の訂正があった。メール添付のワード文書(Windows)には、1の「芸」から2の旧字への変更が指示されていた。(右上画像参照。指示されたのは2の漢字) 最初はたやすい直しだと思った。が、たった1字のために、まさか半日以上も費やすことになろうとは。 1.まずワード文書をテキストファイル(※)にし、Mac(パソコン)に文字を移した。(Macで印刷データ作成) が、Macでテキストを開くと2の漢字が「?」なっている! そ、そんなぁ?! 2.再度Windowsパソコンでワード文書をテキストにしようとすると、「ユニコードがどうたら…」という表示。 そうか、ユニコードで保存すれば2の漢字が出るんだな。そして、ユニコードにしてMacに移した。 しかし、なんじゃ、こりゃ。完全文字化け。変な漢字や記号で埋まっているデータが出現した。 3.仕方なくMacの辞書で部首・画数などで探してみた。3の藝はある。2の漢字だってあるに違いない。 だって、ワードで出た漢字だもの。けれど、見つからない。文字コードで探すしかないと思った。 4.けれどコード番号がわからないので、ネット検索。ようやくユニコード表を掲載するサイトがあった。 しかし、ぎっしり詰まった漢字は細かい。その羅列のどこに目的の漢字があるのか。 イライラが募ったところへ妹がやってきた。そして、探すのを手伝ってくれた。見つけた! 5.2の漢字のコード(ユニコード)は84FA。が、Macの辞書で84FAを探したら空白、この字はない。 結局、自力で作字(ソフトで字を作る)するしかないとあきらめた。……がっかり。 けれど、不安だったので確認することに。漢字を指定したご当人におずおずと電話をした。私の電話の仕方が下手だったのか、聞こえてくる声はどことなく冷ややか……。 「藝でいいんですよ」と言われた。えっ、3の藝でいいんですか。1〜5までの苦労は水の泡となり、とたんに私は拍子抜け。だが、とにかく解決したのだった。よかったぁー。 みなさんも、試しに2の漢字をワードで出してみてね。IMEパッドの「手描き」で2の漢字を書くと出てくるから。出てきたら、MS明朝・ゴシック以外の書体(勘亭流・行書体等)にして。さて、どーなるかな。 (ちなみに2の漢字は、普通のホームページでは表示されません。やっぱり、「?」になっちゃいました。) ※テキストファイル:どんなコンピュータでも共通して使える文字形式。フォント・色・大きさなどの属性は含まない。 今日はどんよりした空から雨が落ちている。しとっーとした空気、じとっーと汗ばむ肌、こう書くだけでも鬱陶しくなってくる梅雨の天気。 先週末、2回目の人参の間引きをしてきた。1回目の間引きでは、細くて小さな草みたいだったが、さすが2回目ともなると、もう根っこまで人参の姿をしていた。抜きながら「人参に悪いなー」という気分になった。けれど、そのおろぬき人参は夕食の具材となり、サラダでカリカリと食べた。ごちそうさま、人参さん。 今年の人参は成功しそう!今でさえ、こんなに立派なんだものね。昨年は大失敗。量販店で買った種からは小さくて色の悪い人参しか採れなかった。今年は『野口のタネ』で購入した「春蒔き五寸人参」。肥料も農薬も使わない「自然農法」で育ててみることにした。おろぬき人参のこの美しさを見るだけでも、いい予感がする。 畑の一隅で咲いているのはローマンカモミール。茎を触ると香水のようないい香りがしてくる。ジャーマンカモミールは青リンゴのような甘い香りだが、ローマンカモミールはそれよりもっと濃厚な香り。ローマンもティーとして飲めるそうだが、少し苦いらしい。でも、この濃厚な香りは、手作り石けんやローションには適している。今年は花を摘み、乾燥して保存しよう。 ジャーマンカモミールを片付けた畑は広々として、雨が降るごとに、畑一面に無数の草が生えてくる。汗をふきふき草取りをするのも一苦労。 草取りをして顔を上げると周りは人家だらけ。夕方になると犬の散歩人が多い。ときどき、畑周辺はペットの糞尿処理場だと勘違いしている人がいて、堂々と犬にやらせている。いつもの男のいつものその行為が目に入った。私は思いきって注意した。男は「ちゃんと片付けるからいいだろう」の言葉を残して去った。 この頃、こんな住宅街の畑はいやだなぁ、のびのびと農作業ができる場所でやってみたいなぁと思うようになった。ふぅーっと深呼吸をして汗をぬぐう。畑を通り抜けていく風は、思いのほか爽やかだった。 あーら、お姉さん。久しぶりじゃございませんか。この頃、この辺をあんまり散歩してませんでしたねぇ。あなたも忙しかったですって?でもね、私はあなたなんかと比べ物にならないくらい忙しいんですよ。 ほら、見て、この愛らしい子たちを。この子たちの誕生まで休む間もなく卵を温めつづけて1ヶ月。生まれてからは、こうして気を張りつめて、この小さな命を守るため必死なの。あっ、あそこでカラスが狙っているでしょ。危険、危険! もう既に大事な命を奪われてしまったんです……。どんなにあたしが悲しかったか……。あらあら、末っ子はどこへ? あの子ったら、いつも皆とはずれた行動をするので、気が気じゃないわ。(写真には11羽の赤ちゃんが写っているが、もう1羽が群から離れたところで遊んでいる) あー、カルガモ母さん、本当にお久しぶり。「お姉さん」なんて呼びかけられて、いやー照れちゃうなぁ。 うふふ、私の空耳がお姉さんって聞こえてしまったのかもしれないが。ようやく昼間のお散歩に行くことができた。(日曜日と昨日) もうそろそろ赤ちゃんが生まれたかと、ずっと気になっていたのだ。 会えたらいいなと期待に胸膨らませ出かけたら、なんと幸運!この可愛らしい命に出会って、もうドキドキ。 空堀川とそこに暮らす生き物を愛している人は多い。ご近所の方々もこの命を見守っていた。私がカルガモ親子を熱心に眺めていると、いろいろなことを教えてくださった。その情報をまとめると以下のよう。 1.空堀川(この付近)には3組の親子がいる。 2.写真の親子は17羽の子どもがいたが、今は12羽になってしまった。 3.もう1組は9羽の子がいて、無事に大きくなっている。 空堀川で初めてお会いしたカルガモ親子。ここで生まれた子たちがここで大きくなる。そう考えると、たまらなく嬉しい。 無事に大きくなるんだよ、カルガモ赤ちゃん! (余談:運よく写真を撮れたが、新しいカメラもだめ。画像が悪くてm(__)m) 昨日、雨があがったので畑に出かけた。カモミールを整理し、ちょっと耕した。土は濡れているので耕しやすい。気がつくと、たくさんの鳥たちが畑に舞い降りて、地面から現われた虫を啄ばんでいた。ここまでは何の変哲もないことがらである。 で、なぜ鳥をつかんでいる写真があるのか。ここらあたりが変でしょう? この汚い手は私のもの、鳥はムクドリ、写真をとったのは妹。 このムクドリは隣りのブルーベリーの網の中に入ってしまい、網にひっかかってもがいていた。それを私たちが救出したのである。 遠くでみると図々しそうなムクドリだが、間近で見ると可憐で、弱い小さな命だと思った。近くの人家のアンテナでは、もう1羽のムクドリが心配そうに鳴いていた。この鳥の連れ合いか親なのだろう。「さぁ、飛んで」と放すと、アンテナの鳥とともにあっという間に空に消えていった。 「何の因果で」とか「親の因果が子に報い」なんて言葉がある。ときどき新興宗教の人が、「先祖の悪行が現在のあなたの不幸となり、その霊を供養しないと……」などと言って勧誘に来たりする。まったくそんなことは余計なお世話だし、誰もその因果を証明していないじゃないかと言いたいけど。 悪い結果に対して使われがちな因果応報という言葉にもいや〜なイメージがあるが、本来の意味は、原因と結果があって、それが現在に反映されるということ。甘い物が好きなのに歯磨きはきらい(因)、すると虫歯ができた(果) 、だから歯痛で苦しみ後悔している(応報)─こんな具合かな。(応報部分を更に拡大解釈すると、もしかしたら「歯医者に行ったらステキな人と出会った」という応報だってあるかもしれないよねぇ。) 先ほどムクドリの身にふりかかった出来事はまるで予期せぬこと。まさに「何の因果でこんなことに!」とムクドリだって嘆きたかったに違いない。鳥は実や虫を食べたかっただけなのに、下り立ったそこは自然界に存在しない網という危険物があった。この悲劇の「因」は鳥にはない。 新型インフルエンザがこの列島にも入ってきた。危機感が煽られ、罹ってしまった人を忌避するような報道がやたら目に付く。たとえ罹ってしまっても大丈夫、そういう普通の治療こそが求められるはずなのに。 この「因」は罹った個人にあるわけはない。その「因」はグローバル化した世界にこそある。どんなに遠く隔てられた国々であっても、今は飛行機でひとっとび。インフルエンザもひとっとびで伝わってくるはずだ。 グローバル化した“因果”を一個人が引き受けることなんかできっこない。 「薬草風呂に入ったら、“じっけ”がすっかり治ったのよ」 と友人が言った。うん?“じっけ”って? 「“じっけ”って言わない? 痔のことだけど」と友人。 あ〜、実は私も“じっけ”の経験者でーす。 というより、今でも体調が悪くなると現われてくる“じっけ”。 「お尻のしもやけみたいなもんでしょ。血行が悪くて切れちゃうんだ。さっさと患部を切っちゃいましょうね」。医者にこう言われて手術したのは、もう25年ほど昔のこと。出産直後に潰瘍を起こした私のお尻であった。 正気ではいられないほどの痛みがあった。あの当時もっと知識があれば、手術なんかしなくても治ったはずなのにと思う。 手術しても完治したわけではなく、その症状はときどき現われるわけだし。 ジヌシ(痔主)になってからセルフケアを知った。頭のてっぺんにある【百会】というツボを刺激(指圧とかお灸とか)すると劇的に良くなったり。また日常的に患部をいつもきれいにすることなど。 おっとっと、書こうとしていたのはカモミールのことだった。たぶん、カモミール風呂は“じっけ”に効くと思う。カモミールは消化・解熱・精神安定作用などあるが、鎮痛・抗炎効果もある。 今年も私たちの畑はカモミールがいっぱい咲いた。けれど、もう盛りが過ぎ、刈り取って始末している。このまま捨ててしまうのも残念なので、家で花を大量に使っている。労働はつらいが、ちょっと贅沢な気分。 カモミールのフレッシュハーブティーは花の時期だけのもので、美しい黄色のティーになる。花に熱湯を注いで5分、甘い香りのおいしいティーができる。(約10花で1人分) また、たくさんの花を使い、濃いティーを作り(500ccくらい)、 お風呂に入れてハーバルバス。ほんのり甘い香りがして癒される。お風呂にカモミールの花を浮かべたりすれば、もっと優雅かな。 もちろん、これはドライカモミールでもOK。ドライのほうが薬効成分が多いので、“じっけ”にはもっと効果がありそう。カモミールだけでなく、いろんなハーブをブレンドすれば、それこそ薬草風呂になりますね。 私はたまに眠れない夜があり、寝返りばかりをくりかえす。そのうち浅い眠りがやってくるのだが、これが魔の時。その“時”は怖ろしい夢を連れて来たりする。 それは先週のことだった。(TBSドラマ『夫婦道』を見た翌朝。ちなみにこのドラマにはシズちゃんというタレントが出演し、ユニークな役柄を演じている) 夢の登場人物は、まず私、シズちゃんみたいな女性、その他の人たち。 ロッカーで仕切られた事務所で何人かの女性が仕事をしている。私も真面目に仕事をしていた。突然、そこへ誰かがゴミをポイポイと投げ入れてくるのだ。 私は許せなかった。だから、「やめて」と注意したが、それは逆効果だった。ますます相手はゴミを放ってくる始末。私は怒り心頭に発する。 「いいかげんにしなさいよ!誰がやってるのよ!」と激しい口調で追求すると、現われ出でたのは、ものすごく大柄で強そうな女性だった。(テレビで見るシズちゃんをやや不良っぽくした感じ) 彼女は腕組みをして私を睨むや、ずんずんと近づいてきた。身の危険を感じて逃げようとしたが、時既に遅し、私はその逞しい腕に羽交い絞めにされていた。力では適いっこない。窮地に陥った私は、その太く逞しい腕を思いっきり噛んだ。これで逃げられる! そう思った瞬間、「フギャー!」と声がして、私は覚醒した。私の腕からマム君(猫)が声を上げて逃げ出していったのだった。私の前歯には、確かに“何か”を噛んだ感覚が残っていた。 あ〜ぁ、何ということか……、私はマムの首を噛んだのだ。 私の腕を枕にして、安らかに眠っていたマム。さぞかし、びっくりしたことだろう。 夢の原因は、畑にいつも投棄されるゴミだと自己分析した。先日はハーブの上に故意にゴミの大袋が捨てられてあった。袋にはきれいに始末されたタッパーやザルが入っており、家事上手な人のゴミだとわかる。 “何がハーブよ、何が畑よ。調子にのってんじゃないわよ”と言わんばかりのゴミの投棄。得体の知れない、顔の見えない敵意が感じられ、それは私に恐怖感を与えたのだった。 まぁ、それにしても猫を噛んでしまった人間なんて……おかしいやら恥ずかしいやら、とにかくショック。 庭に赤いチューリップが咲いた。たった1輪だけど。 スミレ、レンギョウ、シャガ、忘れな草など、いろんな花が一斉に咲き始めた。その中で、一点ぽっと灯りをともしたように咲く赤いチューリップが、庭のアクセントになっている。 私の“ガーデニング”は植えっぱなしで、毎年勝手に咲いてくれる花が中心。だから、庭は放任主義そのもので、ガーデニングなどと呼べた代物ではないのだ。お手入れが必要な園芸植物は皆無に近く、よくもまぁチューリップが咲いてくれたものだと驚いている。何年か前に植えたまま放置していた球根が花をつけたのは、奇跡的かもしれない。 近所の庭は丁寧にお手入れされ、色とりどりのチューリップがきれいに咲き揃っている。 そのチューリップを眺めていると、去年のことを思い出してしまう。 私はお風呂場の窓から他所のお宅のチューリップを眺めていた。ちょうど洗濯をする時、外の花が目に入るのだ。と、そこに愛らしい仕草で現われたのは猫。まだ大人になる前の少年だった。 少し茶色がかったキジトラ模様と好奇心に満ちた瞳、そう、それは紛れもなくマム一世の息子だった。(マム一世についてはこちらを参照) つまり、現在ウチの家族であるマム君(マム二世)である! そよ風が吹いた。チューリップは揺れる。すると、少年猫は前足でチョイチョイと花にじゃれ始めた。その姿の可愛らしいことと言ったら! 私はみとれてしまった。そして、少年猫と目が合い、微笑みあった。 それが『運命的な出会い』であったのか、その一月後、病を患いヨタヨタとなってウチを頼ってきたマム君。そのまま、ウチで共に生きることを自ら選択したマム君。チューリップの思い出は忘れることがないだろう。 愛らしかったマム君も、もはや大人の猫である。 ……が、じゃれるクセだけは今も旺盛で、そこらじゅうのものがターゲットになっている。手近なところから言うとメガネ、カギ、パソコンのマウス、携帯電話、薬ビン、ペン……など枚挙にいとまがない。棚に積んであるものは落としまくる。ボーっとしていると、次から次へと物がなくなる。窓を開けたままにしておくと、その“物”は、どこかわからない外に行ってしまう。そして、ついにデジカメの充電器がなくなった。 ずっと探し続けているが、いまだに見つからない。だから、デジカメが使えなくなってしまった。(今回の写真は携帯) 充電器を探していたら、マムのネズミが2匹出てきた。(もち、ニセモノのねずみですよ、ご安心を) マムは得意満面でネズミを咥え、じゃれまくり悦に入っている。 のらぼうは、なんで「のらぼう」というようになったんだっけ? というお便りが来ました。まずは、この日記を読んでいただいたことに謝意を表します。その上、お便りまでいただき、ありがとうございました。 前回(3/25)、のらぼうは「闍婆菜」(じゃばな)という名前だったことを紹介した。江戸時代、首都近郊に種が配布され、それがいつしかのらぼうと呼ばれるようになったわけだが、そのいわれは? 幕府の役人が種を配布したということは、幕府の財政に貢献する野菜であったと考えられる。つまり闍婆菜は年貢の対象だったわけだ。 「えっ、青菜を?」と疑問が出るのは当然。今日みたいに気温が高いと、収穫して小1時間もしないうちに萎れてくる。農民が自家消費はできても年貢にはならない。では、どこに年貢としての価値があるのか。 闍婆菜は油菜の仲間である。これを知れば、賢明な皆さんは「なるほど」と得心されるだろう。 そう、そうなんである、闍婆菜の種からは油が採れるのだ。この油が年貢の対象となった。 「うん、それはわかった。だから何でのらぼうという名になったのか?」と答えを急かされるのわかるが、もう少々がまんいただきたい。実は、この年貢を納めるということに名前の由来は関係している。 年貢をめいっぱい多く取りたいのは幕府で、農民はできることなら年貢は少なくしたいというのが本音であろう。現代の庶民もなんだかんだと税金をかけられて苦労するが、江戸時代の農民に課せられた年貢はその比ではなかったに違いない。それで窮余の策として考えられたのが「年貢逃れ」。一定量は年貢として納めなくてはならなかっただろうが、「それ以外」の余剰分をどう「年貢逃れ」するか? 野口勳さんの本(『いのちの種を未来に』創森社刊)には、「『これは下賜された“闍婆菜”じゃなくて“のらばえ”(野良生え)です』、つまり栽培したものではなく自然に生えているものだと言って年貢逃れして、その『のらばえ』がいつしか『のらぼう』に転じたのではないかと思われます」と書かれている。 漢字では「野良坊」になると思うが、名前の由来を考えてみるだけでも一つの貴重な歴史があるものだなと感慨深い。とにかくのらぼうは強い野菜で、虫はほとんどつかず、どこにでも生えてくる。そして、種が大量に取れるそうだ。野良に自然に生えてくるからのらぼう、とっても納得がいく。うちの畑にだって勝手に生えてきたくらいだものね。今、畑では黄色の菜の花になっているのらぼうくんである。 我家では、 “のらぼう”のお浸しに「美味しい!」と歓声があがる。 今、畑ではアブラナ科の野菜(油菜・小松菜・こかぶ・ルッコラ)すべてが花芽をつけている。放っておくと花が咲いて散ってしまうので、毎日のように花芽を収穫する。だから、日替わりでこれらが食卓に上ることになる。その中でひときわ美味しいのがのらぼう(写真)である。 のらぼうはクセがなく、ほのかな甘みがある。茎は柔らかくて、ここがもっとも甘い。お浸しはもちろんのこと、油炒めなどにしても美味しい。 のらぼうは強い野菜だなって思う。だってね、種蒔きもしないのに自然に生えてきたんだよ! これは本当にすごいこと。他の野菜なんて、種蒔いて、一所懸命にお世話しないと育たないんだから。 昨年秋のこと、気がつくとネギの間から、幾つかキャベツの芽のようなものが生えてきた。最初は「何だろう?」と首を傾げたのだが、ピンときた。一昨年、母がここにのらぼうを栽培していたのだ。それに違いない。 虫に喰われることもなく、ほとんど何のお世話もしないのに、のらぼうは大きくなった。 なんていい子なんだろう! 天からの恵みのようなのらぼうに、とても嬉しくなってしまう。 ずっと以前、1年ほど五日市町に勤めていたことがあったが、そこの子どもたちが誇らしげに「のらぼうは五日市特産の野菜だよ」と教えてくれた。(五日市町は現在のあきる野市) どんな野菜だろうと思っていたら、その後、地域生協で地場の野菜として扱いはじめた。注文して、はじめて本物にお目にかかった。 こののらぼう、実は「闍婆菜」(じゃばな)という名だったらしい。江戸時代に伊奈備前守忠宥(ただおき)という関東を治めている代官が、天領(将軍家直轄の村)に闍婆菜の種を配布したという。(1767年) それが東京の西郊(東京・西多摩地区や埼玉・飯能市など)に残り、のらぼうと名を変えた。 また、のらぼうは不思議な野菜で、他のアブラナ科の野菜と絶対に交配しないそうだ。水菜やカブなどアブラナ科の野菜を一緒に栽培すると必ず交雑してしまい、その種からはどっちつかずの野菜ができる。それがアブラナ科野菜の特徴らしい。だが、のらぼうだけは固定種だから、ちゃんとのらぼうの種ができる。 (以上の話は、『いのちの種を未来に』(創森社刊 野口のタネ・野口種苗研究所 野口勳さんの本)に詳しい) そののらぼうが畑に芽を出して、今食べていること、そして美味しいこと、ありがたやと感謝である。 菜花のおひたしを好きになったのは、30歳を過ぎた頃だったろうか。とにかく、これは大人の味だなと思う。きれいだけれど、少し苦い。そのおひたしに、辛子醤油をつけていただくと風味があっておいしい。 菜の花は私たちにとても馴染みがある。どこにでも咲いていたからなのか、小学校の理科の教科書には必ず載っている。私もこの花を観察して「これが花びら、がく、めしべ、おしべ……」などと習ってきた。 あっ、確か教科書には「アブラナ」とあった。そうだ、油菜。油っぽい菜っ葉だから? いや、そうではない。この菜っ葉の種から油を採ることができる。だから、油菜なのだ。菜種油は食用や灯火などとして用いられ、江戸時代には大量に消費されるようになったらしい。 もちろん菜っ葉も食べただろうが、たくさんの種を収穫する目的で油菜は栽培された。秋に蒔いた油菜は、春になると畑一面に黄色の花を咲かせる。菜の花畑はおだやかで美しい春の風物詩となった。 こうして菜種油が普及すると、江戸時代の経済にも大きな変化があったんじゃないだろうか。(現代の私たちだって、石油というエネルギーに振り回されて、景気がいいだの悪いだのと大変なんだものね) それから、食用油がたくさん採れたということは、料理にも大革命が起こったのかも。天ぷらが広まったのは、菜種油の生産に比例するのではないだろうか。……と、柄にもないことを想像しているのだが、調べてみるとおもしろいかもしれない。また、種から油を搾ったあとのカス(油粕)は、良い肥やしになるという。 ふむふむ、油菜はなんと有用な植物なのだろうと思う。そして、菜の花は愛らしく美しい。 私たちは菜の花を食べるだけでなく、ときどき飾って楽しむ。だけど、石油はそういうわけにはいかない。産油国でボウボウと燃え上がる火柱、タンカーから流れ出て海をドロドロに汚した黒い油……。菜の花とは対照的ではないか。もう一度江戸時代に戻ったらいいとは思わないが、ちょっぴり昔のことを思い出して、私たちの暮らしのことを考えてもいいと思う。きれいな菜の花のおひたしから、いろんなことを考えてしまった。 息子の部屋を掃除していた母親が、エロ本を発見して衝撃を受ける。ドラマなどでお目にかかるシーンだが、親の心理をよく現している。我が子の成長は嬉しいが、性に関する部分はなるべく見たくないという心理。 ウチのマム(猫)は、私にそんな衝撃を与えてくれた。 あっ、一応誤解がないように断っておくが、マムは去勢してある。だから生殖能力はなく、男性ホルモンも作られてないはずなのだ。 それなのに、まさか、そのマムがこんな行動をとろうとは! 一昨日のこと、ノラクロくんが遊びに来た。すると、マムはおもむろにノラクロくんの上に乗っかって、首を噛み腰を押さえつけたのだ。ノラクロはそれがイヤじゃないらしく、ちょっとうっとりとした目つきになっている。あー、これは交尾のポーズ(マウント)ではないか。行為後、マムは足を広げ自分のチンチンを舐めていた。(猫のチンチンはピンクの小さなとんがりコーンのようなもの) 驚いたのなんのって! しかし、驚きはこのあとにも続いた。2〜3分後、外に出たノラクロくん、今度は自分の兄弟(仮にハナジロと名づける)にもマウントされたのだ。いやがっているふうではなく、されるがままになっている。どうしてノラクロくんばかりが、こんなことをされるんだ? 彼はメスだったのだろうか? 発情期のこの時期に、たて続けに私の目の前で起こった出来事が不思議でならなかった。 そこで私は、「ちょっとごめんね」とノラクロくんの首を抑えて、お尻を確かめてみた。小さな小さなタマタマ(睾丸)がちゃんとついていた。やっぱり彼は男の子だったのだ。 オス猫同士のマウントは、上位のオスが下位のオスに「俺のほうが偉いんだぞ」ということを示す行動だという。そのことは本を読んで知っていたが……。けれど、同じ兄弟のハナジロや去勢猫のマムが、ノラクロくんより“偉い猫”にはどうしても見えない。(もしかしたら、ホモ……なんて思えちゃうのは人間的偏見か) 今猫たちは恋の季節を迎え、近所には去勢・避妊していない猫たちが集まっている。色とりどりの猫たちのこの騒ぎは百花繚乱、人生いろいろっていう感じだ。時折、ウチの庭をその一団(5〜6匹)が駆け抜けていく。そこにノラクロくんも混ざっていたりする。去勢猫のマムはどんな気持ちでその一団を眺めているのだろう。 おばちゃん、おばちゃん、ボクをお家に入れてよ、このシロも一緒にさー。 何でガラス戸を閉めちゃうの? ボクだってお家の中でぬくぬくと温まりたいよぉ。そんでね、ゴロゴロと喉をならしながら、ゆったりとお昼寝したいもん。目覚めたら、のんびりとエサを食べたいしなぁ。 えっ〜、なんでー、どうしてダメなの?だって、マムは中にいるじゃん。マムがよくって、ボクがダメ、そんなの理不尽きわまりないよにゃー。 毎日のようにノラクロくん(♂)が来る。とにかく人なつっこい猫で、ニャーニャーと私に呼びかけるように鳴いて、触ってもいやがらない。シロくんとは大の仲良しで、しょっちゅう一緒に訪れ、2匹でスリスリしながら戯れている。シロくんはメス猫で、私が近づくとさっと逃げてしまうが。 いつも窓の外から覗き込んでいるので、最初、私はエサが欲しくて来ているのかと思っていた。けれど、エサをあげても残したり、食べなかったりする。ウチのエサがお口に合わないのかもしれない。が、どうもウチに来るのはエサだけが目的ではないようだ。ノラクロくんは、人間と暮らすことに興味津々なのではないか? ポカポカとお天気のいい日、窓を開けたままにしておくと、いつの間にかノラクロくんが入り込んでいることがある。座布団の上で気持ち良さそうに寝ていたりするのだ。ウチのマムとは気が合い、鼻をくっつけ合って仲良くしている。それもそのはず、数ヶ月前までマムもノラクロくんも近所の庭で仲良く暮らしていた仲間だった。ノラクロくんは去年春に生まれた猫。マムは1年先輩だから、彼のお世話をしていたのだろう。 ところが、マムはウチを住処に定めてしまった。今ではもうしっかりと家族になっている。それで、私を母がわりにして、ついて廻ったり、ひざの上に乗ったり。その様子をノラクロくんはじっと見ているのだ。 「あんなふうに暮らしてもいいかも。だって、ボクは人間に触られるのが好きだから」 とノラクロくんは思っているのかなぁ。そうだとしたら、それはイエネコの遺伝子のなせる業だろう。マムもそうだが、ノラクロくんも特にその遺伝子が多そうだ。 ちょっと、君! そう、そこでボロデジカメのフラッシュをたいている君。まぶしいったらないよ。まったく常識もなにもないんだから! こっちはね、じぃーっと獲物を狙ってるんだ! 生活がかかってるんだよ。それをさ、おどかさないでおくれよ。あ〜ぁ、せっかくの小魚が逃げちゃったじゃないか! それに、なに、この写真は? まるで鳥の幽霊かなにかみたいだよ。君、ボクがどれだけ偉いか知ってるの? ボクはね、五位の位をもらってるんだよ、醍醐天皇から。し、知らないってー、クワックワックワックワッー。そんな権威主義なんかナンセンスだってぇー、クワッー。ゆ、許せない、クワッー。大声で泣き叫んで、疫病神を呼んじゃうぞー。 ……と、先日の夜、空堀川のゴイサギ(五位鷺)が怒っていた、というのは作り話だけれど。(写真があまりにもひどいので、加工写真を左に掲載) 私は、夜、空堀川を散歩することが多い。最初はタヌキ君に会いたくて散歩をしていたのだが、クワッーと不気味な声がするのにびっくりし見上げると、バサバサと羽音をたてて鷺が飛んでいたのだ。飛び降りた姿は、頭と背中が青っぽく、けっこう端正だった。これがゴイサギとの出会いだった。 ゴイサギ(五位鷺)という名の由来は、醍醐天皇(平安時代)に五位を授けられたという故事に基づいているそうな。(私は今まで、五位の官人の着物の色に似ているから「五位鷺」と呼ばれたと思い込んでいた。古典の中にそんな記述があったような気がしていたが……) このゴイサギは夜行性。夜、川の浅いところにおり、かがんだような姿勢でじっと魚を狙っている。大きさはカラスぐらい。首は縮めていることが多いが、伸ばすとそれなりに長く、鷺の仲間だと納得する。 私は、昼の空堀川では成鳥を見かけたことはないが、幼鳥だったら出会ったことがある。幼鳥の羽色は茶色っぽく、そこに白い斑が入っているので、ホシゴイ(星五位)と呼ばれている。 ゴイサギの声は先述のようにクワッーと怖ろしげである。夜のしじまにこの声が響き渡ると、かなり不気味。沖縄ではこの鳥を「ヨウガラサー」(夜のカラス)と呼び、この鳴き声が疫病神を招くという伝承があるらしい。 さてさて、私も下手なカメラなど手にせず、ゴイサギが鳴かないようにそっとしてあげなければ。これ以上疫病神を呼んではいけない。ゴイサギが小魚を食べて満足しますように。私たちの暮らしにもこれ以上経済不安やインフルエンザ等の病気がきませんように。またパレスチナ等の外つ国の民が安寧でありますように。 (久しぶりの「空堀川の生き物たち」でした。また載せていきたいと思っていますので、よろしく!) 明日は雪かもしれない。そして、明日は金曜日、また「燃えるゴミ」の日。 年始のゴミの収集は今週から始まり、案の定、常よりゴミが多く出てカラスが散らかした。火曜日、私は散らばったゴミを掃除した。 ウチの前がゴミ置場になってからというもの、気が休まったことがない。初めの頃は残ったゴミをどうするかで悩み、最近はカラス被害だ。 2度ほど、困った。散らかったゴミを発見した人が他の人に連絡に行き、一大事のように掃除したことがあった。猫がやったという。早朝にゴミを出した人が原因かのようにいう。わざわざ私にそのことを言いに来た人がいた。 ウチには猫がいる。家人はすごく早起きで、早朝にゴミ出しのツトメを果たす。私は寝坊で、7時ごろ外で大騒ぎをしてゴミ掃除していたのも知らなかった。──こう書くと、私はとってもお気楽で無責任に見える。 でもでもでも!猫はゴミなんか食べない。野良ちゃんたちだって美食家で、残飯なんか食べはしない。 それに、私の家のゴミは残飯が少ない。ゴミ袋は新聞紙で包み、内容物を見えなくする。そして、また袋に入れる。かなり厳重に包装して出すので被害には合わないと思う。が、ゴミ袋に名前は書いてないし、「絶対」という保証もない。だから、それ以来、家人のゴミ出しは止め、私が遅い時間に出すことにした。 また、なぜか私は散らばったゴミに遭遇し、しょっちゅう、カラスにやられた誰かの残飯を片付けている。(ついでに道路のゴミもはき集め、草取りさえもする)カラス君は利口だから、ゴミ袋から見える油っぽいものには目がなく、ちゃんとお目当ての料理を探してしまう。これもウチの目の前のことだから、本当によく観察できるのだ。でも、そんな私のことなど、家のものと猫とカラスしか知らない。誰にも「猫はこうで、カラスはこうで、私はこうで」ということもできないから、こんなとこに書いているわけだけれど……。 ゴミはそんなに汚いか。カラスや猫(仮にゴミ漁りをしたとして)は害獣か。 清潔でキチンとした都市生活は膨大なゴミとともにある。その責任が人間にあるのは明々白々。ああ、人間ていやだいやだ。私も含め、自分の都合ばかり考えている。カラスや猫の都合だって考えよ!と思う。 今年も我家のカレンダーは『ねこ暦』。正月は「招きます 福が福呼ぶ 福のねこ」と書いてある。 このカレンダーは岡本肇さん(書画作家)のものである。岡本さんは、「猫が堂々と生きている町は、そこに生活している人々も実にのんびりと、猫とともに猫時間で生活しているようにも感じます」と何かに書いておられた。私もネコ時間ですごしたいと思う、つくづく……。 |