2010.12.28(火) カモのカップル いつまでも一緒にね!
「ウッソだろう!?」と一人で叫ぶ。もう、12月の終わりだなんて。
私って、ほとんど日記を書かなかったの? いくら忘れっぽくなったからと言っても、ちょっとひどすぎるよね。こんな怠惰じゃまずいよねえ、はぁ……。
書くことがなかったわけではないの。いっぱいあったよ、確か。
今さら何を言っても仕方がないので、一番気になっていたことを書こう。
空堀川の散歩はずっと続いていて、すっかり馴染みになった鳥がいる。
それはこのカモのカップル。出会ってから、3年くらい経つかな。いつも同じ場所にいる。私の顔を見ると土手にあがってきて、「ちょうだい」の仕草をする。ところが、私はいつも何も持っていず、申し訳ないような気分になる。このカモたちは散歩人に愛されていて、いつもパン屑などをごちそうになっているのだろう。
写真左上にいるのがカルガモ、右下が青首アヒル。(たぶん。もしかしたら混血カモ、かも???)
空堀川にカルガモはたくさんいる。ほとんどは川に浮かんでいるけれど、時々、空を飛んでいる。そうして場所を移動したり、遊んだりしているのかしら。
ところが、このカップルの片割れ、アヒルくんは空を飛べない。カルガモより一回り大きく、ヨチヨチ歩きの姿はいかにも重いそうである。集団の中でたった1羽のこのアヒルは、どんな思いでカルガモたちを見つめているのだろうか。カルガモは地縁・血縁でつながっているけど、このアヒルの仲間はいない。
どういういきさつで、このアヒルがカルガモ集団の一員になり、彼女とカップルになったのだろう。
直接お聞き出来たらおもしろいけれど、残念ながら、私はカモ語を習得していないのでわからない。
「たまには仲間たちと空を飛んでおいでよ」などと、アヒルはカルガモにやさしい言葉をかけているカモ。「美しい青首で泳ぐ姿がステキよ、あなた」とカルガモはアヒルに言ってるカモ。
散歩するたびに、この2羽を微笑んで眺めている。いいなぁ、このカップル。いつまでも仲良く、一緒にね!
2010.11.20(土) 落葉と蝉のぬけ殻 源氏物語の『空蝉』を思い出す
ガサガサ、バサリ。 柿の木が揺れ、枝が落ちる。
あれ、猿?! ついに、この辺にも猿が来たのか? なーんだ、中年の女か。通りすがりの人が、そんな表情をして私を見上げた。
昨日、柿の木に登り、枝落としをした。低い木ながら緊張する。少し恐怖心を覚えながら、ギーコギーコと鋸を引く。太い枝はなかなか切れない。切ったあとは、伐採した枝葉の後片付け。それだけで1日が終わった。
柿の実が十数個、実っていた。毎年枝落としばかりし、実らない柿の木にしてしまったので、まさか実がこんなにあるとは!
予想外のうれしい収穫だった。
それから、後片付けをしていて発見したのは、蝉の脱け殻。落葉がきれいなので拾い上げて見ると、葉っぱの裏についていた。脱け殻がついた落葉がたくさんあった。夏の間、ここから多くの蝉が羽化したんだなぁ。
蝉の脱け殻を空蝉(うつせみ)というが、かの源氏物語に『空蝉』の巻がある。
17歳の若く美しい貴公子・光源氏が忍び込んだのは、人妻の寝所だった。その時は一夜をともにしてしまう。再び忍び込んだ時、彼女は逃げ出し、そこには薄衣だけが残されていた。まるで蝉の脱け殻のようだったから、この人妻を空蝉という名で呼ぶ。空蝉は伊予介の後妻だった。
なんで、光源氏が勝手に人妻の寝所に忍び込んだかと言うと……。源氏は“方違え(かたたがえ)”を口実に空蝉の住まう邸宅に宿泊した。あそこへ行きたいんだけど我家からは方角が悪いから、こちらに厄介になって方角を良くするよ、というのが方違え。源氏は帝のお子だから、好き勝手に家臣の屋敷に立ち寄れたのだ。そして不埒にも人妻に手を出してしまったというわけだ。だが、その後、空蝉は頑なに源氏を拒んだ。拒否されればされるほど源氏の空蝉への執着心は募る、というのがこの物語の筋だったような気がする。(2帖『帚木(ははきぎ)』〜3帖『空蝉』)
光源氏が振られっぱなしだったかというと、そうではないところがミソ。実は彼女も源氏に魅かれていたが、自分の立場を熟慮すればするほど、この恋を受け入れてしまってはいけないと思っていた。そういう奥床しさを空蝉は持っていた。かの紫式部はそれを表現したかったらしい。(かな?
知りたい方は調べてね)
話は変わるが、ウチの中にもあちこちに“空蝉”がいる。その正体はレジ袋や包装袋。中身のお菓子はちゃんとなくなっているのに、空き袋だけ残っている。家人には空き袋を片付けるという習慣がないのだ。その“空蝉”を見つけるたびに、腹が立ったり呆れたり。とんでもない「空蝉の君」だよ、まったく。
2010.10.28(木) 野ぶどう 庭の小さい秋を見ながら想うこと
忙しい秋。肉体労働に明け暮れている毎日だ。この忙しさと筋肉の疲れが生産的であれば言うことなしなのだが、そのほとんどが世間的に言えば“無意味”ときている。実りの秋、収穫の秋と言いたいところだけれど、そういう言葉とは無縁。畑のほうは家庭菜園にもならず、ひたすら夏野菜や花の残骸と雑草を片付けることに追われて、何とか終わったところである。
秋冬野菜を植えてはみたが、生育はさっぱり。自然農法は私のような素人には無理だったのか。無肥料栽培は、失敗の連続である。
今、畑にはブロッコリー16株が並んでいる。半分は妹のもので、多少の有機肥料を施したという。生き生きして、これから立派なブロッコリーになりそうだ。ところが、私の8株はひどい。生育は悪く、すでに3株が枯れ始めている。この惨状を見るたびに後悔の念が湧くのだけれど、頑なな意地が頭をもたげて、“初志貫徹!”と言うのだ。この初志貫徹をやってきて、春野菜も夏野菜も収穫できず、結局市販の野菜を買うだけ。(例外はゴーヤ) これじゃ何のための野菜作りかわからない。
今年の異常気象のせいだけではなく、そもそも起承転結の“起”から間違っていたのだろうか……。
畑の片付けが終わっても、今度は庭の掃除だ。狭い庭は木を植えすぎて、葉っぱがいっぱい。夏は涼しく有難かったけれど、秋になると日が差さないので寒い庭になる。隣家にも進出しそうなので、また木のぼりして、伐採しなくてはならない。先日、ついに木から落ちた。木に生えていたサルノコシカケに足をかけて、枝を切っていた。突然、サルノコシカケが折れて、私はずりずりと滑り落ちたのだった。
この庭も、楽しみが“苦しみ”に転嫁してどれくらい経つことだろう。今は元気だからいいけれど、この先の保証はないもんなぁ。そろそろ庭にもけじめをつけなきゃいけないか、と考えてしまう秋である。
それにしても、今日は秋とは言えないような寒さ。軒下の野ぶどうが実をつけている。
夏の間、ツルを伸ばし続けた野ぶどう。伸びたツルを私が切り続けた。それでも、野ぶどうはがんばって、ちょっとだけ、美しい実をつけた。本当はもっともっとツルを伸ばしてあげたかったけど、ごめんね。
きれいだな。撮った写真から野ぶどうだけを切り抜いて、アップしてみた。
2010.10.11(月) 小さな旅 空堀川の流れを追って
『小石のように』という中島みゆきの歌がある。若い頃、よく聴いた。
山から転がりだした石は流れに乗る。石は川の流れにけずられ、小石、砂になり、やがてよどむ。そこで歌は、「おまえ おまえ 海まで百里/すわり込むにはまだ早い」と呼びかけ、「いつか青い海原へ」、「砂は海に 海は大空に そしていつかあの山へ」と希望で結ぶ。挫折した若い魂を励ましてくれるかのように、軽快なリズムでみゆきは歌い上げるのだ。
近所の空堀川を散歩しはじめるようになって、この歌を思い出した。小さな空堀川でさえ海に辿り着くのだと想像し、大いなる地球の輪廻を感じる。海底に沈んだ砂がまた隆起して山になり、大地になっていく壮大なドラマを思い浮かべると、このちっぽけな自分でさえ、生きている価値があるような気がしてくるのだ。
そんなわけで、かつて空堀川を下ってみたことがあった。ところが季節は冬、途中で水がなくなっていた。名の通り、この川は空堀になってしまうのだった。それを知った時、とても落胆した。
昨日の午後、思い立って、また空堀川を下ってみた。 すいすいすい、遊歩道を走る自転車は早い。天気も良くなり、川面は青空を映していた。ずっと青い流れが続いている。雨が多かったから、川は生きていた。
そして、空堀川の終わる地点に辿り着くことができた。武蔵村山市、東大和市、東村山市をほそぼそと流れてきた空堀川は、清瀬市中里というところで柳瀬川と合流していた。感激!!!!!
ここから、引き続き柳瀬川となるそうだ。川幅も広くなり、いかにも“川”といった様相になる。さらに下っていくと、川岸にはこんもりとした森や広い河原があり、公園になっているところが多かった。川の中に入って本格的な釣りをしている人も見かけた。柳瀬川には鮎が戻ってくるそうである。
ずんずんと柳瀬川に沿って走っていて、鬱蒼とした小高い場所に迷い込んだ。まるで心霊スポットのような薄暗さ。「血の出る松の跡」の立札を見かけ、何だかぞっとしてきた。そこは所沢市のはずれにある城山神社だった。戦国時代には「滝の城」があったという。その場所から抜け出したときは、ホッとした。
その後、また柳瀬川沿いに戻り、付近にある小さな白山神社を見つけて、手を合わせてきた。
往復3時間半ほども自転車をこぎ続け、気がつくと膝がとても痛かった。でも、いい“旅”だったかな。
2010.9.16(木) 激変(?)したこと ゴミ問題とパソコンと猫耳と私の唇
月曜の夜、テレビの映画で雷が光った。そしたら、本当に外で落雷!激しい雨が降り、一挙に秋の空気なった。ほーっ、ようやく……。
まったく、この夏はあまりにも暑く、長く、すごい夏だったなぁ。
激変ともよべる夏の終わり方だったが、私の生活にも激変があった。
その1 これは朗報。それは前回(8/28記)のゴミ問題が解決したこと。周辺に新しい住宅が急増し、そこから出るゴミの行方に悩んでいた。それを東大和市議の長瀬さんにお話したところ、すぐにゴミ減量課に問い合わせてくださった。その後、迅速に問題は解決した。(8月中には解決)
市の職員がこちらに出向き、新しい住宅地にゴミ置場が確定。おまけに拙宅に職員の方が来てくれ、ゴミ置場の不安が解消したことを告げ、2年半前の市の対応のまずさを謝罪(!)してくれた。
長瀬議員の働きかけが大きな力となったのだろう。また職員がいい人に変わっていたこともラッキーだった。(2年半前の職員は、居丈高な対応で、ゴミ置場の設置は住民自身でやるようにと宣った)
その2 パソコンが壊れた。この夏、動きが暴走気味だなと思ったら、とたんに鈍くなってきた。あれこれ原因を調べ、私にできることをやってみたが、ある夜、突然止まった。「Operating
System not found」というメッセージだけを残して。新パソコンを購入して、ようやく元のようにパソコン生活が復旧したが、データはすべて消えた。おかしいと感じたその時、まっさきにデータのバックアップをとれば良かった。……と後悔しているが、これは心機一転せよとの天啓だったのかもしれない。(知人・友人の皆様 メルアドも消失したので、メールください)
その3 マム君(猫)の左耳が縮んでしまったこと。マムの耳が膨らんでいるので、慌ててお医者さんに連れていくと、耳血腫(じけっしゅ)との診断。耳の毛細血管が切れて血がたまっていたらしい。2回、血を抜いてもらって、症状は治まった。けれど、耳は縮れてしまった。「他の猫と区別がついて、いいじゃないですか」と先生は言ったけど。今のところ再発の兆しはなさそう。耳血腫は再発を繰り返し、なかなか治らないこともあるらしい。治療費も高額だったから、とりあえずホッしている。どう、マムくん?
この耳、気に入ってる?
その4 ただ今、私の唇がパンパンに腫れている。最悪!すごい顔…。上唇がお化けのようだ。昨日、畑で作業をしているときに虫に刺されて、こうなってしまった。「虫にキスされちゃった」とおどけていたら、それはあまりにも激しすぎた。強い愛の証はいっこうに治まらず、腫れは引く気配がない。
その5の激変があるとしたら、この虫刺され効果で私が美女に変身…なんてことかな?????
2010.8.29(日) ぎりぎりの本音
本音を語ることって、なかなかできないもんだ。
特に何かに対して批判をするときは、モラルや人目がやたら気になってしまう。だから、匿名性を高めたり、あいまいな物言いを試みたりする。そんな無駄な努力をするくらいなら、いっそのこと何も書かないほうがましか。
実は昨日、気になるゴミ問題の批判を書いたばかり。しかし、読み返してみると、身近な事柄すぎて真意は伝わらないだろうと思えた。行政や自己中心的な人に対し、私は怒っていた。たぶん、そのことだけが印象に残り、「心が狭い人だ」と思われるのが関の山かな。そして、半日掲載しただけで文章をひっこめた。
まぁ、私のサイトなど読んでくださる方は極少数だから、そんなことを気にしたところで無意味かもしれない。が、結局、私は物事ときっちり立ち向う覚悟がないのだ。行政に解決策を求めるのは、かなりのエネルギーを要する。情けないけれど、私に力はない。
こうして時々大いにひるむ。数々の失敗が教訓となって。
私が常識をわきまえていないのか、それとも本当に愚かな人間であるせいなのか、また予想外すぎる成り行きだったのか、自分でもよくわからないのだけれど、次のような失敗談があった。
以前、ある政治的な映画を見て、私は率直に「つまらない」と思った。言わんとするテーマも鋭く表現していないように思えた。ある時、初対面の人たちの前で「本当につまらない映画だった」と軽くしゃべってしまったのだ。ところが世間は狭いもので、その映画の脚本家とかなり親しい方がそこにいたわけだ。その方に聞くと、脚本家は映画を作るために非常に綿密な取材を重ねてきたという。当然その方は映画を深く鑑賞し、高く評価していた。「どこが、つまらなかったの?」と逆に問われ、しどろもどろだった。
私は、その人にとても軽薄な人間と思われたに違いない。本音を大々的に言ってしまったあとでは、その方との接点を持ちたくても、もはや間に合わなかった。
私は軽い気持ちで口にしたことだったが、聞く人にとっては非常に問題のある発言だったのだ。
けれど、けれど、やっぱり本音が言いたい。すごく言いたい時がある。
たまに本音で語っているサイトに出会うと、「勇気あるね!がんばって」と応援したくなる。
我が市の行政はひどい! 住民も無責任な人多いぞ! これが私のぎりぎりの本音。
写真は遠野市立博物館に展示されている神楽のお面。(こんなところにお出まし願って、すみませんです。m(__)m)
2010.8.23(月) 夏の旅 盛岡・紫波城古代公園と遠野市立博物館
オーシンツクツクツク……姿は見えねどツクツクホウシの声を聞いた。もう晩夏なのだなぁ。今日は夏の旅を書くことにしよう。
8月初旬の東北旅行は、計画性なし、行き当たりばったりの旅となった。
初日は気仙沼に泊まり、翌日は三陸海岸を1日中ドライブ。リアス式海岸沿いの道はくねくねと曲がり、見える景色はすべて絶景・絶景。宮古で休憩し、八戸へ。港には船とウミネコがいっぱい。出港する船の姿に感激した。
最後の日、岩手を中心に観光しようと思った。宿を出て道を走っていると、何やら土塀のようなものが長く続いている。すごく気になってひき返してきた。すると、そこは「紫波城古代公園」(盛岡市)という場所だった。花巻に行く予定など忘れて、広大な城跡を見学してしまった。
とにかく広い。真っ青な田んぼの中に、土塀と門、敷地内に官衙(かんが 役所)が復元されていた。この紫波(しわ)城は延暦22年(803)に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)により造られた。が、造営後約10年で雫石川の水害を理由に徳丹(とくたん)城に役割を移したという。規模の大きさにひたすら感心したが、城は東北の民・エミシを支配するためのものだったと思い至り、改めて大和朝廷の侵略のすごさを認識した。
見学者は私たち2人のみ。官衙の中でビデオを見て紫波城のことを学んだあと、広い公園内を散歩。建物は門と官衙以外はなく、敷地は広場と田んぼになっている。田んぼには古代米が稔っていた。入場料は無料。ここでは2人の女性職員の方にお世話になり、その親切な対応が嬉しかった。
旅の不慣れ……いや、フィナーレは遠野。盛岡から一路遠野へ。
山の重なりの中に、お皿のように遠野の里が広がっていた。緑豊かで美しい里の風景。最初に千葉家を見学。映画『遠野物語』の撮影に使われたという家は、下から見上げると小さなお城のよう。曲り家の中には仲代達矢や藤村志保のスチール写真が展示されていた。重厚な民家だった。
道路に「遠野市街地」という標識があった。とても意外。遠野のイメージを奥深い村と決め付けていたから。遠野駅周辺には公共施設や商店などが集っていた。趣きのある町家(まちや)もあり、歴史の深さを垣間見る。
市街地でいきなり入ったところは遠野物語研究所だった。「ここは本屋ですよ。本も出していますが」とご主人。柳田國男や佐々木喜善のことを熱心に語り、「博物館に行くといいですよ」と教えてくださった。
博物館では遠野物語のことや民具などが展示されていた。(写真はおしらさま) 山と里と町が遠野の文化を育み、豊かな民話を生みだしたことがわかる。遠野物語百周年ということで、館内のシアターでは水木しげるの『河童淵』『オシラサマ』のアニメが上映された。また『神かくし』『ヤマハハ』なども観た。おもしろい昔話に引き込まれ、時間も忘れてしまう。ここで遠野を満喫でき、とても幸運だったと思う。
帰る時、川岸からイタズラな河童が目の前に現われて来るような、山々から怖い妖怪がおりてくるような錯覚がした。今度訪れる機会があったら、もう少し長く遠野に留まり、もっといろいろなことを知りたい。
そうそう、この旅は連れ合いの尽力により実現した。車も一人で運転し続けてくれた。ありがとうね。
2010.8.8(日) 猫の共同保育 かわいい7匹の子と3匹の親
見て、見て、見て!と思わず叫んでしまいそうな光景を発見した。
なんと我が家の2階から、猫の共同保育の光景が見えるのだ。
3週間ほど前、「にゃ〜」と微かな声が聞こえたような気がした。家人に問うと、「空耳じゃないの。オレは聞こえない」と言われた。そして、先週のこと、
2階から何気なく見下ろすと、塀の向こうに子猫がいた。
最初は2匹の子猫。そばに白猫がいた。「カール! あんたメスだったの?」と私は驚いた。3年前から顔見知りのカール(耳が反り返っているので命名)だったが、その風貌からてっきり雄猫だと思い込んでいたのだ。
次に見たのはシマ猫の授乳風景。「カールは雄で、家族を見守っていたのかな?」と思い直し、観察を続けていたら、積荷の下から3匹も子猫が出てきた。(子猫は計5匹) その子猫たちは、白猫・カールのお腹の下にも這って行き、くいくいと乳を飲み始めた。やっぱりカールはお母さんだったのだ。
シマ猫はウチのマム君のご学友で、私とも顔見知り。マムと柄はよく似ているが、きょうだいではない。2年前、彼女は白猫から生まれた。たぶん、カールとは血縁だと思われる。
それで、3日目、もう1匹の母猫登場。小柄でやさしげな黒トラ白の猫だった。それが子猫2匹を引き連れていた。(他の子猫より一回り小さい)
これで子猫は合計7匹、親猫3匹。
親猫は交替で子育てをしているようだ。子猫は渾然一体となり、誰の乳でも飲んでいる。見ていると、シマ猫が一番よく世話をしている。白猫・カールは睨みをきかせ、マムと顔が合ったりすると化け猫のような形相で唸り返す。3匹目の母猫は辻に佇み、危険があれば皆に伝える役目でも担っているのか。
こうして地縁・血縁の母猫同士が協力して子育てをすれば、安心できるよね。私は心底感心していた。
人間界の幼児虐待のニュースを聞くとやりきれない。都会の欲望と孤独に引き裂かれた母は、一人彷徨い、幼い命と自分の魂の尊さを忘れてしまう。だが、そのことを「母親のくせに」と非難できない。子を生み出した父親の責任もある。子育てを体験した者ならば、程度の差こそあれ「子育てから解放されたい」「誰かに助けてもらいたい」と感じたことがあると思う。信頼できる伴侶や肉親、友人がいて、はじめて乗り越えられる。
このすばらしい猫の共同保育。まるでライオンのメスのようだ。だが、心配なのはこの次のこと……。
2010.7.28(水) マムの変態 ザルときどき流しソウメン
「マムくん、なにしてるのー!」
突然響く母さんの声、うっるさいなぁ。この暑さだっていうのに、もっと涼やかに声出せないものかねー。
昼寝、昼寝してるだけだよ。それがどうしたっていうわけ?
「そのザルでハーブを乾かしてるの! もぉ〜全部台無しだよ!」
えっ、この下の葉っぱのこと。これがハーブ? ただの葉っぱじゃん。てっきりクッション代わりに敷いておいてくれたのかと思ったよ。僕のために。
母さん、もっと生活を工夫してくれなきゃだめでしょ。“家猫”はね、とにかくまぁるいものが大好き。それに好奇心の強さは人(?)一倍なんだから。
母さんの工夫が足りないから、この前なんかひどい目に合っちゃった。
僕だって暑いんだよ。あんたたちみたいに、冷たい水の中からソウメンをチュルーって掬って食してみたいなと思ってたの。真似だけでもしてみたくなって、お風呂場に行くと桶のフタがしまっていた。僕は器用だからチョイチョイとフタをあけた。かんたーん。そして、風呂桶の水を掬おうとしたら……。
ドボン。ビックリしたの何のって! 一瞬のうちに僕は水の中。僕自身が流しソウメンだって?
冗談はよしてよ。しばし流しソウメンのようにもがいて四苦八苦。命からがら風呂桶から飛び出したから良かったものの、母さんの不注意のせい(!?)で大惨事を招くとこだったんだから。
それなのに奇跡的に命拾いしたズブ濡れの僕を見て、「何してんの、マムくん!」とあざ笑うなんて。
えっー、猫が落ちないようにフタをしておくのが普通だって? じゃ、僕は普通じゃないって言うの?
今日はマムくんがしゃべりたいと言うので語ってもらったら、ちょっと憤慨気味だったけど……。
一緒に暮して2年、この頃のマムは“外猫”からすっかり“家猫”へと変態している。
以前、「猫鍋」が流行ったが、猫は丸い器が好きでたまらないらしい。マムは季節柄、「ザル猫」になっている。それにしても、自分で風呂のフタをあけた挙句、滑って落ちてしまうとは!
ヤマネコから分かれたイエネコは、人間との共存の道を歩んで繁栄している。「気が合う人間を見つけて共に暮す」という能力はイエネコの遺伝子ゆえか。マムを見ているとつくづくそう思える。
が、外で暮すイエネコも多い。彼らもどうか幸せでありますように、気の合う人間にめぐり会いますように。
2010.7.20(火) ミント水 真夏の昼下がりに
今日は、お口の中が涼しくなる話題を。
すぅーっと喉にしみわたる清涼感、ミント水の美味しさはgood!
見た目も写真のように爽やか。氷とグラスが触れあう音も涼やかに聞こえる。
【ミント水の作り方】(分量は適当に。蜂蜜の代わりに砂糖でもよいし、レモン汁はお好みで)
1.ミントの葉っぱを摘んでくる。(10〜20枚くらい)
2.きれいに洗ったミント葉をポットに入れ、熱湯を注ぐ。
5〜6分するとお湯に薄い黄緑のエキスが染み出てくる。(ミント茶)
3.グラスに蜂蜜(スプーン1〜2)を入れミント茶少量で溶かし、氷をたくさん入れる。
そこにミント茶を適量、レモン汁少々を入れて、かき混ぜる。
畑の淵に生き生きとしたミントが生えている。実家から分けてもらったものだから、品種ははっきりしない。またまた調べること数時間。でも正確には分からない。たぶんペパーミントだと思う。もしかしたら交雑している可能性もある。
いつもの夏は、ハーブのことは忘れて胡瓜だのトマトに関心が移ってしまう。ところが、今年は夏野菜の収穫はほとんど見込めない。口惜しいけれど、となりの地面では、有機肥料をたっぷり与えたミニトマトや枝豆がたくさん実っている。私の無農薬・無肥料栽培は失敗しているのかもしれない……。
だけど、ミントは青々とした葉っぱを広げていた。嬉しくなってくる。ハーブは多くの肥料を必要としないのだ。いつもの夏だと、ミントを放置したまま、花を咲かせた。そして、秋になって枯れ枝を片付けるだけだった。
ミント近くの草取りをしていると清々しい香りが漂い、そこだけは蚊がこない。こんなに清涼感あふれるハーブを、どうして今まで放っておいたのだろう。 「そうだ、今年はドライミントを作ろう」と思った。
先日、薄紫の小さな花がつき始めていたから、あわてて刈り取ってきた。花芽を取ったので、下から新しい芽も出てくるだろう。今、室内でミントを乾燥中。この暑さだから乾燥は早く、緑色を残して乾きつつある。
そして、生の葉っぱはこうしてミント水に。花の付いた枝をコップに挿したら、まぁ、すごい。水が濁らない。さすが、殺菌作用が高いハーブ!(ミントには消化、鎮痛、抗菌、防臭、防虫などの効果もある)
2010.7.10(土) ヤロウ 花色いろいろ、とても強いハーブ
今日はいい天気、そして暑〜い。暑いけど、ヤローの花殻を摘みに行こうか。
6月はヤロウ(ヤローとも表記)がきれいだった。ずい分増えたから、花も見ごたえあって、花の中にいると思わず「わー、きれい」とつぶやてしまうほどだった。
それも終わりをむかえ、花は枯れ始めた。そして、そんな時期になって、あまり収穫していないことに気づくという体(てい)たらく。まだ少しは新鮮な花が咲くだろうと、昨日から花殻摘みを始めた。ヤローは和名を西洋ノコギリソウというだけあって、葉っぱがギザギザしており、肌に触れるとチクチク痛い。
西洋では昔から薬として用いられ、止血、解熱、殺菌、健胃などの作用があるという。血圧を下げたり、ホルモンバランスを改善する効果もあるというから、すごい。
1株のヤロウがずい分増えた。根っこが広がったり、種から新しい株が育ったり。
最初の1株は白い花(ホワイトヤロウ)だった。それが増えるに従い、薄いピンクの花が出てきたのだ。ごく薄いピンクだったから、土の養分によって花色に変化が起ったのかと思っていた。紫陽花などがそうであるように。
けれど、今年ははっきりとピンクの花と認識できる株が2つほど現われた。乏しい知識から「メンデルの法則」を思い出したりしている。園芸家がいろいろな花を生み出しているが、もともとはこのような自然の変化の中から、色や形の美しいものを抽出し、さらに改良を加えて品種を作っているんだろうな。逆にいうと、品種改良されたものを自生させたりしていると、先祖返りすることもあるに違いない。
ヤロウには様々な花色があるが、白いヤロウはコモンヤロウといわれている。真っ赤や濃いピンクのヤロウもあり、それぞれレッドヤロウ、ローズヤロウと呼ばれているが、コモンヤロウの亜種だと思われる。
イエローヤロウというのもあり、昨年から植えてある。これは上記のコモンヤロウとは形質が違う。葉のギザギザは大きく、茎も太く、花は重い。黄色の花がびっしりとついている。こちらはこれからが花の最盛期。
いずれのヤロウも切花にしてもよいし、ドライフラワーやポプリにも最適。全草に薬効成分があるので、ハーブティーや料理に使える。今まで活用してこなかったので、これからはもっと大事にしてヤロウ。
2010.6.29(火) ラズベリー 梅雨の季節にさわやか
ここ何日かすごい湿度。「梅雨だから仕方がない」とあきらめてはみるものの、たまらない。気温だって29度もあるんだもの。
昨日は家で仕事をしていたが、頭がもわぁ〜として、まるで考えがまとまらない。気分転換に畑の様子を見に出かけたけれど、少し動くだけで、ジトーッとまとわりつく湿気。おまけに雨まで降ってきたので、そそくさと帰ってきた。
ラズベリーでも摘んできたかったけれど。
そのラズベリーだが、3〜4年前、妹が畑の隅に植えたものである。最近、けっこう大きな株になった。去年も実がなったが、今年はもっとなっている。ラズベリーにとって、今が一番きれいな季節かもしれない。緑の葉っぱの下には、赤くきれいな実がたくさんついている。見ているだけでもメルヘンの世界に行けそう。かわいい動物や妖精がやってきて、一緒に遊んでくれるみたいな気がする。
赤黒く熟した実は甘く、きれいな赤い実は酸味が強い。
先週、その実を摘んできた。はじめはジャムを作る予定だった。
が、気が変わった。この頃はパンもあまり食べない。それに私は、ラズベリーのあの種のブツブツとした感触がどうも苦手なのである。そして、ジュースを作ってみた。(正確には濃縮エキス、シロップといったものかもしれないが)
最初、砂糖と煮て、キッチンペーパーで漉そうと思った。そしたら、とんでもない。ネトネトして、漉すどころではなかった。だから、お水を足し再び沸騰させ、茶こしを使って漉してみた。種と繊維質がたくさんあって漉す作業は大変だったが、250ccくらいのジュースの原液ができた。
さてさて、お味は? 2〜3倍に薄めて、グラスに。まるでワインみたいだなぁ。
う〜ん、おいし〜。爽やかな酸味が、梅雨の「ジトーッ」を吹き飛ばしてくれるみたい。
2010.6.18(金) 夢の島・グアム 美しい夢を見ていたような旅行
もう3週間程前のことだが、初めて外国に行ってきた。野暮用で。
それを書くのも照れくさく、こんなに過ぎてしまった。天国の花子ちゃん(猫)が「聞かせて」と言うので、ちょっと書いてみようかな。
花子とは何度か米国に行っている、夢で。宇宙船のような飛行機に乗って空を飛ぶと太平洋の海原が弧を描いて光り、アメリカ大陸が見える。気がつくとアメリカの一般家庭の敷地を2人で歩いている。こんな夢だったのだが。
ところが今回、ホントに外国旅行。といっても、たった3日間、3時間半で行けるグアムへ。半年前、この計画を提案されたとき、私は二の足を踏んだ。花子が病気だったから。けれど、花子は「母さん、行っておいでよ」と言い残して、向こうの世界に旅立った。
5月31日、早朝の日本は肌寒く、震えながら成田へ。機上から見下ろす太平洋は夢で見たとおり。「地球は丸いんだ、海は広いんだ」と子どものようにワクワクしているうちにグアムに着いた。人口約16万4千人、淡路島ほどの面積、亜熱帯の島。空港に降り立った瞬間、熱風。この暑さに耐えられるだろうか。
陽気なチャモロ人が出迎えてくれ、片言の日本語でホテルまで運んでくれた。ホッとする。
姪が同行してくれた旅だったが、彼女には感謝感謝。右も左もわからない私たちをショッピング街、マーケットに連れて行ってくれた。バス無料券を使い、Kマートとかマイクロネシアモールに。意外と物価は高い。
しかし、どこもかしこもほぼ日本人、ブランド品のお店が日本人を待ち構えていた。
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6月1日、ブルーアステールという教会で結婚式。そこの美しさは息を呑むほど。ガラス張りの教会は青と白を基調とし、祭壇も青と白の花で飾られていた。目の前はエメラルドグリーンの海と白い砂浜が広がっている。そこに新郎新婦が真っ白なウエディングドレスとタキシードで登場。絵のようだ。
なるほど、これなら日本の若いカップルが来たがるはずである。たぶん、ホテルや旅行業者がしくんだ“罠”だけど、騙されても「まぁ、いいか」という気分になるね。式のあと、ゆったりとリゾートすれば一石二鳥。
6月2日、帰国の日。たった半日だが、密度の濃い観光を楽しんだ。テキパキとした日本人ガイド・キョウコさんの案内と説明のお陰である。珊瑚礁に囲まれた海はすばらしく、風が心地よかった。花がまた、とても美しい。
グアムはチャモロ人が住む島だった。チャモロとは「高貴」という意味だそうである。16世紀、マゼランが島を発見、その後300年以上スペインに統治された。1898年に米西戦争が勃発し、スペインは負け、アメリカに占領される。今もアメリカの領土であるが、1941年12月から31ヶ月、日本が占領した歴史を持つという。胸がチクッと痛んだ。
遺跡も占領・戦争に関するものが多かった。この美しい島と高貴な人々が列強国の犠牲になっていたことを想うと、単純にリゾート気分だけに浸れない。赤いデイゴの花の下に大砲が残されていたりした。
ガイドさんが何気なく語った。5月、日本の要人がグアムを訪れたらしい。そして、2014年に沖縄・普天間基地から8000人の部隊が移ってくることになった。グアムではそういう話になっているという。思わず聞き耳を立てた。そういえば、グアム移転という話も出ていたけれど……。帰国すると、普天間基地の辺野古移転が確定し、鳩山政権がぶっとんでいた。2014年になったら、沖縄の基地問題はどんな展開になるのか。
ガイドのキョウコさんの説明がなければ、グアムの歴史も知らず、そのまま帰国するところだった。
グアムの3日間は、今、夢のように消えてしまった。けれど、珊瑚礁に囲まれた美しい島を忘れることはない。観光客には見えなかったが、島の1/3が米軍用地とのこと。それが見えてしまったら、“夢の島”などと呑気なことは言えないのかも。けれど、美しい島が本来の美しさを保ち、夢の島であってほしいと願う。
おっとっと、そうだ、マムくん(猫)、えらかったね! 一人のお留守番、ご苦労様でした。
2010.5.27(木) 「タゴサク」と言った青年 「フザケルナ、バッカヤロウ」とつぶやいた私
昨夕のことだった。私の姿を見た青年がくぐもった声で何か言った。見ず知らずの青年が、目を合わせないように足早に立ち去っていった。
何秒か後に、ようやく意味がわかった。その青年の滑舌(かつぜつ)の悪さが理解を遅らせた。彼はわざと聞こえにくいように言ったのだ、タゴサクと。
ソイツは私を「田吾作」と言った! 私は昔の蛍光灯のように、数秒遅れで怒りが点滅した。「フザケルナ、バッカヤロウ!」
ソイツが目の前にいたら、「何言ってるの!あんた、何を食べて、そんなでっかい体になったと思っているんだ!」と怒鳴ったに違いない。私はとても短気で、回りの状況などおかまいなしに激情するタチなの、実は。罪に問われなければ、ぶっとばしちゃう。
昨夕は雨だったが、私は畑にいた。カモミールは最盛期を終え、枯れ始めている。それなのに忙しくて、あまり畑にも出られなかったので、昨夕は頑張っていたのだ。薄暗くなり、着ている物はドロドロに汚れ、髪はビショビショ。そんな状態で、小屋の脇で手を洗い、帰り仕度をしている時の「タゴサク」だった。
タゴサク、田吾作、その言葉に込められた侮蔑感・差別感。だからこそ腹が立った。そして、言葉の背景には農民全体に対する蔑みの感情が隠れているようにも思え、猛烈に怒りが湧いたのだ。
怒りばかりの字面になってしまったが、冷静に青年の風貌をなぞってみる。うつむいた顔、暗い様子には、若者の溌剌さは感じられなかった。大人しげで真面目そう、線が細く、とても人を攻撃するようには見えない。むしろ、ひ弱そうで、いじめられる側にいるようなタイプに見える。
それぞれの事情はあるだろう。悶々とした青年は何かを吐き出さずにはおれなかったのか。だが、侮蔑を投げつけられた側はたまったものではない。差別の原型はこういうものかと考えると、悲しい気持ちがした。
見も知らぬ男が、すれ違いざまに「ブス」と言い捨てていくことがある。自分の鬱屈した感情を女性になすりつけるかのように。そんないやな経験をした女性は少なくないと思う。言われた側は、超ーー気分が悪くなる。男の言葉のために、その1日が台無しにされてしまうくらいだ。
「タゴサク」と言った若い男は、そういう差別男とまったく同じだと思った。許せない。
2010.5.9(日) “ローズマリーの赤ちゃん” あお向けになった猫の顔を見て思い出したこと
「なぁに、マムくん。その顔、まるでローズマリーの赤ちゃんみたい」
母さん、ローズマリーの赤ちゃんて何? さっぱりわからないにゃ。そりゃ、ボクが赤ちゃんみたいに可愛いっていうのはわかるよ。
あっ、ピンポーン! ハーブのローズマリーのことかな。畑のローズマリーが大きくなって、薄紫の花が咲いたって言ってたもんにゃー。ローズマリーは料理に使ったり、防虫剤にしたり、ローションにすると若返り効果があるとかっていうね。ボクはその可憐な花みたいだっていうことかー。
えっ、違うの? 映画のアクマの赤ちゃん? やっぱり、ボクみたいに可愛いい子だったから出演依頼が来たんだね。だけど、そんなことはどーでもいいから、早くお腹撫ぜて!
ゴロゴロゴロゴロと喉を鳴らして、あお向けになっているマムくん。はいはい、お腹を撫ぜてあげますよ。かわいい仕草だもんね。
でも、その顔……。マムくん、自分じゃわからないだろうねぇ……。
しょっちゅう、あお向けポーズで甘えてくるマム。私は、その顔を見るたび思い出すのだ。昔流行った『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年 アメリカ映画)を。
最後のシーンで出産直後のローズマリーは赤ちゃんと対面する。普通の出産ならば100%喜びのシーンなのだが、ここで母親ローズマリーは驚愕した。赤ちゃんの顔が大写しになったとき、観客の恐怖も最大になった。何と赤ちゃんは悪魔の子だったから!
その顔が、あお向けになったマムとそっくりなのだ。(これは記憶のイメージ。赤ちゃんがどんな顔だったか、もちろん私は覚えていないのだれど)
驚愕したローズマリーだったが、やがて愛おしげにその赤ちゃんを抱きしめた。恐怖から一転して、彼女の表情が悲しいほどの母の愛に変わったとき、映画は終わったような気がする。(実際はどうだったかな)
もしかしたら、映画製作者は、悪魔の赤ちゃんのモデルに猫を使ったのではないかしら???
「ローズマリーの赤ちゃん」のその後を想像してみた。たぶん、赤ちゃんは可愛く成長する。ほとんどの人が愛さずにはいられないくらいに。だが、一部の人だけは、その子が猫をかぶっていることを見破る。一部の人とは、例えば補導員とか警官とか教師とか。子どもが悪さをする一面を熟知している人だけは騙されない。
そして、実は、「ローズマリーの赤ちゃん」はごまんと生まれている。ウチの子も他所の子も。たまたま、最初からその現実を知ってしまったのがローズマリーなのかもしれない。……なんてね。
2010.4.8(木) 春の日記 その5 山桜とスミレ
今日は花祭り、お釈迦様の誕生日だそうだ。少し肌寒いが天気がいい。
散り始めた桜の中で、木々が芽吹き始めている。『春の日記』と題して書いてきたが、いやはや大変。限られた庭の花とて、次から次へと花が咲く。下手な書き手の私は、その春の勢いに追いつかず、もはや息切れ。
“ちょこっと花見”もまぁまぁしてきた。「きれいだな」とその都度つぶやくわけだが、感動を文字にできないもどかしさを痛感。
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【山桜(ヤマザクラ)】
前回はウチの庭に植えた桜の“悲劇”を書いたが、なんと驚くなかれ、実はもう1本、庭に桜が生えている。そう、勝手に生えている。たぶん鳥が植えていってくれたのだろう。葉と花が同時に出る山桜である。(上の写真はウチの桜) 山桜は染井吉野に比べると、ゆっくりと大きくなっていく。花はなかなかつかなかったが、ここ何年かでようやく目立ち始めた。平安時代の姫君が愛でたのも、太閤秀吉が派手に行った花見もこの山桜。淡い花びらと紅色の葉、その上品でやさしい風情は、いにしえ人にためいきをつかせた。(左の写真は狭山丘陵に咲いていたひともとの山桜。とても美しかった)
【スミレ】 庭の桜も散り始め、はらはらと花びらが舞い落ちる。それが落ちたところに、スミレが咲いている。濃い色のスミレはたぶん野生化したニオイスミレだろう。いただいものが増えた。薄紫のはタチツボスミレ。これは雑木林から移植。どちらも最初は1〜2株だったのに、翌年にはあちこちに広がった。見るからに可憐な花だが、両方ともすごい繁殖力で、けっこうたくましい。
2010.4.5(月) 春の日記 その4 桜 染井吉野(ソメイヨシノ)と横浜緋桜(ヨコハマヒザクラ)
小雨、肌寒い月曜日。庭の桜が散り始めた。
毎年枝落としばかりしているため、ますます不恰好でみじめな姿になってしまった我が家の桜たち。気の毒でたまらない。それでも、けなげに花を咲かせた。その花に毎日ヒヨドリが訪れ、蜜を吸っている。
22年前にヨコハマヒザクラ、翌年ソメイヨシノを植えた。数年後、苗はぐーんと育ち、枝は生い茂った。そして、夏の終り頃、アメリカシロヒトリが湧いた。でっかい毛虫は桜葉を喰い尽くすほどの勢い。困惑しているうちに、近所から苦情がきて泣きたくなった。泣きっ面に毛虫(?)だった。
だから、枝が家の境界を越えそうになったら、すぐに切ってしまう。花を楽しむどころの話ではない。
「桜切るバカ、梅切らぬバカって言うわよね」と近所の方に言われて苦笑する。桜の切り口から黴菌が入り木が傷んでしまうことを戒めた喩えらしいが、狭い庭に桜を植えたバカがここにいる。家一軒分の敷地に1本の桜が収まるかどうか……、桜を植えようと思うなら家など建てないほうがいい。(!?)
【染井吉野(ソメイヨシノ)】 エドヒガンとオオシマザクラの交配種とのこと。
桜の代名詞のようになっているが歴史は浅い。江戸末期〜明治初期に江戸・染井村の植木職人が売り出したらしい。日本全国にうんとこさとあるソメイヨシノは接木で増やしたもので、もとを辿れば1本の木に行き着くとか。花が終わると、きれいなサクランボがなる。だが、この実からは染井吉野が育たないということだ。たくさんのサクランボを植えて、どんな桜が咲くか実験するのもおもしろそうだなと思う。広大な敷地と寿命があれば!
【横浜緋桜(ヨコハマヒザクラ)】 ケンロクエンクマガイとカンヒザクラの交配種。
やや大きめの花がうつむきかげんに咲く。下向き、緋色は寒緋桜から、花びらの美しさは兼六園熊谷(ケンロクエンクマガイ、山桜の変種)から受け継いだものと思われる。寒緋桜は沖縄に多いが、兼六園熊谷は兼六園に原木が2本あるそうだ。1972年頃、横浜の白井勲さんという園芸家が作り出した新種。華やかな桜である。ウチの庭で、ソメイヨシノと並んで咲いている様はファンタスティック!(枝ぶりは悪いけど)
2010.3.31(水) 春の日記 その3 連翹(れんぎょう)
「今日は年度末ですね、明日から新しい年度で……」とラジオから聞こえてきて、ああそうかと改めて思う。そういう年度の区切りと無縁の生活をしていることをつくづくと実感。入学、進級、入社、転勤……そうだ、姪っ子が専門学校に入学すると言っていたっけ。
昨日、レンギョウの写真を撮り、すぐにアップしようと思った。けれど、わからないことだらけで、調べていたら今日になってしまった。これが仕事だったら、こんなのんびりは許されないよねぇ。
【連翹(れんぎょう)】 中国原産、モクセイ科の落葉小低木。
当然のことだが、連翹にも品種があった。ウチの連翹は花屋さんから購入したものだが、果たして何という品種なのだろうか。日本には5種類あるという。(ここでは総称として「連翹」、品種をカタカナで表記)
日本在来種はヤマトレンギョウとショウドシマレンギョウの2種類。生育地が限定され、2種とも自然な感じで派手さはない。これらでないことは一目瞭然。園芸用に普及している品種は3種類(レンギョウ、シナレンギョウ、チョウセンレンギョウ)ある。これらのいずれかなのだが、その区別がよくわからない。
シナレンギョウは幹が直立しキダチレンギョウ(木立連翹)とも言われ、花と葉が同時に出る。ウチのはまだ葉っぱが出ていないし、これではなさそうだ。とすると、レンギョウかチョウセンレンギョウということになる。
レンギョウの花はチョウセンレンギョウより淡く、メシベがオシベより長いとのこと。ウチの連翹を見ると、鮮やかな黄色の花からオシベが長く2本突き出ている。ゆえにレンギョウではないと判断できる。
こうした消去法(?)で、ウチの花はチョウセンレンギョウという結論に達した。お隣の韓国ではケナリと呼ばれ、春を告げる花として愛でられているそうだ。それを知っただけでも、何となく嬉しい。
ここに至るまで何時間も調べた。が、まだ疑問は残る。連翹の種類の見分けは、とても難しいということである。さらなる疑問は、連翹は雌雄異株と言われているのに、どうして一つの花の中にオシベとメシベがあるのかということ。雄株なら雄花、雌株なら雌花だけではないのか。その点、大いに疑問。
漢方では実を抗炎症・解毒・利尿薬に用いるというが、その実は両方の株がないと出来ないのではないか。雌株だけで結実する植物もあるらしいが、連翹はどうなのだろう。疑問だらけになってしまった。
※このように調べているだけでも、ずい分混乱しました。最初はレンギョウだと結論を出したのです。
が、オシベの長さで見分けるという記述を読み、文章も訂正し、チョウセンレンギョウと結論づけました。
2010.3.29(月) 春の日記 その2 プリムローズとムスカリ
少しお日様が顔を出したけれど、またひっこんでしまった。今日もまた寒い。だけど、今日の私は偉いぞ。だって、春の日記を続けて書いているんだから。
さっき、庭で写真も撮ってきたしね! 日差しを受けた花は明るくきれいなので、今日はちょっと大きめの写真にしてみた。(自慢にもならない自画自賛、お読み苦しくて、すみません)
【プリムローズ(プリムラ・ブルガリス)】 と名前を書いてしまったが、「おそらく」とあいまいな副詞がつく。というのも、20年位前、ご近所から分けてもらったものなのだ。「サクラソウ科の花よ。ヨーロッパに自生しているらしいわ」と伺った記憶がある。宿根草なので毎年早春に淡い黄色の花が咲く。いただいた花は、プリムラの原種に近いものだろうと推察していた。(プリムラは500種以上の品種があり、日本の桜草もその仲間)
ある時、ハーブの本を開くと、この花が載っていた。ハーブ絵柄のカップにも、この花が描かれ、Primroseと名前が書いてある。それで、一所懸命調べたわけだが、やっぱりプリムローズ(英名)だと思う。プリム(=プリマ)は「一番の」という意味で、春一番に咲く花ということ。日本では花=桜だが、花=ローズと命名するところが、いかにもイギリスらしい。若葉をティー(咳止めの効果)、花をサラダなどに使うようだ。
【ムスカリ】 別名ブドウヒアシンスという。ユリ科ムスカリ属。ウチの庭は、ほとんどが植えっぱなしの植物ばかりだが、ムスカリもまた然り。宿根草なので、鉢植えを庭に下ろしたまま数年咲き続けてくれた。ところが、ここ1〜2年、塊で生えていた株が消えてしまった。その代わり、こぼれた種から新たな芽が出てきて、何箇所かに花が咲いた。本当は3年くらいたったら植え替える必要があるとか……。でも、ムスカリ自身が命をつないでくれて良かった。きっと原種に近い強い品種なのだろう。原種はとても芳香があるので、ムスカリと名が付いたそうだ。ムスク(麝香)が語源。1輪花を摘んでコップに挿したら、かすかに良い香りがした。
2010.3.28(日) 春の日記 その1 クリスマスローズと雪柳
いよいよ春本番。…なはずだが、いかんせん今日は寒い。けれど、花は競うように咲き始めた。そして、ウチの庭にも春の使者はやってきた。
今朝、Iさんから電話をいただき、花の話題になった。梅も見ずに過ぎ、片栗も見ないで終わっちゃうのだろうかなどなど。フットワークの軽やかなIさんでさえ、まごまごしているとすぐに行ってしまう花の季節。私のように出不精で動きの鈍い者は明日目覚めるともう夏の盛り、てなことになってしまいそう……。この日記も“月記”になりつつあり、自分に危機感を抱いている。そんな今日この頃であるから、身近な花のことでも書いていくことにしようと、ぼんやりした目をこすりながら、曇天の下、写真を撮ってみた。
【クリスマスローズ】 花が咲き始めて約1ヶ月、長持ちする花だと思う。日陰の庭でも咲くというので、2株植えてある。写真の花は、地面から一輪一輪立ち上がって大きな花をつける。もう一株は立ち上がった茎の先に複数の花をつけている。両方ともオフホワイトの花びら。(実は花弁に見えるのはガク)
本来クリスマスローズとはクリスマスの頃に咲く品種だけを指し、今咲いている品種はレンテンローズ(ヘレボルス・オリエンタリ)というのが正しいようだ。キンポウゲ科の植物で、毒があるから要注意。ちなみに華やかなアネモネや有名なトリカブトもキンポウゲ科。それらの仲間はほとんどが有毒とのこと。
「種で増やすことができるよ」と近所の方に教えてもらった。今年はやってみようかな。
【雪柳(ユキヤナギ)】 今、満開。小さな5弁の花びらだが、梅や桜と同じ仲間で、バラ科の植物。
ウチの庭の雪柳は、たぶん鳥か風が植えてくれた。いつだったか、気がつくと小さな芽が出ていて、白い花をつけた。嬉しくて大事にしていたら、また翌年種がこぼれて、庭のあちこちに。4〜5年すると立派な株になる。そうして雪柳だらけになったので、欲しいという方にもらっていただいた。低木とはいえ、どんどん枝を伸ばすので狭い庭はたちまち塞がり、夏場にはカシャカシャ伐採してしまう。だから、春になって花の咲く頃、柳のようにゆったりと風になびかない。きれいな大株にしてあげたいけどね……。
2010.3.14(日) 私の癒し
私はカメラが苦手だった。フィルムを入れることもできなかったのだから、写真を撮った経験はごく少ない。ところが、昨今急に普及したデジカメを手にしたとたん、カメラが苦ではなくなった。
好きなものを写すという行為が、こんなにも楽しいことだとは思わなかった。いや、「撮りたい」と思うことで、自分自身がそれを好きだったのだと認識する。好きなものが、ずい分あることに気づいた。
まず、花。そして、鳥。花は動かないから撮り易いが、鳥は難しい。近づくとすぐに逃げてしまう。遠くから撮ったものはぼんやりしている。いいデジカメと技術が必要になりそうだが、怠け者の私はそこで留まってしまう。
あっ、カワセミ! いつもの散歩コースの空堀川で見かけて、遠くからパチリ。おや、ジョウビタキが庭に来ている!部屋から窓越しにパチリ。そんな具合に撮った写真が、この2点。鮮明じゃないけれど……。
タヌキも好きだ。一時期はタヌキウォッチングに夢中になっていたが、この頃は空堀川ではとんと見かけない。それで多摩湖付近に足を延ばすと……ムッフッフ、お会いできた。人間の姿を見ると逃げてしまうが、時にはじっと見つめ合うことがある。「あんたさんはどんな人間なのかい」とでも言うように、私を見ていたりするのだ。その表情たるや、とても愛嬌があって、この顔を見たらタヌキを好きにならずにはおれない。過去に一度だけ足元に近寄ってきたタヌキがいて、写真を撮ったことがある。
こんなふうにして、花や草木、鳥や動物に癒されている自分を知る。
それから、カレンダーの猫の写真にも癒されている(偶数月は犬の写真で、落ち着いたいい表情)。1月は茶トラが降る雪にじゃれるポーズだった。3月は2匹の白猫が古い民家でたわむれている。よくある可愛いペット猫や奇をてらった写真とはまるで違う。
本当にいい写真だと思う。ある瞬間に猫がみせる自然体のしぐさを、まるでそこに本物の猫がいるかのように写し出している。見ている私は、その猫と一緒にたわむれてしまう。とてものどかな気持ちになれるカレンダーなのだ。(「2010
いぬ・ねこなかよし憲法9条カレンダー」。写真は動物写真家・岩合光昭さん)
あっ、ウチの猫の視線……。マムくん、私があなたを癒してるよね。たぶん???
2010.2.16(火) 『差別と日本人』を読んで
『差別と日本人』(角川書店 2009年刊)を読んだ。野中広務(のなか・ひろむ)さんと辛淑玉(しん・すご)さんの対談形式のこの本に、心が揺さぶられた。
私は二人にとても興味があったし、人間的に魅かれていた。もちろん、私がこの二人と知り合いであるはずがなく、メディアなどを通じて少しの知識があっただけだが。
何年か前、M新聞労組の集会で野中さんの講演を聴いた。労組の集会で反戦を語る自民党の政治家の存在に驚き、そして感動した。こんな政治家っていただろうか。
辛さんのお話を聴いたのも数年前。東京都の教員が日の丸・君が代問題で処分され、その支援集会での講演だった。ばしっと石原都政を批判する彼女はステキだった。
この本の対談で、被差別部落出身の政治家・野中さんと在日コリアンである辛さんは、お互いの体験や考えを交えながら、あらゆる差別を許さないという立場にたって語り合っていた。
野中さんは京都府園部町議からスタートし、町長、府議、副知事、衆議院議員に、2000年には自民党の幹事長にまでなった。私は、そこまでのぼりつめた政治家のどこに差別問題あったのかと不思議だった。
けれど、野中さんは差別をなくすために政治家を志したのだという。若い頃、大阪鉄道管理局に勤務していた彼は人並み以上に出世した。そんな時、裏切りにあう。信頼していた後輩が、野中さんのことを「地元に帰ったら部落の人だから」と同僚に話していたのだった。それを聴いてしまった彼は苦しみ抜いて、結論に達する。「地元に帰って、差別をなくすために政治家になろう」と。そうして彼は政治家として駆け抜けてきた。
野中さんは、辛さんに今までに誰にも話さなかった自分を語っていたらしい。それは家族のことだったのだろう。「自分が有名になればなるほど、僕の出自がマスコミを通じてわかるようになってきた。(略)……うちの娘や娘婿にも、波紋が広がっていく」と。お孫さんも耐えられない差別を受けた経験があると。
辛さんも野中さんに、「私は朝鮮人だけど、日本で生まれて幸せだったって言って死んでいきたいと思って頑張ってきたつもりだったけれど」と、家族を守りたかった自分を語る。20歳の時、「これからは本名で生きる」と両親に話したところ、「おまえは日本の怖さを知らない」とお母さんから言われた。それでも、朝鮮人の名前で生き、メディアでも活躍するようになった。ところが、彼女が発言するたびにものすごい嫌がらせが会社や家族に及び、家族が怯えて暮さなければならなかった。仕方なく彼女は親と離れて暮すことになった……。
日本の中でどれほど差別の根が深いかを、二人は自分の生き方を通して語ってくださったと思う。
野中さんが“あとがき”の中で書いているように、この対談は「心と心、魂がふれあう」ものだったのだろう。読んでいる私でさえ、二人の魂に触れることができたように思え、目頭が熱くなった。
立場は異なれど、差別と闘ってきた二人は強く、その生き方は凛として潔い。
読後、日々雑多な問題に汲々とし、自分のことしか考えられなくなっている現実が恥かしく思えた。かつての理想を「若気のいたりだった」と揶揄せずに、もう一度自分の原点を見つめたい気持ちになった。
2010.1.31(日) 眠ってしまいました さび猫・花子の新たな旅立ち……
「花子、いつまで寝ているの?」とマムが不思議そう。
マムくん、花子はもう起きないんだよ。今朝早く、「向こうの世界に行ってくるね!」とカアさんに告げてから、眠ってしまったの。
こっちの世界で暮すには、ちょっと辛かったんだって。もう食べることもできなくなってしまって、起きて生活するには、とても大変だったんだね。
だからね、ふわふわと柔らかい雲が浮かんで、風のように走ることのできる向こうの世界に行くことにしたんだって。
「向こうには、サクラが待っているから、安心して。また、けんかしながらも楽しく遊ぶことができるよ」って、花子が言っていたよ。
3日前に鮭の刺身を美味しそうに食べた。それが最後の食事だった。
一昨夜はよたよたしながらも外に出たがり、庭を1周してきた。そして、横たわったまま動かなかった。が、夜中には私の布団の上にきて眠り、撫ぜると喉を鳴らした。だから、「もしかしたら奇跡が起きるかもしれない」と期待をしたが、花子は今朝の4時に永遠の眠りについた。まさか、こんなに急に逝ってしまうなんて……。
あと2ヶ月半で満14歳だったのに。春まで生きてほしかったと思う。
花子は14年前の4月、この家で生まれた。母は三毛猫、父は黒猫で、両方の毛色を受け継いだ花子は、三毛と黒が交じり合ったさび猫だった。両親とも早世。花子が生まれてから半年後、サクラ(4年前の1月に昇天)が拾われてきて、ずっと一緒に暮してきた。私は2匹を叱ったりするとき「はな・さく、こら」と言った。はなこ・さくら→はな・さく・こら→花咲く子等と、自分の頭の中で置き換えて楽しんでみたりした。かわいい娘たちだった。花子は今頃、「久しぶり!」とサクラに挨拶しているだろう。
花子、今まで一緒に暮してくれて、ありがとう。向こうで、サクラによろしく伝えてね。
2010.1.14(木) ざしきわらし 不思議な大人たちの話
ぼーっとしていたら、もう1月も中旬。いやはや、それにしても寒い。ベランダのバジルが一夜にして凍りつき、枯れてしまった。こんな日は囲炉裏端でお汁粉なんかを食べて、のんびりとお年寄りの話を聞き、ファンタジーの世界に遊べたらいいなぁ。
昨年末、桧原村に行く機会があった。山の奥に民宿がある。その民宿に立ち寄って、煮物やこんにゃくの刺身、柚子の砂糖漬けなどをいただきながら、世間話に花が咲いた。民宿の作りを眺めて、「天然木と漆喰の家はいいですね」などと話していた。
「子どもがね、よく歩いているんですよ、ここは」と民宿のご主人が言う。(民宿は大工であるご主人が、若い頃建てたものである)
“こんなに広い座敷だったら、お客の子どもは喜ぶだろう”と私は思った。
「あっ、そうですか?ここにもやっぱり子どもがいるんですね。うちにも実は……」と我が妹が言った。えっ? もう小さい子なんていないでしょ。作り話はいけないよ。
「あら、うちにだっているわよ。よく階段をトントンと音を立てて上っていくの」と友人のE子さん。そうよね、E子さんは若いのにもうお孫さんがいる。孫の仕草ひとつだって、可愛くて仕方ないでしょ。
「子どもの姿、見えますか?」「いや、音だけ」「ウチの子が小さい時、見たって言ってたけど」……。
話を聞いているうちに、どうも私だけ浮いているような感じがしてきた。一体、何の話をしているのだろうか? 妖怪みたいなものの話に思えて、私は「それ、本当の話じゃないですよね」と言ってしまった。しかし、私以外の3人は大真面目で、「ざしきわらしの話だけど。知らないの? お宅にはいないの?」と言う。
知ってますよ、東北の遠野あたりの民話なら。不思議な世界ですよね。だけど、ウチにはいません。
寒い日なので、年末の不思議な大人の話を思い出した。ざしきわらしは家の精霊で福をもたらすとのこと。我が家にいるのは、近所でも汚いと評判が高い“座敷猫”2匹。花子は高齢と病のため床に放尿し、マムは要求を通すために障子をわざと破く。その汚い猫2匹は、「カアさん、私たちが両手をあげて幸運を呼んであげる」と、私をはげましてくれた。(うん? これもかなり不思議な話かな?)
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