2007年7月〜9月の日記 平穏に暮らせたらいいなぁ……。 のんびり、ゆったり。 だけどね、そうとばかりは言ってられないことも たくさんありますね。 日々感じることを書いてみようと思ってます。 2007.10〜12/7〜9/1〜6 |
昨夜も驚かせちゃってごめんね、タヌキのヒロシくん。でも、今度の写真はいくらかマシでしょ。君の美男ぶりをちゃーんと紹介したいんだよ。ふさふさした毛並み、整ったお顔、ほんとにドキドキしちゃう。そのうち、いいカメラを手に入れて、写真の撮り方もお勉強して、と思っているんだけれど。当てにしないで待っててね。 実はね、昨夜はウチのオジサンも空堀川に連れて行ったの。「本当にタヌキがいるのかよぉ?」といやいや付き合ってくれたってわけ。ところがオジサン、遊歩道の階段で転んじゃった。下駄を履いていったのがいけなかったみたいね。親指の爪が割れて血まで出てしまい、「あんたのせいだ」と言わんばかりに怒って帰っちゃったの。 それで、私は一人、君の住処のあたりまで歩いて行った。小雨も降っていたし、会えるかどうか心配だったけど、君はお尻を草むらからのぞかせて、合図をしてくれたんだね。 君はイヌタデの草むらをくぐりぬけて、川原に出た。そして、黒っぽい塊に口をつけていたね。 この前もそこに出ていたから、一昨日の昼間、川原を調査をしたんだよ。なんとその黒い塊は、大きな亀の死骸! 40〜50センチ程の亀が仰向けに倒れていた。あーそうか、それを食べていたのね。 今日は寒いくらいの天気だったけど、こんな日はどうしてるの、ヒロシくん。 空堀川の隣はファミレスだらけの新青梅街道。だけど、絶対ファミレスに行っちゃダメだよ、ヒロシくん。 新青梅街道は地獄の川。すごい勢いで泳いでいくのは、魚じゃなくて車だからね。 中秋の名月の夜(9/25)、テレビはおもしろくないし、夕方に日記も書いてしまったし、ヒマだった。それで、月光を浴びながらの散歩もいいねと、ウチを出たのは9時過ぎのこと。 月でも撮ろうとデジカメ片手にトコトコ歩いていたのだが、足は自然に空堀川に向かっていた。月夜のせいか、心は高揚していた。期待、予感、そんなはずむような気持ちで歩いていた。 最初の橋を渡り、「何もいるわけないよね」と独り言をつぶやきながら川原を覗き込むと、ブチ猫がいた。「なーんだ、猫か。何やってんの、ブッチー君」と話しかけ、シャッターを切った。(1) カメラのフラッシュに驚いた猫は走り出した。その時、何かがガサッと動いた。猫はその動物に飛びかかる。2匹は50センチくらい飛び上がり、空中バトル。おー!相手はタヌキだった。私はいそいでシャッターを切ったが、バトルは一瞬のうちに終了した。カメラがとらえたのは、暗闇に逃れていくタヌキの姿だった。(2) もう私の心臓はドキドキ、今にも踊りだしそう。「そこにタヌキが!」と誰彼かまわず話しかけたい気分だったが、暗い空堀川には人っ子一人いやしない。 その出来事が信じられないような心持ちで、下流の次の橋(前回日記の写真の場所)まで歩いた。あー、今夜はなんてすばらしい夜だろう、月は煌々と輝いているし。柵にもたれかかりながら、川原を眺めていた。 と、その時、橋の下の草むらから、ひょいとタヌキが現れたのだ! さっきのより少し小さい。そのタヌキは私に気付き、こちらを見つめている。 もちろん、写真を撮った。(3) けれど、フラッシュは恐怖感を与えるらしく、タヌキは右往左往し、怯えているようすが遠目にもわかった。(4) そして、とうとう草むらに戻ってしまった。 この月夜の出来事は、タヌキが私を呼んだとしか思えない。呼んでくれたのは、この前のヒロシかしら? ※暗くぼけて、タヌキの目だけが光っているひどい写真。お見苦しくて、すみません。いいカメラが欲しくなりました。 ──暑い9月とはいえ、日暮れは早くなりましたねぇ。さてさて、オイラはこれからが出番。今夜はどこに行こうかな。 そちらのお二人さん、さっきからずっと立ち話をなすってますね。それもオイラのことばかり。ちょいと、オバ……じゃなかった、そこの姉さん方、オイラはここにいますよ。せっかく姉さんって呼んであげてるんだから、気付いておくんなさい。 姉さん方がオイラのことを熱っぽく語っている気持ち、よーくわかりまさぁ。だって、オイラはこちらの世界じゃ「アベちゃん」の愛称で、イナセな男ぶりを騒がれているんだから。人間界にまで、オイラの評判が届くとはねぇ、驚き桃の木山椒の木でござんす。 「アベ」って言ったってシンゾーなんていう名前じゃありませんぜ。そちらのシンゾーさんはたいそう無責任で、国会とやらを空転させたっていうじゃありませんか。そういう名前を連想されては、美男で粋なオイラの誇りを傷つけるってもんです。オイラの名前はヒロシ。そっちの世界にも、同姓同名の俳優がいるらしいですね。タヌキのヒロシ、お見知りおきを。さぁーて、こんな無駄話をしている暇はなかったんだ。じゃ、さいなら。── ウチの近くに空堀川がある。この頃は遊歩道も整備され、川には魚や水鳥が増え、散策する人が多い。 私もこの川の遊歩道沿いを通るのが楽しみ。先週も歯医者の帰りに遠回りして、水鳥を見ていた。散歩中の方が来たので、ついつい話しかけてしまった。きれいな川になったとか、魚が多いとか。 「タヌキもいるんでしょうか。いろんな場所にタヌキが出るって噂は聞くんですが、まだ見たことないですね」 そんな話題に熱中していたとき、カモ(アヒル?)の向こう側をゆっくりと歩くタヌキの姿! 薄暗くなった川の草むらの中から現れたのだ。もうびっくりしたのなんのって。俄かにはこの事実が信じられず、私はマボロシを見ているのかと思ったくらいである。あまりにもおあつらえ向きに、タヌキが登場したものだから。 猫より一回りほど大きく、ズンドウで尻尾は太かった。そのタヌキはゆっくりと歩いて、やがて草むらに消えていった。どうも橋の下あたりが住処のようである。(写真は橋の西側。ここにタヌキが現れた) そんなタヌキのことを考えると胸がワクワク。また、夕方の散歩に行ってみようっと。たん、たん、たぬきの……♪ (おっと、なんでこんな歌が出てきてしまうんだ?) ヒロシさん、また会いたいよ。写真も撮らせてね。 もう9月も17日、なのに暑い。室温33度。ヒマだから畑にでも行ってみようかなぁ。と思ったけれど、この暑さでは……。やっぱり、や〜めたっと。今、畑で収穫できるものはバジルだけだしね。 一昨日、バジルを摘みに行ったら、虫たちがたくさんいた。とりわけ目立つのは、何といっても蝶。アゲハ、シジミなど何種類か見ることができた。私はとろうと思って追っかけまわしたのだが、とれたのはこのモンキチョウだけ。(写真が撮れたってことですよ!) ひら〜り、ふわり。そこにとまっているかと思うと、すぐに向こうに飛んで行ってしまう。ゆっくり飛んでいるように見えるけれど、私はなかなか追いつけない。ようやく花にとまってくれた。おいしそうに蜜を吸っているところをパチリ。羽を閉じた姿はクリーム色で、羽には白い紋、縁どりはほんのり紅色だった。 はじめて見る蝶だった。何という蝶だろう、珍しい蝶なのかしら。期待に胸はずませて、調べてみた。 名前はモンキチョウ(紋黄蝶)、別名オツネンチョウ(越年蝶)。鱗翅目シロチョウ科。紋白蝶や黄蝶の仲間だった。海岸から高山まで広く分布し、どこでも見られる蝶だそうである。幼虫が食べるのは、マメ科の植物に限られるとのこと。オスは黄色っぽいが、メスには白いものもいるらしい。幼虫は越冬するという。 虫の写真を撮るなどということは、ちょっと前の私には考えられないことであった。そもそも写真というのが面倒でたまらなかったのだ。息子の写真さえ、まともに撮ったことがない。デジカメの便利さはすごいと思う。この私が写真を撮るようになったんだから、大革命と言えるかも。デジカメを手にして、ますます虫や植物などの自然が愛おしく感じられるようになった。(上手に撮れたら、もっといいけれど……) 世の中、アッと驚くようなことが起こる昨今。アベさんが突然辞任だってさ。「改革、テロとの闘いを前に進めるために」にだってさ。辞めた背景の真相はなに?と想像するのは、ドラマを見るよりおもしろかったが、結局アベさんも、彼の所属する政党も、民の安寧や平和のことなど考えてなんかいやしないと思った。次が誰になるかをマスコミは騒がしく伝えるけれど、「9条を守る」という人じゃない限り、私は安心して暮らせないや。 さて、それはともかく、「これは何だ?!」という出来事があった。ミクロに近い世界の私ゆえ、小さな小さな出来事ではあるが。 2〜3日前のことだった。メダカがいる水鉢を覗いていたら、黄色の花(写真)が咲いていることに気付いた。 これは何だろう? 鉢にはセリが生えている。しかし、セリの花は白いはず。ホテイソウ以外、水草は入れてないし……。もしかしたら、花の下の糸くずのような藻から? それしか考えられない。この藻は自然発生したものである。たぶん、ホテイソウの根についていたのが繁殖したのだと思う。 では、この藻は何という植物だろう? 糸くずのようにただ絡み合って浮いているだけの藻から、こんな蘭のような花が咲くものだろうか? そして、インターネットで調べること数時間、ようやくつきとめた。大変だったぁ。水草、浮き草、黄色の花……、いくら検索しても出てこない。たまたま水槽の水草を紹介しているページがあり、その全水草をクリックし、ようやく糸くずのような藻の写真を発見。たぶん、これだ! 名前を見ると「タヌキモ」とあった。検索してみたら、あったあった!! 黄色の花が咲いていた。 けっこう多くの方が、このタヌキモの写真をアップしていた。ほぉ〜、そうだったんだ。 感激!! タヌキモ(狸藻)は沼や池などに自生しており、日本には何種類かあるそうだ。藻の形が狸の尻尾に似ているので、この名が付いたとのこと。驚いたことに、これは食虫植物だった。藻にはブツブツした玉がたくさんついて、その玉がときどき黒いゴマのようになる。私はこれを種だと思いこんでいたけれど、実はミジンコなどの微生物を吸い込むと黒くなる捕虫嚢(ほちゅうのう)だということ。へぇ〜、そうだったの。 絶滅危惧2類とも書いてあった。こんな水鉢でも繁殖するというのに? 本当にそうなのかな。 あっ……、これまで「憲法9条」が当たり前だと思って暮らした毎日、それが政治やマスコミの動静で一変することがある。きなくさい空気が充満したとき、9条は《絶滅危惧種》になってしまう。私たちにとってのエコロジーは平和だ、それをタヌキモから教わった気分だった。 先週の土曜日は超暑かった。ぎらぎらと照りつけるお日様に、「季節を勘違いしていない?」と問いかけたいほどだった。 その日、末の妹が運転する軽自動車で、Aホームの展示場を目指した。ところが、周辺をグルグルと徒らに走り回るだけで、目的地にはなかなか辿り着けない。道を間違えたのだった。 同乗者3人は焦りだし、おまけに車までガタガタと異常な音を発するに至った。途中で車の点検をしてもらい、ファミレスで休憩することにした。ファミレスのお姉さんに、「○○市×町って、どのあたりですか?」と尋ねると、地図を持ってきて教えてくれた。「若いのになんて親切な人だこと、世の中捨てたもんじゃないねぇ」と感心し、そのお陰でようやくAホーム展示場に到着できた。 「じゃー、1坪二十△万円ってウソなんですか? ホームページにはそう宣伝してありましたよね」 私はそう捨て台詞をはいて、展示場をあとにした。「貧乏人で無知なる皆さん、どうぞお帰りください」と営業マンは言った。いや、目でそう言っていたのが、よくわかった。二十△万円というのは、50坪以上のひろーい家を建てた場合、床と壁だけの最低坪単価に相当するそうだ。小さい家であればあるほど、坪単価は高くなるということ。その他すべての費用が加算された「ご予算」を示され、唖然とした。基礎工事費を除いても、1坪50〜60万円ほどになる。まったく冗談じゃないよ。こうして、しばしの“夢”は費えた。 今まで母からタダで畑を借りていた。しかし、事情があり、畑は生産緑地ではなくなる。宅地になると税金が高くなることは当然知っていたけれど、宅=家がない土地の税金が、家の建っている土地の3倍以上だということは知らなかった。というより、家のある「宅地」は特例措置で税金が安くなっているらしい。 そんなわけで、「それならば、畑に人が住めるくらいの小屋を建てればいいかな。母も私たちも便利になるし」と安直に考えたのである。1坪20万円台ならば建てられるかも、と小躍りしたわけだ。……これも欲。 欲をもち、ホームページの誇大宣伝に目が眩み……、その日の帰り、沈もうとする太陽に向かって歩いていた。目がくらくらし、太陽以外は真っ暗で、自分の家がどこにあるかもわからない。写真を撮ったのだが、道路にも突き当りの標識にも「止まれ」という字が写っていた。こんなところに「止まれ」と書いてあったのね。目を眩ます落日に直進してはいけない、と警告しているように思われ、何となくおかしかった。 一挙に秋になってしまった。肌寒いくらいの天気。 そろそろ表紙の写真も変えなくてはと思ったが、もう夕方だった。昼間はウトウトとまどろみっぱなし。ひたすら眠くて、まだ頭の中は夢うつつ。 庭に出てみた。エノコログサ、百日紅、そばの花……、写真を撮ってみたものの、曇天と夕暮れの中でぼやけている。「そうだ、裏を見てみよう」と、薮蚊にブンブンとつきまとわれながら、家の裏に回ってみた。 やっ、あれは何だ? あんなに大きな花が咲いている! 近づいてみると、すっ、すっごい! ゴーヤが黄色く色づき、先が割れて赤い実がこぼれているのだった。ゴーヤって、こんなふうに実がこぼれるのね。はじめて見た。お隣のゴーヤが塀を越えてやってきたのだが、「これ、もらっちゃってもいいよね」とラッキーなひとりごと、ルンルン。 ゴーヤは思いがけない夏の贈り物だったけれど、失ったものもあった。 失ったものは、親メダカ。12匹のうち11匹が死んでしまった。夏の前半に半数、そして後半に残りのメダカがいっぺんに。1匹だけ残っているが、それも弱っている。暑さが厳しかったためだろうか? 命のはかなさを実感する。救いは、子メダカが十数匹成長中であること。 もう一つはヒマワリの種。畑では4本のヒマワリが、ぎっしりつまった種で重たそうに頭をさげていた。私と妹は種の収穫を楽しみにしており、8月末、そろそろ採ろうと見ると……ないのだ! 地面にこぼれているのだろうか? 1粒もこぼれてはいなかった。4本の茎には刃物で刈り取った跡がくっきり。種ドロボー、私は許さないぞ! 心の中で歯軋りしてくやしがったが、あとの祭り。「ヒマワリの種を盗まれました」と盗難届けを出そうかとも思ったが、種が返ってくるわけでもないし、そもそもそんな届出は受け付けてもくれないだろう……。畑には、ときどき不埒なニンゲンという動物が出没する。ドロボーはもちろんのこと、自転車で通り抜けるオバサン、犬の散歩をするオジサン、野菜を引き抜いて遊ぶコドモ、ゴミの不法投棄をするツウコウニン等々、さまざまな亜種が出て来るのだ。私は動物好きだが、畑を荒らすニンゲン亜種は大きらい、プンプン! 以前に白雪姫(猫)のことを書いたが、実は彼女には母がいたのだった。 ある日のこと、「白雪が来ているよ!」と家人が言うので、ご尊顔を拝すとさにあらず。白雪は青い目で、とんがった狐顔である。その猫は丸い金目、お顔もやや丸い。白雪の母さんだった。遠くから眺めたことはあったけれど、こんな間近でお会いするのは初めて。 ようこそ小雪さん! 嬉しくて、さっそく名前をつけた。 小雪母さんは、最初、一人できていた。近づくと「ハァーッ!!! 何をするつもり!!!」と唸っていた。 それもそのはず、小雪母さんは子育てのために偵察していたんだな。しばらくすると、1匹の子ども連れでやってきた。真っ白な子猫は一人っ子? いや、違った。そのうち、2匹連れてきた。ものすごい警戒ぶり、目が合うだけで、「私の子に手を出すんじゃないわよ! ハァーッ!」。 ようやく「ここんチは安全」と判断したらしく、夕食時にやってくる。白雪も一緒に来るようになった。 写真は昨夜撮ったもの。白雪はすみっこでいじけているのかな? 「小さい子が先よ。あなたはもう大人なのだから、エサはそのあとで。がまんしなさい」と小雪母さんに言われたのかもしれない。 白雪は2月に発情期をむかえており、私はてっきり赤ちゃんを産んだと思い込んでいたが……。この雰囲気は、未だに「おかあちゃーん」と母猫に甘えているみたいな感じがする。 この白猫家族は近所のお宅で外飼いされているようだ。すると、さしずめウチはファミレスってとこかもね。 お会計? それはもう「かわいさ」でいただいておりますですよ、小雪母さん。またのお越しをお待ちしております。まいど、ありがとうございます。 おっと、大事な子のことを忘れていた。ウチの花子ちゃん。白猫家族が来ると、すっごくキゲンが悪い。シッポの毛を狸のように膨らませて怒っている。白猫のキタローくんは来るし、今度は白猫家族の来訪。花子は白猫ラッシュに面食らっている。 でもね、かあさん(私)は、白猫ばっかり見ていたら、花子の毛色の奥深さに感銘しているんです。 花子はなんてかわいいの!ってね。 あつ〜い……。この尋常ではない暑さに、日が昇る朝が怖くなった。 そんなわけで夜中にパソコンに向かい、写真加工にいそしんでいた。 右の写真は高砂(たかさご)ユリ。さて、涼しげに仕上がったかな? この頃、あちこちでこの高砂ユリを見かける。2、3年前からウチの庭にも咲くようになった。不精な私のことゆえ、もちろん自分で植えたわけではない。風が運んできてくれた。 この高砂ユリは種から育つ。ユリは球根を植えるのが普通だが、この高砂ユリばかりは違い、風にのって種が飛び散り繁殖する。地面に根付いたら、あとは他のユリと同じように球根ができて、年を経るごとに大きくなる。何のお手入れをすることもなく、荒地でも丈夫に育つようだ。たくさんの花をつけた高砂ユリが、ブロック塀の隙間から生えているのを見かけることもある。 原産地は台湾で、園芸用のものが野生化したらしい。鉄砲ユリとも交配し、その交配種も種で増えるという記事を読んだ記憶がある。庭の高砂ユリは鉄砲ユリに似ているから、交配種かもしれない。もともとの高砂ユリは、外側の海老茶色の筋がもっとはっきりしているようだ。 台湾の高砂……かつて日本は、かの地の先住民を「高砂族」と呼んだ。明治以降の台湾統治時代から徹底した「皇民化教育」をし、戦争では住民を「高砂義勇隊」として激戦地に送り出したという。 昨日は“終戦記念日”で、戦争犠牲者追悼の行事をニュースは伝えていた。しかし、日本人犠牲者を追悼するだけではなく、日本が犠牲を強いた(侵略、支配した)人々のことを、私たちは忘れてはならないと思った。 日記を書いた日(7日)の午後、キタローがまた来てくれた! チャンス到来とばかりに、私はボランティア(?)をやってしまった。(彼が望んだか否かは定かではないが) 3時間、キタローの背中の毛をほぐし続けた。最後に、ユーカリオイルを垂らしたタオルで、体を拭いてあげた。その結果が右の写真。 長丁場だったので、私はとても疲れた。かがんでお手入れをしたため、腰が痛くなってしまったけれど、彼も疲れただろうなぁ。長時間つきあってくれてありがとう、キタローくん。 キタローの背中の毛は、泥と油がコールタールみたいにはりついて厚いフェルト状に固まっていた。これでは代謝も悪くなり、より不健康になってしまう。それに、ずいぶんと重かったことだろう。何かの病気が原因なのかもしれない。本当は体を洗ってやりたかったが、これ以上の無理は禁物だと思い、やめた。目ヤニも出ているし、歯もだいぶ抜けていた。声もよく出ないようだった。 お手入れ後のキタローくんは、我が家から出て行くこともなく、私に「なにかちょうだい」とおねだりした。カリカリをあげたが「固くて食べられない」というので、ミルクをあげてみた。おいしそうに飲んでいた。 目ヤニもすっきり、体も軽くなって、キタローはすがすがしそう。ミルクを飲んだあと、そこに寝そべっていた。 昼寝から目覚めた花子(ウチの猫)がキタローの姿を見て、目をまん丸にして驚き、「悪いけど、あたし、キタローみたいに汚い子は苦手だからね」と避けていた。きれいにしたものの、まだキタローは臭かった。 キタローはそんな花子の視線も気にせず、昼寝をした。私も疲れて昼寝をした。 目覚めると、もうキタローの姿はなかった。私のお手入れが役に立ったかどうかはわからないが、今までより少しでも快適であったらいいなと思う。ふだん、彼はどこでどうして暮らしているのだろうか? あんなに病弱そうでも生きのびているのだから、あちこちにキタローボランティアを持っているに違いないと私は思った。 昨日は歯医者に行く日だった。先週の通院時にひどい目にあったため、今日こそは早く出かけようと思っていた。先週は慌てて出かけ、その結果、自転車から落ちたのである。下駄ばきのまま自転車に乗っていたことも災いしたようである。その痛かったことといったら……。今も青あざくっきり。 さてと腰を上げたその時、彼が来た! 何ヶ月ぶりの再会だろう。じっと私を見上げていた。 「シロくん、生きてたの!良かったね」と思わず声をかける。 「シロくん」と言ってから、さびついた私の頭は彼の名が「キタロー」であったことを思い出した。彼があまりにもきたないので、家人がそう命名したのだった。キタロー、変な名前つけちゃって、ごめんね。 ほんとうに久しぶり。だが、私は歯医者に行かねばならぬ……。エサだけあげて、名残惜しかったが出かけてしまった。前にもまして、ぼろぼろの体の様子が気にかかってならない。 キタローと初めて会ったのは数年前のこと。大きな白猫だった。おとなしい性格のようで、他の猫と争っているようすもなかった。ウチの庭を闊歩するのは、近所で一番強い猫の特権だったので、彼は遠慮がちに通り抜けていくだけだった。たぶん、その頃はどこかの家の飼い猫だったのだと思う。 3年前、私がベクロウ(ブチ猫)のお世話をしはじめた頃、彼もエサ場にやってきた。1ヶ月1〜2度来て、そっとエサを食べていった。だが、その時は以前の面影もない。汚れた毛はドレッドヘアのように固まり、目ヤニもべっとり。なぜ、こんなひどい状態になってしまったのか。せめて汚れだけでも取れないものかとブラッシングしてあげたが、甲羅のように固まった毛になかなか櫛は通らなかった。 でも、体に触れても怖がらないのは、生粋の野良猫ではない証。噛み付きもしないし、ひっかきもしない。まえは人間にかわいがられていたんだね。喉をなぜてあげたら、ゴロゴロと嬉しがっていた。 マムちゃんがウチに来るようになってから、キタローはほとんど来なくなった。最後に彼を見たのは、去年の秋頃だったろうか? それ以来、まったく姿を見なかった。 皮肉なことであるが、マムちゃんがいなくなったから姿を現したのかもしれないと思う。 キタローの役に立ちたい。目ヤニを拭いてあげて、体もきれいにしてあげたい。そう、私はキタローボランティアをしたい。彼が望むならば。また、来てくれないかなと切に思う。 ガラガラドカーン!ビシッ! 雷が落ちた。 メダカにエサをやっていたら、突然に。大粒の雨がザーッと降りだし、救急車の音が向こうから聞こえた。だが、そうしたドラマチックな状況は短時間で終わり、もう日が射してきた。 でも、室温が3度下がり、今とっても涼しい風。茗荷に乗った雨の雫がきれいなので、写真をとってみた。 もやもやと熱気のこもった夏の大気は、きっとフキゲンなんだろうな。それで、こうして雷と雨で気を晴らすに違いない。 天気のせいなのか、この頃の私もホントに虫の居所が悪かった。 「いつもそんなもんだよ」と受け流せばすむことを、どうしてもそうできない。グチやら怒りやらの毒を撒き散らしていたみたいだ。それはまさに毒にふさわしく、人にいやな気分を与えたことは想像に難くない。あれ? この言い回しは判決文みたい。罪は私にある。……いや、罪は私の中の虫にある。(なぁんて言い逃れは裁判じゃ通用しないねぇ)毒を受けてしまった方々、雷あとの涼風に免じて、私の虫を許してね。 虫といえば、「虫の知らせ」「虫がいい」「虫が好かない」などなど、いろいろな言葉があるなぁ。近頃では「バグ」(虫の意)という言葉も定着した。「パソコンがバグってる」とか「このソフトにはバグがある」とか、もっぱらコンピュータ用語として使われているようだが。とにかく、人の心にも、電子機器にも虫はいるってことだ。 だけどなぁ、たとえば、今回の新潟地震で柏崎刈羽原発から放射能が漏れた被害に、地元住民や多くの人々が怒ることは、「虫の居所が悪い」からじゃない。沖縄の名護市・辺野古で、米軍へリポート基地に反対している人々の怒りはもっともなことだと思う。平穏だと思える暮らしをしていると、政治や政策は遠い出来事に思える。だが、それが実際すぐそこで生活を脅かすことになれば、事情は変わってくる。政治や政策はとてつもなく大きな敵として襲いかかってくるのだ。人々の暮らしや命など、それこそ虫のように踏み潰そうとする。 そうだ、今日は参院選の投票日。いい人を選んでこようっと! ぼぉーっとした頭の中に、若い女の子の声が聞こえてくる。目をあけると、テレビでは女子高生のいじめのシーン。うっ、イテテ(>_<)、この首の痛さは居眠りの後遺症だな。それにしても、このシーンはたえられない。スイッチオフ、プチッ。少しずつ頭のもやが晴れてきて、ようやく気づいた。さっきまで、アニメ『時をかける少女』を見ていたのだった。えーっと、どこまで見ていたんだっけ?『時をかける少女』はどうなっちゃったんだ……。 飾り気がなく元気のいい女子高生・マコトが主人公だった。彼女にはチアキとコウスケという男の子の親友がいて、学校帰りにキャッチボールで遊ぶのが、3人の毎日だった。 マコトは理科室で不思議な出来事にあい、その時から「タイムリープ」する能力を持った。 ある日のこと、マコトは死にかける。自転車のブレーキが壊れていて、電車につっこんでしまう。が、そこではじめて「タイムリープ」の能力が開花し、事故前の時間に跳躍できたのだった。マコトはその力を得たことを自覚したが、最初は実にどうでもいいようなことのために使ってばかりいた。例えば、授業やテストの失敗をやり直したり、食べ損ねたプリンを食べるためにとか。 コウスケが下級生に告白されたあたりから、3人の均衡がゆれはじめる。いつまでもこのままの3人でいたい、けれど誰かに恋人ができたとしたら……。そんなマコトの気持ちを察したかのように、チアキはマコトに「じゃ、オレとつきあうか」と告げた。けれど、マコトはチアキの気持ちと向き合うことを避けてばかり。 ……このへんから、私は睡魔におそわれていた。ウトウト、ハッ。シーンは、あの日(マコトが電車に飛び込んだ)のあの時刻にタイムリープしていた。マコトの自転車に乗っているのは、コウスケと下級生の女の子。そのままだとあの日のように、彼らが電車に飛び込んでしまう。マコトは自転車を追いかけながら、止まれと絶叫する。あわやというところで、時がとまった。静止した世界の中にいるのは、マコトとチアキだけ。チアキは自分のことを話した。未来からきた人間であるが、帰れなくなってしまったと。その原因は例の理科室にあると。 ここで私は完全な居眠りに落ちたらしい。チアキは未来に帰っていったらしいのだが、どうやって帰れるようになったのかが謎のまま。ラストにはこのアニメの見せどころ、マコトとチアキの感動的なシーンがあったのだろう。予告では、マコトとチアキのキスシーンが映し出されていたのだから。 それなのに、肝心なラストシーンを見逃してしまったとは。私も「さっき」にタイムリープしたいよ〜。(T_T) 今日は台風だった。もう関東地方から遠のきつつあるもよう。 どっさりたまった洗濯物を仕方なく干した。しかし、この湿気にくさくさしてしまう。頭は重いし、じとっーとまとわりつく汗も不快。 ハーブパウダーを肌にはたいたら、少しすっきりした気分になった。このパウダーは妹の手作り品で、先日もらったばかり。コーンスターチにラベンダー・カモミール・セージなどのハーブの粉を混ぜて作ったという。さわやかな香りとさらさら感がいい。 しかし、台風被害にあった地域の人々は不快どころじゃないだろうなぁ……。むかーし、昔のことを思い出す。 私が小さい頃、大きな台風が来て、下屋のトタン屋根が吹き飛んでしまったことがあった。この下屋は、素人の父が、自分で母屋に建て増ししたものだったと思う。ぱかっと開いた天井から強風と雨が吹き込んできて、私はおそろしくてならなかった。気がつくと、私は仏壇の前で「仏さま、助けてください」と手を合わせて祈っていた。誰に教わったわけでもなく。そのころは、朝夕まっさきに、仏壇にご飯を供えるのが子どもの役割だった。そして、祖母からは「仏さまは大切にしなきゃなんねえよ。お前のとーちゃんが戦争から無事に帰ってきたのも、仏さまのおかげだ。おばあさんがいつも仏さまにお祈りしてきたからな」と、しょっちゅう聞かされてもいた。そんな日常が、幼い私を仏壇の前に座らせ、手を合わさせたのだと思う。 この春、父は他界した。戦争に行った話も聞くことがないまま、父は「仏さま」になってしまった。 台風の日に昔を思い出して、ほろりと涙がこぼれた。 今日はメダカのあかちゃんのご紹介。まだ生まれたてのほやほや。 全長5ミリくらいかな。かわいいでしょ。30匹ほど卵からかえったけれど、あまりにも小さすぎて写真がどうも……。(いや、ウデが悪い?) メダカを飼いはじめて3年目。最初はひと夏で全部亡くなってしまった。それでも懲りずに、昨年もメダカ(鑑賞用のヒメダカ)を買って育て始めた。 そのメダカが卵を産んで、なんとか12匹の子メダカを私が育てた。そう、私が育てた。「私が育てた」と繰り返して言うのには、理由がある。メダカは子育てをしない。いや、もっとひどいことに卵を食べてしまう。孵化したばかりの子どもも食べてしまう。だから、卵も子どもも親から救出して育てなければならない。たぶん、自然の川では親子が住み分けをして、うまく暮らしているのだと思う。けれど、狭い水槽の中では、無理があるんだろうなぁ。 なんだか昨今の育児放棄の若い親に似ているような……。してみると、この人間社会は、空間的にも時間的にも精神的にも、ひどく過密なのかもしれない。 このあかちゃんは、私が育てたメダカから生まれた子である。 今年は忙しくて、メダカのお腹を眺めていなかった。この頃少し余裕ができたので、メダカをよーく見てみるとお腹が膨らんでいた。慌てて水草を別の容器に移すと、やっぱり卵が産み付けてあった。 網で水槽を掃除する度に、卵がミズゴケやゴミに混じっていた。私はまるで砂金採りにでもなったかのように、芥をていねいにかきわけて、水晶のような卵を見つける。そして、別容器の水草の根につけてあげた。 そうして、私は稚魚が生まれるのを今か今かと待っていたのだった。 お誕生、おめでとう! メダカのあかちゃん! あの日からマムちゃん(猫)の姿が見えない。もう3週間以上も……。 彼が最後にウチに上がりこんで来たのは、6月初めの金曜日のことだった。ずいぶんと長く寝そべっていったけ。「エサが欲しいの?」と訊ねたが、「うんニャ、エサなんかいらん。ミルクを少々所望する」と言った。それでミルクをひとなめしてから、やたら私の足にスリスリをしてきた。「ど、どうしたの、またまた。これで3回目だね」と言うと、「何でだかわからにゃい。だけど、おばさんの足、太いな。強いて言うならば、なつかしさかなぁ」と目をほそめて穏やかな顔をした。そこへウチのおじさんが昼食に帰ってきた。マムちゃんはチラッと見上げ、「触るなよ。触ったら猫パンチをお見舞いするぜ」。 大人二人がドタバタと歩き、マムちゃんの上を何回もまたいだ。それでも堂々と寝そべり、出て行く気配も見せなかった。 マムちゃんはどこへ行ったのだろう。約1年間ほとんど毎日来ていたので、顔が見えないと悲しい。 彼の前にはベクロウ(ブチ猫)が来ていた。ベクとは2年間付き合い、ようやくスキンシップができるようになったとたん、突然いなくなってしまった。ベクは面倒見のいい猫で、他の猫のために私にエサを用意させたのである。マムは、そういうベクの姿をどこかからじっと見ていたに違いない。 だから、ウチに来るようになったんじゃないかと私は推理している。マムもベクと同じだった。他の猫のためにエサを要求した。自分はほとんど食べない。他の猫が来て食べているのを、横で見守っているのだった。 ウチの花子(猫)にとって、マムはたった1匹の友だち。花子は猫見知りが激しく、どんな猫が来てもフギャーと威嚇して追い返していた。ところが、マムだけは特別で、彼がくるとうれしそうにソワソワする。 花子も寂しそう。私も寂しい。「マムちゃん、どこかで無事に生きのびていてくれよ」、そう願わずにはいられない。もしも、もしも、マムが生まれ変わってきたら、今度こそウチの子になってね。 |