今年度の最初の演奏会は4月の東京・春・音楽祭のワーグナーでしたが、このページは海外オーケストラの来日公演ということで、その意味では最初のレポートとなります。会場は久々、というよりもこのHPを開設してからは初めてとなる、オペラ・シティ コンサートホール。ノルウェー出身のピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスとマーラー・チャンバー・オーケストラによるベートーヴェンのピアノ協奏曲の演奏会は、2014年から世界各地で演奏を続けてきて、今回はニューヨーク講演を経て、アジアツアーとしての開催とのこと。この東京公演は2日間に渡って、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏するもので、初日は2番、3番、4番、そして翌々日は1番と5番というプログラム。私が参加したのは、初日の方で、5月15日に開催されました
期待にたがわぬ素晴らしい演奏が聴けましたが、まず最初に気づいたのはホールのやや高域が強調される音響特性。そのあたりの感覚はオーディオマニアの特性というより、マニアならではというべきでしょうが、周囲を木で囲まれているためでしょうか、聞きなれた他のコンサート・ホールとは明らかに響きの周波数特性が違います。そのためもあるのでしょうが、ピアノの音がとってもきれいで、輝くような美しさ。でも、その特徴をはっきりと認識したのは最初の曲が終わった後の拍手。明らかに耳に刺すような刺激があり、天井は高いので、圧迫感はありませんが、教会のような響きがします。鈴木雅明のバッハ・コレギウム・ジャパンがここをメインの会場にしているのもなるほどと納得しました。
さて、そのアンスネスのベートーヴェン、さすがこのメンバーならではと思わせる、まさに息の合った演奏でした。アンスネスのピアノはもちろんCDでは何度も聞いてますが、やはり生でないとわからないことも多く、まず印象的なのは、その極めて安定したテクニック。それに加えて、ピアノをまるでわしづかみにしたような剛直な音がします。とはいえ、ヤマハホールのような刺すような音ではなく、ホールトーンを伴った心地よい音なのですが、ピアノのボディ感をしっかりと感じさせる音です。それにしても、指揮をしながら同時にピアノの演奏をするという離れ業、モーツアルトではよくありますが、ベートーヴェンはやはり難しいとみえて、あまり見かけません。一般的なシンフォニー・オーケストラとの共演では、指揮者がピアノと出だしや入り方でいかにも合わせているという感じがしますが、このチャンバーオケでは奏者の首の振り方までもが揃っていて、自然な流れで入ります。ですから、ここではピアノとオーケストラが対峙するのではなく、主体はあくまでピアノなのですが、その流れがそのままオケに引き継がれたり、バックを支えるといった趣です。そのオケですが、昨年聞き逃したドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンもそうですが、チャンバー・オーケストラ特有のフットワークの軽い、きびきびした演奏が聞かれます。そういったチャンバー・オケに共通の特質に加えて、スフォルツアンドが良く効いているためでしょうか、とてもリズミカルなことも印象的でした。ただ、このオケの場合、ただ軽いのではなく、アンスネスのピアノ同様、剛直な響きがします。そういう点ではベートーヴェンの音楽を意識した音作りなのでしょう。まさに辛口のベートーヴェンで、決して重くはなく、まるでボディのしっかりした赤ワインのような味わいです。
そういうことを最も感じさせられたのが休憩後の4番で、この2楽章など五味康助に言わせると、どんな安っぽいステレオでも、それらしく鳴るという代物ですが、そんなイメージはまったくなく、むしろしっかりしたユニゾンです。そういう意味ではこの4番、よく言われる抒情的な曲ではなく、むしろ男性的で、3番の印象とあまり変わりません。この4番、カデンツァが長いことも特徴で、以前、河村尚子の演奏(2012年4月ですが、もう3年も前とはとても思えません)で、シューマンやジャズになったりした記憶がありましたが、アンスネスはそんなことはなく、あくまでベートーヴェンの音楽。さりとて、厳格なものではなく、自由度というか遊び心があり、表情も実に豊かです。よくねられた演奏には違いありませんが、それでも毎回同じ演奏になることはないのだろうなと思わせる、自然で自由な発想がとても感じられたベートーヴェン像でした。(2015年5月)
何かの本に書いてあった話ですが、「音楽には二種類しかない、聞いて楽しい音楽と、そうでない音楽と」というのがあります。同じCDがオーディオ装置によってまったく違った印象を受けることを知っているオーディオマニアなら、そう単純な話ではないと思うでしょう。それを演奏会に当てはめれば、オーディオ装置に相当するものがホールの音響特性とか座席の位置ということでしょうか。しかし、一番大きな要因はその日の体調です。CDなら聞き直せば済む話ですが、一発勝負の演奏会ではそうはいきません。いきなりそんなことを思ったのは、この演奏会、前回と違って、全然楽しむことにはならなかったわけです。N響の定期演奏会も、時々ひたすら眠くて、朦朧となってしまうことがありました。またかといえばそれまでですが、17,000円も払ってそういうことになるのは、いかにも無駄な出費です。その点、音楽評論家はさすがと思います。仕事とはいえ、公平な評価をするためには、常に一定の体調を維持していなければならないわけですから。
さて、当夜はトーマス・ヘンゲルブロックの指揮で、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトと、マーラーの交響曲第1番。ヴァイオリンはアラベラ・美歩・シュタインバッハー。このシュタインバッハーは2014年12月のN響定期演奏会でベルクのヴァイオリンコンチェルトを聞いていますが、今回はあの有名なメンデルスゾーン。十分美しい音色と音楽でしたが、何か物足りない感じがしたのは、全体的に控えめで淡々とした演奏だったせいでしょうか。もう少し盛り上がりがあってもという感じでした。
NDRといえば、まず思い出すのがギュンター・ヴァントのブルックナーの録音です。このブルックナーの交響曲シリーズ、全曲出ていたと思いますが、手元にあるのは6番と9番。ヴァントはこの後、ベルリンフィルと全曲録音してますので、そちらの方が注目されるのはやむを得ないところです。ただ、NDRとしてはこの頃が全盛期だったのではないでしょうか。最近はあまり話題になっていませんが、それは常任指揮者のヘンゲルブロックにも言えそうです。そういう伝統のあるオケなので、どんな音を聞かせてくれるのか、楽しみだったのですが、最初のメンデルスゾーンはいわば引き立て役ですから本領発揮とはいえず、次のマーラーでスイッチが入ったといいたいところですが、これが前述のとおり、散々な状態で、まともな感想が書ける状態ではありません。そんな中でも感じたのは、弦と管の融合でしょうか。通常は弦の中で、管が浮き立つかのように響くのですが、このオケの場合、ちょっと聞くと弦だか管だか、どっちが鳴っているのだろと思わせるほど、音色の調和がとれています。このあたりは、2011年から常任指揮者となったヘンゲルブロックの元で、NDRの音を追及してきた成果であることは間違いないでしょう。いわゆる職人集団という感じの楽団で、実際年齢層も比較的高いように見受けました。そういう点では、先月のマーラー・チャンバー・オーケストラはもともとユース・オーケストラが母体ですから、当然若々しいのですが、こちらはそれとは正反対で、いわゆる老練という感じでしょうか。それにしても、マーラーの1番って、もっと親しみ易い曲だったと思いますが面白くもなんともなく、ひたすら睡魔と闘った感じで終わってしまいました。
そんなわけで、このオケについてはまともなコメントができないのですが、アンコールで演奏したローエングリンの序曲が、極めてノリの良い演奏で、このオケの特質に一番合っているように思いました。NDRについては、いわゆるドイツ的な重厚なイメージを描いていましたが、あまりそういう印象はなく、ロシアのオケが洗練されているのと同様、今日のグローバルな世界ではもう遠い昔のことなのかもしれません。(2015年6月)
日本のオーケストラも近年、随分とレベルが上がったとはいえ、海外のオーケストラと比べればまだまだというのは昔の話と思っていました。実際、このページでレポートしている来日オケに関してはそんなに大きな差を感じることもなかったのですが、今回のロンドン・シンフォニー(LSO)に関しては圧倒的な差がありました。その差とは何か。一言で云えば、まだオーケストラというもの作り上げる努力をしている人種と、すでに根付いている人種との差ということになるでしょうか。
いきなりそんな感想で始めることになりましたが、かのLSO、もちろん生で聞くのは初めて、そして指揮者のハイティンクも初めてという演奏会に行ってきました。通常なら入場料の高さにあきれて、有名オケの演奏会に行くことはありませんが、今回は毎年やっているMHK音楽祭「極上のオーケストラ・サウンド」への出演ということで、サントリー・ホールならA席でも27,000円ののところ、19,000円という格安価格でしたので、チケットを確保しました。このHPでも散々書いたようにNHKホールはおよそオーケストラには向かないホールですが、1階席の前から半分くらいまではさほど気にならないということも経験で知っており、左寄りの席とはいえ、前から9列目という良い席が取れたことも聞いてみよう、という気になった要因です。
当夜の曲目はパーセルのメアリー女王のための葬送音楽、ベートーヴェンのピアノ協奏曲 第4番と、ブラームスの交響曲 第1番という聴き馴染んだ曲ばかりです。ピアノはこれまた、一度は聞いてみたいと思っていたマレー・ペライア。さらに、指揮はこれが最後の機会になるかもしれない、ベルナルト・ハイティンク。これだけ役者が揃っていたら、NHKホールか、などと贅沢なことは言ってられません。
さて、最初のプログラム、パーセルの葬送音楽は管楽合奏、それもフル・オーケストラのほとんどの管楽器が参加する大規模な編成で、まずはその柔らかい響きに打たれます。このページの冒頭で、オーケストラというものに対する加我の差を強く感じたと書きましたが、それは半月前に聞いた東京交響楽団の一直線的な管楽器の印象が大きく影響していたのは間違いなく、その観点だけで比較するのは公平さを欠くかもしれません。
とはいえ、次のベートーヴェンの第4番も、まるでモーツアルトのピアノコンチェルトのような、柔らかい響きがとても印象的でした。そう、オーケストラの醍醐味って、結局ハーモニーなんだよと言わんばかりですが、第3楽章ではこれぞベートーヴェンという力強さが出てきました、ただ、それも力んでいるという感じは全くなく、表現の深みが増したというのが正しいでしょう。ペライアのピアノはとっても美音で、それもモーツアルトかと思わせる要因ですが、あのNHKホールとは思えない、透明感のある美しい響きが楽しめました。今年の5月にアンスネスとマーラー・チャンバーオケで同じ4番を聞いていますが、両者は対照的で、あちらは若々しい力みなぎるベートーヴェン、こちらは角のとれた包容力のあるベートーヴェンといったところでしょうか。
ロンドン・シンフォニーといえば、ロンドンのバービカン・ホールがホームグランドですが、ロンドンに出張した時、確かLSOは海外公演(ちょうど今回のように)で、そのバービカン・ホールでクリーブランド・オーケストラのブルックナーを聞く機会がありました。かのLSOのホームグランドといっても、まるでスタジオのような簡素な造りで、日本のホールはちょっと内装に金をかけ過ぎではないかと思ったりしましたが、最初のピアニッシモで始まるトレモロで、ビロードのような弦の響きが聞こえてきて、その響きの良さにびっくりした記憶がまざまざとよみがえってきました。
最後のブラームスの交響曲 第1番、まずは冒頭の部分で、こんなに力みのない演奏は聞いたことがありません。第1番はブラームスが慎重に時間をかけて作曲したことは良く知られていますが、その話を知らなくても力みがちな音楽です。ところが当夜のハイティンクはあくまで自然体で、表情豊かな音楽が次々とあふれてくるよう。まるで同じブラームスの交響曲
第2番のような優雅で、やさしい響きが聞こえ、そして第2楽章、第3楽章とただただ美しい響きが続きます。こう書くと、何だか眠くなるような音楽と思われますが、その美しさがとび抜けているので、決して単調にはならず、あっと言う間に第4楽章になりました。その終楽章はこれまたフル・オーケストラの醍醐味で、圧倒的な音量なのですが、ベートーヴェンと同じく、大音量を出そうと踏ん張るのではなく、響きのスケールが大きくなると云えば良いでしょうか。冒頭、今回は欧米と日本のオケで大きな違いを感じたと書きましたが、技術的観点で云えば、やはりその差は管楽器の技量に行きつくのではないかと思います。管楽器がハーモニーを乱すことなく周りと調和し、かつ豊かな表現力を備えていることは、LSOを聞いた誰しもが感じることで、それだけ名手を揃えたオケということなのでしょう。
今回はLSOのとびきり美しいハーモニーを堪能した演奏会でしたが、唯一気になったのはコントラバスの低域が聞こえ難かったこと。これは多分にホールと座席の位置によるものと思いますが、これもオーディオマニア特有の音を分離したがる性質によるもので、ハーモニーを大切にするハイティンクにはそれが正しいあり方なのかもしれません。
ヨーロッパの本物オーケストラとはこういうもの、ということを思い知らされた貴重な一夜でしたが、ハイティンクとLSOのCDはベートーヴェンの交響曲全集ほか多数保有しています。でも、CDではあんなに美しい音楽をやる人というのはわかりません。このハイティンク、ステージでの足取りもしっかりしていて、まだしばらくは大丈夫と思ったものの、86歳という年齢ですから、これが最後になる可能性もあります。そう言えば、このHPで取り上げたマゼール、ブリュッヘンの二人は結局、それが日本での最後の演奏会になってしまいました。今回のハイティンクの演奏が余りにも美しい音楽であったがゆえに、それが「白鳥の歌」にならないことを祈るばかりです。(2015年10月)
10/5の朝日新聞の評です。残念ながらNHKホールではなくミューザ川崎で、しかも演奏曲目も違います。ただ、ハイティンクの演奏に対する感想がほぼ共通するものでしたので、記録として入れておきます。
東京芸術劇場のサイトにユーザ登録した関係で、ダイレクトメールが来るようになり、その中に2015-2016海外オーケストラシリーズというのがありました。その海外オーケストラシリーズ、今年はベルリン・ドイツ交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、そしてフランクフルト放送交響楽団の3オーケストラですが、その中でもあまり知られていないベルリン・ドイツ交響楽団の公演に行ってきました。もちろん、指揮者や演奏曲目もこのオケを選んだ理由ですが、神尾真由子のヴァイオリンを聞いてみたいというのが一番の目的でした。
そのベルリン・ドイツ交響楽団、指揮はN響にも登場したトゥガン・ソヒエフで、当夜の曲目はシューベルトのロザムンデ序曲、神尾真由子の独奏で、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、そしてベートーヴェンの交響曲
第7番。あの感動的なLSOの後すぐということで、比較という意味でも興味のある演奏会でしたが、残念ながらLSOの時のような感動はなく、ごく平均的オーケストラという印象でした。6月のNDRのように朦朧となることはありませんでしたが、特段ここに書き留めておきたいということもなく、終わってしまいました。
最初のロザムンデはドラマティックな曲で、よくアンコールでも演奏されます。まずは調和のとれたハーモニーで安心して聞いていられる心地よさ。弦と管とのバランスも申し分なく、シューベルの優しさというよりも、劇音楽の序曲らしい、物語の始まりを予感させるような演奏でした。やや慎重な音運びだったものの、このまま全曲やってくれるといいなと思わせる出来でしたが、最初の曲だからということでしょうか、拍手もすぐ止み、神尾真由子の登場待ちといった感じでした。
そのメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト、あまりに有名過ぎて、またかという感じです。神尾真由子のヴァイオリンでちょっと意外だったのは、ヴァイオリンの音色がさほどきれいではないこと。このところ、とても音色のきれいなヴァイオリンを聞く機会が多かったためかもしれませんが、それにしてもあの美しい旋律にあふれたメンデルスゾーンにしては意外でした。ただ、これまたLSOとペライアの飛び切りきれいな音を聞いた後ということも多分にありそうです。その代わりというと語弊がありますが、とても細部にまで神経の行き届いた演奏で、漫然と弾いているフレーズは一つもないという感じでした。ただ、言い換えればちょっと疲れる演奏。ただ美しいだけの音楽にしたくないという、演奏者の気持ちの表れということかも知れませんが、聞いている側にそういう印象を与えてしまったのは不本意だったのかもしれません。そういう意味では、トゥガン・ソヒエフも同じで、2013年の11月にN響と諏訪内晶子のヴァイオリンを聞いていますが、この時も似たような感想を書いています。これまたLSO、ハイティンクを引き合いに出して申し訳ないのですが、そういう「試み」が表に出ず、肩の力が抜けた音楽ができるようになったら本物、ということなのでしょう。
最後のベートーヴェン、現代的な内声部が透けて見える演奏というより、古典的な力感にあふれた演奏。当夜は1階の中央右寄りという、かなり良い席でしたが、各パートはあんまり聞こえてこなくて、やや固まった音という印象でした。しかしその一体感こそが、トゥガン・ソヒエフのベートーヴェン像ということなのでしょう。オーケストラの力量を発揮させる能力については、N響の時も強く印象付けられたと書いていますが、今回は音楽監督を務めるベルリン・ドイツ交響楽団を引き連れての公演。その目指す演奏スタイルはより強く表出されているはずです。一方で、その音楽にのめり込むのではなく、どこか冷静なところがあるのは現代の若い指揮者に共通の特質で、それが冒頭述べた、記録しておきたいと強く感じることがなかった今回の公演の印象につながっているのかもしれません。(2015年10月)
今年は10月に聞いたロンドンフィルの印象が強烈で、そんな体験を再び味わえることを期待しつつ臨んだ演奏会でしたが、このラハティ交響楽団、素晴らしい音と音楽に出会えました。ラハティ交響楽団は1910年設立という、ヨーロッパでは比較的歴史の新しい楽団ですが、世界的に知られるようになったのは割と最近なのではないかと思います。そういう私も、ラハティ交響楽団についてはフィンランドの、それもシベリウスを得意にしている楽団というくらいの知識しかしかないのですが、今回の来日公演はシベリウスの交響曲サイクルということで行ってみました。
このシリーズは11月26日、27日、29日と、わずか1日の休みを挟んで、全7曲の交響曲と、ヴァイオリン協奏曲を演奏するという、演奏者はもとより、聞く方も忙しいチクルスです。会場は東京オペラシティで、5月のアンスネスのベートーヴェン以来、今年は2回目となります。私が参加したのは、やはりヴァイオリン協奏曲は外せないということで選んだ2日目ですが、交響曲は3番と4番です。結果的には、全部聞いてみたかったと後悔することになりましたが、一晩でもそのレベルの高さは十分に理解でき、シベリウスを堪能できました。
当夜の指揮はオッコ・カム。この人は2011年にラハティ交響楽団の首席指揮者に就任したそうですが、ラハティといえば、やはり1988年に主席指揮者となったオスモ・ヴァンスカでしょう。当日のパンフレットによれば、ヴァンスカは海外公演を課題の一つにしていたとのことで、ラハティ交響楽団を北欧のローカル・オーケストラから世界的に知られる楽団に育て上げた功績は大きいと思います。そういえば、つい最近オーディオのページで取り上げた、このラハティ交響楽団のシベリウスのCDもオスモ・ヴァンスカの指揮でした。
当夜のオーケストラ配置はオーソドックスな左側から第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ビオラ、右側にチェロ、その奥にコントラバスという並びですが、いつもと違うのはトランペットとトロンボーンがやや後方にいて、その前が空いていること。これは演奏してすぐ分かりましたが、金管群が相当な音圧で、すぐ前に座っていたら耐えられないのではないかということ。そういえば、ロンドンフィルの新聞評で金管群が離れ小島のように配置されていたというくだりがありました。当夜はバランスよりも、楽員保護?のためのように思いましたが、そういうことは抜きにしても、オーケストラの音のバランスがとても良く保たれていて、しかも音が厚い。フルオーケストラですから、それは当然なのですが、いわゆる分厚い音ではありません。内声部がよく聞き取れるためでしょうか、むしろ軽い音に感じるのですが、全体としては分厚く感じる、なんとも絶妙なバランスでした。そういう意味では、3番はオーケストラの力感を強く感じさせる曲ですが、最後の4番は室内楽的雰囲気の曲で、4番の方がこのオケの特色が良く発揮されたと思います。それにしてもシベリウスの曲というのはもっと楽しい、映画音楽のような雰囲気というイメージがありましたが、当夜は全く異なり、そういうった抒情的な印象よりも、より深く沈んだ、思索的な音楽という感じです。そういえば先に引用したオスモ・ヴァンスカのCDもやたら暗かったことを思い出しましたが、それがシベリウスの音楽ということなのでしょうか。これが1番とか2番とかであれば、もっと華やかな音楽をやるのかもしれませんが、そういう比較という意味でも、他の日もちょっと聞いてみたかったところです。もっとも、当夜の3番もどちらかといえば軽快な曲ですが、決して浮足立つような音楽ではなく、やはり落ち着いた大人の音楽という印象が強かったので、これは曲の特徴というより、オッコ・カムの目指すシベリウスということなのでしょう。
ヴァイオリンはペッテリ・イーヴォネンという、これまたフィンランド出身の人。この人、まったく予備知識はありませんが、これまた素晴らしいヴァイオリンを聞かせてくれました。過度に感情的になることなく、それでいて十分に美しい音色で、この曲を楽しませてくれました。先月の神尾真由子のヴァイオリンが期待外れだったことも影響しているのかもしれませんが、それにしても早いパッセージでも弓が弦に当たる音はまったく聞こえず、その美音が維持されるというのは相当なテクニックの持ち主と思います。
オッコ・カムの指揮も淡々としているようで、要所は絞めるという感じの演奏で、そういった点では特にシベリウスに限る話ではなく、他の作曲家も同様の姿勢なのでしょう。とは言え、シベリウスならではの、あたかも北欧の長い冬を思わせるような奥深い音楽は非常に精神的なもので、これがシベリウスの音楽の本質なのかはわかりませんが、彼らならではのシベリウス像を強く打ち出している姿勢には大いに共感できます。そういう姿勢は、日本のオケに限りませんが、いわば無国籍的にどんな音楽でも器用にこなすオケとは対照的で、それゆえ、こういったシベリウスチクルスが世界中で人気を博する所以であると、実感させられた演奏会でした。
ところでこの演奏会、これだけのレベルの演奏でも1回券で8,000円という安さです。3回分全部聞いても18,000円と、通常の来日オケ並みの値段です。もちろん有名オケにはそれなりの良さがあるのでしょうが、いつものことながら、ただ有名というだけで高い入場料をとる興行にはうんざりです。(2015年11月)
この海外オーケストラの来日公演シリーズも今年は6回目。むろん国内オケの定期公演の頻度には及びませんが、このスタイルもほぼ定着してきたところです。とは言え、毎回チケットを購入するのはやはり面倒で、最近はチケットぴあのサイトで来日オーケストラを定期的にチェックして選ぶことが多くなりました。
さて、今年度最後の公演は、”日本クラシック界に激震走る”という、物々しいキャッチフレーズで売り出した、ダニエル・バレンボイム指揮、シュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー交響曲チクルス。全曲となれば、毎日やっても9日間はかかる計算で、実際、公演期間は2/9〜2/20と長丁場です。これだけの期間フルオーケストラメンバーが滞在するとなれば、その招へいにいったい幾らかかるのかと、余計なことを考えてしまいます。ただ、入場料はその割にリーズナブルで、A席で25,000円。個人的に設定している上限の2万円を超えますが、5千円の超過なら、まあ良かろうと奮発しました。結果的には、十分ペイする質の高い演奏でしたが、何故かあまり気持ちが乗らなかったのも事実です。
このシリーズ、もう一つの売りはバレンボイムの弾き振りで、モーツアルトのピアノ協奏曲と組みあわあせていること。当夜はシリーズ最終日で、モーツアルトのピアノ競争曲第23番と、ブルックナーの交響曲第9番という組み合わせでした。
ところで、この公演の提供は東芝。恐らく不正会計が発覚する前に決めた公演なのでしょうが、5500億もの赤字を発表した直後にこの公演を開催することになったためでしょうか、TDK主催のゲルギエフの時と違って、接待の雰囲気はまったくありませんでした。
最初のモーツアルト、まず感じるのは軽快な雰囲気とは程遠い、かといって重厚でもなく、落ち着いた響き。それがピアノが加わると、この曲へのアプローチがよりはっきりとしてきて、いわゆるモーツアルトらしい、球をころがすような音階ではなく、和声の進行に音階が乗っているという感じです。それを象徴するのがペダルの多用で、音が分離せず、ひと塊りの音節として響いてきます。振り返ってみれば、バレンボイムのCDで聞いているのはワグナーばかりで、ピアノはほとんど聞いたことがありません。モーツアルトの特徴である音階よりも、和声を重視するスタイルはベートーヴェンに近いのですが、もちろん音楽そのものが違うので、力強さはあっても重厚さが皆無なのは当然です。アンコールにモーツアルトのソナタを2曲弾いてくれましたが、ピアノコンチェルト同様、いかにも弾き込んだという感じの、ノリのよい演奏でした。
その点、ブルックナーは圧巻。モーツアルトでも印象付けられた響きの厚みがここでは最大限に発揮され、これぞブルックナーの響きという感じです。低重心の響きといえば、同じシュターツカペレでも馴染んでいるのはドレスデンの方。シュターツカペレ・ドレスデンはどのCDでも重厚な響きが感じられて、それに比べて、ベルリンは軽いと思ったのは間違いでした。オケの配置は右側に第2ヴァイオリン、左の第1ヴァイオリンの奥にコントラバスが来るスタイルで、これは一週間前に聞いたN響と同じ。違うのはホルンがよくある、左側の奥ではなく、右側の第2ヴァイオリンの後方に位置していること。このうち、後方の4本はワグナーチューバに持ち替えるのですが、そのホルンの左手にトロンボーン、トランペットと並ぶ、つまり木管楽器の後方にトランペットがくるという、あんまり見かけない配置です。いかにもブルックナーらしく、これらの金管楽器が華々しくその存在を示すのですが、国内オケとの大きな違いは決して浮かないこと。これだけの音圧で弦とのバランスをとるのは至難の業と思いますが、弦がそれだけ力強く、分厚いということでしょうか。
このところ、細かいパーツを積み重ねて全体を構成していくといったアプローチが多かったのですが、このオケは逆で、まず全体構成のイメージがあって、それに向けて音を重ねていくという作業。もっとも、N響の場合のように、年に1度程度の音合わせで作り上げるのとは違い、こちらは手兵のオーケストラで、個々の技量を知り尽くしているからこそ出来ること。アプローチの違いというより、そういう過程はすでに出来ていて、さらに自分たちの目指す音楽を作り上げていうということではないでしょうか。ただ、最初に書いたように、いろいろと考えさせられることはあっても、個人的に好きなブルックナーでこれだけ優れた演奏を聴いても、あまり感動しなかったのは、やはりその時の気持ちのあり方の影響が大きいということでしょうか。(2016年2月)
公演日は違いますが、ブルックナーの金管群の響きに関して、同じことを書いています。実はこの記事、公演日の5日前の月曜の夕刊ですが、自分の印象との比較が楽しみで、これを書くまで読まずにおきました。