サントリーホールのN響定期公演のメンバーとなった経緯はコンサートのページに書きましたが、最悪だったNHKホールとの違いはどの程度なのだろうかと思いつつ、2009年9月の定期演奏会に行ってきました。場所は二階席の最上部に近いところで、従来の都響の時は1階席でしたので、当然のことながら音圧はかなり違い、フルオーケストラの迫力と言う点では今ひとつです。しかし、響きの豊かさではNHKホールとは雲泥の差があり、ほぼ同じ入場料でこの違いは許容限度をはるかに超えたものがあります。当日の指揮者はクリストファー・ホグウッドで、古楽器アンサンブルで有名な方ですが、もちろん生で聞くのは初めて。N響ですから、古楽器相手の演奏とは当然違いますが、ベートーヴェンのピアノコンチェルト4番で、ピアノがオーケストラの前ではなく、オーケストラの中に配置され、ピアニストが指揮者に向き合う形で演奏していたのは初めての経験でした。確かにこの配置だと、視覚的にもピアノがオーケストラの一員という感じですが、演奏もまさにそのことを実感させるもので、ピアニスト、クリスティアン・ベザイディンオートの性格か、フォルテよりも弱音が美しく溶け合う印象でした。あとでピアニストの経歴を読んだら、フォルテピアノが専門だそうで、なるほどと納得してしまいました。シンフォニー7番はフルオーケストラの醍醐味が十分感じられる演奏でしたが、楽章の切れ目がなく演奏されたあたりは現代のオーケストラ演奏とは異なる、音楽全体の流れをより重視した演奏と感じました。(2009年9月)
N響の10月定期公演はアンドレ・プレビンの登場です。アンドレ・プレビンはよく知られた指揮者、かつ作曲家ですが、R.シュトラウスの管弦楽曲くらいしか手持ちのCDがなく、今回初めて聞くといってもよい位の予備知識しかありません。まず指揮台までの歩き方がかなりゆっくりで、脚が不自由なせいもあるのでしょうが、かなりの歳にみえました。たしかあの有名なヴァイオリニストであるアン・ゾフィー・ムターの旦那さんだったはずで、随分と若い奥さんをもらったものだと余計なことを思ってしまいました。
曲目はモーツアルトの交響曲、38番、39番、40番という、定期公演ならではのもので、通常のオーケストラ公演ではまずない組み合わせでしょう。アンドレ・プレビンの演奏ですが、38番から始まったものの、一言で言うと眠気を誘うような演奏で、テンポは比較的ゆっくりで、穏やかな印象で、いわゆるフルオーケストラの迫力というものがまったく感じられません。この要因はなんといってもオケの構成が小規模であること。これが指定の楽器編成なのかもしれませんが、サントリーホールといえども二階の上の方では明らかに音量が足りず、むしろ芸術劇場の方がよいのではと思った次第。さらに言えば、N響のような近代オーケストラではなく、古楽器オーケストラの方がきびきびした張りのある音楽になるのではないかと、いささか欲求不満になりました。
しかし、次の39番から、はっと気づいたのはアンサンブルの美しさ。そう、プレビンの意図したモーツアルトはフルオーケストラの迫力ではなく、いろんな楽器が織り成すハーモニーにあるわけで、それに気づくと、確かに各楽器が混濁せず、それぞれが存在感を示しつつ、しかも全体としてなんとも心地よい音の流れを作っていることが聴き取れます。この印象は、4楽章とかの早い曲ほど際立ってきて、最後の40番はまさに極上の音楽でした。
オーケストラというと、つい終楽章に向かった高揚感を期待しがちですが、そうではなくチャンバーオーケストラのような規模では室内楽の延長としてのハーモニーを、より多くの楽器で作り上げていく楽しさがあるわけで、これは生の演奏に接して初めて実感したことです。もちろんオーディオでも管楽器と弦楽器のやり取りなど、そういうところは感じられますが、このような指揮者の意図するところを感じ取るのは演奏会でないと困難です。たとえば音量ですが、これがCDであればおそらく通常のレベルまで音量をあげて聴くでしょう。そうなれば、指揮者の意図した音量の再現はできなくなりますし、音楽の印象も異なってきます。ここにオーディオの限界、いや更なる改善の余地があるわけで、そういうことに気づかされたという意味でも今回の演奏会は大きな収穫でした。(2009年10月)
今回もベートーヴェンの交響曲でしたが、これは良かった。演奏会評を書くほどの見識は持ち合わせておりませんので、良かったというしかないのですが、それでは読んでくださる人には何も伝わりませんし、自分で読み返しても何が良かったのかわからなくなるので、もう少し詳しく書いておきます。
指揮者のネルロ・サンティはイタリア出身で、イタリアオペラの権威というべき存在だそうですが、CDは持っていないし、来日するオペラはイタリアに限らず、どれも非常に高価でまず行けませんので、知らなくても仕方ないでしょう。とても体格の良い人ですが、失礼ながらいささか自分の身を持て余しているような感じでした。曲目はベートーヴェンの交響曲第4番と第6番。冒頭のフィデリオ序曲はオペラを得意とするこの指揮者らしい選曲です。
まずは先月欲求不満だった音圧レベルがこれ以上ないと思われるくらい適度で、シンフォニーらしい豊かな響きが二階席でも十分堪能できたこと。こういう音を聴くと、どんなにオーディオにつぎ込んでも生にはかなわないという気がします。この人のベートーヴェンの良さはまずそのテンポで、早すぎず遅すぎず、実にリズミカルで心地よいもの。もちろんべートーヴェン特有のリズムを刻むというか、いわゆる「ため」も十分で、これぞベートーヴェンという感じです。イタリアの指揮者しかもオペラが得意ということで、もっと劇的な演奏かと思いきや、極めてオーソドックスで、正統的なものでした。しかも正確なリズム感のなかで、終楽章に向けて突進するのではなく、各フレーズが浮き立つような美しさがあり、これが聴く人の感性に働きかけるようで、4番で言えば、第二楽章とか第三楽章が実に楽しい。これはやはりオペラを得意とするこの指揮者ならではのものと思いました。
最近のベートーヴェンの演奏は随分とヴァラエティに富んでおり、かつてのドイツ正統派といった重々しいベートーヴェンよりも、もっと軽やかな演奏が好まれるようです。例えばパーヴォ・ヤルビとドイツカンマーフィル・ブレーメンのベートーヴェンはその典型でしょう。こういった演奏はいかにも現代的で新鮮かつ洗練された印象を与えるので、今日の曲目でいうと、6番にはうまくはまるのですが、4番などは私には軽すぎて物足りません。
サンティのベートーヴェンに戻ると、正統的でありながら軽快さというか、音楽の楽しさを教えてくれる演奏といえば良いでしょうか、特に4番が印象に残りました。比較的古典的な作りの4番でこれだけの演奏をするのだから、最後の曲目である6番はどんなに良かろうと期待しました。もちろん悪いはずはありませんが、4番よりもっと虚飾のない正統的な演奏と言う感じでした。とはいえ、雷とあらしでの高揚感などはすばらしいものでしたので、いささか期待し過ぎたところもあったかと思います。(2009年11月)
12月はシャルル・デュトワの登場です。シャルル・デュトワは1996年から常任指揮者、1998から2003年まで音楽監督を務めた人で、N響を良く知る指揮者の一人です。今回の曲目はラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌと左手のためのピアノ協奏曲、およびショスタコービッチの交響曲第11番。シャルル・デュトワといえば、プロコフィエフのロミオとジュリエットを思い出しますが、ロシア物とフランス物を得意とする指揮者として知られており、本人もそれは認めているらしい。そういった背景と、名前からてっきりフランス人かと思いきや、スイスはローザンヌの出身とのこと。もっともフランス語圏ですから、文化もフランスに近いのでしょう。手持ちのCDはロミオとジュリエットと、アルゲリッチのピアノのショパンのピアノコンチェルト。このショパンはお気に入りで、ちなみに有名なツィメルマンとポーランド祝祭管弦楽団のCDは二度と聴く気がしません。まあ好みの問題なんでしょうが、こういう演奏をほめる評論家がいるのというのも理解できません。
さて、コンサートに戻って、シャルル・デュトワはどちらかと言うとじっくり聞かせるというより、派手な演出のイメージがありますが、指揮ぶりもそんな印象を与えるものでした。一方で、10月、11月とご老体という感じの指揮者が続いたので、颯爽と現れ、エネルギッシュな指揮振りを見るもの悪くありません。最初の曲はもともとおとなしいので、特に見せ場もなく淡々とした感じ。次の左手のためのピアノ協奏曲は、古典派の協奏曲のイメージとは大きく異なり、オーケストラの規模が大編成で、スネアドラム、シンバル、大太鼓、ハープなどが勢ぞろいで、ピアノ付き管弦楽曲という感じです。この曲になるとデュトワも本領発揮という感じで、リズム感、ダイナミックなうねりなど、ラヴェルの音楽の持つ聴き栄えのする特質と良くマッチしています。個人的には決して好きな作曲家ではありませんが、美しいメロディーと派手な音作りは、オーケストラの楽しさを堪能することができます
ショスタコービッチの11番 OP.103は「1905年」というタイトルがついた曲で、演奏する方も聴く方もまさに体力勝負といった感じの曲です。後期の交響曲には、第13番、14番などおよそ楽しめない曲もあるのですが、この11番は親しみ易いメローディーがふんだんに出てきます。ただ、他の曲も同様の傾向があるのですが、しつこいほど強奏される部分が頭にこびりついて、しばらく鳴り続けるような錯覚に陥ります。このあたりは音楽で鼓舞するという当時の世相もあるのでしょうか。第2楽章のクライマックス部分はどのオケでも盛り上がりますが、N響の特徴は弦の力強さと粘りにあります。一般に日本のオケの特徴はきれいな音なのですが、粘りや力強さに欠け、こういった曲ではクライマックスのみが浮き上がった感じになりがちですが、その点、N響は厚い響きの上にこのフォルテッシモがあるので、安定感のある力強い音楽になると感じました。もちろんこれはデュトワの指導によるところも大きいでしょう。
この曲で、もう一つの特徴は第3楽章の冒頭がビオラで主旋律が弾かれることです。ビオラは落ち着いた良い響きを奏でる楽器ですが、どうもオケではヴァイオリンやチェロに埋もれがちで、よほど注意して聴かないとその存在を忘れますが、ここではたっぷり楽しめます。このことと関係あるのかどうかわかりませんが、チェロとビオラの配置が通常と逆、すなわちチェロが最右翼で、その左にビオラが配置されていました。何度も聴いてみたいと思う曲ではありませんが、オーケストラの醍醐味を堪能した演奏会でした。(2009年12月)
1月は広上淳一の指揮で、当日のプログラムによれば4年ぶりの登場とのこと。CDはもとより、他のオケでも聴いたことがなく、今回初めて聴く指揮者です。曲目は武満徹の三つの映画音楽、ベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルト、それとプロコフィエフの交響曲第7番。武満の3曲は初めて聴く曲ですが、映画音楽らしく、美しくかつ軽やかな雰囲気の曲が続きます。もっとも二番目の曲は葬送の音楽という名のとおり、暗いイメージで、弦楽合奏がその雰囲気をより強めているようでした。こういう音楽を聴くと、クラシックといっても、シベリウスやニールセンの交響曲などは映画音楽としても通用する曲想で、音楽の本質はどんなジャンルでも変わらないということを改めて感じます。
二番目のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は予定ヴァイオリニストのヴィヴィアン・ハーグナーが急病で来日できなくなったため、掘米ゆず子がピンチヒッターを務めました。今月の演奏会は体調不良でこの曲あたりで朦朧としてしまい、実はよく聴いておりません。決して退屈な演奏ではなかったし、美しいヴァイオリンの音が聴けたものの、いつになく第一楽章がとても長く感じられ、堀米さんには申し訳ないと思いつつも、睡魔に襲われてしまいました。
広上淳一の指揮は見ていてとても面白く、まさに全身音楽そのものといった感じの演奏です。この人の音楽は飛び跳ねたり、うねるようなフレーズがすばらしく、実に躍動感のある音楽を奏でます。その特徴が最も発揮されたのが、武満の最後の曲、ワルツ(これは他人の顔の音楽)とプロコフィエフで、特にプロコフィエフは楽しめました。ベートーヴェンも悪くなかったのですが、他の曲に比べると印象が薄く、これはうとうとしていたせいだけでもなさそうです。個人的に良く聴く指揮者ではヘレヴェッヘに似ているでしょうか、音楽が縦よりも、横に流れていくというと妙ですが、音楽の深みを追求するというより、とにかく音の流れがスムースで思わず乗せられてしまうといった印象です。もっとも、当日拍手が多かったのはプロコフィエフではなく、ベートーヴェンの方で、これは代役の掘米ゆず子への賛辞、というより同情票が多かったのではないかと想像します。(2010年1月)
今月はセミョーン・ビシュコフの指揮で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、チャイコフスキーの交響曲第4番のロシア物の組み合わせ。N響のパンフレットによれば、ビシュコフはサント・ペテルブルク出身で、その後米国の市民権を得たそうですが、そういった生い立ちからか、やはりロシア物を得意にしているらしい。
ラフマニノフの2番と言えば、知らない人はいないくらい有名な曲ですが、意外と生で聴いた人は少ないのではないかと思います。先月は武満徹の映画音楽でしたが、このラフマニノフも実際、映画に使われたようですが、まさに映画音楽といっても良いくらい甘美なメロディーと聴き栄えのする音楽です。ところが、アレクセイ・ヴォロディン(彼もまたサンクト・ペテルブルク出身)のピアノによるラフマニノフは、これが予想していた甘美な調べというより、シンフォニックな音楽としての印象が強く残る演奏でした。決して流麗でないとか洗練さが足りないというのではないのですが、より音楽の持つ強さ、たくましさが感じられる演奏でした。そのあたりの感じは、ヨーロッパ的というのではなく、さりとてロシアの民族的な音楽というのでもなく、より音楽の本質に迫った演奏といえばよいでしょうか。ピアニストのヴォロディンの演奏もはったりや、思わせぶりのない真摯なもので、そのことも好印象につながるものと思われます。
チャイコフスキーの4番はラフマニノフより、もっとロシア的というか、泥臭いイメージなのですが、あのサントリーホールが音で埋まるくらいの大音響でした。ビシュコフはここでも力強さでぐいぐい押していく演奏なのですが、さすがのN響もオーケストラの底力を感じさせるところまでには至らず、いささか力不足と感じました。2008年にNHKホールで、ユーリ・テミルカノフの指揮、サントペテルブルク・フィルハーモニーで、チャイコフスキーの5番を聴いたことがありますが、この時の演奏は今でも印象に強く残っており、弦がまるで一つの生き物のようにうなり、躍動する感じでした。こういった演奏はやはり常任指揮者で、日頃から音作りを続けていないとできないことでしょう。ビシュコフはN響に初登場ですので、無理からぬところかもしれません。大変な熱演でしたが、日本のオケの限界を感じたことも事実です。(2010年2月)
今月の演奏は間違いなく、今までで最高の出来でした。私の好きなブロムシュテットの指揮、しかもブルックナーの5番とくれば、悪いはずがないと思いつつも、期待以上の演奏会でした。真っ先に気づいたのはオーケストラの配置で、一昔前の第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが両翼に対象に並ぶ配置です。このような配置は録音に向かないと、どこかで聞いた記憶がありますが、それも疑わしいと思えるほど、管楽器や弦楽器の各パートの音がとてもよく響いていました。それと、これはめったに見かけないのですが、スコアなしで指揮していたことも驚きです。暗譜するだけ回数を重ねたということでしょうが、それでも各パートが全部頭に入っていなければできないことで、ピアノの楽譜さえ暗譜できない者にとっては人間業とは思えません。
ブルックナーといえば、音が波のように寄せてくるうねりがその音楽の真骨頂です。先月感じた指揮者が先走りするような印象はまったくなく、長年の積み重ねによるオケと指揮者との一体感が感じられました。たとえば、フォルテでも決して鋭くならず、しかも十分な音量で深々とした響きを引き出すところなど、にわか仕立てでは決してできないことです。ブルックナーのシンフォニーで、リズム感というのはあまり感じないのですが、4楽章ではそのリズム感がとても感じられ、新鮮な印象でした。この5番は1時間を優に超える長大な作品ですが、それを長いと感じさせないのはすごいことです。まあ聴いている方も再就職できて、気分が良かったのもあるでしょうけど。
ブルックナーのシンフォニーの特徴は管楽器の活躍ですが、フルート、オーボエ、クラリネット、バズーン、ホルンなどがそれぞれの存在を誇示していて、しかも浮き上がることなく調和していました。これは個々の演奏家の技量もあるものの、やはり古典的配置の影響もあるように思います。毎年演奏会の人気投票をしているようですが、今夜は間違いなくトップクラスを占めるでしょう。アンコールがないことを知っていても、拍手が鳴りやまなかったことがそれを証明しています。(2010年4月)
今月は贅沢な演奏会という言葉がぴったりの印象でした。曲目はマーラーの交響曲第6番で、指揮はアシュケナージ。5〜6年前まではどこの楽団もマーラーをよく演奏曲目に取り上げていましたが、最近はブームが去ったというほどではないにしても、さほど多いとは思えません。もっとも、オーディオの分野では依然としてマーラーの人気は高いようで、ジンマンやギルゲエフなど、相変わらず全集物が発売されています。
さて贅沢な演奏会の意味ですが、まずなんと言っても演奏者や楽器の数と種類が多いことで、金管はほとんんど4本構成、ティンパニーも2セット、ハープも2台、そしてカウベルに、有名なハンマーなど、打楽器の種類の多さはあきれるくらいです。そんな大規模編成にもかかわらず、非常に統制のとれた演奏で、4月の演奏会と同様、トゥッティでも余裕のある響きが聴けました。さりとて、感動的だったかと問われると、必ずしもそうは言えないというのが事実で、マーラーの音楽自体がそれほど好きではないということかもしれません。
アシュケナージとN響との付き合いは長く、CDも多く出しており、今夜の演奏も信頼感のある好ましいものでした。その演奏ははったりのない、誠実な音楽であり、それゆえに心地よく楽しめる一方で、均整がとれた姿は美しいけれども、必ずしもエキサイティングな感動をもたらすものではないということに通じるようです。これまた贅沢な感想かもしれませんが、N響に限らず、日本の演奏家によくみられる生真面目さが、アシュケナージという指揮者を得て、より強調されてしまうのではないかと思いました。
ちょっと意外だったのは、2楽章と3楽章が通常の順とは異なり、アンダンテ・モデラートが先で、その後にスケルツォが演奏されたことです。この順はまったく違和感が無く、むしろ1楽章の後にアンダンテが来るほうがしっくりきます。解説によればマーラー自身の結論が証明されておらず、両方の解釈があるそうで、実際両方ともに演奏されているようです。
先月は残念ながら出張と重なり、聞き逃してしまいましたが、昨年の9月から始まった定期公演も今月で終了です。丸1年ではないものの、次は9月からの新シーズンで、この記録も無事節目を迎えました。まったくの素人でも、いざ書きはじめればそれなりに書いておきたいことはあるものだと我ながら思いますが、根気よく読んで下さった方々には心から感謝申し上げます。この記録は来シーズンも続けますが、再就職して時間の余裕がなくなったこともあり、今年のようには行かないかもしれません。(2010年6月)