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2023-2024 N響定期公演

2023年9月20日 第1991回 定期公演

 毎年、N響のサントリーホールの座席は、前シーズンの公演が終了する6月の翌月、すなわち7月に更新となります。会員の席替えは新規より早く確保できるとはいえ、新しい席を確保した後に、元の席をキャンセルするルールのため、新しく選択できる席は極めて限られ、必ずしも前より良い席になるとは限りません。このやり方ですと、良い席が確保できない場合は、元のままにすることができるメリットはありますが、席替えの前に元の席を手放すルールにした方が、より多くの席から選べて良いのではないかと思います。いろんな席で聞いてみたいという願望は、音に関心が高いオーディオマニアは特にそうですが、音楽マニアも同じではないでしょうか。前シーズンは12列、11番でかなり前方でしたので、今シーズンは少し後方の16列あたりを狙ったのですが、確保できたのは19列、29番でした。昨シーズンと比べわずか7列の違いですが、大分ステージから遠く感じます。ただ、29番は右ブロックの通路から2席めですので、視覚的にはかなり中央に近づいた感じがします。
 そんな経緯を経て、今シーズンの最初の定期公演に行ってきました。例年、9月はファビオ・ルイージですが、今期はスケジュールの関係でしょうか、AとCプログラムのみルイージで、Bプロはトン・コープマンとなりました。バッハのカンタータで日頃馴染んでいる指揮者ですが、今回はオール・モーツアルト・プログラムでした。前半は交響曲 第29番とフルート協奏曲 第2番、後半は交響曲 第39番という組み合わせ。見慣れたN響の構成からみると、こじんまりした印象ですが、古楽器の響きとは違うものの、コープマンらしい切れの良い演奏でした。このコープマン、とても親しみ易い人柄のようで、客席に向かってちょこちょこと頭を下げていたのが、ほほえましく感じました。フルートはN響の主席フルート奏者の神田寛明。このフルートの聞こえ方が、後方の席の特徴を象徴していると思いますが、指でキーを抑える音などはまったく聞こえず、美しい楽音だけが聞こえてきます。それはフルートに限らず、オーケストラも同様で、特定の楽器が良く聞こえるといった、前の席にありがちな現象はなく、まるでオーディオで聞いているかのようなまとまりの良い響きが聞けます。悪く言えば、心地良すぎて、物足りない感じがしますが、その辺りは今後、ブルックナーなど、大編成のオーケストラを聞いてみないと本当のところは分かりません。そんなわけで、最後の39番も、前半の2曲に比べると、はるかにシンフォニーらしい、聞き応えがある演奏だったとはいえ、感動的なシーンはなく、心地よいモーツアルトを聞いたという印象で終わってしまいました。(2023年9月)

2023年10月25日 第1994回 定期公演

 10月の定期公演は毎年ブロムシュテットの登場で、今年もその予定でしたが、直前にキャンセルされました。医師のアドバイスで渡航は見合わせとのことですが、本人のメッセージでは"due to an infection"とあり、コロナかインフルなどの感染症にかかったようです。なお、日本語版ではその部分は訳されていないのは、何に感染したのか不明だからでしょうか。それでも、96歳という高齢を考えれば、信じられないほど元気です。渡航不可が決まったのは直前だったせいか、代わりの指揮者との調整もできなかったようで、10/14、15のAプログラムは中止となりました。その後、BとCプログラムは、それぞれ高関 健と尾高忠明が代行となり、こちらは予定通り開催されました。
 という経緯で、10/25、26のBプログラムは、指揮者はブロムシュテットから尾高忠明に代わりましたが、曲目は変わらず、ベートーヴェンのピアノ協奏曲 第5番と、ブラームスの交響曲 第3番という組み合わせ。ピアノ独奏は予定通りレイフ・オヴェ・アンスネスで、アンスネスのピアノが聴ければ指揮者が代わっても文句はありません。そのアンスネスのピアノは期待通りで、力強さと優しさ、輝かしさと憂鬱さを備えた見事な演奏でした。精神的な面に向かいがちなベートーヴェンで、これだけ多彩な音色を感じさせるピアノは聞いたことがありません。ブロムシュテットの指揮だとどうだったのか、想像の域を出ませんが、アンスネスのピアノ自体には違いがないのではと思われます。時々オーディオの試聴に使う、内田光子がザンデルリンクと録音した第5番は、アマティで聴くと出だしがハイ寄りで、そのあたりがどう聞こえるかも関心事でしたが、このCD、音質はもとよりバランスも良くないようです。
 休憩をはさんで、最後のブラームスは悪くなかったのですが、眠気に襲われてしまいました。演奏会であまり感動しないのはこの日の演奏に限りませんが、尾高の指揮はとても端正でしなやか。その点でもブラームスの音楽に合っていて、代役という感じはまったくありません。ただ、ブロムシュテットとどう違うかと聞かれても分かりません。CDだとすぐ比較できるのですが、演奏会はそうは行きません。比較する必要もないのが演奏会の良さである一方、当夜のブラームスについてコメントできない状態で終わったのは気になるところです。(2023年10月)

2023年11月15日 第1996回 定期公演

 今シーズンは、といってもまだ3回目ですが、感動するような演奏に出会うことはなく、演奏会通いもそろそろ考えるべき時期かと思っていた矢先、11月の定期公演は久々に感動的な演奏会でした。11月に登場したのはユッカ・ペッカ・サラステで、フィンランド出身の指揮者です。パンフレットによると、2020年のN響定期公演で指揮する予定が、コロナ禍で今回になったとのことです。プログラムはシベリウスの交響詩「タピオラ」とストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲、休憩を挟んで、シベリウスの交響曲 第1番。なお、ヴァイオリンの独奏は、ペッカ・クーシストという、同じくフィンランド出身の人で、指揮もやるらしい。冒頭のタピオラから、シベリウスらしい、寒い日の澄み切った空気のような音が聞こえてきて、いつものN響らしい重みのある音とは違います。その要因はフレーズの抑揚の付け方にあるようで、メロディーが自然に湧き上がってくるような印象です。更に間の取り方が良くて、初めて聞く曲ですが、音楽の流れに思わずのせられてしまうような印象でした。
 ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲も初めて聞く曲ですが、ヴァイオリンと管楽器とのやり取りなど、ちょっと室内楽的な趣のある曲です。その理由は、ストラヴィンスキーらしい前衛的なシーンもありますが、第1楽章がトッカータ、第2楽章と第3楽章がアリア、終章がカプリッチョという名前から予想されるように、古典回帰のところがあるためです。クーシストのヴァイオリンは、曲の性格もあるのでしょう、いわゆる美音を奏でるのではなく、舞曲的なリズム感のある弾き方でした。パンフレットの解説によればジャズもやるそうで、こういった曲は得意なのではないかと思いました。

 最後の交響曲 第1番は当夜のハイライト。もともと聞き映えのする曲で、ともすれば通俗的になりがちですが、サラステはその手前のところで、踏みとどまります。タピオカでも感じたメロデーの扱いが素晴らしく、N響の弦が波のように唸るのはめったにありません。当夜はそれが聞けただけでも満足ですが、フレーズから次のフレーズに移る時の間の取り方が絶妙で、音が途切れても繋がっているように感じられます。それを可能にしているのがリズム感ですが、この指揮者、そういった音楽的要素を備えているだけではなく、それをN響で実現する才能は素晴らしい。N響というオーケストラが一つの個体のような動きをするのはめったにないことで、限られたリハーサルの中でそれを可能にしたのは驚異的です。恐らくそれは、こうあるべきというイメージが固まっているシベリウスだから可能だったことで、他の作品ではそこまで行かないとは思います。ともあれ、こういう感動的な演奏に出会った時は時間がとても短く感じられ、40分弱の作品が15分位で終わった印象でした。先月は尾高忠明のブラームスは何もコメントできない状態で、はたして時間をかけて演奏会に来る意味があるのだろうかとの思いもありましたが、今月のような感動的な演奏に出会うと、逆にまだまだ演奏会通いをしないと分からないことが多いと思ってしまいます。(2023年11月)

2023年12月6日 第1999回 定期公演

 今月はN響の定期公演が記念すべき2000回目を迎えるということで、昨年、その演目についてメンバーを対象にした人気投票があり、マーラーの交響曲 第8番に決まりました。但し、それはAプログラムの話で、年間会員であるBプログラムは、その一つ前、つまり1999回ということになります。大物の公演を控えているものの、A、B、Cプログラムは毎週連続して開催され、全てファビオ・ルイージの指揮ですから、かなりのハードスケジュールで準備に臨んだものと思われます。
 当夜のプログラムは、ハイドンの交響曲 第100番、リストのピアノ協奏曲 第1番、休憩を挟んで、マックス・レーガーのモーツアルトの主題による変奏曲とフーガ。ルイージのハイドンは昨年5月の定期公演で、交響曲 第82番を聞いています。この時は久々に現代オーケストラによるハイドンだったこともあり、重厚な交響曲を聞いているようだと、音楽よりもその響きに注目しています。ルイージも何度もきいていると、この人らしさが分かってくるもので、今回も流麗かつ明快で整ったハイドンを聞かせてくれました。一方で、古楽器の演奏に慣れた耳には、もう少し陰影が感じられるというか、厳しい面も期待したいところです。
 当夜のハイライトは、ソリストにアリス・紗良・オットを迎えた、リストのピアノ協奏曲第1番。多発性硬化症を発症したことを公表したオットですが、当夜はその影響はまったく感じられない見事なピアノでした。この曲、リストらしいダイナミックなところと、甘美な旋律で聞かせる部分とが共存していて、まさに演奏会向けの曲です。ただ、技巧を必要とするところはいかにもリストで、低域では体が斜めになって右足が上がったり、高域はその逆と、演奏スタイルを見ているだけでも、弾きこなすのが大変そうな印象でした。アンコールで話した本人の弁によれば、若い時に取り組んだものの、今回は10年振りに弾いたそうで、それなりに準備して臨んだのではないでしょうか。フルコンサート・ピアノの音色が美しく、10月のアンスネスのピアノよりも、もう少し親しみが感じられるピアノの音色が楽しめました。

 最後のレーガーのモーツアルトの主題により変奏曲とフーガですが、かのピアノソナタK331の第1楽章の主題をモチーフにしています。K331自体も変奏曲ですが、こちらはオーケストラ版ですから、その変奏も変化に富んでいます。ただし、この曲については、途中から眠気に襲われ、個々の変奏を追うことは困難な状態になってしまいました。最近、演奏会では楽しめる曲とそうでない曲と二極化しつつありますが、概して初めて聞く曲については、その曲を理解する以前に、そういう努力を放棄してしまう傾向にあるようです。もしかしたら本当は面白い曲だったということもあるはずで、自業自得とはいえ、機会損失になっているのは残念です。(2023年12月)

2024年1月24日 第2003回 定期公演

 今月はトゥガン・ソヒエフ。人気のある指揮者はA、B、Cの3つのプログラムをこなすだけの滞在時間が取れないようですが、ソヒエフは今月の全ての定期公演に登場します。常任指揮者となれば、当然の務めとは言え、客演の指揮者でも毎年定期的に演奏を続けていけば、オーケストラとの関係もより密になるのではないでしょうか。そういった思いを強く感じた今月の演奏会でしたが、曲目はモーツアルトのヴァイオリンとヴイオラのための協奏交響曲と、ベートーヴェンの交響曲 第3番という超有名な2曲の組み合わせ。楽団の入場で気づいたのはコンサート・マスターが(私が知る限り)初めて登場する藤江扶紀。パンフレットによれば、2018年よりトゥルーズ・キャピトル劇場管弦楽団のコンサート・マスターを務めていて、すでに実績のあるヴァイオリニストのようです。トゥルーズといえば、ソヒエフが音楽監督を務めていましたが、ロシアのウクライナ侵攻で辞任した楽団で、藤江扶紀の登場は、ソヒエフの要請なのかもしれません。
 最初の協奏交響曲ですが、ヴァイオリンは郷古 廉、ヴィオラは村上淳一郎で、共にN響のメンバーです。モーツアルトらしい親しみやすいというか聞き心地の良い曲ですが、ヴァイオリンとオーケストラで奏でられた旋律が転調されて、今度はヴィオラとオーケストラで奏でられるといった具合に、よく聞くとテーマが複雑に展開されているのが分かります。こういったところはCDでは漫然と聞いてしまいがちですが、やはり演奏会では視覚的な要素が働いて、よく理解できます。第2楽章は、ただきれいな曲というだけではなく、悲しみを湛えた曲だったんだと、改めて気づかされる演奏でしたが、この辺りは郷古のヴァイオリンと、村上のヴィオラのやり取りが大きく貢献しています。過度に情緒的にならず、それでいて情感のこもった演奏は感動的でした。
 休憩をはさんで、最後の「英雄」は圧巻でした。ファビオ・ルイージが常任指揮者に就任する前の緻密な演奏姿勢を思わせる指揮ぶりで、「ここはこういう表情で」といった気持ちが見えるよう。一年前の昨年1月に、ソヒエフのダフニスとクロエを聞いていますが、その感想に「N響ではあまり感じられないリズム感が満載」と書いています。今回はベートーヴェンですから、リズム感は当然ながら、深く沈み込みところはもっと深く、浮きあがるところはもっと軽やかに、といった気持ちが伝わってきます。ただ、音楽自体は、いわゆるドイツの伝統的な演奏で、重厚かつ力強く、最近よく耳にする各声部の動きが見通せるような演奏ではありません。とはいえ団子状の音ではなく、整然としていて各部の音の動きは良く聞き取れ、フーガなどもその構造がしっかりと把握できます。ソヒエフの演奏は、昨年のフランス物でもオーケストラの音色を活かすという姿勢を強く感じましたが、今年のべートーヴェンもその点は同じで、「ドイツの伝統」というものを感じたのは、ソヒエフがN響にそういう音を感じ、それを更に深めようとしたからではないでしょうか。年齢的にも経験的にも、ルイージの後を継ぐ常任指揮者として相応しい指揮者と思いました。(2024年1月)

2024年2月14日 第2006回 定期公演

 今月はパブロ・エラス・カサド。人気のある指揮者らしく、Bプログラムだけの登場で、Aプログラムは井上道義、Cプログラムは大植英次という、3つのプログラムが全て異なる指揮者による2月の定期公演です。Cプログラムは2/9と10日に開催されていますので、練習時間を含めても1週間の滞在という、過密スケジュールです。しかしながら、その演奏は短時間で仕上げたとは思えない、よく統制が効いた演奏でした。
 曲目は、ラヴェルのスペイン狂詩曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲 第2番、休憩を挟んで、ファリアのバレエ音楽「三角帽子」という、出身地であるスペインにちなんだもの。ヴァイオリンの独奏はアウグスティン・ハーデリヒというイタリア出身の人で、CDも多く出しているようですが、初めて聞くヴァイオリニストです。曲目も、プロコフィエフ以外はほとんど馴染みのない曲で、コメントするだけの予備知識はないのですが、最初のスペイン狂詩曲はラヴェルらしい色彩感に溢れた曲で楽しめました。先月のソヒエフで、緻密な指揮という印象を受けましたが、その点ではカサドも劣りません。細部まで行き届いた音楽を作るという意図が伝わってくる指揮ぶりですが、同時にリズム感があって、溌溂とした音楽が味わえます。次の、一番親しんでいるはずのプロコフィエフですが、このところのイベント続きで疲れが出たのか、眠気に襲われてしまいました。プロコフィエフらしい、抒情的ながらも都会的センスのある曲で、ヴァイオリンは素晴らしい音色を聞かせてくれていたのに、あまり楽しめなかったのは残念です。
 最後の三角帽子は個人的にはほとんど馴染みのない曲ながら、トラアングル、タムタム、ハープにピアノなど多種の楽器に、ソプラノまで登場する大編成の音楽は迫力満点です。驚異的なのは、これだけの大編成ながら、統制が取れていることで、N響の力量はもちろん、短時間でここまでまとめるカサドは、さすが人気の指揮者だけのことはあります。バレエ音楽ですから、当然ストリーがありますが、生で始めて聞くという環境では、そのストリーを追うことは不可能です。それでも、後半で次々と繰り広げられる「踊り」のリズム感溢れるシーンは快感でした。(2024年1月)

2024年4月24日 第2009回 定期公演

 先月に続いて今月も不本意な演奏会になってしまいました。今期の定期公演は今回を含めてあと3回ですが、回を重ねるとどうしてもマンネリになりやすく、そろそろN響定期も見直すべき時期ということなのでしょう。加えて、来季から会費が値上げとなり、サントリー・ホールのBプログラムは\91,800で、1回分が1万円強と、とんでもない価格になります。更新までまだ3ヶ月ありますが、現時点での状況では他のプログラムに変更するか、あるいは一時期やっていたように、国内、国外のオケをランダムに選んで行くかなど思案中です。
 前置きが長くなりましたが、4月の定期公演はクリストフ・エッシェンバッハの指揮で、オール・シューマンプログラム。歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲、チェロ協奏曲、そして交響曲 第2番。前半の2曲はいずれも始めて聞く曲ですが、シューマンが歌劇を作っていたとは知りませんでした。何でも序曲の方が先に出来たようで、シューマンらしい親しみやすい旋律ですが、エッシェンバッハのクールな演奏スタイルもあって、これから歌劇が始まるという高揚感はありません。チェロ協奏曲のソリストはキアン・ソルターニという、オーストリア生まれのイラン人。やけに長い曲だと思っていたら、3楽章を続けて演奏していたためで、そんなことも気づかないくらい朦朧としていたようで、コメントのしようがありません。休憩を挟んで、交響曲 第2番の方はしっかり聞きましたが、第2楽章までは、この演奏は気合が入っているなと思いつつも、漫然と聞いているだけでした。しかし、第3楽章で管と弦との対話になって、オーボエの音色で俄然目覚めて、ようやく楽しめました。得てして感動しない演奏会というのは良くありますが、今回は完全に聞き手の問題。というのも、この夜のN響は、こちらの状況とは裏腹に、コンマスの姿勢からも、いつもより熱気を感じたからです。エッシェンバッハは近年、カリスマ性を増しているようで、N響メンバーも気が引き締まったという感じの公演でした。(2024年4月)