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2022-2023 N響定期公演

2022年9月22日 第1964回 定期公演

 2022-2023年度はファビオ・ルイージが主席指揮者となって最初のシーズン。ファビオ・ルイージはすでに何度もN響に登場しているとはいえ、やはり主席指揮者という役割は大きいようで、今月のAプログラムではヴェルディのレクイエムを取り合あげるなど、その存在感を実感させるシーズンとなっています。去年はNHKホールが改修で使用できず、代わりにAおよびCプログラムでは東京芸術劇場が使用されました。昨年、休憩なしのコンパクトな公演ということで、CプログラムでN響通いを再開しましたが、今年はNHKホールに戻るということもあり、サントリーホールのBプログラムに変更しました。ただ、Bプログラムは昨年から変わっていませんので、メンバーも固定化されているようで、座席選択の自由度は少なく、Cプログラム時より壁側に寄った座席となりましたが、それでもサントリーホールの良さは十分感じられる音響を楽しむことができました。
 当夜のプログラムはドイツ音楽の王道といった感じのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスの交響曲 第2番。ヴァイオリンの独奏はカナダ出身のジェームズ・エーネス。初めて聴くヴァイオリニストでしたが、とにかく美音の持ち主で、ステージに比較的近い席でも、弦を擦るような音はまったく聞こえて来ず、長身の体格からは予想しにくい、ダイナミックさよりも繊細さが印象に残る演奏でした。そういう奏者の特徴も大いに影響しているのか、ルイージの指揮もしなやかさを感じさせ、これがベートーヴェン?という感じでした。ファビオ・ルイージはこれまでは厳しいというか、精緻な音楽をする人という印象が強かったのですが、当夜はこの曲の持つロマンチックな雰囲気がより強く感じられる演奏でした。ヴァイオリンソナタ第5番の「春」を思わせるところもある一方、ヴァイオリンの能力を極限まで追求したようなフレーズも随所で聞かれ、やはりベートーヴェンの代表作の一つということを実感しました。

 休憩をはさんで、後半のブラームスですが、これもまた肩の力を抜いたような、悠然とした演奏でした。これまでの印象、というほど何度も聴いているわけではありませんが、当夜のルイージはいずれの曲でも、よりリラックスして音楽やアンサンブルを楽しむという姿勢を強く感じました。そういう姿勢は当然、聴衆にも伝わるわけで、こういうスタイルは好感が持てます。主席指揮者に就任しても、少しも気取りや驕りになることなく、親しみやすい音楽を提供してくれるのは、やはりこれまでの積み重ねによる信頼関係によるところでしょうか。
 久々のサントリーホールでまず感じたのは楽器の存在がよくわかるということと、トゥッティでの抜けが良いということ。芸術劇場もホールの容積はそう変わらないのでしょうが、サントリーホールでは、ステージの後ろがすり鉢状に広がっていることが影響しているのでしょうか、圧迫感が違います。今回の席は左寄りで、ヴィオラの位置から離れているのですが、ヴィオラのパートも良く聞き取れ、座席との遠近による差はまったく感じられません。4月のマーラーの5番で印象的だった今井氏のホルン、今回のブラームスでも名演を聞かせてくれました。(2022年9月)

2022年10月27日 第1967回 定期公演

 10月は今回がN響への最後の登場と思われるヘルベルト・ブロムシュテット。今年で95歳という高齢にもかかわらず来日するという、驚異的な存在ですが、さすがに足腰の衰えは年相応で、指揮台まで歩くのに介助が必要で、指揮も椅子に腰かけた状態でした。しかし、その音楽はまったく衰えを感じないどころか、若々しく、力強いオーケストラサウンドを聞かせてくれました。当夜の曲目はブロムシュテット得意の北欧の作曲家によるもので、グリークのピアノ協奏曲と、ニールセンの交響曲 第3番。ピアノはオリ・ムストネンというフィンランド出身のピアニスト。個人的には初めて聴くピアニストですが、当夜のパンフレットによれば、N響にも何度か登場していて、指揮や作曲家としても活躍しているとのこと。
 グリークのピアノ協奏曲は、いわゆる聴きばえのする曲で、ピアニストの存在をこれでもかと目立たせる、典型的なピアノ協奏曲の一つです。ムストネンが指揮もするということは、その弾きぶりからも明らかで、ピアノが入る前のオーケストラ・パートから、すでに演奏に加わっているかのよう。確かにピアノの入り方はとてもスムースですが、特筆すべきはピアノの音量で、オーケストラ(協奏曲ですから小編成ではあるものの)にまったく引けを取らない大音量で、会場内に響き渡っていました。そんな力強いタッチですから、その音楽も当然力強く、強烈な印象が残るグリークでしたが、反面、グリークらしい抒情性を味わう余裕はなく、ガンガンと響く音にあっけに取られているうちに終わってしまいました。
 ブロムシュテットの指揮が若々しく感じたのは、多分にこのピアニストの印象も影響しているのは間違いないでしょう。一方で、オーケストラの方はごく自然で、実にスムーズな流れと、美しいハーモニーが聴けました。このピアニストはブロムシュテットが希望したものと思いますが、グリーグらしい心地よい印象が残らなかったのは残念なところ。

 後半のニールセンの交響曲 第3番はブロムシュテットの得意なレパートリーで、N響も熱演を聞かせてくれました。ただし、ニールセンの交響曲はCDで聴いても良い印象がなく、当夜も楽しめないまま終わってしまいました。決して難しい曲ではないのですが、心に残るメロディーがないのがその理由のようです。同じニールセンでも、交響曲 第5番は親しみ易いメロディーで、すんなりと入り込めるのですが、この第3番についてはどうも記憶に残りません。ブロムシュテットが聴ける最後のチャンスとなるかもしれない公演で、個人的に馴染めない曲が演奏されたのは残念ですが、致し方ないことでしょう。
 ニールセンの交響曲はブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を指揮したCDがあり、Amatiで改めて聞いてみたところ、かつて抱いていたフル・オーケストラのうるさいイメージはなく、より楽しめる音楽になっていました。Amtiの良さを再認識した次第ですが、これを機会に、聞き直してみようと思っています。(2022年10月)

2022年11月24日 第1970回 定期公演

 11月はアメリカの指揮者、レナード・スラットキンの登場です。入国規制が緩和され、予定通りの指揮者が登場するようになったことは嬉しいのですが、再び感染者が増加傾向にあるのは気になるところです。スラットキンを聞いたのはいつだったか、過去の公演を検索したところ、2012年1月の定期公演でした。ところが当時のレポートでは”ストラッキン”となっており、そのため検索しても出てこず、10年後になって、ようやく間違いに気づいたという次第です。遅ればせながら、この記事に併せて、訂正させていただきました。
 当夜の曲目は、ヴォーン・ウィリアムズの「富める人とラザロ」の5つのヴァリアント、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、休憩をはさんで、再びヴォーン・ウイリアムズの交響曲 第5番という、ヴォーン・ウイリアムズをメインにしたプログラム。ヴォーン・ウイリアムズは1872年生まれのイギリスの作曲家。名前しか聞いたことがない作曲家で、今回の曲も初めて聞く作品ばかりですが、神秘的な雰囲気や、映画音楽のような親しみ易さもある曲でした。

 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストはレイ・チェンという、台湾生まれで、オーストラリアで育ち、その後アメリカのカーティス音楽院で学んだという経歴の人。演奏はいかにも若く、熱気にあふれた音楽をやる人で、ヴァイオリンの音がオーケストラに負けないくらい、良く響きます。こういうタイプのヴァイオリンを聞くのは久々で、甘美なメロディーのメンデルスゾーンではなく、ヴァイタリティに溢れたメンデルスゾーンという感じ。もちろん、やたらバリバリ弾くのではなく、さわりの部分はじっくりと聞かせますので、せかせかした感じはありません。いささか自己主張が強すぎる気もしましたが、こういう元気をもらうような演奏もわるくありません。
 ヴォーン・ウイリアムズの5つのヴァリアントは弦楽とハープという組み合わせ。ニューヨークの万国博覧会のために作曲されたそうですが、曲想は博覧会には似合わず、郷愁的かつ幻想的な雰囲気のある曲。弦楽合奏の場合、ともすればフォルテッシモで聞きづらくなることが多く、今回もその点が気になりました。これはN響に限らないことなので、弦だけで厚みのある音を作り上げるのは難しいようです。管弦楽の場合、ごく一部だけブラスが加わることがよくありますが、それだけで随分と深みが増すのを思い出しました。
 交響曲 第5番は、オケが大編成の割には穏やかさを感じる曲で、各楽章に付いている表題、前奏曲、スケルツォ、ロマンス、最後のパッサカリアが、この曲の性格を良く表しています。どの楽章も親しみやすいのですが、特に第3楽章「ロマンス」はその名の通り、まるで映画音楽のように美しく感動的。冒頭のイングリッシュ・ホルンの独奏から引き込まれます。繊細さと大編成ならではの迫力が調和していたのは、この指揮者の本領発揮というところと思います。ともあれ、スラットキンがヴォーン・ウイリアムスの音楽の真価を伝えてくれたことは確かで、CDでも聞いてみようと思いました。(2022年11月)

2022年12月15日 第1973回 定期公演

 12月は今シーズンの開幕公演に続き、二度目の登場となるファビオ・ルイージ。来年の5月にも予定されていますが、主席指揮者となれば当然と思う一方で、昨シーズンのパーヴォ・ヤルヴィの時は、コロナ禍で9月の1回のみの来日に終わったのとは隔世の感があります。今月のプログラムはグリンカの歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番、ドヴォルザークの交響曲 第9番という、ルイージにしては珍しい選曲です。N響のパンフレットによれば、このサントリーホールを会場とするBプログラムは、意図的に協奏曲を組み入れているそうですが、確かに毎月、協奏曲が演奏されます。
 ピアノは久々に聞く河村尚子。10月にグリークのピアノ協奏曲を弾いたオリ・ムストネンのイメージが強烈だったことも影響しているでしょうが、最初の出だしから、これが本来のピアノの響きだよな〜と思いました。この曲、ピアノの独奏で始まるのですが、フォルテになっても美しい響きは維持され、管弦楽に引き継がれていきます。これまで、河村の演奏では、音楽を通じて伝わってくるものに魅かれることはあっても、ピアノの音色を意識したことはありませんでした。当夜の河村のピアノは、オーケストラの音量と張り合う必要などなく、むしろ美音を維持してこそ、オーケストラと対峙するピアノの存在が際立つということを教えてくれました。

 ファビオ・ルイージの指揮については、9月の公演でも感じましたが、持ち前の精緻さは影を潜め、ラフマニノフらしい旋律の美しさや、感情の高まりを余すことなく伝えれくれます。もちろん、リハーサルでは細かい指示があるものと推察しますが、当初のイメージとは違って、聴衆とともに音楽を楽しむ雰囲気が感じられました。休憩後のドヴォルザークでは、普段気づかないファゴットの音が良く聞き取れたりして、新鮮なアプローチは感じられたものの、何故か余り楽しめませんでした。この曲はノスタルジックな思いと、新世界での発見と挑戦的な感情が入り混じったる名曲で、ルイージの感性にも合うと思われる作品ですが、ドヴォルザークの世界に浸ることなく、漫然と聞いてしまいました。恐らく当夜の演奏の良し悪しではなく、聞き手の事情と思いますが、何とも不可解な、そして残念な公演になってしまいました。(2022年12月)

2023年1月26日 第1976回 定期公演

 1月の定期公演は、3年ぶりの来日となるトゥガン・ソヒエフ。ロシアのウクライナ侵攻以来、ロシアの音楽家はヨーロッパの音楽会から締め出されていますが、ソヒエフも例外ではなく、トゥールーズ・キャピトルとボリショイ劇場の音楽監督のポストを辞任しています。当夜のパンフレットによれば、自らの意思によるもので、苦渋の決断だったとのこと。コロナ禍も重なり、N響には3年ぶりとのことですが、そういう背景も影響しているのでしょうか、熱のこもった演奏を聞かせてくれました。
 曲目はバルトークのヴィオラ協奏曲、休憩後にラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲、ドビュッシーの交響詩「海」という、意欲的な組み合わせ。もっとも、ソヒエフは2008年からトゥールーズの音楽監督を務めているので、フランスものを振るのは珍しくないのかもしれません。ヴィオラの独奏はアミハイ・グロスという、イスラエル出身の人。ソリストとしてのみならず、2010年からベルリンフィルの主席ヴィオラ奏者も務めているようです。バルトークらしい、民族音楽調の音楽ですが、2楽章で美しいメロディーがでてくるあたりを除き、あまり印象に残ることもなく終わってしまいました。バルトークの作品というのは、その良さを理解するには、ある程度聞き込む必要がありそうですが、この曲ではそういう気になりませんでした。

 休憩後のダフニスとクロエは、そんな気持ちを吹き飛ばすかのような心地よい演奏でした。このラヴェルは、N響ではあまり感じられないリズム感が満載で、まるでストラヴィンスキーを思わせるような、管弦楽の乱舞。ラヴェルの曲は、このダフニスとクロエに限らず、その世界に入り込むのに少し時間がかかることが多いのですが、この日は出だしから何の違和感もなく、楽しめました。個人的に聞き馴染んできた曲ということも影響していると思いますが、この日の演奏のレベルの高さも、間違いなくその要因と思います。これだけ統制の取れた、それでいて、個々の楽器が存分にその存在を発揮するという演奏は、そう多くはありません。
 それを裏付けるのが、最後のドビュッシーで、ここではラヴェルとは違う、ドビュッシーの音を聞かせてくれたことです。どちらの作曲家も、オーケストラの奏でる音色を感じさせる作品ですので、当然のことかもしれませんが、そういうことを表現できる、ソヒエフとN響の関係はとても好感が持てます。管楽器群の名演技も多く聞かれましたが、当夜はそういう個々のことより、オーケストラの響きに魅了された公演でした。(2023年1月)

2023年2月16日 第1979回 定期公演

 2月の定期公演は、チェコ出身のヤクブ・フルシャ。当夜のパンフレットによると、N響との初共演は2019年4月とのことですが、その後のコロナ禍のことも考えると、N響と付き合いはまだ数回と思われます。そんな事情もあり、ヤクブ・フルシャを聴くのは始めてですが、テレビ番組では、主席指揮者を務めるチェコ・フィルハーモニーが、バティアシュヴィリを迎えて演奏したサンサーンスのヴァイオリン協奏曲 第3番の素晴らしい演奏が記憶に残っています。当夜もその期待に応える演奏で、先月のトウガン・ソフィエフに勝るとも劣らぬ見事な公演でした。
 当夜の曲目は、ドヴォルザークの序曲「フス教徒」、シマノフスキの交響曲 第4番、休憩を挟んで、ブラームスの交響曲 第4番という意欲的なプログラム。そういえば、TVで見たチェコ・フィルとの公演も最後はブラームスでした。ドヴォルザークの序曲「フス教徒」は始めて聴く曲ですが、最初からフル・スロットルという感じで、汎スラブ主義の代表作というだけあって、熱い思いが伝わるような演奏でした。
 シマノフスキの交響曲 第4番は「協奏交響曲」の副題が示すように、ピアノ協奏曲ではなく交響曲と呼ぶのが相応しい作品ではあるものの、ピアノが重要な役割を持つ曲です。ピアニストはピョートル・アンデルシェフスキという、ポーランドのピアニスト。ポーランドといえばショパンですが、この人はショパンのピアニズムとはまったく違う印象です。シマノフスキのこの曲を得意としているそうですが、和音が美しく、幻想的なこの曲のイメージにぴったり。ピアノの音はもちろん素晴らしいのですが、今時、ここまで自己主張せず、ひたすら音楽に寄り添う、禁欲的ともいえる演奏スタイルはとても印象的でした。この協奏交響曲、抒情的かつ夢想的な雰囲気に溢れているとはいえ、この曲を真に親しむには少し努力を要します。当夜も全容はつかめないまま終わってしまいました。

 最後のブラームスは当夜のハイライト。以前、パワーアンプをA-70に換装した時、音に陰影が出来たと感じたのですが、その時のことを思い出しました。彫りの深い演奏といえば良いでしょうか、時にしつこいと感じるブラームスの旋律が、深みを増して聞こえ、飽きることがありません。3楽章のリズム感も気持ちよく、いささか勢いが良すぎるきらいはあるものの、ブラームスのシンフォニーから、分厚いフル・オーケストラの醍醐味を聞かせてくれた公演でした。(2023年2月)

2023年4月27日 第1982回 定期公演

 4月の定期公演は、久々に登場するパーヴォ・ヤルヴィ。N響の主席指揮者を務めた時はコロナ禍の渦中で、N響との共演も不本意なこともあったのではないか、と勘ぐられるほど、今回の公演は素晴らしいものでした。演奏曲目はちょっと珍しい組み合わせで、いきなりシベリウスの交響曲 第4番から始まり、休憩後にラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」最後にチャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」という配置。一般的には協奏曲風のラフマニノフが最初に来るケースが多いのですが、この順序は実際に聴いて納得しました。というのは、最初のシベリウスは初期の作品とは違い、暗くて重苦しい雰囲気の曲で、フル・オーケストラの醍醐味とは対局にある作品だからです。一方で、後半の二曲は華やかで、特に最後のチャイコフスキーは劇的な曲で、最高度に盛り上がったところで終わります。振り返って見れば、演奏会はこうあるべきという、見本のようなプログラムでした。

 シベリウスの交響曲 第4番は最初から最後まで重苦しい雰囲気の曲で、何ともやりきれない気分のままで終わってしまいました。この第4番はCDでも何度か聴いていますが、これほど暗さを感じさせられたことはなく、シベリウスの他の交響曲との性格の違いが鮮明に出ていた演奏だったと思います。思い出す限り、ヤルヴィのシベリウスは聴いた記憶がなく、ヤルヴィが他の交響曲をどのように奏でるかについてコメントはできませんが、この曲が持つ「暗さ」を感じさせる演奏は、ヤルヴィのこの曲に対する思いと、それを表現したN響、特に低弦楽器の引き締まった、緊張感のある演奏ならではと思います。
 休憩をはさんで、最初のラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は、ピアノ協奏曲と言ってもよい作品で、ラフマニノフのピアノ協奏曲らしく、甘美な旋律に溢れています。ピアノはマリー・アンジュ・グッチという、アルバニア生まれでパリで学んだ、まだ26歳のピアニスト。華奢な体つきからは想像できないダイナミックさと繊細さを兼ね備えたピアニストで、この難曲をバリバリと弾きこなしていました。とはいっても、バリバリ弾くタイプではなく、ピアノの響きがとても美しく、ラフマニノフの世界を存分に堪能させてくれました。
 最後のチャイコフスキーは始めて聴く曲で、ダンテの神曲を題材とした表題音楽だそうですが、チャイコフスキーらしく、ストリーは知らなくても親しめる曲です。もっとも、当夜のパンフレットによれば、ストリーを忠実に追っているのではなく、その真髄を表現した作品とのこと。そういった背景は知らずとも、物語を感じさせる変化に富んだ楽曲は、聴いているだけで十分楽しめました。というのは、この曲、管楽器の独奏部分が多く、フルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネットなどが、メロディーを引き継いでいくのが聴いていて楽しく、まさにオーケストラの醍醐味。冒頭書いた、最後の盛り上がりと相まって、この日のハイライトでした。(2023年4月)

2023年5月25日 第1985回 定期公演

 4月のパーヴォ・ヤルビに続き、5月はファビオ・ルイージと、新旧の主席指揮者が立て続けに登場することになりました。そういったことも意識していたのかは分かりませんが、今回のルイージの公演、特に最後のベートーヴェンの交響曲 第6番「田園」は感動的でした。昔の緻密なイメージのルイージが戻ってきた印象で、単なる風景描写に留まらない、ベートーヴェンらしい、精神性を感じさせる音楽が聴けました。
 当夜のプログラムはハイドンの交響曲 第82番「くま」、モーツァルトのホルン協奏曲 第3番、休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲 第6番。ルイージのハイドンを聴くのは始めてと思いますが、古楽器とは違って、響きがどうしても重くなります。そういったことも考慮してか、金管楽器はかなり制限されて登場します。第3楽章まではハイドンらしい軽妙さが感じられましたが、4楽章はいささか重く、重厚な交響曲を聞いているようで、古楽器の演奏になれた耳にはちょっと違和感がありました。
 一方、モーツァルトのホルン協奏曲の方は、徹底して柔らかく、優しい響きに包まれました。ホルンは福川伸陽で、2021年3月まで、N響のホルンの主席奏者を務めていたそうです。このホルン協奏曲で、ベルリン・フィルのホルン奏者、サラ・ウィリスがキューバを訪れ、地元のオーケストラと共演したビデオを思い出しました。「モーツァルトとマンボ」と題したドキュメンタリーで、NHKで放映されましたが、キューバの若い人たちで構成したオケで、N響とは比較にならないレベルですが、実に楽しそうに演奏しているのが印象的でした。福川のホルンも素晴らしい音色で、これぞモーツァルトという感じでしたが、一方で、粗削りながら、活気にあふれた、マンボ風?モーツアルトも楽しいものです。

 最後のベートーヴェンは冒頭にも書きましたが、久々に感動しました。最近、N響の演奏会で感激することがほとんどなかったのは、歳のせいと思っていましたが、どうやら演奏にも原因がありそうです。9月と12月の公演でも、ルイージの演奏について、以前、ブルックナーで感じた緻密さが感じられず、もっとリラックスして音楽を楽しむ姿勢を感じると書いています。フレーズに対する歌うような表現力は、この指揮者の得意とするところですが、一方で、音楽のスケール感というか、巨大な構造物を見た時に感じるような様式美も、古典的な交響曲の重要な要素です。第6番は、田園風景の描写ではなく、そこに存在する人間の気持ちの表現ですので、様式美というのは当てはまらないかもしれません。しかし、特に第3楽章から第5楽章に至る流れが見事に統制がとれていて、そこに緻密さを感じた次第です。ベートーヴェンがこの交響曲で表現したかったものが、あたかもその場で具現化されているように感じました。(2023年5月)

   

2023年6月22日 第1988回 定期公演

 今シーズンも最後の公演となりました。6月はジェナンドレア・ノセダの登場です。過去の記録では2015年1月に聞いて以来で、その時の感想として、あまりに整然としていると書いています。今回はそういうイメージはなく、いかにもオペラを得意とする指揮者らしい、よりドラマチックな表現を意識した演奏でしたが、このところ感動する公演が続いた反動か、あまり楽しめない公演となったのは残念です。
 当夜のプログラムはバッハ(レスピーギ編曲)の3つのコラール、同じくレスピーギのグレゴリオ風協奏曲、休憩を挟んで、ラフマニノフの交響曲 第1番という意欲的なものでした。コラールを除き、いずれも始めて聞く曲だったのも、馴染めなかった要因かもしれません。レスピーギ編曲のコラールはどれも聞き馴染んだ曲ですが、現在進行中の「CD再探訪」で、カンタータを集中して聞いていたこともあり、人の声に勝るものはないということを再認識した次第です。グレゴリオ風協奏曲はヴァイオリン協奏曲で、ヴァイオリン独奏は庄司紗矢香。この人のヴァイオリンも久々ですが、かつては線が細いというイメージがありましたが、今回は小柄な体を感じさせない音量と迫力で聞かせてくれました。この曲は名前からは想像し難い規模の大きな曲で、ヴァイオリンとティンパニーや金管楽器との掛け合いが楽しめる、聞き応えのある曲です。ただ、良く知られたローマ三部作のような親しみ易さはなく、随所に面白さは感じたものの、楽しむまでには至らなかったのは残念です。

 最後のラフマニノフの交響曲 第1番も馴染みのない曲です。ちょっと習作かと思わせるふしもあり、あのラフマニノフらしい甘美な旋律はあまり聞かれません。第3楽章ではラフマニノフらしい雰囲気はあるものの、他の楽章の荘重で、力強いイメージが全体を支配しています。第2番以降のような、ラフマニノフ自身の音楽を表現するというよりも、交響曲はこうあるべきという観念で作ったのではと思われる曲です。演奏自体は熱気の感じられるものでしたが、そんなことを思い起こしながら聴くことになってしまいました。ただし、いずれの曲でも音楽に集中できなかったというのは、演奏というより、体調のせいもありそうです。(2023年6月)